ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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最近の流行は誤字脱字報告ですわよ。
次回がエピローグですわ~!


私達は、此処にいます。

 

「……先生の容態は?」

「……先程、担当医の方から峠は越えたと、しかし、まだ傷は深く、意識も――」

「そう、ですか」

 

 救護騎士団――本棟。

 白く統一された廊下、明かりの消えたその場所で顔を突き合わせる生徒が三名。シスターフッドのサクラコ、正義実現委員会のハスミ、そしてトリニティ自警団のスズミ。

 彼女達は戦闘を終えた格好のまま、薄暗い廊下にて佇む。視線の先には、分厚い透明な硝子、その先に白いベッドと、幾つもの装置に繋がれた先生の姿があった。

 

 ICUと一般棟を隔てる廊下、ハスミに医療の知識は無かったが、その物々しさだけは痛い程に感じられた。立ち並ぶ心拍、血圧、呼吸、心電図モニター、パルスオキシメーター、非観血的血圧計、血液濾過装置、輸血・経腸栄養用ポンプ、ネブライザー――サイドモニタに映る血圧や脈拍、バイタルは一定だ。時折、救護騎士団の生徒が先生の体に触れると、そのラインが跳ねる事がある。痛みを感じると、それらが変動するらしい。モニタを監視する救護騎士団の一人がそう口にしていた。

 ハスミは壁に手を着きながら、自身の額を手を覆う。その表情は酷く歪んでいた。

 

「……失態ですね、正義実現委員会がこのような」

「それは、シスターフッドも同じです――先生に協力を請われた上で、この様な結果とは」

 

 大きな組織を束ねる立場にある両名は呟き、後悔を滲ませる。特にハスミは、先生が負傷した後に出動する事となった為、その後悔の念も一際強い。正義実現委員会が必要な時に動く事が出来なかった。一体なんの為の正義実現委員会か、その名が泣くというものだ。そんな感情を吐露する彼女に、スズミはふと声を上げる。

 

「そう云えば、ツルギ委員長はどちらに?」

「……今は、ミカさんの元に、一応今回の首謀者と云う形で拘束しております」

「ミカさんですか……しかし、あの様子では――」

「えぇ」

 

 スズミの問い掛けに、ハスミは気難しい表情を浮かべて答える。サクラコは自身の腕を小さく摩り、俯いたまま口を開いた。

 

「自身のクーデターで先生を巻き込み、その先生が自身を庇って重体ですから」

「……考えたくもありませんね」

 

 ティーパーティー――聖園ミカ。

 今回の騒動を巻き起こした主犯と目される生徒。

 現在彼女は正義実現委員会によって身柄を拘束され、別棟にて監視下に置かれている。トリニティ内部でもかなりの影響力、実力を持つ彼女を警戒する為に、正義実現委員会のトップであるツルギはその監視及び警護の任務に就いていた。

 しかし、警護は兎も角監視が必要かと云われると――正直な所、分からない。

 

 先生が爆発に巻き込まれ、その後一時的に行方を晦ませて以降、彼女は一言も口を開く事はなく、俯き、粛々と拘束を受け入れていた。自身の力で脱走を企てる、そんな余裕は全く以て見受けられない。その表情には、焦燥と後悔だけが張り付いていたと記憶している。

 何せ正義実現委員会が到着するまでその場に蹲り、じっと地面に飛び散った血溜まりを凝視しながら何か譫言を囁いていた程だ。拘束の為に生徒が声を掛け、漸くその視線を動かしたというのだから――精神的なショックは察して余りある。

 

「兎も角、先生を頼みます……あの人は、キヴォトスになくてはならない人です」

「勿論です、万全を期してシスターフッドが警護に当たります」

「またいつ連中が仕掛けて来るか分かりませんからね……先生を爆破した犯人は、まだ?」

 

 この救護騎士団本棟の警備は、救護騎士団とシスターフッドが担当する事になっている。建物外周にはぐるりと生徒達が配備され、警邏も巡回させる徹底ぶり。内部にもシスターフッドの面々が滞在し、万が一の際は先生を絶対に守る様に厳命してある。唯一の懸念は、先生を爆破したというアリウスの生徒だ。

