エピローグだからって調子乗って書いていたら、21,000字になっちゃった……。
これにてエデン条約編・前編 完結ですわ~~~!
「………ぅ」
痛みで、目が覚めた。
最初に見えたのは滲んだ白い天井、そして耳から聞こえて来る電子音。等間隔で鳴り響くそれは、先生の微睡んだ意識を小さく刺激していた。
そこが病室だと分かったのは、こんな風な光景を幾度も見て来たからだ。先生の意識は急速に覚醒し、思考が明瞭となる。しかし精神がそうであっても、肉体は異なる。右腕、左腕、右足、左足、それぞれを軽く動かし、繋がっている事を確かめ、先生は口を開く。
「ぁ、ろな……」
マスク越しに響く声は、余りにも弱々しく聞こえた。
腰回りと、背中が酷く痛む。それが傷の影響なのか、それとも長い間寝たきりだったからなのか分からない。先生は視線を左右に散らし、直ぐ脇の床頭台にシッテムの箱を見つけた。
先生は左腕でそれを取ろうとして――指先が、シッテムの箱を掴み損ねた。見れば指先が酷く震え、力が入らなかった。先生は二度、三度、シッテムの箱を掴み損ねながらも、四度目で漸く引き寄せる事に成功する。
そのまま電源を入れ、認証画面に進む。ランプは緑、しかし電源は半分も残っていなかった。電子音が先生の耳を叩く。この部屋には、バイタルを知らせる音しか響いていない。
『せ、先生……っ!』
胸の上に立てたシッテムの箱から、アロナが顔を覗かせる。画面に顔を貼り付け、涙目で叫ぶ彼女。先生はマスクを付けたまま苦笑を浮かべ、息を漏らした。
「アロナ、此処は――」
『救護騎士団の病室です! 先生はえっと、トリニティの体育館でヘイロー破壊爆弾を受けて、それで……!』
「ヘイロー……」
呟き、目を瞬かせる。少しばかり記憶に穴があった。しかし思考を回す内に、段々と自身が倒れる前の事を思い出す。そうだ、アリウスと対峙し、自分はヘイロー破壊爆弾からミカを庇って、それで――アズサと、サオリに。
『ご、ごめんなさい先生、私、また役立たずで……ッ!』
「ははっ……アロナが役立たずだった事なんて、一度もないよ……」
ガサガサな声で、先生はそう口にする。今は兎にも角にも水が欲しかった、しかし先生の眠っていた病室にそれらしいものはない。完全個室で、壁際にまで機器類がずらりと並んでいる。それに薬品棚とモニターの山、自身に繋がれたケーブルの多さが、そのまま生徒達の執着を表現している。
『す、直ぐに救護騎士団の生徒さんを呼んで――!』
「いや、良いよ、それより……っ、ぐ……ッ!」
シッテムの箱を通じてコールを行おうとするアロナを留め、先生はベッドより起き上がる。マスクを取り外すと、途端に呼吸が辛くなる。しかし、先生は苦痛に顔を歪めながらも足をベッドの外に落とす。
保護膜が剥がれ落ち――傷だらけになったそれを見て、先生は顔を顰めた。
静かにズボンの裾を降ろし、傷痕を隠す。
『せ、先生! まだ体は万全じゃないんですよ!?』
「行かなきゃ、いけない……ところがあるんだ……」
『そんな体で、一体どこに……!?』
アロナの悲鳴に、先生は首を振る。その額に脂汗を滲ませながら、ゆっくりと立ち上がった先生は、身体に張り付けられたケーブルを剥がし告げるのだ。
「一番に……謝らなきゃいけない子が、居るからね――!」
■
トリニティ総合学園――ティーパーティー、テラス。
いつも通りの麗らかな陽射し、学内を一望出来るテラスにて彼女は普段通り紅茶を嗜んでいた。
ティーテーブルに並ぶ洋菓子に、丁寧に用意された紅茶。その水面を見つめながら彼女――ナギサは小さく息を吐き出す。
「ふぅ……」
吐息は風の中に掻き消され、水面に映った自身の表情が歪んだ。
ふと、視線を上げれば空席となった二つの椅子が見える。無機質なそれは、その持ち主が腰を下ろさなくなって久しい。
結成当初、何とも賑やかに思えたこのテーブルも――最早、座る者も自分だけ。
トリニティ総合学園に於けるティーパーティーは、実質崩壊した。以前の様な安定性は望むべくもなく、その権威は失墜し、再建には膨大な時間を要するだろう。いや、或いはこのまま新たな政治体制に移行する可能性すら考えられる。
しかし、それを否と突っ撥ねる事は出来ない。
全ては――自身の力と思慮が足りなかった故に。
「……ミカさん」
呟き、ナギサは目を瞑る。
思い出すのは、彼女が目を覚ました時の事だった――。
■
「ん――」
ナギサが目を覚ましたのは、アズサの想定した『一時間』を大幅に越し、騒動が粗方形を潜めた頃。それが精神的なショックによるものなのか、或いは普段から荒事を遠ざけていたからなのかは分からない。ナギサ自身、己が武闘派などは口が裂けても云えないが、別段体が弱いという訳でもなかった。
ナギサが小さく呻きながら目を開けば、そこには自分を覗き込むフィリウス分派の傍付きの姿があった。彼女はナギサが目を開いた事を確認し、その表情を喜色に染める。
「あっ、ナギサ様! 漸くお気付きに……!」
「……此処、は」
呟き、視線だけで周囲をなぞる。そこはナギサにとって見慣れた場所で、自身の普段寝起きしている場所でこそないものの、その間取りには覚えがあった。
確か、此処は――。
「此処は……私の、邸宅?」
「はい、ナギサ様の個人邸宅に先程……! それよりも、直ぐに医官を御呼びしますので――」
「いえ、結構です……体に痛みはありません」
そう云ってナギサは上体を起こす。慌てて傍付きの生徒が介助の手を伸ばし、ナギサの背中と腕を取った。ナギサは自身の体を見下ろし、シャツとインナーだけになった体を確かめる。
「私は、一体……」
痛みは無い――そう口にしたが腹部にはじわりと、鈍い痛みがまだ残っていた。彼女は顔を顰めながら、そっと腹部を撫でつける。
「私は……そう、確かセーフハウスで――」
呟き、ナギサは眉間に皺を寄せたまま記憶を掘り起こす。
「セーフ、ハウス……で……――」
自身が意識を失う前に見たもの――何故か輪郭はあやふやで、記憶が拒んでいるかのように思い出せない。
けれど徐々に、少しずつ朧気だったそれらが形を取り戻す。そしてナギサの心臓が早鐘を打ち始め、背中にじっとりとした嫌な汗が流れ始めた。
目を見開き、ナギサは思わず傍付きの腕を握り締める。その力強さに思わず生徒は悲鳴を上げ、息を呑んだ。
「いたっ……!?」
「今の……今の状況は!?」
「えっ、な、ナギサ様……!?」
「良いから答えなさい、今のトリニティはどうなっているのですッ!?」
