ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、あ゛り゛か゛と゛う゛!!!
今回一万三千字です、長くてごめんあそばせ。


昔日の面影、あの頃のアナタへ

 

「はぁっ……はぁッ……!」

 

 駆ける。駆ける。ただ無心になって――駆ける。

 闇夜に紛れ、風紀委員会や他の生徒の目を掻い潜り、補習授業部はゲヘナ自治区を駆け回っていた。先生の指示通り、ゲヘナとの交戦、接触を避けトリニティへの道を逆走する。美食研究会の車――いや、正確に云えば給食部の備品だが――を使用して走破した道は、自身の足で駆けるとなると酷く長く、遠い道のりに感じられた。

 一時間と少し、なるべく近道を通り、かつ風紀委員の目を掻い潜りながら駆け続けた補習授業部は、漸く見覚えのある場所に辿り着いた。等間隔に並ぶ街灯、中央区と外郭地区を結ぶ唯一の道。

 

「大橋……! やっと見えた……っ!」

 

 ヒフミが呟き、全員が視界に入った大橋に安堵の息を吐き出す。単純な疲労もそうだが、ゲヘナに発見されないようにするという精神的重圧が、彼女達の額に汗を浮かばせていた。ハナコの背中でぐったりとする先生を見たコハルは、その背中を摩りながら不安げに問いかける。

 

「先生、し、しっかり……!」

「ぅ……あ、ぁ――私は、大丈夫、だよ、コハル……」

 

 唇に血を滲ませながら、先生は微笑みを浮かべる。徐々に呂律が回る様になってきている。しかし、未だ平衡感覚は取り戻せておらず、自分で走る事は困難だった。ヒフミは先生の様子に唾を呑み込みながら、大橋に向き直る。

 

「急ぎましょう、このまま真っ直ぐ橋を……!」

「っ――待て、ヒフミ」

 

 告げ、飛び出そうとするヒフミを止めるアズサ。彼女は強張った表情のまま、大橋を見ていた。一体どうしたのだとヒフミがアズサの視線をなぞれば、その先に装甲車が数台並んでいるのが確認出来た。そして、大橋を封鎖するように並んだその前には――ゲヘナ風紀委員会の面々が列を成している。手には銃を抱え、中央区側に向けて装甲車は機銃を構えていた。

 

「――検問だ」

「っ、そんな、こんな時に――……!」

 

 思わず、そう悪態を吐くヒフミ。握り締めた愛銃が軋みを上げ、ヒフミの視線が焦燥を帯びた。ハナコやアズサはじっと大橋を観察し、凡その戦力と動向を把握する。

 

「……美食研究会の皆さんと渡った時に、風紀委員会を爆撃したのが拙かった様ですね、あれは、かなり厳重な警備です」

「うん、装甲車に汎用機関銃が付いている、それが三台――これを突破するのは、大分骨だ」

 

 この橋を渡った際、風紀委員が爆破された為だろう。行きよりも厳重な警備は、彼女達が本腰を入れた事を示していた。心なしか、警備の風紀委員達も張り詰めた空気を醸し出している。アズサは眉間に皺を寄せたまま、どうやってこの大橋を突破するべきか思考を回した。

 しかし、現状の補習授業部でこの検問を突破出来るか――正直、かなり厳しいと云わざるを得ない。

 

「も、もう訳を話して通して貰うか、救急車を呼んで貰っちゃ駄目なの!? 先生、こんなに傷だらけで、相手がゲヘナでも、ちゃんと事情を話せば……!」

「………」

 

 コハルはアズサやハナコの放つ重苦しい雰囲気に、目前の大橋が突破困難なのだと感じ取った。先生の様子と現状を照らし合わせ、妥協案とも呼べるそれを叫ぶ。実際、先生の状態を見れば一も二もなくゲヘナに事情を話し、保護して貰うという案は決して悪いものではない。寧ろ、先生の無事を第一に考えるのであれば、それが最善手と云っても良い。

 しかし、ハナコはその言葉に何とも言い難い、葛藤の表情を浮かべた。

 自分だけならば、それでも構わない――しかし。

 

「……正直、私はその案に賛成出来ません」

「な、何でっ!?」

 

 呟くように、絞り出すように口にされたハナコの答え。それに、コハルは思わず噛み付く。アズサは苦悩するハナコの顔を一瞥し、呟いた。

 

「――トリニティに戻った際の処遇、か」

「……はい」

 

