主よ、われ汝を仰ぎ望む
「はぁーッ! ユウカの太腿に挟まりたいなァ、私もなぁ!」
「先生、セクハラです」
ワカモの起こした騒動諸々、かつキヴォトスの行政制御権を取り戻してから数日。
シャーレの知名度は先の騒動で多少広まったとはいえ、ポッと出の組織として信頼性は皆無に等しく、また手元に戦力もコネも何もかもが足りない為、先生は地道にシャーレ周辺の困りごとを一つ一つ取り除いていた。
そんな折、ミレニアムサイエンススクールのセミナーに所属するユウカがシャーレへと訪れ、ミレニアムサイエンススクールのセミナーがシャーレと友好関係を結びたい旨を表明。そしてその際、机に山の如く積まれた書類と散らばったレシート類を見て、セミナー会計の性が暴走。特に玩具屋で購入した、「スーパーロボット合金EX、お値段十万円」が癇に障ったらしく、「先生の支出記録、私が直接確認します!」と家計簿を探し出す始末。
無論、先生と書いて
カリカリと頬杖を突きながら片手でペンを動かすユウカは、先の先生の発言に頬を赤く染めながらもふんと鼻を鳴らした。机の下ではもぞもぞと足を何度も組み替えている。数日前、あの悪魔的とも言える指揮でワカモ率いる不良群を蹴散らした先生とは性格が余りに異なる。というかこんな言葉を口にする人だったか? と別人すら疑った。或いは、こっちが素なのかとも。
――まぁ、別段此方が素だろうと自分は別に……いえ、教職者として問題があるかもしれないけれど、そちらの方が人気が出ないかもしれないし、あ、いえ、確か男性は少しオープンな方が女性に好意的に見られるという統計があった様な……?
テーブルの上でペンを動かしながら百面相を繰り返すユウカ、赤くなったり青くなったり、嬉しそうにしたり愕然としたり、そんな彼女の表情を柔らかな笑みで見つめていた先生。その事に気付いたユウカは、キッと表情を鋭く変貌させ口を開く。
「というより、本人が前に居るのにそういう事云いますか普通? 最低です!」
「ごめんね太腿、ユウカの事見ていたらつい……」
「太腿!? 誰が太腿ですか、私の本体は太腿なのですか、流石に怒りますよ!」
「ふふっ、ごめんごめん、ちょっと揶揄っただけだよ」
引き出しと財布から領収書を引っ張り出しながらそう口にすれば、ユウカは片目を瞑ったまま先生を見る。その表情を見て先生は思った、まんざらでもない顔をしているなぁと。
やや腰を浮かせていたユウカは椅子に座り直し、露骨に溜息を吐き出した。
「全く……私だから許してあげられるんですからね、他の生徒にそういう事を云ってはダメですよ? 傷つく子だっているかもしれませんし、本当にセクハラになっちゃうんですから」
「あぁ、勿論だよ、こんな事を云うのはユウカだけだから」
「ッ!? へ、へぇ、そうですか、ふーん、へーっ……」
先生が真剣な表情でそう告げれば、ふっと目を逸らし何でもないかのように口をとがらせるユウカ。しかし微妙に口の端が歪んでいる、上の方向に。絶妙に緩んだ口元は「V」の字を描き、頭の上に汗が見える。どうやら喜んでくれたようだと、先生は胸を撫で下ろした。
「ところでハスミも凄く良い太腿しているよね、今度トリニティで――」
「先生?」
「ごめんて」
一瞬で腕を払い、手に持っていたペンをくるりと回転させ先生の目前に付きつけるユウカ。その表情は酷く冷たく先程とは一転、何なら眼球に突き刺してやろうかという覚悟が見え隠れしていた。先生を見つめる二つの眼光は余りにも害意に塗れている。彼女にはやりかねないという気迫があった。流石に他の女性の話題を此処で出すのは配慮に欠けていたかと反省し、そっと財布から取り出した領収書を彼女の傍に差し出す。気持ちとしては免罪符である、只単に仕事を増やしているだけだが。
それを見た彼女はふんともう一度肩を揺らし、ペンを握り締めて領収書を乱暴に手繰り寄せた。
「全く……先生、良いですか? こんな風に領収書の整理を手伝ってくれる生徒なんて、本当に私くらいですし、何ならセクハラ紛いの発言を笑って許してくれるのも、キヴォトス中探してもきっと私だけです、先生はもっと有難がって感謝するべきです! だというのに、こんな二人きりの状況で別の女性の名前を――いえ、そうではなく、えっと、そう! まだそんな態度を取るならもうこれっきりですからね、二度と手伝ってあげませんから!」
腕を組んで鼻を鳴らし、「私、怒っています」と全身でアピールするユウカに対し、先生は酷く悲しそうな表情を浮かべた。
「それは――とても困るな、私はユウカ(の書類処理能力)なしでは生きていけない」
「えッ!?」
