ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝を。


幸福な未来(皆が笑い合える明日)を、君に。

 

 この身を、終わりが襲う度に――私は思う。

 

 こんな、誰も救えず、罪悪を消す事すら出来ず、ただ無為に命を浪費する事しか出来ぬ私に、涙を見せる生徒達を見る度に。

 

 私は、その人生を捧ぐに値する先生なのか。

 私は、世界を燃やして尚救うに値する人間なのか。

 涙を流し、その死を嘆くに値する人間なのか。

 そんな事を、考える。

 ――考えてしまう。

 

 私は。

 

 誰かを裁き公正な善を為す、審判者であれば良かった。

 この世の苦痛を消し去り救う、救済者であれば良かった。

 世の罪悪を掻き消す、絶対者であれば良かった。

 

 けれど見下ろした手はどこまでも小さく、薄く、脆く、弱い。

 掴んだ未来はすり抜け、また振り出しに戻る。何度掴んだって、今度こそと意気込んだって、最善の未来(望んだ明日)はいつだって遠く、儚く――遥か向こうに。

 

 私は、誰かの命を奪い裁く事が出来ない――私は審判者ではないから。

 私は、誰かを苦しみから救う事が出来ない――私は救済者ではないから。

 私は、誰かが背負う罪悪を掻き消す事が出来ない――私は絶対者ではないから。

 

 誰を裁き、誰を裁かぬのか。

 誰を救い、誰を救わないのか。

 誰を正し、誰を正さぬのか。

 

 それを選ぶ権利など、私にはない。

 私が自由に出来るのは、徹頭徹尾――私のこの、命ひとつ。

 たったそれだけ。

 それだけだ。

 

 それだけを携え、私は、寄り添い続けなければならない。

 それが使命だから。

 それがこの身の為すべき事だから。

 文字通り、命を使って為さねばならぬ事だから。

 

 ――いや、違う。

 

 為さねばならぬ事、などではない。

 使命感に駆られて行う事などでは、断じて。

 私は。

 私の意思で。

 私自身の意思で。

 

 共に笑い。

 共に泣き。

 共に遊び。

 共に学び。

 

 そうやって、寄り添い、共に在りたいのだ。

 私の愛しい――生徒達と。

 だから。

 

 ――まだ、斃れる訳にはいかないんだ。(私の背中を、生徒達が見ているんだ)

 

 ■

 

【………先生?】

 

 ■

 

「――せい、先生ッ!」

 

 声が、聞こえる。

 それが誰のものか、酷くノイズの混じった音からは判別が出来ない。ただ、誰かが必死に、自身の名前を呼んでいる事だけは確かだった。揺すられる体、それが誰かの手によるものなのか、それとも自身の感覚がイカれてしまったからなのか、判断がつかない。その感覚は曖昧で、夢心地だ。

 先生は何かを口にしようとして――けれど舌のひとつも動く事はなく。ただ、か細い呼吸音だけが口元から漏れていた。口元から滴り落ちる赤色、視界の先に自身の指先が見える。赤に塗れ、擦り切れたソレ。うつ伏せに転がったまま、小さく、先生は呻く。

 

「大丈夫です、まだ息はありますっ! ヒフミちゃんのバッグが、ギリギリのところで先生を救ってくれましたっ……!」

 

 誰かが、自身の体を弄っている。辛うじて見える左目を動かせば、蒼褪め、歯を食い縛り、必死になって手を動かすハナコの姿が見えた。彼女の触れた場所が、酷く痛んで、思わず顔を顰めた。流れ出る赤が視界を埋めていく。体が怠い、息が続かない。喧騒が周囲に響いていた。誰かの駆ける音、叫び声、悲鳴、怒声、皆が、私の名前を呼ぶ。

 直ぐ傍に、小柄な人影が駆け寄って来た。

 

「――せ、せんせい!? 先生っ! 先生ぇッ!?」

「っ、コハルちゃん、揺らしてはいけませんッ! 何方か、医療班を、早くッ!」

「お、おいッ! 至急救護騎士団を呼んで来い! 急げよッ!?」

「は、はいっ!」

 

 直ぐ傍で、幾人もの生徒が声を張っていた。自警団の制服を着込んだ生徒が叫べば、シスターフッドのメンバーが転びそうになりながらも、慌てて体育館を駆けて行く。うつ伏せになったまま、先生は静かに視線を動かす。血が額を流れ、片目を覆っていた。右目が良く見えない。これは血液のせいか、それとも――。

 ふと、歪んだ視界の先に、見覚えのある顔が映った。

 

「ぇ、ぁ………え……?」

 

