そして投稿時間が一時間過ぎてしまったので、ペロロ様が腹を切ってお詫び致します。
「………」
「その顔――やっぱり知っていたんだね」
白洲アズサ――先生がその名前を聞いた時、彼の表情は微動だにしなかった。
驚く事も、悲しむ事も、怒る事も、動揺する事もなく。ただ淡々と、あるがままを受け入れる。その姿勢をミカは、事前に情報を知っていたが故のものと解釈した。
「トリニティにも珍しい転校生、それだけでも結構怪しいとは思うけれど、彼女の出身校は随分前にトリニティから追放された分派――『アリウス分校』なんだよ」
アリウス――その名前を知る者は、あまり多くはない。
先生の表情を伺いながらも、ミカは言葉を続ける。
「あ、でもそう考えると、生徒って呼んで良いのか分からないかな?」
「……何故だい?」
「だって、『何かを学ぶ』という事が無い生徒の事を、生徒って呼べるのかなって」
「――それは、私達が決める事じゃないよ」
ミカの言葉に、先生は珍しく、強い口調で断じた。
「学ぶ意思があれば、学ぶ機会に恵まれずとも私にとっては生徒だ、その意思がなくとも、学びが必要になれば私は躊躇わず手を伸ばす、私にとって、遍く学園の子ども達は、皆生徒なんだ」
「……ふふっ」
先生の口ずさむ言葉に、ミカはどこか楽しそうに、嬉しそうに笑う。
口元を指先で隠しながら彼女は先生を見上げ、その薄い黄金色を輝かせた。
「先生って、何て云うか……心の底から、『先生』って感じだよね、凄く良い眼をしているよ、本当に――期待しちゃうな」
「期待……?」
「うん、そう、期待――私は、先生に期待しているんだよ」
裾を翻し、ミカはそう宣う。
その期待の意味するところを、先生は掴みかねる。それは先生という立場を見た発言か、それとも――。
「あれこれ誤魔化しても仕方なさそうだし……うん、端的に云おっか」
ミカは少しばかり思案顔を見せた後、一つ頷き、決める。
先生を見る目には僅かなばかりの懇願と、期待が込められている様に思えた。
「えっとね、白洲アズサ――あの子を先生に、守って欲しいの」
「守るとは、また物騒だね」
「あー、そっか、ごめんね、ちょっと単刀直入過ぎたかな? ナギちゃんの悪い癖が移っちゃったのかも――まぁ、ちょっと長い話になるし、立ちっぱなしっていうのも何だよね」
えへへっ、と笑って頬を掻くミカ。彼女はそのままプールサイドに腰掛け、水の中に素足を浸す。衣服が水気を含むのも気にせず、彼女は笑顔で「先生も、どう?」と自身の隣を叩いた。先生は自身を照らす太陽を見上げ、それから上着を脱ぎ、そっと彼女の隣に腰掛ける。彼女を真似て素足をプールに浸け入れると、何とも云えない涼しさが体を巡った。成程、これは悪くない。
「百鬼夜行の方にはさ、足湯……だっけ? 何か、お湯に足だけ浸かるって文化があるって聞いたんだよね」
「あぁ、あるね、小さな温泉みたいなところで、足だけ湯に浸かるんだ」
「そう、それ! 私も時間があったら行ってみたかったんだけれど、夏ならこういうのも悪くないね~!」
そう快活に笑い、足先で水を跳ねさせるミカ。その無邪気さはどこか、ティーパーティーとしては異質に映る。こんな風に笑って、燥ぐ少女がキヴォトスに於ける二大マンモス校の一校、そのトップの一人だというのだから。
しかし、ある意味それが彼女らしさであり、ティーパーティー間で表面上対立が起きていない要因なのかとも思う。良くも悪くも、同じ性質の者ばかり集まれば――対立は起きるものだ。
水を跳ねさせながら笑う彼女の横顔は、とても美しく見えた。
「さっきの話さ、先生の事だから、私になんか云われなくても彼女を守ってくれそうだけれど、一応こっちの事情もさ、話したりしないとフェアじゃないじゃん?」