先生の衝撃発言に、腕を組んでそっぽを向いていたユウカが凄まじい勢いで振り向いた。その目はぐるぐると渦を巻き、指先は忙しなく蠢いている。
実際以前も彼女には随分と世話になった自覚があった。会計としての彼女がシャーレに所属していなければ、随分と前にシャーレは経済危機に陥ったに違いない。
――私なしでは生きて行けない……それってつまり、ぷ、プロポーズって事!? うそ、嘘! だって私達、まだ数日前に知り合ったばっかりで、いえ、そもそも先生と生徒の間柄でそんな恋愛関係なんて……でも先生はキヴォトス外の人で、それなら私達が恋仲になっても規則上では問題ない? 違う違う、そういう問題ではなくて! 私はミレニアムサイエンススクールのセミナー所属で、先生は連邦生徒会所属のシャーレ顧問なのだから! 関係上問題が……ないわね? あれ、もし先生と恋仲になったら連邦生徒会、というかシャーレとの繋がりも強固になるし、何なら将来性という点でも――
「ユウカ?」
「連邦捜査部、生徒会、ミレニアム、セミナー……でもそうしたらトリニティとゲヘナ……いえ、そんな事で尻込みする理由は――」
何やら急に考え込み、ぶつぶつと呟いているユウカを見た先生は苦笑を零す。また色々考えているのかなぁと。そしてこうなった彼女は暫くの間、周囲に注意を払わない事を先生は知っていた。
先生は思考に没頭するユウカを他所に机の中に潜り込む。
薄暗い机の下、その向こう側には綺麗に重ねられたユウカの太腿が――。
「まぁ、ちょっと位……バレへんか!」
先生はそう満面の笑みで告げ、ユウカの太腿に挟まれる為に前進を開始した。
■
「あんなに怒らなくても良いじゃん」
とぼとぼとシャーレを後にする先生は、そんな事を呟きながらコンビニを目指す。その片手は頻りに腹を摩っており、心なしか背中が煤けて見えた。
結論から言うと、先生の行いは許されなかったし当たり前のようにバレた。
ユウカの太腿に顔を挟ませた時点で、「あ」とも「え」とも取れるユウカの口の形が視界に入り、それから万力の様な力で顔を挟まれた後――太腿は柔らかかったので、天国と地獄が半々であった――凄まじい力でのボディブローを決められた。
顔面を殴られなかった事に感謝するべきか、或いは嘆くべきか。鈍痛がゆっくりと全身に行き渡る感覚は筆舌に尽くし難い。度重なる先生の暴挙に、流石のユウカも噴火し、先生はそれを鎮火させるべく近場のコンビニで販売している、『エンジェル24、フルーツカップパフェ』を購入し差し出す腹積もりなのである。税込み九百八十円、これも領収書を取っておかなければならないのだろうか、と先生は悩んだ。
しかし、まぁ、我ながら残当である。というかここまでやって未だに、「フルーツパフェ奢って下さい!」で済んでいるのが奇跡というか、何というか。ユウカって意外とアレな男性がタイプなのだろうか、少し将来が心配であった。
残念ながらシャーレ併設のコンビニではパフェの販売が行われていなかったので、少しだけ遠目の同系列店に赴く事になった。平日昼間、人通りの少ない通りを歩いている最中――あぁ、今日も良い天気だなぁ、などと呑気に空を見上げていると。
不意に、先生は足を止めた。
「―――」
止まったのは、視線を落とした先に見覚えのある背格好が映ったからだ。
前から歩いて来る女子生徒――帽子を深く被り、コートを靡かせながら颯爽と歩く彼女を、先生は良く知っていた。ずきりと、脇腹が痛みを発する。幻痛だ、それは分かっていた。
向こうも立ち止まって自身を凝視する存在に気付いたのだろう。訝し気な表情を浮かべ同じように立ち止まると、先生の恰好と顔を注視する。その手は肩に掛けたライフルのグリップに伸びていた。
「何だ、何か用か………? 大人の、男性――それに、その制服と腕章は」
「君は……」
互いに数歩踏み込まなければ手が届かない距離。それが今の先生と彼女の距離感。僅かに目を細めた先生は、小さく、呟く様な声量で告げた。
「アリウス分校、アリウススクワッドのサオリ」
「ッ!?」
分かり易く、彼女――サオリの目が見開かれた。
吊り下げたライフルのグリップを握り締める音、次いで安全装置を弾く音。幸いにして銃口こそ向けられなかったものの、サオリの瞳は鋭く先生を射貫いていた。彼女の靴底がアスファルトを擦り、半身になった彼女の体がコートに遮られる。
――早撃ちを仕掛けられた場合、反応すら出来まい。先生は冷静に、そう思考した。
「……成程、彼女が云っていた外的要因、連邦生徒会長が直々に指名したというのは貴様か――連邦捜査部、シャーレの先生」
「――もう認識されているのか、流石だよ」
それはどちらに向かっての言葉だったのか。サオリか、或いはその背後に居る存在か。