その、彼女らしからぬ声色と勢いに、詰め寄られた生徒は怯えの表情を浮かべる。しかし必死の形相に気圧された彼女はまごつきながらもその口を必死に開いた。
「げ、現在のトリニティはアリウス分校の襲撃を受け、厳戒態勢を維持していますが……」
「襲撃……私は何故生きているのですか? いえ、拘束された後に救助部隊が――」
そう独りでに呟き、ナギサは思考を回す。自分が襲撃された事は――憶えている。
そうなると己はそのまま虜囚となった筈だが、こうして邸宅に運ばれたという事は救出された後なのだろうか。どれ程の時間眠っていたのか、それは分からない。
襲撃して来たのはアリウス――いや違う、確か……そう、補習授業部! 自身の作った補習授業部が反旗を翻して……! 徐々に意識が明瞭となり、記憶が次々と湧き上がる。それらを一つ一つ確かめながら、ナギサは平行して現状の確認に努めた。
「現在のフィリウス分派の……いえ、トリニティの指揮は誰が!? まさかミカさんが……」
「い、いえ、その――」
ナギサがそう声を上げると、傍付きの生徒の顔色が分かり易く変化した。どこか云い辛そうに、或いは口にする事も恐ろしいとばかりに。しかしナギサが焦燥した瞳と共に見つめれば、どこか観念した様子で彼女は告げた。
「ティーパーティー、聖園ミカ様は現在、その――傷害教唆、及び傷害未遂、更にはクーデター未遂の容疑により拘束されております……」
「――は?」
それは、ナギサにとっては予想だにしていない事で。
夢にも思わなかった事柄で。
暫くの間、彼女は言葉を忘れたかのように沈黙を守った。
握り締めたシーツが皺となり、ベッドが軋む。
見つめられる生徒は居心地が悪そうに身を捩り、その視線を泳がせた。
唾を呑み込んだナギサが、もう一度問いかける。今度はじっと、含むように。
「クー……デター?」
「は、はい、アリウス分校と手を組み、ナギサ様襲撃の計画、及びトリニティ制圧を目論んだと……」
「そんな、筈――」
呟き、背を曲げる。揺れる視線、鳴り響く動悸。額から汗が流れ、歯を食い縛ったナギサは血を吐く想いで叫ぶ。
「政治の苦手なあの子が、そんな周到な真似、出来る筈がッ……!」
俯き、吐き出したその言葉に、ナギサの頭蓋が軋む音がした。忘れていた記憶の断片、その最後。
セーフハウス、明かりの限られたあの場所で何が起きたのか。襲撃して来たのはアリウスではなく補習授業部、自身の前に立ったのは浦和ハナコ、白洲アズサ、そして阿慈谷ヒフミの三名。それを憶えている。
それで、彼女達に自分は撃たれて――けれど、その前に。
そう。
自分を庇った、ひとりの大人が居た筈だ。
確か。
この、記憶は。
夢なんかじゃ――。
「先生は――」
ナギサは酷く乾き、掠れた声で問いかけた。鼻先を伝い、シーツに落ちる雫。それが自身の流した汗である事を、ナギサは知らない。耳鳴りがする、心臓の鼓動が五月蠅い、それでも尚――目を背ける事は許されない。
「そ、そうです、先生は……先生はどうなったのですか……?」
「っ……」
か細く、揺らぐ声。
その一言に、直ぐ傍で彼女が息を呑むのが分かった。
ナギサは顔を上げ、傍付きの生徒を見上げる。彼女は一目でわかる程に蒼褪めた表情で唇を噛み、そっと視線を横に逸らしていた。二度、三度、口を開いては閉じる。その様子だけで、彼が無事ではない事をナギサは察した。
「しゃ、シャーレの、先生は……」
「………っ」
「せ、先生、は――」
ナギサの震える指先が、生徒の肌に食い込む。彼女は逸らしていた視線をナギサに向け、どこか戦々恐々とした様子で告げた。
「げ、現在、意識不明の重体――救護騎士団本棟にて集中治療を受けている……と」
「……――」
ナギサの指先から、力が抜ける。自身のそれが、現実であると知ったが故の動揺、その顕れ。
あれは、
先生の言葉、喪われる温もり、赤に沈む体――そして無邪気に嗤う、三日月の口元。
「あ、ぁ……」
そうだ、何を寝惚けているのだ自分は。
先生は自分を庇って、血の中に沈んで――最後まで生徒の為に足掻き、撃たれた。
ナギサは両手を震わせ、自身の頭を抱えた。震える背中は余りにも小さく、弱々しく、掴んだ髪がくしゃりと歪む。慌てた傍付きの生徒が、その背中を摩り、彼女の名前を呼ぶ。
けれど、今のナギサには何も聞こえない。
――全て、思い出した。
自身がセーフハウスに避難した事、そこを襲撃した者が補習授業部である事。そして、彼女達が先生を裏切った事。
そして、先生が自身を庇って――重傷を負った事。
「ぅ、ぅうううッ………!」
「な、ナギサ様! お気を、お気を確かに……ッ!」
ナギサが呻き声を開け、その歯が音を立てて鳴り始めた。その事に気付いた生徒は必死に背中を摩り、ナギサの名前を呼び続ける。
細かく、息を吸う。呼吸の仕方を間違えれば、直ぐにでも過呼吸を起こしてしまいそうだった。散り散りに裂けそうになる心を、必死で落ち着ける。一度砕けたソレは継ぎ接ぎだらけで急造品の器に過ぎない。少し力を加えれば、壊れてしまう程に脆く、弱い。
彼女は目を瞑り、鳴り響く歯を必死に食い縛ろうとした。
必死に自分に云い聞かせた。
責務を、使命を、思い出せ、と。
自分が為すべき事を――為さねばらない事を。
「……あ、アリウス、そう、アリウスを撃退したのは、誰……ですか?」
「え、ぁ、た、確か、シスターフッド、及びトリニティ自警団、補習授業部との報告が――事態の収拾には正義実現委員会及び救護騎士団も協力しております」
「……シスター、フッド」
理性と使命感は、現実から視線を逸らすのに幾分かの効果を齎した。
先生の事を考えると、胸が軋む、感情が散り散りになる。だから一時、それが逃避に過ぎないと分かっていながら、彼女は目を瞑り、耳を塞ぎ、感情を遮断する。滲み出る狂気の足音に怯えながら、彼女は努めて冷静で在ろうとした。
ナギサは酷い顔色のまま、シスターフッドの名前を繰り返し呟く。
シスターフッド、そして救護騎士団、どちらもティーパーティーからは独立した指揮系統や情報網を持っており、ナギサの制御下には存在しない。正義実現委員会も完全な制御下にある訳ではないが、命令権がティーパーティーに存在するだけ他二派よりは幾分か御しやすい。
そして、襲来したアリウスはそのシスターフッドと補習授業部、トリニティ自警団が撃退し、救護騎士団、正義実現委員会が事態の収拾に尽力したと。
此処から推察出来る事は、何だ? そもそも何故、秘密主義のシスターフッドが動いた?
