「……えっ、と」
「きゅ、急に何の話……?」
「………」
アズサの告白、それを聞き届けた補習授業部の反応は困惑が殆どを占めた。ヒフミとコハルは目を瞬かせ、互いの顔を見合わせる。ハナコはどこか張りつめた空気を纏ったまま、先生はじっと、何かを待つ様に佇んでいた。
アズサは呼吸を刻みながら、淡々とした様子で続ける。
「……私は、元々アリウス分校の出身だ、今は書類上身分を偽って、トリニティに潜入している」
「あ、アリウス分校……?」
「な、何それ、そんな校名聞いた事も……」
「アリウス分校――」
戸惑う二人をフォローする形で、ハナコが口を開いた。
「嘗てトリニティの連合に反対した、分派の学園です……その反発のせいで現在のトリニティ総合学園とトラブルとなり、その後はキヴォトスのどこかに潜伏していると聞いていましたが――」
「そうだ、私は此処に来るまで、ずっとアリウス自治区に居た」
アリウス――その名前に、馴染のある生徒は少ない。
第一回公会議も、もう随分昔の話だ。以降潜伏したアリウスは表舞台からその痕跡の一切を消した、一般生徒にとっては古典の領域だろう。知らない事は何も不思議ではない。
「今はアリウスとしての任務を受けて、こうして学園に潜入している」
「潜入……」
その、余りにも馴染のない単語にコハルが呟きを漏らす。ヒフミは思考を回し、アズサの事情を何とか呑み込もうとする。元々経歴に不明な点が多かった彼女だ、驚きはすれど、それに対して含むものは何もない。故に彼女は気丈にも顔を上げ、云った。
「あ、アズサちゃんが元々トリニティの生徒ではないという事は分かりました……でも、それが裏切り者と、何の――」
「その、任務と云うのは」
ヒフミの声を遮り、アズサは声を張る。
その表情は、酷く強張っていた。
「――ティーパーティー、桐藤ナギサ、そのヘイローを破壊する事」
「ッ……!?」
その一言に、補習授業部の面々は息を呑んだ。
ティーパーティー、桐藤ナギサ、そのヘイローを破壊する。
つまり、殺害するという事。
余りにも日常離れした言葉に、ヒフミとコハルは浮足立つ。さっと、コハルの表情が蒼褪めた。
「う、嘘でしょ!? そ、それって――」
「うん……彼女を、殺す為に私は此処に居る、そして第二目標が――」
アズサの、小さく細い指先が――先生を指した。
「――シャーレの先生、その殺害」
声は無かった。
痛い程の沈黙が、全員の前に横たわっていた。
ただ、コハルとヒフミの二人は言葉を失い、血の気の失せた顔で肩を震わせる。
先生の殺害――余りにも無慈悲なそれが、二人の思考能力を根こそぎ奪っていた。
「……アリウスは、ティーパーティーと先生を消すためならば、何でもしようという覚悟でいる」
「そ、そんな……」
ヒフミの唇が震える。
視線が、定まらない。
ナギサのヘイローを破壊する? 先生を殺害する? それが――彼女の任務?