 呆然とした表情で先生を見下ろし、頬に大量の赤を付着させた――聖園ミカ。

 所々制服が薄汚れ、破けているものの命に別状はなく。しかし、その体には真っ赤な血と煤が付着し、その視線は座り込んだ自身に縋りつく様な恰好で倒れ伏す、先生を凝視していた。どこか信じられない様に、受け入れられない現実を見つめる様に――。

 

「な、に……これ………?」

 

 震える声で、彼女は云った。

 瞳孔を開き、震える指先を何度も先生に向けては引っ込め、視線を散らす。目前には倒れ伏した先生、赤に塗れ、呼吸はか細く、今にも死んでしまいそうな――瀕死の先生が居る。大きく裂けた背中は焼け爛れ、何かの破片らしきものがそこら中に突き刺さり、表面はべっこりと凹んでいる。

 何故、こんな事になった? どうして先生が死にかけている? その答えは簡単だ。先生は、自身を庇ったのだ。

 その事実を認めたくないと、こんなのはあり得ないと。ミカは緩く首を振る。

 だって、だって彼女の考えていた結末は、こんな筋書きではなかった。そうだとも、仮に失敗するとしても、こんな、こんな結果には――。

 

「ぅ、そ……でしょ、はは……せ、先生、が……なんで、こ、こんな――こんな……!」

 

 引き攣った声で呟き、ミカは自身の頭を抱える。くしゃりと、髪を握り締めながらミカは強烈な激情に駆られた。目元から大粒の涙が次々と零れ落ち、口が音もなく開閉する。その表情は泣き顔とも、笑みとも取れる、酷いものだった。背を丸め、ミカは短い呼吸を繰りし、喉を引き攣らせる。

 

「は、ぁぅ、ぁ、ぅああ……あああぁッ……!」

「ッ、ミカさん! ミカさんッ! 確りして下さ……――確りしなさいッ!」

 

 ハナコは、ミカの心が壊れかける音を聞いた。それは本当に、瀬戸際だった。

 頭を抱え、髪を掴み、背を丸めて幼子の様に震えるミカを見て、ハナコはこのまま放っておけば、聖園ミカという生徒の心が死んでしまうと、直感的にそう悟った。

 故に彼女はミカの肩を掴み、無理矢理上体を起こさせると、彼女の頬を目掛けて思い切り腕を振った。肉を打つ乾いた音が鳴り響き、ミカの頬が赤く染まる。頬を張られたミカは、一瞬何が起こったのか分からないとばかりに目を見開き、それから恐る恐る、ゆっくりとハナコを視界に捉えた。その血に塗れた手で頬を抑え、彼女は呟く。

 

「あぁ、ぁ――あ、う、浦和、ハナコ……?」

「惚けている場合ではありませんッ! いち早く治療しなければ、先生はっ――あなたはティーパーティーの一員でしょう!? 今為すべき事をっ、為せる事を為しなさいッ!」

 

 ハナコの真剣な、それでいて涙の混じった絶叫に、ミカは暫く呆然とした反応を返し、それから小さく、何度も頷いた。それは殆ど反射的な行動だった。思考は働かぬまま、けれど云われた事は理解出来ると、喉を震わせる。カラカラに乾いた口内、唾を呑み込むと、酷い鉄の味がした。

 

「ぁ……そ、そう、だよね、そう……先生、っは、早く、治療……しない、と――」

 

 呟き、ミカは両手を彷徨わせる。先生の状態は酷くて、あちこちから血が流れ出ていた。けれど一番酷いのはやはり背中で、ミカはその背中に――両手を押し付ける。

 ぐしゅり、と。嫌な音がした。思わず、口元から引き攣った悲鳴が漏れた。押さえつけた手の平から血が、どんどん溢れて来る。赤黒いそれは、一向に止まる気配がない。その、妙な暖かさがミカの両手から零れ落ちる度、先生の死が一刻一刻と迫っている様で、思わず指先が震えた。涙は止まらず、歯が恐怖で噛み合わない。

 慌てて、ミカは自身のケープを脱ぎ捨て、先生の傷口に止血布代わりに押し当てた。それが正しい判断かは分からなかったが、兎に角血を止めなければという気持ちだけが先行していた。

 押し当てたケープはものの数秒で血を吸い、変色し、溢れてしまう。これが果たして意味のある行為なのか、彼女には分からなかった。ただミカは小さく、先生の名を呟きながら、傷口を抑える事しか出来なかった。彼女自身、自身を襲う莫大な恐怖と不安と戦うので必死だった。

 ――それでも、血は止まらない。

 

「……あぁ、ぅあああッ!」

 