 アズサの吐き捨てる様な言葉に、ハナコは頷いて見せた。

 そもそもの話――このゲヘナ自治区で行われた第二次特別学力試験。事前に話がゲヘナに通っているのであれば、もっとすんなりと辿り着けた筈なのだ。しかし、ゲヘナ側に話が通っている様子はなく、挙句の果てに爆破される始末。

 この、ゲヘナ自治区に於ける第二次特別学力試験そのものがティーパーティー、延いてはトリニティ側の独断である事は明らかだった。その状態でゲヘナ側に保護を願い出る? それはかなりリスキーな選択だった。

 

「そもそも、救急車何て手配出来るのならば、既にされていて当然なんですよ……思い出してください、受験会場で聞いたナギサさんの言葉を」

「え? ――ぁ……」

 

 ――『一応、引き続きモニタリングはさせて頂いておりますので、その事をお忘れなく』

 

「つまり、今この状況――私達と先生がどれだけ追い詰められているのか、ティーパーティー……ナギサさんは知っていて、その上で黙認しているんです」

「っ……!」

 

 これは全て、意図されて起きたもの。ハナコの言葉に、ヒフミやコハルは息を呑む。もしそうならば、ゲヘナに保護を願い出た結果、自分達はどうなるのか。その後の展開を予想するのは、そう難しくはない。

 

「……仮にゲヘナ風紀委員会へと投降するとしましょう、恐らく先生は手厚く看護される筈です、しかし」

「――私達はどうなるか、分からない……って事ですよね」

「……はい」

 

 ヒフミの言葉に、ハナコは頷く。

 それが、自分だけならば構わないと考えた理由だ。

 ティーパーティー――ナギサは用意周到である。それでいて酷く慎重で、他人を疑い通す猜疑心に満ちた人物でもある。そんな彼女が万が一、補習授業部がゲヘナに確保された場合を考えていない筈がない。

 

「そもそも、この『第二次特別学力試験』というものが実施された事実は無かった……そんな事になれば、私達は深夜に無断でゲヘナ自治区に踏み入り、風紀委員会と銃撃戦を繰り広げた立派なテロリストとして扱われるでしょう――退学させる要件としては、十二分な【実績】です」

「は、はぁ!? な、なんで、そんな事する必要があるの……!?」

「彼女は私達を退学にさせたいのですよ、コハルちゃん――その為に、この補習授業部は作られたのですから」

 

 故に、最終的に『退学』という結果に行きつくのであれば、そこに至るプロセスは大事ではないのだ。

 謂れの無い罪を被せて退学にするも良し、他所の自治区侵犯という罪で退学にするも良し――特別学力試験に落第させ、退学させるも良し。

 その中で議会を納得させるだけの説得力のある内容であれば尚よろしい。その点、エデン条約前というデリケートな時期に、ゲヘナへの無断侵犯、風紀委員会との交戦、先生の負傷は正に言い逃れ出来ない程の実績であった。

 

「……ナギサさんのホログラム投影装置も、あの榴弾も、爆発で消失しましたから、最早あの場で『試験があった』という物的証拠はありません、ティーパーティーが口を噤めば、簡単に事は済むんです」

「で、でも、私達が声を上げれば……!」

「補習授業部なんて落ちこぼれの一般生徒と、ティーパーティーのホスト(トリニティ総合学園の生徒会長)――どちらの発言に、学園は耳を傾けると思いますか?」

「あ、あうぅ……」

「そん、な……」

 

 ハナコの言葉に、ヒフミとコハルは言葉を失くす。

『ここまでやるのか』、ハナコが何故そう口にしたのか、二人は漸くその言葉の重みを理解した。二重、三重に張り巡らせた蜘蛛の糸。どれか一つにでも絡め捕られてしまえば、その時点で補習授業部は退学へと追いやられる。その手口一つ一つがナギサの、ティーパーティーの意思であり、どれ程自分達を追い込もうとしているのか、その本気具合が伺えた。

 

「……先生を巻き込んだのも、あわよくば――という裏返しか」

「断言は出来ませんが……補習授業部にシャーレの権限を組み込む為に、先生の助力が必要だった、しかしその先生が自身の方針に賛同しなかった――敵に回った先生、その影響力は、ナギサさんにとってさぞ恐ろしく思えたでしょう」

 

 先生を背負ったまま、ハナコは沈黙する彼を見る。先生は目を伏せ、ただ辛そうに歯を食い縛っていた。ふとすると、口の端から血を流しそうな程に強く。それが、物理的な痛みによるものではない事をハナコは理解している。

 

