今回本編だけで一万三千字なので、次の投稿は明々後日になるかもしれません。
「……つまり、纏めると」
ハスミの何処か、戸惑った声が周囲に響く。
場所は正義実現委員会本部、ハスミ、マシロ、そして何名かの正義実現委員会の生徒に囲まれたまま、アズサとヒフミ、そして先生はその場に立っていた。
「――アズサさんに、海を見せたくて戦車を盗んだ……という事で合っていますか?」
「は、はい、そうなんです!」
ハスミの言葉に、ヒフミは何度も小刻みに頷いて見せた。その様子は正に必死で、握り締めた手は白く血の気が失せている。
つい先程、連行されていく二人の姿を目撃した先生は、本部に詰めていた委員の一人から事情を聞き出し、二人に釈明の場を設けた。流石にやらかした事がやらかした事なので無罪放免という訳にはいかないが、何の意味もなくこんな事を行う生徒ではないという事は理解している。
何か事情がある筈だと、マシロと協議を行っていたハスミに嘆願。そうして改めて事情聴取が行われる事となり、出て来た言葉が――アズサに海を見せる為。
そんな言葉を真正面から受けたハスミは、戸惑いを隠す事無く滲ませる。
「ちょっと学園の備品をお借りして、行ってこようかなと……け、決して盗みたかった訳ではないんです!」
「……ヒフミさんの事ですし、嘘を吐いている訳ではないと思いますが」
呟き、視線を先生に向ける。ハスミとて、アズサとヒフミとは知人である。アズサが理不尽な出来事に立ち向かう正義の心を持っている事は知っているし、ヒフミも凶悪な犯罪を犯す様な不良ではないと知っている。
しかし、どうにも――海と戦車が結びつかない。
戸惑いはそこから生まれるものであった。嘘を吐いているとは思わない、しかしこれは、余りにも。
そんな感情を込めて向けられた視線に先生は頷きを返した。
「……先生?」
「うん、本当の事だと思うよ」
「そう、ですか」
先生のお墨付きに、戸惑いは更に深まってしまう。
「その、普通に海に行けば良かったものを、どうしてわざわざ戦車で……?」
「普通では、駄目なんですッ!」
『普通』――その言葉を耳にした瞬間、ヒフミが声を張り上げた。握り締めた拳をデスクに叩きつけ、前のめりになる。唐突な変貌にハスミは思わず仰け反って、目を白黒させた。ずい、と顔を突き出したヒフミは、ハスミの瞳を真正面から見つめ叫ぶ。
「アズサちゃんは、海を見た事が無いんです!」
「海を……?」
「はいっ! つまり、これが初めての海になるんですよッ! 初めてのっ、海ッ! 分かりますか!?」
「え、えぇ」
余りの迫力と勢いに、思わず頷くハスミ。初めての海、確かにそれは重要なイベントである。大切な一回きりの記憶、より良い思い出を残せるように尽力するのも理解出来る。
しかし――。
「ですが、それで何故、戦車に繋がるのか――」
「折角の夏休み、シチュエーションとしてはこうです……照りつける陽射し、足を擽る砂浜、押しては引く波際、陽光に輝く水面――と、くればッ!」
ダンッ、とヒフミの拳が再びデスクを叩いた。
目を輝かせ、頬を紅潮させたヒフミが高らかに叫ぶ。
「――戦車に乗っていくしかないじゃないですかッ!?」
「………」
叫びは、正義実現委員会の本部に響き渡った。
周囲を静寂が包み込み、ヒフミは満足げに鼻を鳴らしている。
ハスミはそんな彼女に目を瞬かせながら、おずおずと口を開いた。
「申し訳ありません、私には、少し――」
「成程、理解しました」
「マシロ……?」
まさか、理解出来るのか?
