ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

57 / 340
投稿する度に誤字脱字報告を行ってくれる方々に感謝を。
何でこんなに誤字脱字するんだろうね、私も不思議。


ティーチャー、これは何ですか?

 

 合宿、二日目――。

 朝の到来を知らせる朝日が閉じたカーテンの隙間から差し込み、補習授業部の皆を照らす。ヒフミがぐずる様に声を上げる中、そのカーテンを勢い良く開ける人影があった。

 

「おはよう!」

 

 白洲アズサ――彼女は笑みを浮べながら勢い良くカーテンを開く。一斉に照らされる補習授業部の生徒達、コハルとヒフミの両名は唐突に差し込む朝日に顔を顰め、背を背ける様に寝返りを打った。反し、早起きの習慣が身についているハナコは既に制服への着替えを済ませ、穏やかな様子でベッドに腰掛けている。

 

「おはようございます、アズサちゃん、朝から元気ですね♡」

「うん、一日の始まりだから――さあ、早く起きて歯磨き、シャワー、それから着替え、順番に遂行していこう」

 

 そう云って、ヒフミ、コハル両名に声を掛けるアズサ。しかし、ヒフミは布団を頭まで被ってぐずり出し、コハルは寝ぼけ眼のまま半分夢心地。

 

「あうぅ……アズサちゃん、十分……あと十分だけ……」

「ん……もう朝ぁ……?」

「ヒフミ、コハル、起きて、ほら」

「んぅ……」

 

 アズサは先にコハルのベッドに近付くと、布団越しに彼女の体を揺する。その手を鬱陶しそうに払いながら、コハルは渋々とベッドから体を起こす。彼女の髪は所々跳ね、寝間着の体操服は肩からズレていた。

 

「ん……起きてるってばぁ……」

「ヒフミちゃんの方はもう少し時間が掛かりそうですね、昨日はどうやら、遅くまで起きていたみたいですし」

「……補習授業部の部長だから、心理的プレッシャーもあるのかもしれない、もう少しだけ休ませておこう」

 

 布団に籠って未だ安眠を享受するヒフミ、その様子を見ていたハナコの言葉に、アズサはそっと頷く。コハルはアズサに手を引かれるがままベッドから抜け出し、漸く回り出した頭で周囲の状況を把握し始めた。

 

「ん、あれ……ここ、私……どうして……」

「おはよう、コハル、さぁ朝の支度をはじめよう」

「? ……ん、え?」

「シャワールームはこっち、来て」

「え、なに……なんで……?」

 

 乱れた衣服と髪のまま、コハルはアズサに手を引かれ部屋の外へと連れ出される。

 

「あらあら、二人で仲良く洗いっこですか?」

「うん、その方が多分早いし」

 

 ハナコの言葉にアズサは頷き、そのままシャワールームまで連行。コハルは目を瞬かせながら抵抗する事もなく――軈てハナコの耳に二人のやり取りが聞こえて来た。

 

「うわぁあっ!? な、なんで!? ちょ、脱がさないでっ!? ひゃ、うえぇっ!? つ、冷たっ……!? せ、せめてお湯、お湯で――!?」

「コハル、動かないで、上手く洗えない」

「ふふ、良いですねー、裸の付き合い♡」

 

 ■

 

 合宿所、教室。

 室内には既に先生が待機しており、今日行う予定の授業資料を確認していた。其処に続々と到着する生徒達。合宿所と云ってもトリニティ系列の建物なので、教室の内装は見慣れた本校舎のものと同一。割り振られた机に鞄を置きながら、先生は生徒達と挨拶を交わした。

 

「おはようございます、先生! お待たせしました!」

「うん、おはよう、皆」

「ふふっ、先生、昨日は良く眠れましたか?」

「結構体動かしていたからバッチリ、筋肉痛が凄いけれどね……」

 

 そう云って腕を動かし、少しだけ顔を顰める先生。流石に一日中動き回ったとなると、筋肉痛になるのも避けられない。最近は書類仕事ばかりだったので、この痛みも懐かしいものだった。

 

「良し、皆揃ったね? それじゃあ一旦席について」

「は、はい!」

「はーい♡」

「うん」

「うぅ……全部見られた、もう駄目……」

 

 皆が準備万端、気力十分といった様子の中、ひとりだけ顔を真っ赤にしながら俯くコハル。一体どうしたのだと先生が彼女を見れば、アズサが不思議そうな表情で問いかけた。

 

「コハルも私の裸を見たんだから、何も問題は無い筈」

「そういう問題じゃない! あんな強引に脱がす何て! 無理矢理とかそういうのは駄目なの!」

「あら、では次は私がコハルちゃんの体を洗ってあげましょうか?」

「はぁっ!? だ、駄目! あんただけは絶対に嫌っ! それに、そういう問題じゃ――」

「あ、あはは、えっと皆さん、一応これから授業が始まりますので……」

 

 朝から騒がしく云い合う仲間に、ヒフミは何とも云えない様子。先生はふと、そんな彼女の髪が所々跳ねている事に気付いた。いつもは綺麗にセットされているのに珍しいと、そっと先生はヒフミの髪を撫でつける。

 

「ヒフミ、髪の毛ちょっと跳ねているよ?」

「うぇっ!? あ、ありがとうございます……少し寝坊してしまいまして、あはは……」

「寝坊? あの後、何かあった?」

「い、いえ違います――大丈夫です!」

 

