今回も一万七千字です、めんご。
プール掃除を決めてから凡そ十分後。
補習授業部の皆は水着姿で再びプールサイドへと集合し、その手には倉庫から引っ張り出して来たブラシやホースが握られている。
「えーっと、集まりましたけれど……」
ヒフミ、コハル、アズサの三名はトリニティ指定のスクール水着に身を包み、困惑した表情をハナコに向けていた。
「……あの、先生は一体どうしたのですか?」
「――うぉぉおおおおッ!」
ヒフミが、ふとプールの中で疾走する先生を見つめながら云った。先生はズボンの裾を膝程まで捲り上げ、プールの底面をブラシで磨き上げながら叫んでいた。その表情はまさに真剣、ヒフミ達が思わず息を呑む程の気迫を纏っている。
「尤も効率的なコーナリングをッ……最高の演算機能で導き出したっ、究極の
「ふむ……凄い気迫だ」
ぽつりと、アズサが呟く。彼女からしても先生から迸るやる気というか、気力と云うか、目に見えないそれが肌にひしひしと伝わって来る程。
ハナコは笑みを浮べながら、実に楽しそうに告げた。
「『一分一秒でも早く、皆がプールで遊べる様に』、と仰って、先程ブラシとホース片手に飛び込んで行きました♡」
「そ、そうですか、先生らしいと云うか、何というか……」
生徒の為ならば常に全力の先生らしい行動だった。真剣の度合いは兎も角、納得は出来る。
「ともあれ、皆さん、これでびしょびしょになっても構わないという事ですね♡」
「うん、問題ない」
「ま、まぁ、一応……」
「――では、皆でお掃除を始めましょうか!」
「待て待て待てっ!?」
しかし、ブラシを片手に満面の笑みで掃除を開始しようとするハナコを引き留める者が居た。コハルである。彼女は小首を傾げ、不思議そうにするハナコに向かって素早く詰め寄る。そう、彼女の恰好が問題だった。
――何故かハナコは皆が水着の中ひとりだけ、きっちりと制服を着込んでいたのである。
「コハルちゃん? どうかしましたか?」
「あんた掃除の時は水着で、どうして今度は制服なの!? 本当に馬鹿なの!? 濡れても良い服ってあんた云ってたじゃん!?」
「えぇ、ですからこれが濡れても良い恰好ですよ?」
自身の衣服を引っ張り、何でもない事の様にそう口にするハナコ。普通、濡れても良い服というのは水着の事だろう。誰だってそう思う、コハルだってそう思う。ズレているのは、ハナコの方の筈だった。
「もうあんたが何を云っているのか分かんない! 制服が濡れても良いの!?」
「――コハルちゃん、これは各々の美学の問題かもしれませんが……」
「……えっ、美学?」
唐突に真剣な表情を浮かべ、コハルを見つめるハナコ。
その気迫に一歩退いたコハルは、引き攣った表情で彼女を見た。
「水着と制服、何方の方が濡れた時に『良い感じ』になると思いますか?」
「い、良い感じ……? な、何よそれ、何の話……!?」
「あっ、因みに先生はどう思われますか?」
「――私はっ、制服には制服のッ、水着には水着のッ、濡れた時の『良い感じ』があると思うよッ!」
「先生は先生で何云ってんの!?」
「あ、あはは……」
プールの中で走り回りながら、全力で口走る先生。しかし、実際そうなのだから仕方ない。所謂、方向性の違いというものである。水着が濡れた時の艶やかな感じは、それはそれでとてもよろしい。制服が濡れた時の、あのぴったり張り付く感じ、それはそれで大変よろしい。つまり、どちらにも良い点があり、甲乙つけがたい。
「ふふっ、まぁ半分は冗談ですよ、ほら、実は中に着ているんです、お小遣いで買ったビキニの水着♡」
「え、え……?」
「先程、コハルちゃんに『水着の着用禁止』と云われてしまいましたし、確かに学校ではスクール水着の方が鉄板ですが……今日はこれで許して頂けませんか?」
そう云ってちらりと制服を捲りあげるハナコ。中には確かに、彼女の私物と思われるビキニを着用していた。コハルは非常に困惑した様子を見せる。なら、何で上に制服を着るの……? と。それが彼女の云う、美学という奴なのかと。
「スクール水着は今洗濯中でして、これが駄目だとすると私、下には何も……」
「わぁああッ!? だから脱ごうとしないで!? 分かった、分かったからッ! それで良いからっ!?」
「ふふっ、ではそういう事で……♪」
ビキニの紐に手を掛け、ゆっくりと力を入れて行けばコハルが慌てて制止を口にする。何はともあれ、許可を得られたのであれば問題ない。ハナコは改めてブラシを両手に握り締めると、とても楽しそうな笑みで以て宣言した。
「改めて、お掃除を始めましょうか!」
■
「見て下さい、虹ですよ、虹!」
浴槽に入り、ホースを片手にしたハナコが頭上にそれを振り撒きながら声を張る。飛び散った水は近場のヒフミへと降りかかり、その冷たさにヒフミは身を竦めながら声を上げた。
「ひゃ!? ちょ、ハナコちゃん冷たいですよぉ!」
「ふふっ、トリニティの湖から引っ張ってきている水ですし、そのまま口を開けて飲んでも大丈夫ですよ?」