「余り私は気にしないけれど、ミカがそう云うのなら」
「うん、まぁ私はナギちゃんみたいに頭が良くないから、上手く説明出来るか分からないけれど……うん、ちゃんと伝わる様に頑張ってみる」
そう云って拳を握り締めるミカ。その意気込みは、どこか微笑ましい。
「そうだなぁ……まず、このトリニティについて、先生はどんな認識を持ってる?」
「……複数の分派が集まって出来た、キヴォトスでも最大規模の学園って所」
「うん、大体そんな感じ、それでね、その集まった分派の中で『パテル』、『フィリウス』、『サンクトゥス』――この三つの分派がトリニティの中心になったって話はしたと思うんだけれど……」
そう云って、宙に丸を三つ描くミカ。恐らく、主要分派の三つを描いたつもりなのだろう。更にそこから指を伸ばし、下に向かって複数の丸を描く。
「でも、これは正確じゃないんだ、今の救護騎士団の前身にあたる派閥とか、シスターフッドとかも含めた、大小様々な派閥が幾つも学内にはあるの」
「……そんなに派閥があると、派閥争いなんかが怖いね」
「そう! 正にソレ! 昔のトリニティは、ゲヘナとトリニティみたいにお互いを敵視して、対立したりしちゃって、毎日紛争していたんだって!」
先生の言葉に、びしっと彼女は空を指差す。
血で血を洗う抗争――そこまで行くかどうかは分からないが、有形無形の工作や妨害があったのは目に浮かぶ。とりわけ、ゲヘナが派手に、物理的に物事を解決するのであれば、トリニティは外交や裏工作、交渉などで物事を進める印象がある。その手の根回しや外堀の埋め方は、当時のそれを踏襲したものだろう。ティーパーティーに於いてミカの様なタイプが珍しいのも頷ける。
「けれど、いつまでもそんな事続けられる筈もないじゃん? いい加減争いはやめようって、協定が結ばれる事になったの――戦いを止め、一つの学園になる、そんな話をしたのが所謂、『第一回公会議』」
「このトリニティ総合学園が生まれる切っ掛けとなった、始まりの会議か」
「そう」
第一回公会議――これまでバラバラだったあらゆる分派が一つの学園に纏まる。教義や信仰を一つに束ね、争いを失くす。それは、並大抵の事ではなかった筈。
しかし、当時の彼女達はやり遂げた。そうして今のトリニティ総合学園が存在している。
「今でも分派だった頃の余波が無いと云えば嘘だけれど、大分前の話だからね、今ではもう、そんなの全然に気にしていないって声の方が多いんだ――たった一つの学校を除いてね」
「……それが」
先生が呟き、ミカが深く頷く。
視線を向けた水面に、波で歪んだ自身の顔が映った。
「そう、一つの学校に纏まる事を最後まで拒んでいた学園――アリウス分校」
あらゆる分派を一つに統一する第一回公会議――トリニティ総合学園の創設。
それを最後まで拒否していたのが、アリウス分校と呼ばれる分派の一つ。
ミカはアリウスの名を呟きながら、どこまでも広がる蒼穹を見上げ、目を閉じた。さらりと流れる桃色の髪が、そっと風に靡き揺れる。
「……アリウスだってさ、元々は私達と変わらない一つの分派だったんだよ? 経典に関するちょっとした解釈の違いがあったくらいで、結構色んな所が似ていたんだって、ちゃんとチャペルの授業もあったし、見た目も殆ど一緒で……それでいて、ゲヘナの事を心底嫌っていた」
「……それでもアリウスは、連合を作る事に反対を?」
「うん、猛烈に反対したって聞いている、だから結局、最終的には戦争になった」
アリウス以外の分派は賛成し、彼女達だけが反対だった。
