砂漠の銀狼
『先生、起きて、起きて下さいよー!』
「ん……」
耳元から聞こえる、聞き慣れた声で意識が浮上した。僅かに痛む頸、そして凝り固まった肩。それらに顔を顰めながら目を開けば、視界に広がったのはシャーレのオフィス。防弾ガラスの向こう側から差し込む朝日に目を細め、自身がソファに横になっている事を確認し、身を起こす。
体の節々から骨の軋む音が鳴った。死んだように眠っていたのか、己は。そう思考し大きく伸びをする。
そしてすぐ脇に転がる端末を手に取り口を開いた。
「……アロナ?」
『おはようございます、先生、いつも云っていますが睡眠はベッドの上で行うのが望ましいですよ?』
声に対し、返事は直ぐに帰って来た。液晶に映ったアロナが腰に手を当て、どこか呆れたような表情で告げる。勿論、理想はそうだろう。しかし先生は肩を竦め苦笑を浮かべたまま云った。
「知っているよ、ただまぁ、昨日は徹夜でやる事があって――」
『昨日というか、毎日じゃないですかぁ』
「そりゃあ……キヴォトスにどれくらい学園があると思っているんだい? 毎日徹夜にもなるさ、現状シャーレには人も居ないし、暫くの我慢さ」
欠伸を噛み殺し起き上がる先生。だらしなく髪を搔きながらポットに近付き、傍にあったカップをひっくり返すと紅茶を注ぐ。
どうやら今日は珍しく、ユウカやアスナの居ない日らしい。ワカモの視線も感じられない――時計を見ればまだ朝早く、寝入ってから三時間程しか時間が経過していなかった。それでも、もう一度寝る気にはならない。今此処で布団に入ったら、きっと爆睡してしまうという確信がある。キヴォトスに来てから先生はショートスリーパー一直線であった。
温かいものを飲めば眠気も覚めるだろう、そう考えながらカップにティーパックを垂らす。紅茶の完成を待ちながら、先生はアロナに問い掛けた。
「それで、何か変わった事は?」
『相変わらず細々とした要望書、申請書の類は多いですけれど、緊急のものは特に――あ、そう云えば手紙が一通届いていました!』
「手紙? 電子メールではなくて?」
『はい、これは先生に一度読んでもらった方が良いかなと思って――』
端末からホログラムが表示され、先生の机を指差す。見れば机の上にぽつんと、今時珍しい便箋が置いてあった。置かれたそれを手に取り眺めれば、見覚えのあるシールで封止めがされている事に気付く。
そのマークは、とある学校のシンボル――太陽のマークに、三角形。
「………」
先生はそっと中身を取り出し、開く。書き綴られた文字は丸みを帯びており、柔らかな手つきでそれらの文字をなぞった。
《連邦捜査部の先生へ》
《こんにちは。 私はアビドス高等学校の奥空アヤネと申します。 今回どうしても先生にお願いしたい事がありまして、こうしてお手紙を書きました。》
《単刀直入に言いますと、今、私達の学校は追い詰められています。それも、地域の暴力組織によってです。》
《こうなってしまった事情は、かなり複雑ですが……。どうやら、私達の学校の校舎が狙われている様です。》
《今はどうにか食い止めていますが、そろそろ弾薬などの補給が底を突いてしまいます……。このままでは、暴力組織に学校を占拠されてしまいそうな状況です。》
《それで、今回先生にお願いできればと思いました。先生、どうか私達の力になっていただけませんか?》
「アビドス高等学校、か」
綺麗に折りたたまれた手紙を閉じ、そっと呟く。ホログラムで先生の傍に近寄り、手紙を覗き込むアロナは不思議そうに問いかけた。
『先生、アビドスをご存知でしたか?』
「うん、知っているよ――尤も書類上は、という但し書きが付くけれど」
呟き、先生は内心で吐き捨てた。
嘘だ、書類の上だけの話ではない。あの、共に走り抜けた日々を忘れなどしない。
例えどんな結末であったとしても、自身が生徒達と共に過ごした日々を忘れる事など出来ない。無意識の内に手紙を握りしめ、先生はその事に気付くと慌てて力を抜く。少しだけよれてしまった手紙を指先で伸ばしながら、云った。
「そうか……もう【始まる】時期なのか」
手紙を畳みながら、窓硝子越しに蒼穹を見る。
