ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告に感謝感激ですわ~!
あと日付跨いでごめんあそばせ!!


ほんの小さな、些細な奇跡をあなたに

 

 アリウス襲撃事件から一週間後――トリニティ自治区、とある裏路地にて。

 

「……ホシノさん」

「やっ、ハナコちゃん」

 

 薄暗いその場所に、恐る恐る足を進める生徒の影。彼女達は同じ髪の色を揺らめかせながら、互いに手を軽く挙げ挨拶を交わす。奥まった場所にある、小さな作業場、或いは荷物置き場とでも云い換えようか。

 表通りに並ぶ店を抜け、少し歩いた細道にあるその場所は、圧迫感があり視界が悪い。更に四方を建築物に囲まれ声もどこかくぐもって聞こえた。光源は頭上に瞬く星々と月光のみ、かなり近づかなければ互いの顔も分からない程。

 そんな中、伸びる影は三つ。

 ハナコはホシノから視線を逸らし、もう一人の生徒に目を向ける。

 

「それで――そちらの方は?」

「ワカモ、と申します」

「ワカモさん……? ――まさか」

 

 独特な和装に身を包んだ少女。肩に掛ける様にして担いだライフルは妙に威圧感がある。その姿と名前に、ハナコは憶えがあった。トリニティ内に限れば知らない事の方が少なく、その外界に於いても彼女の知性は遺憾なく発揮される。

 元百鬼夜行連合学院所属、現在停学中の七囚人のひとり――その異名。ハナコでなくとも、多少情報に詳しい者であれば勘付くだろう。

 その名が脳裏を過った時、ワカモは指を一本立て、静かに告げた。

 

「その呼び名は、どうか口に出さないで頂きますよう――正直、余り好みではないので」

「……えぇ、そうですね」

 

 ワカモの言葉にハナコは頷くと、彼女の名前についてこれ以上考える事はやめた。何故そんな人物がこの場にいるのか――疑問はあるが、ホシノと同行している以上、恐らく『こちら側』の存在なのだろう。凡その見当はつく。ハナコは一度息を吐き出すと、努めて淡々とした様子で云った。

 

「それにしても、急な呼び出しで吃驚してしまいました」

「いやぁ、ごめんね? 色々忙しいとは思ったんだけれどさ、ちょっとおじさんも思うところがあってね、聞きたい事も沢山あったし」

「聞きたい事、ですか」

「んー、まぁね、トリニティであった騒動とか、今回の元凶の件とか、先生の容態とか……ね? 流石にこんなゴタゴタが起きた直後に押し掛ける訳にもいかないし」

「………」

 

 そう云って肩に掛けた大きなケース――硬質的な光沢を放つそれは、恐らく防弾盾だろう――の縁を指先で叩くホシノ。その気配は心なしか寒々しい。

 

「しかし、今回はその為だけに来て頂いた訳ではありません」

「……と、云いますと」

「――皆を呼び出したのは、私」

 

 唐突に、見覚えのない生徒が現れた。まるで空間を切り取ったかの様に、闇の中から、ぬるりと。

 どこか大人びた姿、銀の髪に鋭い目つき――そして、所々欠けた薄暗いヘイロー。

 黒いドレスを身に纏った女性はどうやってこの場に現れたのか、ふわりと裾を靡かせながらハナコの前に立っている。他の生徒とは明確に異なる気配、微かに香る甘い匂い。それが死に近づいた者特有のものであると、ハナコは知っていた。ホシノとワカモはそんな女性を横目に一瞥し、微かに顔を顰める。それがどういった反応であるのか分からず、ハナコは困惑を滲ませた。

 

「え……っと、何方でしょうか?」

「――うーん、そうだねぇ、説明すると色々と難しいんだけれど、何て云うか」

「……率直に申し上げれば、私共の敵ですね」

「敵?」

 

 その、物騒な響きを孕む言葉にハナコは顔を顰める。

 しかしホシノも、ワカモも、敵と口にしながら目前に立つ彼女に銃口を突きつける素振りを欠片も見せない。在るのは警戒と疑念、そして敵意だろうか。両名とも銃器を手にしているが、その引き金に指を掛ける様子も、安全装置を弾く様子もない。

 フレンドリーではないが、最低限の一線は守っている。そのギャップがハナコの困惑を加速させた。

 