たった一校、たった一分派の反対で、トリニティの創設が覆る事はない。或いは、その反対する一校がトリニティの中枢を為す一派であれば、また話は違ったのかもしれない。しかし、当時のアリウスは無数に存在する分校の一つに過ぎなかった。
ならば――結末は察して余りある。
「当時、連合になって強大な力を持ったトリニティ総合学園はアリウスを徹底的に弾圧したんだって、当たり前の話だけれどさ、たった一つの分派が、その他すべての集合体に勝てる筈もないし……余りにも大きな力を持ちすぎると、その力を確認したがる、なんて事は良くあるお話だけれど――つまるところ、当時のアリウスは団結する為の共通の敵としても、そして力を試す相手としても、都合の良い存在だったのかもしれない」
そう語るミカの表情は、どこか険しく、気配が重い。当時を思い返しているのだろう、彼女が経験した、或いは見て来た紛争――その中でも一際凄惨で、救いのない光景があったに違いない。そして、自分達はその有形無形の骸の上に立っている。
「それで、結局アリウスは潰された――徹底的に」
「……今は、何処に?」
「分からない、トリニティ自治区から追放されたって話は確か、でも今何処に居るかは……ティーパーティーも掴んでいない、キヴォトスのどこかに潜伏しているんだと思う、相当激しい戦いだったんだろうね、その後全然見つからない様な場所に隠れたみたいで、多分、連邦生徒会ですらアリウス自治区がどこにあるのか分かっていないと思う」
「そうか……」
先生が呟き、目を伏せる。そんな様子を見ていたミカは、どこか労わるような目を向けながら苦笑を零し、云った。
「こんな大きな事だったけれどさ、今在学している大半の生徒達にとっては、そんな学園あったんだ、って位の出来事なんだよ、彼女達はきっと、そんな争いがあった事すら知らない、そうやって今となっては影すらなく、皆に忘れられた存在――それがアリウス分校」
「………」
「ね、そんな学校出身の生徒が、白洲アズサなんだよ」
それは――どういった感情を抱くだろうか。
複雑な背景が彼女達を見えない鎖で巻き取っている様な、一見何でもない光景が、見方を変えれば酷く恐ろしく、辛いものに映るような。
それを知っているのは今、ミカだけなのだという。
「ナギちゃんが推進しているエデン条約、あれはさっき話していた第一回公会議の再現なの、流石に同じ学園になる……っていうのは無理だけれど、大きな二つの学園が、和平を結ぶ条約――そう聞くと何だか、良いお話に聞こえるよね、先生?」
「そうだね、手を取り合う事は尊い事だ」
「うん、私もそう思う……でも、本当の所はどうだろう?」
不意に、ミカが足先で水を蹴飛ばした。跳ねた水滴がプールの只中へと落ち、波紋を浮かべる。小さなそれは、重なり大きく、広く伝播していく。彼女は先生の方を見ることなく、遥か遠くの、何かをじっと見つめる様にして口を開いた。
「だってさ……和平だ何だって云っても、その核心はゲヘナとトリニティの武力を統合させたエデン条約機構、『ETO』って呼ばれる全く新しい武力集団を作る事にあるんだから」
それが、本当に和平に繋がるのか? ミカは先生に、そう問いかける。
ゲヘナとトリニティの将来的な衝突を避ける――両陣営の紛争を抑止、鎮圧する為の
しかし、それが両校の紛争以外に使われないと、どうして断言出来よう? 今の今まで憎しみあって来た両校が、本当にETOを我が物にせんと動かないと保証できるのか? 或いは、そのETO自体の主導権を巡ってゲヘナとトリニティが争いを始めるかもしれない。
そんな事はないと――何故、断言できるのか。
「ねぇ、先生、これってさ……さっきのお話と似ていない?」
「……似ている、っていうのは」
