「はぁっ、はっ! ま、撒いたんでしょうか……?」
「お、追って来る様子はないけれど……」
息も絶え絶えに、ヒフミとコハルが背後を見る。スラムの雑多な街並みは遥か遠くに、その残光がちらちらと掠めるのみ。街の交差点へと差し掛かった補習授業部は足を止め、先頭を駆けていたアズサも愛銃を抱え直し、油断なく周囲を観察していた。
「あ、アズサちゃん、此処は――」
「うん、もうゲヘナ自治区の内部、スラムは抜けられた」
「そ、そうですか……!」
その言葉に胸を撫で下ろすヒフミ。兎にも角にも、あの治安最悪の場所を抜けられたようだと、コハルも安堵の息を零す。
「何だか、爆発音とか、銃声が背後から沢山聞こえましたけれど……一体?」
「わ、分かんないけれど、流れ弾が偶然別の不良に当たって、仲間割れとか……?」
「可能性としては、あり得るけれど――」
「……どの勢力も、決して一枚岩ではありませんからね」
そう云って、少し遅れて走っていたハナコが合流する。彼女はいつも通りの笑みを浮かべ、その表情に疲労の色はない。ヒフミは銃を抱えたままハナコに駆け寄り、その背中でぐったりする先生を覗き込んだ。
「せ、先生も御無事ですか?」
「すぅー……すぅうぅううううッ――」
しかし、先生は他の事に夢中であった。ハナコの髪をベールの様に被り、その首元に顔を引っ付けている。その異様な姿にヒフミは戸惑い、思わずその肩を揺すった。
「せ、先生……?」
「ん――あぁ、ごめん、ハナコを吸うのに夢中になっていたよ」
「す、吸う……?」
「あらあら♡」
先生はヒフミの声に顔を上げると、酷く真剣な表情でそう告げた。吸う、という動作の意味を計りかねたヒフミは困惑の声を上げ、先生に吸われていたハナコは上機嫌に頬を染めると恍惚とした表情で告げる。
「先生、髪なんかで良いのですか? 今ならもっと香りの強い場所とか……」
「――えっ、良いんですか?」
「先生!?」
「な、何やってんのこんな時にッ!? エッチなのは駄目! この淫行教師ッ!」
「――酷い風評被害だ、断固として遺憾の意を表明する」
先生はとても悲しそうに呟いた。ただ生徒におんぶされたまま髪の毛に顔を埋めて深呼吸していただけなのに……一体どうして、何でそんな酷い事を云うんだ。
先生は深く傷ついた。
「……皆、作戦行動中は静かに、それと道路のど真ん中で止まるのは感心しない、壁際に寄って、狙撃を警戒しよう」
「え、あ、は、はい……」
「――あ、ハナコ、もう降ろしてくれて良いよ、此処までありがとう」
「あら、もう良いんですか? 何ならずっと背負っていても構いませんが……♡」
「先生が先生じゃなくなっちゃうから、遠慮しておくね」
酷く真面目なアズサの言葉に、補習授業部はおずおずと建物の壁に身を寄せる。先生もハナコに一言礼を告げ背中を降りると、皆に続く形でビルの影に身を寄せた。間、「エ駄死!」と叫んでいるコハルを宥め、先生はシッテムの箱を確認する。
アズサは、背後から迫る車両を誰かが狙撃した事に気付いていた。一応、第一射で不良を狙ったという事は、味方の可能性もある訳だが――警戒するに越した事はない。周囲に目を光らせ、愛銃のグリップを強く握り締める。
「……どうも、街の様子が変だ」
「えっ、そう……ですか?」
アズサがそう、周囲を観察したまま告げる。ヒフミも疑問の声を上げながら辺りを見回せば、殆ど光が落ち、街灯にのみ周囲を照らされた街並みが視界に映った。時折、自販機の光が明滅し、暗闇に光が差し込む。補習授業部の声だけが周囲に響いていた。