 そう云って素早く先生から身を離すヒフミ。先生は不思議そうな表情を浮かべるが、ヒフミとしては今、先生に近付いて欲しくない。

 何せ、朝シャワーを浴びる時間が無かったのだ。一応、昨日の夜シャワー自体は浴びているが、夏の夜は寝苦しく、汗もそれなりに掻いてしまっている。先生に臭い生徒――なんて思われたらもう生きて行けない。乙女としては死活問題である。

 尚、その事を知った場合、先生が嬉々としてヒフミ吸いを敢行する事を、幸か不幸か、彼女は知らない。

 

「あ、そ、それより先生! 昨日作ったアレ、皆に配ってしまいたいのですが……!」

「あぁ、そっか――なら先にそっちを済ませちゃおう」

「は、はい!」

 

 ヒフミは先生に許可を取ると、愛用のペロロバッグを開き、中からファイルを取り出す。青いそれに挟まれた紙の量はそれなりで、確りとした重さがあった。

 

「こほん――皆さん、此方を御注目下さい!」

「……?」

 

 何やら言い合いをしていた皆に向かってそう叫べば、各々の目がヒフミに向けられる。彼女は取り出したファイルを大事そうに抱えながら、とても精悍な面持ちで口を開いた。

 

「今日は補習授業部の合宿、お掃除した昨日を除けば、その大切な初日です! 私達は大変な状況で、ともすれば慌ててしまいがちな状況ではありますが……難しく考える必要はないんです、一週間後の第二次特別学力試験で合格する、ただそれだけです!」

「あら」

「な、なんでそんなに元気なの……?」

「凄いやる気だ、ヒフミ」

「……という訳で――今から、模擬試験を行います!」

 

 告げ、ヒフミはファイルから抜き出した問題用紙と解答用紙を掲げる。そこには、『補習授業部模擬試験』と書かれた表紙が見え、皆は彼女の掲げたそれに目を向けながら各々の反応を見せた。

 

「……模擬試験?」

「なるほど……?」

「きゅ、急に試験!? 何で!?」

 

 ハナコは半分納得、半分疑問と云った様子で。アズサはヒフミが用意したものなら、恐らく必要なのだろうと信頼を見せ。コハルは単純に、「試験」という響きだけで拒否反応を起こした。その様子を見渡しながら、ヒフミは二度、三度頷き、自信ありげに言葉を続ける。

 

「皆さんの疑問は尤もです、しかし闇雲に勉強しても、あまり効率が良いとは云えません、着実に目標を達成する為には、何が出来て何が出来ないのか、今、どのくらいの立ち位置なのか……まずはそれらを把握する必要があります――なので昨晩、此方を用意したんです!」

 

 そう云って机の上に広げる紙の束。その量はちょっとしたもので、少なくとも一晩で集めたと云うには多すぎる程。ハナコはその内の一枚を手に取り、驚きの表情を浮かべる。

 

「これは……」

「ここ数年トリニティで行われた試験問題と、その模範解答です! まだ中途半端と云いますか、集められたのは一部だけなのですが……先生も昨日遅くまで手伝ってくださって、第二次特別学力試験を想定した、ちょっとした模擬試験の様な形に出来ました!」

「おぉ……!」

 

 アズサは広げられた過去問を覗き込みながら、感心の声を上げる。昨日姿が見えなかったが、まさかこのような模擬試験を作成しているなんて考えもしなかった。アズサの反応に手ごたえを感じたヒフミは、自身の感情の赴くままに拳を突き上げ、模擬試験の開催を宣言した。

 

「試験時間は六十分、百点満点中六十点以上で合格――つまり、本番と一緒です! さぁ、皆で卒業する為に、頑張りましょう!」

「うん、分かった」

「ふふっ」

「うぅ……」

 

 ヒフミの熱意に当てられて、或いは単純にその厚意を無駄に出来ず。

 この日、朝一番から補習授業部は模擬試験を受ける事と相成った。

 

 ■

 

「さて――皆、準備は良いかな?」

 

 先生の言葉に、補習授業部の面々は頷いて見せる。第一次補習授業部模擬試験、模擬試験と分かっていてもその緊張感は本物だった。配られた試験問題と解答用紙を確認しながら、先生は皆の机を見て回る。

 

「机の上は筆記用具だけ、時間は今から一時間――良いね?」

 

 机の中は空っぽ、用紙以外は筆記用具のみ。それを確かめ終わった先生は教卓へと戻り、壁に掛かった時計に目を向け――その針が丁度十二を指した瞬間、声を張り上げた。

 

「それじゃあ……試験、開始!」

「っ……!」

 

 ■

 

「ふむ」

「あら、これは……♡」

「これ、どこかで見たような、見てない様な……う、ぅ……」

 

 開始の宣言と共に一斉に用紙を捲り、ペンを動かす補習授業部。

 その進捗具合はまちまちといった所で、アズサは時折頷きながらも淡々とペンを進め、ハナコは時折楽しそうに笑いながらのんびりと解答。コハルは頭を抱えながら必死に問題用紙と睨み合っており、各人の奮闘が垣間見えた。

 ヒフミも問題を一つ一つ確認しながら必死に解いており、余裕があるとは云えない。何せ難易度自体は通常の期末試験や実力テスト等と同じ為、きちんと勉強していなければ点数を取る事が難しい。

 この模擬試験自体は先生が過去問から抜粋、作成したものなのでヒフミも内容は知らない。必死に授業の内容を思い出しながら、空欄を埋めていく。

 

 ――皆さん、頑張りましょう……!