「キヴォトスの中に、圧倒的な力を持つ集団が存在するんだよ、連邦生徒会長が行方不明っていう、こんな混迷の時期に」
そう口にするミカは、先生の表情を伺う様にして視線を向ける。
そして薄らとした笑みを浮べると、どこか声高く、不安を煽る様な口調で告げた。
「そんな大きな力を使って、ナギちゃんは一体何をしようとしているのかな? もしかしたら、もしかしたらだけれどさ? 会長が不在の連邦生徒会を襲撃して、自身が連邦生徒会長になろうとしているかもしれないよ? 或いは今、成長著しいミレニアムを襲撃するとか、そんな思惑を持っていないって、誰も証明出来ないじゃん、勿論これは私個人の考え……でも、これだけはハッキリ云えるよ」
ミカの指先が、先生の裾を掴む。その瞳は昏く、けれど光を放っていて、先生のそれを真っ直ぐ見つめていた。
「常に他者を疑う人がそんな大きな力を手に入れてしまったら、きっと、自分の恐怖心や猜疑心に負けて――必ず武力で排除するようになる」
「………」
「ETOは大きな力だよ、紛れもなく、そして過去、トリニティはその力をアリウスに振るった――次は誰に振り下ろされるんだろうって、そんな風に思う事は、そんなに変かな?」
それは、虚妄なのかもしれない。
けれど、絶対とは言い切れない。
それが彼女を苦しめ、悩ませる。
ナギサと同じように。
「或いは、そうなる前に、ナギちゃんもセイアちゃんみたいに――」
呟き、ミカはそっと俯く。しかし、自身の発言を自覚した後、彼女は緩く首を振った。
「……ううん、ごめん、今のは失言だったかな」
「……何か、良くない事でも?」
「あはは、えっと、前に話した通りだよ、セイアちゃんは今、入院中なの」
「………」
「あー……そうだよね、先生は勘が良いから、分かっちゃうかぁ」
先生の強い視線に、ミカは観念したとばかりに両手を挙げる。そのままへらりと締まりのない表情を見せながらも、どこか迷う様な素振りを見せていた。自身の足元に視線を落とし、二度、三度、水を蹴飛ばす。鮮やかに陽を反射するそれらを眺めながら、ミカはぽつりぽつりと語り始めた。
「先生はさ」
「うん」
「……真実を知りたいって、思う?」
「……あぁ」
先生は、ミカの言葉に頷きを返す。
その頷きは、力強かった。
「――本当に?」
ふっと、彼女の手が先生のそれを掴んだ。
微かに引っ張られた先生はミカの傍まで体を寄せ、目と鼻の先に彼女の顔が広がる。真剣なミカの表情――或いは、不安の顕れ。
ミカは先生を真っ直ぐ見据えたまま、硬い口調で続ける。
「この話をしたら、私はもう戻れなくなる」
「戻れなく……?」
「うん、もしこの先の真実を知った先生が、私の事を裏切ったら……私はきっと、もう終わり――ティーパーティーからは除籍になるだろうし、トリニティも追い出されちゃう、今まで積み重ねてきたことも、何もかも、全部水の泡、もう何処にも居場所なんてなくなって、どこかで野垂れ死ぬしかない」
先生が触れる真実というのは、そういう類のものだ。
扱いを間違えれば、待っているのはミカの破滅。
そして、それを握るという事は――彼女の生命を握ると同義。
決して軽い気持ちで踏み込んで良い領域では、ない。
彼女は暗に、そう云っている。
「――それでも先生は、知りたいと思う?」
その言葉が、先生の鼓膜を震わせた。
彼女の手が、強く、先生のそれを握り締めた。
温い風が、二人の間を通り抜ける。
「私は、先生と会って間もないけれど、先生が善人だって云う事くらいは分かるよ、多分良い人、私が見て来た誰よりも、優しくて、献身的で、聖人みたいな人――」
「………」
「でも私は、まだ心の底から先生を信じられていない、裏切られても、先生が原因で死ぬ事になっても良いって、そこまでの覚悟を抱けないでいる……私の秘密を知るって、そういう事なの」