「敵、と呼ぶには、少々――」

「私は、先生を守る事が出来なかったキヴォトスから来た生徒……貴女なら、そう云えば分かる筈」

 

 その言葉に、ぴくりとハナコの肩が跳ねた。

 先生を守る事が出来なかったキヴォトスから来た生徒――それは、つまり。 

 

「――成程、そういう事ですか、以前ホシノさんが仰っていた方ですね」

「うへ……そーいう事になるかな」

 

 辟易とした様子で頷くホシノ。この大人びた風貌、他の生徒とは一線を画す雰囲気――退廃的で、暴力と死の匂いを香らせる理由はそれか。いつかカフェで聞いた、この世界ではない場所からやって来た生徒。

 ハナコは納得と共に警戒心を幾つか引き上げ、肩に掛けた愛銃のグリップにそっと手を掛けた。

 それを彼女――シロコ(銀狼)はじっと見つめるのみ。

 

「正直に云えば、先生を害するアナタは今すぐにでも消し去ってしまいたいのですが……」

「ん、それは方向性の違いというもの、私に先生を害する意思はない――最終的に求めているのは、先生の幸福」

 

 ワカモが首を傾げながらそんな言葉を投げかければ、銀狼は目を伏せながら淡々と返答を行う。それは、いつぞや対峙した時と比べれば酷く常識的で、『彼女らしい』(砂狼シロコ)振る舞いに見えた。ワカモは敵意と害意を持って彼女を見つめているが、当の本人はそうではない。どこまでも自然体で、飄々としている。

 

「……何て云うか、前にあった時は凄い乱暴だったから、少し驚いたね」

 

 呟き、ホシノは目を細めた。

 顔を上げた銀狼は、しばし真正面からホシノの顔を眺める。

 月明かりが差し込み、二人の表情を淡く照らした。

 

 ――銀狼の顔立ちは、見れば見る程面影があった。

 

 細く絞られた瞳、ピンと立った耳、艶やかに光る銀の髪、体つきは変わってしまったけれど、その表情と瞳に宿る光はホシノの知る彼女のものだ。まるでシロコの数年後、大人に近付いた姿。香る匂いと、気配さえ断ってしまえば、本当に彼女と瓜二つだった。

 

 対峙する銀狼は、じっと自身を見つめるホシノに、一瞬、くしゃりと表情を歪める。それは闇の中で起きた、ほんの一瞬の変化だった。そしてそれを、銀狼は悔いる。

 

「……アレ(あの口調)はゲマトリアに向けたものだから、普通に話すだけだったら、別に」

「……うへぇ、そういう所でシロコちゃんっぽい所出さないで欲しいなぁ、ちょっと、おじさん複雑だよぉ」

「………」

「あー……ごめん、無神経だったかな」

「別に大丈夫――アビドスの皆(私の仲間達)は、ずっと一緒に居るから」

 

 告げ、銀狼は胸元に手を当てた。

 アビドス(私達)は、皆で一つ――その約束を、違えた事は一度もない。

 それは、本当だ。

 

 ――銀狼(わたし)は、この世界のシロコ(わたし)ではない。

 

 記憶も、思い出も、そこにはない。世界を薪とし、己の命より大事な存在を捧げてまで手にしようとした唯一無二。彼女達と交わした約束も、誓いも、願いも、全部、全部、此処()にある。

 だからこの世界に居るアビドス(大事なもの)も、外側だけ酷似した他人なのだ。銀狼は、ずっと自身にそう云い聞かせて来た。

 

 けれどいざ、こうして銃を突きつけ合う事なく対峙すると、その鼓動が早鐘を打ち、酷く動揺するのが分かった。

 

 彼女達と同じ顔を見る度に、自身と共に過ごしたアビドスの仲間達の事を思い出してしまうのだ。同じ声、同じ仕草、同じ顔立ち、同じ心――異なるのは、自分を見つめるその瞳の色(感情)だけ。

 胸に過る確かな寂寥感。もう二度と手に入らない、綺麗で儚い希望の時間、真新しく汚れを知らない鏡を見せられている気分だった。その輪の中に自分が居ない事が、どれだけ辛く、寂しく、悲しい事か。心にぽっかりと穴が空き、強い虚無感に襲われる。

