「うふふっ……♡」
「あはは……き、来ちゃいましたね」
「うぅ……」
「うん」
トリニティ都市部、商店街。常は人で溢れかえり暖かな日光が降り注ぐその場所は、街灯に照らされ、人も疎らな風景へと姿を変えていた。ぽつぽつと明かりが見える場所と見えない場所が区切られ、常は見える店が閉まり切り、昼間とはまた異なる姿を見せる。そんな中を補習授業部の面々は、楽しさ半分、不安半分と云った様子で歩いて行く。
尤も、先頭を歩くハナコだけは常に楽し気で、アズサに関しても不安よりも興味が勝っている様子だったが。
「どうですか? もう既に楽しくないですか? 禁じられた行為をしているというこの背徳感、そしてそれを同時に行っている仲間がいるという安心感、この二つが合わさって、もう……!」
「ふむ、なるほど、深夜の街はこんな感じなのか……想像していたよりも活気があるな」
「えぇ、そうなんです、二十四時間営業の店も多いですから!」
「二十四時間も営業しているのか……ん、あれはスイーツショップ? あ、喫茶店も開いている」
「あっ、そういえば、此処からもう少し行くと、モモフレンズのグッズショップもあるんですよ、その向かい側には限定グッズだけを取り扱う隠れた御店もありまして……」
「むっ、何だと!? それは重要な情報じゃないか……!」
「ふふっ、さすがはヒフミちゃん、詳しいですね」
「あ、あははは……」
集団の中に混じり、愛想笑いを浮かべるヒフミ。何だかんだ云って寮を抜け出した事が何度もある彼女は、夜の街にも多少慣れている。何ならその情熱は、彼女をブラックマーケットへと駆り立てた程。彼女にとって、こういう夜の散歩というものは日常の範疇――という程でもないが、それなりに耐性の付いた行為でもあった。
「け、結局乗って来ちゃったけれど、こんなところ万が一ハスミ先輩に見られたりしたら、すっごい怒られそう……」
「コハル、こういうのはね、寧ろ堂々としていた方がバレないんだ、だからきょろきょろせずに、胸を張って」
「そ、そうなの……? というか、何で先生がそんな事……」
「――財布を握られるって、そういう事なんだ」
皆と反対に、背を丸めてこそこそと歩くのがコハルだ。先生はそんな不安げな彼女を見かねて助言を送るが、到底先生が口にする様な台詞ではない。
しかしながら、先生にも似たような経験があるのだ。具体的には出費が嵩んでいるのに玩具屋で数万円クラスの『スーパーロボット合体セット、フルアーマー化キット』を買おうとして、ユウカに通知が行って大変な事になったりとか。玩具屋の店主が密告したのか、アロナが報告したのか、或いはノアかコタマか、はたまた別の誰かか、それは定かではない――しかし、だからこそやましい事をする時は、「別に、全然やましい事なんてしていませんけれど? これが普通ですよ、何か? 今は財布に余裕があるんです――」とエレガントな姿勢と態度で振る舞う必要があるのだ。それを見た相手も、「ここまで堂々としているのなら、ユウカも認知しているのだろう」となる訳だ。かんぺき~な理論である、尚その後領収書を結局見せる事になるので一時凌ぎでしかない。あぁ無情。
「それにしても、ハスミさんは後輩たちに優しい方だと聞いていましたが……そんなに怒ったりするんですか?」
「も、勿論優しいわよ! それに文武両道で、さいしょ……けんび? で、品もあって、すっごい先輩なんだから! で、でも怒る時は本当に怖くて……」
「そう云えば、最近、何か荒れるような事があったんだっけ」
「う、うん……前に一回、私もその場にいたんだけれど……」
先生の言葉にそっと頷いたコハルは、当時の事を思い出し、身震いしながら口を開いた。
■
正義実現委員会――本部。
その日、正義実現委員会は精神的にも物理的にも揺れていた。
鳴り響く破砕音、荒々しい息遣い、そして恐れ戦く正義実現委員会の委員達。部屋の内部は荒れ果て、横転したテーブルや裏返ったソファなどが無惨にも床に転がっている。
「………」
「………」
その空気は正に、マシロ、ツルギが両名が沈黙を守る程で、渦中の人物はただ一人、自身の感情を吐き出すようにして暴れ、高ぶっていた。それを見かねた一人の勇者がそっと彼女に声を掛ける。
「は、ハスミ先輩、お、落ち着いて下さ――」
「絶対に、絶対に許しません! 万魔殿! ゲヘナッ! どうして、どうしてあそこまで……ッ!」
「ひぃッ!?」
「はぁ、はぁッ……!」