そんな戦慄と驚愕を以て目を向ければ、どこか感じ入る様に腕を組んで頷くマシロの姿が。
「夏休み、輝く海、照りつける陽光に煌めく砂浜、友達と行く初めての海――」
その情景を思い浮かべているのか、どこか涼やかな笑みを浮かべる彼女は指先で頬を擦る。
「そして、戦車から見渡すそれらの光景――確かにこれは外せませんね、海に戦車は付き物、浪漫とすら云えます」
「そうっ、そうッ! そうなんですよッ!?」
マシロの賛同を得たヒフミは正に水を得た魚の如く、何度も首を縦に振ってヒートアップ、拳を突き上げて高らかに叫ぶ。
「そ、そうなんですか……?」
「そうなの?」
「そうなのかー……」
ハスミ、アズサ、先生の順で声を上げる。
ハスミは純粋に理解出来ない為の困惑。アズサはそういうものなのかと納得気味。先生は生徒の趣味趣向はそれぞれなので、端から全て受け入れる姿勢である。
「友情、海、浪漫、夏休み――即ちこれは」
マシロがどこか感じ入る様に口を開き、その指先を天に向けた――その瞬間。
「青ぇええ春んんん~~~ッ!」
凄まじい轟音と共に近くの壁が爆散する。瓦礫が飛来し、傍に立っていたアズサが咄嗟に先生の盾となった。しかし幸いにして足元に僅かな破片が転がる程度で、後は粉塵が頬を撫でた程度。立ち上るそれを切り裂き、絶叫と共に現れたのは――正義実現委員会の委員長、ツルギ。
銃器は持っておらず、素手で壁を粉砕したのだと分かった。
「ツルギ?」
「ひえっ、か、壁を突き破って……!?」
「あぁ、ツルギ先輩、今まで何処に?」
ハスミとマシロが首を傾げ、ヒフミは余りにもインパクトの強い登場方法に悲鳴を上げる。ツルギはマシロの問い掛けに答える事無く、首を傾げたまま怪鳥染みた声を響かせた。震え叫ぶその姿は中々どうして恐怖心を煽り、目は極限まで見開かれ両の拳が戦慄いている。
「きへええァアアアッ! 海ィ! なつぅ! 友情ぉおおおおっ!」
「……?」
「すみませんごめんなさい許してください! 爪は痛いのでやめて下さいっ! 多分楽しくないと思いますのでッ!」
ヒフミは自分を裁きに来たのだと思い込み、頭を抱えながらその場に蹲る。反し、マシロは普段よりも何処か高揚している様子のツルギに疑問符を浮かべた。
「うーん、ツルギ先輩、何だか今日は特にテンションが高いですね?」
「……これは、もしや――」
ハスミがツルギの様子に違和を感じ取り、席を立つ。先生は自身の前に立ったアズサに小さく礼を云うと、その肩を叩いてツルギの傍へと足を進めた。粉塵の只中で絶叫し、震えている彼女は先生の存在に気付かない。
「ツルギ」
「キヘェエアアア、あ……――あぁッ!?」
「やぁ、今日も元気そうだね」
「…………………」
数秒、間があった。
天井を見上げ絶叫していたツルギは、唐突に現れた先生の姿を凝視する。頭の天辺からつま先まで眺めた彼女は、ややあってその顔面を真っ赤に染めると、今度は凄まじい勢いで後退りながら叫んだ。
「ジャベレバアアアアアアッ! キェエエエアアアアアアッ!」
「ツルギ、落ち着いて下さい」
壁に張り付き、両手を上げたツルギにハスミは駆け寄る。そしてまじまじと彼女の顔を見つめたハスミは、一つ頷いて結論を出した。
「ぅ、ぉ、おぉおおお……ぉあぁ、ああ――」
「……やはり、そういう事なのでしょうか? ツルギ、少々此方に」
ツルギの手を引いて別室へと足を進めるハスミ。当の本人もされるがままで、扉の向こうへと二人の姿は消えて行く。
唐突な襲撃とも呼べる登場に肝を冷やしたヒフミは、蹲ったまま二人の背中を見送り、悲鳴とも吐息とも云えない声を漏らす。
「ふ、ふえぇ……」
「まだ終わっていない、気を緩めないでヒフミ、ここからまた強襲される可能性がある」
「うぇっ!? そ、そうなんですかマシロさん!?」
「いえ、私に聞かれましても……ただ、確かにここ最近のツルギ先輩は、少し元気が無さそうな日が多かった様な?」
ヒフミの問い掛けに、マシロは戸惑った表情と共に答える。
「まぁでも、最近色々ありましたし、単純に疲労が重なっているという可能性も――そう考えると、少し危ないかも……?」