救護騎士団も本来であればティーパーティーに参入するだけの発言力と組織力を持ち合わせているが、政治不干渉のスタイルを貫いて来た分派である。それらが一斉に動いた? それはナギサにとって、酷く不可解な出来事であった。
しかし――最初から、『そういう筋書き』であればどうか?
補習授業部はアリウスと繋がっていた。自身の考えは正しく、正義実現委員会の下江コハルを除き彼女達はアリウス分校のスパイか、それに準ずる存在であり、先生は彼女達を指導する間にその事を悟った。何とか思い留まらせようと尽力したが、力及ばず彼女達は凶行に走り、アリウス襲撃が勃発した。
これが、あのセーフハウスでナギサが考えた真相だ。大筋からは、それ程外れているとは思わない。
しかし、真に重要なのはアリウスではなかった。
これは――アリウスを利用した、クーデターの可能性がある。
「……ま、さか、私達ティーパーティーを排斥する為の――」
呟き、ナギサは唇を強く噛む。血が滲む事も構わず、彼女は顔を歪ませた。
或いは、その補習授業部はアリウス分校と繋がっていた訳ではなく、シスターフッドや救護騎士団と繋がっていたのではないか? ミカやアリウス撃退の報を聞いたナギサは、そう考えた。
そもそも補習授業部がアリウス分校の一派ならば、彼女達が撃退に協力する理由がない。彼女達が土壇場で裏切られて、という可能性もあるが、そうであるのならば事後処理があって然るべきだ。しかし、補習授業部が拘束されたという報告はなかった。
となれば、そもそも彼女達は、『アリウス一派ではなかった』と考えるのが自然である。アリウス側の味方ではないのなら、一体何処の味方なのか? 何の為にナギサを襲い、アリウス襲撃を阻止し、トリニティ防衛に貢献したのか?
――全ては、シスターフッドや救護騎士団が糸を引いていた。
今回の件で一番被害を被ったのは何処か。それを考えれば自然と答えは出る。
最も被害が大きく、機能不全に陥ったのは――ティーパーティー。
ナギサ、ミカ、セイアの三名。
セイアは件の暗殺によって退場し、ミカはクーデター未遂という罪状で拘束。そして自身は一番重要な時期に意識を失い、昏倒。実質ティーパーティーの三名が不在となり、トリニティ総合学園は身動きが取れなくなる。そんな状態でアリウスから襲撃を受ければどうなる? 当然、学園としては致命的な損害を被るだろう。
しかし、シスターフッドや救護騎士団が動き、それを阻止した。恐るべきはトリニティ自警団すら抱え込んだその手腕か。正義実現委員会と衝突する彼女達すら協力したというのだから、余程の事だろう。
そして正義実現委員会――彼女達は自身の役割を果たす為に動いたのか、或いは。
自身を拘束せず、こうして邸宅に運んだ点から疑問点は残る。しかし、そもそもこの邸宅で軟禁されない保証などない。
或いは――自身は卒業まで、ずっとこの場所で過ごす羽目になるかもしれない。
「……ッ」
ナギサは、己の不明を悔いた。
どちらにせよ、この件によりティーパーティーの権威は失墜する。今後の学園運営に支障を来すのは目に見えていた。そしてもし、それが真の狙いであったのならば――自身の目は、とんだ節穴だったという事。
本当の裏切者は、学園外部から齎されたものではない。
――
ふと、扉がノックされる音が響いた。ナギサが肩を震わせ、咄嗟に扉に視線を向ける。傍付きの生徒が扉に駆け寄り、問いかけた。
「……どなたでしょう?」
「その、ナギサ様がお目覚めになったという事で、担当の医官が――」
扉の向こう側から、少しばかり強張った声が聞こえて来る。傍付きの生徒がナギサに目配せをする。ナギサは少しばかり思案する素振りを見せ、ややあって首を横に振った。用心した所でどうなるというのか――今の自分は、殆ど虜囚の身と変わらない。煮るも焼くも、相手の想うがまま。
ナギサは自身の体を搔き抱きながら目を伏せると、そっと吐き捨てる様に云った。
「……扉を」
「は、はい」
意を汲み、傍付きの生徒がそっと扉を開く。すると向こう側に立つ生徒の顔が陽に照らされ、ナギサの視界に映った。彼女はいつも通り、何てことのない笑顔を浮かべ佇み、口を開く。
「――目が覚めた様ですね、ナギサさん」
「ッ……!」
その人物を見た瞬間、ナギサの産毛が逆立ち、その視線が引き絞られるのが分かった。
握り締めたシーツが皺くちゃになって、感情が制御出来なくなる。遮断した筈のそれが、自身の直ぐ背中に手を伸ばすのを感じる。けれどもう、ナギサはそれを抑えようとは思わなかった。
恐らく、その場に銃器があったのならば、何の躊躇いもなく相手に銃口を向け、引き金を絞っていただろう。
彼女は歯を剥き出しにし、狂気に犯された形相を浮かべ、その名を叫んだ。
「浦和、ハナコッ……!」
彼女らしからぬ、憎悪と憤怒を孕んだ声。それを正面から受け止めながら、ハナコは柔らかく微笑んで見せる。或いは、ナギサには不敵な笑みにも見えた。彼女が部屋に踏み込むと、その背後から続々と生徒が顔を覗かせる。
「お邪魔します、ナギサ様」
「………失礼します」
「えっと、此処に患者さんが居ると聞いて来たのですが……?」
ハナコを除き、ナギサの部屋へと足を踏み入れたのは三名。
シスターフッド代表のサクラコ、正義実現委員会副委員長のハスミ、そして救護騎士団の制服を身に纏った見知らぬ生徒。ナギサはそれらの生徒を油断なく睨みつけながら、最後の救護騎士団の生徒に問い掛ける。
「……あなたは確か、救護騎士団の――」
「あ、はい、鷲見セリナと云います、ナギサ様!」
そう云って人を安心させるような笑みを浮かべる少女――セリナ。
補習授業部、シスターフッド、正義実現委員会、救護騎士団――トリニティ自警団こそ居合わせていないものの、アリウス襲撃の際に防衛と事後処理に携わった一派の生徒が出揃っている。ナギサが強張った表情のまま沈黙を守れば、ハナコは並んだ全員と、セリナを見つめながら口を開いた。
「彼女には救護騎士団の代表として来て貰いました、現状を説明するのには各分派の面々が居た方が早いでしょうから」
「……良くも私の前に顔を出せたものですね」
「えぇ、まぁ……本当ならば私は顔を出すつもりはなかったんです、でもナギサさんの事ですから、起き抜けに色々と考え込んで事態を悪化させかねないと判断しまして、兎に角今は話を聞いて下さい」