ならば、彼女はその為に、その為だけに補習授業部へとやって来たのか。
そんな疑念が沸き上がる。
不信が、首を擡げる。
「アリウスはまずティーパーティーのメンバーであるミカを騙して、私をこの学園に転入させた、詳細は知らないけれど、きっとトリニティと和解したいとか、そういう嘘を吐いたんだと思う」
「……成程、ミカさんを――確かに彼女は政治には向いていないと云われていましたが」
ハナコは衝撃の真実を述べられて尚、どこか考え込むような素振りを見せ、呟く。体を凍り付かせ、言葉を失っている二人とは異なる姿勢。それは、アズサの状況を理解していたからに他ならない。
「本命は、事が終わった後に罪をミカさんに被せる為でしょう……それで内紛など勃発すれば、トリニティは自然と割れます」
「うん、多分そうなる事を計算して動いていたんだと思う」
ハナコの言葉に、アズサはごく自然に頷いて見せる。
くしゃりと、それを見たハナコの顔が歪んだ。
「そして――それを口にするという事は、アズサちゃん、あなたは……」
「ま、待って、待ってよ!」
ハナコとアズサの会話に割り込む形でコハルが声を上げた。震える手を伸ばし、ハナコとアズサの間に飛び込む。妙な威圧感を飛ばすハナコに、強張った表情で佇むアズサ。二人の間に自身を差し込んだコハルは、互いの顔を見合わせながら叫ぶ。
「きゅ、急に何の話をしているの……!? ティーパーティーのヘイローを破壊するとか、先生の殺害だとか……! あ、アズサが、その、アリウス? っていう所に所属していたっていうのは分かったよ! でも――」
どこか焦燥したように、引き攣った口元をそのままに感情を露出させる。その瞳は潤んで、肩は小刻みに震えていた。
「アリウスの事は良く知らないけれど、それが私達補習授業部と、どういう関係があるのよ……!? アズサは何で、急にこんな話をし出したの……!? だって、現に先生は生きているし、ティーパーティーだって……!」
「………」
アズサは、そんなコハルの叫びを聞き届けながら目を瞑る。それは、彼女の潔白を信じる声であった。もし、その話が本当であるならば、先生が死んでいたり、ティーパーティーのナギサが負傷している筈だと。けれど、そんな事は現実に起こっていない。だからこれは、彼女がアリウスの生徒であるという事以外、全部嘘っぱちか何かなんだと。
コハルは、そう思い込むことで心の均衡を保とうとした。
そんな彼女を前に、アズサは小さく息を吸い込む。心を落ち着かせた彼女は、確かな信念を感じさせる瞳で以て告げた。
「――明日の朝、アリウス分校の生徒がナギサを狙ってトリニティに侵入する」
「っ!」
「……私は、ナギサを守らなければならない、アリウスの企みを阻止する為に」
「あ、明日の、朝……!?」
ヒフミが思わず驚愕の声を上げた。
明日――実質今日ではあるが、それはつまり、試験日と同日。時間帯によっては異なるだろうが、しかし彼女の口ぶりからして試験を素直に受ける、という様子ではなかった。これは事実上の離反宣言なのだと、ヒフミはそう受け取った。
「本館には戒厳令が出ている状態……最後の試験でのナギサさんの無茶もあって、正義実現委員会は本館にいないタイミング――えぇ、要人襲撃には最適な日ですね、アリウスにも優秀な参謀が居る様です」
「な、何でアズサがそんな事する必要があるのさ……? それに、明日って、試験は――」
「それは――」
コハルの疑問に、アズサは口を開く。
けれど彼女が言葉を発するより早く、先生はコハルとヒフミの肩を叩き、一歩踏み出した。
「アズサは、最初からその目的でトリニティに来た――そうでしょう?」
先生の穏やかな口調。アズサが、どこか悲し気な視線を先生に向ける。
「……先生」
「最初から、ナギサのヘイローを壊すつもりも、私を殺すつもりもなかった――そうじゃなかったら私なんて、寝ている間に死んでいるからね」
そう口にして、先生は優しく笑みを浮かべた。自身を殺す機会など、幾らでもあっただろう。バレない様に始末する方法だって。
けれど彼女はそうしなかった。
「……アズサちゃんはナギサさんを守るために、この任務に参加した――謂わば、二重スパイ、という事ですね」
「……ハナコ」
「アリウス側には連絡係として常に問題ないと嘘の報告を流しながら、本当はずっと土壇場で裏切る準備をしていた、違いますか?」