「や、やっぱり!? あ、あうぅ……」
「大丈夫です、先生が近くに居れば高確率で落ち着きますから」
「落ち着くって云うより、さっきは興奮していたような……?」
何とも安心できない文言である。しかし正義実現委員会の業務が激務なのは正しく、ここ最近は輪を掛けて忙しい。復興作業に割かれる人員に、アリウス襲撃に備えた防衛体制の構築。加えて有事の際はティーパーティー護衛も兼ねている為、今は猫の手も借りたい程。現在は内勤の生徒ですら外に駆り出し、何とか遣り繰りしている状態なのである。その為、正義実現委員会最高戦力のツルギもまた、右へ左へ駆り出される日々――疲労も蓄積して当然である、少なくともマシロから見ればそういう風に見えるのだが。
「でも、それにしてはこう、少し変だったような気もします……疲れているというより、慟哭? 悲しみが含まれていたような――うーん」
マシロもツルギと共同で任務に赴く事は度々あり、多少なりとも意思疎通は出来ていると自負している。そんな彼女の尊敬する先輩、その絶叫は普段と比べて聊か孕んでいる感情が異なっている様に思えた。しかし残念ながら、その意思を十全に汲み取ることが彼女には出来ない。
それこそ、本当に親しい友人でもなければ。
そんなやり取りを経て、一分もしない内にハスミとツルギは帰還した。顔を真っ赤にしたまま固まるツルギと、どこか納得顔のハスミ。扉を押し開けた彼女は、皆を見渡し笑顔を浮かべる。
「お待たせしました、皆さん」
「ひいっ! せ、せめて遺言だけでも……ッ!」
「……? 何のお話でしょう」
未だ怯えるヒフミと仏頂面のアズサ。マシロはツルギとハスミを見つめながら沈黙を守っている。
「先生、ツルギをお願い出来ますか?」
「良し来た、任せて――ほらツルギ、こっちにおいで~、よぉしよしよし!」
「あ、ぅ、うぅ……」
「おぉ……ツルギ先輩が小動物の様に」
ハスミからツルギを任されたので、先生は嬉々としてツルギを構い倒す。その頬やら髪をやたらめったと撫で回し、序にそれとなく肩に手を回して体を密着させる。こうすると彼女が暴れなくなる事を先生は良く知っていた。彼女の膂力で以て動き出せば、先生の体など容易く吹き飛ぶ。ツルギの性根は優しい生徒だ、それを避け意図して縮こまるツルギを、先生は出来得る限りの愛情と好意を以て撫で続けた。
「ありがとうございます、先生――さて」
ツルギが大人しくなった事を確認したハスミは、ほっと胸を撫でおろしアズサとヒフミに向き直る。視線を向けられたヒフミは肩を弾ませ、アズサは胡乱な目を向けた。
「少し、お二人にお願いがあります」
「え、わ、私達に……ですか!?」
「――成程、司法取引か」
ハスミの言葉に、アズサは鋭い目線で以て口を開く。
「不問にする代わりに、何か危険な任務をさせようという魂胆だろう」
「いえ、恐らくそれほど危険はないかと思いますが……」
どこまでも警戒を解かないアズサに、ハスミはやや辟易とする。しかし、実際問題彼女達に頼もうとしている事は然程危険を伴わない筈だった。そう、ツルギが暴れ出さない限りは。
「ボランティア活動と云い換えても良いでしょう、処罰の代わりにやって頂きたい事があります、諸経費は勿論、戦車も正式に貸与致しますので」
「ぼ、ボランティア……ですか?」
「えぇ、決められたことを守れなかった代わりに、今度は決められた通りの事をして頂ければと」
ボランティア、その言葉の響きにヒフミは疑問符を浮かべる。横合いでツルギを撫でつけながら話を聞いていた先生は、徐に口を挟んだ。
「――ハスミ、それは私が監督役として同行しても良いかな?」
「先生がですか? それは……有難い事ではありますが、先生はまだ療養が――」
「正直、ずっと部屋の中だから体が鈍っちゃってさ、傷も大分回復したし、激しく動いたりしなければ問題ないと思うんだ、偶には外に出ないとね……それに監督は半分方便で、私が休暇に行きたいだけだから」
そう云って先生が破顔すると、ハスミは僅かな逡巡を経て、静かに頷いて見せた。