「ッ、今更何を話すと……!? これはこれはティーパーティーを排斥する為にあなた達が仕組ん――」
「ヒフミちゃんが、そんな事をすると思いますか?」
「ッ……!」
怒鳴る様に、何かを叫ぼうとしたナギサを遮ってハナコはそう告げた。
彼女の中に残っていた、なけなしの理性、或いは疑心。それを突き、ハナコはナギサの口を噤ませる。こんな状況に陥っても尚、ナギサは一抹の希望を抱いていた。
何かの間違いではないのか、全ては悪い夢なのではないか――と。阿慈谷ヒフミという、自身にとって掛け替えのない友人すらも裏切ったという記憶に、彼女は心底怯えていたのだ。
そのナギサの弱い――或いは、脆い部分を突き、ハナコはそっと語り出す。
「……一先ず、現在の状況と一連の流れをご説明します、疑問はその後に」
■
「――以上が、ナギサさんが昏倒した後に起こった全てです」
「………」
部屋の中に、沈黙が流れる。
ハナコの説明は、ほんの十分程度で終わりを迎えた。優秀な彼女らしく、簡素で、しかし不足なく。主観と客観を分けながら説明されたそれに、ナギサは口を噤まざるを得ない。
ハナコを含め、サクラコやハスミと云った面々は説明の最中に口を挟むことなく、ただ淡々とその場に佇むだけであった。しかし、それがこの場に限り、ハナコの説明に対する無言の肯定である事をナギサは理解していた。
ベッドから上体を起こしたまま、彼女はじっと何かを堪える様に口を閉ざし続ける。
強張った表情のまま視線を落とす彼女は、ややあって囁く様な声量で問うた。
「ミカさんが、本当の裏切者……と?」
「えぇ、彼女は以前よりアリウス分校と取引を行い、アズサちゃん――白洲アズサをトリニティに転校させ、暗躍させていました、尤も彼女は元よりアリウスを裏切るつもりで、最終的には私達補習授業部と共にアリウス侵攻部隊を撃退、アリウス分校とは既に敵対しています」
「――それについてはシスターフッドの代表である私も証言致しましょう、彼女は最後まで先生と……補習授業部と共に戦い、トリニティを守ろうとしておりました」
「………」
彼女達は云う、そもそも話は根底から間違っていたのだと。
アリウスを引き連れたのも、襲撃を手引きしたのも、全て――ナギサの幼馴染である現ティーパーティーのメンバー、聖園ミカ。
補習授業部はただ、自身の進退を賭けた試験を受験する為にナギサを襲撃し、騙し、その後アリウスと対峙した。
シスターフッドも、トリニティ自警団も、動かしたのは先生。彼からの要請によって彼女達は動き、救護騎士団も戦闘にこそ参加しなかったものの、事前に協力だけは約束し事態収拾に一躍買ったと。
「正義、実現委員会は」
「ミカ様の指示により動く事が出来ず……具体的な命令内容に関しては指示書が残っております、彼女は明らかに自身の意思で正義実現委員会の足止めを行っていました」
ハスミはそう云って首を横に振る。正義実現委員会はミカ自身の命令によって足止めを喰らい不在、戦闘後に漸く活動を再開した。それが真実であると、命令書を確認すれば分かると云う。
「……ならば、先生の負傷は――」
「アリウスの侵攻部隊鎮圧後に、複数人の生徒が自爆を……先生はその内の一人によって、重傷を負ったと聞いています」
「………」
サクラコの言葉に、ナギサはただ茫然とした表情を晒していた。ただ一人、ハナコのみが僅かに表情を変えたが、その事に気付く者は誰も居なかった。
再び、部屋に沈黙が降りる。ハナコはただじっと、自身のシーツを掴んだ両手を見つめるナギサに問い掛けた。
「……これでも尚、私達がティーパーティーを排斥する為に仕組んだ事だと、主張なさいますか?」
「………」
問い掛けに応える声は、ない。
それらが全てでっち上げだと、用意周到に彼女達が仕組んだ事だと声を上げる事は出来た。指示書だって、拘束したミカに無理矢理書かせたものではないと、どうして証明出来よう? ミカの罪状が全て濡れ衣で、全てはティーパーティーの権威を失墜させ、他一派がトリニティを乗っ取る為に行われた策略であると――そう断じる余地は残っている。
残っていた。
けれど――仮にそうだとして、自分に何が出来る?
「――全て」
声が漏れた。
両目から零れたそれが、両手の甲に落ちる。ぽつぽつと、雨漏りの様に滴るそれを自覚しながら、ナギサは震える声で云った。
「全て、裏目……という事、ですか」
彼女達の云う事が本当であっても――或いは、嘘であっても。
どちらにせよ、自身の為した事に意味など一つも存在しなかった。
文字通り――一つも。
その事実を突きつけられた時、ナギサは自身の無力感と徒労感、そして不甲斐なさに思わず涙を流した。
「ふ、ふふっ、ふふふッ……」
「な、ナギサ様……?」
涙を流し、口元を引き攣らせて笑うナギサに、傍付きの生徒が不安げに問いかける。その背中を摩り、労わる様に手を取った彼女は非難するような目をハナコに向けた。しかし、彼女が動じる事は無い。
これは、行動の結果だ――彼女の行った物事に対する反動、それがナギサに戻って来ただけの事。そこにハナコは同情も、感慨も抱かない。行動には責任が伴う、これはごく普通の、当たり前の法則であるから。
「私は、一体……何の為にッ――!」
吐き捨て、ナギサは嗚咽を漏らす。
もし、彼女達の話が本当であるのならば。
長年の友は裏切り者で、ずっと自分を騙し、欺き、笑顔を偽り過ごしていた事になる。その真意も、想いも理解せず。ならば、彼女と過ごした時間は、積み上げた思い出は、己の足掻きは、一体なんだったのか? そう思わずにはいられない。
もし彼女達の話が嘘であるのならば。
彼女が目を向けるべきは外部などではなく、内部だった。シスターフッドを、救護騎士団を、潜在的な政敵でありながら、しかし動く事は無いと断じた己が愚かだった。いたずらに補習授業部などという要素を作り出し、そこだけに注力した。その選択が、そもそもの誤りであった。
その結果、ミカは拘束され、ティーパーティーは事実上の崩壊。
どちらにせよ己は――
「……最悪、それでも私達の仕組んだ事だと、そう仰るかと思っていました」