「……いや、違わない」
その問いかけに、アズサは首を振る。
彼女の言葉は一から十まで、全て正しい。
アズサという生徒はずっと、こうする為に準備をしてきたのだから。
「――どうして、ナギサさんを守ろうとするんですか? それは、誰の命令ですか」
「これは……誰かに命令された訳じゃないんだ」
ハナコの真剣な問いかけに、アズサはそう答えた。
そうだ、これは誰かに命令されて始めた事ではない。
仲間を裏切ってまで始めた、この行動。
その根底にあるのは。
「私自身が、そうすべきだと思ったから」
それは――自身の意思ひとつだけ。
「桐藤ナギサがいなければ、エデン条約は取り消しとなるだろう、あの平和条約が無くなればこの先、キヴォトスの混乱は更に深まる――その時、アリウスの様な学園が再び生まれないとも限らない」
ハナコを真っ直ぐ正面から見返したアズサは、そう言葉を紡ぐ。
エデン条約、それはトリニティとゲヘナの和平への道。これまで大小問わず衝突を繰り返して来た両校が、漸く手を取り合う選択を取ったのに。それが破壊されてしまえば、今まで以上に水面下での衝突は激化するだろう。その時、両校以外の学園が被害を被らないと断言する事は出来ない。
或いは、トリニティの中で主権争いが起き、嘗ての様に一つの分派が切り離されるという未来もあるかもしれない。そしてそれはゲヘナにも同じ事が云える。
所詮可能性の話だ、全てが全て仮定で、「もしも」に過ぎない。
けれど、それだけでもアズサが動くには十分な理由なのだ。
もう、あんな思いをする生徒が生まれない様に――悲しむ生徒が、ひとりでも少なくなる様に。
そんなアズサの言葉を、ハナコは能面の様な表情で聞き届けた。体から滲み出る張り詰めた空気はそのままに、どこか怒りすら伴って、彼女はアズサを見据える。
「――キヴォトスの平和の為に、という事ですか」
「……結局の所、私の様な生徒を増やしたくないだけ、これは私のエゴ――けれど、そういう想いが無い訳じゃない」
「成程、良く、分かりました」
ハナコの瞳がすっと、細く引き絞られた。
穿つような視線が、アズサのそれを直視していた。
アズサとハナコの間に、冷たい色が流れる。
「……えぇ、とっても甘くて、夢の様な話ですね、エデン条約と同じ位、虚しい響きではありませんか」
「は、ハナコちゃん……?」
どこか、不安げな声を上げるヒフミ。ハナコはそれを振り払い、数歩足を進める。
月明かりが差し込む廊下にて、二人は対峙する。
アズサを見下ろす瞳は冷たく、威圧的で、恐ろしく思えた。アズサはハナコをそっと見上げた。十二センチの差が、今は数字以上の隔たりとなって存在しているように感じて仕方なかった。アズサは静かに喉を鳴らす。
「アズサちゃん、あなたは嘘つきで、裏切り者だった」
「うん」
「トリニティでも本当の姿を隠し、アリウスでも本音を隠し続けて、アズサちゃんの周辺には、あなたに騙された人達しかいなかった」
「……うん」
「私達も含めずっと周りを騙し続けて、結局私達に見せていた姿も、全部偽物だった――そういう事で、合っていますか」
「…………」
その容赦のない言葉の羅列に、アズサはぎこちなくも頷いて見せる。肩が下がり、今にも泣き出しそうなアズサだったが、顔を晒した上で涙を零す事はしなかった。それは駄目だと、そう強く思ったのだ。
だから、唇を噛み、両手を握り締めながら耐える。
他者を騙して、欺いて、その上で流す涙の醜悪さを、アズサは自覚していたから。
「いつか、云った通りだ……私は皆の事も、皆の信頼も、皆の心も、裏切ってしまうことになると――補習授業部がこんな危機に陥ったのは、私のせいだ、裏切り者の私を探して、桐藤ナギサはあんな無茶をした」
告げ、アズサは深く頭を下げる。
「本当に、ごめん……謝って許される事だとは思っていない、どうか私の事を恨んで欲しい、この状況は全て、私の齎した事だから――全ての責任は、私にある」
「あ、アズサちゃん……」
「そ、そんな……」
ヒフミとコハルの二人は、思わず声を漏らす。アズサはトリニティ学園の生徒ではなく、本来は敵対しているアリウス分校の生徒で、彼女が補習授業部に潜入したからナギサはこの様な措置を取った。だから、責任は全て自分にある。そう信じて疑わないアズサに、先生は声を上げた。
「アズサのせいじゃないよ」
声は、暗闇の廊下に良く通った。
