ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告ありがてぇですわ~ッ!


エデン条約編 後編 【大人の責任、先生の義務】
一杯の希望(紅茶)を、此処に


 

「ん? あっ、ナギちゃん」

「……お久しぶりですね、ミカさん」

 

 トリニティ自治区、隔離塔地下――普段滅多に人が立ち入らない場所に、ミカの幼馴染、ナギサは顔を出していた。引き上げられた重厚な鉄柵を潜り、ミカの前へと立った彼女は、普段通りの凛とした佇まいを見せている。ミカは用意されていた古臭いソファから上体を起こし、へらりと表情を変えた。

 

「あはは、もう会えないんじゃないかなって、そう思っていたよ」

「まさか、私とミカさんの仲ですよ」

「ふふっ、それもそうだね、幼馴染なんだし?」

 

 久々の軽口、昼のティータイムで交わすような会話にナギサは口元を緩める。

 彼女の様子は他の生徒より逐次報告を受けていた。拘束されているとは云え、彼女は現在もティーパーティーの一員である事は変わりなく、何の審議もなしに不当な扱いを受ける事はない。しかし、それでもある程度の制限や警戒を持たれるのは当然の事で。

 

 久方振りに目にした幼馴染の顔は、何処か焦燥した様に暗く、乾いている様に見えた。報告では良く眠る様に横たわっているとの事だが、その目元には薄らと隈が見え、明るい表情に反して生気を感じられない。

 ナギサは初めて見る幼馴染の姿に唇を結び、手前で組んだ掌をそっと握り締めた。

 

「差し入れ、ありがとうね、こんな所だから他に楽しい事もないしさ、毎日ちょっとずつ食べているんだ」

「そうですか、気に入って頂けたのなら何よりです」

「でもさ~、何でロールケーキばっかりなの? もっとこう、色々あると思うんだけれど……同じケーキでもショートケーキとかさぁ、モンブランとか、何ならプリンとかでも良いし?」

「それでは罰になりませんから」

「え~、なにそれ」

 

 ナギサの言葉にカラカラと笑みを零すミカ。

 彼女は両足を所在なさげに揺らしながら、何でもない事の様に問いかけた。

 

「それで、どうして此処に来たの? 尋問ならもう、飽きる程された後だけれど? ナギちゃんが直接足を運んだって事は、それ以外に何か大事な用事でもある感じ?」

「………」

 

 ミカの言葉に、ナギサは一瞬の沈黙を守る。

 此処で、ただ顔を見に来たと口にする事が出来ればどれ程良かった事か。

 けれど、ただの私情で会いに来たと口にする事がナギサには出来なかった。暫くの間視線を伏せていた彼女は、徐に口を開き告げる。

 

「アリウス・スクワッドについて、少し」

「――アリウスの生徒会長が秘密裏に組織した特殊部隊、聞きたいのはそんな事? それについては私、尋問の時にも云ったよ? 接触の切っ掛けから、メンバーの構成まで、知っている事は全部ね」

「えぇ、それは私も確認しました」

 

 そう頷けば、ナギサは何処か呆れたように肩を竦めて吐き捨てた。

 

「じゃあ、あれかな、まだ隠し事していると疑っているのかな? なら試しに爪でも剝いで見なよ、シスターフッドだっけ? どこかの誰かさん達のやり方でさ」

「……それはシスターフッドではなく、嘗ての聖徒会のやり方でしょう、今はもう、そのような野蛮な方法は許しません」

「あははっ、云ってみただけ、だって知ってるもん」

 

 笑みを浮かべたミカは、何処か昏く淀んだ瞳でナギサを見る。

 

「優しい優しいナギちゃんには、そういう事は出来ないって」

「……本当に」

 

 その、ミカの言葉に。

 ナギサは顔を歪め、呟いた。

 

「本当に優しいのであれば、元より誰かを疑る様な事などしないでしょう」

 