「……そういう事であれば、しかし幾つか条件が」
「条件?」
「正義実現委員会以外の、そうですね、護衛を募って下さい」
「護衛って――」
「正義実現委員会のメンバーが大勢ではツルギの息抜きにならないと思いますし、どこの学園でも――ゲヘナ以外であれば、どこの学園でも構いません」
「あ、あはは……わ、分かったよ」
護衛、その言葉は少々物々しいが、見方を変えれば単なる休暇にもなる。働き詰めだった生徒何人かにあたりを付け、先生はスケジュールを思い浮かべる。
「うーん、声を掛けて来てくれそうな子は……そうだね、護衛というより一緒に遊べる生徒って意味になると思うけれど、聞いてみるよ」
「えぇ、ありがとうございます」
ハスミは微笑み、先生とヒフミ、アズサに行って欲しいボランティアの内容を明かす。
果たして、その内容は――。
■
――そうして、三日後の朝。
「おぉ……! これが――」
「海だ~ッ!」
先生一行は海へとやって来ていた。
場所はトリニティ自治区の中央区から少し離れた海岸、サマーシーズンの中でも比較的人の少ない所謂穴場スポットという場所である。その為周囲には自然が多く、格調高く纏められたトリニティ中央区と比較すると開放的な場所だった。
広い海、青い空、火照った砂浜に――そして戦車。
履帯の音とエンジン音を響かせ、前進するトリニティ戦車――ヒフミ曰く、『クルセイダーちゃん』は砂浜の中にゆっくりと停車する。キューポラ脇に設置したパラソルの中から一歩踏み出し、灼熱の装甲板を蹴って砂浜の上に着地する。瞬間、何とも云えぬ熱さが足裏を焼き、先生は笑いながらその場で足踏みを行った。
しかし、それがまた気持ち良いのだ。
「ん~、良い陽射しです! ほら、コハルちゃんも♡」
「うぅ……」
「おぉーッ! 海だ~ッ!」
「せ、先生、テンションが高いですね……?」
「そりゃあもう、高くもなるでしょう!」
一緒に搭乗していたマシロが、戦車の上から戸惑ったような声色で告げる。こんな先生は見た事が無かった。マシロの知る先生はいつも真面目で、温厚で、きっかりとした大人然とした人だ。それがこんな、子どもみたいに燥ぐ姿を見せられ、少しだけ困惑する。
その言葉に先生は振り返って満面の笑みと共に告げた。
「青い空、熱々の砂浜、澄んだ海原――そしてッ!」
わっと、手を広げた先生はパラソルの下で佇む生徒達を見渡し――叫んだ。
「水着ッ!」
「あ、あはは……」
「うぅ……」
「あらあら♡」
「む、へ、変じゃないだろうか?」
「変な訳がないッ! 似合っているよ! パーフェクトだアズサッ! おへそ舐めて良い?」
「せ、先生っ!?」
「えッ、えっちなのは駄目っ!」
アズサ、ヒフミ、マシロ、ツルギ、ハナコ、コハル――可愛い系から綺麗系まで、水着を着込んだ少女たちの姿。これを見て喜ばない男など居るのだろうか? いや、居ない。先生はそう確信する。「へそなんか舐めて、楽しいのか……?」とばかりに首を傾げるアズサ。ハナコはどんと来いと云わんばかりの雰囲気で、ヒフミとコハルは自分のへそを必死に隠している、可愛いね。でも後ろで
「うへ~、流石にこの辺りは暑いねぇ~……」
「ほら、先輩、しゃきっとして! こんな所でヘバらないでよ!」
「ん……良い景色」
「わぁ~! 素敵な場所ですね~!」
「み、皆さん、ちゃんと日焼け止めを塗らないと!」
少しすると、戦車の頭上を飛んでいた中型のヘリが傍の開けた場所に着陸し、アビドスの面々が降りて来るのが見えた。武骨なフォルムとやや年季の入ったそれは、UH-60――通称ブラックホークと呼ばれる多目的ヘリコプターである。対策委員会である皆が借金を返済しつつコツコツと貯金し、遂に購入した大型備品。因みにパイロットはアヤネで、購入する際にはきちんと先生も同席した。何時間も悩み、吟味し、購入するに至った中古のそれは、今や鏡の様に磨かれ太陽を反射している。
整備も行き届いている様子で、足元の砂塵を吹き飛ばしながら徐々にローターを停止させるそれを見て先生は感慨深くなった。
