ちょっとストーリー見て死んでおりました。
「はぁ、ふぅ……! な、何とか、戻って来る事が出来ましたね……!」
「えぇ……」
合宿所、ロビー。室内へと踏み入った補習授業部は、全員が疲労感を滲ませる深い息を吐き出した。もう直ぐ日の出という時間帯、空が微かに白み始め時刻は早朝に近しい。背負っていた先生をロビーに設置された長椅子へと座らせたハナコは、その肌に付着した砂塵を指先で拭いながら、コハルに声を掛けた。
「一先ず先生は此処で安静に――コハルちゃん、部屋にあった救急箱を持って来て貰えますか?」
「あ、う、うん……待ってて!」
「アズサちゃんは念の為、引き続き周囲の警戒をお願いします」
「……分かった」
合宿所へと戻って来たにも関わらずハナコは張り詰めた空気を放ったまま、そう告げる。アズサはハナコの言葉に頷き、愛銃を抱え合宿所入り口に立った。彼女も、道中の鋭い気配を保ったままだった。それを見たヒフミが困惑した様な目を向け問いかける。
「け、警戒って、ハナコちゃん、此処はトリニティの合宿所で――」
「――申し訳ありませんが」
そんな彼女の声を掻き消すように、ハナコは強い口調で断じた。
「あの様な手段を用いて来た時点で、私はこの合宿所ですら安全ではないと考えています――元々此処は、ティーパーティーの用意した場所ですから」
「それは……そうですけれど」
「……ごめんなさい、ヒフミちゃん、私もトリニティ内で仕掛けて来る可能性は低いと思っています、けれど決してゼロではないんです」
「ヒフミ、ハナコの云う通りだ――此処はもう、無条件で安心できる場所じゃない」
「っ……」
ハナコはどこか、申し訳なさそうな表情を浮かべる。それが彼女にとっても苦渋の決断である事は明らかであった。そして続くアズサの言葉に、ヒフミは思わず目を伏せる。自身のホームではある筈が、最早その場所でさえ安寧を確信出来ない。その事実に、強い悲しみを覚えたのだ。
「……ありがとうハナコ」
「いえ……」
ハナコに付着していた汚れを拭われていた先生は、そっとその手を取って礼を告げた。不安の色を覗かせたまま、ハナコは首を緩く振る。
「ご気分は如何ですか? 吐き気や頭痛、めまい、手足のしびれ、他に痛みを感じる場所などは――」
「大丈夫だよ……あの症状も一時的なもので、今は随分良くなったんだ」
そう云って、緩く笑う先生。今は受け答えもはっきりし、覚束ない足取りも随分とマシになった。歩く事も、走る事も出来るだろう。
「ほ、包帯、解きますね、先生……!」
「ごめん、頼むよ」
先生の傍に駆け寄ったヒフミは、その頭部に巻かれていた包帯に手を掛ける。砂利と血に塗れたそれは、残念ながら清潔であるとは言い難い。幸い出血は止まっていた、今必要なのは消毒だろう。包帯を巻き取りながら、ヒフミの表情は徐々に暗く淀んでいく。取り外された包帯、そこに付着した血を見つめながらヒフミは恐る恐る問いかけた。
「あ、あの、何なら救護騎士団の方を呼んだ方が――」
「それは……」
「今は、駄目だ」
ヒフミの言葉にハナコが云い淀み、先生が断言した。アズサが、何かを云いたげに口を開く。
「先生、だけど……」
「私の負傷が外部に漏れたら、最悪学園間での対立にも発展しかねない……今は、特にこんな時期には、外部の介入を許す理由を作りたくないんだ」
声はハッキリしていた、故にそこに含まれた感情も明確に伝わっていた。ヒフミとアズサは顔を見合わせ、ハナコは真っ直ぐ先生を見つめる。先生の手を握り締める彼女は屈み、視線を合わせながら強い口調で問いかけた。
「――こんな仕打ちを受けて尚、ティーパーティーを庇うのですか、先生」
「……当然だよ」
ハナコの声には、隠しきれない怒りが込められている。それが自身に向けられているものではないと先生は理解していた。しかし、それでも尚先生はハナコの目を真っ直ぐ見つめ返し、告げる。
「彼女だって、私の生徒だ」
「………」
ハナコはそんな先生を、酷く複雑な表情で見つめていた。先生の手を取る彼女のそれが強く握り込まれる。