 最初に限界が来たのは、コハルだった。

 彼女は先生に縋りついたまま、大口を開けてぽろぽろと涙を零した。先生の袖を強く、強く握り締め、何度も喘ぐ様に呼吸を繰り返し、その体を揺り動かしながら絶叫した。

 

「やだッ! やだよぉ! 先生、せんせぇっ!? 起きて、起きてよぉ!? 起きてったらぁッ!?」

「――っ、コハルちゃん! コハルちゃん、落ち着いて下さいッ! 駄目です、今はっ!」

 

 辛うじて自制出来ていた感情が決壊し、彼女は半狂乱になりながら先生の体を揺すり始める。ヒフミは、蒼褪めた表情のまま立ち竦んでいたが、コハルの声に辛うじて意識を取り戻し、背後から彼女を抱きしめる様に押さえつける。今は、身体を揺する事さえ恐ろしく感じた。ほんの、些細な刺激でさえ――先生の死に直結してしまう様な気がして仕方なかった。

 

「先生ッ! やだぁッ! せんぜぇぇえッ!?」

「こは、コハルちゃんッ! 落ち着いて……! 大丈夫、大丈夫ですから……ッ!」

 

 ヒフミに羽交い締めにされて尚、コハルは必死の形相で先生に向かって手を伸ばす。ヒフミはコハルを力一杯抱きしめながら、必死にそう口ずさんだ。今にも泣き出しそうになりながら、蒼褪めた表情で、何度も、何度も。

 けれどそれが何の気休めにもならない事は、ヒフミ自身が一番良く分かっている。それは寧ろ、自分に向けて放った言葉であった。

 大丈夫、大丈夫と。

 彼女はそう云い聞かせる。

 背後にぴたりと張り付く、不安と恐怖から目を逸らして。

 

「あの――後ろ姿は……ッ!」

 

 ふと、声がした。

 アズサの、聞いた事のないような声だった。

 ヒフミが振り向くと、ボロボロの恰好のままアズサが体育館の壁、その大穴を凄まじい形相で睨んでいた。その視線が先生と大穴を一瞬行き来し、歯を食い縛った彼女は唸る様に呟く。

 

「あいつ、は……ッ!」

「え、あっ、アズサちゃんッ!? 一体どこに!?」

「―――ッ!」

 

 銃の安全装置を弾く音。次いで、弾倉を切り替える音。ヒフミが声を上げた時、既にアズサは駆け出し、人の群れの中に飛び込んでいた。その、純白の制服が黒に紛れ、見えなくなる。

 

 ヒフミが最後に見たアズサの瞳は――憎悪と憤怒に満ちていた。

 

「――ま、待って! 待ってくださいっ! アズサちゃんッ!?」

「ああぁあッ、先生ぇええ!?」

「っ、こ、コハルちゃん……! 暴れないでっ、あばれ……あ、ぁあ、ううぅ……ッ!」

 

 ヒフミは、必死に声を上げ、アズサに手を伸ばそうとした。何故か、酷く嫌な予感がして仕方なかった。彼女がどこか、遠くに行ってしまいそうで――。

 けれど今にも暴れ出そうとするコハルに体を引っ張られ、その場で堪えるのに一杯一杯だった。一瞬、視線を切った瞬間にアズサの影は何処にも見当たらず、完全にその背中を見失う。

 瞬間、辛うじて我慢していた涙が溢れ、ぼろぼろと頬を伝った。周囲は、喧騒に満ちていた。血と、火薬と、硝煙の匂い。平和だった、つい数日前が、まるで嘘みたいに。

 視界に必死で先生を生かそうとするハナコと、蒼褪めた表情で止血するミカ、そして涙を流しながら絶叫するコハルが見える。視界がどんどん、涙で滲んでいった。気を緩めると、自分も泣き喚いてしまいそうだった。

 黒ずみ、ボロボロに裂けたペロロ様のバッグ。爆弾で見る影もなくなったそれを、ヒフミは見下ろす。

 

「ど、どうして……なんで、こんな、事に……ッ!?」

 

 呟きは、喧騒の中に掻き消される。

 そのファスナーに取り付けられた補習授業部の人形(大切な思い出)は――先生だけが焼け焦げ、千切れていた。

 

 ■

 

『――リーダー、首尾は』

「悪くはない、だが良くもない」

 

 ひとり、体育館を後にしたアリウス生徒――サオリは罅割れた端末を片手にそう告げた。通話口の向こう側に居るのはアリウス・スクワッドのミサキ。彼女の問い掛けに頷きながら、サオリは顔を覆っていたマスクを外す。