「は、ふふっ……もしそうだとしても、今の私に出来る事はありません、仮にミカさんの所業が濡れ衣だとして、ティーパーティー全員が不在となるのですから――トリニティは既に、私達の手を離れます」
ハナコのその言葉に、ナギサは頬に涙を貼り付けたまま、そっと顔を上げた。その赤く充血した瞳が、ハナコを正面から捉える。
「こうなった時点で心の内は兎も角、信じざるを得ない状況でしょう……」
「……失言でしたね」
今の彼女は――虜囚に等しい。
この状態でハナコ達を糾弾しようと、何をしようと、彼女自身に出来る事は何もない。説明をしに来た、そう云えば聞こえは良い。しかし別の側面から見れば、これは、「信じなければどうなるか分かっているな?」という脅しにも見える。どちらにせよ、本当に彼女が話を信じる事が出来るのは、彼女自身がティーパーティーに復帰し、実際にトリニティの実情を見てからになるだろう。
ハナコはそっと視線を伏せ、口を噤んだ。
「それに、此処まで情報が出揃って尚、それが作り話であると断じる程、私は暗愚ではないつもりです……尤も、説得力など既に無いでしょうが、どちらにせよ――トリニティの在り方は変わるのでしょう」
「………」
「セイアさんは行方不明、ミカさんは拘束され、私も盲目となって強権を振るい過ぎました――最早、ティーパーティーのみで学園を統治する事は不可能に近い」
「その事についても後ほど、救護騎士団及びシスターフッドから協議したい旨が――」
「えぇ、受け入れましょう」
ハナコの言葉に、ナギサは一も二もなく頷いて見せた。その余りにもあっさりとした対応に、彼女は少しだけ驚いた様子を見せる。ナギサはどこか吹っ切れたような、けれど寂しそうな笑みを浮かべ、呟いた。
「……補習授業部の皆さんには、謝罪しなければなりませんね」
――そして、先生にも。
■
桐藤ナギサはティーパーティーのホストとして続投、僅かな休養を挟んだのちに復帰し、事態収拾に尽力する事となる。彼女が憂慮した軟禁紛いな事は行われず、そしてトリニティ復興に取り組む間に、彼女はハナコの言が正しかった事を知った。
――しかし、それはそれとして。
「……浦和ハナコさん」
「あら、ごきげんようナギサさん、何か御用でしょうか?」
「補習授業部の方々には、各々に謝罪をして回ったのですが、最後はあなたになりまして」
「あらあら、それはそれは♡」
「………」
「………」
「――正直な所を口にしますと、あなたには絶対に謝罪したくありません」
「ふふっ、私に謝罪は不要ですよ、ナギサさん――あのドッキリで私の不満は全てスッキリ出来ましたので♡」
「………」
この日、桐藤ナギサは、絶対に彼女と友好を結べないと、そう強く思ったのだった。
■
「はぁ、いけませんね、悪い事ばかり……」
回想を終えたナギサは自身の額を指先で押し込み、溜息を零す。既に襲撃から一週間、拘束したアリウス生徒の収容及び治療、隔離施設の用意。そして破損した体育館や校舎、合宿所の修繕、一般生徒への説明と派閥間の調整、及びパテル派の暴走抑止と監視――今回の襲撃で使用した弾薬量や被害総額の補填など手を回さなければならない事は多岐に渡った。これに加え、またいつ襲撃してくるかも分からないアリウス分校に対し、警戒態勢を維持しなければならないとなると、ナギサ一人では到底手が回らない。シスターフッドや救護騎士団と歩調を合わせながら、辛うじて
傾き掛けたトリニティを再建するのは、非常に骨であった。
そうならない為に此処まで尽くして来たつもりではあったが――こうして全てが終わった後に振り返ると、どうしようもない虚脱感を覚えてしまう。
「私は、結局――」
紅茶の水面を見つめながら、そっと呟く。口から出掛かった言葉は何か、暫くそうやって水面を見つめるナギサは、不意に目を閉じた。
結局、自分は――周りの事も、彼女の事も、見えてなかったのだ。
全ては、盲目が故に。
「先生……早く、起きて下さい」
声は小さく、囁く様な音だった。吐息が紅茶に波紋を起こし、風がナギサの頬を撫でる。
――先生が目覚めたという報告は、未だない。
不意に、扉を叩く音がナギサの耳に届いた。
どこか遠慮がちな、間隔のあるノックだった。
ナギサは視線を扉の方に投げると、カップをソーサに戻し背筋を正す。恐らく行政官による報告か何かだろう。被害総額の概算が出たのか、修繕報告書の提出か、或いはまた何か問題でも起きたのか。そう思い、やや草臥れた声色で応えた。
「……どうぞ」
そう云って、彼女は行政官の入室を待つ。しかし、待てども待てども入室する気配はなかった。訝しんだナギサは眉を顰め、もう一度声を上げる。
「――……どうしたのですか? 鍵は掛けておりませんよ」
そう、再度声を掛けるも、返答は無い。
ナギサは溜息を吐くと、椅子を引いて立ち上がる。シチュエーションだけ見れば以前のセーフハウスでの出来事が思い起こされるが、しかし扉に鍵を掛けていないのは本当であるし、今更アリウスが暗殺をしにやって来るとも考え難い。シスターフッドと正義実現委員会、更にはトリニティ自警団が殺気立つ現在の防衛網を抜けて来たというのなら、余程の凄腕だろう。もしそうならば、ナギサは潔く諦める所存であった。そんな人物相手に、自身が敵うとも考えられない。
そんな事に思考を割きながら、ナギサは扉に手を掛ける。
「全く、一体何の――」
「うごッ」
捻り、扉を押し開ける。すると、何かが扉にぶつかったのが分かった。
声は掠れていて、開いた扉の向こう側から聞こえた。
「え?」
ナギサが驚きの声を上げるのと、その人物が床に転がる音が響くのは同時だった。
開いた扉の向こう側、ナギサが恐る恐る覗き込めば、冷たい光沢を放つ床に転がる包帯と保護膜に塗れた人影がひとつ。彼は片腕でタブレットを抱き込み、尻餅を突いたままナギサを見上げる。
「な、ナギ、サ……」
「――……せん、せい?」
どこか、間の抜けた声が出た。
彼――先生は尻餅を突いた姿勢からもぞもぞと動き、両手を床について、膝を畳む。そして時折呻き声を漏らしながら、静かに額を床に伏した。床ずれによって、皺くちゃになった背中の衣服が、ナギサの視界に映る。
「こ――この、度は、た、大変、もうし、わけ……」
「な、なッ……なぁッ!?」
「――何をしていらっしゃるのですかッ!?」