ヒフミとコハルの間を抜け、ハナコの横に立つ。未だ強張った表情で、今にも泣きそうなアズサ、その頭に手を乗せる。びくりと、彼女の肩が跳ねた。
「決して、アズサのせいなんかじゃない」
「先生、でも――」
「責任は」
さらりと、アズサの髪が揺れた。おずおずと顔を上げたアズサが見たのは、どこまでも優し気で、温かくて、陽だまりの様に笑う先生の顔だった。
「世界の、
それは、先生の持つ絶対的な信条。
たとえ、どれだけの大罪を犯したとしても、過ちを犯しても――
それを背負うのは、
「ナギサも、ミカも、ほんの少しだけ、相手を信じることが出来たら……こんな事にはならなかったかもしれない、誰かがほんの少しだけ優しかったら――これは、そういう話なんだよ」
だから決して、彼女が自分を責める必要などない。
ほんの些細なボタンのかけ間違い。ほんの少しの可能性の違い。
これは、誰か一人を責めれば良いという話ではないのだから。
「……そうですね、そうかもしれません」
先生の言葉を直ぐ横で聞き届けたハナコは、大きく息を吐き出し、呟く。
「今のナギサさんの様に、誰も信じられなくなってしまった人を変える事は大変難しい事です、そもそも他者を信じるという行為自体が困難な事でしょう――ですが」
ハナコは、アズサに改めて視線を向けた。
そのアズサの目が、揺らぐ。
彼女から放たれる雰囲気は、最早先程のそれとは異なっていた。
「アズサちゃんは、私達にこうして本心を語ってくれました、黙り続ける事も、このまま姿を晦ませる事も出来た筈なのに……こうして、直接私達と顔を合わせて謝ってくれた」
「それは……」
「……先程はごめんなさい、アズサちゃん、どうしても意地悪がしたくなってしまったんです、アズサちゃんの真っ直ぐな顔を見ていると、何だか心が落ち着かなくなってしまって」
アズサはその言葉に、首を横に振る。
少なくとも彼女は糾弾され、拒絶されるつもりで此処に来たのだ。だから、どのような言葉であれ、行動であれ、受け入れるつもりであった。
けれど、先程まで怒りを滲ませていたハナコからそれを感じなくなり、戸惑ってしまう。自分は、それだけの事を犯したのだから。
「誰にも気づかれないように消える、そういう手段やタイミングは今まで幾らでもあったでしょう、けれどアズサちゃんは、最後までそうしなかった――その理由を、私は知っています」
告げ、ハナコは笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「……補習授業部での時間が、余りにも楽しかったから――ですよね」
「っ――」
ハナコの言葉に、アズサは息を詰まらせる。
それは、彼女の言葉がアズサの本音そのものだったからだ。
理性的に考えれば、自身の正体を明かす必要などなく、勝手にひとりで抜け出して、勝手にひとりで戦えば良かったのだ。それをこんな、態々自分から正体を晒すような真似をして――或いは、もっと早い段階で行方を晦ます選択肢だってあった。
けれどアズサはそれを選ばなかった。
選べなかった。
「皆で一緒に勉強をしたり、ご飯を食べたり、お洗濯をしたり、お掃除をしたり……何をしても楽しい事ばかりだったから、だから――この楽しい時間を壊したくなかった」
そうだ、ハナコの言葉をアズサは内心で肯定する。アリウスでは経験しなかった沢山の事。経験できなかった、皆と楽しく過ごすという事。
一挙手一投足に意味のある行為を求められず、効率のみを重視せず、ただ何となく、或いは自身が楽しむために、日々を過ごす。例えそれが義務的な行為であっても、アズサにとっては全てが新鮮だった。学生らしく勉強する事も、皆で食事を摂る事も、掃除をする事さえ。
「目標に向かって皆で努力すること、そしてヒフミちゃんとコハルちゃんと先生と、皆で知らなかった事を学んでいくことが、楽しかったから……だから、最後まで抜け出せなかった――違いますか?」
違う――そう声を上げる事は出来なかった。
ただ自身を見下ろすハナコの視線から顔を逸らし、黙り込む。それを認めてしまったら、自身の何か、致命的な部分が変質してしまう様な気がしてならなかった。
それは、決して悪い事ではない筈なのに、どうしてか躊躇ってしまう。ひとりで戦う覚悟はあった筈なのに、この選択を後悔しないと決めた筈なのに。
事、此処に於いてアズサは、自身が彼女達との別れをどれ程惜しんでいるのか、それを漸く自覚した。