 

 心の中で悪戦苦闘する仲間達にエールを送り、ヒフミもまた、再び問題用紙と向き直った。

 

 ■

 

 模擬試験終了後――採点結果発表。

 一時間の試験を終え、各々疲労感なり緊張なりを見せる中、先生が束ねた解答用紙を教卓に揃え、声を上げる。

 

「えー……では、採点結果を発表します」

「は、はい! お願いします、先生!」

 

 先生が今しがた採点を終えた用紙を手に、各々の採点結果を口にする。その様子を補習授業部の皆は、固唾を飲んで見守った。

 

 第一次補習授業部模擬試験 結果

 

 ハナコ――四点 不合格

 アズサ――三十三点 不合格

 コハル――十五点 不合格

 ヒフミ――六十八点 合格

 

 試験結果は第一次特別学力試験と同じ、不合格者三名、合格者一名という結果。無論、一人だけ合格しても卒業は出来ない為、全体からすればゴールはまだまだ先――自然、皆の表情は暗いものとなる。

 

「……そうか」

「えっ……」

「あらまぁ」

 

 アズサはどこか悔しそうに、コハルは手応えに反し余りにも点数が低かった為の驚愕、ハナコは相変わらず笑みを浮べていた。

 ヒフミはその結果を前に――動じない。

 この程度は想定の範囲内だったとばかりに拳を握り締め、強い覚悟を秘めた口調で以て告げた。

 

「これが現実……今の私達の現実です! このままだと、私達の先に明るい未来はありません……! この状態からあと一週間、皆で六十点を超える為には、残りの時間を効率的に使っていかなければならないのです!」

「うん……確かに、納得出来る話だ」

 

 自身の採点された答案用紙を前に、険しい表情を浮かべるアズサはヒフミの言葉に強く頷いて見せる。この点数と合格ラインを考えるに、余裕があるなどと口が裂けても云えない。この一週間、死に物狂いで勉強してどうにか――というレベル。

 ヒフミは一度、強く手を叩くと、皆の視線を集め高らかに熱弁して見せた。

 

「そこで! まず、コハルちゃんとアズサちゃんがどちらも一年生用試験ですので、私とハナコちゃんが、おふたりの勉強内容をお手伝いします! ハナコちゃん、最近何があったのかは知らないですが、一年生の時の試験では高得点だったんですよね?」

「あら? えっと、まぁ……そうですね?」

「実はその、一年生の時のハナコちゃんの答案を見つけてしまいまして……! それでハナコちゃんの方については後ほど、今の状態になってしまった原因をしっかり把握した上で、私と先生と一緒に解決策を探していきましょう!」

「……それは、また」

 

 ヒフミのパッション、というか熱い感情を捲し立てられ、ハナコは珍しく面食らった様子で目を瞬かせる。

 一年生用の試験を受ける二人には、一先ずハナコと自分を付ける。ハナコも以前の様子から一年生用の試験であれば問題なく教えられる様なので、何か学力とは別の、心理的な要因や、何かしらの考えがあるのかもしれない。ハナコの場合はそれを取り除けば問題なし、ヒフミ自身は既に六十のボーダーラインをクリアしているので、そのまま卒業まで漕ぎ付ける。つまり今必要なのは、一年生組二人の底上げ……!

 それが現状、ヒフミの考える最善策だった。

 

「まだ途中ですが、他にも試験を作成中ですので、今日から定期的に模試を行って、進捗具合も確認して……! 状況に応じて適切に学習を積み重ねれば、必ず二次試験に合格出来る筈です!」

 

 テストなら、答えがある。百点満点を取れと云う無理難題ではないのだ、今からでも積み重ねて行けば、必ず合格点には届く。ましてや第一次特別学力試験の内容を考えるに、試験内容自体は然程難しくない。ならば、通常の試験内容に慣れてしまえば実際の第二次特別学力試験ではやや上目の点数を狙えるかもしれない。

 傾向と対策――ヒフミは、本気で補習授業部の皆と卒業する為に行動していた。

 

「頑張りましょう! きっと、頑張ればどうにか、皆で卒業出来る筈です……ッ!」

「ヒフミ……」

 

 告げ、力強く皆を見る彼女。

 その背中を見つめる先生は、思わず笑みを零した。

 

 ――私もただ、心配しているだけという訳にはいきません、私は、私に出来る事を……精一杯!

 

 ヒフミは、昨日先生に云われた事を、自分なりに解釈し実行している。

 自分に誰かを疑る様な事は出来ない、政治的背景とか、キヴォトスのパワーバランスとか、派閥間の云々だとか――恐らくティーパーティーが関わる程の事だ、自身の預かり知らぬ大きな何かが動いているのかもしれない。

 けれど、それをどうにかするだとか、その為に友人を裏切るだとか、そういうのは違うと思ったのだ。

 先生は、自分の心に従えと云った。

 

 だから私は、皆でこの困難を乗り越えるんだ。

 真正面から、堂々と――胸を張って!