「……確かに、幾ら夜中とは云え、人の気配が全くありませんね?」
「い、云われてみれば……」
「むっ――」
ふと、周囲に乾いた音が鳴り響く。銃声だ。アズサが顔を険しくさせ、その場で膝を突き射撃体勢を取る。
「今のは、銃声?」
「ど、どこかで戦闘が? 方向的には、スラムじゃないよね?」
「違う」
耳を澄ませていたアズサは否定を口にする。先程の銃声は、スラムの方角から鳴り響いて来たものではなかった。それに、これだけ距離が離れていれば、スラムでの戦闘音は既に聞こえる筈もなし。大きな爆発でもあれば別だろうが、それこそ迫撃砲だとか、爆撃レベルでなければ無理だ。
「音の方向的には――恐らく、こっちですね」
そう云ってハナコが指差した方向は、ゲヘナ外郭と中央区を結ぶ大橋。交差点を曲がった直ぐ先の場所であり、等間隔で並ぶ街灯が遥か向こうまでを照らしていた。
「……確か、目的地の第十五エリア、その最短ルートは此処を真っ直ぐの筈」
「と、いう事は――」
「うん、銃声のする方に行くことになる」
「えぇ……」
アズサの言葉に、コハルは露骨に嫌そうな声を漏らした。ヒフミも不安げな表情を隠せず、暗闇の向こう側を見つめる。しかし、残念ながら今の補習授業部には遠回りをするだけの時間的余裕がない。直線距離で向かえる道があるのならば、使わない理由がなかった。アズサは愛銃のマガジンを一度抜き取り、新しい弾倉に換装しながら告げた。
「目的地には早めに到着した方が良い、遠回りするだけの時間もないし――先生?」
「うん、そうだね……アズサの云う通り、距離と移動ルートを考えると余り余裕はないかも」
「そ、そうですか……うぅ、気は進みませんが――!」
先生とアズサの言もあり、補習授業部は大橋へと足を向ける。試験に遅刻したら目も当てられない、それはその通りだ。せめて、何事もなく通過出来ますように。そんな事を心の中で考え、ヒフミは大橋の方へと駆け出した。
■
「ふぅ、結構長いですね、この橋……」
「外郭地区と中央区を繋ぐ橋ですからね、それも仕方ありません」
「って……あれ、何か向こうに人が居ない?」
「えっと……検問、でしょうか?」
「あの恰好――ゲヘナ風紀委員会の制服だ」
大橋の歩道を駆ける事数分、橋の中程まで進んだ補習授業部は、進行方向に検問が在る事に気付いた。
ゲヘナ風紀委員会の文字が躍る車両に、ポールと通行禁止のテープ。その両脇と奥には複数人の風紀委員会の姿が見える。彼女達は検問に近付く補習授業部に気付くと、肩に下げた銃に手を掛け乍ら声を張り上げた。
「止まれ! 此処から先は現在立ち入り禁止だ!」
「え、えぇ……た、立ち入り禁止ですか?」
近付き、互いの顔が見える距離まで進んだヒフミは困惑の声を上げる。街灯に照らされ、帽子を目深く被った風紀委員はヒフミ達を見て、少なくとも話の通じない輩ではない様だと銃口を下げた。ゲヘナ自治区では出会い頭に銃弾を叩き込んでくる不良も少なくない為、その対応は一般的なのだ。
「そうだ、温泉開発部の連中が暴れていてな、現在風紀委員会が対応中だ」
「お、温泉開発部……」
「うむ……というか、今日は街全体に外出禁止令が出されているだろう? 緊急の要件なら区間別対応窓口に――うん?」
ゲヘナ風紀委員会の一人は、補習授業部の面々を眺めながら淡々と事情を話し――闇夜の中でも分かる、その白い制服に思わず動きを止めた。
「待て、お前、その制服……まさか、トリニティか?」
「あ、あぅ」
ヒフミの制服に気付いた風紀委員は、まさかと云わんばかりに目を見開き、その態度を硬化させる。先程まで下げられていた銃口が再び向けられ、じりじりと後退しながら彼女は叫んだ。