ミカの顔が近づく、傍から見れば逢瀬の様に。
或いは、恋人の様に。
けれど向けられる視線と感情はどこまでも真剣で、無垢で、虚偽を挟める余裕などない、告解の如き神聖さがあった。
これはある種の契約であり、約定であり――裏切れぬ問いかけだ。
彼女は真摯に問う、訴えかける。
先生の心に――その覚悟に。
「――先生は、私の全部を受け入れる覚悟が本当にある? あなたは、私が本当に、心の底から信頼しても良い人ですか? 私の全部を預ける人に、なってくれますか?」
「………」
問い掛けは、言葉以上の重みを持っていた。
これは、軽々しく頷けば良い問題ではない。そしてそれは、断るとしても同義。相応の覚悟には、相応の想いを。感情を秤にかける事は出来なくとも、示す事は出来る。
――
そう、問いかけられている様な気がした。
「――……なーんてね! ごめん先生! 今のはナギちゃんの真似だよ、誰も心の中なんて分からないから、誰もかれも疑っちゃう、私の幼馴染の真似を……」
「――分かった」
ぱっと、手を放したミカが先程までの真剣な表情を一転させ、満面の笑みを浮べる。本人からすれば、揶揄うと同時に先生の反応を見る、そんな思惑を秘めた言葉だったのだろう。
しかし、彼女は見誤った。
先生という人間を、先生という存在を。
先生は徐にプールから足を抜き、立ち上がると、上着の上に被せていたタブレットに向かって告げる。
「えっ、先生……?」
「アロナ、クラフトチェンバー、生成物質固定化――テイラー・メイド、二番」
声は、小さく、囁く程度のもの。
暫くの間先生はその場に佇み、無言を通していた。風が二人の頬を撫でつけ、ミカは立ち上がったまま微動だにしない先生を困惑の表情で見つめる。何かを話しかけようとして、けれど彼の放つ、酷く重々しい気配に言葉が縺れた。
そして数分程して、先生の脇に見た事もないケースが唐突に出現する。
「え、わッ……!? え、な、なにこれ?」
「――ちょっとした手品みたいなものさ、気にしないで」
先生は軽々しくそう云って、ケースの傍に屈みこむ。
箱はアタッシュケース程の大きさで、正面には暗証番号付きの金具が備え付けられていた。先生は指先で素早く番号を打ち込み、蓋を開ける。内側にはシャーレのロゴと共に、注射器、アンプル、そして銀のリングがそれぞれ二つずつ収められていた。
ミカは先生の背中越しにそれらを見つめ、目を瞬かせる。
「えっと、先生? それ、何かの薬品……?」
「薬品とは、ちょっと違うかな……この中にちょっとしたナノマシンが入っているんだ、一見ジェルみたいだろう? 危ないから、触らないようにね」
告げ、先生は徐にアンプルを一本、取り出す。彼は指先でアンプルの先端を引き抜くと、その中身を注射器の中に差し込んだ。赤く、どろりとした液体――ジェルというには少々水に近く、液体というには纏まっている。その粘性は見た事もないような赤色も相まって、ミカの興味を大いに惹いた。
そして先生はアンプルの一本を注射器に収め終えると、空のアンプルをケースに戻し、二本目のアンプルに手を掛ける。そして先程と同じように先端を折ると、内容物を徐にプールの中へと振りかけた。
「え、あれ? 先生、何を……」
「見ていれば分かるよ」
ミカが戸惑った声を上げれば、先生は朗らかな笑みと共にそう告げる。赤いジェルがプールの中を漂い、その中程で揺蕩う。
先生はその様子を確かめると、ケースに収められていた指輪を取り出し、その表面を素早く指先で擦る。すると外装が横にスライドし、中から小さなパネルとランプが出現した。先生はそのパネルに、指先を押し付ける。時間は――凡そ五秒。