そう云ってハナコは水をあちこちに振り撒きながら、時折ヒフミに向けてホースを振ったりする。その度に楽し気な声が上がり、そんな彼女達をどこか恨めしそうな目で見つめながら、コハルはプールの隅をブラシで擦っていた。
「うぅ、どうしてこんな事に……」
呟き、意気消沈するコハル。だって、元々こんな大きなプールを掃除する必要などないのだ。面倒くさいし、疲れるし、自分達の使う場所を掃除するだけで良いじゃないかと、そんな事を胸の内で呟きながら――しかし皆が動いている手前、サボるという発想はなく、生来の生真面目さからちまちまとブラシを動かしていた。
裏腹に、そのすぐ隣を駆け巡る影が一つ。
「こちらのブロックは完遂した、続けて速やかにそちらへ向かう」
「ほう、やるねアズサ、この私のスピードについて来るとは……!」
「先生こそ、中々の手際だ」
髪を一つに束ね、真剣な表情で清掃を進めるアズサ。
先生と二人並んだ彼女はその体力にモノを云わせ、隅から隅まで全力でブラシを掛けて回っていた。その勢いは宛ら人型の清掃器具。彼女の通った道は正に白雪の如き輝きを発している。
「アズサ、ならどっちが先にブロックを綺麗に出来るか競争しないか?」
「競争? ふむ、しかし判定は――」
「このタブレットが自動でどちらが綺麗に、かつ素早くこなしたか判定してくれるよ」
そう云って先生はプールサイドに置いていたタブレットを手に取り、現在のプール、その内部映像を撮影する。後は全体を見える位置に立て掛け、先生とアズサの動きをトレースしながら、どちらがより綺麗に、かつ素早く汚れを落としたのかを判定してくれるだろう。
「さて、これで元の状態は記録した、後は単純な技量とスピードだ」
「……うん、訓練としては悪くない、分かった、受けよう」
ふんす、と鼻を鳴らしたアズサはブラシを掲げ、宣言する。
「けれど勝負事なら、先生にだって負けるつもりはない」
「当然だ、常に全力で事に当たる、それがアズサの良いところさ」
「……そんな事、初めて云われた」
先生の言葉に、彼女は何とも、不思議そうな表情でそう呟いた。
「コハル! 合図を頼む!」
「えっ、は!? な、何で私がそんな事――」
「――ごめん、誠意が足りなかったね、足舐めた方が良い?」
「わぁあああああッ!?」
先生が残像を残しながら素早くコハルの前で屈めば、悲鳴を上げながら飛び上がるコハル。惜しい、あと一秒あれば舐められたものを――中々良い反応速度ではないか、先生は内心で呟いた。
「分かった、分かったからっ!? か、開始の合図を出せば良いんでしょう!?」
「うん、頼むよ」
コハルがそう叫べば、先生は心なしか残念そうな表情で立ち上がる。そんな二人を見ていたアズサは、興味深そうな表情で先生に問い掛けた。
「先生、足を舐める事は誠意なのか?」
「うーん……人によるかな、十人十色、アズサの好物が他人にとってはそうじゃない、だから誠意になる事もあるし、ならない事もある」
「なら、コハルにとっては足を舐められる事が誠意になる、という事か……成程、そういう誠意の表し方もあるのだな」
「な、何云ってんの!? ならないからッ!?」
真っ赤になって否定を叫ぶコハル、しかしその視線が先生の口元を凝視しているのに、本人は気付いていない。コハルはむっつりなのである、仕方ないのだ。
「うーん、先生達も楽しそうですねぇ、だったら――えいっ♡」
「むっ!?」
ハナコが三人の喧騒に気付き、ホースを向ける。瞬間、アズサはその動作を目の端に捉え、素早く先生の背中に隠れた。先生は背中に隠れたアズサを視線で追いながら、「うん?」と首を傾げる。
「遮蔽防御!」
「えっ――ホワァアアア!? つ、冷たぁッ!?」
「あ、あぁ、先生が水浸しに……!?」
結果、冷水は先生をずぶ濡れにし、アズサには僅かな飛沫のみが掛かる。上のTシャツからズボンまで、大量に水を吸った先生は僅かに腕を擦りながら震えた。予想以上に水が冷たかったのだ。
「ふふっ、水も滴る良い男、ですね先生♡」
「いや、割とマジで冷たくてびっくりしたんだけれど……アズサは私を盾にするし」
「常に警戒を怠らなかったから気付けた、先生も被弾管理は確りと行った方が良い」
「被弾……管理……?」
何それ知らない、というか被弾した時点で私は結構致命的なのですが――先生はそう思った。
■
その後もプール掃除は賑やかに進み、お昼はプールサイドでサンドイッチを頬張った。トリニティ購買から先生が買って来たモノだが、皆で食べるとこれがまた美味い。運動した後というのもあるだろうが、やはり皆で食べる飯は別格だった。
まだ材料の搬入も済んでいないので、食堂の稼働は明日から。食材配達の業者は夕刻到着予定である。
そんなこんなで時間は瞬く間に過ぎ去り――。
夜、プールサイドに佇む補習授業部。