これから始まるのだ――自分達の、生徒たちの、キヴォトスの。
全ての運命を左右する出来事が。
「アロナ」
『はい、先生!』
「アビドスに出張する、シャーレの施錠を頼むよ」
『今日ですか!? 流石、大人の行動力! 了解しました、アロナにお任せ下さいッ!』
そう云ってホログラムを消すアロナ。先生が不在の間、キヴォトスの管理はアロナに一任している。出張先でも書類仕事はしなくてはならないので、この辺りの準備は重要だ。
取り敢えず軽くシャワーを浴びて、出張の準備をしなくてはならない。必要なものは多い――クラフトチェンバーも動かす必要があるだろう。先生は出来上がったばかりの紅茶を一息で飲み干し、強く口を拭った。
「……今度こそ、救うと決めたんだ」
どうか、待っていて欲しい。
■
「格好良く決めた果てに迷子になる良い歳の大人がいるってマジ?」
広大なアビドス、その住宅街で迷子になっている先生と呼ばれていた男。肩に掛けた出張用のバッグと端末を片手に呆然と立ち尽くす彼は、宛ら砂漠のど真ん中で遭難した要救助者――事実、そうなのだから仕方がない。
記憶が薄れていた、というのもあるが、『実際、何度か向かった事あるし、余裕でしょう』という良く分からない自信から軽装でやって来てしまったのが仇となった。シャーレから公共交通機関を乗り継ぐ所までは良かったのだ、しかしアビドスは既に自治区として機能していない為、公共交通機関は通っておらず、アビドス高等学校までの道のりは徒歩。マップ機能に沿って歩いていても、最早嫌がらせとしか思えない程の距離を歩き続け、暑さも相まって注意力が散漫になり、いつの間にか予測ルートから外れて――という具合であった。
というか良く考えてみれば、アビドス高等学校に向かう時は常に誰かしら出迎えがあったのだ。今考えると、彼女達は自身が迷子にならない様に先導役としての意味合いもあったのだろう。
何という事だ、先生は愕然とした。自身は女子高生に案内して貰わなければ出張も出来ない、方向音痴であったのである。
真実に気付いてしまった先生はその場に崩れ落ち、道路のど真ん中で横たわってしまう。
「ミレニアムのマイスター達が創ってくれた未来直行義肢があれば、私だって……いやでも、今更足を切り落とすとか怖くて嫌だ……私は……私は、貝になりたい……」
「……?」
先生が自身の不甲斐なさに絶望し蹲っていると、不意に背後から自転車のブレーキ音が聞こえた。音に釣られるようにして振り向くと、其処には――。
「あの……」
此方を見下ろし、困惑した表情をした銀髪に狼耳の生徒――シロコが立っていた。自転車に跨り、バッグに愛銃を突っ込んだまま先生を見る彼女は、先生の知る未来の姿とは少しだけ異なる。先生は暫く彼女の姿を見つめていたが、動いた事で死体ではない事が分かったのだろう。シロコの困惑の表情が、安堵のそれに変わった。
「あ、生きていた……道のど真ん中に倒れているから、死んでいるのかと」
「――シロコ」
無意識の内に先生が呟き、シロコは少しだけ目を見開いて驚く。先生は自身の口が彼女の名を呟いた事に気付き、思わず口を噤んだ。
「私の事、知っているの?」
「……うん、まぁ、一応ね」
流石に寝転がったまま相手をするのは失礼だと、起き上がって制服の汚れを払う。白い連邦捜査部の制服は、汚れが目立つ。手で払うと、幸いにして付着していたのは砂利だけの様で、直ぐにその純白を取り戻した。
気まずい内面を悟られない様、咳払いを一つ零し場を持ち直す。
「ごめん、恰好の悪い所を見せたね、少しお腹が減ってしまって――」
「……ホームレス?」
「いやいや、違うよ、実は――」
■
「用事があって数日前にこの街に来たけれど、御店が一軒もなくて脱水と空腹で力尽きたと」
「……一応、食糧と水は持ち込んでいたのだけれどね、全然足りなかった、ははは」
「そっか、ホームレスじゃなくて遭難者だったんだね」
シロコの先生を見る目が、
こんな数日放浪してしまうのも、シロコに可哀そうな人を見る目で見られるのも、全て自身の不徳――否、本当にそうだろうか?