途端、指輪から音声が発せられた。
『
「ミカ、プールから少し離れて」
「えっ、えっ?」
先生はミカの手を引き、プールから数歩離れる。そしてカウントがゼロを告げた瞬間――プールが内側から膨れ上がり、小さな爆発が巻き起こった。
水面が泡立ち、小さく跳ねる。水柱とは云わないまでも、飛び散った水滴が先生やミカにまで僅かに届きそうになる程の爆発だった。
「わッ!?」
ミカは飛んできた水滴に目を閉じ、それから白く泡立ち、揺れる水面を恐る恐る見つめる。音は、水中である為にそれ程でもなかった。けれど、確かにあの赤色が爆発したのだと分かる。
「……あのジェルは、自己増殖型のナノマシンでね、こうやって信号を送り込むと連鎖的に爆発するんだ――プールに投入したセルは全部消滅したから、もう安全だよ、信号受信後は自壊処理するようになっているから」
「へ、へぇー……先生、随分物騒なものを持っているんだね……?」
ミカはそう呟きながら、恐る恐る先生を見上げる。もしかして、私に使うつもりだったりするのだろうかと、そんな不安が透けて見える表情だった。
「――大丈夫、これは生徒に使う様な代物じゃないよ」
しかし、先生はそれを否定し、朗らかに笑って見せる。
「これは――こうやって使うんだ」
云うや否や、先生は先程用意した注射器を取り出し、自分の首元に添えた。
そこから、何をするのかを理解したミカの顔が蒼褪める。先程プールで起きた爆発、そして今先生の首に添えられている注射器の中身は――同じ代物だった。
「えっ、は……はぁッ!? ちょ、先生、何やって……!?」
『――SDC、人体への注入を検知』
しかし、先生はミカの声よりも早く、ピストンを押し込む。プシュ、という音と共に肌へと張り付いたナノマシンは、先生の肌に浸透し消えて行った。同時に、摘まんだリングから音声通知が響く。
ナノマシンを打ち込んだ先生の首元に、赤いリング状の線が浮かび上がる。内部へと潜り込んだナノマシンが、先生の首をぐるりと囲っている証拠だった。
もし、今スイッチを押し込めば、この先生の首を覆っている赤色が爆発し――言葉にするのも悍ましい事が起こるだろう。生徒ならばまだしも、先生は弾丸一つで死にかねない人間。それが分かるからこそ、ミカは信じられない思いで先生を見る。
「はい、ミカ、これ」
「え、あっ!?」
そして先生は、あろう事か今しがたアナウンスの鳴った銀の指輪をミカに握らせた。ミカは赤くなったり青くなったり、表情を忙しなく変化させながら先生とリングを交互に見据える。
「それが起爆リングだよ、指輪の外装を横にスライドさせると中にパネルがあるから、それに指先を押し当てて、初回は指紋認証があるけれど直ぐ済むと思う、五秒間押しつけ続けるとアナウンスが鳴る、更に五秒押し込むと起爆……って感じだから、取り扱いには気を付けてね? 一応シャーレの通信網で信号を送っているから余程地下深くとか、砂漠とかでなければどこでも起爆信号は届くと思うけれど――」
「――ちょ、ちょっと、待って! 先生! 待って!」
小刻みに揺れる指先で指輪を握り締めながら、ミカは叫ぶ。蒼褪め、視線を彷徨わせながら、彼女は震えた舌で必死に言葉を紡いだ。
「な、何で、そんな事……それに、何で私にこんな大事なモノを渡すの!? わ、私がコレ押しちゃったら、先生、死んじゃうんだよ!?」
「何でって……」
ミカの言葉に、先生は目を瞬かせる。
何故、こんな事をしたのか。何故、リングをミカに預けるのか。
先生からすれば、その理由は明確だった。
「ミカは、私に全部を預けるかどうか迷っているんだよね? なら、私も同じものを預けなければ、フェアじゃないだろう」