 補習授業部は皆、一般生徒の領域を出ない有象無象。ティーパーティーというトリニティに於いて絶対的な権力を有するナギサから見れば、正に取るに足らない存在だろう。その潜在的な能力や才覚(不穏分子としての性質)を警戒していても、現状、すぐさま何かを、誰かを動かすような力は有していないのだ。

 ナギサ本人がそう思って居なくとも、他の生徒はそういう風に(肩書を)見る。

 しかし、先生は違う。彼が声を上げれば、多くの学園、生徒が耳を傾けるだろう。連邦生徒会という後ろ盾を持ち、数多の実績を持つシャーレの名はキヴォトス全域に知れ渡っている。

 恐ろしい筈だ、味方にすればこれ以上ない程頼れる程の大人、しかし敵に回ればその脅威度は未知数。ならば、自身の手を汚さずに他学園に罪を擦り付ける――そんな方法を考えてもおかしくはない。

 

 ――或いは、そこまでやるつもりはなかったのか。

 

 ハナコは嘗てのナギサを思い浮かべながら、そう思考する。彼女の本当の思惑は分からない、しかし現に自分達は先生ごと爆破され、窮地に陥っている。既に賽は投げられたのだ、結果的に『そういう風に考えられてしまう』のだ――それが正しかろうと、間違いであろうと。

 それを理解した上で、こういった選択を選んでいるのであれば。

 ナギサは、先生の、その善意すらも利用するだろう。

 

 ――先生はきっと、ナギサのその悪行を口外しない。

 

 ハナコはそう、確信していた。

 先生とナギサは、恐らく議論を重ねた筈だ。そして先生は自身の信条を、目指すところを明確に口にした。先生のスタンスは、遍く生徒に救いの手を差し伸べる事。誰も切り捨てず、皆の笑顔を望む在り方。

 そして――皆の中に、『ナギサ』も居る。

 仮にゲヘナに保護されようと、ナギサの不利になる様な事を口にしない。その確信があるのだ、彼女は。だからこそ、このような暴挙に踏み切った。

 そういう風にも、考える事も出来た。

 無意識の内に、ハナコは歯を食い縛る。

 

「――ハナコ、どうする、迂回するのか?」

「そんな悠長な事していて大丈夫なの……もう、時間が――!?」

「………」

 

 アズサの言葉に、思考の沼へと沈んでいた彼女は意識を浮上させる。

 ハナコは腕時計を見下ろす。時刻は既に払暁に迫っていた。もう少しすれば、薄明へと至るだろう。夜明けだ、そして完全に朝が来る前にトリニティへと帰還できなければ、どちらにせよ補習授業部は窮地に追いやられる。

 約束の時間までに、試験を終えて戻って来て下さい――そうナギサは口にしていた。

 その約束の時間とは、恐らく『合宿の授業開始時間』までに、という事だとハナコは考えた。その時間に間に合わなければ欠席と見做し、『サボタージュ』として処理する。それだけで退学という事はならないだろうが、『合宿中にサボタージュが見られた為、内申点で試験結果から十点差し引きます』――何て手を使って来ないという確信はなかった。責められるべき点は、限りなく失くさねばならない。

 先生の容態からしても、時間を掛ける事は悪手に思えた。ましてや相手はゲヘナ風紀委員会――他の騒動が収拾すれば、自然と警備も厚くなる筈だ。

 

 時間は敵だった、少なくとも今、この時に於いては。

 ハナコはあらゆる可能性を検討する。そして、その中で可能性が高く、かつ時間を掛けない策は――一つしかなかった。

 

「――アズサちゃん、お願いがあります」

「………」

 

 ハナコはアズサに向き直り、神妙な顔でそう告げる。どこか、腹の据わったそれを向けられたアズサは――事、戦闘に特化させたその思考を巡らせ、ハナコと同じ解を導き出した。数秒、視線を交わし合った二人。アズサは少しして視線を落とすと、静かに頷く。

 

「何となく分かった、うん、大丈夫――任せて」

「……ごめんなさい、アズサちゃん」

「気にしなくて良い、それが一番確実で、安全な筈だから」

 

 告げ、アズサは愛銃の弾倉を検める。出発してから一度も使用しなかったそれは、満杯のまま。背負っていた背嚢から手榴弾やら即席爆弾を取り出すアズサを、残りの二人は目を白黒させながら見つめる。

 

「な、何するつもり……?」

「アズサちゃん……?」

 

 何の具体的なやり取りもなく、行動を決定した二人。コハルとヒフミからすれば、訳が分からなかった。弾倉を嵌め直したアズサは、大橋を見つめながら言葉を紡ぐ。その体は、いつも通り、どこまでも自然体だ。