空は既に陽が沈み、プール周辺には水の揺らぐ音だけが響いている。彼方此方濡れた姿で佇む皆の視線は、夜の蚊帳と水面に注がれていた。
「………」
「結局、実際にプールに入って遊ぶことは出来ませんでしたね……」
「そう云えば、水を入れるのは結構時間が掛かるものでしたね、ごめんなさい、失念していました」
「いや、謝る事はない、十分楽しかった」
呟き、座り込んだアズサは笑みを浮べる。実際、皆で騒ぎながら行う清掃は楽しかった。少なくとも、彼女にとって「掃除」が楽しいと思えたのは、本当に初めてだったのだ。
「……綺麗」
「そうですね、真夜中のプールなんて、中々見られない景色ですし」
周囲の光源を反射し、月を揺蕩わせる水面を見つめる。酷く静かで、美しい光景だった。これを見られただけでも、まぁ――悪くない。コハルは、そんな事を考える。
「………」
しかし、ふっと気を抜いた瞬間、コハルの頭部がウトウトと船を漕ぎ始める。
午前中から夕刻に掛け、殆ど掃除で動き回っていた彼女の体力は既に底を突いていた。その様子に気付いたハナコがそっと肩を包み、笑い掛ける。
「コハルちゃんおねむですか?」
「そ、そんな事ないもん……でも、ちょっと疲れた……」
「確かに、今日は朝から大掃除で動きっぱなしでしたもんね……先生も――」
告げ、ヒフミは視線を横合いに向ける。
そこには地面に横たわり、ピクリともしない先生の姿があった。
アズサはじっと先生を見つめると、徐に屈み込み先生の口元に手を当て、それから指先を手首に当てた。脈を確認したのだ。余りにも動かないので、「もしかして死んでいるのか?」と思った故の行動であった。無論、死んでなどいない。
「せ、先生、大丈夫ですか……?」
「う、腕と、脚がね……痙攣して、う、動きが……」
「ふむ、筋力トレーニングが足りていないんじゃないか、先生?」
「あ、あはは……先生は私達とは違いますし、仕方ないかと……」
これはアズサと全力で張り合った結果である。勝負はアズサが圧勝した。そもそも体力の土台からして格差があり過ぎた。妥当である。
「そろそろ、部屋に戻って休みましょうか……明日から本格的に勉強合宿が始まってしまいますし、そろそろ寝ないと明日に支障が出てしまうかもしれません」
「うん」
「そうですね、では、今日はこれくらいで」
呟き、生徒達は帰る準備を始める。ハナコは倒れ伏した先生の傍に屈むと、楽しそうにその頬を突きながら告げた。
「先生、ご自分で歩けますか? それとも――私がお部屋まで……ふふっ」
「ふぁっ!? な、何のつもり!? 何考えてんの! え、エッチなのは駄目ッ!」
「あらあら、コハルちゃん、私はただ先生を部屋に送り届けようとしただけですよ? えぇ、本当です」
「ぐ、ぅ……!」
先程まで意識朦朧といった様子だったコハルだが、ハナコの言葉に一気に覚醒し声を荒らげる。コハルはエッチな事には敏感なのだ、当然の事であった。先生はハナコの言葉に、「それも悪くない」と思いながらも、しかし残った僅かな力を総動員し、辛うじて立ち上がる。
「ぐ、ぬ……いい、や――生徒に、情けない姿はッ、見せられない……ッ!」
「おぉ、立った」
「……先生の足、凄い勢いで震えているけれど」
「これは、武者震いだよ……!」
「先生、何と戦っているの……?」
「自分自身さッ!」
コハルの問いかけに、先生は満面の笑みで答えた。そうだ、人生は自分との戦いである。いつだってそうだった。
そんな先生の背中から、ひらりと、何か薄い肌色が落ちる。
「――あら?」
ハナコが気付き、そっと落ちたそれを拾い上げた。先生はそれが剥がれ落ちた事に気付いていない。
「先生、何か落ちて――……」
ハナコは最初、先生にそれを告げようとしたが、手にしたそれの外観に思わず口を噤んだ。一見すると、何かのフィルムの様に見える。裏側はやや白く、表面は肌色。それに肌触りが柔く、人のそれに近い――この暖かさ、肌に直接貼り付けていた? ハナコは思わず、先生の濡れた背中をじっと注視した。微かに透けて見える先生の背中、しかし、それらしい影は見えない。
ハナコは咄嗟に、手の中にそれを隠す。
「……ん、ハナコ、どうしたの?」
「いえ、何でも――それより先生、肩、お貸ししますよ?」
「だ、大丈夫さ、此処から部屋に行く位なら……!」
ハナコに強がりの言葉を告げ、先生は意気揚々とロボットの様な動きで合宿所へと入って行った。その虚勢に、ヒフミたちは苦笑を浮べ、その背中に続く。
尚、結局道中で力尽き、アズサに担がれた模様。大人の威厳とは、薄く儚いものなのだ。
■
「それでは先生、お疲れ様でした!」
「お疲れ様」
「はい、ではまた明日」
「……お疲れ様」
部屋前の廊下、先生の部屋と生徒の部屋に分かれる前に、皆が先生と挨拶を交わす。
「うん、お疲れ様、私は向かいの部屋にいるから、何かあったらいつでも呼んでね」
「せ、先生こそ、何かあったら呼んでください!」
「ふふっ、はい、ちゃんと覚えておきますね♡」