 

「――うん、了解、指示に従う」

「わ、分かった……」

「ヒフミちゃん、凄いですね……昨晩だけでこんなに準備を」

 

 ヒフミの熱意が伝わったのか、皆は頷きを返し、ヒフミの意向に賛成を示す。

 

「あ、いえ、私だけの力ではありません、先生も手伝って下さったので……」

「成程、先生も――」

「大した事は何も、これはヒフミが頑張った証拠だよ」

「……ふふっ」

 

 互いに功績を譲り合う姿に、ハナコは思わず破顔する。こういう善性の発露とでも云うべき在り方が、ハナコにとっては眩しく、とても好ましく思えて仕方なかった。そう云った環境を見つけたくても見つけられなかった、そんな彼女であったからこそ、尚更。

 

「あっ、それと、流石に勉強漬けばかりだとモチベーションも上がらないと思いまして――何と、御褒美も用意しちゃいました!」

「ご、御褒美……?」

「はい! えっと――」

 

 そう云って、一度教室を後にするヒフミ。一体何だと皆が顔を見合わせていれば、大きな包みを背負ったヒフミが満面の笑みで教室へと戻って来る。傍から見るとサンタクロースの様な恰好で、包みの大きさはかなりのモノ。

 一体そんなに何を持ち込んだのだと皆が目を瞬かせれば、教卓の上に袋を置いたヒフミは、一息にそれを解いて見せた。

 

「こちらです!」

 

 そうして中から次々と顔を見せる、大量の縫い包み。髑髏仮面の黒い巨大縫い包み、クッキーのような顔をした犬、目が異様に大きい猫、水色のファンキーな梟、アイスクリームで窒息死している妙な鳥、眼鏡を掛けて白目を剥いている鳥……。

 その余りにも個性的なメンツに、皆は何とも言えない絶妙な表情を浮かべる。

 反し、それらを持ち込んだヒフミは非常に楽しそうな笑みを浮べていた。

 

「どうですか? 凄いでしょう! 良い成績を出せた方には、何と! この『モモフレンズ』のグッズをプレゼントしちゃいます!」

「モモフレンズ……?」

「……何それ?」

「……っ!」

「――あ、あれ……? 最近流行りの、あの『モモフレンズ』ですが……もしかして、御存知ないですか?」

 

 ヒフミは、てっきり歓声が上がるとばかり予想していた為、想像以上に淡泊な反応に思わずたじろぐ。ハナコは縫い包みをしげしげと見つめつつ、首を捻った。

 

「初めて見ましたね……いえ、どこかでちらっと見たような気も……」

「なにこれ、変なの……豚? それともカバ……?」

「ち、違います! ペロロ様は鳥です! 見て下さい、この立派な羽! そして凛々しいくちばし!」

 

 コハルのどこか吐き捨てる様な言葉に、ヒフミはペロロ様人形を両手で持ち、コハルに突きつける。その、何とも云えない――誤解を恐れずに云えば、『イッてしまっている』顔の人形を前に、コハルはそっと体を逸らした。

 

「え、えぇ……目が怖い、それに名前も何か、卑猥だし……」

「そ、そんな……!? た、確かにそう仰る方も一部にはいますけれど……よ、よく見て下さい、じっくり見ていると何だか可愛く――」

「み、見えないし……」

「――あぁ、思い出しました、そう云えばヒフミちゃんの鞄やスマホケース、そのキャラクターでしたね」

「あっ、はい、そうです!」

 

 そう云って机の鞄に視線を向けるハナコ。キャラクター自身は初めて見たが、確かにそのモチーフと云うか、酷似した造形を目にした覚えがあった。それは、ヒフミの身に着けている鞄や筆記用具、スマホケースなどだ。一度見たら中々に忘れられないインパクトのあるキャラクター、見覚えがあったのも当然だ。

 

「確か、舌を出して涎を垂らしながら、もう許して……っ! と泣き叫ぶキャラクターだったとか……?」

「えっ、いえ!? 後半部分は色々と違いますよ!?」

「わ、私は要らない……っ!」

「あ、あうぅ……」

 

 ハナコはペロロを好色で卑猥な生物に置き換え、コハルはその発言を聞き、頑なに拒む姿勢。折角用意したキャラクターグッズ、ヒフミにとっては正に宝の山――しかし悲しいかな、そうでない者にとってはゲテモノキャラのグッズの山に過ぎなかった。

 ヒフミは、唯一の希望だとばかりの残りの一名、アズサに向かって縫い包みを差し出す。

 

「あ、アズサちゃんはどうでしょう……? か、可愛いと思いませんか、モモフレンズ!」

「……か」

「……か?」

 

 ヒフミが問いかけると同時、アズサは両手を握り締め、俯きながら体を震わせ叫んだ。

 

「可愛い……!」

「ッ!」

「!?」

「あら……?」

 

 声は、教室全体に響く。

 そしてアズサは机の上に並んだ縫い包みに駆け寄ると、あわあわと手を出したり、引っ込めたりしながら告げた。その瞳は、物理的に輝いて見える。

 

「か、可愛すぎる! 何だこれは、この丸くてふわふわした生き物は……!? この目、表情が読めない……何を考えているのか全く分からない……!」

「あ、アズサちゃん……?」

 

 ハナコが、普段からは想像も付かないアズサのテンションに思わず目を瞬かせる。そうこうしている内にヒフミは自身の大好きなモモフレンズが受け入れられたと知り、先程まで拒まれ、焦燥していた瞳の輝きが、一斉にその光を取り戻した。

 

「でっ――ですよねぇ!? 流石はアズサちゃん! ペロロ様の可愛さに気付いてくれるなんて! そうです! そういうところが可愛いんです!」

「う、うそぉ……」

「こ、こっちは? この長いイモリ……いや、キリン? 何だか首に巻いたら暖かそうな……!」

「それはウェーブキャットさんです! いつもウェーブして踊っている猫なのですが、仰る通り最近、ネックピローのグッズが――」

「こっ、これは!? この小さいのは!?」

「それはMr.ニコライさんです! いつも哲学的な事を云って不思議な目で見られてしまう方ですね! 今回の御褒美の一つとして、そのニコライさんが書いた『善悪の彼方』という本もあるんですよ、それも初版!」