 それは自己嫌悪の発露。その優しさがあれば、トリニティという場所を守るために、友人を切り捨てる選択などしない。元より誰かを信頼し、助力を請うていただろう。それが出来なかった時点で、優しいという言葉は自身に似合わぬものだと、ナギサは言う

 

「私の優しさ(コレ)は、博愛(万人に齎されるもの)ではありません」

「……それも、知っているよ」

 

 それを理解した上で、ミカは優しいと彼女を称したのだから。

 

「……私がこんな事を云うのも何だけれどさ、もうアリウスの事とかどうでも良くない?」

 

 ミカは自身の胸に渦巻く感情を悟られぬよう、声の調子を引き上げ、そう宣う。ソファに凭れながら首を振った彼女は、横目でナギサを眺めながら淡々とした口調で告げた。

 

「私っていう後ろ盾もなくなったから、横流しされていた装備も補給も、全部途切れたんだし、放っておけば勝手に潰れるよ、アリウスは」

「……攻勢に出る必要はない、と?」

「だってそうじゃん? アリウス分校の残党を足し合わせた所で、現状の正義実現委員会、シスターフッド、自警団が動けば数でも圧倒出来る……不穏分子ではあるけれど、トリニティが動こうと思えば潰せる程度の勢力だもん」

「えぇ、それについては検討済みです――少なくとも現時点の段階で、今のアリウス分校は大した兵力を保有しておらず、計画が失敗した今、その危険度は大幅に下がっています」

「だよね? 私もそう思うし、後はトリニティの防備を固めれば手なんか出せないよ、どうしても潰したいなら条約を結んだ後、何の憂いもなくなった時に片手間で掃討でも何でもすれば良いし」

 

 指先を擦りながら、ミカはどうでも良さそうにそんな言葉を零す。そこにどのような意図があるのかナギサには計りかねたが、少なくとも虚言を口にしている様子はなかった。

 今回アリウスが計画に投入した人員は少なくない。元々アリウス自治区の兵力は決して多いとは云えなかった、そんな中で千人近い人員が件の騒動で投入され、その殆どが逮捕、拘束、矯正局送りになっている。そんな状態でアリウス自治区が仕掛けて来るとは、到底思えなかった。

 

「……あぁ、でも、トリニティが攻勢に出るなら自治区の場所を知らないと駄目か、私も自治区の入り方は知らないからなぁ――尋問でも聞かれたけれどアリウス自治区への入り方を知っているのは、スクワッドのリーダー、サオリ位だと思うよ」

 

 アリウス自治区――スクワッドの所属する、アリウスの本拠地。

 しかしその場所は謎に包まれており、位置情報は愚か手掛かりすら掴めていない。矯正局に送られたアリウス生徒の中には部隊長クラスの者も居たが、そのクラスでも自治区の正確な位置、そして入り方は知らなかった。徹底的な情報統制、ミカの云う通りその手の情報を持っているのは特殊部隊のリーダーであるサオリ、或いは幹部クラスの生徒のみなのだろう。

 そして大抵、その手の生徒には――執拗なまでの洗脳教育が施されている。

 

「どうしても知りたいなら、アズサちゃんをちょっと脅して聞いて見たら? 裏切者とはいえ当事者なんだし、何か知っているかもよ?」

「……それは」

 

 ミカの思いついたような言葉に、ナギサは言葉を詰まらせる。

 裏切ったとは云え、元スクワッドのメンバーであるアズサ。彼女ならば正確な位置や入り方は兎も角、情報の断片程度ならば持ち合わせているかもしれない。

 そして、それはナギサも考えた事柄だった。指示を出せばすぐに尋問可能な状況にもある。

 しかし、彼女がその命令を口にする事はない。

 

「? あー、分かった、ナギちゃんがそんなに歯切れ悪いのって、もしかしてアレ?」

 

 どこか云い淀むナギサを前に、ミカは首を傾げる。

 そして思い当たる節があったのか、軽く手を合わせた彼女は理解を滲ませた表情で続けた。

 