 途端、頭上に輝いていたヘイローが歪み、普遍的なソレから自身の円環へと変質した。バリスティックベストを脱ぎ捨て、白いコートの前を開いたサオリは、自身のトレードマークとも云える帽子を深く被り息を吐き出す。

 一般アリウス生徒に偽装していた彼女は、徐々に陽が昇り始めた空を見上げながら目を細めた。太陽が、トリニティを照らし始める。

 ――夜明けが近い。

 

『……作戦は上手くいったの?』

「あぁ、先生に例の爆弾を喰らわせてやった……真面に浴びれば、聖園ミカ諸共排除出来た筈だが、ギリギリで邪魔が入った」

『じゃあ、ターゲットは生きている?』

「恐らくは、な」

 

 本来の作戦であれば、此処で先生諸共始末する予定ではあったが――聖園ミカ自体は生きていようが死んでいようがどうでも良い。桐藤ナギサが死亡していた場合は生きていて貰う必要があるが、その確保に失敗した時点で彼女は用済みだ。

 そして、先生の排除こそサオリが出張った目的であった訳だが――あの様子だと、恐らく息はあるだろう。即死させる事は叶わなかった。状態が悪化すれば或いは、という所か。

 ともあれ、あそこまで騒ぎを大きくした以上この場に留まる事は危険だった。そう考え、彼女は撤退要請を口にする。

 

「回収車両を頼む、メインターゲットの排除には失敗、サブターゲットは行方知れず……だが、『本命』の回収は済ませたのだろう?」

『うん、予想外の妨害があって何人かやられたけれど、スクワッドは無事』

「妨害だと、何があった?」

『詳しくは戻ってから話す、狐面を被った変な奴に襲われた』

「そうか……任務を果たせたのならそれで良い、最低限の目標は達成した」

『了解、先生への追撃は?』

「必要ない、恐らく失敗する」

『……想定外の戦力でも居た?』

「あぁ、シスターフッドとトリニティ自警団だ、その身を盾にしても守るという顔だった……盾になる生徒諸共となると、弾薬が何発必要かも分からない、ヘイロー破壊爆弾も手持ちがない」

『そう、分かった……車両は一分で到着する、ポイントは四番』

「あぁ」

 

 頷き、端末の電源を切った。明るく差し込み始めた陽に照らされながら、サオリは足を進める。目指すはトリニティ郊外、そこで回収車両を待ち、そのまま行方を晦ませる。次に彼女達と邂逅するのは――エデン条約の調印式となるだろう。

 

「………」

 

 ふと、サオリはポケットの中に手を入れ、一枚の紙切れを取り出した。

 それはいつか貰った、先生の連絡先が書かれたメモ用紙。お人好しの大人が、戦闘糧食尽くしの自分の為に暖かい飯を恵んだ――そんな折に手にした、善意の証。

 サオリは暫くの間、その紙面をじっと見つめ続け。

 徐に――それを破り捨てた。

 

「結局はこうなる……こうなるんだ、先生」

 

 真っ二つに破られた紙を、更に細かく千切り、虚空に散らす。風に煽られたそれはふわりと宙に舞い、遥か彼方へと飛んで消えた。それを見送りながら、サオリは帽子のつばを摘まみ、深く被り直す。

 その陽光(善意)と、決別する様に。

 

「――全ては、虚しいのだから」

 

 サオリの足が歩みを再開する。一先ずこの学園から抜け出す必要があった。尤も、それは大して難しい事ではない。体育館の騒動が周囲に波及し、今は何処も人手が足らず、情報は錯綜している。生徒一人が網を潜り抜ける程度、容易い。

 

 そんな彼女の耳に、誰かの足音が届いた。思わず足を止め、腕にぶら下げた銃のグリップを握り直す。音は、徐々に近づいている。狙いは明らかに自分だった。

 まさか、あの騒動の最中で自身に勘付く者が居るとは――気付いたとしても、先生の負傷に取り乱しそうなものだが。

 内心で辟易としながら、サオリは緩慢な動作で振り向いた。

 

「……追撃か、随分目敏い生徒が居たものだ」

「ふぅ、ふッ、ふぅうッ――!」

 

 サオリの目前で足を止め、荒い息を繰り返す誰か。顔を逸らし、目深く被った帽子越しに見えたその顔は――血走った目で此方(サオリ)を見る、嘗ての同胞。

 その表情を視界に捉えた時、サオリは少しだけ驚いた様に目を見開き、それから納得と悲哀の感情を見せ、頷いた。

 

「――あぁ、そうか、そうだったな……こういうやり方を教えたのは、私だったな」

「錠前、サオリぃぃいイッ!」

 