「どうしてこんな場所にトリニティの生徒が――此処はゲヘナ自治区だぞ、ゲヘナに何の用だ? 目的は!?」
「い、いえ、その、私達は別に何かを企んでいるとか、そんな事はなくて、試験を受けに来ただけでして……」
「試験? 何でトリニティの生徒がゲヘナ自治区で試験を受ける必要があるんだ!? 意味が分からんぞ! 吐くならもっと真面な嘘を吐け!」
「な、なんて正論……」
トリニティからゲヘナへ転校する場合ならば編入試験などもあるだろうが、そもそも形式的なモノである上に両校から転校などまずあり得ない。そんな時期でもなければ、こんな真夜中に行う試験とか何だソレという話である。
風紀委員の正論にヒフミは言葉を失くし、思わず口を噤む。
そして最悪な事に、後方で縮こまっていたコハルの姿が彼女の目に留まった。
「――ッ! その制服、お前、まさか正義実現委員会かッ!?」
「えっ……!?」
急に指差され、大声で怒鳴られたコハルは肩を跳ねさせる。
トリニティの校章が描かれた上で黒色の制服は、正義実現委員会の証。一般生徒が着用しないその色は、風紀委員を大層驚かせ、焦燥させた。
「条約締結前にゲヘナ自治区に正義実現委員を派遣だと!? 正気かトリニティ!?」
「えぇっ!? い、いや、そのッ、そ、そうなんだけれど、今は違うっていうか、う、うぅ……!」
「むぅ……」
コハルは現在補習授業部預かりとなっており、正確に云えば正義実現委員会ではない。しかし、古巣は正義実現委員会な訳で、更に言えばこの補習授業部も一時的な所属に過ぎない為、卒業すれば正義実現委員会に復帰する。
その事を考えると、正義実現委員会か? と問われればイエスでもあり、しかし現在に限って云えばノーでもあるという、何とも複雑怪奇な所属をしていた。
アズサはそれを一から説明しても理解される事はないという結論に達し、下ろしていた愛銃を構えた。
「――仕方ない、倒して進もう」
「えぇッ!? ご、誤解が深まりませんか!?」
「ちょ、ストップ! 待って、これには事情が――」
流石にこれ以上拗れるのは拙い、そう思った先生が飛び出し叫んだ所で――目の前で盛大な爆発が起きた。
それは、本当に唐突な攻撃であった。
何か筒が抜ける様な軽い音、次いで放物線を描いだ投擲物が先生たちの数十メートル先、丁度風紀委員会のど真ん中に着弾し、炸裂。車両やら何やらを巻き込み、数メートル先に立っていた風紀委員会達が軒並み宙へ打ち上げられた。
「のわぁぁあッ!?」
「ぐああぁあッ!?」
悲鳴を上げ、爆炎と砂塵を撒き散らし、風紀委員会の面々はアスファルトへと叩きつけられる。一拍遅れて爆発した車両がひっくり返り、ヒフミは唐突に起きた惨状に顔を蒼褪めさせ、そして隣で目を瞬かせるアズサに掴み掛った。
「あ、アズサちゃんんんっ!?」
「……い、いや、ヒフミ、待って、私は手を出していない」
「……そうですね、今の攻撃、私達の後方から飛んできました、一体誰が――」
ハナコが先生を爆発の余波から庇いながらそう呟けば、甲高いブレーキ音が背後から響いた。見れば凄まじいドリフトを見せる車両が一台、補習授業部の直ぐ傍で停車する。『給食』と描かれたその車両に乗るのは、見慣れた改造制服を身に纏う美食の求道者。
「あら☆ やっぱり先生でしたかっ!」
「大当たりでしたわね、ご機嫌よう先生――こんな時間に、一体なにをなさっているので?」
「――アカリ、ハルナ……!」