「先生に意地悪したから、これ以上シャーレの下に居るアズサちゃんに色々問いただすのは気まずいとか?」

「………」

「まぁ、確かにそんな事しようとしたら先生はアズサちゃんを庇うだろうね、別にナギちゃんを邪険に扱う訳じゃないとは思うけれど」

「えぇ、それは……理解しています」

 

 実際――それは図星だった。

 暴走した自身を止め、ミカの企みを阻止し、母校を裏切ったアズサ。彼女の立場は非常に危うく、不安定なものではあるが、その行動は決して責められるべきものではない。或いは、彼女はナギサにとって命の恩人とも呼べる。何せ彼女が裏切っていなければ、自身のヘイローは破壊されていたのかもしれないのだから。

 故に、二つの意味でナギサは彼女に手を出す事が出来ない。先生への負い目、そして彼女自身に対しての恩義から。

 

「……もしかしてナギちゃん、あれから先生に会ってないの?」

「……いいえ」

 

 ミカのどこか不安げな言葉に、ナギサは首を緩く振る。

 

「合わせる顔がない、そう思っていた時期もありましたが……逆に、動けるようになってから最初に、謝罪されてしまいましたから」

 

 答え、ナギサは当時の事を思い出したのか表情を柔らかく変化させた。全身ボロボロで、包帯塗れの恰好で目の前に現れた時は、らしくもなく大変慌てたものだ。しかし、起きて最初に考え実行に移した事が自身への謝罪なのだから――逆にナギサは吹っ切れて、素直に感情を口にする事が出来た。

 トリニティのトップに立つ者として、一人の生徒として、先生には真摯に謝罪を口にし、必要なら賠償の用意もあると告げた。けれど先生はそんな事を求めず、ただ笑顔で生徒の無事を喜ぶのみ。時折、復興作業に忙しい自身の様子を見に来る程、彼は生徒全員を慮っている。先生はナギサと対峙した時に口にした事を、何処までも真っ直ぐに体現していた。だから、既に先生とナギサの間に確執は無い。補習授業部の面々とはまだ少し硬さはあるものの、謝罪を経て既に和解している。

 

 故に、先生との確執を残しているのは――このトリニティに於いて、ただひとり。

 

「寧ろ、先生を拒んでいるのはミカさん、あなたでしょう」

「……っ」

 

 ナギサの、どこか鋭く斬り付けるような一言に、ミカはぐっと言葉を呑んだ。視線が脇に逸れ、放られた指先が握り締められたのがナギサには分かった。

 

「先生の面会申請、届いている筈です」

「……うん、まぁ、ね」

「なら、何故拒むのですか?」

 

 その言葉に、彼女は答えない。ただどこか欝々しく、痛ましい表情で唇を噛むばかり。先生がミカとの面会申請書を提出している事を、ナギサは知っていた。そしてそれが承認され、ミカに通達されている事も。しかし当の本人であるミカは、先生との面会を拒んでいた。

 俯いたミカはその髪で表情を隠しながら、呟く様な声量で以て云う。

 

「……先生さ、何度も何度も私に会おうとしてくるの」

「……えぇ、知っています」

「申請書もそうだし、最近はこの地下まで態々直接来てさ、看守に頭下げてまで――その度に断るのも、結構大変なんだよ?」

 

 ふっと、ミカは顔を上げる。視界に映った彼女の顔は、自嘲するような、自身への失望が透けて見える笑みだった。両手の指先を合わせ、ミカは深く背を曲げる。

 

「先生の立場なら、私を無理矢理引きずり出す事も、自分がこの房に踏み込む事だって出来るのに、変だよね?」

「……あの人は、そういう人です」

「うん、知ってる」

 

 声は、力なく萎んでいた。

 シャーレの権限があれば。トリニティで繋いだ人脈を使えば。先生はどのような手段であれ、ミカと顔を合わせる事が出来るのに。本来、面会の申請だってミカが断った所で、先生が実際に部屋に入る意思を見せれば止める事など出来ないのだ。