そうだとも、きっとそう云うだろうとハナコは予測していた。そして残念ながら、その意思を曲げるだけの材料を彼女は持ち合わせていない。目の前の先生が、傷付きながら、傷付ける相手を庇うその姿を見ているしかない。
ハナコの握り締めていた手が、軋む。
「救急箱、持ってきたよ……!」
「――ありがとうございます、コハルちゃん」
コハルが息を切らせ、部屋に備え付けられていた救急箱を抱えて戻って来た。
ハナコは先生から視線を切り、一度大きく深呼吸をする。その後コハルに礼を告げ、先生の手をそっと離すと、コハルから救急箱を受け取った。彼女は手際良く救急箱から必要なモノを取り出すと、ガーゼに消毒液を沁み込ませ先生の傷口に近付ける。
「……少し沁みますよ、先生」
「うん……っ――!」
答え、目を閉じた先生の顔が苦痛に歪む。傷口に押し当てられたガーゼ、心なしか必要以上に強く押し込まれている様にも感じた。彼女なりの抗議なのかもしれないソレを、先生は甘んじて受け入れる。
「それで、先生は大丈夫なの……?」
「えぇ、見た限り出血は止まっていますし、細かな傷はありますが大きな怪我は見受けられません――頭部の傷も派手に切ってはいますが、それだけです」
「そ、そっか……! 良かったぁ……」
その言葉に、コハルは大きく安堵の息を漏らした。何はともあれ、今直ぐ命に関わる様な怪我ではない。その言葉は彼女を安心させるには十分だった。
「問題は、見えない傷の方ですね……」
「脳や内臓の方だな」
「――はい、本当ならば、今すぐ精密検査を受けるべきです」
「大丈夫……体の中身も無事さ、多分ちょっとした脳震盪だよ」
「……何故、そう云い切れるのですか?」
「あー……実体験かな」
先生の何気ない、呟く様なそれを聞いた瞬間、ハナコは思わず顔を歪ませた。彼女の脳裏に過るのは、あの夜に見た傷だらけの肉体。先生は意味を理解しているのがハナコだけだと知りながら、淡々とした口調で云った。
「……内側をやられるとね、もっと酷いんだよ、色々と」
「それは……しかし、自己判断で済ますのは聊か――」
「大丈夫、後でちゃんと診てくれそうな子を呼ぶから」
先生がそう云って微笑むと、アズサが心配げな表情で尋ねた。
「誰か、伝手が?」
「一人だけ――絶対バレずに来てくれそうな子がね」
先生の脳裏に、一人の生徒が思い浮かぶ。彼女は自分に助けが必要な時はいつだって、唐突に現れるのだ。誰にもバレずにという点で云えば、恐らく一番信用が持てる。治療する手段があると伝えられた生徒達は顔を見合わせ、問いかける。
「えっと、それじゃあ、私達に出来る事は……」
「後は本職の人に任せて問題ないよ、包帯も巻かなくて良い――色々、心配を掛けたね」
ヒフミの問いかけに、先生は頷く。こうして此処まで運んで貰い、応急処置をして貰っただけで十分だ。
これは感覚的な話ではあるが、実際大した傷ではないと先生は感じていた。本当に危険な時は、こんな風に座ってすらいられなくなる。その言葉を聞いたハナコは暫く沈黙を守っていたが、「分かりました」と小さく呟き、仕方ない人を見る様な目を先生に向けた。
「信じます、先生」
「あぁ――ありがとう、ハナコ」
先生はハナコが抑えていたガーゼを、代わりに指で押さえつける。それを見た彼女はそっと手を引き、立ち上がった。
「先生が無事なら、良かった……なら後は――」
「えっと、これから、どうするか……ですよね」
「………」
先生への応急措置を終え、大事に至らなかった事を確認した補習授業部の意識はこれからの事に向けられる。空気が引き締められ、彼女達の表情に陰が落ちるのが分かった。
「……次の試験について、対策を練らなければなりませんね」
「で、でも、もし本当にティーパーティーの偉い人たちが私達を退学させようとしているのなら、もうどうしようもないんじゃ……? 知恵を寄せ合ったところで、何をしたって、そんなの、もう……」
ハナコの言葉にコハルは蒼褪めた表情で告げ、これからを憂う様に俯いた。ヒフミはそんなコハルを横目に、最後の試験である第三次特別学力試験について言及する。