「そ、そういうハレンチなのは、正義実現委員会として……!」
和気藹々と声を上げる皆に、先生は手を振る。そしてアズサは先生を真っ直ぐ見つめながら、いつも通りの表情で告げた。
「先生、おやすみなさい」
「……うん、おやすみ」
■
生徒達と別れ、自室に戻った先生。
乾き始めたシャツを軽く煽りながら、軽く部屋を一瞥する。弄られた痕跡や誰かの侵入した様子は――ない。
「――さて」
その事に安堵の息を吐き、タブレットに充電コードを差し込むとそっとベッドに置く。そのまま生乾きのシャツを脱ぎ捨て、自身の肌に手を這わせた。
「……流石に、プールで燥ぎ過ぎたかな」
呟き、指先で背中側を摩った。感触だけでも、保護膜が所々剥がれかけているのに気付く。腕周りは特に問題ないが、内側から汗が滲んでいた背中は、少し緩くなっていた。
「もう少し、持続力のある防汗、防水保護膜を開発出来れば良いのだけれど……流石に、今のミレニアムに頼む訳にもいかないか――」
呟き、思考を巡らせる。元々この保護膜はミレニアムサイエンススクールにて開発された代物だ。勿論、現在のミレニアムではない。その設計図を元にクラフトチェンバーで製造している訳だが――やはり水辺で、それも一日中付けっぱなしとなると中々どうして難しい。
ソファに座りながらテーブルに資料を広げた先生は、腹回りや胸元、背中の保護膜を剥がしながらこれから補習授業部について思案を広げた。兎にも角にも、今はこちらに専念しなければならない。何せ、此方側がどれだけ静かにしていようとも――
そんな事を考えながら保護膜を剥がし、明日以降の授業資料を整理、作成する事暫く――そろそろ自分もシャワーを浴びて寝床に入るか、そんな事を考え始めた時間に、ノックの音が響いた。
「―――」
先生は咄嗟にシャツを羽織り、透けていない事を鏡で確認すると、確りとボタンを留めた後扉を開く。僅かに開いた扉の前には、どこか申し訳なさそうな表情のヒフミが立っていた。
「あ、えと、先生……」
「ヒフミ?」
ジャージ姿のヒフミは、両手を忙しなく合わせながら顔を俯かせている。先生は扉を大きく開くと、廊下に他の生徒が居ない事を確認し問いかけた。
「どうしたの、もう皆と寝たんじゃ――」
「その、夜中にすみません……ちょっと寝付けなかったというか、あれこれ考えていたら、その……あうぅ」
言葉の途中で見るからに落ち込むヒフミ。どうやら、悩み過ぎて眠れなかったらしい。先生は小さく息を吐き出すと、静かに部屋の中へと促した。
「……立ち話もなんだし、入って」
「お、お邪魔します」
■
備え付けのマグカップにココアを入れる。ココアは先生の持参品で、カップは食堂から拝借したもの。トリニティの夏はやや肌寒い、昼は冷たい飲料が最高だが、夜は少し暖かい位の飲み物が丁度良かった。
ヒフミはどこか挙動不審気味に部屋の中を見渡すと、先生が何かを注いでいる事に気付き、慌てて声を上げた。
「あ、先生、そんなお構いなく……!」
「良いから、良いから、インスタントだけれど結構美味しいよ、それにホットココアは寝つきを良くしてくれるんだ……個人的な意見だけれどね」
そう云って先生はヒフミの前にそっとカップを置く。中には甘い匂いを放つココアがたっぷり注がれており、ヒフミは少しだけ目を輝かせながら、はにかんで受け取った。
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
告げ、先生はヒフミの対面に座り、自分の分のカップを置く。二人だけの部屋は静かで、時折窓の向こう側から虫の鳴き声が聞こえて来る程度。これが百鬼夜行の方になると、蛙の合唱なども響いて来る。あの、ノスタルジックな気分に浸れる場所が、先生は存外好きだった。
「……何だか、夜にこうやって甘くて美味しいものを口にしていると、悪い事をしている気分になりますね」
「ふふっ、そうかな? なら、皆には内緒にしようか」
「内緒ですか?」
「うん、私とヒフミだけの秘密だ」
「……ふふっ、はい、分かりました」
そう云って、両手で包んだカップを差し出すヒフミ。先生はそれに合わせ、そっとカップの縁を鳴らした。
「今日はお疲れ様でした、先生」
「うん、ヒフミもね、ちゃんと部長として立ち振る舞えていたよ」
「あ、あはは、そうですかね……?」
どこか自信なさげに俯くヒフミ。彼女としてはきちんと振る舞えている気がしないらしい。他人から見る姿と、自分の思う姿と云うのは往々にして一致しないものだ。その不安が、先生は良く分かった。
「明日から本格的な合宿ですが……私達、このままで大丈夫なのでしょうか?」
「大丈夫、というのは?」
「……もし、一週間後の二次試験に落ちてしまったら次は三次試験になります、そして、万が一それにも落ちてしまったら――」
「……全員退学?」
先生がそう告げると、彼女は目を丸くして、それから納得したように苦笑を零した。