ハンドルを握って星を飛ばすアカリと、シートに足を駆けながら愛銃を担ぐハルナ。彼女達、美食研究会の登場に補習授業部の面々は浮足立つ。
「あ、あれ!? 確かこの間戦った、ゲヘナの――!?」
「あら、アクアリウムを襲撃した……」
「え、えっと……? も、もう何が何やら……」
突然の出現、そして風紀委員会の爆散。恐らく状況からして彼女達がグレネードか何かを撃ち込んだのだろうが――素性と経緯を考えると、完全な味方とも言い難い。アズサの指先が、そっと引き金に掛かった。
「――アズサ、大丈夫、今は敵じゃないよ」
「む……そうか、先生がそう云うのなら――」
以前戦った相手という事もあり警戒を見せていたが、先生の言葉でアズサは引き金から指を離す。一先ず、皆を代表して先生が前へと踏み出せば、補習授業部の面々を眺めていたハルナが首を傾げた。
「他の方々は、確かトリニティでお見かけした気がしますが……」
「――ごめん、ハルナ、アカリ、突然だけど助けて欲しい」
「あら……?」
■
「……成程、状況は概ね理解しました、兎に角この場所に行かねばならないのですね?」
「うん、頼めるかな?」
先生から凡その事情を聞いたハルナは、どこか考え込むように自身の顎先をひと撫ですると、一も二もなく頷き告げる。
「えぇ、喜んで――と云いたい所ですが、タイミングが悪かったですわね……この辺りは今、それなりに大きな騒動になっていまして」
「そ、騒動……?」
コハルが戦々恐々とした様子で問いかければ、運転席のアカリが指を立て、朗らかな笑みと共に口を開く。
「はい、温泉開発部が市街地のど真ん中をドカン☆ と爆発させたとかで、兎に角滅茶苦茶な状態なんですよ~」
「そのせいで風紀委員会も慌ただしく動いている状態でして……まぁ、その機に乗じて風紀委員会の牢屋から抜け出せたのですけれど、ふふっ♪」
「そ、それは、何と云うか……」
もしかしなくても、この人達、ヤバいのでは? そんな思考がヒフミの脳裏を過る。いや、そもそもゲヘナの生徒であるのにトリニティ自治区にカチコミを掛けて来る時点でヤバいのだが、それはそれとして平気で脱走するし、先程も風紀委員会にグレネードランチャーを撃ち込んでいたし――何故だろう、彼女達と同行するという未来に絶大な不安が感じられた。
しかし、その温泉開発部? というのも其処らで暴れ倒して、市街地のど真ん中を爆発させる位だから、寧ろこれがゲヘナではデフォルトの可能性が……。ヒフミの中で、ゲヘナという名前の自治区が人外魔境の地と化していた。
「それに非常事態という事もあって、またしてもその場に偶然居合わせた給食部のフウカさんが、部の車を快く貸し出してくれまして☆」
「んんッ!? んーっ! んんーッ!?」
「新調したばかりの車を貸し出してくれるなんて……これぞ美しい友情という奴ですね☆」
「……その友情のお相手、縛られたままトランクに積まれていませんか?」
アカリがウィンクと共に星を飛ばせば、その美しい友情を示す相手が必死に首を横に振るのが見えた。絶対に貸し出していない、強奪したのだ。そう分かる程の必死の否定であった。ハナコは思わず苦笑を零す。
「問題ありませんわ、フウカさんはこういった事に慣れていらっしゃいますので」
「もはや専門家といっても過言ではありませんね!」
「え、えぇ……」
それはつまり、毎回誘拐されているという事なのだろうか。補習授業部のフウカを見る目が、酷く不憫な、可哀そうな生き物を見るものに変わった。フウカは全くの第三者にそんな目で見つめられ、思わず涙を浮かべる。