しかし、当の本人は睨みつける様な視線を一つ寄越し、後は呪詛の様に何かを唸っている。声を掛けた委員も委縮し、結局それ以上何かを口にする事は出来なかった。暫くして漸く僅かな理性を取り戻したのか、彼女、ハスミは愛銃を握り締めたまま、腹の底から響く声で告げた。
「……よく、良く聞いておいて下さい、私は今此処に、宣言します!」
「……?」
「これから、私はッ……!」
そう云って、凄まじい熱意と覚悟を秘めた瞳を周囲に向けた彼女は。
「――今度こそ、ダイエットをしますッ!」
「……!?」
「……っ!」
そう、宣言したのだ。
「だ、ダイエット、ですか?」
「はい、ダイエットです!」
この惨状と、ダイエット――一体何がどうなってそういう結論に至ったのかは全く以て謎だったが、彼女の目は本気だった。本気でダイエットをしてやるという気概に満ち溢れていた。彼女は皆の方を振り向くと、血走った目で叫ぶ。
「これから私が一日に二回以上食事をしたり、おやつを口にするところを発見したら、その場で指摘してどうか叱って下さい! こういった事は自分だけの力では難しいので、宣言しておく方が良いと聞きました! 皆さんの助けが必要なんです!」
「は、ハスミ先輩……ゲヘナとの会談で一体何が……?」
「それは――」
委員のその問いかけに、ハスミは一瞬言葉を詰まらせ。
そしてその所業を思い出し、徐々に先程まで滾らせていた怒気を取り戻すと、拳を振り上げ再び叫んだ。
「許せません……な、なんて、何て事を……ッ!」
「………?」
顔を見合わせ、困惑を隠せない正義実現委員会の面々。
――事は、ほんの数時間前に遡る。
■
ゲヘナ、
その日、本来であれば敵の中央とも云える場所で、ハスミはとある人物と面会していた。
「私がこのゲヘナ、万魔殿の主……マコト様だ」
告げ、どこまでも傲慢な態度を隠さず、脚を組み、テーブルの上に放る人物。ゲヘナらしい煌びやかな調度品の中に、明確な形で交わる赤と黒。羽織った外套に飾紐を遊ばせ、その長く広がった灰髪を纏う生徒。
その人物からは、妙なプレッシャーを感じた。ハスミはそっと、目の前の人物を注視する。正義実現委員会、副委員長のハスミは生真面目な人物である。如何に蛇蝎の如く嫌うゲヘナとは云え、過小評価は決してしない。この混沌としたゲヘナを統治する存在である万魔殿の主――羽沼マコト。
彼女の実力は未知数だった。
そんなハスミの様子を日和と見たか、或いは馬鹿にしたのか。鼻を鳴らし、彼女は吐き捨てる様に告げる。
「――ふん、どうした? トリニティの正義実現委員会とも在ろう者が、挨拶の一つも碌に出来んのか?」
「……トリニティ総合学園、正義実現委員会の――」
ハスミは彼女の言葉に応え、一応礼儀として口を開くが――しかし、それを云い切る前にマコトは手を突き出し、言葉を止めさせる。
「――あぁ、良い、結構だ、素性は既に理解している、いや……今、理解したというべきか」
「………」
自分から挨拶を促しておいて、それを態々止める。その傲慢さが故か。いや、此方の出鼻を挫こうとしている? ハスミは冷静な表情を装いながら、そっと思考を回した。政治屋としての手腕は、或いは向こうが上か。ハスミとて正義実現委員会をツルギの代わりに回して来た自負があるが、向こうはゲヘナ全域を統治する長。だが、決めつけるのはまだ早い。ハスミは内心で湛える様な闘争心を秘め、機を待つ。
そうこうしている間にもマコトはハスミをじっと見つめ、しかめっ面で口を開いた。
「――成程、お前が【トリニティの戦略兵器】と呼ばれる剣先ツルギか」
「………え? あ、いえ、私は――」
「そうか、想定以上に規格外だな、不愉快になる位に――」
そう宣う彼女の視線は、これ以上ない程にハスミの胸元を注視していた。その衣服を押し上げる、巨大な二つの塊を。
「キキッ! だがそんな戦略、このマコト様には通用しない! 出会い頭のインパクトで我々に勝とうなど甘いわッ!」
「……はい? 一体、何の話で――」
「イロハ、サツキを連れてこい! トリニティの奴らに負けてなどいない事を示してやるぞッ!」
「はぁ……」
マコトはそう高らかに叫び、隣で黙って手元の資料を整理していたイロハを見る。彼女は小さく吐息を零すと、余りにもいつも通りな自身の上司を見つめながら、とても面倒臭そうに告げた。当のハスミは一体何の話をしているのか理解できず、困惑を隠せない。