 スズミも自警団の連絡網を利用しトリニティ自治区にて件の犯人捜索を行っているが未だに発見には至っていない。別働隊が存在するのならば、その捕捉と撃退は急務だった。正義実現委員会ならば或いは、そんな想いと共に問いかけるも、ハスミは緩く首を横に振った。

 

「行方を晦まし、その後の足取りは掴めておりません……包囲網を易々と抜けられました、とんだ失態です」

「しかし、アリウス分校が関わって来るとなると、これは学園間の抗争そのものでしょう――我々のみで対処するにも限界があります」

「委員会や部活動のみではなく、トリニティ総合学園として対処すべき事柄と?」

「えぇ」

 

 ハスミの言葉に、サクラコは深く頷いて見せる。アリウス分校――規模としては決して大きくはない、しかし腐っても学園の一つ。自治区を持ち、また生徒を抱えている以上、委員会や部活単独で立ち向かうべき相手ではない。

 ましてや、この様な手段に訴えて来るのであれば――尚更。

 

 ――問題は、その音頭を取る者が不在である事。

 

 百合園セイアは行方不明、桐藤ナギサは未だに昏倒中、聖園ミカは拘束され一時的にその権限を停止されている。

 トリニティ総合学園に於ける生徒会、ティーパーティーは機能不全に陥っていた。

 

「しかし、現状トリニティとして動くには余りにも――ティーパーティーが不在である以上、主要三派の意思統一は困難かと」

「それは承知しております……恐らく当面はトリニティ内部で防衛に努める事になるでしょう」

「であれば、自警団からも警備を担当したいという声が幾つか、よろしければ協議の方を」

「それは、大変助かります」

 

 トリニティ全体として動けないのであれば、主要な部分に戦力を割き防衛に当たる他ない。そんな思考をサクラコが漏らせば、スズミは自警団の防衛任務参加を提言する。今はどこも人手が足らず、猫の手も借りたい状況である。その言葉にサクラコは表情を明るくさせ、頷く。

 

「そういう事ならば、正義実現委員会からも何人か人手を出します」

「感謝します――しかし、騒動の収拾に人手は足りないではありませんか?」

「否定はしません、ですが重要度の問題です、本部に詰めていた事務員が何名か居ります、業務は滞るでしょうが今は先生の身の安全が第一です――是を非としても、先生を喪う訳にはいきませんから」

 

 そう云ってハスミは目を伏せる。自身の腕を掴んだ彼女は唇を強く噛み締め、その赤い瞳の瞳孔を開き、吐き捨てた。

 

「――ゲヘナを凌駕する憎悪を抱く対象が現れるとは……人生は、分からないものですね」

「………」

 

 その言葉には、殺意が籠っている様にも思えた。彼女らしからぬ激情――普段ゲヘナに対し過激な発言や行動を取る彼女ではあるが、そこには嫌悪や敵意と云った純粋な感情のみが存在していた。しかし、今彼女を支配しているのは、濁りに濁った、昏く息苦しい何かだった。

 

「……いえ、忘れて下さい、言葉が過ぎました」

「お気になさらず――言葉は兎も角、理解は出来る事ですから」

 

 ハスミのそれに、スズミはそう云って顔を背ける。そんな彼女達の耳にふと、誰かの足音が聞こえた。廊下を駆けるそれは周囲に響き、三人の視線が背後へと向けられる。

 

「はっ、はぁ……は、ハスミ先輩……!」

「コハル――」

 

 そこには汗だくになりながら、荒い息を吐くコハルの姿があった。

 現在の救護騎士団本棟は、先生の警護を行う観点から出入りを厳しく制限している。一般生徒は当然の事、現時点に於いては行政官の出入りすらも禁じられていた。ティーパーティーの一員が事を起こした以上、トリニティ内部にも協力者や内通者が居る可能性は捨てきれない。寧ろハスミは、その可能性が高いと考えていた。

 百合園セイアがその身の安全の為にトリニティを離れた様に――先生もまた、本来ならばトリニティ自治区を離れる事が最善である。しかし、残念ながら先生の状態、及び犯人不明の為に下手に移動させるのは却って危険であるとの結論に至った。