「す、すごい、すごい……! これを貰えるのか? ま、まさか、選んでも良いのか!?」

「はい! アズサちゃんが欲しいものを持って行って下さい!」

 

 そう云ってアレもコレもと勧めだすヒフミ。

 それを前にアズサは正にフィーバー状態。何を出しても歓声を上げ、目を輝かせていた。

 

「あらあら」

「な、何なの……」

 

 ハナコとコハルはそんな二人のやり取りを、片や微笑ましそうに、片や戦慄と共に眺める。一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか。コハルも改めて積まれたペロロ人形を眺めるが、とても可愛いとは思えない造形をしている。

 

「……やむを得ない、全力を出すとしよう」

 

 そんなやり取りを経て、アズサは真剣な様子で手を握り締める。

 視線の先には山の様に積まれたペロロ人形、それらを前にアズサは凄まじい覚悟を秘め、宣言した。

 

「良いモチベーション管理だ、ヒフミ、約束する、必ずや任務を果たし、あの不思議でふわふわした動物を手に入れてみせるッ!」

「はいっ! ファイトです、アズサちゃん! えへ、えへへへへっ……!」

「あら、何だかヒフミちゃんが楽しそうに、と云いますか、あのお人形と同じような表情に……♡」

「モモフレ仲間が増えて喜んでいるのかな?」

「えぇ……」

 

 先生の言葉にコハルは思わず辟易とした声を漏らした。

 あんなゲテモノ人形好きが二人も――彼女にとっては、遠い世界の話だ。

 先生はそんな二人を眺めながら、頃合いだとばかりに口を開く。

 

「あと、一応なんだけれど――先生も、ご褒美を用意してきました」

「あら、先生もですか?」

「うん、モモフレンズは、まぁ、何と云うか、好みが分かれるグッズだからね、万が一という奴で」

 

 そう云って、教卓の裏に予め隠しておいた紙袋を取り出す。

 因みにヒフミには、補習授業部を卒業したら特大ペロロ様人形が届くように手配してある。少々痛い出費だったが、何てことはない、生徒の笑顔に比べれば安いものだった。

 

「という訳で、はい」

「これは――」

 

 紙袋の中身を取り出し、机の上に次々と並べる。ヒフミの人形程嵩張るものではないので、細々としたものが殆どだが、品揃えはちょっとしたもの。

 

「縫い包み、本、化粧品、お菓子の缶、玩具……それに、香水?」

 

 コハルが並べられたラインナップに、少なくともあの変な鳥ではない事に安堵し、視線を配る。実用的な物品から、趣味嗜好の分かれるものまで。少なくとも一般的なと呼べるプレゼントの内容に、その目は自然と吸い寄せられた。

 ふと、その中でやけに高そうな瓶が目につき、そのラベルを目でなぞる。

 

「って、これ、ザ・ビヨンド……っ!?」

「まぁ」

 

 ラベルに綴られた商品名に、彼女は思わず声を上げる。

 コハルが驚くのも無理はない。この香水、高級化粧品メーカー、『サミュエラ』が発売している最高級香水である。「一度試して、愛らしさをその身に」というキャッチフレーズで有名な超ヒット商品であり、稀代の天才調香師、『ザ・ビヨンド』が制作したサミュエラ十二傑作のひとつ。

 その値段は生徒のお小遣いで買おうとすると、普通に半年単位で吹っ飛ぶ代物であり、先生もこの合宿が終わった後に、「せんせい~? この領収書、どういう事ですか~!?」と、土下座すれば確定申告を手伝ってくれる生徒第一位の彼女に絞られる覚悟で購入したものだった。

 正直、値段を見た時はクラフトチェンバーで製造するか少し迷った。しかし先生としての線引きとして、これらのプレゼントは全てきちんとした手段で入手し揃えたのだ。暫く昼は貧相になるが、問題ない。

 コハルはザ・ビヨンドを驚愕の目で眺めながら、恐る恐る先生に問い掛ける。

 

「せ、先生、これ、すっごく高い奴じゃ……!?」

「まぁそこそこ値は張ったね、先生もびっくりした」

「いや、吃驚したとかそういう反応なの!? な、何でこんな高価なものまで……!」

「ん~、正直皆が何を欲しがるか分からなかったから、取り敢えず一通り揃えてみた……って感じかな」

 

 この云い分は、半分本当で半分は誤魔化しだ。

 先生は勿論、コハルやハナコがどういった類のプレゼントを喜ばしく思うかを知っている。しかし、人の好みというのは揺れ動くものだ。その日欲しいものが、次の日も欲しいかどうかは分からない。故に、先生は広く、浅く、最低限の要点を押さえた上でプレゼントを用意した。

 ハナコは先生の用意した品々に関心しながらも、そっと幾つかの書籍に視線を落とす。ハナコは本に目が無い、それこそ漫画だろうが小説だろうが、古典だろうがお構いなし。しかし、そんな彼女が目を惹かれたのは、如何にも価値のありそうな本の類ではなく――隅にぽん、と置かれた小さな人形だった。

 