 そして、それを埋める方法は――世界の何処にも存在しない。

 だって銀狼は、その全てを世界(炎の中)に置いて来たのだ。

 だから彼女が携えるのは、約束と願い。

 その二つだけ。

 それだけだった。

 

 目敏く銀狼の変化、そのうねりに気付いたハナコは、どこかおずおずと問いかける。

 

「……その、ホシノさんと其方の方は、以前――」

「……うん、私達アビドスとドンパチして、銃口を向け合ったんだよね」

「本当に敵同士ですね――何故、その様な方と」

「そりゃあ勿論――」

 

 ホシノが小さく息を吐き出し、目を瞑る。それは自身の中にある感情を一新する儀式の様に思えた。

 思う所は当然ある、飲み下しきれない感情も。

 けれど、今はそれよりも――。

 

「先生の事で話したい事がある、何て連絡されちゃったらね」

「………」

 

 ゆっくりと顔を上げたホシノの瞳が、正面の銀狼を貫いた。

 

「おじさんの知る中で、唯一先生の根幹に近い部分を知っているのは彼女だけだからさ、色々と複雑だし、思う所もあるけれど、だからと云って跳ね退けるには情報の重要度が高すぎる」

「……なので私達、先生の事情を知る者に招集を掛け、この様な場を持つ事と相成った――という訳です」

 

 ホシノに続き、言葉を紡いだワカモ、それに対し銀狼は異論を挟まない。ハナコは皆の顔を見渡しながら、静かに頷いて見せた。つまりこれは、先生の秘密を知る者による情報共有の場――という事になる。

 話を持ちかけて来たのは彼女(銀狼)の方から、果たして一度敵対した生徒に対し、このような場を設けてまで話したい事とは何なのか? 少なくとも、明るい話題ではないだろう。それが分かっているからか、ワカモも、ホシノも纏う雰囲気は何処か強張っている。

 銀狼は全員に視線を向けられたまま、そっとその口を開いた。

 

「……率直に云う、このままだと先生が志半ばで死亡する確率が、非常に高い」

「ッ!」

 

 それは、余りにもストレートな物言いだった。

 オブラートも何もない、ど真ん中の剛速球。全員が息を呑み、肩を震わせる。銀狼はそんな皆の反応を気にも留めず、淡々とした口調で断じた。

 

「今回の件で確信した、世界(運命)は良くない方向へと先生を向かわせている」

「………」

「此処に居る全員は知っていると思うけれど、先生は幾つかの世界を経由してこの世界に辿り着いた、先生にその全部の記憶があるかどうかは不明だけれど、少なくとも先生は私の事を憶えていたから、これから先起こる事……未来の記憶があるのは確実――少なくとも、アレが到来する記憶までは」

「……アレ、というのは」

「……私達のキヴォトスが沈む事になった元凶、少なくとも、あの時から全部が狂い始めた」

 

 そう呟き、顔を背けた銀狼。その両手は強く握り締められ、心なしか怒気を纏っている様に見えた。具体的な情報は無い、だがソレがキヴォトスにとって致命的なものである事は理解出来た。

 

「――けれど、今重要なのは、エデン条約について」

「エデン条約――確か、トリニティとゲヘナの和平条約……だよね?」

「そう」

 

 ホシノの言葉に、銀狼は頷いて見せる。

 

「先生は繰り返した記憶を元に、生徒全員が笑える世界――つまり、キヴォトス全てを救おうとしている」

「それは……存じております」

「けれど、そのプランは頓挫した」

 

 銀狼が告げ、ハナコが透かさず口を挟んだ。

 

「――アナタの存在、ですね」

「……そう」

 

 彼女は肯定する。先生は記憶を元に世界をより良い方向へと進めようとしていた。すべては一度経験した事――結末を知っているのならば、その方向をコントロールする事は可能に思える。しかしそうではない、この世界にはイレギュラーが存在した。

 それが目の前の銀狼の存在。

 本来であれば、記憶を保持するのは先生のみだったのだろう。しかし、彼女という変数が世界に投げ込まれた事によって、結末は捻じ曲がり、道程が歪み始めた。 

 

「私の肉体を構成する際の交換条件、その中に未来の出来事と知識を話すという物があった、本来ならば一部だけに制限するつもりだったのが――どういう訳か、あの女の耳に届いてしまったから」