 

「――私が大橋に突貫して、囮をする、その間にヒフミ達は先生と向こうに渡って」

「そ、そんな!?」

「む、無茶でしょ、そんなの!?」

 

 アズサの言葉に、二人は思わず声を荒げる。少なくとも風紀委員会の規模からして、たった一人で相手取れる戦力ではないと確信している。これが不良程度ならばまだしも、装備も練度も熟達した風紀委員会が相手なのだ。

 

「囮って、向こうはあんな大勢で橋を封鎖しているのに……!」

「ゲリラ戦は得意だ、問題ない……それに、多分これが一番確実な方法だ」

 

 回り道をする時間は惜しい、しかし強行突破は難しい。

 なら、誰か一人を囮に、残りが橋を渡るという方法が最も安全かつ迅速である。

 万が一アズサが失敗して、時間内に学校へ戻れなくとも――補習授業部全員ではなく、あくまでアズサ個人の失態として切り抜ける事が出来る。

 補習授業部の落第云々は連帯責任の為、万が一彼女の試験に支障が出てしまえば落第の危機はそのままであるが――補習授業部全員が吊し上げられるよりは、余程良い。

 

「私の事は気にしないで、トリニティに帰還してくれ、こっちはひとりで何とかする」

「で、でも……ならせめて、私も――!」

「いや、単独の方が攪乱には向いている、それに万が一部隊を分けられたら、突破する為の戦力も残しておかないと」

 

 告げ、アズサはヒフミを見る。全員がアズサを追跡してくるかは、正直怪しい所だ。最初に煙幕を投げ込み、手持ちの手榴弾やら何やらを全て投げ込み、然も複数人で行動しているかのように見せかける必要がある。装備としては不足も良いところだった。しかし、いつもアズサはそうやって戦ってきた。手持ちの武装、使える条件、それで切り抜けるしかない。ならば適役は――ゲリラ戦を学んだ己をおいて他にない。

 

「――それじゃあ行って来る、先生をお願い」

「……ぁ」

 

 そう云って、アズサはヒフミの横を通り抜ける。いつも通りの仏頂面で、しかしどこか強い戦意を湛えた瞳で。ヒフミは咄嗟に何かを云おうとした。それが何であるのか、彼女にも分からなかった。でも、このまま行かせてはいけない様な気がして――。

 

「っ――?」

 

 けれど、ヒフミが何かを口にするより早く、アズサの腕を横合いから伸びた手が掴んだ。

 

「……先生?」

「だ……」

 

 ハナコに背負われていた先生が、その脇を通り過ぎようとしたアズサを掴んでいた。血と砂利に塗れ、力ないそれにアズサは目を見開く。先生は、顔を歪めたまま強く、息を吐き出すように云った。

 

「駄目、だ――アズサ……」

 

 アズサの腕に、先生の熱が伝わる。弱々しい力だった、簡単に振りほどけてしまう程の力だった。けれど、アズサは自身を掴む先生のソレに手を重ねながら、困ったように目を伏せ、告げる。

 

「……でも先生、他に選択肢は――」

「大丈、夫」

 

 アズサの声を遮って、先生は告げる。大丈夫、と。アズサは先生の瞳を見た。負傷しながらも、決してその輝きを失わない瞳を、真っ直ぐ。

 

「私には、頼りになる……生徒が、沢山、いるからね……!」

 

 それは、何かを確信している様な云い方だった。「何を――」アズサがそう云おうとして、大橋で唐突に爆発が巻き起こる。かなりの規模で、爆風が離れたヒフミ達に届く程の一撃。然もすれば、大橋が落ちてしまうのではと思ってしまう程の威力であった。

 真下の水面が大きく揺れ、波が生まれる。夜空を明るく照らし、煌々と燃え盛る炎に目を取られながら、補習授業部の面々は爆風に髪を煽られながら叫んだ。

 

「っ、な、何ですか!?」

「きゅ、急に爆発が……!?」

 

 ■

 

「――ふーッ……」

 

 彼女は特徴的な狐面を指先でなぞりながら、深い、深い息を吐いた。突貫させた軽装甲車――スラム街で鹵獲したそれに、ありったけの即席爆弾を搭載させた車両運搬式即席爆発装置(Vehicle Borne IED)は見事、大橋を封鎖していた風紀委員会のど真ん中に突貫し、炸裂した。