「あら、この人形……モチーフ、もしかして私達ですか?」

「うん、そう、結構似ているでしょう? 頑張ったんだ」

「えっ、手作りなの、これ!?」

「………――」

 

 ハナコは人形を手に取り、思わず息を呑む。大きさはそれ程でもない、アズサ、ハナコ、ヒフミ、コハル、全員を制作した為だろう。手の中に納まってしまう程度の、キーホルダーとして吊り下げられる様なサイズ。しかし、作りは丁寧で、本人を知っている身からすれば直ぐに分かる程、特徴を捉えている。

 そんな皆が横一列に並び、手を結び、笑っていた。まるで作り手の愛情や想いが、ぎゅっと濃縮された様な作品だと思った。愛が無ければ作れないだろう、このようなものは。

 それをじっと見つめるハナコの口元は、自然、穏やかに笑みを描く。

 

「――これ、良いですね、凄く……えぇ、とても欲しいです」

 

 ハナコはそう云って、人形をそっと両手で包む。コハルは彼女の手の中にある人形を眺めつつ、ふと先生に視線を向けながら問いかけた。

 

「――こ、この人形、先生のは無いの?」

「うん? 私?」

「だ、だって、補習授業部全員の人形なら、その先生の人形もないと……」

 

 そう云ってどこか恥ずかしそうに視線を逸らすコハル。ハナコはそんな彼女に視線を向けると、ふっと、とても嬉しそうに破顔し、口を開いた。

 

「ふふっ、コハルちゃん、何だかんだ云って優しいですよね♡」

「な、なにっ、何でそんな目でこっち見るの!?」

「――分かった、ならその内、私の人形も作るよ、そしたらコハルは私の人形を御所望という事で良いのかな?」

 

 先生がそう口にすると、コハルは腕を組んでそっぽを向きながら叫んだ。

 

「なっ、べ、別にそういう訳じゃないけれど……! で、でも、余っちゃったら可哀そうだし、貰ってあげても、良い……かな」

「あぁ――でもどうせなら、補習授業部皆で一セットが良いですね♡」

「……分かった、分かったよ、文字通り全員分、セットの奴を渡そう」

「ふふっ、ごねちゃいました」

「良いさ、これ位」

 

 皆が揃った小さな人形セット。先生を入れて五体、もしヒフミやアズサも欲しがった場合を考えると、結構な数を作る必要がある。暫くはまた、睡眠不足の時間が増えるだろうが――何て事は無かった。

 生徒の笑顔に勝る薬など、この世の何処にも有りはしないのだから。

 

 ■

 

 二日目は本格的な合宿開始という事で、午前の部、午後の部と分けて補習授業を実施。そして通常の学校と同じ時間授業を実施した後は、就寝までは自習時間となっている。尤も、自習時間とは云ってもある程度の休憩、息抜きが許されている為、表記上そうなっているだけの実質的な自由時間と言い換えても良い。

 しかし、第二次特別学力試験に向けてリベンジに燃えている補習授業部の皆は、放課後の時間になっても黙々と勉学に励んでいた。

 

「コハル、質問」

「うん……――え? 私? 私にっ!?」

 

 不意に、アズサが隣で参考書を捲っていたコハルに声を掛けた。まさか自分に聞いて来るなど思ってもみなかったコハルは、上擦った声で叫びながら目を丸くする。

 

「そう、コハルに、今同じところを勉強している筈だから、それで、この問題なんだけれど……」

「う、うん……」

 

 アズサが差し出して来た問題集をおずおずと覗き込むコハル。一度解いた問題にはチェックマークが付いているので、そのマークが付いていない最新の問題に目を落とす。果たして自分に解ける問題なのか、頼られた高揚だったり、不安だったりを表情に滲ませながら問題文を目でなぞる。

 

「……あ、これ知ってる! これは確か、えぇっと、こうやって、下の所と九十度になるように、線を引いて――」

 

 解けない問題だったらどうしよう等と考えていたが、幸い彼女が思い悩んでいた問題は自身がつい数時間前に解いた問題に酷似しており、コハルは嬉々として自身のノートを差し出すと、図解を交えながらペンを動かした。

 

「そうすると、この三角形と、この三角形が一緒になるから……分かった?」

「……成程、そういう事か、理解した」

 

 アズサはじっとコハルの手元を見つめながら、二度、三度頷いて見せる。そして徐にコハルに視線を向けると、感心した様な様子で言葉を紡いだ。

 

「助かった、これは確かに正義実現委員会のエリートというのも頷ける」

「ッ!? そ、そうよ! エリートだもの!」

 

 ノートに張り付くようにしてペンを動かしていたコハルは、ピンと背筋を正しながら胸を張って見せる。その頬は上気し、久しくなかった自尊心を満たせる行為に、彼女は大変ご満悦だった。

 

「……も、もし何か分からないところがあったら、私に聞いても良いから、アズサは、その、特別にね!」

「ありがとう、助かる」

「あらあら……流石は裸の付き合いをしただけはあると云いますか、もう深い所まで入った仲なのですね……♡」

「ちょ、何云ってんの!? そういうアレじゃないから!?」

「うん? ハナコも体を洗って欲しいのか?」

「ふふっ、そうですね、今度は皆で洗いっこしましょうか♡」

「し、しないからっ! 絶対!」

「………」

「先生はこっち見んなっ!」

 

 皆の方をただ凝視していただけなのに、先生は要らぬ顰蹙を買った。

 酷い、ただ私は洗いっこという言葉に反応しただけなのに……世知辛い世の中だ。

 先生は世を儚んだ。

 