自分が望んでも手に入れる事はないと思っていた陽の当たる場所、場違いで、自分の本当の居場所なんかではなくて、いつか自分から離れなければならないと分かっていても、手放し難く、終ぞ最後まで居座ってしまった――
ここで過ごした日々は、楽しかった。
本当に、楽しかったのだ。
「――……うん、そうだ、その通りだ」
全身から、力が抜けた。
認めてしまえば、本当にあっさりと、すとんと、感情が胸に落ちて来た。
アズサは俯き、薄らと笑みを浮かべながら告げた。
「何かを学ぶという事、皆で何かをするという事……その楽しい時間を、私は手放せなかった」
本当に、普通の生徒からすれば、「そんな事?」と疑問に思ってしまうような事。それがアズサにとっては、どれだけ眩しくて、楽しくて、羨ましい事か。
友達と一緒に朝起きられる事、温かいご飯を皆と一緒に食べられる事、机を並べて一緒に勉強出来る事、自分の為に時間を費やしてくれる誰かが居る事、自分の為だけに何かを成す余裕がある事。誰かから見える形で好意を受け取る事。
日々を――誰かの憎しみに費やす必要がない事。
どんな些細な事、時間でさえも、アズサにとっては黄金の様な日々だった。楽しかった、嬉しかった、この記憶を死ぬ寸前まで抱いて、自分は戦い続けることが出来ると――そう思う程に、大事な大事な思い出だった。
アズサは銃を握り締め、腹の底から、叫ぶ。
自身の感情を、吐き出す。
「そうだ、私は、まだまだ知りたい事が沢山ある、学びたい事がいっぱいある……! 海とか、お祭りとか、遊園地とか、水族館とか……っ! 知らないところ、行きたいところも、まだまだ沢山あって……だからッ、だから私は、まだ、皆と一緒に――ッ!」
「アズサちゃん――」
声は、廊下に木霊した。ハナコは、そんな彼女を見下ろし、そっと自身の手を握り締めた。彼女の心からの叫び、それが痛い程に理解出来たから。
「その気持ちは、良く分かりますよ――同じように想っていた人が居ましたから」
■
「浦和さんは、本当に凄いですね! こんな難しい問題も簡単に解けてしまうなんて……!」
「あの、浦和さん、学級委員の推薦の話なのですが、クラス全員一致で浦和さんに頼もうって事になって……」
「浦和さん、流石です、今期の試験は全て首席ですわ、必要ならば上級学年への飛び級を手配する事も出来ますが――」
「浦和様、この計画にはあなたの協力が必要なのです、ですから是非、私達の派閥に――ふふっ」
「凄いですね、まさか秀才クラスの試験まで満点なんて……浦和さん、やはりあなたは……」
「浦和さん、私達と共に歩みませんか? あのティーパーティーを牽制する為にも、私達シスターフッドが――」
「準備をしておいて下さい、浦和ハナコさん、来年のティーパーティーの席は、あなたでほぼ確定ですから――第一学年の時点でこの様な選抜が行われる事は、大変名誉な事ですよ?」
「浦和さん」
「浦和様」
「浦和ハナコさん」
――私は、そんな人ではないのに。
■
「……それは、寂しくはないかい?」
■
「その人にとって、全ての事は無意味で、無駄で――学校を、辞めようとしていたんです、何せ、そのまま生活を続ける事は監獄にいるのと同じでしたから」
呟き、ハナコは振り返る。自身の学園生活、その灰色であった頃を。
だから、あの時、彼女にそんな言葉を掛けられた時――ハナコは救われた気持ちになったのだ。
寂しい、そう、寂しいのだ。
誰にも理解されない事は、誰にも歩み寄って貰えない事は。
自分に――居場所がない事は。
とても、寂しい。
「けれど、その人とアズサちゃんは違ったんです――アズサちゃんは、アリウスからナギサさんを守った後、どうするつもりでしたか?」
「っ――」
その言葉に、アズサの顔が分かり易く歪む。言葉はなく、悲痛な面持ちだけがある。それが答えだった。
「アリウスを裏切り、トリニティをも欺き……最後に、帰る場所が無くなってしまう筈なのに……けれどアズサちゃんは、補習授業部でいつも一生懸命でしたよね」
彼女はトリニティの生徒ではない。そしてアリウスを裏切れば、彼女の居場所は何処にもなくなる。本当に、只のひとりで、このキヴォトスを生き抜かなければならなくなる。永遠に、自身を追う影に怯えながら。
その未来が分かっていたのに、
常に、毎日を精一杯生きていた。
「その人は試験を
それは――何故だ?