 盛大な爆発に並んでいた装甲車は軒並み大破、列を成して警戒していた風紀委員諸共吹き飛ばし、たったの一撃で半数以上の委員が行動不能となる。その光景を見て尚、彼女の気分は全く晴れない。

 何かを破壊する事は好きだった、その混沌こそを愛おしく思っていた。けれど、それはあの方の存在を知らなかったからこそ。

 吹き上がる炎に照らされながら、装甲車の残骸の上に立つ彼女は愛銃(真紅の災厄)を肩に担ぎ、呟く。

 

「あぁ、全く以て……憎たらしい」

 

 声は、風紀委員会に対して発せられたものではなかった。どちらかと云えば自分自身、内側に向けられたものだ。苛立ちを紛らわせるように二度、三度、装甲車を踏みつけ甲高い音を鳴らす彼女は、地面に這い蹲る風紀委員会を見下ろす。

 

「その身を傷付けるあらゆる全てから御身を御守りしたいというのに、指を咥えて見ている事しか出来ないなんて……これが、あなた様の歩む道の一端と知って尚、この、胸に蠢く憎悪が止まらず――嗚呼、何て罪な御方」

「な、何だ、お前は……!?」

 

 辛うじて爆発から逃れた風紀委員の一人が彼女――ワカモを見上げ、叫ぶ。炎の中で佇む、和装の少女。その存在感は異質であり、風紀委員会の面々は彼女の持つ独特な気配に気圧されていた。

 問い掛けに答える事無く、ワカモは視線一つ寄越さずに、声を発した生徒に銃口を向ける。

 

「――ひとつ」

「いぎッ!?」

 

 そして、余りにも無造作に引き金を引いた。

 弾丸はワカモから一番近場に居た風紀委員に着弾する。胸元に一発、射撃を受けた風紀委員はもんどりうって倒れ、ワカモは炎上する装甲車から飛び降りると、胸元を抑えたまま苦痛に呻く風紀委員を足蹴にした。

 

「ぐ――なん、何だッ……!? 一体、何の目的で――あぐぅッ!?」

 

 肩に足を掛け、地面に相手を押さえつけたワカモは、その額に銃口を突きつけながら、酷く――淡々とした口調で告げた。

 

「ひとつ……良いですか、良く、良く聞いて下さい? ひとつだけ、絶対に理解しなければならない事があるのです、どんな馬鹿にでも理解出来るように、簡潔に教えて差し上げますから、あの方は今、怪我をしているのです、怪我、怪我です、分かりますか? 血を流しているのですよ、その尊い御身体から、これは大変な事です、直ちに清潔な場所で治療を受けて頂かなければならないのです、あの方は絶対なのです、分かりますか? 分かりますよね? ――分かりましたと云いなさい」

「―――」

 

 声は淡々としていたが、その中に含まれる感情は激烈で、苛烈で、強烈だった。絶対的な意思と、武力行使すら厭わない鋼の様な覚悟。間近でそれをぶつけられ、何度も足蹴にされた風紀委員は軈て白目を剥き、そのまま意識を手放す。気絶したと理解したワカモは、銃口を額から離し、鼻を鳴らした。

 

「……あの方と私の道を塞ぐ者は、誰であろうと容赦しません」

「っ、たった一人で――風紀委員を舐めるなッ!」

 

 爆発から立ち直った風紀委員の一人が叫び、ワカモに向けて発砲した。乾いた銃声が周囲に響き、ワカモは自身の頭部目掛けて放たれたそれを、半身になる事で避ける。空間を穿ち、夜空へと消えて行った弾丸の軌跡を目で追いながら、ワカモは愛銃を構えた。

 

 ――或いは、あの狼も……こんな心地であったのでしょうか。

 

 先生が傷付く姿を、特等席で眺め続ける苦痛。それが先生の望まぬ事であると理解していても、手を伸ばさずにはいられない。どれ程希っても、叫んでも、懇願しても、彼は決してその足を止めないだろう。

 その在り方を美しく思う、善き在り方だと思う、正しく聖人の如き道筋だと。

 けれど――その苦痛を想う度、目にする度、心が壊れそうになる。

 

 あの銀狼と自身の在り方の違い、それは――手を汚す事が出来るか否か。

 

 彼女はきっと、最後まで躊躇った。彼女が手を汚すと決めた時には、全てが遅かったのだ。先生が居なくなってから巻き返そうとしても、それはもう意味が無い。彼女にとって、守るべきものが複数あるが故の弊害だった。あの銀狼は、アビドスという場所に執着を持っていた。

 