 

 故に現在敷かれている出入り口の検問を抜けられるのは、ハスミやサクラコと云ったシスターフッド、正義実現委員会の一部の生徒、そしてトリニティ自警団のスズミ等、現場に居合わせ確実に味方だと認識されているメンバーのみ。

 その点、補習授業部は後者の部分から入館を認められると考えていたが――コハルがひとりでやって来た所を見ると、どうやら現場の判断で止められているらしい。あの場に居合わせなかった生徒からすれば、確かに、補習授業部など耳にしたことも無い筈だ。

 ハスミがコハルの元へと足を進めれば、彼女は必死に息を整え、煤けた帽子を掴みながら口を開いた。

 

「あ、あのっ、せ、先生は……!」

「大丈夫です、峠は越えました、意識はまだ戻っていませんが容態は安定しています」

「そっ――そうですか! よ、良かったぁ……!」

 

 ハスミのその言葉を聞いたコハルは、表情を一変させ深く安堵の息を吐く。そんな彼女を見下ろしたハスミは、その肩を軽く叩きながら告げた。

 

「それよりも――補習授業部にはまだ、やらなくてはならない事が残っている筈です」

「えっ……?」

 

 ――やらなくてはならない事?

 その言葉に、コハルはハスミの顔を見上げる。自身を真っ直ぐ射貫く視線を受け、コハルの疲労で鈍った思考が回り出す。

 やるべき事――今思い当たる事は、一つだけ。

 

「だ、第三次特別学力試験……?」

「えぇ」

 

 コハルの呟きに、ハスミは深々と頷いて見せた。

 確かに、本来であればナギサを襲撃したのも、アリウスと対峙したのも、全ては第三次特別学力試験を受ける為に行ったものだ。全員で合格する為に、今までの努力を無駄にしない為に――けれど。

 コハルの視線が、分厚い硝子越しに先生を見た。

 幾多の機器に繋がれる先生の姿を。

 

「で、でも、こんな状況で、試験なんて、と、とても――」

「こんな状況だから、ですよ」

 

 ハスミの手が、コハルの手を掴む。コハルを見下ろすハスミの目には強い力が籠っていた。息を呑み、コハルは彼女を見上げる。

 

「先生が目覚めた時、胸を張って合格報告をなさい……きっとそれを、先生も望まれています」

「ぅ……」

「どの様な理由や経緯があっても、公議会で可決された以上その決定が覆る事はありません、試験時間に変更はなし、現場には正義実現委員会のメンバーとシスターフッド、そして試験監督官が既に待機しています」

「えっ……!? し、シスターフッド……?」

 

 コハルはその言葉に驚愕を露にする。

 シスターフッドが、どうして? そんな思考を感じ取ったのだろう、ハスミの背後に佇んでいたサクラコはそっと頷き、告げた。

 

「えぇ――その様に頼まれていたものですから」

「た、頼まれるって、一体誰にですか……?」

「先生に、ですよ」

 

 今度こそ、コハルは言葉を失くした。

 サクラコは先生と己を分け隔てる硝子にそっと手を添え、どこか憂う様な表情を見せながら言葉を紡ぐ。

 

「……先生は、万が一自身が試験監督を務められない場合、或いは何らかの理由で補習授業部が妨害にあった事態に備え、私達に言伝(ことづて)を残しておりました、信頼の置ける行政官を一名、監督官として派遣し、試験場の警備を行って欲しいと」

「せ、先生が……私達の、為に?」

「えぇ、先生は補習授業部がどんな状況に陥っても、必ず最後の試験を受けられるように取り計らっていたのです――全て、あなた方の為に」

 

 サクラコの言葉を聞き届け、コハルの視線が足元に落ちる。視線が床を彷徨い、胸の中であらゆる感情がぐるぐると廻った。

 正直に云って、試験を受けられるようなコンディションではない。戦闘行為を繰り返した為に肉体の疲労は限界で、精神的にも追い詰められている。それはそうだろう、目の前で先生が死にかけて、まだ目も覚ましていなくて、自分達も危険な目に遭ったばかり。