明らかに重傷と分かる出で立ちで土下座をかます先生に、ナギサは思わず絶叫した。声は廊下中に響き渡り、びくりと先生の肩が跳ねる。
ナギサは先生の傍に駆け寄り、埃で汚れる事も構わず膝を突くと、先生の肩を抱く。そっと先生の体を抱き起したナギサは、焦燥と驚愕と困惑と歓喜の混じった表情を浮かべ、続けて叫んだ。
「何故先生がこんな場所にいらっしゃるのです!? 今は救護騎士団で治療中の筈ではないのですかッ!?」
「え、えっと、ぬ、抜け出して……」
「――抜け出したァッ!?」
「ひぇ」
ナギサの怒気の混じった声に、思わず悲鳴染みた声が漏れた。先生の大人然とした態度は消え去り、今は生徒の豹変にただ戸惑うばかり。ナギサは先生を凄まじい視線で射貫いた後、顔を上げ声を廊下に響かせる。
「誰かッ! 誰か!? いらっしゃいませんかッ!?」
「――ど、どうなさいましたか、ナギサ様!?」
ナギサが常ならぬ声を上げれば、廊下の向こう側からスカートを摘まみ上げ駆けて来る生徒の姿が。ティーパーティー直属の行政官でもあった彼女は、ナギサの尋常ならざる声に焦燥を滲ませていた。そして彼女の腕の中に居る先生を見て――思わず動きを止める。
「せ、先生ッ!? ど、どうして、此処に!?」
「早く搬送の準備をッ! 今すぐ救護騎士団に――」
ナギサがそう矢継ぎ早に指示を出すのと、『キンコーン』という電子音が鳴るのは殆ど同時だった。それが聞き慣れた校内放送の前兆であると、彼女は知っている。そして何故か、猛烈に嫌な予感がした。
そしてそれを裏付ける様に、スピーカーから焦燥を多分に含んだ声が響く。
『校内放送! 校内放送! 緊急の為、ちょっと失礼するっす! 此方正義実現委員会のイチカ! えーっと、救護騎士団の病室で治療中だった先生が行方不明になりまして! 一般生徒の方々の手も借りたいと……! あっ、先生って云うのはシャーレの先生の事で……アッ、ツルギ先輩、ちょ、ちょっと待って下さい! もうちょっと、もうちょっとですからッ! あのっ、兎に角、手透きの生徒は先生を見つけ次第確保、じゃない保護をお願いするっす! もし先生を誘拐した犯人がいたらぶっ殺――半殺しで! それじゃッ!』
「………」
「………」
捲し立てるだけ捲し立て、一方的に切れる校内放送。思わず口を噤む先生とナギサ、すると少しして、テラスの向こう側が騒がしくなり始めた。
「ぐずッ、せ、先生~~~ッ! せんぜぇ~~ッ!?」
「先生! この声が聞こえたら返事をして下さいッ! 先生―ッ!?」
「アズサちゃん、私達は此方を!」
「っ、うん、分かった!」
中庭から、補習授業部の声が聞こえる。彼女達も放送に従って先生を探し始めたのだろう、コハルとヒフミ、ハナコとアズサの声が周囲に響く。
「うがあああァアアアアアアアッ!? 先生ぇええエエエエッ!」
「ツルギ、落ち着いて下さいッ! ツルギ!? っく、先生、一体どちらに……!?」
「つ、ツルギ先輩、壁を壊して進むのは拙いっすよ!? あっ――」
続いて、何かの破砕音、序に銃声。聞き慣れた絶叫と窘める声。
「これは~……」
「せ、先生がピンチなら見過ごせないよ!」
「まぁ、先生にはお世話になっているし、ひとっ走りしても、私は別に……」
「いや、めっちゃ足踏みしているじゃんカズサ……探しに行きたいなら素直にそう云いなさいよ」
「……そういうヨシミだって、貧乏揺すり酷いけれど」
「――まあ、そうだね、取り敢えず迷子を捜しに行くとしようかぁ~」
比較的落ち着いた声と、賑やかな声。恐らく放課後スイーツ部だろう。歩きながら洋菓子を摘まんでいた彼女達は、手にあったそれを口に詰め込むと、徐に駆け出した。
「……レイサさん、先に捜索を、私は他の自警団の方々に呼びかけを行います」
「わ、分かりましたスズミさん! 先、行っていますねッ!」
トリニティ自警団のレイサとスズミは、それぞれ別方向へと駆け出し、スズミは端末を使って他の自警団メンバーに状況を拡散。彼方此方でパトロールを行っていた灰色の制服を着込んだ生徒達が、振動する端末に気付き、その内容を確認する。
「先生、何処ですか~ッ!? 先生~っ!」
「先生~ッ!」
救護騎士団のセリナとハナエは、その両手一杯に救急医療バッグと治療器具、そして何故か大きな注射器を持ちながら不安げな表情で叫んでいた。何故だろう、先生の心臓がきゅっと締まる音が聞こえた。
「シスターフッドも動きます! マリー、ヒナタ、それぞれ班を率いて捜索を!」
「わ、分かりました……! 私達は外郭地区を!」
「それなら私は中央街の方に……!」
サクラコ、マリー、ヒナタを中心としたシスターフッドはメンバーを引き連れ、トリニティ自治区の各地へと散らばっていく。大聖堂から散開していくシスター達の姿は、中々に圧巻である。
「う、うぇ、そ、外……日差し、明るい、広い……うぅうう、で、でも、せ、先生が大変なら、わ、私も……!」
「委員長! ほら、私達も先生を探さないとッ! 帰ったらきっと一緒に本を読んでくれる筈ですから!」
「うぇぁッ!? ま、待って、こころ、心の準備がぁ――ッ!」
図書委員会、ウイとシミコ。彼女達は――特にウイは滅多に外出する事が無いので、その陽光の眩しさに顔を歪めている。しかし、扉の影に隠れて外を伺っているウイをじれったく思ったシミコに手を引かれ、彼女は外へと引っ張り出された。途端ウイは吸血鬼の如く悲鳴を上げ、何処かへ駆け出す。その後を追うシミコ――先生を想う気持ちだけは本当である。
「な、ナギサ様ッ! み、ミカ様が素手で独房の鉄柱を圧し折って脱走を……ッ!」
「………」
廊下の向こう側から、慌てて駆けて来るフィリウス分派の生徒が叫ぶ。どうやら彼女の収容されている場所にも放送は聞こえた様だった。四方八方から迫る先生を呼ぶ声、先生が抜け出した事が露呈し大事になっているらしい。ナギサの瞳が段々と色褪せ、遠くを見る。これからの事を考えると、その苦労が透けて見える様だった。
「た――」
先生の口が、ゆっくりと開く。ナギサが視線を落とせば、非常に、とても苦々しい、過酷な表情をした先生が絞り出すような声で云った。
「大変、申し訳、ございませんでした……ッ!」
「……はぁーッ――」
深く――深く息を吐き出す。