――私、何も悪い事していないのに……どうして。
全く以てその通りであった。
『――ハルナ、アカリ! 今どこ居るの!? こっちも包囲網を破ったけれど、合流出来そう!?』
『いだ、あだだだッ!? な、何か私ばっかり撃たれていない!? まだ追いかけてきているんだけれどーッ!?』
ふと、ハルナの握った端末から声が響く。ジュンコとイズミだ。彼女達二人は別行動だったらしく、端末からは彼女達の声と銃声が鳴り響いていた。ハルナは手元の端末に視線を落とすと、凛とした声色のまま告げる。
「ジュンコさん、イズミさん、脱出作戦は中止です」
『えっ、何で!?』
唐突なそれに、ジュンコは驚愕の声を上げる。
ハルナは先生を横目に微笑むと、どこまでも超然とした様子で端末に告げた。
「ふふっ、先生に頼まれてしまっては断れませんもの――先生とトリニティの皆さんは、私達が責任を持ってご案内いたしますわ」
「ですね☆ 何はともあれ、どうぞ乗って下さい!」
「……ごめん、ありがとう」
先生は小さく頭を下げ、車両へと乗り込む。ついでに簀巻きにされたままのフウカに手を伸ばし、彼女を自身の膝元へと引っ張り上げた。簀巻きにされ、猿轡を嚙まされた彼女は潤んだ視線で先生を見上げる。
「っしょ、っと! フウカも、巻き込んでしまって、ごめんね」
「ん……んんっー……ん!」
「……ハルナ、せめて猿轡は外しちゃ駄目かな?」
「んー、そうですわね、走り出した後なら構いません」
今は駄目なのか。
先生は困惑した。
「え、えっと、それではよろしくお願いします……?」
「本当だ、給食って書いてある……じゃあ、失礼する」
「う、うぅ、大丈夫なの、これ……?」
「ふふっ、何事も経験ですね♡」
続々と乗り込んでくる補習授業部。給食部の車両はそれなりに大型で、後部座席には本来向き合う形で長シートが二つ並んでいたものを、給食部仕様として改造し簡易キッチンとも云える飯場設備を搭載していた。勿体ないが、それらの一部を降ろせば補習授業部全員でも乗車する事は可能だろう。
全員が乗車した事を確認し、アカリは笑みを零す。先生はそれを確認し、フウカを取り落とさないように強く抱きしめ、衝撃に備えた。
「では――確りと掴まっていて下さいねっ☆」
瞬間、甲高い音を響かせ急発進する車両。唐突なそれにハナコは驚きの声を上げ、ヒフミとコハルは悲鳴を漏らし床を転がった。アズサは車体の外装を掴み、直立不動の構え。
凄まじいエンジン音を靡かせ車両が大橋を爆走する。
第二次特別学力試験開始の時刻は、刻一刻と迫っていた。
「リーダー……?」
■
「ふぅ……」
溜息が漏れた。けれどそれは、悪い感情から出たものではなかった。
夕刻、放課後から少し時間が過ぎた校舎。正義実現委員会の教室を後にした彼女――サオリは大きく肩を回す。最近、バイトばかりしていた少し体が鈍ったか? なんて思いつつ空を見上げると、夕暮れが朱く世界を照らしており、その差し込む光に目を細めた。
サオリは、余り夕暮れが好きではなかった。幼い頃、赤一面に染まる世界と空が、何となく不気味に思えて、恐ろしかったのだ。
けれど今は、何故そう思ったのかさえ定かではない。今はこの夕刻を、存外彼女は好いていた。
「お疲れ、サッちゃん」
「――アツコ」
ふと、声が掛かる。振り向けば、薄紫色の髪を靡かせた幼馴染が正義実現委員会の出入り口に立っていた。壁に背を預け、所在なさげに佇む彼女はサオリに微笑み掛ける。
「また正義実現委員会に行っていたの?」
「……あぁ、まぁ、身体を動かすのは嫌いじゃないからな」