「一応、一週間後の第三次特別学力試験が私達の最後のチャンスとなりますが……」
「あんな手を使ってくる事を考えると、とてもマトモに試験を受けさせてくれるとは思えない」
アズサはそう云って、手に持った愛銃のグリップを握り締めた。思い出される試験会場の爆破、一体何故あの様な事になったのか皆目見当がつかないが、少なくとも向こうが『真っ当な形』で試験を受けさせてくれるとは到底考えられなかった。
アズサの言葉で火が点いたのか、コハルは目に涙を浮かべ、その場で大きく地団駄を踏む。
「そっ、そもそも! どうしてこんな事になっているの!? 何で、退学にならなくちゃいけない訳……!? それに先生が攻撃されるなんて、おかしいじゃん……!?」
「コハル――」
「トリニティの裏切り者とか、意味わかんない……! 私達、疑われるような事なんて何もしていないのに! それに、それにさ、私達だけならまだ良いよ!? だって、痛いだけで済むもん……! でも、先生は下手をしたら死んじゃう所だったんだよ!?」
そう云って、泣き叫ぶように声を荒げ、歯を食い縛る。
それは理不尽に対する怒りの発露か。或いは、無力な自分に対する嘆きそのものであった。この事態に対し自分は何の打開策も、解決する為の力も持っていない。ただ、自身の大切な仲間達が傷付く姿を見る事しか出来ない。そんな、理不尽な現実に対する怒り。それを彼女は訳も分からぬまま叫び、嘆いていた。
「何なの、何で、こんな……っ! た、退学になったら、正義実現委員会にも戻れなくなっちゃう……わ、わたし達、なにも、こんな、こんな事される様な事なんて、何も……うぅ……っ!」
「ごめんコハル、せめて私が、表面上でもナギサに賛同していれば――」
「――いいえ、先生、それは違います」
涙を零すコハルに、先生は思わずそんな言葉を漏らす。しかしハナコは、きっぱりとした口調で彼の言葉を否定した。
「表面上の賛同など、ナギサさんはきっと許容しません、あの人はそういう人です……それに、先生は腹芸が得意なタイプではないでしょうし」
「それは……そうだね、その通りだ」
果たして、その場で賛同を口にした所でナギサは信用したのか? その結果を考え、先生は首を振る。結果は、見え透いていた。
「……もし私がその場に居たら、あの猫ちゃんにはもっとひどい事をしていたかもしれませんね」
「はは、猫ちゃん、か」
そう云って綺麗に笑うハナコに、先生は乾いた笑み零した。恐らく、冗談ではないのだろう。彼女は、やられた分はキッチリ返す性分をしていた。それが善意であれ――悪意であれ。
「……立場を考えると、この事を抗議しても暖簾に腕押しだろう」
「えぇ、恐らくは――真面に取り合って貰えるとは思えません」
「なら、正攻法で試験を突破するしかない……か」
アズサが呟き、思わず顔を顰める。正攻法、つまりは向こうの提示した要求で試験をパスする。
以前までの内容であれば問題はなかった。
しかし――。
「正攻法で、九十点以上を取れるようになんて可能なのでしょうか? しかも試験範囲は三倍で、一週間以内に――」
ヒフミが不安げな表情で呟いた。向こうの提示してきた試験内容は、以前のそれとは比べ物にならない。第二次特別学力試験中は無我夢中で、もう受けるしかないという気概であったが――改めてその内容と向き合うと、到底乗り越えられるような壁には思えなかった。
ましてや、第三次特別学力試験の場合、これよりも条件が厳しくなる可能性だってあるのに。第三次特別学力試験の直前になって試験範囲がまた拡大する、或いは得点が更に引き上げられる、もしくはそもそも試験科目自体が変更になる――決してあり得ないとは断言できない状況だった。
「正直、かなり厳しいですね……それに、これ以上ナギサさんが良からぬ事をしないように見張る必要がありますし、時間も、手も足りません」
「ぐずっ……! 無理、絶対無理よ……ここまで凄い頑張ったのに、これ以上なんて……!」