 絶叫し、愛銃を構える――白洲アズサ。

 血走り、薄汚れた頬をそのままに踏み込む。

 その指先が引き金を絞り、銃声と共にマズルフラッシュが瞬いた。サオリが素早く首を傾ければ、舞った髪のひと房を弾丸が千切り飛ばす。二発、三発、飛来するそれを地面を這う様にして回避し、サオリはアズサに肉薄する。背後で、銃弾が跳ねる音が響いた。

 

「良くもッ、良くも先生(あの人)をッ!?」

「随分、アリウスらしい(憎悪に塗れた)顔になったじゃないか、アズサ? ……何だ、絆されたのか? お友達ごっこがそんなに気に入ったのか、それともまさか、あの日向(表側)を、自分の居場所だとでも錯覚していたのか?」

「お前はッ! お前だけはぁアアッ!」

「――笑わせる」

 

 至近距離での銃撃戦。ステップを踏み、肉薄するサオリに反しアズサは銃口を引きながら、腰撃ちで対応する。数発の弾丸がサオリの肌を掠めるも直撃はせず、下から掬い上げる様な蹴撃がアズサを襲った。人間であれば顎を打ち砕く一撃、それをアズサは転がって回避する。爪先がアズサの頬を掠め、僅かに血が噴き出した。そのまま二度、三度地面を転がったアズサは、這い蹲った状態で射撃を敢行。足元を狙ったそれを、サオリは壁を蹴って飛び上がり、空中で体を捻る。アズサの放った弾丸は、校舎の外壁に弾痕を刻むのみ。

 

「っ、くッ!」

 

 呻き、アズサは素早く立ち上がる。しかしサオリが距離を詰める方が一手早かった。

 サオリはアズサ目掛け、素早く銃を突き出す。一体何を、そうアズサが思考するより早く、その視界に鋭い切っ先が目に入った。バレルに沿う形でいつの間にか着剣されていたそれが、アズサの喉元目掛けて突き出されていた。

 アズサは繰り出されたそれを、辛うじて愛銃を壁にして防ぐ事に成功する。横にして突き出したアズサの銃が、サオリの銃の弾倉に引っ掛かり、切っ先はアズサの目前で停止した。

 小刻みに音を立て、拮抗状態に陥る両者。傍から見れば突撃銃で鍔迫り合いを行っている様な形。

 重なり合った両者の視線が、至近距離でぶつかる。サオリは顔を近付け、淡々とした様子で告げた。

 

「私達の様な人殺しを受け入れてくれる場所などない、お前の見ているそれは幻想、錯覚に過ぎない……目を覚ませ、アズサ――その甘い夢から……夢は所詮、夢だ」

「違うッ――!」

「――違わない」

 

 鍔迫り合いの状態から、サオリは引き金を絞った。銃声が鳴り響き、閃光がアズサの網膜を焼く。放たれた弾丸はアズサの頬を削り、地面を穿った。

 アズサは歯を食い縛りながら体を捻ると、全力でサオリの腹部に蹴りを叩き込む。勢いに押され、そのまま背後へと蹈鞴を踏むサオリ。アズサは後転を一つ挟み、素早くボルトキャッチを押し込み弾倉をリリース、新しい弾倉をポケットから取り出し填め込む。

 サオリはその様子を眺めながら、素早く照準を合わせ射撃。銃口を向けられた時点で、アズサは駆け出し的を絞らせない。数発の弾丸が地面を叩き、アズサの翼を掠めた。

 

「陽の元で生きる者と、そうではない者……その境界線はハッキリしている、そして、一度手を汚した者は、二度と『そちら側』へは行けない――この世界は、そういうルールで成り立っている」

 

 サオリは攻撃の手を緩めない。正確無比な射撃でアズサの皮膚を削り、青痣を作り出す。一発、脇腹に弾丸が直撃し、アズサは呻きながら体勢を崩した。今にも転びそうな姿勢、しかし、彼女が足を止める事は無い。痛みを噛み殺し、憎悪を以て体を突き動かす。

 アズサは応射を繰り返しながら稲妻の如く駆け、サオリの元へ弾丸を送り込む。しかしサオリは飛来するそれを紙一重で避け続けた。

 経験と、体力の差――ミカとアリウスに狙われ続け、長時間の戦闘を行ったアズサの体調は万全とは云い難い。反し、サオリは気力も体力も十二分、そして何より精神的な優位性があった。

 誰かの為に激情し、激昂する者ほど――周りが見えなくなるものだ。

 

「くっ、ぅ――……!」

「どれだけ足掻こうと、どれだけひた隠そうと、過去は必ずお前に付きまとう、影の如く、ぴたりと、常に――そしてお前はいずれ知る、自身が根底からして奴らとは違う人種なのだと……自身は、『こちら側』の存在なのだと」