「……あの女?」

「アリウス自治区の主――ベアトリーチェ」

 

 その名前を聞いた瞬間、ホシノとワカモの表情と気配が一変した。

 

「……アイツか」

「………」

 

 ホシノは小さく敵意に満ちた呟きを漏らし、ワカモは肩に掛けた愛銃を軋ませる。ハナコはその名前を脳裏に刻み、何度か含む様にして頷いて見せた。

 

「……確か、先生がその名前を叫んでいた記憶があります」

「そう、先生を殺そうとしている黒幕が彼女、確か、アリウス・スクワッドを動かしたのも」

「ッ――」

 

 銀狼の言葉に、ハナコは目を見開く。思い起こされるのは体育館で爆発を受け、吹き飛ばされた先生の姿。あの、アリウスの生徒達の行動にも疑念があったが――裏で糸を引いていたのは、そのベアトリーチェという存在。

 ハナコの手に、知らず知らずの内に力が籠る。

 

「私としてもあの女は排除したいと考えている――だから三人をこの場に呼び出した」

「……敵の敵は味方、という事ですか」

「……あの女は私を警戒している、枷さえなければ私が殺しているけれど、あの女は狡猾にも二重、三重に私が手出し出来ない様に場を整えていた――気付くのが少し遅れた、今回私は大きく動く事が出来ない」

「枷、というのは?」

「契約に近い、その領域に立ち入る事が出来ないとか、気配を感知する事が出来ないとか、その特定個人にのみ作用するもの」

「……トリニティのものに、少し似ていますね」

「根源は同じなのかもしれない、私もその分野に精通している訳ではないから、詳細は省く」

 

 告げ、銀狼は続ける。

 

「あの女は既に舞台装置に堕ちた身、けれどその執念だけは本物だった……自らは動かず、周囲の登場人物(役者)を動かす事によって物語をコントロールしようとしている」

「それは……少々、変わった表現の仕方ですが――」

「……塵屑の一人が、こういう云い回しをしていたから」

 

 あの云い回しが移った。彼奴が、何かと自身に絡んでくるからだ。そう、どこか嫌悪感を滲ませ吐き捨てた銀狼は、小さく指先で自身の額を叩いた。

 

「……兎に角、私がもっと丁寧に立ち回っていれば、今回の件だって――」

 

 呟き、後悔を表情に滲ませる彼女。本来であれば、ベアトリーチェの役割は既にその力の大部分を喪っている筈だった。しかし、過去の道筋から外れたせいか、或いはもっと別の理由があるからなのか――あの女は執念のみで自身の立場を固持し、未来を捻じ曲げようとしている。それは、先生の命にすら届きかねない。それが今回の件で証明されてしまった。

 その事に自身がもっと早く気付けば、先生が負傷する事も防げたかもしれないのに。

 

「でも、まだ致命的じゃない――取り返しはつく」

 

 確かに未来は少しずつ悪化している、けれどまだ一線は越えていない。

 だから巻き返すためにも、危険を冒して彼女達にコンタクトを取った。本来であれば今後も敵対する可能性が非常に高い、今の生徒達に。

 

「先生を助ける為に――協力して欲しい」

「………」

 

 告げ、強い眼差しで皆を見渡す銀狼。

 互いに顔を見合わせる三人は、逡巡している様に見える。

 

「……それに、これは勧誘も兼ねている」

「勧誘?」

「うん――必要なら、先生が私の居た世界でどんな末路を辿ったのか、それを話しても良い、それであなた達の考え方が変わるのなら、幾らでも」

「……末路、ね」

 

 その響きにホシノは顔を顰める。

 良い話ではないだろう、それは確かだ。好んで聞きたいとは思わない。しかし、そこに先生のルーツがあるのも確かだった。

 

「それと、先生の傍に居る生徒を取り込むなら、早い方が良いと思った――私以外にも、【跳んで来た生徒】が居るかもしれないから」

 

 その言葉に、ハナコの視線が鋭く光った。

 

「それはあなたの様に、別の世界から――という事でしょうか」

「うん、そう」

「……確かに、先生単独ならばまだしも、同じ生徒の身分であった貴女がこうしてこの場に居る時点で、同じような選択をした生徒が他に居ないと、そう断言する事は出来ません」