 しかし、自身は違う。

 先生以外は全て塵芥、どうなろうと知った事ではない。

 重要なのは、先生と自分が幸福な結末を迎える事。故にワカモは、その手を汚す事を躊躇しない、迷わない。先生に尻尾を振るだけの存在ではないのだ、必要があれば――先生すらも優しい嘘で騙し、その身を守る決意がある。

 醜悪な厄災は、闇の中で蠢く。闇は、優しいものだ。その醜さも、悍ましさも、平等に包み隠す寛容さがある。

 だから一時、ほんの一時、先生の目を手で覆うのだ。その尊い(まなこ)を優しい闇で覆い、ワカモはその間に全ての外敵を取り払おう。たとえ相手が――先生にとって大切な生徒であっても。

 

 ――先生はワカモを愛してくれる(私を嫌わない)筈だから。

 

「たとえ、地の獄、その果てであろうとも」

 

 愛銃を構え、彼女は告げる。

 唯一無二にして、絶対不変の想い()を。

 此処に。

 

「この身、この心は――全て、あなた様の為に」

 

 ■

 

「よ、良く分かりませんが、何やら戦闘が……!」

「い、今がチャンスなんじゃないの!?」

 

 大橋の只中で始まった、唐突な銃撃戦。巨大な爆発が起こったと思えば、現れた人影は風紀委員会と交戦に入った。ヒフミとコハルは突然の事に困惑しながらも、橋を突破するにはチャンスだと考えた。ハナコは戦う狐面の人物を見つめながら、背負った先生に問い掛ける。

 

「先生は、これを読んで……?」

「読んでいた、訳じゃ、ないよ……本当、なら――巻き込みたくは、なかった……でも」

 

 彼女なら多分、来てくれるだろうなとは思った。

 そう、苦笑と共に呟かれるそれに、ハナコは口を噤む。しかし、それが実際好機である事に変わりはなく、アズサとハナコは視線を通わせ互いに頷いて見せた。

 

「……行きましょう! アズサちゃん、先導をお願いします!」

「分かった――!」

 

 叫び、アズサは大橋へと駆け出す。その後にハナコも続き、ヒフミとコハルも慌てて後を追った。銃撃戦は激しく、大破した装甲車は丁度橋を区切る様にして横転していた。立ち上る噴煙が、補習授業部の姿を隠す眼晦ましとなっている。

 

「コハルちゃん、私達は殿を!」

「う、うん……!」

 

 万が一気付かれた場合に備え、ヒフミとコハルはハナコの後ろに付く。狐面の少女は時折懐や袖口から、やけに時代掛かった煙球をばら撒いていた。それらは大破炎上した装甲車の噴煙に混じり、より一層周囲を覆い隠す。一瞬だが、その煙球には狐のイラストが描かれていたように見えた。

 

「―――」

「……っ!」

 

 銃撃戦の最中、煙の中を縫う様にして駆けるヒフミと、ワカモの視線が重なる。直ぐ横で、風紀委員会が叫んでいた。銃声が轟き、マズルフラッシュが周囲を照らす。

 それでも、彼女達は自分達に気付かない。まるで補習授業部の動きを読んでいるかのように、狐面の少女は風紀委員会の視線を誘導しているのだ。煙に紛れ、出現し、これ見よがしに発砲する。まるで、自分は此処だと叫ぶように。

 ヒフミは間近で見た彼女の姿に確信する。

 

「やっぱり……あの時の――!」

「し、知り合いなのヒフミ……!?」

「知り合い、と云えるのかどうかは分かりません……でも――」

 

 脳裏にアビドスでの出来事が過った。先生とアビドスが挑んだ、正体不明の巨悪。表ではカイザーコーポレーションの仕業という事になっているが、それだけではない事をヒフミは知っている。あの時も彼女は確か、アビドスに助力し先生の身を守っていた。

 だから恐らく――今回も。

 

「あの子は、シャーレの、生徒……だよ」

「シャーレ、という事は……」

「味方か」

 

 ヒフミの疑問に答える様に、先生が呟く。アズサの視線は、未だひとりで風紀委員会を相手取る狐面の少女――ワカモを捉えていた。

 

「……見捨てる様で心苦しいが、今の内に渡り切ろう、今は先生が最優先だ」

「う、うん……!」

「そう、ですね……」

 

 数々の自治区で暴れ倒し、単独で逃走を続けられたその手腕は伊達ではない。彼女に限っては、イオリやチナツと云った面子で組織した風紀委員会からも逃走出来るだろう。その信頼を込めて先生がワカモに視線を向ければ、彼女もまた夜空を舞う様に駆けながら、一瞬先生に目を向ける。