「マコト先輩、この方は委員長のツルギさんではなく、副委員長のハスミさんです、予め書類にもそうあったと記憶していますが――それと、今もし胸の大きさの話をされているのであれば、多分サツキ先輩が来ても勝てないと思いますよ」
「……は、胸?」
「な、なにぃっ!? ツルギじゃないだと!? ば、バカな、代役……? 舐められたものだ、この期に及んで小細工とは……! いや――待てッ!?」
がたんと、音を立てて立ち上がったマコトは目の前のハスミを凝視しながら、自身の灰色の脳細胞を加速させる。彼女の頭の中では、既にトリニティとゲヘナの苛烈な情報戦が繰り広げられていた。
「そうか! つまりそもそも、この会議はフェイクという事だな!? 我々を集め、身長と胸の迫力で此方の出鼻を挫こうと画策していたのか……ッ!? トリニティッ、正義実現委員会……! 何と狡猾なッ!?」
「いえ、ですから元々ハスミさんが来る予定で――私の話聞いていますか? 聞いていませんね?」
「ぐ、ぬぅ……ッ! 不愉快な位大きな胸をこれ見よがしに見せつけおって……! 喧嘩を売っているのか! この万魔殿のマコト様に対してッ!?」
「落ち着いて下さい、あともう胸の話はやめて下さい、そろそろ万魔殿として恥ずかしいです」
「イロハッ! こうなったらあれを用意しろッ! このままこの【デカ女】に負けてたまるかっ!」
「――デカ女?」
マコトの放ったその一言に、ピキリと、ハスミは自身の額に青筋が浮かんだのを自覚した。
「あれ、と云われても何のことかさっぱりですが……取り敢えずこの会議がおじゃんなのは良く分かりました、私は逃げますね、じゃ」
それをはっきりと目撃したイロハは、あぁもうこの会議は駄目になったと早々に見切りをつけ、資料をテーブルの上に放置すると素早く退出する。その素早さはマコトが呼び止める隙が無い程で、彼女が手を伸ばし口を開く頃には既に、扉の向こう側へと消えていた。
「……ん? あ、こら、待てイロハ、どこに――」
「………」
「お、おい、何だ突然立ち上がって、その振り上げた拳をどうするつもりだ? おい、待て、止ま――ッ」
■
「………」
コハルから凡そのあらましを聞いた補習授業部一同は、言葉を失くす。
何とも云えない、夜の肌寒い風が皆の頬を撫でた。
「それで、その会議自体駄目になって、それ以来ハスミ先輩、あんまりご飯も食べてないから心配で……」
「そんな事が……ゲヘナの方々に怒るのも分かります、その様な事を面と向かって口にされては、無理もありません」
「そうだね、大きい事は決して悪い事ではないのに――」
「せ、先生が云うと何か、意味深に聞こえちゃいますね……」
「身長の話ね? だからコハル、その聖水爆弾を仕舞って欲しい」
先生はさっと、コハルが鞄に手を突っ込んだのを目敏く確認し、告げた。味方には治癒効果があるとの事だが、直接顔面にでも投げつけられたら致命傷を負いかねない。コハルは強肩なのである。
「で、でも、ハスミ先輩は色んな意味で強いから大丈夫! あれからずっと、自分との約束を守って頑張ってるし……!」
「……うーん、先生としては余り無理はして欲しくはないのだけれど」
「本人の心持次第ですし、難しい話ですね」
ハナコの言葉に、先生はそっと頷く。先生個人としてはハスミが気にしている様な箇所は短所どころか長所であり、目の前でそのような相談をされようものなら、ハスミのそれが如何に素晴らしいものであるかを数時間掛けても力説する腹積もりであるが――残念ながらこういうものは本人の感情次第である。生徒自身がどうしても改善したいと願うのであれば、本人の悪影響にならない範囲で手助けするのも先生の仕事だ。
そんな事を考えている内に補習授業部の足はどんどん進み、ふとアズサの視線が一つの店に止まった。
「……むっ、こんな所にスイーツ屋が、それも凄く良い匂いだ」
「何だか食べ物の話をしていたら、お腹が減って来ましたね……」
「折角ですし、此処で何か食べて行きましょうか?」
「そうですね……あっ、此処の限定パフェ、確か凄く美味しいって話を聞いた事があります! 二十四時間やっているとは知りませんでしたが――」
「パフェか……うん、悪くない、行こう」
「のりこめ~」
「え、えっ……!?」
とんとん拍子で話は決まり、善は急げとばかりに店の中へと入って行く補習授業部。コハルはゾロゾロと扉を潜っていく仲間達の背中を見つめながら、素早く周囲を見渡し、呟いた。
「うぅ……だ、誰も見ていないよね……?」