いつも
「どうしてそこまでするのでしょう? そこに、何の意味があるのでしょう……? アズサちゃんがいつも口癖のように云っていた通り――全ては虚しい筈なのに」
――Vanitas vanitatum et omnia vanitas.
全ては、虚しいもの。
いつか消えてしまうもの。
何の意味もない行為。
例え此処で頑張ったって、時が来れば失われてしまうと理解していた筈だ。
それでも何故、彼女は。
どうして。
「……それでも」
アズサは呟く。
呟き、銃を握り締めたまま、答える。
顔を上げた彼女の瞳は力強く、信念に満ち溢れていて――。
「例えすべては虚しいものであっても、抗う事を止めるべきじゃないから……っ!」
「――えぇ」
アズサの力強いそれに、ハナコは笑みを零し、頷いた。
「その通りです、漸く、その人も気付いたんです、友人と過ごす、学園生活の楽しさに」
自分を受け入れてくれる居場所があるという事が、こんなにも嬉しくて、楽しくて、色鮮やかであるという事に。
目を閉じ、ハナコは大きく息を吸う。
脳裏に過るのは、補習授業部で過ごした
そのどれもが楽しく。眩く、何よりも大事なものだった。
その中には勿論――アズサだって含まれている。
「下着姿でプール掃除をしたり、皆で水着で散歩をしたり、裸で色々な事を打ち明けたり……自分をさらけ出せる人達と、そういったよくある事を全力でする事が、こんなにも楽しくて、心躍る事なんだと」
「うん――あ、いや、裸ではなかったけれど……」
「み、水着で散歩をした覚えはありませんよ……!?」
「え、やっぱりあれって下着だったの!?」
「ふふっ♡」
ハナコは悪戯っ子の様に笑い、頬に手を当てる。
いつもの柔らかで、どこか掴みどころのない彼女。その面持ちを取り戻したハナコは、言葉を噛み締める様にして云った。
「アズサちゃんの云っていた通りです、虚しい事だとしても、最後まで抵抗をやめてはいけません」
「ハナコ……」
「アズサちゃん、もっと学びたいんでしょう? もっと知りたいんでしょう? 皆で色んな事をやってみたいって、あの時話したじゃないですか、海に遊びに行くとか、ドリンクバーで粘って夜更かしとか……それを、諦めてしまうんですか?」
「……でも」
ハナコの言葉に、アズサは希望を見る。
けれど、それは所詮夢に過ぎない。
自分がこのまま補習授業部に居座る事は、出来ない。
アリウスはそれを許さないから。
巻き込みたくないから。
そんな思いを感じ取ったハナコは、笑みを浮かべたまま振り返る。
直ぐ傍に、同じ表情を浮かべた先生が居た。
「先生――」
「あぁ」
頷き、先生はアズサの肩を優しく掴んだ。
大人の、大きな手がアズサを支える。
そっと手を重ねたアズサは、先生を見上げた。
「諦める必要なんて、微塵もないよ、アズサ」
「先生……」
「生徒の夢を、希望を、未来を守るために、私は此処に居る――アズサが皆と共に居たいと、学び続けたいとそう望むのなら、それを叶えるのが私の役目だ」
生徒が望む明日を。
生徒が望む未来を。
生徒が笑える今を。
全力で守り、叶え、寄り添う事。
それが先生の使命であり、大人の責務であり、成し遂げなければならない事だ。
先生の、夢だ。
振り向いた先生は、補習授業部の皆を見る。ハナコは笑みを浮かべたまま、ヒフミはどこか決意を秘めた瞳で、コハルは震えながらも手を握り締め、彼を見ていた。
「皆、どうか、力を貸して欲しい――私達が明日も、明後日も、その先も、笑顔で学園生活を送れるように」
口にして、頭を下げる。
先生ひとりで出来る事は、少ない。策謀、策略、根回しを行う事は出来ても、肝心の戦う力を先生は有していない。だから、生徒の為に戦うと決めておきながら、生徒に頼る道しか先生には無い。だから、懇願する、願う、どうか自分に力を貸して欲しいと。