 

 何かを代償として、世界を跨いでいる生徒が他に居るかもしれない。手段は皆目見当もつかない、しかしハナコは自身がキヴォトスの全てに精通している等、そんな事は微塵も思っていない。だから自分には想像も出来ない何か、あるいは技術を用いてこの世界に介入している存在――そのイレギュラーを、常に念頭に置く必要があった。

 

「私は、先生が生き延びられるのならキヴォトス何てどうなっても良いと思っている、けれど、だからと云って積極的に先生を悲しませたい訳じゃない……ただ私は、先生がこれ以上苦しむ所を見たくないだけ」

 

 銀狼は呟き、不意に夜空を仰いだ。月は、少しだけ欠けている。瞬く星々は綺麗で、その美しさだけはあの頃と何ら変わりない。自分はこんなにも変わってしまったのに、この夜空だけは――ずっと、あの時のまま。

 そうだ、こんな夜に自分達は誓った。

 

「――あの人(先生)に、あんな結末は似合わない」

「………」

 

 声には、どこか真摯な響きがあった。

 ホシノが思わず口を噤み、声を失くした。

 空を見上げる彼女が、余りにも悲しそうだったから。

 

「あなたは――」

 

 ハナコは、その表情と気配に正しく彼女の感情を汲み取る。数秒、どこか痛ましそうな表情を浮かべた彼女は、そっと囁く様な声色で告げた。

 

「……心が、折れてしまったのですね」

「………」

 

 それは、余りに直接的な物云いだった。或いは、彼女の機嫌を損ねてしまうかもしれない程の。けれどその言葉を受けた銀狼は、怒る訳でも、顔を歪める訳でもなく。ふっと、笑みを零した。

 それはどこか朧気で、儚い笑みだった。

 

「……この世界の皆から見れば、そうかもね」

 

 けれど折れた――と表現するのは、少し違うのかもしれない。

 呟き、銀狼は目を伏せる。

 

「皆が皆、先生みたいに強くはなれない」

 

 それを『強さ』、と呼んで良いのか彼女には未だに分からなかった。

 或いは覚悟や、信念と云った表現が正しいような気もする。

 自分には持つことが出来なかった、絶対的な聖者の性質。

 

「大好きな人が傷付いて、足掻いて、苦しんで、それでもと口にしながら進んだ果てに、何の救いも、希望もなかった……その慟哭と、悲しみを知っていたら、誰だって――」

 

 そう、誰だって絶望する筈なのに。

 その頑張りを一番近くで見つめていたから。ずっと背中を眺め、先生の作ったその道を辿って来たから。

 だから、先生がその膝を折り、斃れた時。

 アビドスの皆は、その(しるべ)を喪った。

 

 別に――楽園(エデン)になんて、辿り着けなくても良かった。

 ただ、先生とアビドスが一緒になって、ずっと笑い合える事が出来たのなら、それで良かった。

 そんな平凡で、些細な事で、何て事の無い日常こそが、自分達の願いだった。

 

「私はやり直したい訳じゃない、だって過去はなかった事には出来ないから、皆と一緒に必死になって戦って、それでも先生を守れなかった事実は……私の中でずっと残り続ける――だから、私が望むのは一つ、たった一つだけ」

 

 伏せられた銀狼の視線が、三人を射貫く。

 その瞳に秘められた意志と決意は――決して揺らぐ事は無い。

 そう確信する程の、強固な想いが燻っていた。

 

先生に、幸せな未来を(大好きな人に、ほんの少しの奇跡を)

 

 あの人は、生徒の為に奇跡を起こす。

 その未来の為に、心身を削る。

 けれど。

 自分の為に奇跡を起こした事など――一度もなかった。

 

 ――だから、今度は自分(生徒)の番。

 

 そのほんの少しの奇跡を、命を賭して手に入れる、何を犠牲にしても、どんな代価を支払っても――それが、皆と(シロコ)の結んだ約束。

 先生の起こす様な、大きな奇跡は望まない。

 生徒全員を救う様な、眩い光は求めない。

 ほんの少し、僅かな奇跡(幸福)で構わない。

 人ひとりが幸せに、何の憂いもなく、心穏やかに過ごせる世界(場所)

 銀狼が求めるのは、そんな些細な世界。

 