周囲に誰の目もない事を確認した彼女は、小さく、「ま、待って……!」と口ずさみながら、その背中を追って駆け出した。
■
「いらっしゃいませ~」
店内は時間帯もあり人の姿は疎ら、隅や奥の方にぽつぽつと見える程度。店の内装は一階と二階に分かれており、カウンター席も用意されていた。補習授業部は店内をぐるりと見渡しながら、何となく夜の店に胸を弾ませる。
「真夜中にスイーツ屋さんだなんて……緊張もありますが、何だか凄くワクワクしますね」
「うん、確かに」
ヒフミの言葉に、アズサはどこか目を輝かせながら頷く。
「五名様でしょうか? 席はお好きな場所にどうぞ、既にお決まりでしたら御注文を伺いますが」
「えっと……あ、限定パフェってまだありますか?」
ヒフミは頭上に表示されたメニューを眺めながら、ふとそう口走る。常ならば売り切れ必須だろうが、この時間帯ならばという考えからだった。
「あぁ、申し訳ございません、限定パフェは先程、別のお客様が三つほど購入されたのが最後でして」
「あ、そうでしたか……」
「ふむ、一歩遅かったか……こんな時間まで狙われているなんて、侮れないな」
しかし、残念ながら限定パフェは既に売り切れた後。こんな時間帯であっても即座に売り切れるとは、やはり話に聞く通り素晴らしい味なのだろうか。ヒフミはその味を想像し、静かに肩を落とした。
「まぁ、ないものは仕方ない、ヒフミ、他におすすめのメニューはある?」
「えっと、そうですね、それなら――」
「……あら?」
その問いかけに、ヒフミは友人から聞いた美味しいメニュー一覧を頭に浮かべながら指先を迷わせ――ふと、どこかで聞いたような声が鼓膜を揺らした。目を瞬かせながら声のした方へ視線を向ければ、何やらスプーンを持ったまま固まる黒い制服を着用した生徒が一人。その背格好と顔立ちは、見知った人のもので。
「――せ、先生?」
「あ、ハスミ」
先生の声とハスミの声が重なり、互いの視線がかち合った。
「えっ!? は、ハスミ先輩!?」
「あら……もしかして、それが限定パフェですか? 何やら沢山……」
コハルはまさかの邂逅に慌てふためき、ハナコは彼女の前に並んだ空のパフェ容器を驚愕の目で見つめている。当のハスミは困惑半分、羞恥半分といった様子で補習授業部を眺め、恐る恐る口を開いた。
「先生、それに補習授業部の皆さんも、こんな時間に一体――」
「あ、あぁああぁあ………」
ハスミが問いかける間も、コハルは蒼褪め頭を抱える。まさか、まさかまさかの、偶然夜に出歩いて、偶然入った店で自身の先輩兼上司と鉢合わせするなど、一体どんな確率なのだと。一応、補習授業部としては違反行為を行っている訳だが、ハナコはそんな事を露も感じさせずハスミの傍へと足を進め、並んだパフェ容器を見比べながら莞爾とした笑みを浮べた。
「ハスミさん、奇遇ですね♡ 真夜中にパフェを三個も……確か、ダイエット中と伺いましたが?」
「えっ!? な、何故それを……こ、これはですね……――」
「ふふっ、はい、心中お察しいたします、真夜中に襲ってきた悪しき欲望に導かれて、ここまでやって来てしまったのですよね?」
「あ、悪しき欲望……い、いえ、その……」
「そうして欲望のままに振る舞った後、理性を取り戻した頃にはもう、取り返しが付かない方に乱れて――」
「な、何やら云い方に邪な意思を感じるのですが……?」
「まぁ、夜中ってお腹が空くよねぇ……あ、ハスミ、お隣良いかな?」
「え、あ、はい……ど、どうぞ」
先生もハナコに続いてハスミの傍に寄り、そのまま隣のテーブル席へと腰を下ろす。補習授業部も流れで彼女の傍に腰を下ろす事になるが、当のコハルは小さく震え、蒼褪め、完全に怯え切っていた。少しでもハスミの視線を受けない為に、態々ハナコの影に潜んでいる。しかし残念ながら、ハスミの目はきちんとコハルの事も捉えていた。
「んんっ、せ、先生? その、自分の事を棚上げするようですが、補習授業部の皆さんはそもそも、合宿中の外出が禁じられていた筈では……?」
「うん、そうなんだけれどね、息抜きは大事かな~って思って」
「……はぁ」
その、何とも先生らしいというか、生徒の為であれば多少の違反も見て見ぬふりをするその性質は、一生徒としては好ましく、正義実現委員会の副委員長としては看過できない。しかし、それを云う資格が今の自分にあるかと云えば、そんな筈もなく。
ハスミは手に持ったスプーンをそっと容器に戻すと、静かに呟いた。