ハナコが厳しい表情で答えれば、コハルは自身の制服を握り締めたまま遂にポロポロと涙を零した。強く握り締められた制服は皺になり、表面に零れ落ちた涙が滲む。俯いたまま涙を流し嗚咽を零すコハルは、言葉に詰まりながらも必死に訴えた。
「が、頑張ったもん、私、頑張ったもん! いっつもテストで赤点ギリギリとか、平均点を取るのも難しくて……! だから模擬試験で合格点が取れた時、ほ、本当に……本当に嬉しくてっ! でもこれ以上なんて、私にはもう無理だよっ、私、バカなのに……! い、今でも一杯一杯なのにっ、九十点なんて……うぅ、ぁあっ――!」
「こ、コハルちゃん……」
彼女の嘆きに、沈黙が下りる。ヒフミはコハルに手を伸ばそうとして、けれどその手が彼女に届く事は無かった。何と声を掛ければ良いのか、分からなかったのだ。
気持ちは一緒だった、落ちこぼれだった彼女が必死に虚勢を張りながらも、それでも負けて堪るかと歯を食い縛って今日まで努力してきた事を彼女達は知っている。その姿をずっと隣で見ていた。そしてそれは自分達も同じだった。この場に誰一人として例外は居ない。ヒフミも、コハルも、アズサも、ハナコも、自身の出来る限りの力で机に齧りつき、きっと全員で卒業して見せるのだと互いに学び、教え、全力を尽くした一週間だった。全員が一丸となって努力したからこそ、補習授業部は模擬試験で合格ラインに届くまでに至ったのだ。
コハルにとって、この合宿中の二週間は、常に全力だった。
本当に――全力だったのだ。
でも、だからこそ――改めて試験の条件を目にした時、心が折れかけた。
全力で、この合宿中の二週間全力で勉強に専念し、漸く掴んだ点数が六十一点という合格点ギリギリの点数なのに。試験範囲は三倍で、合格点は九十点で、更にはティーパーティーという雲の上の存在から妨害行為も予測されていて――もう、無理だと、そう思った。
膝を折った彼女は歯を食い縛って感情を吐露する。補習授業部はそんな彼女の姿を、遣る瀬無い表情で見つめるしかない。明確なビジョンも、打開策も浮かばない、この状況で、一体どんな言葉を掛けられるだろう? 下手な慰めも、安易な希望も、彼女に届く事はない。
だからこそ、先生はコハルの前で膝を着き、その手を掴む。
「――大丈夫、コハル、顔を上げて」
「ずびっ……! せんせ……?」
涙に塗れ、くしゃくしゃになった顔を上げる。先生はコハルの涙を指で拭うと、柔らかな笑みを湛えて云った。いつも通り穏やかに、何でもないかの様に。生徒を、安心させる為に。
「補習授業部の皆は退学になんかならないよ、絶対に――だから安心して」
「そ、そんな、先生の事は信じたいけれど……っ、でも!」
「――約束する」
先生の手が、ぎゅっと、コハルの手を強く握った。そこから伝わる熱に、コハルは再び俯きかけた顔を上げた。この困難の中で、欠片も希望を見失わない瞳が、どこまでも澄んだ信念を抱く眼がコハルを射貫いていた。
「もしこれから、補習授業部が最悪の事態に陥ったとしても、皆の退学だけは絶対に回避して見せる――シャーレの権限だろうと、連邦生徒会の人脈だろうと、何だろうと、私の使える全てを使ってでも」
「先生……」
絶対に、見捨てなどしない。
先生の声色は、本気だった。例えその事が原因でどれ程の損害を被ろうと、欠片も構わないと、そんな覚悟を感じさせる強い口調だった。先生は決して目を逸らさない、どこまでも真摯に、真剣に告げていた。
ヒフミはそんな先生の姿を見て――自身の頬を強く張る。
中途半端に伸びた手を、自身の頬に向け、喝を入れた。
――そうだ、何を弱気になっているのだ、自分は。
ヒフミは思い返す。自分は先生に何と声を掛けられた? アズサから何を学んだ? 嘆く事はいつだって出来る。諦める事だってそうだ。例えそれが無意味な足掻きだとしても――頑張らない理由にはならない。
私は、私の出来る事を。今、この瞬間にやれる事を。
まだ、精一杯……全力で――やっていない。
「今日はもう休もう、身体が疲れると心も疲弊する、良くない事ばかり考えてしまう――もう直ぐ朝だけれど、少しでも休めば、何か良い方法が思い浮かぶかもしれない」