「あっ、アビドスの皆さん! 遠くから態々すみません……!」
「やっほ~、ヒフミちゃん、別に大丈夫だよ~、ヘリでひとっ飛びだったし、やっぱり乗り物があると便利だねぇ」
「ふぅ……ちゃんと到着出来て良かったです」
「お疲れ様です、アヤネちゃん♡」
「あ、はい、ありがとうございます、ノノミ先輩」
「ん、ヘリまで操縦出来るなんて、アヤネは器用だね」
「というか、いつの間にヘリの免許なんて取っていたのよ?」
「えっと、先生にも協力して貰って合間合間にちょっとずつ……かな」
セリカの言葉に苦笑を零しつつ、アヤネは頬を掻く。何だかんだと生真面目な彼女はアビドス事件の後、ちょくちょく時間を割いてヘリコプターの操縦免許を取得したのだ。大抵の事はBDで学べる時代であるが、それでもこれだけの短期間で取得できたのは彼女の優秀さと努力によるものだろう。
因みにだが――ヒフミは
「やっと着いた~! 結構長旅だったわね……」
そんなアビドスの傍に、今度はやけに未来染みた流線型のVTOLが着陸した。両翼の大型エンジンを鳴らし、甲高い音と共に地面に接地。横合いから伸びたタラップに足を掛け、降りて来る生徒の影が複数。機体横には学園の校章が描かれており、その下には――ミレニアムサイエンススクールの文字が踊っている。
「おっ、そっちもお疲れ様~、いやぁ、いつ見ても近未来な乗り物だねぇ」
「ん、パイロットも居ないって聞いた」
「前も思ったのだけれど、それ、ちょっと怖くない……?」
「そこはミレニアム製のエリアル・ビークルだもの、操縦も、目的地へのナビゲーションも完璧よ!」
いの一番に降りて来たのは、水着の上にミレニアムのパーカーを着込んだユウカ。いつも左右二つに結んでいた髪を後ろで一つに括り、普段よりどこか活動的な姿に見える。
「ユウカ、ごめんね、突然来て貰っちゃって」
「い、いえ、構いません! 他ならぬ先生の頼みですから!」
先生が歩み寄りながら声を掛けると、彼女はそっぽを向いて捲し立てた。
「でも、せめてもう少し連絡は早めにして頂けると助かります、此方にも、えっと――そう、スケジュールがありますので……!」
「ふふっ、新しい水着を買ったり……ね?」
「のっ、ノアッ!」
ひょいと、ユウカの肩口から顔を覗かせる白髪の少女。ユウカと酷似した色違いのヘイローを持つ彼女は、どこか揶揄う様な色を表情に宿しながら微笑んでいた。
「――やあノア、久しぶり」
「えぇ、御無沙汰しております、先生」
生塩ノア――ミレニアムサイエンススクール在籍の二年生、ユウカと同じセミナーに所属し主に書記業務を担当している生徒である。ユウカと交流があった先生は、自然彼女と接触を持つ機会も多くなり、会話も交わすし頻繁にではないが一緒に出掛けたりもする。ゲーム開発部やヴェリタス、エンジニアリング部やC&C関連でもお世話になっているので、先生としてはユウカと同じく、何かと頭の上がらない相手だった。
そんな彼女はユウカの肩を掴みながら、どこか妖し気に微笑みながら口を開いた。
「先生がミレニアムに中々足を運んでくれないので、ユウカちゃんが大変寂しがっていましたよ? 最近はシャーレの方も不在にしてトリニティに掛かりきりみたいですし……忙しい事は理解していますが、程々に構って頂きませんと」
「ごめんね、私も皆に会いに行きたいとは思っていたのだけれど、中々時間が取れなくて……」
「ちょ、ま、待って! 待って下さい! ノア、ちょっと、ちょっとこっち来て……!」
満面の笑みを浮かべるノアに反し、ユウカは顔を真っ赤に紅潮させ慌ててノアの腕を掴む。「ユウカちゃん、どうかしましたか?」と楽し気な彼女を連れ、ユウカは先生から数歩離れて何事かをノアに耳打ちしていた。内容に聞き耳を立てる事はしない、先生は
「わぁ~海だ~! 海に戦車にご主人様! あははっ、たのしそ~!」
「おい、あんま燥ぐんじゃ……っち」