 だというのに、先生はミカが面会を拒否すれば律儀に踵を返す。そして少し経つと、また申請を出して、何なら声だけでも構わないと看守に頭を下げ、交渉までして。

 

 ――だから尚更、会う事が出来ない(合わせる顔がない)

 

 それが、どうしようもなく自身を想っての行動だと理解出来てしまうから。

 ミカ(自身)の心を守るために、手間暇を惜しまずに足を運ぶ先生を前にして、ミカはどうしようもなく動揺し、泣きたくなった。そして、それを突っぱねる事しか出来ない自分に失望し、絶望するのだ。

 だって、その優しさを受け入れる資格が、自分にはないから。

 

 あぁ、先生がもっと、悪い大人だったら――こんな風に悩むことも無く、先生と会えていたのに。

 

 そう思い、思わず苦笑を零す。あり得ない仮定だと、自分でもそう思ったから。

 先生がもっと、自分の為に生きている人だったのなら。

 ミカの言動を全てナギサに話してくれる、或いはその逆でも構わない。公平な顔をして、生徒に順位(優劣)を付ける様な先生であったのなら。

 あの時、我が身可愛さに逃げ出すような人だったら。

 何食わぬ顔で、素知らぬ顔で、「負けちゃったなぁ」って笑って会う事が出来たのに。

 先生(あの人)が、余りにも真剣で、真っ直ぐだから。

 ミカ(自分)は、その眩しさに顔を覆う事しか出来なかった。

 

「会いたくない訳ではないでしょう」

「………」

 

 ナギサの呟きが、ミカの鼓膜を叩いた。

 それは余りにも分かり易い問い掛けだった。ミカは小さく吐息を漏らし、思わず失笑する。

 

「……ふふっ、分かっている癖に」

 

 先生の近況を分かり易く提供してくれた彼女は、ミカの心情を理解している。会いたくない? そんな筈ないだろうと。

 分かり易い建前だ、本音を云えば会いたくて仕方ない位だった。一杯、一杯謝って、同時に一杯、一杯感謝して、色んな聞きたい事、話したい事がある。傷の具合だとか、自分が牢に入ってからの事とか、補習授業部の事とか……。

 でも、やっぱり一番は怪我の事を沢山謝りたかった、責任を取りたかった。そしてこんな自分の為に尽くしてくれて、ありがとうって、泣きながらお礼を云いたかった。

 

 けれど同じ位――怖かった。

 先生に、嫌われる事が。

 先生に、責められる事が。

 

 そんな事はあり得ないって思うのに。

 そんな事、先生が云うはずないって知っている筈なのに。

 その心の弱さが、怯懦が、ミカの先生を拒む根源だった。

 

「……ねぇナギちゃん、考えようによってはさ、何だかんだで全部上手く行ったんじゃないかな?」

「上手く……?」

 

 その言葉に、ナギサの肩が震えた。

 ミカは彼女に視線を向ける事無く、俯いたまま言葉を続ける。

 

「うん、だってトリニティの裏切者はこうして捕まって、アリウスはもう脅威にはならない、これでエデン条約が締結されたら、ナギちゃんの望んだ平和が現実になる――ほら、ハッピーエンドじゃんね……?」

 

 告げ、笑みを浮かべるミカ。その視線が再びナギサを捉えた時、ミカは少しだけ驚いた表情を浮かべた。見慣れた幼馴染が、見た事もないような顔をしていたから。

 

「何が」

 

 制服に皺が出来る事も構わず、ナギサは自身の裾を掴む。強く、強く。鋭く絞られた視線はミカを射貫き、その口元が怒りを滲ませ、歪んだ。

 

「何が、ハッピーエンドですか……こんな状態で、ミカさんが裏切り者で、何が――っ!」

 

 何も、何も良くない。

 ハッピーエンドなどではない。

 あの時、どこか窮屈でありながらも三人が座っていたティーテーブルは、最早自分ひとりしか座る者は無く。トリニティの屋台骨はボロボロで、ティーパーティー単独での学園統治は困難と判断された。今後はシスターフッドや救護騎士団など、複数の組織がトリニティの中枢に食い込む事になるだろう。