「……ずびっ、う、うん」
先生の言葉に、コハルはぎこちなく頷く。先生に手を引かれ立ち上がった彼女は、目元を乱雑に拭い、鼻を啜った。コハルの頭を撫でつけながら、先生は慈しむように彼女を見下ろす。
「……先生、心当たりのあるお知り合いへの連絡は――」
「私が自分でするよ、流石にこんな時間に連絡するのは悪いから、明日の――いや、もう今日だね、朝一番にでも」
「……信じます」
呟き、ハナコはヒフミに向き直る。どこか思いつめた表情をする彼女に、ハナコは小さく笑いながら告げた。
「ヒフミちゃんも、きちんと休んでくださいね? ここまでずっと、無理されてましたし……」
「ですが、私は……! 今、頑張らないと――っ」
「……焦る気持ちは分かります、しかし頑張り過ぎて倒れてしまっては意味がありません、私も一緒にこれからの事を考えますから、コハルちゃんの勉強も、ヒフミちゃんの事も手伝います――だから今はゆっくり休んで、明日に備えるんです」
そう云ってハナコはヒフミを抱きしめた。ヒフミは、砂塵に塗れ、所々傷付いた自身の手を見て、くしゃりと顔を歪めた。確かに、気持ちばかり先走ったかもしれない。体は疲れ果て、精神は摩耗している。ここで倒れたら自分だけではない、皆にも迷惑が掛かる、そう感じた。
ヒフミは焦燥する感情を呑み込み、ゆっくりと頷く。
それを確かめたハナコは微笑み、もう一度ヒフミを強く抱きしめた後、先生に視線を向けた。
「先生、自室へは――」
「大丈夫だよ、もう歩けるから」
「……分かりました、何かありましたら、いつでも呼んで下さい」
「先生、その、ありがと……」
「あの、無理はしないで下さいね……!」
「部屋の扉は、いつでも開けてあるから、万が一襲撃があった場合は駆けつける」
「……ありがとう、皆」
ハナコが補習授業部の皆を促し、先生を心配げに見つめながらもロビーを去って行く。先生はその背中を見送り、最後に歩いていたアズサが扉を閉めるまで、笑顔で手を振っていた。
扉が閉まり、数秒、広いロビーを静寂が支配する。
「………ふーッ」
大きく息を吐き出す。背凭れに体重を預け、天井を暫し見上げた。体は妙な疲労感に満ちていた。帰り道は殆どハナコの背中に居たと云うのに、軟弱な体だと心の中で自嘲する。目を閉じ、暫くの間静寂を堪能した先生は、そっと耳を澄ませながら口を開いた。
「――セリナ、居る?」
「はい、先生」
声は、直ぐ横から聞こえた。
ゆっくりと瞼を上げ、声のする方向へと視線を向ければ――そこには、無言で佇むセリナの姿があった。
白いトリニティの制服に、救護騎士団のマークが刺繍されたソレ。桃色の髪を横で一つに括り、様々な医療道具の入ったポーチを携えている。名前を呼んだのは自分だが、まさか本当にものの一瞬で現れるとは思っておらず、思わず呟いた。
「凄いな……本当に来てくれたのか」
「いつでも、どこでも、先生が必要なら私は駆けつけます――そう云ったじゃないですか」
どこか呆れた様な口調で告げ、ズンズンと先生の元へと歩み寄るセリナ。彼女は先生の姿を頭の天辺からつま先まで確認すると、徐に袖を捲ったり、裾を掴んで傷が無いかどうかを確かめ始めた。先生は彼女にされるがまま、抵抗する事無く受け入れる。
「……セリナ、もしかして怒っている?」
「――少しだけ」
刺々しい空気を纏う彼女に、先生は問い掛けた。セリナはらしくもない、やや強張った声で答える。先生の腕や腹、そこらに散見される小さな傷に消毒と絆創膏を貼り付けながら、セリナは視線を上げた。
「何かあったら……なくても、ありそうな時は連絡してくださいって、あれ程云ったのに――それが疲れでも怪我でもそれ以外でも……全て私の対処するべき仕事なんです」
「それは」
「先生、言い訳は聞きたくありませんよ?」
「ぐっ――」
――これは、お手上げだ。