「困っている人、放っておけないもんね、サッちゃん」
「別に、そう云う訳じゃ――」
アツコのどこか揶揄う様な言葉に、サオリは頬を掻く。強く否定しなかったのは、それが図星だったからだ。自分でも難儀な性であると理解しているが、どうにも困ったり、落ち込んでいる生徒を見ると――放っておけない。
今日もそれが原因で騒動に巻き込まれ、正義実現委員会と協力する羽目になったのだ。もういっそ、正義実現委員会に入ったらどうだと三年のハスミ先輩には云われた。しかし、今の所そのつもりはない。
サオリは別段、自分だけの正義を持っている訳ではないから。
ただ――理不尽が許せないだけだ。
「サッちゃん、正義実現委員会に入ったりしないの?」
「あぁ、部活に入ると拘束時間があるからな、バイトの時間が減る」
「もう、偶には好きな事をしたら?」
「
そう云うと、アツコは無言でサオリの腕を叩いた。くつくつと笑いながらアツコのそれを受け流していると、廊下の向こう側から何か、人影が走って来るのが見える。何事かと視線を向ければ、白い髪を靡かせた見覚えのある人物がサオリに手を振りながら叫んでいた。
「あっ! いたっ! サオリ! アツコ!」
「アズサ? ……おい、廊下を走るな、危ないだろう」
彼女、アズサは片手に何やら雑誌を握り締め、サオリの元へと駆け寄る。そして目の前でブレーキを掛けるや否や、顔の前に突きつける形でその雑誌を開き、指差した。
「これ! 見てこれ! 限定ペロログッズ! 数量限定のレアものだ、初めて見た!」
「……例の、モモフレンズ? とかいう奴か」
何やら興奮した様子でそう叫ぶアズサに、サオリは目を瞬かせる。雑誌の中には、「伝説のペロロジラ、その秘密に迫る!」という見出しと共に、何か恐竜か鳥かカバか、良く分からない生物が大きくプリントされていた。その絶秒にアホっぽい表情に、サオリは苦笑を零す。
「私には良く分からないが……ん? というか、この雑誌――」
「か、返してくださいよ~っ!?」
「……やはり、ヒヨリのか」
サオリが何かに気付いた様に目を細めるのと、廊下の向こう側から誰かが駆けて来るのは同時だった。薄緑の髪をヘアピンで止めたヒヨリ、黒髪を肩口で切り揃えたミサキが、小走りでアズサを追って来ていた。
普段運動をしない為かヒヨリは肩で息をしており、ミサキの方は僅かに頬を紅潮させる程度。サオリはひーひー云いながら体を揺らすヒヨリの背を摩りながら、ミサキに目を向ける。
「ん、ミサキも来たんだな」
「うん、アズサが突然ヒヨリの雑誌を取って走り出したから、何事かと思って」
「救護騎士団の方は大丈夫なのか?」
「今日はお休み、最近は平和だよ……ミネ団長周り以外は」
「あの人は、相変わらずか――」
ミサキの飄々とした言葉に、サオリは思わず顔を引きつらせる。悪い人ではないと頭では理解しているのだが、どうにも短絡的というか、何と云うか――。
ヒヨリも呼吸が落ち着き、大きく深呼吸をした後、いつも通りのへらりとした笑顔を浮かべつつ呟く。
「わ、私も今日は図書委員会がお休みで、どうせなら皆でスイーツでも食べに行こうと思って、中庭で待っていたんです……えへへ」
「スイーツか、悪くないな――それとアズサ、雑誌はヒヨリに返してやれ」
「あ、うん、ごめん、ヒヨリ、モモフレンズの特集だったから、つい……」
「せ、せめて一言断ってから持って行ってくださいね……?」
そう云って差し出された雑誌を、丁寧にバッグへと収納するヒヨリ。雑誌収集の趣味が高じて図書委員会へと入った彼女だが、出動する機会はそれほど多くないと聞く。今日はどうやら全員の休みが被った日らしい。こういう日は、皆でスイーツを食べに行ったり、ウィンドウショッピングをするのが習慣だった。