シャーレから出発して数日間経っても目的地にたどり着けないアビドスが悪いのではないだろうか? 自身がこんな醜態を晒しているのは己の準備不足などではなく、非常識な自治区の広さを誇るアビドスそのものが悪なのでは? 先生は思った、そうかもしれないと。そっと先生はアビドスそのものに責任転嫁し、自身の自尊心を守る。
先生の自我は一層強固なものとなった。
シロコはどこかやつれた様子を見せる先生に、遠くの方を見ながら痛ましそうに告げる。
「市街地の方に行けば御店もあるけれど、こっちの方は公共交通機関もないし、大変だったでしょう?」
「うん、正直もう歩きたくない位には」
先生がそう云って肩を落とせば、シロコは何かを思い出したのか背負っていたバッグを漁り、一本のドリンクを先生に差し出した。
「……はいこれ、エナジードリンク」
内容物は九割方残っており、ラベルには『エネルギー補給に最適!』の謳い文句が踊っている。ここ数時間、飲まず食わずで周辺を彷徨っていた先生にとって、それは素晴らしい魅力を放つ代物だった。まさに、砂漠の中のオアシス――。
「ライディング用なのだけれど、今これくらいしか持っていなくて――えっと、コップは」
「頂きます!」
迷いはなかった、というよりも飲まず食わずの状態で死にかけていた先生にとって、それは考慮に値する問題ですらなかった。
先生はボトルを受け取ると、キャップを外し一気に飲み出す。余りの剣幕と素早さに、シロコが反応する余地もなく、先生が飲み口に唇を付けている姿を見て、はっとシロコの頬が赤く染まった。
「ッ! あ、それ……」
「―――ぷはッ! 生き返ったァ!」
先生が久方ぶりの水分に息を吹き返せば、シロコは何か言いたげに口をもごもごと動かしている。その事に首を傾げれば、シロコは目を瞑って首を横に振った。本人は気にしていなさそうだし、態々口に出さなくても――そう判断したのである。
「……ううん、何でもない、気にしないで」
「そう? じゃあ改めて、本当に助かったよ、ありがとう」
「まぁ、うん」
頬を掻きながら、何とも言えない表情で頷くシロコ。そして不意に、先生の腕に巻きつけられた腕章が目に入った。青に流星の白線、そして中央にシンボルマーク――横合いから見たそれは、連邦生徒会が身に着けているものと酷似している。
「その制服に腕章、連邦生徒会の人だよね、こっちには私達の学校くらいしかないけれど――もしかして、アビドスに行くの?」
「あぁ、うん、そうなんだ、アビドス高等学校が目的地」
「そっか、なら久々のお客様だ」
先生の目的地がアビドスだと分かると、目に見えてシロコの雰囲気が柔らかくなった。砂漠化が進み、殆どの住民が居なくなった今、アビドスに訪れる人物など皆無に等しい。それこそ、訪れる人物は悪意を持った者が殆どだろう。
そんな中、先生の様な大人が訪れる事など、本当に稀であった。
「案内してあげる、此処からなら近いよ」
「あー……その、言い難いのだけれど」
先生はボトルをシロコに返しながら、生まれたての小鹿のように震える足を指差した。宛ら採掘機の如く、前後左右にカクカクと震えるそれは残像すら発生させる。
「足が、限界なんです」
「………えっと」
シロコは凄まじい勢いで左右に振れる先生の膝を見て、とても、とても困ったような顔をした。流石にそんな状態で歩かせるのは酷だと思ったのか、周囲を見渡し移動手段を模索する。
「どうしよう、この辺に車とか――」
「申し訳ないのだけれど、後ろに乗せてくれないかな、その自転車に……」
「えっ、二人乗りって事? でもこれ、一人用だし」
「なら、背負って欲しい」
「………」
明らかに、「えぇ……」という表情を浮かべたシロコは、数秒頭を悩ませるようにして黙り込む。しかし現状、車もなければ公共交通機関もない。自転車二人乗りは――出来なくもないだろうが、余り推奨された行為ではないし、何より危険が大きい。
それなら、まぁ、背負った方が良いかとシロコは判断し、頷いた。
「まぁ、二人乗りよりはその方が良いか」
呟き、ロードバイクを降りると路肩に停めて鍵を掛ける。尤も、この辺を通る人間などそれこそアビドス高等学校の生徒位なので、誰かに盗難されるような心配など皆無だろうが。鍵をバッグに入れ、先生の前で背を向けるとそのまま屈んで手を差し出した。
「それじゃあ、はい」
「申し訳ない、申し訳ない……」
謝罪をしながら、よたよたと覚束ない足取りで背中に進む先生。その手が肩に触れようとした時、不意にシロコの背がピンと張った。
「あっ、待って」
「ん?」