 暗記した内容なんて既に頭から吹き飛んで、昨夜詰めた知識は遥か彼方――疲労と、不安と、緊張と、焦燥。

 こんな状態で、試験なんて受けても――受かりっこない。

 

 ふと、上げた顔の先。透明な硝子越しに、昏々と眠る先生の姿が見えた。先生はまだ目覚めない、峠は越えたらしいが、コハルが見る限り明らかに重傷で、数日そこらで回復する傷ではない様に見えた。或いは、目が覚めても後遺症が残るかもしれない、何日後に目覚めるかも分からない。

 そんな傷を負った先生が望んでいたのは、補習授業部全員が試験に合格して、笑顔で卒業する事。

 皆が笑って、この先へと進める様に、先生は文字通り死力を尽くした。

 

 今の私は――先生が目を覚ました時に胸を張って迎えられるの?

 

 心の中に潜む、コハルが囁いた。

 脳裏に過るのは先生が負傷した際に晒した醜態。自身はただ泣き喚き、縋り付き、懇願する事しか出来なかった。あの場所で自分は、文字通りお荷物以外の何物でもなかった。

 

 ただ、涙を流すだけでは駄目なのだ。

 ただ、その場に蹲るだけでは駄目なのだ。

 

 コハルは小さな手を精一杯握り締め、唇を結ぶ。

 重要なのは、進む勇気。

 自身の信じる(正義)往く(貫く)心の強さ。

 

 コハル(自分は)はそれを――補習授業部で(先生と皆から)学んだ筈だ。

 

「ッ、わ、分かりました……!」

 

 歯を食い縛り、コハルは俯いていた顔を上げる。

 その視線がハスミを見返す。視界に映るコハルの瞳、その中に秘めた力強さに、ハスミは思わず目を見開いた。

 奥底にきらりと光る、一抹の勇気。どんな困難であっても、どんな状況であっても自身の信じる希望(正義)を貫く――正しきを為す者の資格。

 その華が、コハルの瞳を彩っていた。

 彼女がずっと持っていた、その影に隠れていた――本質。

 

 どれだけの困難であろうとも、どれだけの苦難であろうとも――立ち向かう勇気を、此処()に。

 

「私、試験を受けに行きます、それで、絶対に合格してみせますから……ッ!」

「――えぇ、コハルならきっと大丈夫です」

「はいッ! い、行ってきます、ハスミ先輩!」

 

 ハスミは微笑み、そっとコハルの頭を撫でつける。彼女は大きく頭を下げ、ハスミやサクラコ、スズミに一礼をした後、踵を返し出入口へと駆け出した。その背中を、三人はじっと見送る。

 ふと、スズミが思わずと云った風に言葉を零した。

 

「……強いですね、コハルさんは」

「……えぇ」

 

 彼女の言葉に、ハスミは頷く。

 その表情に――憂いは無かった。

 

「いずれ委員会を背負う、正義実現委員会(私達)の――自慢の後輩ですから」

 

 ■

 

「うぅ……」

「………」

 

 救護騎士団本棟、正面玄関前。

 補習授業部は血と煤、そしてボロボロになった制服姿のまま不安げな表情で屯していた。彼女達の視線の先にはシスターフッドの生徒が立ち塞がっており、厳重に出入口を封鎖している。最初は先生の容態を知る為に事情を話し、身元を明かした上で交渉したのだが、残念ながら入館許可を取り付ける事は叶わなかった。

 唯一、コハルだけは元正義実現委員会の所属、かつ現場に居合わせたという事で入館許可が下りた為、現在彼女の帰還待ちであった。

 ヒフミは爆発によって破けたペロロバッグを抱えながら、先程から忙しなく周囲を歩き回り、ハナコは近場の縁に腰掛けながらも指先は自身の膝を叩いている。アズサは壁に寄り掛ったまま銃器を抱き、じっと目を瞑って時を待っていた。

 そして不意に本館の扉が開き、中から小柄な影が飛び出してくる。

 

「お、お待たせ……!」

「コハルちゃん……!」

 