只ですら忙しい時に、こんな誤解で騒動に発展するなんて思ってもいなかった。
外からは生徒達の喧騒、悲鳴、銃声、先生を呼ぶ声が聞こえて来る。ナギサはそれらの声に耳を傾け、これから巻き起こるであろう報告書と仕事の山、そして先生に殺到する生徒達を想いながら――そっと肩を落とし、口を開いた。
「……先生?」
「……はい」
恐縮し、縮こまる先生。恐らく怒られると思ったのだろう。当然、その感情をナギサは持ち合わせている。そんな彼を見下ろしながら、しかしナギサは思わず笑みを零した。
大人らしくない、先生の姿に。
これからきっと大変な事が続くだろう、それを想うだけでも頭が痛い。しかし、まぁ、今更こんな事を云うのも何だが――ティーパーティーたるもの、優雅に、
だから、こんな時でも取り乱してはならないのだ。今までの醜態から目を逸らし、ナギサはそう考える。
彼女は小さく咳払いを行うと、先生にいつも通り、美しく象った笑みを向けながら云う。
これから到来する、騒動の前に。
ミカさん風に云うのであれば、そう――
「取り敢えず――紅茶を一杯、如何ですか?」
エデン条約編・前編 完。
「全員、撤収準備は良いな?」
「は、はい、必要なものは纏めましたので……!」
「………」
トリニティ自治区、外郭。
既に放棄されて久しい廃墟の一角、アリウス・スクワッドはその一棟にて撤収作業を行っていた。既に彼女達の本来の任務目標は達成され、後はアリウス分校より直接任務が通達されるまでは潜伏期間となる。その為一度地下のカタコンベを通り、アリウス自治区へと帰還する流れとなったのだ。
彼女達は暫くの間、ホームとして使用していた部屋を片付け、必要な物資のみを背嚢に詰める。もし任務が発令された場合、またこの隠れ家を使う事もあるかもしれない。そう思い、持ち切れない分の物資や装備などは、廃材や瓦礫に紛れ隠しておく。そんな作業を行う傍ら、サオリは小さな背嚢一つと
「ミサキ、荷物はそれだけか?」
「別に、私物何て元々ないし、あと
「……あぁ、それはそうだが」
そう云ってサオリは自身の荷物を見る。ミサキと同じ、愛銃が一つと背嚢が一つ。撤収するというのに、私物は殆ど存在しない。反対に、ヒヨリなどは大きな登山用のバッグを改造し、身の丈もある狙撃銃の入ったガンケースを上部に固定して、あれもコレもと詰め込んでいる。この場所に残すものは一つもないという勢いだった。
隣で作業に勤しむアツコ――姫は丁度中間で、少し大きめの背嚢に銃器や私物を詰め込んでいる。見ると、花に関する特集が組まれた雑誌を丁度詰め込んでいた。恐らく、ヒヨリから譲り受けたものだろう。
「……兎角、自治区に帰還後は計画の始動を待つだけになる、一応覚悟だけはしておけ」
サオリはそう云って、少ない私物の入った背嚢を背負う。撤収を終えた部屋の中はこざっぱりとし、微かに人の居た痕跡を感じられる程度になっていた。
「あ、あぁっ、つ、遂に始まるんですね……!? よ、漸くこの時が……でも苦しいんですよね? 辛いんですよね?」
「……うん、でも大丈夫、苦しいのは生きている証拠」
「………」
ヒヨリとミサキが呟き、アツコが何やら手を動かす。黒く、特徴的なマスクで顔を覆った彼女は、言葉を発する事が禁じられていた。手話で何かを伝えようとしているアツコに気付き、ヒヨリは彼女の手元を覗き込む。
「ひ、姫ちゃんが手話で何かを云っていますけれど……えっと?」
「あの子はどうなった、って……気になるの、姫?」
「………」
ミサキの問い掛けに頷くアツコ。しかしミサキは、そんな彼女に向けて能面の様な表情で告げた。
「……どうでも良くない? 結局は、早いか遅いかだけの問題だし」
「………」
「その辺にしておけ、そろそろ移動するぞ」
アツコは、アズサを心配している。
その事を理解しながら、サオリは移動を促す事によって会話を打ち切った。現在の彼女がどのような状況にあるのか、それを知るのはサオリのみ。そしてサオリは、それをスクワッドのメンバーに打ち明けるつもりがない。
ふと、割れた窓から見上げた空は、分厚い雲に覆われていた。
黒く淀み、流れるそれ。
マスクを手に取ったサオリは、小さく呟く。
「……黒い雲か、明日は雨になるな」
「あ、雨ですか? 嫌ですね、雨はジメジメして、苦しいですし、気持ち悪いですし……」
「だが――私達にはお似合いなのかもしれない」
ヒヨリの言葉に、サオリはそう囁く。
陽光を遮る影――蒼天など望むべくもなし、自分達に
陽の当たる場所でなど、生きる事は出来ない。
サオリはそれを、良く知っている。
「……リーダー、今何か云った?」
「……いや」
ミサキの声に、サオリは首を振った。思い返すのは、アズサの事。善き大人と出会い、陽の元へと旅立った嘗ての同胞。
今更――そう、今更なのだ。
戻る事が出来るのならば、陽の当たる場所に行けるのならば、もっと早く、何も知らぬ無垢な頃に、自分達は喜んで飛び出したであろう。けれどそうはならなかった、アリウスに生まれ、アリウスとして生き、アリウスとして死ぬ――ただ、そう在るだけが許された道。
だから、サオリは振り向かない。
踏み出した一歩が、割れた硝子片を踏み砕く。
「行くぞ……人目がない内に移動する」
「は、はい……!」
「………」
――アズサ、どれだけ足掻こうと、お前は抜け出す事は出来ない。
心の中で、そう呟く。あの先生がどれだけ尽力しようと、どれだけ生徒の為に尽くそうと。お前の体は憶えている、直ぐに思い出す筈だ、真実を。
そう幼い頃から何度も教えられ、躾けられ、世の真理として刻まれた――絶対不変の法則。
曰く。
《vanitas vanitatum. et omnia vanitas》
――すべては虚しい、どこまで行こうとも、すべてはただ虚しいものだ。
■
お疲れ様でしたわ~~~~ッ!
これにてエデン条約編・前編 完結ですのっ! 最後はちょっと頑張って明るい感じに纏めましたわ~! まだ前半とは云え、後味の悪いまま締めるのも、何だかな~と思ったので、こんなドタバタした終わり方も偶には宜しいでしょう。
それにしても、また五十五万字掛かりましたわね、多分エデン条約編・後編はこれの二倍必要ですの。つまり百万字ですわね、はー、つら、絶対に許さんぞ陸八魔アル……!