ユウカとノアの次に機体を降りてきたのは、C&Cの二人。タラップを軽快な足取りで降りるアスナ、そしてC&Cリーダーのネルである。アスナは水着を身に纏って上着は無し。ネルは水着の上にいつものスカジャンを羽織っている。バニーだろうとナース服だろうと、必ず肌身離さず着込んでいる愛用品は健在だ。
「やっほ、ご主人様! ひっさしぶり~ッ!」
「アスナ、ネルも、元気そうでッ――!」
先生が軽く手を挙げると、凄まじい勢いでアスナが飛びついて来る。辛うじて倒れる事は回避したものの、咄嗟の事に驚きと焦燥が生じた。ふわりと、鼻腔をアスナの香りが擽る。
「はぁー……わりぃ、先生、適度に構ってやってくれ」
「も、勿論だよ、アスナ、ちょ、待ってね、此処外だからね? 一旦離れようね? 良い子だから――うぉ、力つよッ……!」
「ん~!」
先生の言葉を聞いているのか、いないのか。アスナは両腕で先生を抱き締めながら、胸元に顔を擦り付ける。まるでマーキングをされている気分だったが、自分自身の力だけでは振りほどけそうになかった。彼女と会うのは本当に一ヶ月ぶり位なので、仕方ない事なのかもしれない。先生はアスナを説得する事を諦め、彼女が満足するまで好きにさせる事にする。何となく、背後からの視線が怖かった。
「ミレニアムの方々は四名だけなのですね」
「あ? 確か浦和……ハナコとか云ったか、トリニティの」
「えぇ、宜しくお願いします、ネル先輩――お噂は兼ね兼ね」
背を曲げて歩くネルの背後から、ふと声が聞こえた。見れば大胆な水着――何というか、色々と大丈夫なのかと問いたくなる水着を着込んだ生徒、ハナコが微笑みを浮かべながら立っていた。ネルは脳裏で彼女の情報を引っ張り出しながら、乱雑に頭を掻いて答える。
「
「成程、その様な事情で」
ネルの返答に、ハナコは何度か頷いて見せる。視線を先程のセミナー二人の方へと向ければ、未だに何かを口にしているユウカと、それをニコニコと聞き流すノアが姿が見えた。白と黒、そして青の混じった水着――恐らく購入したばかりなのだろう。ハナコは二度、三度顎先を指で擦ると、何かを思いついた様に頷いて満面の笑みを浮かべた。
「むむっ……この陽射し、主殿の肌が心配です!」
「イズナ、日焼け止めクリームはここにあるよ! 先生殿の所に持っていってあげて!」
「流石部長! 直ぐに行って参ります! ニンニン!」
「わっ、す、すごい場所ですね……綺麗――」
「ふふっ、あなた様との夏の思い出……夜のビーチ、二人きりの世界、何も起こらない筈もなく――あぁっ!」
そして最後に降りてきたのは――忍術研究部の三名とワカモ、シャーレ組である。
搭乗人数の関係でアビドスとミレニアム、どちらかの航空機に同乗する事になったのだが、どうせなら面識のあるアビドスに――と思っていた所、ミレニアムのエリアル・ビークルを見たミチルが、「漫画見たいな飛行機だ~っ!」と燥ぎ出しミレニアム側に同乗する事になった。
正直ネルとワカモの組み合わせという、どうなるか分からない不安があったので、大分気を揉んだのだが――どうやら杞憂だったらしい。前方にアスナが引っ付き、後方からイズナが、「主殿! 主殿! イズナが日焼け止めを塗って差し上げますっ!」と元気良く叫んでいた。
「ありがとうね、イズナ、後で有難く……待って、待ってね、イズナ、今先生手が離せないっていうかホールドされているって云うか、うっ、まっへ、まっへ、そんな顔に丹念に――」
日焼け止めクリームを大量に手に出したイズナが、その手で先生の頬を丹念に揉み解す。何か違くない? イズナ、それ何か違くない? そんな事を思いながら先生は生徒の為すがまま、暫くの間その場を動けずに居た。
「――だからね、もうちょっとこう、感情を汲んで欲しいって云うか、先生には特に……」
「ふふっ、ユウカちゃん、嬉しそうですね?」
「えっ……そ、それは、まぁ、その、久々の休暇だし……?」
「それに先生とも一緒に居られますもんね?」
「ノアッ!?」
「す、凄い大所帯になってしまいましたね……」
「確か、声を掛けたら存外に参加希望の生徒が多かったって、先生が云っていた」
ヒフミが周囲を見渡しながら呟けば、アズサが頷きながら答える。