「……ここはお互いに、見なかった事にするとしましょうか」
「そういう事で、ひとつ」
此処へはお互い訪れなかったし、出会う事もなかった。
そういう事にしておくのである。これも外交という奴だ、恐らく。
「は、ハスミ先輩、その……」
「コハル、お勉強は頑張っていますか?」
「あ、えっと、それは……――」
「コハル、最近は成績が凄い伸びているよ」
恐る恐る声を上げたコハルに、ハスミは予想に反して穏やかな口調で問いかける。思ったより怒っていない? という風な表情で言葉を詰まらせた彼女の代わりに、先生はとても嬉しそうにそんな言葉を送った。
「は、はい、そうです! コハルちゃんはこのままいけば合格圏内に届く位、頑張っていて……!」
「――そうでしたか」
コハルの成績は彼女も把握しているのだろう。ヒフミの後押しで、どうやら成績も上昇しているらしいと確信を得たハスミは、確りと頷いて見せる。当のコハルは俯き気味に口元をまごつかせ、ちらちらとハスミの様子を伺っていた。
「うぅ、その、えっと」
「それは何よりです、云ったではありませんか、コハルはやれば出来ると」
「は、ハスミ先輩……」
「そうです、あの時も――」
■
「応援していますよコハル、お勉強、頑張ってください」
「うぅ、は、ハスミ先輩……」
先生と一緒に禁書本を正義実現委員会本部へと返却しに行った日。
二人だけで話があると云われ、先生が去った後に二人きりでハスミを向き合うコハルは、これ以上ない程に体を強張らせ、緊張していた。
ただでさえ成績不振を理由に一時的とはいえ正義実現委員会を脱退させられ、補習授業部等という不名誉な部活に編入させられているのだ。どんな言葉を掛けられるか、それを考えるだけでも不安だった。
「補習授業部の方では、ちゃんと過ごせていますか?」
「は、はい、その、多分……ですが」
「本来の目標を忘れないで下さい、私は、ただ目の前の勉強の話をしている訳ではないのです、あなたにはこれから、この正義実現委員会の一員として頑張って貰いたいのですから」
「でも、そんな……わ、私には、到底無理な気がして……そんなすぐ成績を上げるなんて、先輩と一緒に居たい気持ちは本当ですが、私には、余りにも、その、難しい事で……!」
そして、予想に反し耳に届いた激励の言葉に、コハルは俯き、思わず弱音を返してしまう。彼女の云いたい事は分かる。補習授業部を卒業しなければ正義実現委員会への復帰は叶わず、そして目下、補習授業部の足を引っ張る可能性があるのは――自分だ。
コハルは、自分が虚勢を張り自分を大きく見せるばかりの凡人であると心の奥底では理解していた。エリート、エリートと、自分でそう宣ってはいるものの、実際の成績は低空飛行で、戦闘能力に優れている訳でも、指揮能力に長けている訳でも、確固たる外交手腕を持っている訳でもない。
どこまで行っても、ないないづくし、凡人、平凡――そんな自分が憧れる人たちの集まる正義の場所、それがこの正義実現委員会。
その末席に名を連ねるだけで、どれだけ嬉しい事か。
きっと、これは自分にしか分かるまい。
恐らく、こんな自分が在籍出来ただけでも大変名誉な事で、このまま正義実現委員会に復帰できなかったとしても、自分は、その一時の夢だけで生きていける――そう思って。
「――それでは駄目なんですッ!」
けれど、そんな思考はハスミの一喝に吹き飛ばされた。
肩を震わせ、飛び上がったコハルは目を見開く。目の前には、酷く真剣な眼差しで此方を見るハスミの姿があった。常に凛々しく、確固たる信念を感じさせる眼差しは、今、自分だけを見つめている。コハルの諦観の念を感じ取ったハスミは、それを吹き飛ばす為に敢えて大声を出した。まんまると見開かれ、己の見つめる瞳に、ハスミは強い口調で告げる。
「――ごめんなさい、急に大声を出してしまって……ですがコハル、良いですか? 私達がこれからもずっと一緒にいる為には、今頑張って貰わなければ駄目なのです」
「は、ハスミ先輩……」
両手で肩を掴まれ、強い瞳で見つめられる。コハルは、触れられた手から強い信頼と、期待を感じ取っていた。ハスミは、本気でコハルという生徒に期待している、この困難を乗り越えられると信じている。胸の中に何か、熱く滾るような感情が宿った心地だった。小さく唇を震わせ、コハルは自身の両手を握り締める。
「それに先生も、必ず手助けしてくれます、えぇ、きっと、全力で……そんな先生の期待に応えるためにも、勉強を頑張るのが今、コハルのやるべき事です」