 それ自体は別段、どうという事ではない、学園の変革が必要だと云うのであれば自身はそれに従うまで――問題は、ナギサ個人の感情から来るものだ。

 

 唯一無二の幼馴染は裏切り者として幽閉、口で争いながらも何だかんだ友人と思っていたセイアは行方知れず。エデン条約は確かに重要だ、しかしそれを成し遂げた所で――ナギサという生徒の手に残るものは少ない。学園の為に身を捧げたと云えば聞こえは良いだろう、けれど唯一無二の幼馴染を喪ってまでハッピーエンドと宣うなど、出来る筈がなかった。

 

「ミカさん、あなたは――」

「……うん」

「本当に、私を殺そうとしたのですか」

 

 衣服を握り締めたまま、彼女は声を絞り出す。

 ミカはそんなナギサを見つめながら、沈黙を守った。

 

「もしそうであるのなら、それは何故ですか? エデン条約でゲヘナと和平を結ぶからですか? セイアさんの件も、何故、その様な手段を選んだのですか?」

「………」

「……セイアさんが死んだと聞いた時、私は衝撃と恐怖を覚えると同時、きっと次は私だと、そう思いました」

 

 そう、あの時の事は今でも覚えている。本当に唐突に、その報告は齎された。

 いつも通りの一日だった、内に何の憂いも焦燥もなく、ただゲヘナとの今後に思考を巡らせれば良かった日々。全てが変わってしまったのは、変わり始めたのは――あの日からだ。

 

「私達の中で最も賢く、予知夢と云う稀有な才まで持ち合わせていたセイアさん、トリニティの中でも一等危険な彼女を最初に狙うのは、理解出来ます……そしてティーパーティーを引き継ぐとすれば、政治のノウハウを持つ私、となればきっと次狙われるのは、この身だろうと」

 

 ホストの変更は恙なく行われた。そしてその変更が何を意味するのか、ナギサは予感していたのだ。

 

「そして、私の身に何か起きた時、後を引き継ぐのはミカさん――あなたです」

 

 告げ、ミカを見据える。

 セイアが斃れ、ナギサが斃れ、最後に残るのは――ミカ一人。

 そして彼女に単独でトリニティを統治する政治力なんてものは存在しない。幼馴染故に、ナギサはそれを良く理解していた。

 各派閥のパワーバランスの調整、万が一の調停行為、そして代表が再選抜された場合の交渉と事務処理。更に学外に目を向ければゲヘナや連邦生徒会との外交が待っている。相手学園との連絡、交渉、当然情報収集と分析も必要不可欠で、場合によっては紛争問題の処理や協力も重要になってくる。セイアが消えた後、ナギサはそれらの問題をエデン条約締結のパーツを必死に揃えながら、同時に処理していた。シャーレの情報を入手したのもその時期だ。単純な知性と云う点ではセイアに劣るかもしれないが、政治や執務と云う点では自身が勝るとナギサは自負している。

 自負しているからこそ、ミカでは困難であるという事が実感できたのだ。

 

「だから、その前に犯人を見つけ出したかった、あなたに魔の手が及ぶ前に……少しでもミカさんの負担が減る様に」

「………」

「……いえ、それは建前ですね、私は……私は、ただ」

 

 唇を噛み、俯くナギサ。

 そう、負担を減らしたい、少しでも学園の統治が楽になる様に――そういう想いも確かにあった。けれど、ナギサ(自身)があんなにも必死になって裏切り者を探したのは。学内の不穏分子を追放したいと願ったのは。

 

あなた(大事な幼馴染)に、死んで(傷付いて)欲しくなかったから」

 

 そう、世界というものはもっと、段階があるものだと思っていたのだ。

 何か大きな出来事があったり、予兆があったり、「そうなるかもしれない」と、予測出来る何かがあってから物事は起きるのだと。

 けれど、そうではなかった。

 大切な友人が明日、或いは今日、もしかしたら次の瞬間――死んでしまうかもしれない。

 セイアが死んだと聞いた時、ナギサはそう思ったのだ。

 