「……やっぱり、先生も知っていたんですね」
「うん、まぁ――私の場合、後から聞かされたのだけれどね」
そう告げると、小さく「そうでしたか」と口にして、ヒフミは手に持ったココア、その表面を見つめながら呟く。見える水面には自身の歪んだ、不安そうな表情が写っていた。
「今回の事は、私もまだ混乱していて……学力試験なのにどうして『全員一斉に』みたいな評価システムなのか、何故、私達の為だけにこんな合宿施設まで提供して貰えるのか、それに――」
告げ、ヒフミは言葉を呑み込む。その様子に先生は、まだ何か話していない事があるのだと直感し、目を細めた。
「うぅ……」
「ヒフミ、他にも何かナギサから云われていたりする?」
「い、いえ、その……」
云い淀み、軽く唇を噛む動作。その素振りだけで、答えを云っている様なものだった。先生は催促するような真似は控え、ただ彼女を見守りながらそっと佇むのみ。
「ナギサ様からは、えっと、その……」
暫くの間、視線を彷徨わせながらヒフミは逡巡し――軈て、観念するように、ゆっくりと頷く。
「――……はい」
「……そっか」
「えっと、ナギサ様から、誰にも云わないようにと念を押されていたのですが……私の手に負える様な話では、なくって……その、何と云えば良いか……」
「――トリニティの裏切り者を探せ」
「ッ!」
その言葉にヒフミは、今度こそ腰を浮かせ驚愕の表情を浮かべた。
「もしかして、先生も……?」
「うん、そう依頼された」
「そう、ですか……その、私も、ナギサ様とお話をした時に――」
■
ティーパーティー、テラス。
補習授業部の部長を頼まれた日とは別日――彼女は補習授業部、その本当の目的を伝えられていた。
「ヒフミさん、補習授業部にいる裏切り者を、探して頂けませんか?」
「えっ、えぇ!?」
その、余りにも唐突な依頼、そして内容にヒフミは思わず声を上げる。テストの結果が結果だった為、恐らく叱咤されるのだろうと意気消沈して来てみれば――飛び出した内容は、彼女の予想だにしなかったもの。そんな様子を尻目に、ナギサは優雅に紅茶を嗜みながら、淡々とした様子で言葉を紡ぐ。
「正直なところを話しますと、今あの補習授業部について試験の結果など特に気にしてはいません、畢竟、百点だろうが零点だろうが関係がないのです、勿論学生として勉学を疎かにする事は頂けませんが――試験に合格しなければ退学というのは、私達にとっての最終手段」
「さ、最終……」
呟き、ヒフミは両手を握り締める。
蒼褪めた表情は、自身の進退が掛かっているからではなく――単純に、自分の仲間を疑えという指示に対しての拒否反応だった。
「ヒフミさんには、出来る限り彼女達の情報を集め、可能な限り早く『裏切り者』を見つけて欲しいのです、それが、残された生徒を救う手段となります――ヒフミさんは今、そのために補習授業部にいるのですから」
「その、どうして……私が?」
「……『どうして』、ですか」
その言葉に、一瞬動きを止めたナギサは――どこか思案する様子を見せ、答えた。
「その答えはヒフミさんが、シャーレと一際強い繋がりを持っていたから、ですね」
「私が、ですか」
「えぇ、第三勢力である『シャーレの先生』が一緒にいる限り、裏切り者は無暗に動く事が出来ません、塵が、ゴミ箱から飛び出さない為の蓋のようなもの――でしょうか」
「ご、ゴミ箱……?」
「……失礼しました、忘れて下さい、今のは独り言です、まぁ、兎も角――」
「な、ナギサ様……!」
言葉を続けようとしたナギサの声を遮り、ヒフミは声を上げる。それは彼女らしからぬ、勇気を出して踏み出した一歩だった。ティーパーティーの、それも現ホストに反抗的な態度を取る、それを考えるだけで身震いした。
けれど……友人を、信頼を――裏切る事だけは、したくない。
「わ、私はその、そういう事は……!」
「――ヒフミさん」
ナギサの強く、圧力のある言葉が、ヒフミの踏み出した一歩を掻き消す。はっとした表情で彼女を見れば、紅茶を片手に此方を射貫く強い視線。その、物理的なプレッシャーすら伴った視線に、ヒフミは絞り出そうとした声が、容易く腹の中に押し戻されたのを自覚した。
「――他に選択肢はないのです」
「っ、ぅ……!」
思わず、呻いた。
ナギサの持つ立場や、ティーパーティーのホストとしての権威、そして生来の気の弱さがヒフミの足をその場に縫い留め、反論を良しとしなかった。
ただ彼女はナギサの前で縮こまり、両手を握り締める事しか出来ない。
ナギサはどこか、そんな怯え切ったヒフミを一瞥し、深く息を吐き出す。
それが失望の溜息なのか、或いは単なる呆れから来るものなのか。ヒフミには分からなかった。
「それにやむを得なかったとはいえ、失敗してしまった場合はヒフミさんも同じ末路を辿る事となるのですよ? これは、ヒフミさんの為でもあるのです、ですから――期待していますよ、補習授業部、部長?」
「………」