 そんな些細な奇跡の為に、彼女はアビドスという一等大切な宝物すら捧げ、突き進んだ。

 到底釣り合うものではない、望まれたものでもない。けれど、彼女は『それでも』と、自身のエゴを押し通す。その我儘に、重ねられた手の温もりを(アビドスの約束を)思い出しながら。

 

 ――その姿に、ホシノは思わずくしゃりと顔を歪めた。

 

「……ほんと、どこの先生も変わらないんだね」

 

 思わず呟いた。呟きが彼女の耳に届く事は無い。けれどそこには、万感の想いが籠っていた。

 話を聞き終えたハナコは、深く、どこか熱の籠った溜息を零す。二度、三度、自身の額を指先で叩くと、その鋭い眼光をそのままに問いかける。

 

「……そちらの事情は理解しました、それで、私達に何を望むと云うのでしょう?」

「――これから起こる、未来の事を少しだけ話す」

 

 未来の出来事。

 先生の今後を左右する、重大な分岐点。

 銀狼の指先が、微かに震えるのが分かった。

 

「だから、先生の事を守って欲しい」

「あなたに云われずとも、守るつもりではありますが――」

 

 ワカモは告げ、頭上を見上げる。どこか思案している様にも、感情を整理している様にも見えた。少しして、銀狼に再び視線を投げかけた彼女は一つ頷いて続ける。

 

「……実際問題、あの御方が傷付いているのは事実、情報を知らねば守る事もままなりませんか」

「そうだねぇ……おじさんも守るって豪語しておきながら今回は何も出来なかったし、それに次は、先生が死んじゃう可能性がある何て云われたら――流石に聞き捨てならないでしょ」

 

 感情的にも、客観的にも放ってはおけない。そして銀狼という存在も、決して腹から【信頼】出来る存在ではないが、事先生の事情に限っては――『信用』しても良い。彼女は銀狼の話を聞き、そう判断した。

 この取引は、互いの利益に沿っている。

 目指すべき到達点は異なるが、事この場合に於いて先生の生存が前提という部分は一致しているのだ。恒久的な協力ではなく、一時的な共闘。

 それであれば、呑む事も吝かではない。

 三人が顔を見合わせ、頷く。

 考えは同じであった。

 

「……それで、今回のトリニティ騒動、その後には何が起こるというのですか?」

「――エデン条約、調印式」

 

 ハナコの問いに、銀狼は答える。

 その瞳が剣呑な光を帯びるのを、皆は感じ取った。

 

「そこで、ベアトリーチェ(あの女)は仕掛けて来るつもり」

 

 ■

 

「っと――」

 

 客室棟――先生の私室にて。

 書類を書き綴りながら、隣にあったカップを掴む。そんな簡単な動作を、先生は不意に失敗した。取り損ねたカップがソーサーとぶつかり、甲高い音を立てる。中程まで注がれていた紅茶が跳ね、水滴が縁に弾かれた。

 物思いに耽っていたホシノは、その音で意識を取り戻す。部屋に備え付けられていたソファに身を沈めていた彼女は、そっと身を起こし先生の居る方へと視線を向ける。すると傍で介助していたハナコが駆け寄るのが見えた。談話用のテーブルで書類と向き合っていた先生は二度、三度、自身の指を動かし、目を細める。

 

「先生、大丈夫ですか?」

「……うん、平気だよ」

 

 そう云って、朗らかに笑う先生。しかし、ハナコはその指先が僅かに震えている事に気付いた。小さく、小刻みに揺れるそれにハナコは顔を顰める。

 

「でも、指先が震えて――」

「あ……」

 

 その震えは、本人ですら自覚していなかったもので。先生は咄嗟に指を握り込み、何でもないかの様にへらりと表情を変え、頬を掻いた。何とも空虚で、綺麗な笑みだった。

 

「あはは、ごめん、まだ本調子じゃなくてね」

「………」

 

 それは、生徒を気遣ってのものだろう。それが分かるからこそ、対峙するハナコの表情は益々険しくなる。そんな二人を見ていたホシノも、自身の鼓動が一際跳ね上がるのを感じた。

 

 あの爆発を受け――先生の左手の握力は、以前の半分以下になった。

 右目も、視力が大きく下がったと聞く。

 それがどの程度のものなのか、ホシノはまだ聞き及んでいない。聞くのが、怖かった。

 