自身の願いを、叶えさせて欲しいと。
「よ、良く分かんないけれど……!」
コハルが、呟く。
両手で衣服を握り締めながら、どこか不安そうに、恐ろしそうにしながら、けれど真っ直ぐ、強い光を帯びた瞳を向け、叫ぶ。
「しょ、正直、どういう事なのかわかんないし! 何だか大変な事になっている気がするけれど……で、でも! アズサがトリニティに居られなくなるのは嫌だし、退学になるのも嫌だから! 何とか出来る手段が、方法があるなら、私も、手を貸す!」
「わ、私もですよ!」
コハルに続く形で、ヒフミも声を上げた。手を挙げ、飛び跳ねながら叫ぶ彼女は、コハルと同じように不安を覗かせながらも、けれど友人の為に、補習授業部の為に、戦う事を決意した。
「その、私なんかに出来る事があるか分かりませんが、此処まで来たんです、皆で力を合わせればきっと、どんな事でも乗り越えられるって、信じていますからッ……!」
だから――。
言葉を続け、ヒフミは力強い、全身全霊を込めて云い放った。
「私は、私に出来る事を、全力で……成し遂げます!」
「ふふっ、流石部長ですね♡」
「あぁ……本当に――」
「み、皆……」
ヒフミの啖呵に、先生は少しだけ驚いた様に、ハナコは嬉しそうに口元を緩めた。これで、補習授業部全員が己の意思を表明した。アズサは戸惑った表情で補習授業部を見渡した後、ぎゅっと唇を噛み締め、「ありがとう」と、か細い、途切れそうな声で呟いた。それは、皆に届いたかも怪しい声だった。けれど、全員が示し合わせた様に笑った。
それが答えだった。
「アズサが云った様に、ナギサへの襲撃は阻止する、けれど勿論、試験も受ける、試験会場に辿り着き、皆で九十点以上を取って堂々と合格するんだ――後からどんな文句も受け付けられない様に、完膚なきまでにね」
「せ、先生、でも実際そんな事が可能なのか……? 試験は九時からで、アリウスの作戦開始時刻を考えると――」
アズサは先生の言葉に、思わずそんな疑問を投げかける。暗殺を阻止し、試験も受ける。確かにそれが理想ではあるが、それが可能かどうかと問われれば疑念が残った。時間もそうだが、アリウスの規模を考えれば手が足りない。
ヒフミは必死に唸りながら、何とか策を捻り出そうとする。
「や、やっぱり、他の方に助けを求めるとか……?」
「でも、それだとトリニティの外に漏れちゃうんじゃ……」
「あうぅ、そ、そうですよね、となると、トリニティ内の方で、だ、誰か助けてくれそうなところに……」
「――ふふっ、大丈夫です、私に作戦があります」
先程の心意気から一転、頭を悩ませ始めた二人にハナコは胸を張ってそう告げる。不安な表情を浮かべていた二人は、どこか得意げな表情を浮かべるハナコに視線を向けた。
「これまで様々な嘘や策略の中で弄ばれてきましたが……今度は、私達が仕掛ける番です」
「し、仕掛ける……ですか?」
「えぇ、何せここには正義実現委員会のメンバーと、ゲリラ戦の達人と、ティーパーティーの偏愛を受ける自称平凡な生徒と、トリニティのほぼすべてに精通した私が居ます」
「へ、偏愛……」
順に指差され、そんな風に表現される補習授業部。ヒフミは思わず苦笑を浮かべ、肩を落とす。最後にハナコは隣に立つ先生の腕を取り、満面の笑みを浮かべた。
「その上、ちょっとしたマスターキーの先生までいらっしゃるのですから、この全員で力を合わせればきっと――」
ぴん、と立てた指をひとつ。
ハナコは片目を瞑ってウィンクをすると、とても清々しい口調で以て告げた。
「――トリニティ程度、半日で転覆させられますよ♡」
「は、はい!?」
「えっ、ちょ、な、何する気!?」