 

 冷静に、冷酷に、淡々と。

 サオリの攻勢に晒されるアズサは、腹を決める。

 このまま逃げ惑い、削り合いに持ち込まれた場合、不利なのは己だ。先に多くの弾丸を消費し、体力の少ない己が負ける。

 故に、望むのは短期決戦。

 肉を斬らせて――骨を断つ。

 その覚悟を決める。

 

「その夢は甘いだろう、ずっと見ていたくなる夢幻だ、そうだ、夢とはそういうものだ……しかし覚めた時、傷つくのはお前自身だぞ、アズサ」

「――お前がッ、私達を語るなァッ!」

 

 地面を蹴り、回避行動から直線へ。

 アズサは真っ直ぐ、サオリ目掛けて突貫を開始した。サオリはそれを見て、セイフティをセミからオートへと弾く。引き金を絞った瞬間、凄まじい銃声とマズルフラッシュが瞬き、アズサの体を無数の弾丸が襲った。

 

「ぐ、ぅ、ううッ!」

 

 しかし、彼女は耐える。腕と翼を盾代わりに、頭部とバイタルラインへの直撃だけは避け。肩に、腕に、翼に、足に、幾つもの銃弾が着弾した。その衝撃と痛みに、アズサの肉体は悲鳴を上げる。しかし、彼女は止まらない――止まれない。

 そして幾つもの弾幕を潜り抜け、サオリをクロスレンジへと捉えたアズサは、大きく腕を払い、サオリの銃を弾き飛ばす。後方へと逸れた銃口が、明後日の方向へと弾丸を吐き出す。

 ――道が開けた。

 悍ましい形相を浮かべながら、アズサはサオリに銃口を突きつける。

 

「――サオリィイッ!」

「……だから云っただろう、すべては――虚しいのだと」

 

 アズサがその引き金を絞る――その瞬間、腹部に鈍痛が走った。

 

「ぅ、ぐっ……!?」

 

 乾いた音、銃声。視線を落とせば、サオリが腰だめに拳銃を構えているのが見えた。アズサが弾いた腕とは逆の手、ホルスターから素早くサブアームである拳銃を抜き放ち、撃ったのだ。

 弾丸が鳩尾を強かに叩き、衝撃と痛みで体が硬直する。その瞬間、行動に一拍の猶予が生まれた。サオリにとっては、その一秒足らずの時間で十分だった。弾かれた腕をそのままに体を回転させ、アズサの胸元目掛けて蹴撃を撃ち込む。

 地面に振動が生まれ、回転を孕んだその一撃はアズサの中心を穿つ。凄まじい衝撃と痛み、骨が軋み、息が詰まった。大きく吹き飛ばされたアズサはそのまま石畳の床を転がり、滑り、砂利に塗れて止まる。

 それでも、銃だけは手放さなかった。

 

「げほッ、ごほっ、おぐ、ぅ……ぐぅうッ!」

「………」

 

 口内の血を、唾液と共に吐き出し、アズサは嘔吐(えず)く。しかし、彼女は乱雑に口元を拭いながら、それでも尚立ち上がる。その視線は満身創痍であっても、サオリから片時も離れはしない。

 サオリは這い蹲り、苦悶に喘ぎながらも立ち上がるアズサを見下ろしていた。

 その瞳には――何の感情も宿りはしない。

 

「はぁ、はッ……! だと――……してもッ!」

「………」

「全てが、虚しくて、無意味な事だと、しても……ッ!」

 

 地面に手を突き、血と、泥と、砂利に塗れながら。

 アズサは立ち上がる。

 震える足で、汚れ切った手で(罪悪に塗れた手で)、必死にその体を支えながら。

 

「例え、今まで積み重ねた罪が、罪悪がッ、この身に纏わりついているとしても、私はッ……!」

「………」

 

 叫び、アズサは三度(みたび)銃を構えた。その引き金に指を掛け、絞る。

 銃声が鳴り響き、マズルフラッシュが周囲を照らした。

 弾丸はサオリの直ぐ脇を通り抜け、その頬に一筋の赤い線を生む。

 掠めた弾道を目で追いながら、サオリは呟いた。

 

「……何故足掻く」

 

 呟きが、アズサに届く事は無い。

 

 全ては無意味だ、抵抗する事は無駄だ。

 アズサの状態を見れば分かる、既に立つのもやっとで、真っ直ぐ銃を構える事すら出来ていない。皮膚は血と青痣に塗れ、鼻血と涙に塗れた顔は酷いものだ。膝を突けば楽になるだろう、諦めれば安寧の内に全てが終わるというのに。

 何故――抗う?