「アズサはこのペロロちゃん? が本当に好きなんだね」
「うん、可愛いから好き、もふもふだし!」
「……そう云えば、私のクラスにその、ペロロ? のバッグを持っている生徒が居た気が――」
「何、それは本当かヒヨリ!? ぜひ紹介して欲しい!」
「あ、いや、そ、そのぅ、私そんな話した事もないクラスメイトでして……っ!?」
「落ち着けアズサ、それより廊下で立ち話も何だ、カフェに移動しよう」
アズサは常日頃から肌身離さず持っているペロログッズ――その縫い包みを抱えつつ、興奮した様にフンスと鼻を鳴らしている。サオリがその熱意に笑みを零しつつ移動を促せば、いつもの五人組は街へ繰り出す為に歩き出した。
――窓から差し込む
「今日は何食べましょうかね~……えへへ……」
「ヒヨリ、この前もスイーツ食べ放題で動けなくなる位食べてなかった?」
「だ、だって食べ放題なんですよ!? 一杯食べなきゃ損じゃないですかぁ!」
「だからって動けなくなる位食べないでよ、救護騎士団に運ぶの私なんだし」
「そ、その節は大変お世話になりました、ミサキさん……へへへ」
前を歩く三人は、他愛もない話をしながら笑顔を浮かべている。その背中を見つめながらサオリは、ふと、自身の胸に何か、暖かい感情が沸き上がるのを自覚した。
「……サッちゃん、どうしたの?」
「うん?」
「――何だか、とっても嬉しそう」
隣を歩いていたアツコがそう云って、サオリの口元を指差す。サオリは少しばかり面食らった様に自身の頬に手を当て、それから三人とアツコに目を向け。どこか恥ずかしそうに笑った。
「あぁ……皆でこうして、一緒に居られるのが、嬉しくてな」
声は余り大きくなかった筈だ。しかし、前を歩く三人にも聞こえた様で、彼女達はサオリの方へと振り向きながら目を瞬かせる。その表情には、疑問の色が濃く浮かんでいた。
「嬉しいって……いつも放課後に会っているじゃないですか?」
「うん、先週もカフェに皆で行ったし」
「……サオリ、もしかして体調悪い? 私、診ようか」
「いや、別に体調は悪くないぞミサキ、だから診る必要はない」
その反応に、サオリは肩を竦め、お道化る様に足を速める。四人を抜き、先頭に立った彼女は振り向き、頬を赤らめながら、何でもない事の様に告げた。
「まぁ、何だ、ただ何となくそう思っただけだ、本当に――ほら、早く行こう! 席が無くなるぞ!」
「あっ、ま、待って下さいよぅ!」
「サッちゃん、足速い」
「サオリ、さっき私に廊下を走るなって云ったのに!」
「これは早歩きだ、アズサ!」
「屁理屈……」
そんな事を云い合いながら、五人は笑顔で廊下を駆ける。笑い声が、夕日に照らされる廊下に響いた。今日は皆でスイーツを食べて、あれが美味い、どれがお得だの、明日は何がある、あれが食べたい、何処に行きたい、何に成りたいと、必ず来る未来の事を語り合うのだ。
もう直ぐ夏だ。
夏と云えば、夏休み。
そうだな――今度は、みんなで水着を買いに行こう。そして海に行くのだ。何なら旅行費用は自分が立て替えても構わない。その為に金を溜めていると云っても過言ではないから。
皆で、見た事もないものを見に行こう。皆で、美味いものを食べよう。皆で、楽しい事をしよう。
何、心配はいらない。
――私達ならば、どんな事だって乗り越えられる筈だ。
「あぁ、本当に――楽しみだな」
呟き、サオリは夕陽に目を向ける。