その時のヒフミには、唇を噛み締め、項垂れる事しか出来なかった。
■
「………」
ヒフミの話を一通り聞き、険しい表情を浮かべる先生。どこか遣る瀬無い感情を発散する為に、彼はそっとカップのココアを胃に流し込む。しかし、胸に燻る火種は――中々消えてはくれない。
「わ、私はその、裏切り者だなんて、そんな話……」
俯き、忙しなく指先を合わせるヒフミの表情は――暗い。
本来、彼女は誰かを疑ったり、裏切ったり、そういう『政治的背景』に耐性のある生徒ではない。彼女は実直で、素直で、他人を思いやる気持ちを強く持った子だった。カップを握り締めたまま、ヒフミは絞り出したような声で呟く。
「皆、同じ学校の生徒じゃないですか、今日だって、皆でお掃除をして、一緒にご飯を食べて、一緒に笑って……これで、誰が裏切り者なのか探れだなんて、そんな、そんな事……」
脳裏に、皆の顔が思い浮かぶ。
まだ出会って一ヶ月も経過していない、けれど皆が悪人ではない事は良く理解している。個性的で、どこか普通からズレていて――それでも一緒に笑う事の出来る、友人だ。少なくともヒフミは、そう思っている。
そんな友人を、疑るなんて。
「――そんな事、私には……」
ゆっくりと沈むヒフミの頭に、先生はそっと手を乗せた。
「あぅ……せ、先生?」
「――それで良いんだ、ヒフミ」
先生の酷く優し気な声に、彼女は俯いていた顔を上げる。真正面に見える先生の瞳には、どこまでも優しい、包み込む様な暖かさで満ちていた。
「その優しさを、どうか大切に」
「え、えっ……?」
「この件は気にしなくても大丈夫、私がどうとでも解決するから、だから――ヒフミは、ヒフミが出来る事を精一杯頑張れば良い」
共に過ごす仲間を疑りながら生活する日々が、健全である筈がない。そういった側面が世界にとって必要な事は理解している、そしてその場所に己が近い事も。しかし、自身の手の届く範囲に於いては、そういった事を極力なくしていきたいと先生は思っている。
誰かを信じると云う行為を、先生は押し付ける気など毛頭ない。ただ先生は、純粋に誰かを信じたいと、そう願う生徒の想いを守りたいだけなのだ。
「勿論、ヒフミの心に従ってね」
自分の心に、素直に在れるよう。
少なくとも――先生が共に在る、今だけは。
「私に、出来る事……」
ヒフミは握り締めたカップに視線を落とす。揺蕩う水面、そこに映る濁った自分自身。ヒフミはぐっと唇を噛むと、カップのココアを一息に飲み干す。そして勢い良く息を吐き出すと、先生に向けて告げた。
「っは! ――はい、分かりました! あ、その……私に何が出来るかは、まだ分かりませんが……ちょっと考えてみようと思います!」
「うん、それでこそヒフミだ」
「ぇ、あ……えへへ、その、先生、ありがとうございます! 何だか心が軽くなりました……!」
「――なら、良かった」
呟き、先生は窓を見る。
今日は、月のハッキリと見える夜だった。
■
同時刻。
合宿所ロビーにて。
「――ハナコ?」
「あら」
月明かりの中、銃を片手に歩いていたアズサは、設置された椅子に腰掛けながらぼうっと空を見上げていたハナコを発見した。寝入った筈の彼女がこんな場所に居る事、それに疑問を抱きながらアズサはハナコの元へと駆け寄る。
「こんな所で、一体何を?」
「アズサちゃんこそ、まだ起きていたんですか? それに、その恰好――制服ですが、態々着替えて?」
「うん、ある程度睡眠はとった、だから見張りでもしておこうかと」
「見張り……? いえ、それよりも――」
ハナコは月明かりに照らされたアズサをじっと注視する。まるで心の奥底まで見透かして来そうな眼差しに、アズサはどこかたじろぐ様にして視線を逸らした。
「やっぱり――アズサちゃん、もしかして全然寝られていないんじゃないですか? しっかり睡眠をとった様なお顔には見えませんよ……?」
「……慣れない場所だと、あんまり寝られなくて」
「………」
その言葉に、ハナコは息を吐き出す。アズサの顔色は、お世辞にも良いとは云えない。或いは光の加減によるものだろうか。もっと明るい場所で見れば違うのかもしれないが、少なくとも本人の云う通り、寝不足なのは間違いない。
そんなハナコの感情を表情から読み取ったのか、アズサは笑みを貼り付けながら何でもない事の様に云った。
「心配しないでも良い、夜通し動くための訓練もちゃんと受けているから、五日間位なら寝なくても問題ない」
「いえ、そういうお話ではなく……」
これは訓練でもなければ、我慢大会でもない。動けなくなる云々の話ではなく、単純にアズサの体調を心配しての事だったが――残念ながら、本人にその気持ちは届いていない。その事にハナコは苦笑を零しながらも、それ以上の追及はしなかった。
「ハナコも散歩? どうやらヒフミも、どこかに行ったみたいだし、みんな慣れない所で不安かなって、それなら見張りでも立てれば、少しでも安心出来るかなって思ったんだ……そういう事だから、気にしないで大丈夫」