「あ、コハル、もう一つ聞きたい」

「ん? あ、うん、えっと――この問題は……う、うーん」

 

 アズサが先程の問題集を再び差し出し、次の問題を指差す。コハルはその問題に目を向け、思わず言葉に詰まった。ぱっと見だと少々難しい、けれど確か似たような問題が記憶の片隅に引っ掛かっている。

 

「むっ、コハルも知らない問題か?」

「うーんと、これ、確か参考書で見たような……ちょ、ちょっと待って!」

 

 告げ、コハルは自身の机脇に引っ掛けていた鞄を掴む。金具を外し、中に手を入れたコハルは手探りで目当ての参考書を引っ張り出した。

 

「確か持って来ていた筈だから……んしょ、確かこれの――」

 

 告げ、机の上に置いた参考書――否、十八禁本(アダルト本)

 

「?」

「!」

「!?」

 

 それを見た皆の反応はそれぞれであった。アズサは小首を傾げ、「うん? 見た事のない表紙の参考書だ」とばかりに疑問符を浮べ。

 ヒフミはそれが一体何なのか、凡その内容を察して赤面し。

 ハナコはまさかこんな所でそんなものを目に出来るなんてと、興奮に別の意味で顔を赤らめた。

 アズサは机の上に置かれた参考書(エロ本)を指差し、問いかける。

 

「コハル、この参考書に載っているのか?」

「え、うん、この参考書――………に」

 

 告げ、コハルはそっと視線を落とす。自身の掌が置かれた参考書――否、アダルト本に。

 そして自身が何を取り出したのかを理解すると同時、一瞬、思考が真っ白に染まった。

 

「――えっ?」

「エッチな本ですねぇ」

「うーん、これは艶本」

 

 ハナコと先生がコハルの手元を覗き込み、感慨深そうに呟く。

 コハルは一拍置いて、自分が何を取り出したのかを再度確認し、思わず叫んだ。

 

「うわああぁああっ!? な、なんでっ!?」

「コハルちゃん、それエッチな本ですよね? まぁ、ある意味参考書かもしれませんが、あ、今更隠しても無駄です、『R18』ってバッチリ書いてありましたよ?」

「ち、違う! 見間違い! 兎に角違うから! 絶対に違う!」

「………?」

 

 コハルは必死に本を背中に隠し、ハナコに対して弁明を試みる。アズサは相変わらず理解出来ていないのか、一体何をそんなに必死になっているのかと、それより早く参考書を開いて問題を解いてくれと云いたげ。

 

「禁断の愛、許されないからこそ熱く……流石に、これは――うーん」

「ちょ、だ、駄目ッ、読まないでッ!?」

 

 背中に回していた本の表紙を、先生はじっと凝視して唸る。校則違反という面でもそうだが、流石に公然と持ち込まれると困る代物だった。

 先生が表紙を見ている事に気付いたコハルは慌てて本を抱きしめ、その場に蹲る様にして叫んだ。

 

「こ、これは違う! 違うのっ!」

「何が違うというのですか? 私の目は誤魔化せませんよ、確実にアレな事をする本でした、それも結構ハードな――トリニティでも、いえ、キヴォトスでも中々見ることが出来ないレベルの内容とお見受けしました、きっと肌と肌がこすれ合い、敏感な部分を擦り合わせ、嬌声が飛び交い理性が飛び去る様な……!」

「あ、ぅ……!」

「どうしてそのような本を持っているのですか? 確か校則でも禁止されていたと思いますが――」

「い、いや、そのっ、こ、これは本当に私のじゃなくて、えっと……えっと……!」

「でもそれ、コハルちゃんの鞄から出てきましたよね? それに合宿所にまで持って来るなんて……お気に入りなのですか? あの真面目なコハルちゃんが、あんなエッチな本を……」

 

 腕を組み、嬉しそうに頷くハナコ。一体誰目線なのかは分からないが、どうやらコハルが艶本を持ち込んだ事を大変喜んでいる様子だった。コハルは顔を真っ赤にしながらしどろもどろに口を開閉させ、視線を忙しなく動かしている。

 

「……いえ、成程、そうですね、考えてみたらそんなに変な事でもありませんね?」

「え、は……!?」

「予行演習もバッチリ、つまり……合宿の為に必要なものなんですね、コハルちゃん♡」

「な、こ、これは違うんだってばあああぁっ!」

「――ハナコ、ストップ」

 

 ハナコが満面の笑みでコハルに詰めよれば、遂に本を抱いて蹲っていたコハルに泣きが入る。先生が慌ててハナコにストップを掛け、コハルの元へと駆け寄ると、その背中を摩りながらそっと自身の体でコハルを隠した。

 

「? つまり、どういう事だ……?」

「そ、その、ハナコちゃん、流石にその辺りで……」

「あら……本当にごめんなさい、やり過ぎてしまった様ですね、その、お話が合うかと思ったのですが……」

「うぅ、うぅぅっ………」

「おぉ、よしよし……ごめんねコハル、少し悪ふざけが過ぎてしまった、大丈夫、それがコハルのじゃないって事は、皆知っているよ」

 

 ぽろぽろと涙を流しながら唸るコハルに、先生はポケットから取り出したハンカチで頬を優しく拭う。自身と同じ趣味を持った友人が出来るかもしれないと勇んだハナコは、申し訳なさそうにコハルに頭を下げていた。