さて、忘れない内に書く事を書いておかねば。先生が復帰した後、どのルートに進むか参考にする為にアンケートを取ります。因みに一章につき五十万字、三ヶ月掛かると覚悟して下さい。
【花のパヴァーヌ編 前編】
アリスと邂逅し、ゲーム開発部との日常を描く。原作との大きな変更点は(恐らく)無い筈、時空的にはエデン条約前に据え置かれる。多分アビドス編とエデン条約・前編の間に差し込まれる形。正直日常パートになるので後書きで代わりに先生が死ぬ、賭けても良い。一応ミレニアムの生徒と適度に絡ませたり、独自のパートを入れる事はあるかもしれない。
【花のパヴァーヌ編 後編】
アリスとの邂逅、ゲーム開発部云々はダイジェストというか、軽く会話で触れるだけ。先にこれをやるならば、エデン条約・前編と後編の間に差し込まれる形になる。まぁ時系列的にはそれぞれの章が独立しているので、あり得ない訳ではない……筈? 少なくともアビドス編は終わっているし、大丈夫でしょう(慢心) エデン条約・後編の後にやるなら先生の四肢は義肢になる。約束されたトキによる先生のボコボコパーティタイムが存在する。リオはきっと、先生が助けてくれるよ。
【夏イベ 補習授業部の夏空編】
原作でエデン条約編の間に挟まれたイベント、「アズサに海を見せよう!」という趣旨の物語。後はストレスが溜まっているツルギに夏の思い出を作ったりする。場合によっては補習授業部だけではなく、他の生徒や他校も絡ませるかもしれない。アビドスとか便利屋とか、後はミレニアムとか……? 便利屋は入れても、他のゲヘナは参入させない。それはエデン条約・後編のメインテーマに掠ってしまうので。日常が光り輝くからこそ、エデン条約でそれが破壊された時、とても胸が暖かくなるのだ。カイザー元CEOも出場予定。多分五十五万字はいかない――恐らく。
【エデン条約・後編】
前編終わったなら直ぐ後編じゃろがい! という選択肢。前編の後始末やその後の処理、そして皆さんお待ちかねのエデン条約・調印式が始まる。先生にとって文字通り、最大にして最後の試練が立ちはだかる。半年前は此処をゴールに定めていた、だというのに公式がその先の物語を供給してしまったので目標が遠ざかった。嬉しい悲鳴である(強がり)。それでも私は、先生の手足を捥ぐために此処まで走って来た。或いは、このエデン条約後編は、遍く希望の始発点との複合になる可能性がある。未来を知った彼女が色彩を呼び寄せないと断言する事は出来ない。それでも結末だけは決まっている。多分五十五万字じゃ足りない、百万字行くと思う。因みに先生はエデン条約・前編よりも重傷を負う、マジで死ぬギリギリまで痛めつける。或いは死ぬかもしれない。すべては本編のストーリー更新次第。既にプロット破壊を三回程喰らっているので、いっそ果ての無い目標地点を定める位なら、此処で燃え尽きてやるという所存。
【プレナパテス編】
正直此処に入れるかは相当迷った。けれど遍く希望の始発点を考えるのであれば、いつか描写しなければならないパートでもある。救えなかった運命に抗う、破滅の未来を知って尚歩む、自身が失敗した世界の物語を、先生は病床で夢見る。二巡目の【アビドス】、【エデン条約】、【秘密】、それぞれの世界には該当しない、第四の世界、その先生が主人公。先生が生徒に寄り添い、導き、共に笑い、共に泣き、共に苦しみ、共に苦難を乗り越え、その果てに何の救いも得られなかった結末を描く。先生が失敗している為、エデン条約が目じゃないレベルで鬱々しい話になる。先生は歯を食い縛りながら死ぬし、生徒達は互いに殺し合い、疑心暗鬼となり、善意が踏み躙られ、正義は潰え、たった一人の生徒だけが残る。その残った、たった一人の生徒の為に、先生は何もかもを投げ捨て、自身の死後すらも擲って希う。この世界では、奇跡は起こらなかったんだ……。
選択肢は以上ですの。
まぁ私の中では無難に夏イベかエデン条約・後編かなぁ、原作の描写を見る限りエデン条約・前編から後編へと繋がるところで、それなりに時間が経過している描写があるので、何か一つパートを挟んでも良いかなぁとは思っておりますが。
勿論このままエデン条約・後編まで突っ走って、完結させるのも全然アリなんですけれどね。というかプレ先の奴は別に本編でやる必要もない? 外伝みたいな形でやればそれで良くない? とも思います。ぶっちゃけ、エデン条約・後編を書ききった後に、私のブルアカモチベーションは残っているのか? という疑問もありますわ。愛だけで百万字書き切った後に云うのも何ですが、先の見えないマラソン続けるのって結構しんどいですわよ。
取り敢えず一章書き切ったので、何はともあれ休息ですわ~! アビドス編も終わった後に一ヶ月位休養とったので、今回も同じ位ぐーたらしますの。睡眠時間と趣味の時間があるって最高ですわ。まぁその合間にプロット書いたりするのですが、これも愛の為……。恐らく一ヶ月後には戻って来ますが、その合間に公式が新シナリオを出してプロット破壊が起きたり、わたくしの肉体が物理的に破損したり、或いは想定外ののっぴきならない状態になったりしたら、幕間的なものを投稿しつつその旨も報告致しますわ~。それも駄目なら活動報告ですわ~! 活動報告も駄目だったらTwitterですわ~!
Twitterは久々に投稿して、「トクサンが久々にツイートしました!」みたいな通知出ると嫌だからツイートしたくねぇですわ……。そんな事を云っていたらログインしたの四年前とか五年前になってますわよ。何かこんな事、アビドス編の後書きでも書いたな……ままええわ。
でもよく考えたら一々、「今日は投稿遅れますわ~」とか、「今日は文字数の関係でお休みですわ~!」みたいな活動報告出すのも嫌なので、Twitter再開する事も視野に入れますわ……。
しかし、「久々にツイートしました!」って強調されるツイートって何呟けば良いんですの? 「わっぴ~☆」って云えば良い? 「何か通知来たな~?」って思ってスマホ見たら、「わっぴ~☆」って文字出て来たら殺意湧きません事? わたくし五体満足でいられます?
此処は潔く、「ひじき」って投稿しますわ。
そうすりゃ皆さんのスマホに、「ひじき」ってツイートが通知で出るって寸法ですのよ。意味は特にありませんわ、「ごぼう」でも良いですわよ。「わっぴ~☆」とどっちがマシかな……悩ましいですわ。有識者の間で議論して頂いても宜しいです事?
ブルーアーカイブをもう一度の進捗だとか、いつ再開するかだとかは、私がビビって無ければTwitterで呟きますわ! ツイートするだけでビビるって何ですの? 仕方ねぇですわよ、私SNSとか全然使ってねぇんですもの……。
この文章をいつ投稿するのかはわかりませんが、今日は2023.04.09ですから……そうですわね、今日の夜十時辺りにツイートしますわ! 暇だったら、「わっぴ~☆」とでも書きに来て下さいましね! 怖いので返信出来るかどうかは知りませんが!
という訳でアビドス編から半年、エデン条約編・前編から三ヶ月、お付き合い頂きありがとうございましたわ~! どうせ此処まで見たならお気に入りとか、感想とか諸々宜しくお願い致しますわよ~!
それではまた、恐らく一ヶ月か二ヶ月後くらいに、次章で!
わっぴ~☆
エデン条約・前編 完結後、希望する章
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花のパヴァーヌ編 前編 アリス邂逅
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花のパヴァーヌ編 後編 前編はスキップ
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夏イベ 補習授業部の夏空編 戦車でGO!
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エデン条約・後編 課せられた最大の試練
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プレナパテス編 救えなかった運命に抗う