彼女がそう云った様に、先生もその言葉を返す。
先生は僅かに屈んでミカと視線を合わせると、戸惑いを孕むミカの視線に、確かな熱と覚悟を秘める瞳を向けた。
「ミカが私に
「……ッ!?」
そう云って、先生はミカの手を放す。
震える彼女の手の中に残るのは――何の装飾もない、銀のリング。
けれどそれが、先生の命を握っている事をミカは良く知っている。
これを使えば先生が死ぬ、文字通り彼は――自身の命を、ミカに預けている。
「そのスイッチを押し込めば、ミカは私をいつでも『処理』出来る、秘密が漏れると思ったのなら躊躇いなく使うと良い、けれど――私は、ミカがそのボタンを押さないと信じている」
「そ、そんなの、私が、ボタンを押さない何て、分かる訳……――!」
「分かるよ」
ミカの声に、先生は優し気に応えた。
顔を上げたミカの視界一杯に映ったのは、どこまでも柔らかで、慈しむように笑う先生の表情だった。
「分かるんだよ、ミカ――相手の心が読めなくったって、相手から信頼されていなくたって、私は君を信じられる」
先生が過ごして来た時間の中で、唯一誇れるものがあるのなら。
これからどれ程の時間が流れたとしても、変わらないものが一つだけ――たった一つだけあるのなら。
それは――生徒に対する絶対の信頼に他ならない。
先生は信じ続ける、自身の愛する生徒を、自身の全てを賭けて。
文字通り、命を賭して。
「私は何度だって云うよ、ミカ?」
「ぅあ……」
自身を見つめる、穏やかな瞳。それにミカは強い、制御できない感情の波を自覚した。どこか懐かしい、泣きたいような、笑いたいような、嬉しいような、悲しいような。内側から突き上げる衝動、その行き場をミカは知らない。ただ、指輪を胸元の前で強く握り締め、ミカは唇を震わせる事しか出来なかった。
「私は、私の全てを擲ってでも、ミカに寄り添うから」
先生は、生徒皆の味方だった。けれど先生は、
その握り締めた銀の指輪が、何よりも強い証明だった。
ミカは、言葉だけでも満足だった。
それだけでも、十分だったのだ。
「……へへっ」
けれど、こんな望外な証明をされてしまったら――もう。
「あ、ごめん、ごめんね、先生……何か、すっごくさ、変な話だけれど……嬉しくて」
ミカは、自分の目からぽろぽろと涙が零れている事に気付いて、慌てて拭った。笑いながら、必死で、何度も。
それが、
それとも、
混ぜ返されて、複雑に絡まった胸中では分からない。ただ、その涙に嘘はなかった。唯々、この時だけは、素直に涙を流す事が出来た。
ミカは指輪を抱きしめたまま、呟く。
「先生? もし、もしもね? これが単なるパフォーマンスで、本当は爆発なんかしなくて、先生の、大人の話術だとしても……何て云うのかな、これで裏切られても――うん、それはそれで、心の底から悪くないって思えたんだ」
そう云って、彼女は花が咲いた様に笑った。
これで裏切られたとしても――悔いはない。
仮に先生がミカではない誰かの味方になって、その結果自分が破滅する事になっても。それでも、今この瞬間抱いた感情を
「えへへっ、ごめん、おかしいよね? こんなの」
「……そんな事はないよ」
先生は、そっとミカの涙を拭った。その手付きは優しくて、柔らかで、どこまでも慈愛に満ちていた。ミカは小さく鼻を啜って、笑顔のまま告げる。
「先生、あのさ、その……ナノマシン? って奴、私にも打てないかな」
「それは……危ないからダメ、生徒の皆なら多分、爆発しても痛い位で済むかもしれないけれど、危険には変わりないから」
「えー、先生とお揃いにしたかったのに……お互いに
「不健全だね」
「先にそんなもの体に注入しておいて云う~?」