本来なら、此処に居る生徒の数倍の人数が挙手をしてくれたそうなのだが、都合が悪かったり普段の業務があったりと、参加出来ない生徒も多かったと聞く。それでもこれだけの人数が揃ったのだから凄まじい。これなら先生の防備が薄くなる事もないだろう、そう判断したアズサは自身の頬を軽く叩き、ヒフミに問い掛けた。
「それでヒフミ、ハスミから伝えられた任務というのは?」
「あ、はい、アズサちゃん……えっと、これでして――」
その言葉に、ヒフミは持っていた防水性ペロロバッグの中から一枚のメモ用紙を取り出す。綺麗に折り畳まれていたそれを広げ、アズサに見せる。中には幾つかの項目が箇条書きで書き出されており、それを指先でなぞりながらヒフミは口を開いた。
「このリストをこなしながら、証拠として写真を提出しなければならないみたいです、数はそれほど多くありませんが……」
「うん、理解した――それで」
「………?」
メモ用紙から顔を上げたアズサ、彼女が視線を向けたのはライフルとビーチパラソル、ついでにクーラーボックスを担いだマシロ。どこか探る様な意図を孕んだ視線を向けられたマシロは、頭上に疑問符を浮かべた。
「こっちは監視役だな、私達が逃げ出さないように見張るつもりか、流石に徹底しているな正義実現委員会」
「えっ? いえ、別にそういう訳ではないのですが……」
「油断はしない、いつ背後から撃たれるかも分からないからな」
「な、何か、凄く誤解されているような……?」
アズサの剣呑な言葉に、マシロは思わず戸惑いの言葉を漏らす。
別段、彼女は監視員として派遣された訳ではない。
マシロが今回、この旅行に参加したのは――。
■
「――要するに、夏季休暇という事でしょうか?」
「えぇ、御存知の通り、最近色々と事件がありましたからね、正義実現委員会全体にも云える事ではありますが、ガス抜きが必要なんです」
正義実現委員会、本部。
アズサとヒフミ、そして先生が退出した後、ひとり残されたマシロはハスミからの指示を受けていた。内容は件の旅行に自分も同行して欲しいというもの。最初はその提案に戸惑ったものの、話を聞く内にマシロにも納得の色が浮かんだ。
「正義実現委員会としての任務に支障が出てしまうのは好ましくありません、なので折角の機会ですし、マシロも同行して羽を伸ばして貰えればと」
「……確かに、休息も大事ですか」
どこか憂う様なハスミの言葉に、マシロは言葉を漏らす。正直、疲労があるかどうかと云われると若干疲れを感じる事はある。しかし、彼女自身の判断では休息が必要な段階ではなく、まだまだ自分は活動出来るという自負があった。
しかし、先輩からの折角の厚意。それに疲労が蓄積してパフォーマンスが低下するのは避けたいところ。特に狙撃手というポジションはミスが許されない場面が殆どだ。些細な疲労であっても蓄積すれば後々に響くかもしれない――そう考え、マシロは彼女の提案に頷いて見せた。
「分かりました、これも正義の為に必要な行為――ベストを尽くして来ます、先輩」
■
マシロがこの旅行に同行するまでの経緯を思い出していると、メモ用紙を握り締めて震えるヒフミが視界に入った。彼女は小刻みに体を揺らしながら、蒼褪めた表情でメモを見下ろしている。その瞳は真剣だった。
「こ、このミッションを上手く達成出来なかったら、やっぱり爪を……あぅ」
「或いは、作戦行動中に
「いや、そんな事はしませんからね?」
一体、自分達は彼女達にどんな風に見られているのか。少し――いや、かなり心配なマシロであった。
「た、ただいま~……ヒフミ、ハスミから貰ったリストの方をちょっと見せて貰って良い?」
「あ、お帰りなさい、先生――えっと、はい、メモはこちらです!」
少しすると、顔が妙にテカテカした先生が帰って来た。日焼け止めクリームをこれでもかという位に塗りたくられた先生は、どこか疲労感を滲ませながらヒフミからメモ用紙を受け取る。先生の背後から、早速海で遊び始めたのか歓声が聞こえて来た。