 

 サオリの足が緩慢な動作で動き、反応してアズサが銃撃を行う。しかし、弾丸が飛来するよりも早く、サオリの足はアズサに肉薄していた。宛ら影の如く、音もなく、目にも止まらぬ速度で駆けるサオリ。素早く銃口を振り回し、その軌跡に弾丸を撃ち込むも、銃口が彼女を捉える事は無く。

 気付けば、サオリの突き出した銃剣が自身の喉元に迫っていた。

 

「ッくぅ!?」

 

 咄嗟に、顔を逸らして回避。突き抜けた切っ先が、アズサの髪をひと房掠めた。そして肩に当てていたストックを跳ね上げ、アズサの銃口を真上に弾く。そして再びサオリへと銃口を向けようとして――目の前に、誰も居ない事に気付いた。

 刺突だと思っていた銃剣と突撃銃は――ごく至近距離で投擲された囮だった。

 

「鈍ったなアズサ」

「――………」

 

 声は、真横から聞こえた。

 時間が、酷くゆったりと感じられた。瞳だけを、横合いに飛ばす。そこにはアズサの頭部に拳銃を突きつけ、何の色も宿らない瞳を向けるサオリが立っていた。その引き金には、既に指が掛かっている。

 

「至近距離でそんな長物を振り回すなど……こんなぬるま湯で、友情ごっこに興じていたから、こうなる」

「………」

「そんな鈍った腕で私を倒せると、本当にそう思ったのか?」

 

 弾いたサオリの突撃銃が、地面に転がる音がした。見当違いな方向に銃口を向けたまま、アズサは動く事が出来ない。僅かでも動けば頭部を弾かれると、彼女の直感が告げていた。そしてそれが事実であると、アズサ自身知っている。

 サオリは銃口を微動だにせず、告げる。

 

「――何度でも教えてやろう、アズサ……私がお前に、現実(アリウス)というものを」

「っ……サオリィッ!」

 

 咄嗟に頭部を逸らしながら、愛銃をサオリに向けた。それが半ば賭けに近い行為だと分かっていた、それでも体は動いた。体を沈ませながら腰を使って銃口をサオリに合わせ――引き金を絞る。

 その動作は、余りにもスムーズで、滑らかで、彼女の人生に於いて最も効率的な姿勢移行だと断言出来た。

 

 けれど、それでも現実は非情で。

 

 アズサの銃口が火を噴くよりも早く、サオリの拳銃、その銃口が閃光を吐き出した。弾丸はアズサの額に吸い込まれるように直進し、着弾する。

 衝撃は十全にアズサの頭部を揺らした。首が弾かれるように後退し、意識が一瞬、混濁する。視界が暗転し、全身から力が抜けるのが分かった。宛ら出来の悪いマリオネットの如く、後方へと流れた体はそのまま力なく背を地に付け、倒れる。

 軽々しい音と共にアズサの愛銃は地面の上を滑り、サオリの足元で止まる。彼女はそれを踏みつけ、小さく息を吐いた。

 倒れ伏したアズサを、サオリは見下ろす。

 その銃口が――再び、頭部に向けられる。

 

「これで終わりだ……アズサ」

「わ、たしは――」

 

 途切れかけの意識に喝を入れ、アズサは言葉を紡ぐ。

 衝撃は確かに、彼女の意識を沈めかけた。視界はあやふやで、思考はぼやける。けれどそれでも尚、途切れぬ感情が胸にあった。着弾の瞬間、彼女は歯を食い縛り、意識を繋ぎとめる事に全力を注いでいたのだ。

 撃ち込まれたのが9mmで良かった。アズサはそう、思考の片隅で思う。ライフル弾を撃ち込まれていれば、恐らく自分は一瞬で意識を失っていただろう。

 冷酷に自身を見下ろすサオリを前に、アズサは震える指先を、そっと懐に忍ばせる。

 

 アズサの脳裏に、補習授業との記憶が過った。

 皆と過ごした一ヶ月、アリウスでは体験出来なかった輝かしい思い出。全てが全て、新鮮で、温かくて、輝いていて、楽しくて、嬉しくて――その記憶の中では、いつも自分は笑顔だった。仏頂面だと良く云われる、氷のようだと揶揄われる、けれど存外、自分は心の中で笑っている。

 あの暖かい場所が――アズサは大好きだった。

 

「私、は……っ」

 