「……転覆?」
余りにも物騒な文言に、思わずヒフミとコハルは取り乱し、アズサは疑問符を浮かべる。一体何をしようとしているのか、その不安を隠せない面々に、ハナコはいつも通りの笑顔を向けた。
「ふふっ、何をするも何も、試験を受けて合格するだけです♡ 重要なのは、そう――演技力!」
「え、演技……」
「りょく……?」
「えぇ、作戦内容は私に任せて下さい、我に秘策アリです」
「……ハナコ、その、少し不安なのだけれど、それは――」
「先生、大丈夫です」
思わずそう口を出した先生に、ハナコは腕を掴んだまま身を寄せ、囁く。
「私を信じて下さい♡」
「――………」
それは、先生にとってはある意味殺し文句な訳で。
何とも云い難い、非常に複雑な表情を浮かべた先生は、しかし小さく項垂れる様にして頷くと、どこか懇願するような口調で告げた。それは、頼むからやり過ぎないでねという願いだった。
「分かった、信じるよ――ハナコ」
「……ありがとうございます♡」
先生の許可を取り付けたハナコは、先生の腕をするりと離すと、ヒフミの傍に駆け寄った。
「さぁ、始めましょう、ヒフミ部長!」
「え、あぅ、えぇ!?」
「いつもの号令です! 此処はびしっと決めて頂かないと!」
「あ、わ、は、はい!」
ハナコに肩を叩かれたヒフミは、戸惑いながらも頷いて見せる。補習授業部で何かを成し遂げるのならば、その音頭を取るのはヒフミだ。補習授業部の部長として、皆を率いる義務がある。勿論、そんなものは建前で、義務だなんてものは嘘っぱちだ。そんなものを、彼女は欠片も負っていない。
けれど、補習授業部の日々の中で育まれた絆は本物だから。その意思を、心意気を示す時、彼女の号令はほんの僅かな勇気を皆に与えてくれる。
震える拳を握り締め、ヒフミは補習授業部の全員を見渡す。
「さ、作戦は良く分かりませんが、でも、きっと私達なら大丈夫な筈ですッ!」
「う、うん……ッ!」
「うん、その通りだ」
「えぇ♡」
皆が皆、力強い頷きを返す。
どんな困難も乗り越えて来た。何度だって壁にぶつかった。
ヒフミは自分に自信が無い、自分が大したことのない存在だと、そう強く思っている。けれど、そんな自分でも、こんな何も出来ない自分でも、皆の為に、補習授業部の為に、精一杯頑張りたいと思うから……! それは、皆同じ気持ちの筈だから!
だから今回だって、
そんな思いを込め、ヒフミは拳を突き上げ、叫んだ。
「補習授業部――出撃です!」
「おーッ!」
提げた補習授業部の人形が、そっと、アズサの胸元で弾んだ。
次回 「あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ? ナギサ様との――」
好きな難易度を選択してね! 難しい程、ナギサ様の脳が破壊されるよ! ※難易度はナギサ様視点。
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HARD 原作準拠 お友達ごっこ。
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VERYHARD ヒフミが登場するぞ!
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HARDCORE ドッキリを仕掛けるぞ!
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INSANE 精神が著しく害されるぞ!
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TORMENT 先生は間に合わなかった。