「えっと……砂のお城と砂風呂作り、泳ぎの習得、ビーチバレー、花火、スイカ割り、海の家――」
「全部で六つですね、これをツルギさんと一緒に
「分かった、写真は任せて、今日の先生はカメラマンだからね」
内容はシンプルかつ、難しい事はない。先生は担いでいたバッグからデジタルカメラを取り出すと、笑みを浮かべながら頷いて見せる。
「内容も平和的だし、これなら一日で――」
「先生は素直過ぎる」
しかし、そんな先生の言葉を真正面から断じたのはアズサだった。ふんす、と鼻を鳴らした彼女は両腕を組みながら足元の砂を踏みしめ、硬い口調で以て告げる。
「もしリストが誰かに奪われたらどうなる? 暗号でのやり取りは基本だ、こういう書き方がされていても、裏には別の意図が隠されている筈、他ならないトリニティ正義実現委員会だ、きっと失敗すれば明日の陽射しは拝めない様なペナルティが――」
「さ、流石にそこまでは……し、しませんよね?」
「……いや、しませんって」
どこか脅すようなアズサの言葉に、ヒフミはびくりと怯えを見せ、流石にそんな事はしないと信じつつ――しかし、一抹の不安からマシロを見た。当のマシロは辟易とした空気を隠さぬまま、緩く首を横に振る。
「で、でも私達ならきっと大丈夫です! こうしてクルセイダーちゃんまで正式に貸し出して貰いましたし! えへへ……っ」
「む、ヒフミ、嬉しそうだ」
「それはもう!」
先程の不安を振り払うように、ヒフミは背後に駐車されたクルセイダー戦車――クルセイダーちゃんを見る。その雄々しい姿は陽光に照らされ輝き、足元の砂浜とマッチしたその色合いは、ヒフミの精神を大いに慰めた。
「海、水着、陽射し、そして戦車! これこそ私が求めていた、イメージ通りの完璧な夏休みです!」
叫び、彼女は笑みを浮かべる。
そう、これこそ自分の求めていた最高の夏休み。普段と同じ自分ではない、今のヒフミは夏休みと完璧な環境によるブーストが掛かっている。海に、水着に、陽射しに、戦車――これが揃った自分達ならば、きっと何とかなると信じている。
「一先ず、このミッションも簡単なモノから消化して、そして――!」
「きひゃひゃひゃアアアアアッ!」
その勢いそのままに、ミッションを全て熟してみせようと宣言しようとしたヒフミは――しかし、数十メートル先から響いて来た哄笑に思わず身を竦ませた。
「海、海だぁ! 海海海ッ! クハハハハハアァッ!」
「わっ、めっちゃテンション高いね? 私もあそぶ~ッ! あはははっ!」
「あっ、オイ、テメェ! あぶねぇ、水が掛かっちまうだろうが!」
「うへ、水着だから大丈夫じゃないの~?」
「このスカジャンは濡らしたくねぇんだよ! だぁあアッ! やめろって云ってんだろうがァッ!」
「………」
水辺から響いて来る、歓声、悲鳴、怒声。そして一際巨大な水柱が発生し、凄まじい爆音と轟音が周囲に鳴り響く。巻き上がった水柱が水滴となってヒフミ達に降りかかり、その肌と髪を微かに濡らした。
数秒、間があった。まるで怪獣大戦争の様相を呈す海辺を頑なに直視せぬまま、ヒフミは拳を握り締め、震えた口調で告げた。
「そっ……そして、楽しいひと夏を過ごすんです……!」
「……善処する」
「頑張ろうね」
ヒフミの囁く様な声に、アズサは過酷な表情で。先生は菩薩の様な笑みで以て頷いた。
「えっ、今回は海でキャッキャうふふの夏の思い出を作って良いのか!?」
「あぁ……しっかり思い出を作れ」
――きゃっきゃ、ウフフ。
「花火も、スイカ割りも、砂のお城作りも、学園関係なく皆仲良く遊んで良いぞ……此処でシリアス要素は微塵も入って来ないからな」
「……(信じられないといった表情で、恐る恐る
「遠慮するな、今までの分楽しめ……」
「うめ うめ うめ」
「これより、エデン条約後編を開始するッ!」
「この感覚を体で覚えろ! 今散布しているのは三十一%の欠損だ! 心配するな、計算上死ぬことはない」
「ただし――卑しく腹いっぱい思い出を作った奴ほど苦痛は続く!」
「まさか死ぬとはな……」
「計算以下の体力の落ちこぼれだ、いずれ消えて行く運命だ……」