 ヒフミが視線を向け、そう声を上げれば、ハナコやアズサが顔を上げ、皆がコハルの元へと駆け出す。皆の表情から何を聞きたいかは一目瞭然だった。ヒフミはコハルの肩を掴み、必死の形相を浮かべ問いかける。

 

「せ、先生の容態は!?」

「えっと、峠は越えたって、ま、まだ目は覚めていないけれど、安定しているって云っていたから、多分大丈夫……だと思う」

「そ、そうですか……!」

 

 コハルの言葉に、補習授業部の全員が胸を撫でおろす。此処で死亡報告など飛び出てしまえば、一体どうなる事か。兎にも角にも一命を取り留め峠も超えた。その報告だけでも不安を慰めるには十分なものだった。ハナコもふっと息を吐き出し、その表情を僅かに緩める。

 

「救護騎士団がそう判断したのならば、一先ずは安心でしょう」

「……うん」

「色々と話したい事、相談したい事は山程あります――ですが」

 

 ハナコはそう続けて、再びコハルに視線を向けた。

 

「コハルちゃん、まだ何か云いたい事があるのでは?」

「えっと、その、第三次特別学力試験……」

「えっ?」

「まだ、試験が残っているから、受けに行かないと……!」

「そ、そういえば……」

 

 コハルの言葉に、ヒフミはすっかり忘れていたとばかりに声を上げる。しかし、その表情は直ぐに色を喪い、俯いた。

 

「で、ですが、こんな状況で試験なんて……!」

「こんな状況だからですよ、ヒフミちゃん」

 

 そんなヒフミの肩を叩くハナコ。彼女はどこまでも理知的な瞳で以て語り掛ける。

 

「先生は今まで、私達にこの試験を乗り越えて貰う為に手を尽くしてくれたのです、それに先生が目を覚ました時、胸を張って合格報告をしたくありませんか? ――なんて、きっとハスミさんも似たような事を仰ったでしょう、それに……」

 

 ハナコは救護騎士団本棟に詰めている面々を脳裏に描きながら、そう口にする。

 

「コハルちゃんがその様に云うという事は、恐らく先生は、自身が倒れて尚、試験を受けられる状態を整えてくれていた……という事ではないでしょうか」

「うん、ハナコの云う通り……先生、シスターフッドに頼んで、試験会場の警備と試験監督を予め用意していたみたい」

「先生が……?」

 

 コハルが細々とした声でそう告げれば、ヒフミは目を見開いて呟く。

 コハルは両手を強く握り締めると、彼女らしからぬ、強い意志と口調で以て続けた。

 

「だから試験を受けて、私はちゃんと……先生に笑顔で報告したいって、そう思って……!」

「こ、コハルちゃん……」

「――行こう、会場はそんなに遠くない」

 

 アズサはそんなコハルの様子に、声を上げる。擦り切れ、(ほつ)れた背嚢を背負い直したアズサは、血と砂利に塗れながら、それでも確かな意思を以って頷いて見せた。

 

「先生を想って足を止めちゃ、きっと駄目だ、先生はそんな事を望んでいないと思うから……私がこんな事を云う資格は無いと思うけれど、でも――私も、先生の想いを無駄にはしたくない」

 

 アズサの言葉に、ヒフミは口を噤む。抱きしめたペロロバッグの中には、辛うじて破損を免れた筆記用具入れが入っていた。穴が空き、煤け、解れ、ボロボロになったペロロバッグではあるが、辛うじてその形は保っている。

 そうだ、自分達は――何の為に此処まで頑張って来たのだ? 

 ヒフミはそれを見下ろしながら思う。アズサも、コハルも、ハナコさえも、その表情に疲労を滲ませ、目元に隈を作ってまで頑張って来たのは何故だ? その努力は、積み重ねた時間は何の為に――。

 ペロロバッグの中に入れていた、補習授業部の人形。それをヒフミは取り出す。先生の部分だけが焼け焦げ、千切れてしまったそれ。無理矢理くっ付けようにも、裁縫道具も何もない状態では無理だった。まるで今の自分達の様に、壊れ、草臥(くたび)れ――擦り切れそうな人形(思い出)

 けれど、形あるものが壊れても。

 

 決して――壊れないものだってある。

 

「そう、ですね……私達が此処まで頑張って来たのは――」

 