「……はい、わ、私、精一杯頑張ります!」
「えぇ――期待していますよ」
■
「……えへへっ、は、ハスミ先輩の期待を裏切りたくないですから……」
コハルはその時の感情を思い起こし、思わず破顔する。ハスミはそんな彼女を慈しむように眺めながら、強く頷いて見せた。
「えぇ、引き続き応援していますよ、コハル、早く正義実現委員会に戻って来て、一緒に任務が遂行出来る時を心待ちにしていますから」
「は、はい! 頑張ります……っ!」
紡がれる信頼の証、目に見えずとも感じられる友愛。先生は二人のやり取りを眺めながら、いつかの時と同じように心の中で滝の如く涙を流した。
「これが、若さ……か」
「あら、先生が何やら菩薩の様なお顔を……」
「た、多分、感動しているんじゃないでしょうか……?」
その通りです。先生はそっと目元を拭い、頷く。
そんな時間を過ごしていると、不意に電子音が鳴り響いた。一瞬、先生は自身のタブレットのものかと目をやるが、液晶は暗いまま。
「? 失礼、私の端末の様です――」
音は、ハスミの端末から発せられていた。彼女はポケットに仕舞いこんでいた端末を取り出し、眉を顰める。表記は正義実現委員会、その後輩であるイチカから。
「こんな時間に連絡? 一体……」
呟きつつ、彼女は応答ボタンをタップする。
「はい、イチカ? どうかしましたか」
『すみません先輩、こんな時間に……ちょっと問題が発生しちゃいまして、今どちらに?』
「少々用事があって外に出ていましたが……問題とは? 詳細を聞かせて頂けますか」
『えっと、どうやら学園の近郊にゲヘナと推測される生徒達が無断で侵入したらしく……更に無差別に銃撃を行いつつ、トリニティの施設を襲撃している、との情報が』
「襲撃……?」
その言葉に、ハスミの雰囲気が目に見えて固く、鋭く変化した。自身の横に立て掛けていた愛銃を掴み、ポーチに入れていた残弾を脳内で数えながら出立の準備を行う。
「まさか夜襲を……? 相手はゲヘナの風紀委員会ですか、それとも万魔殿がついに本性を?」
『あー、いえ、それが……』
「――誰であれ、恐らく狙いはエデン条約の妨害でしょう、直ぐに向かいます……! 敵の規模と場所、施設の情報を」
『落ち着いて聞いて欲しいっす先輩、取り敢えず相手はゲヘナ風紀委員会ではなく、兵力も全然少なくて、確認されているのは四名だけっすね』
「は……四名? それも、風紀委員会ではなく?」
『はいっす』
てっきり、ゲヘナがその本性を晒し本格的に仕掛けて来た――そう考えていたハスミは意気を挫かれる。敵もまさか四名でトリニティを崩せるとは考えていないだろう、ましてや風紀委員会でもないというのならば、一体誰が――。
『それで襲撃された場所なんですけれど……アクアリウムみたいっす』
「あ、アクアリウム……何故、その様な場所を……?」
『さぁ、あたしにも良く分からないっすけど、何だか展示中だった希少種の【ゴールドマグロ】を強奪して逃走しているとかで……』
「……ゴールド、マグロ」
『えぇ、すげー高い魚らしくって、多分どこかに売り飛ばそうとしているんじゃないっすかね? あ、追加で今、幾つか情報が――』
端末の向こう側で、二度、三度、言葉が交わされる。何か紙を捲る様な音が響いた後、電話口のイチカはどこか疲れたような雰囲気を滲ませながら告げた。
『えーっと、どうやら相手は……ゲヘナのテロリスト集団、【美食研究会】らしいっすよ』
「美食――まさか、食べるつもりですか!?」
『それは分かりませんけれど、首謀者は会長の【黒舘ハルナ】、ゲヘナの中でも要注意人物とされている例の奴っす』
その言葉に、ハスミの端末を握る手から、ミシリと軋む音が響いた
■
「――ねぇぇぇええッ!? 何でこんなところまで来ちゃったの!? トリニティのど真ん中じゃん!? 色んな人に追われるしっ、服はずぶ濡れだしっ、走り回って疲れるしッ!」
「仕方ありません、あのゴールドマグロと聞いては黙って見ている訳にもいきませんし☆」
「ふふっ、あの伝説のマグロを只の観賞用として扱うだなんて……そんな事、美食に対する礼儀がなっていないというものですわ」
トリニティ自治区、交差点。背後を頻りに気にしながら叫ぶのは、紅い髪を二つに束ねながら両手に持ったARを振り回すジュンコ。彼女の叫びを聞き届けながら、意味深に微笑むのは金髪に豊満な肉体を持つアカリ。そして皆を率い、先頭を駆けるのは銀髪を靡かせ、改造制服の裾を揺らす美食研究会、会長のハルナ。