 至近距離で長物を振り回す愚行――そんな事は、理解しているとも。

 全ては布石だった、体力、弾数共に劣る自身が彼女に勝つ為の。

 差し込んだ指先に触れる、硬い感触。それは一丁の拳銃。いつかサオリに手渡された、先生を暗殺する為の手渡された代物。

 ――その中身に、アズサは手を加えた。

 細工をしたのは銃本体ではなく、弾倉の方。通常の9mmではなく、フレーム・バレルが破損する前提で使用する強装弾を詰め込んでいた。

 装填された弾数は、たったの三発。

 そもそも、三発も撃てるとはアズサは考えていない。恐らく一発撃つだけで、銃身とフレームはガタガタになり、使い物にならなくなるだろう。それ程の火薬量を、彼女はその三発に詰め込んでいた。

 

 威力は違法改造なだけあってお墨付き、ライフル弾には劣るものの、元が9mmとは思えないストッピングパワーを誇る。これなら幾らサオリであっても、頭部に撃ち込めば意識を断ち切る事が出来るだろう。

 気絶さえさせてしまえば、後はどうとでもなる。

 意識のない生徒のヘイローを破壊するなど――造作もない事だ。

 

「私は――ッ!」

 

 ヒフミ、コハル、ハナコ、先生。

 皆の笑顔が瞼に焼き付いて離れない。一緒に掃除をして、勉強して、ご飯を食べて、水着で雑談をして、夜の散歩をして、色々な楽しい事をした、これからも楽しい事をしようと約束をした。最後まで自分を信じてくれた、自分の味方になってくれた。

 こんな嘘に塗れ、日向に憧れ、ずっと寂れた片隅から陽に溢れた世界を覗く事しか出来ない自分を救ってくれた――それが彼女達なのだ!

 そんな、彼女達を。

 大切な友人を。

 何よりも大事な、補習授業部(みんな)を守る為なら。

 

 アズサの瞳が煌めく。その腕が素早く拳銃を引き抜き、サオリに銃口を向けた。

 唐突なそれに、彼女の目が見開かれる。先生を暗殺する為に手渡した、万魔殿仕様の拳銃。その銃口は、自身に向けられている。

 互いの指先は、引き金に掛かっていた。その切っ先に力が籠る。

 サオリの瞳が引き絞られ、アズサの瞳が彼女を射貫く。

 憎悪と――殺意を込めて。

 

 アズサの胸元に括られた補習授業部人形が、弾む。

 全員が揃って、手を繋いだそれが。

 

 そう、補習授業部(みんな)を守る為なら。

 

「サオリ、お前を――ッ!」

 

 ――たとえ、殺す事になったと(ヘイローを壊)してもッ!

 

 視線が、交わる。

 殺意と憎悪、そして何の色も宿さない瞳が。

 けれど僅かに、サオリの瞳が色を変え。

 其処に寂しさと、悲しさが生まれて。

 

 互いの引き金が、そっと絞られた。

 

 

「――アズサァぁーッ!」

 

 

 怒声が響いた。

 それはこの場所で、聞こえる筈のない声だった。

 

「っ!?」

「ッ!?」

 

 互いが引き金に指を掛けたまま、肩を跳ねさせる。素早く視線を動かせば、彼女達の背後、体育館へと至る道、その石畳の上に――先生()が立っていた。

 

 純白であったシャーレの制服は焼け爛れ、赤黒く変色し、その姿勢は前傾。顔も、腕も、肩も、どこもかしこも血塗れで、彼の足元には現在進行形で血が滴っている。だらりと垂れた左腕は、動かせないのか殆ど振り子の様に揺らめくばかりで、爆発の衝撃で脱げたのか、靴は片方が消失していた。

 

 それでも――瞳だけは死んでいない。

 

 塞がった右目の代わりに、二人を射貫く左目。その瞳は力強く、真っ直ぐ、彼女達を捉えている。荒い息を繰り返し、血を滴らせ、先生は一歩を踏み出す。

 血を吸った靴が、水音を立てて沈む。

 一歩ずつ、前へ――。

 

「せ、先生……っ!?」

「――……馬鹿な」

 

 アズサが、サオリが、息を呑む。

 そんな瀕死の体で、死に体で。

 

 それでも――先生はその場に立っていた。

 


 

 次回「幸福の代償」

 

 どのようにして先生はこの場に辿り着いたのか? そしてエデン条約・前編の結末は? 恐らく、エピローグ含めあと二~三話でエデン条約編・前編は完結でしょう。

 

 幸せな未来を掴むにはね、代償が必要なんです。そしてその価値は、人によって異なるんです。その代償を肩代わりするのであれば、相応の覚悟がなければなりません。

 時間でしてよ、先生。覚悟はよろしくて? 私はよろしくてよ!

 

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