 呟き、ヒフミはペロロバッグを強く抱き締める。焼け焦げ、千切れた補習授業部の人形。その残骸を握り締め、彼女は顔を上げる。その象徴が壊れても、積み重ねた時間は崩れない、抱いた想いは変わらない。

 共に歩んだ道は、まだ続いている。

 

「先生なら、きっと大丈夫です、シスターフッドの皆さんも、正義実現委員会の方々も、トリニティ自警団だって周りに居てくれますから――だから私達は今、自分の出来る事を……!」

 

 そうだ、自分達が今すべき事は此処で悲観に暮れる事ではない。

 アズサがいつか云った様に――悲しむ事も、嘆く事も、後から出来るから。

 だから今は自分達の出来る事を、やるべき事を――自分達なりに、精一杯。

 

 ――全力で。

 

「行きましょう、試験会場に――そして合格するんです、全員で! 文句が付けられない位、完璧に……っ!」

「えぇ……!」

「うん……!」

「当然……!」

 

 ヒフミが顔を上げ、叫ぶ。彼女が駆け出すと、補習授業部がヒフミの後に続いた。

 陽光が皆を照らす、朝が訪れる。

 脚は重く、身体は怠い。思考は鈍く眠気が酷い。コンディションは最悪で、感情的にも試験どころではない。

 けれど、ヒフミは拳を突き上げ、叫ぶのだ。

 精一杯、高らかに。

 トリニティ中に響き渡る様に。

 先生に、届くように。

 

「補習授業部ッ――出撃です!」

「おーッ!」

 

 私達ならきっと、出来る筈――そうですよね、先生?

 

 ■

 

 第三次特別学力試験――結果

 

 ハナコ――百点(合格)

 アズサ――九十八点(合格)

 コハル――九十三点(合格)

 ヒフミ――九十六点(合格)

 

 補習授業部――全員合格

 


 

「そうか……補習授業部の皆は、確りと自分達の力で未来を勝ち取ったのだね」

 

 夜空に、声が響く。

 ティーパーティーの秘奥、星空が瞬くテラスで彼女は語らう。未だ意識を取り戻さない彼女と、意識不明のまま病床にある先生は繋がっている。夢の中で、遥かにあやふやで輪郭のない世界の中で。

 彼女――百合園セイアは夜空を仰ぎながら、言葉を紡ぐ。

 

「コハルは晴れて正義実現委員会に復帰し、ハナコは良き友人を見つけ退学の意思を失くした、アズサはきっとこれからも学びを続けることができる、そして真摯に努力を積み重ねて来たヒフミは、今まで通りの日常に戻る事が出来るだろう」

 

 ―――。

 

「……ミカは学園の監獄に幽閉された、もしかしたらもう二度と逢う事はないかもしれない、そしてナギサは――予定通り、エデン条約に調印しに向かう」

 

 手にしたカップをソーサーに戻す。かちゃりと、微かな音が先生の耳に届いた。長い長いテーブルの、その向こう側に座る彼女は先生を見つめる。どこまでも澄んだ瞳で以て。

 

「そして先生、君の傷も、決して浅くはないが命までは奪われない……その傷は癒え、いずれ日常の中に帰る事が叶うだろう」

 

 それは予知能力を持った彼女の確信。補習授業部の結束は高まり、先生はいずれ復帰し、この騒動は一旦の終息を見せる。

 事後処理や復旧作業には時間が掛かるだろうが、それもいずれは終わる。誰もが日常の中に戻り、確かなものを得て物語は幕を閉じる。

 

「あぁ、認めよう先生――ここまでは、良くできたお話だ」

 

 彼女はそう云って、微笑んだ。

 どこまでも透明で、色の見えない笑みだった。

 

 善いお話だろう。

 全員でなくとも、相応の幸福と相応の償いが混じり、その結末に破綻は無い。

 最後は皆が幸福になれる物語――今はそうでなくとも、時間をかけてゆっくりと、その心の傷を、関係を癒し、善い未来へと繋がる物語だ。

 

 ――でもまだ、エンドロールには早すぎる。

 