明日も、明後日も、明々後日も。
こうやって五人で、何て事の無い。
学校に行って、一緒に学んで、一緒に笑って、一緒に遊んで。そんな普通の、幸福な毎日を――。
■
「――リーダーッ!」
「ッ!?」
目が、覚めた。
愛銃を抱えたまま壁に背を預け、深く眠り込んでいた彼女――サオリは、目前で叫んだミサキの声で跳ね起きた。冷たいコンクリートの床、その上に転がる幾つかの保存食のパッケージと飲料水。そして弾込めの終わっていない弾倉。それらを目で追い、薄暗い部屋全体を確認する。廃墟の一室、その片隅で座り込んでいた自身を自覚したサオリは目を瞬かせ、目前のミサキを見つめる。
「……ミサキ?」
「……かなり魘されていたけれど、大丈夫?」
どこか心配げに、そう問いかける彼女。
サオリは自身の頬、口元を指先で擦り、先程までの光景が夢である事を知った。
知って――思わず乾いた笑いが漏れた。
先程まであった、暖かな朱色はもうどこにもない。清潔感に溢れ、何て事のない筈の廊下は冷たいコンクリートへと変貌し、外は既に闇夜に覆われている。
肌を撫でる冷たい空気に、コートを羽織り直しながらサオリは云った。
「……何でもない、気にするな――『姫』とヒヨリは?」
「ヒヨリは補給を受けに行っている、姫は例の……」
「あぁ――」
どこか言い難そうに口を開くミサキに、サオリは頷きを返す。恐らく、彼女の元だろう。何も珍しい事ではない。
ならば、後は。
「――アズサは」
「……?」
その問いかけに、ミサキは少しだけ面食らった様に目を見開いた。
そして訝しげにサオリを見た後、強い口調で答える。
「今、トリニティに潜入中、何云っているのリーダー?」
「……あぁ」
その答えに、サオリは思わず呻いた。指先で額を摩り、軽く叩く。どうやらまだ、夢が抜き切っていないらしい。その惰弱な精神に、心に、彼女は何とも形容し難い表情を浮かべる。
何を――夢見ているのだ、己は。
私達は、アリウススクワッド。
兵士であり、戦士であり、駒である。それ以上でも以下でもない。ただ戦場で戦う為の、道具に過ぎないのに。サオリは強く、強く後悔する。作業中に寝入ってしまった、自分自身を憎む。あぁ、なんてものを見せてくれたのだと。
「……そうだったな、少し、寝惚けていた」
「……最近、任務続きだったし、疲れているんでしょ、まだ寝ていても良いよ、私が見張るし」
「いや、良い」
告げ、サオリは立ち上がる。今、もう一度休むことは出来なかった。また、先程の夢を見てしまいそうで――その続きを見ることが、サオリにとっては酷く恐ろしい事に思えて仕方なかった。
弾込めの途中であった弾倉と弾を手に取り、愛銃を肩に引っ提げながら部屋の出入り口へと向う。未だ此方に視線を向けるミサキに、軽く手を振りながら。
「また寝たら、同じ夢を見てしまいそうだからな、見張りは私がやる」
「何、悪夢でも見たの?」
「あぁ――」
頷き、サオリは思わず微笑んだ。彼女らしくもない、優し気な笑みにミサキは面食らう。
そうだとも、あれは。
「――
その声は、少しだけ寂しそうに聞こえた。
■
公式PVでこの五人が仲間を殺し、爆殺され、生贄になり、自殺し、行方不明になるってマジ? 透き通る様な世界観が過ぎますわね……。わたくしにはそんな事、とても出来ませんわ……。
だからサオリには幸せな夢を一杯見せてあげますの、幸福な、普通のトリニティ生徒に生まれていたら? なんて「IF」の可能性を。優しいでしょう? 一時でも幸せに浸れるのは、とても幸運な事ですわ。
まぁ所詮、夢に過ぎませんけれど。