これに巨大なゴールドマグロを抱えたイズミを含めた四名が、ゲヘナでも悪名高いテロリスト集団、美食研究会である。
その悪行を列挙すれば数知れず。店舗の爆破や強盗、誘拐は朝飯前、必要とあれば他所の自治区だろうが何だろうがお構いなしに侵犯し、己の心情とお腹の空き具合に従って暴れ倒す。美食の為ならば文字通り、妥協をとことん許さない。それが彼女達のスタンスであった。
そして今回、彼女達が目を付けたのが――ゴールドマグロ。
幻の魚と謳われるそれは、一体どんな味なのか? 想像するだけで胸が弾むというものだ。保管されている場所がトリニティという、ゲヘナにとって敵の本拠地の奥深くだろうと関係ない。実際彼女達は知った事かとばかりに突撃をかまし、見事アクアリウムからゴールドマグロを奪取した帰り道であった。
「美食というものは、孤高でありながら普遍的でなくてはなりません……ただ見世物としてお金稼ぎの手段に終わるなど、このゴールドマグロさんも望んでいない筈……私達はただ、その声に共鳴しただけ――そうですよね、フウカさん?」
「んんっ!? んーっ!? んんんッ!?」
先頭を駆けるハルナは、肩に担いだ人物――ゲヘナ給食部部長、フウカに語り掛ける。簀巻きにされ、口に布を噛ませられたフウカは全身を使い、必死に首を横に振った。ハルナはそんな彼女の様子を見て深く感銘を受けた様に頷く。
「御覧なさい、このゲヘナ給食部部長の感涙に咽び泣く程の同意をッ!」
「猿轡のせいで、何を云っているのかさっぱりですけれどね☆」
「わっ、このマグロまだびちびち跳ねてるっ、ヒレでびんたされ、ひぶっ!?」
「イズミ、ちゃんと捕まえていてっ! それ、すっごく高いんだからッ!」
「わ、分かってるよぉ!」
最後尾を走るイズミは、ハルナと同じようにゴールドマグロを担いでいるが、その大きさは正に規格外。ビチビチと跳ねるマグロを確りと掴みながら駆ける彼女の姿は中々のインパクトを発している。イズミは肩に担いだマグロを見上げ、口元から涎を垂らし、不意に問いかけた。
「ところで、コレいつ食べられるの? マグロにはビンタされるし、黒いセーラー服の子達には追いかけられるし、そろそろお腹空いたんだけれど!」
「ん~、流石にこんな場所で実食、とはいきませんよねぇ」
「あの黒いセーラー服って、正義実現委員会だよね? こっちの風紀委員会と同じ位ヤバい連中だよ! どうするのハルナ、逃げ切れるの!?」
「ふふっ、逃げ切れるかどうかなんて、大した問題ではありませんわ」
ジュンコの悲鳴交じりの問いかけに、彼女は優雅に返答する。フウカを担いだまま自身の銀髪を払うと、胸を張って告げた。
「――大事なのは食べられるか、否か……それだけですッ!」
背後に効果音が付きそうな程、堂々とした宣言。
そう、大事なのは逃げ切れるとか、逃げ切れないとか、そんな小さな事ではない。
この幻の珍味、ゴールドマグロを食べられるか、否か。
それ以外の事など、全て些事――!
「つまりは
「ふふっ、結局そういう事ですよね☆」
ハルナの言葉にアカリは同意を示し、手に持っていた愛銃、ボトムレスの安全装置を弾く。背後から、続々と美食研究会を追う足音が迫っていた。ジュンコが慌てて振り向けば、其処には殺到する正義実現委員会の姿が。
「居たぞッ! 例の連中だっ!」
「逃すなッ!」
「わわっ、また来た!? 適当に戦って早く逃げないとっ!」
「えぇ――さぁ、包囲を破って退却します! 一刻も早く、フウカさんに新鮮なマグロのお造りを作って頂かなければっ!」
「んんんッ~~!?」
そう叫び、ハルナが愛銃『アイディール』を構えれば、担がれたフウカは死んだ目で誰かに助けを請うた。最早、誰でも良い、この地獄から解放してくれ――と。
「では、素晴らしき美食の為に――いざ!」
そして此処に、美食研究会と正義実現委員会の騒動が幕を開けたのだ。
この後、先生がアクアリウムまで土下座しに行ったんだよね……。
いやぁ、漸く待ちわびたエデン条約編での戦闘シーン一回目ですわねぇ~! 弾丸飛び交う戦場ですわぁ~! 先生が千切れる可能性が僅かでも上昇するシーンは興奮しますわよねぇ~ッ! まぁ流石にこんな小規模な戦闘で先生を捥ぎ捥ぎする訳にもいかないので、出来ても精々負傷程度ですけれど……。あっ、でもこの後セナと会いますもの、多少怪我をしていた方が都合がよろしくって? 悩みますわ~~~!