「……あぁ、そうだとも、何せ君が見守るべき本当の結末は、まだその全貌を現していない、このお話がどんな風に、どの様に転がって行こうとも、全ては破局(アレフ)へと収束していく」

 

 水が高い場所から低い所へ流れる様に――ごく自然に、当たり前の様に、その未来は強固な運命によって定められている。

 どれだけ足掻いても、どれだけ希っても、その道を捻じ曲げる事は出来ない。

 

 彼女(セイア)はそう、信じている。

 

「まだ残っているものがある、これで決して終幕などではない……これから君達を襲う絶望は、深く深く、どこまでも深く、底の見えない闇に覆われ、二度と陽光の差し込まない様な、そんな奈落に君達を引き摺り込むだろう――その手から逃れる術は、ない」

 

 彼女の、亜麻色の髪が風に靡く。酷く冷たく、寒々しいそれに煽られながら、彼女はただじっと静かに――口を閉ざす先生を見つめていた。

 

「その事は君がきっと、誰よりも良く分かっている筈だ」

 

 ――そうだろう、先生。

 

 ■

 

 次回 エピローグ 「紅茶を一杯、如何ですか?」

 

 私がエデン条約編を書こうと思った時に、補習授業部の面々にはそれぞれ軸となる概念を当て嵌めました。彼女達の理念、本質と云い換えても良い。何かに立ち向かう時、困難に見舞われた時、どのように動くか、どのような言動を取るか――私は先生の手足を捥いで生徒をギャンクライさせたい心を持っておりますが、それと同じ位、彼女達の成長や精神的な前進、或いは変質をとても楽しみにしているのです。

 

 ヒフミには友愛。

 コハルには勇気。

 アズサには信念。

 ハナコには()性。

 

 それぞれの生徒に、必ずひとつは見せ場を作ろうと思っておりました。

 ハナコにはその()性を以って先生の秘密(意味深)を暴いて貰い、アズサには諦めないという信念により圧倒的な不利からサオリに食らいついて貰い、コハルには一度崩れて尚、立ち直る勇気を示して貰いました。

 

 そしてヒフミの持つ友愛、これが試されるのは補習授業部が真にバラバラになった時でしょう――大切な人が傷付けられ、その心がバラバラになり、信じていた居場所を喪ったと感じた時、それを再起させられるかどうかは彼女に掛かっています。

 

 大事なのは経験ではなく、選択。それは先生のみならず、生徒にも適応されます。彼女が失敗すればアズサは再び陽の当たらない場所へと帰る事となり、コハルはその勇気を擦り減らし挫け、ハナコは全てを知りながら何も出来ぬ自身の無力さに絶望する事でしょう。

 補習授業部の部長として、その切っ掛けを作ったひとりとして、彼女はエデン条約編に於けるメインテーマのひとりなのです。

 

 そんな頑張るヒフミに「ペロロ様のフライドチキンだよ~」って云って、ホッカホカのPFC(ペロロ・フライド・チキン)を食べさせてあげたいですわねぇ……。パッケージにはちゃんと、ペロロ様が踊っているイラストを描きます。絶対凄まじい顔をして差し出されたそれを見るに違いない。震える指先でそれを掴み、蒼褪めながら口を開く姿を満面の笑顔で見つめていたい。泣きながら頬張ってくれたら料理人冥利に尽きるってものですわよ。そんな事するわけねぇでしょうが! 私のッ、先生が!!! 

 でも切腹したペロロ様の再利用って大事では? ペロロミニオンって一杯居るし、一匹くらい持ち帰っても……バレへんか! 

 おまち下さいまし、総力戦でペロロミニオンを一匹こっそり持ち帰って、それを細々と裏庭で飼うヒフミ概念……。そしてナギサが偶然そのペロロミニオンと遭遇し、何だこの気持ち悪い生き物は、どこから侵入したのだと倒した後に処理しようとして、そう云えば何処となくヒフミさんの好きな動物に似ていた様な……? みたいな思考になって善意でPFC(ペロロ・フライド・チキン)を料理する展開……満面の笑みで差し出される愛ペロロの残骸、ナギサの笑顔を前にヒフミは――消えろ! 光のわだす!

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