「……アズサちゃんこそ、余り無理はしないで下さいね」
「うん、ありがとう」
告げ、アズサは小さく手を振って見回りへと戻る。その背中を見送りながら、ハナコはじっと何かを考え込むように目を瞑り、それから視線を、そっと夜空へと移した。
「………」
夜はまだ、明けそうにない。
フウカに胃袋を握って欲しい、朝から晩まで美味しいご飯を毎日三食、ちゃんと食べたい。
偶々シャーレに早朝から用事があって、執務室に「お、お邪魔しまーす……先生、いらっしゃいますか?」って声を掛けたら、デスクにカップラーメンを乗せて今まさに三分待とうとしている先生を発見して、「……先生?」ってジト目になって欲しい。
慌てて先生は弁解しようとするけれど、勿論先生の言い訳など彼女に通用する筈もなく、カップラーメンなんて体に悪いものを食べるなんて云々と説教をされ、序に昨日食べたものを全て云って下さいと詰められ、確かカロリーマイトと、お菓子のグミと、あとカップラーメンと、ミーダインゼリー……みたいな事を云ってブチ切れられたい。あんなに駄目だと云ったのに! みたいな感じで噴火して、先生の手の中にあったカップラーメンを引っ手繰って、「私が先生のご飯を作りますからッ!」って怒ったまま厨房に走り去るんだ。
その後すこしして、「簡単なものですけれど」って如何にも朝食って感じのメニューを出されて、久々に食べるちゃんとしたご飯に喜ぶ先生を見て、「仕方ないなぁ、もう」みたいな顔で笑って欲しい。先生は確りした大人だと思っていたけれど、こういうズボラな一面を見て、ちょっとだけ心配になったり、庇護欲を擽られて欲しい。フウカはユウカと同じダメンズ好きなんだ、そうに違いない。
その内、特に用もないのにシャーレに足を運ぶようになって、食事時に先生がカップラーメンやカロリーマイトで済ませていないか、ジト目でそっと観察するようになって欲しい。それで先生がコソコソとそういう食事で済ませようとしている現場に居合わせた時は、「先生ッ!」って声を張って、肩を跳ねさせた先生に詰め寄るんだ。先生はきっと生徒を保護した時は手厚く看護する為にお料理するけれど、自分ひとりの時はズボラ飯というか、最低限死ななければ良いや、みたいな食事をしていると思う。その内、勝手に先生の食糧庫(棚)を物色して、そこに積まれていたカロリーマイトやカップラーメンを、片っ端から処分(給食部の棚に移したそれを、後で勝手にゲヘナの生徒が美味しく頂く)していくんだ。
結局先生の食生活が改善しそうになかった為、一日三食、フウカが先生のご飯を作ってくれるようになる。朝は確り、けれど重すぎない量で。お昼は忙しい先生がちゃんと済ませられる様、軽めのお弁当を。夜はクタクタの先生が元気になれるように、スタミナがつくご飯を。そんな風に気付けば毎日シャーレに足を運んで、その内先生の方から食材費とか光熱費を渡すようになる。最初は固辞していたフウカだけれど、せめてこれくらいはさせて欲しいと先生に押し切られて、渋々受け取る。その内、料理はシャーレの厨房を使って良いからとか、もし必要な器具とかあったら買うからねとか、夜もし遅くなりそうだったらシャーレの宿舎を使ってねとか、段々と家にいる時間よりもシャーレに入り浸る時間の方が多くなって、朝は先生と一緒にご飯を食べて登校して、昼は先生の事を考えながら給食を作って、夜は急いでシャーレに戻ってクタクタの先生を労いながら夕食を共にする。
お腹が空いた時用に、厨房の冷蔵庫には作り置きも常備していて、毎日チェックして食べ物が減ったりしているとガッツポーズをしたり、手が付けられていなかったら調子が悪いのだろうか、もしかして不味かった……? と一喜一憂したり。
そういう毎日を送っている内に、唐突に「これ、もしかして、同棲では……?」って気付いてめっちゃ意識して欲しい。意識してあたふたしている内に、「いやぁ、私はもうフウカなしでは生きて行けないかもしれないなぁ」って云われて、めっちゃあわあわして欲しい。でも私は学生で、とか。でもでも、先生とそういう関係になれるなら嫌じゃないし、とか。お目めぐるぐるさせながらめっちゃ頭コハルな事考えて欲しみある。
勿論、先生は生徒に手は出さないし、実際安全である。でもそれはそれとして、フウカとしては将来的には――みたいな事を考えて、けれど当の本人はフウカのそんな悩みに反して、能天気に味噌汁を啜りながら疑問符を浮かべていて。
そんな先生の姿にフウカはふっと苦笑を零して、でもそれが先生らしいな、とはにかんで欲しい。
私はまだ子どもだから、まだそんな先の事まで考えられないけれど、先生とこうやって一緒に過ごす時間は、とても素敵だと思います。
そんな事を考えながら、先生との同棲生活を楽しむんだ……。
そんなフウカを置いて死にてぇ~ッ!
先生の帰りをシャーレでずっと待っているフウカに詫びながら死にてぇ~ッ!