しかし、此処まで来て漸くエデン条約編 前編も半分――という所でしょうか? 前半かなり平々凡々、日常幸福マシマシで来ましたし、此処からは一気に困難と不条理に見舞われて欲しいですわ~っ! 前編で紡いだ絆、友情、繋がり、それらを使って真正面から困難に立ち向かう補習授業部の皆の姿を想像すると――す、素晴らしいっ! 感動的だっ! はーっ、早く先生がズタボロになるシーン書きてぇですわ~! でももう少し、もう少しですのッ! まだ我慢、我慢ですわワタクシッ!
目に見えない捥げる手足の話なんですけれど~、やっぱり美食研究会やフウカの可愛い顔見るなら味覚障害ですわよねぇ~。サヤの薬でも負傷でも、大人のカードの代償でも何でも良いのですけれど~、美食研究会のメンバーとか、フウカのご飯とか毎日和気藹々と食べて~、でもってある日、夕飯を先生とイズミが一緒に食べる事になって、冷蔵庫にあった食品を片っ端から取り出してテーブルに並べるイズミの手の中に、実はフウカの作ったものではなくて、ジュリが作った料理が混入していますの。
でもそれに気付かず「先生、早く! 早く!」ってイズミが席に急かして、本当なら他の皆が集まってから食べる筈だったんだけれど、「もう待ちきれないから食べちゃお~っ!」ってイズミが一人で食べ始めるんだ。流石に先生は皆が来るまで待とうとするんだけれど、イズミは一人で食べるのも寂しいからって、「先生もほら、これだけでも食べてッ! 美味しいから!」って満面の笑みで勧めて来るもので、「なら、少しだけ貰おうかな」って小皿に取り分けたものを口に含む。
そうこうしている内に他の面々がやって来て、「すみません、遅くなりました、先生――」と口にしたフウカが目にしたのは、ジュリの料理を黙々と食べる先生とイズミ。見た目だけなら普通の料理に見えるそれは、実はとんでもない劇薬で、思わず蒼褪めた表情でフウカが叫びそうになるんだけれど、先生は何でもない笑みを浮べて、「お帰りフウカ、先に少しだけ頂いているよ、今日も美味しい料理、ありがとうね」って宣うんだ。
フウカは最初、「ぇ、あ、あれ……?」って困惑した様子で、そんな彼女に「どうしたの?」って先生は問い掛けて。フウカは色々思う所はあるんだけれど、「な、何でもないですよ、何でも……」って云って、その日の食事会は何もない内に終わる。けれど誰も居なくなった後、フウカは一人で先生の食べた残り物を口に含んで、思わず口を覆って、「な、なんで……?」って狼狽して欲しい。その内、皆に振る舞う料理の中で、一品だけ態と味を悪くして出して欲しい。食に矜持を持つ彼女が、その信条を曲げてでも先生の疑惑を晴らしたいと動くのだ。それに目敏く気付いたハルナが、食事の席で「フウカさん、これは――?」とやや困惑した表情で問い掛けるんだけれど、どこか固唾を飲み込んで、強い意志を見せるフウカに口を挟めない。
それで、先生がそれに手を付けるまでじっと待って、先生がそれを口に含んで咀嚼した後、恐る恐る、「ど、どうですか?」って問いかけるんだ。先生は目を瞬かせた後、「うん? いつも通り、美味しいよ」って口にして、フウカは内心で呆然とする。そしてハルナも先生の様子がおかしい事に気付いて、訝し気に先生を見た後、彼が箸を付けたそれをそっと口に含んで、「――こ、れは」って愕然として欲しい。
そして彼女は先生を信じられない目で見た後、フウカにそっと強い視線を向けるんだ。
此処で先生に、「――いつから、ですか」って詰め寄っても良いし、フウカと二人きりの時に真剣な表情で話し合って貰っても構わない。「前は普通だった」とか、「いつからこうなっていたのか分からない」って不安そうに呟くフウカとかめちゃ見たい。これが大人のカードの代償なら、味覚の次に失われるのは何だろうか? 視力か、聴力か、嗅覚か、触覚か――そういったものに怯えながら、先生の傍を離れなくなるハルナ概念とかとてもすここここ。
シャーレの執務中に寝入ってしまって、当番のハルナが「あら、漸くお目覚めですのね」って微笑んだあと、「あれ……私、寝ちゃってた?」って先生が寝ぼけた様子で瞼を擦って。「えぇ、それはもう、ぐっすりと」と笑みを零すハルナに、「参ったな……もうこんなに暗いなんて、電気、付けなかったのかい?」って昼間なのに口にして、ハルナの体を凍り付かせたい。目が見えなくなった先生とか最高にエモですわ~~~~ッ!
でも泣いている生徒の表情を先生にお見せ出来ないという一点のみ、わたくしとしては不服ですの。先生の脳に直接生徒の泣き顔を念写する能力が欲しいですわね……。そしたら毎日、毎朝、毎晩、先生に生徒のお顔をお見せして差し上げますのに……。