先生は怒りを滲ませるセリナを前に、白旗を上げた。こうなった彼女を宥める事が至難の業である事を、先生は良く知っていた。ベアトリーチェを下し、入院した時もそうだった。あの時は確か、他の生徒が居ない時は殆ど付きっ切りで看病されたのだったか。
「頭部と、足と、他には……うん、大丈夫そうですね――はぁー……良かった」
「……ごめんね、心配かけて」
「全くです、先生はただでさえシャーレでも過労で倒れているのに……!」
「あはは……」
頬を掻き、先生は笑って誤魔化す。それ以外に選択肢が無い。セリナは最後に先生が抑えていた頭部の傷を確認し、消毒が済んでいる事を入念に確かめ包帯と清潔なガーゼをポーチから取り出した。血の滲んだガーゼを先生から受け取り、ビニールに入れて処分しながら彼女は呟く。
「……また、
「――うん、多分、そうなるかな」
「やめて下さいって云っても、駄目なんですよね」
「……ごめんね、こればかりは譲れないんだ」
先生の言葉にセリナはそっと目を伏せ、何も云う事は無かった。傷口にガーゼを貼り付け、包帯で固定する。その後セリナはポーチから幾つかの錠剤を取り出し、先生の手に握らせた。
「念の為の鎮痛剤と促進剤です、今日はお風呂は我慢して下さい、明日の朝位には良くなる筈ですから」
「あぁ……ありがとう、セリナ」
「救護が必要な場に救護を――それが私達の役目ですから」
ポーチを閉じ、立ち上がったセリナはそう告げる。先生を見下ろす彼女は、いつも通りの笑みを浮かべていた。そこには、先程まで覗いていた怒りは見えない。何処までも透明な、人を思い遣る色だけがあった。
「私が必要な時はいつでも呼んでください、呼ばれなくても駆けつけます、先生だけの主治医にはなれないですけれど――いつも先生のことを考えていますから」
「……うん」
「――負けないで下さいね、先生」
その声はどこか悲しそうな色を含んでいて。
先生が俯いていた顔を上げ、何かを口にしようとし――もうセリナの姿は、視界の何処にもなかった。
「………」
そっと周囲を見渡す。しかし、先程まであったセリナの姿はロビーの何処にもない。ふと、先生は自身の指先に何かが触れるのが分かった。視線を落とせば、座っていた長椅子、その横に小さなバッテリーが置かれていた。思わず、先生の口元が緩む。
「……流石というか、何と云うか」
怖い位に気が利く子だ。
呟き、タブレットにバッテリー端子を差し込む。少しするとシッテムの箱のランプが緑色に点灯し、再起動が行われた。指紋認証を行い、見慣れたローディング画面を経て――画面一杯に張り付き、先生を凝視するアロナが叫ぶ。
『……せ、先生っ!?』
「アロナ」
『ご無事ですか!? 怪我は、今は何処に――』
アロナの声が響き、先生は彼女を宥めながら事のあらましを伝えた。最初は興奮し、涙目で喚いていた彼女だったが、大きな怪我は無かった事、無事トリニティ自治区に戻って来れた事を伝えると、胸を撫で下ろし落ち着きを取り戻す。
『よ、良かったぁ……! 無事トリニティに帰還出来たんですね……! 怪我の方も――はい! スキャン結果では後遺症レベルのものもありません……!』
「うん、ありがとう、お陰で助かった」
『い、いえ!? 寧ろ私、肝心な時に役立たずで……!』
「それは私の方さ」
アロナの言葉に、先生は頭を振った。爆発の衝撃で前後不覚に陥り、サポートも何も出来ず完全な足手纏いであった。先生はその事を深く悔いている。他にもやりようは幾らでもあった。それらを捨て、今回のやり方を選んだのは完全に自身の落ち度である。
「ワカモは無事に離脱できた?」
『ワカモさんは――はい、既にゲヘナ自治区から退去しているみたいです』
「そっか、あとで御礼を云わないと……」
彼女が救援に来なければ、学園間の対立無くトリニティに戻って来る事は不可能だったかもしれない。ゲヘナに捕捉されてしまえば、どの様な展開になるのか――細部まで予測するのは困難に思えた。故に、先生は心の中でワカモに深く感謝する。
「――私は、皆に助けられてばかりだな」
告げ、思わず苦笑する。