 背中には酷い火傷と爆創の痕、シャツを着込んでいても首元にちらりとそれが覗く。ハナコや補習授業部の面々がその傷跡を見て、時折顔を歪ませるのをホシノは知っていた。その感情がホシノには良く理解出来る、その場に居ながら何も出来なかった無力感と遣る瀬無さ――その燻りは、どれだけ時間が経過しても鎮まる事は無い。寧ろ、時を経るごとに重くなっている様な気さえした。

 

 不意に顔を逸らし、ホシノはテーブルの上に残ったロールケーキに目を向ける。少し考えて、ホシノは皿ごと持って立ち上がり、先生の傍に足を進めた。

 

「あなた様、もしよろしければこのワカモが――」

「――はい、先生、あ~ん」

「なっ!?」

 

 ワカモが何事かを口にしようとして――恐らく自分が紅茶を飲ませてあげようとか、そんな事を云い出そうとしたのだろう――その間に割り込む様にして、ホシノは先生の口元にロールケーキを一片、差し出した。

 差し出されたソレ――フォークの先のロールケーキを見つめ、先生は苦笑を浮かべる。

 

「……大丈夫だよ皆、別に腕が無くなった訳じゃないんだから、気持ちだけ有難く受け取っておくね?」

「うへ、そんな建前は良いから、ほらほら先生、口開けて、あーん」

「いやだから……」

「あーん」

「……あ、あー……」

 

 再三のゴリ押しと、何となく滲み出る圧迫感に負け、先生は口を開く。その口の中に、ホシノはロールケーキをそっと差し入れた。

 

「んぐ……」

「ふふっ、偶には良いね、こういうのも」

 

 唇を閉じ、ケーキを咀嚼する先生。そんな彼の姿を間近で見つめるホシノは、ふとその表情を喜悦に染める。良く恋人や家族なんかが、こんな風なやり取りをしているのを本やテレビ越しに見ていたが――成程、中々どうして悪くない。自分には全く、縁遠い事柄だと思っていたが、分からないものだ。

 皿の上に残ったロールケーキを更に分割しながら、ホシノは努めて平静を装いながら言葉を紡ぐ。

 

「大丈夫だよ先生、どれだけ先生が傷付いても――(おじさん)が先生の腕だろうと足だろうと、なってあげるから」

「………」

「ま、そんな事になる前に、助けてあげられるのが一番なんだけれどね……その位の気構えで居るって事は、知って欲しくてさ」

「……うん、ありがとうね、ホシノ」

 

 何となく気恥ずかしくなって、「うへ」と呟いたホシノは顔を背ける。

 その先に――直立不動で佇むワカモと、その背後に並ぶハナコを見た。

 

「……えっと、二人は何でおじさんの後ろに並んでいるのさ」

「順番待ちです」

「はい♡」

 

 真剣な気配でそう告げるワカモと、満面の笑みでハートを飛ばしながら頷くハナコ。そんな二人の姿に思わず辟易とし、そして先生に再び視線を向けた時、その傍にはいつの間に部屋に入っていたのか、シロコの姿があった。

 

「先生、先生」

「……何だいシロコ、っていうかいつから居たの……?」

「ん、私ともあ~んをするべき」

「……後でね」

 

 先生がそう云うと、シロコは露骨に不満げな溜息を零した。何だかあっち向いてホイとかしそうな溜息だな、と先生は思った。というか最近、生徒のストーキング――否、ステルス能力が向上している気がする。これは良くない傾向では? 先生は訝しんだ。

 

「そう云えば、その書類、申請書みたいだけれど――」

「ん、あぁ、これかい?」

 

 ホシノがそう問いかけると、先生は書きかけのそれを指先で撫でつけながら、どこか憂う様な表情で答えた。

 

「……ミカの、面会申請書だよ」

 


 

 何気ない日常の中で、ほんの少しの奇跡(大好きな人が平和に暮らせる世界)を見つける学園(もう滅んだ)×青春(過ぎ去りし思い出)×物語(ひとりぼっちの)RPG(アビドス)――ブルーアーカイブ。

 

 これがクロコのブルーアーカイブ(青春)をもう一度かぁ……。

 

 

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