 

「――ワカ、モ……!」

「――あなた様、どうか御無事で」

 

 声は届かなかった。しかし、二人の想いは確かに通じ合っていた。

 仮面の奥で薄らと笑みを浮かべたワカモは、去り行く先生の背中を見送り――再び戦火の中へと身を投じた

 


 

 トリニティ自治区、ティーパーティー、テラスにて。

 ただひとり、目前でホログラムを見つめるナギサは、強かにティーテーブルを叩いた。ソーサーとカップが弾け、甲高い音を鳴らす。零れ落ちた紅茶がテーブルクロスを汚し、ナギサは強くそれらを握り締めながら呟いた。

 

「どういう……事ですか――」

 

 視線の先には、爆発から辛うじて逃れ、負傷した先生を担いで撤退する補習授業部の姿。彼女達を追跡する為に飛行させている無人航空機(UAV)、その下部に取り付けられている高性能カメラは、ゲヘナ自治区で行動する補習授業部を確りと捉えていた。

 

「確かに、温泉開発部に位置情報を伝える様に申し伝えました、しかし……あの様な大規模な爆発など――ッ!」

 

 思わず口汚く罵りそうになり、辛うじて言葉を呑み込む。ミレニアムサイエンススクールから秘密裏に入手したUAVは、相変わらず高精度に補習授業部を映し続ける。他にも低空飛行用の小型ドローンの映像を表示させ、先生の負傷具合と補習授業部の疲弊を測る。致命傷――ではない様に見える。しかし、それが何の安心にも繋がらない事をナギサは知っていた。

 

 ――今からでも救護騎士団を手配すべきか? 

 

 ふと、そんな考えが脳裏を過った。しかし、これで救護騎士団を率いてゲヘナ自治区に赴けば、エデン条約に支障が出るかもしれない。

 いや、十中八九大事になる事が目に見えていた。

 ゲヘナ側に承認を得ていない、自治区の侵犯、及び温泉開発部を利用した爆破行為。また彼女達の起こした戦闘行為全般――翻って、それらはティーパーティー、延いてはトリニティ側の過失となる。条約前に弱みを見せる――論外だ。どのような不平等を吹っ掛けられるか分かったものではない。

 

 一番の問題は、先生がこれらの騒動を外部に公表する可能性であった。補習授業部の生徒が幾ら騒いだところで、彼女達は所詮一学生の身に過ぎない。何の公的権力も、影響力も持っていない。それらを握り潰す事は、そう難しい事ではなかった。

 しかし、先生は違う。

 シャーレという肩書、連邦生徒会という後ろ盾、積み重ねた実績。その先生が今回の件を糾弾すれば、ナギサはその権威の全てを喪うだろう。ティーパーティーの権威は失墜し、トリニティは大きく揺れるに違いない。

 

 けれど――先生がその様な事を望むのか。

 

 ふと、ナギサの理性が囁いた。それは先生と直に向き合い、言葉を交わしたナギサの経験から来る直感であった。

 先生は、最後まで自身の誘いに首を縦に振らなかった。彼の理想は単純だ、『全ての生徒を救いたい』、『全ての生徒を笑顔にしたい』――そして、非常にお優しい事に、その【すべて】の中に自分が含まれている事を、ナギサは知っていた。

 

 先生は決して口外しない――彼と議論を交わし、互いの主義主張を張り合ったナギサはそう確信している。

 そしてナギサは、その事実に安堵している自分を自覚した。

 

「……ッ!」

 

 思わず、唇を強く噛んだ。血が滲む程に、強く。

 それは、誰がどう見ても下劣な行いであった。人の優しさを、善性を利用する――決して許されぬ、外道の行いだ。その自覚を持った時、ナギサは自身の心が軋む音を聞いた。事、此処に於いてナギサは、自身の目的の為に、人の優しさや善性、もっと云えば大切な想いすら踏み躙ったのだ。或いは、これまでもそういった事があったかもしれない。しかし、どこまでも真摯に、真っ直ぐ向けられたそれを自ら踏み躙ったと理解したときの衝撃は、これまでにない程の葛藤を彼女に抱かせた。

 

 ――しかし、それでも彼女は止まれない。

 

 自身の持てる全てを捧げ、何とか形を成したエデン条約。この締結は、絶対に為さなければならない大事。

 テーブルクロスを握り締めたまま、ナギサは目前のホログラムを見つめ、呟く。

 

「……私がセイアさんと同じ末路を辿れば――今度こそ、ティーパーティーは崩壊する」

 