フウカは戦闘苦手だから、戦力的な面で先生の力になるのは難しい。だから食事という面で先生を支えて、少しでも元気に毎日を過ごして欲しいと先生に尽くすんだ。
それでエデン条約調印式の日に、今日は一大イベントだからと少しだけ緊張した様子の先生に、「頑張って下さい、先生……!」ってエールを送って。どことなくぎこちなく笑う先生が、いつも通りフウカの頭を撫でつけながら、「――行って来る」ってシャーレを出発するんだ。
「今日は御夕飯、うんと美味しいものを作って待っていますから!」
そう云って手を振るフウカ、それに笑いながら応える先生。調印式という事でキヴォトス全体がどこか浮ついていて、けれどゲヘナ給食部の忙しさはその日も変わらない。膨大な数の生徒数を誇るゲヘナ、その給食を作る為にフウカは一心不乱に料理に没頭するんだ。勿論、スマホを見る様な余裕なんてない。額の汗を袖で拭いながら、今日の夕飯は何にしようかなって、先生と一緒に囲う食卓を想像しながら、ふっと微笑むんだ。
そうだ、今日は肉料理にしよう、いつもヘルシーな食事が多めだったし、今日はちょっと奮発して。
グラタンとかも良いかもしれない、少し手間暇が掛かってしまうけれど、先生この前のグラタン、美味しそうに食べてくれたし。
かぼちゃスープとかもどうかな、甘いもの、先生好きだし、良いかもしれない。
そんな事を考えながら学校を終え、食材を買いに街に出て。
そこで調印式で起こった事を知って欲しい。
御店で鼻歌なんか歌いながら食材を買い込んで、あれが良いかな、こっちの方が新鮮かも、何て考えて。けれど、どことなく町全体が浮足立っている様な気がして。まぁ、でも、調印式があったもんね、と納得して。普段は全く気に留めない街の液晶やパネルから放送される内容が同じ事に気付いて。
あ、もしかして先生映ってるかも――なんて軽い気持ちで立ち止まって、画面に映された粉々になった調印式会場を目撃して欲しい。
最初は多分、「えっ」って困惑する。襲撃? ミサイル? 何それ、どうして――そんな風に考えて、慌ててスマホを取り出すと思う。モモトークで先生のトーク画面を開いて、『先生?』、『今日は何時にお帰りですか?』、『ご無事ですか?』、『出来たら、返信ください』、『お願いします』と送信して。スマホを胸に押し付けるようにして、不安な面持ちでクロノスの番組を見つめるんだ。
ただ、それ以上の情報は何も出て来なくて、そのまま食材を抱えてシャーレに帰還する。
そして、先生の安否を案じながら料理を開始するんだ。
最初に抱いていた筈の、弾んだ気持ちなんて吹き飛んでしまって、多分不安で一杯な、陰のある表情で料理をすると思う。それでも先生に美味しいものを食べさせたいという気持ちは本当で、ゆっくりながらも着実に、丁寧に工程を進めていく。そしていつもなら先生が帰って来る時刻に合わせて料理を完成させて、先生と一緒に食事を摂っていた食堂にお皿を並べるんだ。そして壁の時計に目を這わせ、それから自身のスマホを見つめる。
モモトークのメッセージは未読のまま。
最初の三十分位は、まぁこれ位なら偶にあるしとか、今日は大きなイベントだから、遅くなっているんだと自分に言い聞かせて。一時間が経過する頃は、もしかしたら生徒達と打ち上げとか行っているのかな? とか。もしくはあの爆発のせいで調印式がめちゃくちゃになったから、その収拾に追われているのかも……とか考えて。自分の思考がぐちゃぐちゃになっている事から必死に目を逸らしながら、スマホを強く握り締めながら辛抱強く待つんだ。
一時間が経過して、二時間が経過して、三時間、四時間経って――出来立ての料理も、すっかり冷めきって。
最初はただ陰を孕んだだけだった表情は、いつの間にか恐怖に歪んで、小さく肩を揺らしながら必死に涙を流すのを我慢しているフウカは、不意に鳴った、シャーレの来客を知らせる電子音にはっとして、椅子を蹴飛ばす勢いで立ち上がる。
良かった、やっぱり無事だったっ!
そんな事を考えながら、食堂を飛び出して、シャーレのエントランスロビーまで駆けて。無事だったならメッセージの一つくらいくれても良かったのにとか、遅くなるなら遅くなるで、時間を会わせて料理を作ったのにとか。でも、先生が無事なら別に、それで――なんて思って。
そこで、今にも死んでしまいそうな表情で佇む、ヒナ委員長と対面するんだ。
想像していた人物とは異なる相手に、フウカが目を見開いて。どこか困惑した様子で、「ヒナ、風紀委員長……?」と声を上げる。ヒナはそんな彼女を見つめながら、真っ赤に染まった目と、大きな隈を作りながら、酷く震える手を自身のコートに手を入れ、そこからそっと、真っ赤に染まったシャーレの腕章を取り出すんだ。
血のべっとり付着したそれは、所々煤けていて、無理矢理剝ぎ取ったかのように、留め具のピンは折れ曲がっている。差し出されたそれを見て、フウカは最初、何か分からず、けれど先生の着用していた腕章だと気付いて、思わず息を呑むんだ。
「何ですか、これ」と彼女は聞いて。けれどヒナは何も答えなくて、ただ歯を食い縛って、涙目になりながらも懸命に堪えて。
ただ、小さく、酷く小さく、「ごめんなさい」と。
そう、今にも泣きそうな声で呟くんだ。
ヒナを庇って死んだ先生は素敵だよ。ミサイルで致命傷を負って、そんな状態でヒナを庇って何発も銃弾を受けて、最後はフウカに謝りながら息絶えたんだね。うぅ、大好きな先生が違う生徒の名前を呼びながら死んでいく様を傍で見せられていたヒナ可哀そう……。でもヒナちゃんは真面目だから、その相手に態々先生の腕章を届けに行ってくれたんだよね。どれだけ罵られようとも、殴られようとも、先生に守られた自分にはその責任があると思って。或いは、誰かに責めて欲しいという感情もあったのだろうか、うぅ、何でこんな事するの……? 先生が死ななければこんな事にはならなかったのに。
でも真っ青な表情で今にも泣きそうになりながら、必死に先生の腕章を握り締めるヒナちゃんを想像すると、とても幸せな気持ちになれるなぁと思いました、まる。
生徒の
おぉ、素晴らしき哉! 今日も世界は愛で満ちていますわ~! 透き通るような世界観で送る本編で蓄積されていたモギ欲が発散されていくのが感じられます! はー、早く本編でも捥げないかな~、遠いな~、今すぐ合宿所にアリウス突撃してくれないかな~……。