今回も、以前も――先生は自身の手の小ささを実感する。手を伸ばせる範囲には限りがある。一度に多くの生徒の味方をする事は出来ない。全く以てその通りで、先生が自身の理想を叶えるには何もかもが足りていない。
しかし、そんな事はずっと前から分かっていた。故にそれは、今更嘆く事でも何でもない。最善、最高で足りぬのなら、それ以上に至れるよう工夫し、努力し、足掻くのだ。何度でも、何度でも。
タブレットを握り締め、先生は顔を上げる。
「けれど今回の件ではっきりした、もう受け身な姿勢はやめにしよう……彼女に対抗するには、それしかない」
『先生、では――』
「あぁ、私も動く――そうしなければ、守れないものがあるから」
先生は前を見据える。
何処までも、真っ直ぐに。
「はじめよう、アロナ……私達の戦いを」
『はい、先生――!』
■
特別学力試験まで――あと六日。
先生
ワカモ
先生護衛担当、いつでも、どこでも、呼ばれても呼ばれなくても現れる神出鬼没の厄災。先生が負傷するといの一番にやって来る、でもやって来ない時もある。そういう時は大抵、先生からのお願いで裏で色々暗躍している。因みに後から先生負傷の報告を聞いてギャン泣きする。可愛い。最近は忍術研究部と過ごす事が多い為、存外彼女達と仲が良い。大橋で使った煙球はイズナ印、後ミチルからも忍具(仮)を貰ったりしている。所属学園は一応百鬼夜行連合学院となっているが停学中の為、敢えて云うなら連邦矯正局所属に近い。また、部活も入部していない。その為シャーレ独自の戦力として非常にフットワークが軽い。エデン条約編であっても簡単に介入して来る。何もないときは大抵先生を遠目から見守っている。
セリナ
先生救護担当、どれだけ遠くに居ても、どれだけセキュリティの厳しい場所でも、唐突に現れ、唐突に消える。ただし制約があり、『先生が単独である事』、『他の生徒、人の目が無い事』が条件。カメラにも映らないステルス性能と、その時に必要なモノを予め揃えていてくれる万能救護騎士団。何が恐ろしいってこれが原作ママという所。マジで何者なんだ? という気持ちになるが他の生徒が居る場では出現しない為、先生を捥ぐ場合のシーンでは邪魔される事が無い。何とか頸の皮一枚繋がった感。何もないときはない、大体いつも仕事に追われている。
コタマ
先生盗聴担当、合宿所の先生部屋に盗聴器を仕掛けようとして失敗した。残当。因みにシャーレの私室には仕掛けてある。合宿所で「めっ!」されたのは他に利用者がいる為。先生単独なら、「まぁ別に実害はないし」と放置される。その為段々とヒートアップし、最近は「心音を録音させて下さい」とか、「先生の呼吸音を……」とか、色々とニッチな音を集める様になった。エデン条約編・前編では残念ながらミレニアム所属の為、出番はなし。何もないときは先生ASMR(自作)を聞いている。
ノドカ
先生監視担当、合宿所の先生部屋を覗ける位置を探し出し、「あっ、カーテンは閉めないで下さいね! 見えなくなっちゃいますから!」と発言し、「めっ!」された。残当。現在は旧校舎227号特別クラスに戻っている。休日の度にシャーレで過ごす先生を監視していたが、トリニティで合宿中は先生観察が出来ない為、最近は悶々としている。代わりに先生の写真を眺めて何とか紛らわす毎日を継続中。レッドウィンター所属の為、同じく前編中では出番なし。何もないときは食料や薪集めに奔走する。
クロコ
ん、先生は幸せになるべき、可能なら私と。
ミカ(未来)
あははっ! そんなので先生を守り隊とか、無理無理~☆
クロコ
――あ?
ミカ(未来)
――は?
ちょっと新ストーリーで脳が破壊されかけたのでわたくしは元気です。
そっかー、大人のカードってそういう使い方も出来るんだぁ……。
そっかぁー……へぇ~―……ふぅーん……。
という事はマジで危なくなった生徒を代償と引き換えに助けるとか、出来るのかなぁ。
先生の結末は四通り位考えていたけれど、今回ので内二通のプロットが爆散しました。でいじょぶでしてよ、まだプロットが半壊しただけですの。でもちょっと考える事多くて一日サボりました、ごめんあそばせ。