 それは、誰にあてた言葉でもない。強いて云うのならば、自分に云い聞かせる言葉だった。

 今、ホストとして立っているのはナギサだ、しかし元のホストはセイアだった。彼女が暗殺されたからこそ、自分は今このポストに立っている。謂わばナギサは、仮初のホストなのだ。

 そして、順当に考えるのならば、次の暗殺対象になるのは――セイアのポスト、ティーパーティーのホストという椅子に座った、自分だろう。

 暗殺の実行犯、及びその黒幕は未だ見つかっていない。そして、万が一自分が死ねば――次の標的は、幼馴染のミカ。

 

「っ……!」

 

 その未来を思い描き、ナギサは歯を食い縛る。絶対に、そんな事はさせない、そう想い、願い、行動してきた。けれど万が一、億が一、どれ程の備えと慎重を期して尚、自分が斃れてしまった時は――。

 自分が死ぬ事になったとしても、最低限トリニティを運営していけるだけの形にはしておかなければならない。

 だってあの子(ミカ)は本来、政治的な駆け引きだとか、知略だとか策謀だとか、そういう一面とは無縁の子だったから。故に、セイアも自分も居なくなれば、トリニティの舵取りに苦労する事は目に見えていた。

 その負担を、少しでも軽くする為に――ゲヘナとの関係がリセットされれば、外に向けていた目を内に向けるだけで良くなる。これさえ、エデン条約さえ締結してしまえば、最悪、自分が暗殺されても……ミカが居れば、トリニティは崩れない。

 彼女と自分は幼馴染だった、けれど三派閥の長としての立場がある。おいそれと手を取り合う事は出来ない。だから、これは自分が果たさなければならない責務。

 

 幼馴染の負担を少しでも減らす為に。

 トリニティという学園を守る為に。

 そして、生き残る為に。

 

 大切な友人(阿慈谷ヒフミ)を切り捨て。

 善き大人(シャーレの先生)の信頼に背き。

 ホストとして在るべき姿を踏み躙った(差し出された手を無情にも払った)

 

 それでも、自分が切った手札は――間違いではない筈だ。

 そう、自分に云い聞かせる。

 紅茶のものではない染みが、テーブルクロスに滲んだ。

 頬を伝うそれをそのままに、ナギサは呟く。

 

「私の手は……全てを抱えられる程、大きくはないのです……!」

 

 声は震えていた、此処に誰も居なくて良かったと、ナギサは心底そう思った。

 こんな姿を部下や友人、ましてや幼馴染に見られなくて。

 自分の大切な居場所を。

 大切な幼馴染と、愛すべき我が母校を守るために。

 同じ量の、【大切なもの】を切り捨てる――こんな惨めな自分の姿を。

 

「ふ……ふふっ……――」

 

 思わず笑った。それは嘲笑だった。自分自身に対する、(あざけ)りだ。

 大切なものを守るために、大切なものを犠牲にする、その在り方に彼女は失望した。

 こんなものは、自分の望んだ未来ではない。自分が成りたかった存在ではない。けれどもう、どうしようもない程に――この足は進んでしまったのだ。

 両目から滴り落ちる涙が、純白に濁りを齎していた。ティーテーブルに伏したまま、彼女は呻いた。

 

「なんて……なん、て、無様な――!」

 

 声は、夜空に響く。

 けれど、誰に届く事もない。

 

 もう直ぐ――夜明けだった。

 

 ■

 

 何か自分で書いていて心がしんどくなったんですけれど……この子達、これからまだまだ苦しくなるんですの? これでエデン条約の序盤なんですの? もう十分苦しんでいる感あるんですけれど、ここから二段、三段と苦しみのボルテージが上昇していくんですの? 地獄では???

 いや先生は別に良いんですの、幾らでも苦しんで頂いて結構です。でも生徒が涙を流して苦しんでいる場面を描くと、こう、心がキュッってなるんですわ……。先生の手足千切れて泣き喚く生徒を見ていると胸がポカポカするのに、真剣に頑張って頑張って、涙を流しながらも歩こうとしている生徒を見ると、何かこう、形容出来ない寂しさや虚しさ、「頑張って」というエールと、「もう良いのでは」という慰めの言葉が同時に浮かぶのですわ……。

 

 はーつら……こういう頑張り疲れた子をデロデロに甘やかして、信頼を勝ち取って、愛を深めて、そして目の前で首を吊って死んであげてぇですわねぇー……。命のストックって何で一つしかねぇんですの……? バグでは?

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