 暫くして、落ち着いたコハルは本を抱きしめながら鼻を啜る。

 

「すん、すん……」

「コハルは押収品の管理も担当していたからね……恐らく押収した時のまま持ち出してしまったんだろう、管理する数も数だから、ありがちなミスだよ」

「う……うん、私、管理目録の整理とか、していたから……これは、本当にその時のやつで……」

「そう云えばトリニティの古書館の地下には何やら禁書が沢山積まれているという噂を聞いた事があります――正義実現委員会がそういったものを含めて色々と差し押さえているとしたら、何も不思議はありませんね」

「えっ、でもそうなると、これ、持ち出したら拙いんじゃ……?」

「えぇ、そうですね」

 

 ヒフミのどこか焦燥を含んだ声に、ハナコは頷いて見せる。押収品を無断で持ち出すなど、勿論良い筈がない。故意でなかったとしても早急に戻すべきだろう。

 

「……であれば、出来るだけ早く返してしまった方が良い気がするのですが、どうしましょう? 押収品とは云え、所持しているだけでも万が一、という事はありますし」

「そうだね、これが本当にコハルのモノじゃないとしても、疑われる要素は無いに越した事はない」

「た、確かに、ずっと忘れて、鞄に入れっぱなしになっていたけれど……」

「今の内にこっそり行って、バレない様に正義実現委員会の所へ戻して来るというのはどうですか?」

 

 ハナコが何でもない事の様にそう云えば、コハルは目を瞬かせながら思わず問いかけた。

 

「えっ、今から?」

「はい、こういうのは早い方が良いですもの」

「そ、それはそうだけれど……」

 

 ハナコの言葉に、コハルは俯きながら本を抱きしめる。確かに、早く戻せるならば戻した方が良い、それは分かる。しかし、コハルは正義実現委員会への出入りを少なくとも合宿期間中は禁止されていた。

 誤って持ち込んでしまった禁書を戻す為とは云え、コハルにとっては絶対的なハスミからの指示を破るという行為に、強い不安を抱いてしまう。そんな彼女の表情から凡その心情を汲み取った先生は、コハルの傍に屈みこんだまま静かに同行の提案を口にした。

 

「それならコハル、私と一緒に行く?」

「せ、先生っ……良いの?」

「勿論」

 

 告げ、笑みを浮べる先生。一人では心細いかもしれないが、大人が一緒ならばその不安も幾らか和らぐだろう。

 

「私が一緒なら、万が一正義実現委員会のメンバーに見つかっても言い訳が利くし、何なら一緒に謝るからさ、多分ハスミなら全力で土下座すれば大抵の事は許してくれるし」

「ど、土下座って……先生、そんな常日頃から土下座しているみたいな云い方……」

「――ふふっ」

「……先生、何でそんな菩薩の様な表情をしているんですか……? 先生? じょ、冗談ですよね?」

 

 ヒフミの不安そうな声に、先生はとても透明感に満ちた笑顔で以て応えた。

 みたいな、も何も――常日頃から先生は土下座をしているのです。

 相手はセミナー、C&C、アビドス、ゲヘナ風紀委員会、給食部、美食研究会、等など。それはもう数えればキリがない位にはしている。大人の尊厳? そんなものは空の彼方に飛んで消えて久しい。

 ユウカに無駄遣いが露呈して、「せんせい~!?」と怒られては土下座し。イオリの足を舐める為に出会う度に土下座し。アスナとアカネを侍らせながら、「あーん」をしていた所をネルに目撃され土下座し。ノノミの膝枕を堪能している所にシロコが乱入し、あれやこれやしている内にセリカが部室へと帰還して拳で語られる前に土下座し。美食研究会については彼女達のやらかしの後処理の為に土下座する。

 

 それはもう、先生にとっては土下座など呼吸の様に行える特技の一つであった。その場で飛び上がり、空中で靴を脱ぎ、土下座の形を整え、そのまま音もなく着地と共に土下座を敢行する――シャーレの業務の中で磨きに磨かれた、スタイリッシュ土下座である。この土下座の前にはユウカも、「仕方ないですね、今回だけですよ!?」と領収書を切り、セリカの(物理)踏みつけ(ご褒美)へと変化し、イオリは赤面しながらも足を差し出す――これが本当の土下座外交ってね。

 一念岩をも通す(一念通巌)……か。先生はイオリの足を舐める勇気が無かった頃の自分を思い出し、どこかやり遂げたような気持で一杯になった。

 

 そんな黄昏ている先生を横目に、ハナコはそっとコハルの傍に近寄り、耳打ちをする。

 

「ところでコハルちゃん?」

「えっ、な、なに……?」

「――それはそれとして、もし他にオススメがあれば是非♡」

「し、知らないっ、バカッ!」

 


 

 正直エデン条約の序盤って、動かす所殆どなくて辛い。先生は傷ついてくれないし、戦闘とかないし、いや、この絆を育んだ時間があるからこそ、後半が輝くのだとは理解しているのだけれど、何とも云えぬもどかしさがありますわ。

 でも私が見たいエデン条約の為には必要なんですの、この、圧倒的透明感を誇る青春が……! 私が見てぇ血塗れ先生の為に、私が青春を書くんですわ……!

 仲良し補習授業部で、先生を……笑顔に……!

 その果てに、「楽しかったですよ、お友達ごっこ」をして脳を破壊するのです!!

 序に目の前で先生の事射殺したろ。

 待っていてナギちゃん!! 今っ、行くからッ!!!

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。