もうシロコの背中に身を預けようとしていた先生は、直前の制止に疑問符を浮かべる。背中越しに先生を見るシロコは、心なしかその耳を赤く染めていた。
「えっと、さっきまでロードバイクに乗っていたから、その、沢山掻いた訳ではないけれど……汗が」
「――それが良いんじゃないか」
先生は非常に真剣な表情で、そう告げた。それを拭うなどとんでもないと、その状態だからこそ良いのではないかと。その両の瞳は真剣で、本気で、プライドに輝いていた。何の為に戦っているのかを理解している、戦士の目だった。シロコはそんな目をした大人を見るのは初めてだった。
その心意気に気圧されながら、シロコは頬に朱を散らす。
「うーん、ちょ、ちょっと良く分からないけれど……気にならないなら、まぁ良いか」
「どうぞよしなに」
「……変わっているね」
「良く云われるよ」
全く以て本当に。
先生がシロコの肩に捕まり、その身を背中に預ける。男性の硬い体の感触を感じながら、シロコは一気に立ち上がり、先生を背負った。何度か位置を調整しながら、動いてもずり落ちない様確りと太腿を掴む。先生も長い間自治区を彷徨っていた為か、少しだけ汗の匂いがした。
けれど別段、嫌な匂いではない。
「それじゃ、しっかり捕まっていて」
「すぅううう、うん、スゥウゥウウ、ありがとスゥウウう」
「………」
「――えっ、ちょ、待ってシロコ? なんか早くない、凄い勢いで景色が、シロッ、シロコ? シロコさん? 待って、もう少しゆっくり走っ、シロコ? シロコさんッ!?」
気にしないと云われても、流石に恥ずかしい。
心は乙女なシロコであった。
皆さん感想で性癖開示し過ぎでは?
性癖展開している性者の猛者も居ますし……。
まぁ私も性域に引きずり込まれた以上、必中効果に抗う為、性癖展開しますけれど。
愉悦? ――失礼だな、純愛だよ。
補習部でテストを全部終えた後、誰もいない教室にコハルを呼び出して、「せ、先生! こんな場所で、一体何するつもり!?」と敵愾心を露にするコハルを壁ドンして、怯えたような、どこか期待するような目で此方を見上げるコハルの制服を一枚一枚脱がせていき、これ以上脱いだら下着が見えてしまうという所まで手を伸ばして、内心で「わ、私これからしちゃうんだ……! 先生と、そういう事、しちゃうんだ……!」と胸を弾ませたコハルに脱がせた制服をもう一度着させてそっと教室から立ち去りたい。
きっと数秒程呆然とした後、「え、あれ……ぇ、せんせい?」となって混乱した眼差しで自身の体を見下ろした後、もしかして先生の好みの体型じゃなかったのかもとか、下着をもっと大人っぽいものにしなくちゃ興奮してくれないのかも、とか色々考えて恥を忍んでハナコとかに大人な下着とか、異性の誘い方とかを聞きに行くのだ。ハナコはハナコで日頃から、「エッチなのは駄目!」と宣っているコハルが突然下着や異性の誘い方何てものを聞いてくるものだから、一体どうしたのだと訝しみ、コハルが赤面しながら、「せ、先生と、ちゃんとそういう事したいから、前は私が馬鹿で、駄目だったから……興奮して貰えなかったから」と涙目で宣い、もう二歩も三歩もコハルの方が大人の階段を登っているのだという事実と、いつのまにか想い人を盗られていたという事実に影で涙して欲しい。
その後、どこか大人びた格好でバッチリ決めたコハルと先生がデートをして、めちゃくちゃ良い雰囲気でシャーレまで戻って来た時、それとなくそういうアピールをしたコハルに先生は困った顔で額に唇を落とし、「また明日ね、コハル」と優しい声で囁かれ渋々引き下がるのだ。それでも確かに自分は一歩ずつ進んでいるという実感と、先生とのこれからに思いを馳せて、最初はショボショボ歩いていたのに、トリニティに戻る頃にはスキップなんてしているんだ。
それで翌日、先生の参加したエデン条約の会場が
先生が死んだという事実と、絶望し泣き喚く友人――コハルを背後から必死に押さえつけながら、自分も泣きたいのに只目の前にある現実を受け入れるだけで精一杯で、大事なペロロ様のリュックに踏み痕を残しながら、慟哭するコハルとモニタを見つめるヒフミも見たい。あれだけ大事なペロロ様だったというのに、唐突に奪われた友人と想い人を前に、その愛すら霞んでしまう大事なものだったのだと気付いて、もう手遅れなのにそれ自覚した自分に絶望して欲しい。
その後、なんやかんやアロナの助力で辛うじて生きていた先生と遭遇して、泣きながら喜んで欲しい。再会した時の補習部の皆はきっと、とても良い笑顔を浮かべていると思うのです。
まぁその後、サオリに撃ち殺されるんですけれどね初見さん。
これが本当の