殺意すら籠った視線を向けられながら、先生の態度は微塵も揺らがない。あるがままの自然体、いっそ不自然なほどリラックスし、サオリと対峙していた。
不気味だとサオリは思った。自身の実力に絶対の自信があるのか、それとも殺されはしないと高を括っているのか。サオリの目からして、先生には大した力がある様には思えなかった。少なくとも近接格闘でも、銃撃戦でも――負ける気はしない。
仕掛けるべきか、一瞬そう考える。しかし計画の前段階で騒ぎを起こすような真似は避けたい。その間隙を縫うように、先生の致命的な一言がサオリの胸を貫いた。
「エデン条約の妨害……いや、会場の爆破強襲、まだ計画しているのかい?」
「ッ!」
余りにも唐突な言葉だった。
もし此処で余人がそんな発言を聞いたところで、まさかと鼻で笑う様な――そんな突拍子もない言葉。
しかし、それを真剣に計画しているサオリ――アリウス分校にとっては余りにも聞き捨てならない発言であった。思わずと云った風に踏み込んだサオリが、先生の襟元を掴む。サオリより十センチ程身長の高い先生ではあるが、単純な膂力であればキヴォトスの生徒が勝る。襟元を引かれ、僅かに腰を曲げた先生。まるで接吻を強請るかのような姿勢だった。しかし実際は異なる。ほんの数センチしか離れていない距離で、サオリと先生は顔を突き合わせる。
先生の胸元にはサオリの持つライフルの銃口が、コート越しに当てられていた。
「貴様……! 一体、どこまで知っている!?」
「待て、早まるな」
「貴様に指図される謂れはないぞ!」
「違う、君に云ったんじゃない――あぁ、でも疑問に答える事は出来るよ」
至近距離で見つめ合ったまま、先生はやはり飄々とした態度で云った。
「マダムから君がどこまで聞いているのかは分からない、或いは彼らゲマトリアの実態を掴んでいないのかもしれないけれど――態々自治区から出てこんな場所まで来たんだ、計画は順調に進んでいるのだろう? 凡その事は大体、知っているとも」
先生の言葉にサオリは歯を軋ませる。ライフルの引き金に掛かった指が、微かに震えた。
「私達が何をしようとしているかも、か」
「うん、そして君たちが『彼女』と呼ぶ存在――ベアトリーチェが何をしようとしているのかもね」
「………」
暫く、沈黙が二人の間に降りる。正面から見つめ合い、先生は胸元に銃口を突きつけられて尚、その態度を崩さない。サオリはこの、不気味で超然とした大人を前に焦燥感を抱いた。連邦捜査部シャーレ――超法規的な権力を持つ組織が、アリウスの動きに気付いているという事実に。
「……邪魔をするか、大人が」
「する、と云ったら君は此処で私を撃つかい?」
「無論――貴様は危険だ、彼女の言葉が身に染みた、貴様が存在するだけで計画が頓挫しかねない、例え多少の騒ぎになろうとも、今ここでシャーレを潰せるのであれば十分だ、後顧の憂いは早めに断つに限る」
「それは……過大評価だよ」
「アリウスの決起を知っている時点で、侮れる筈がないだろう」
「君達からすれば、そうか」
ライフルの銃口は逸れず、視線もそのまま。
一秒経過する毎に空気が重くなり、サオリの指は引き金に沈む。先生はそんなサオリをじっと見つめ、どこか悲しそうな表情で云った。
「今此処で、ベアトリーチェが何を企んでいて、君達を嵌めようとしている――何て云っても君は信じないだろうし、納得もしないだろう、だから今、この場で止めようとは思わない」
「………」
「代わりに――」
告げ、先生は懐に手を差し込む。今まで何のアクションも起こさなかった人物が起こした行動。鎮圧するべきか? グリップを握り締めたサオリは一瞬判断に迷った。しかし、このマダムが危険視する者がどれ程のものか、何をしてくるのか――単純に武力で以て対応してくるのか、興味があった。
故に、どんな行動が起きても対応できるよう、ぐっとサオリの表情が険しさを帯びる。
そして先生がゆっくりと懐から取り出したものは。
「――ご飯、一緒に食べない?」
「………?」
定食屋のクーポン券であった。
怪文書じゃないよ、純愛だよ。
折角の休日なので書いた分上げます、多分明日も上げます。
その代わり今日休む筈だった分、火曜日は休むと思いますのでよろしくお願いします。
信頼上げまくった生徒の前で血塗れになるのも良いけれど、好感度上げに上げた生徒に笑って裏切られる先生を見せて、ブチギレるトリニティと内心慟哭しながら戦うアリウスの修羅場とかめちゃ見たいからご飯食べさせるね。
色々良くしてくれた先生に震える銃口を向けながら、過呼吸気味に引き金を引くサオリとか、これ以上美しいものはないでしょう。