ミカはそう云って先生を揶揄い、徐にリングを左手薬指に通した。恍惚とした表情でそれを眺め、陽に向かってそれを翳すミカ。光を反射し、きらりと輝くそれは無骨ながらも綺麗で、先生との
否、他ならぬ彼女にとっては、そうなのだ。
「……えへへっ!」
「………」
満面の笑みで、照れと歓喜の入り混じったそれを見せられた先生は、ただどこか居心地悪そうに視線を逸らす。彼女の指輪を嵌めた指に、少し作為的なモノを感じたからだった。
ミカはそんな先生の様子に気付き、にんまりとした笑みを浮べたまま見せつける様にリングを嵌めた指先を先生の前に翳す。
「ほら先生、んー? ん~!? どう、似合っているかな? 似合っているよね?」
「うん、似合っているよ」
「あははっ、ありがと!」
そう云って大事そうにまた、自身の指輪を嵌めた手を抱きしめるミカ。そして感無量と云った風に顔を上げた彼女は、先生を真っ直ぐ見て云った。
「うん……うんっ! 確かに先生の全部、受け取った! ちゃんと受け取れたよ、私! 先生の事は信じる、信じられる」
だから、全部話すよ、先生――私の知っている事、全部。
この満面の笑みを浮べているミカの前でスイッチ押して先生の首飛ばして真っ白な羽を綺麗な赤色に染めてあげてぇ~!
取り返しのつかない事(物理)、まぁ先生を生きたまま悪用されるよりは死んだ方がえぇやろ、やば、わたくしってば優しすぎ……!? お礼は結構です事よ! 人として当然の事をしたまでですもの!
ミカってこういう激重な事してくる生徒だって私は信じている。だから先生も同じように激重な感情で応えてあげれば、二人はらぶらぶ相思相愛ハッピーという寸法ですわッ! んほ~、こんな状態で先生がもぎもぎフルーツになったら、わ、笑いが止まりませんわ~! 胸がぽかぽかですわぁ~ッ! これが、真実の愛……?
というかこの子、原作でも結構あざとくてミカミカのミカですわよ。因みにこのやり取りやったまま原作の流れやろうとしたら三〇〇〇〇字超えそうになって分割しました。本当は今日、二〇〇〇〇字投稿しようと思いましたの。でも流石に文字量多すぎてカット、カット! ですわ。なので次もミカとのお話ですわ、あんまりお話動かなくてごめんあそばせ! ミカだけで三話費やすとかマジ? うるせぇですわ! 今は空前絶後のミカフィーバーなんですわ~ッ! 邪魔する奴にはミカパンチ喰らわせますわよッ!
尚、先生の首元に仕掛けられた爆薬はマジなのでミカが爆発認証したら普通に首飛びますわ。クラフトチェンバーから爆薬取り出す時にタイムラグあったのは、アロナがイヤイヤ期になったからですわね! アロナァ! 今から先生首に爆弾つけるわ! あとスイッチは他の奴に渡すねッ! いいよね!? とか突然云われたアロナの気持ちを答えよ。
まぁ最悪アロナが信号ジャックして爆発させなければ良いのだけれど。でも先生は生徒の意思で爆殺されるのなら、仕方ないと受け入れてくれるぞ。それで後追いでホシノが自分でヘイロー壊して、ワカモは散々キヴォトス荒らしまわった後に自決する。結果キヴォトス崩壊に繋がる。先生って生きていても死んでいても碌な事にならなくない??? だから早く手足と首捥いで楽にしてやりたいのですわ……ッ!
元々は万が一の場合、聖骸をゲマトリアに渡さない為の緊急処理手段。最終章が来てから対色彩用の緊急自決装置としても活躍してくれる働き者。先生の事精神汚染する? でも先生神秘持ってないから恐怖に裏返ったりしないよ? あ、直接浸食する感じ? おっけー、じゃあ注入した爆弾で自決するわ! 万が一身体取られて大人のカード使われても嫌だし。バーイ。
そして生徒の前で首が消し飛ぶ先生であった。美しい……芸術的だ……。