「私自身に迫る、死の恐怖、幼馴染に迫るかもしれない魔の手、それを退ける為に、私は――」

「ナギちゃん」

 

 ふと、ミカが声を上げた。

 それは余りにも穏やかな口調だった。

 俯いていた顔を上げたナギサが見たのは、柔らかく、けれど悲しそうに微笑む幼馴染の表情。見慣れたそれは本当にいつも通りで、一瞬、ナギサは彼女とティーテーブルを囲んでいる昼下がりの情景を思い出した。

 ティーパーティーのテラス。セイアが居なくなってから、二人きりで囲む事が多くなった場所。ティーカップを片手に、御菓子を摘まみながら、何でもない雑談に花を咲かせる。会える頻度は少なかったけれど、長くとも一ヶ月に一度は顔を突き合わせて、何があっても無くてもミカは笑っていて。

 そんな毎日を自分達は、ただ、望んで――。

 

「これは、複雑なお話なんかじゃないんだよ」

 

 けれど、この場所(現実)は冷たい牢獄。

 ミカは罪人として囚われ、ナギサはティーパーティーとしてこの場に立っていた。

 それが、全て(結果)だった。

 

「ゲヘナの事が大っ嫌いな私が、その為に大事な幼馴染をも殺そうとした――これは、それだけのお話なんだから」

「……何か」

 

 声を、絞り出す。

 握り締めた両手をそのままに。

 たとえそれが、藁に縋る程の想いであっても。

 ナギサは歯を食い縛り、ミカに問い掛ける。

 

「何か、あったのではないのですか? 手違いが、誤解が、私には見えなかった、事実から隠れた、真実が――」

 

 呟き、思う。

 何か、事情がある筈だと。

 自分には見えていなかった、ミカの。

 そうしなければならなかった、そうする必要があった。

 そういう、強い理由が。

 何か、ワケが――。

 

「あはっ」

 

 けれど、その声を聞き届けたミカは破顔し。

 腹を抱えて――嗤って見せた。

 

「あはははッ! 手違い? 誤解? し、真実? ふはッ、何それ、ナギちゃん、本気?」

「……ミカさん!」

 

 涙すら滲ませ笑う彼女に、ナギサは声を荒げる。けれどそれでも尚、ミカは笑みを浮かべたまま目尻に浮かんだ涙を拭い、云った。

 

「あー、もう、だから私はナギちゃんの事が好きなんだよね、こういう、純粋な所が、凄く――」

 

 そう、純粋で、優しくて――本当は誰よりも正しきを為そうとする、幼馴染が。

 現実と理想の狭間で揺れ、歯を食い縛りながら何かを棄てる選択を前に苦悩し、例え相手を疑っても、心の底で相手の善性を信じている、そんなナギサが、ミカは大好きだった。

 大好きだからこそ。

 

 ――嗤えと、ミカは自分に云い聞かせた。

 

「――そんなものはないよ、私はセイアちゃんを殺そうとした、その上でナギちゃんのヘイローも同じように、壊そうとした……ただ、それだけ」

 

 それ以上でも以下でもない。行動の結果が全てだと、どんな理由があっても、どんな事情があっても、幼馴染であるナギサを、友人であったセイアを害した事実は消えないのだと。その現実に、同情の余地などあってはならない。

 罪は――明確でなければならない。

 

「ナギちゃんは良く知っているでしょ? 私、好き嫌いが激しいの、この事件にそれ以上の意味なんてない、どうしてもゲヘナと仲良く出来なかった、これはそういう、どうしようもなく感情的な話なんだから」

「……その為に、アリウスと?」

「うん、だって私は――」

 

 身を乗り出し、ミカは目を見開く。口を開こうとして、一瞬言葉に詰まり――けれど彼女は偽悪的な嘲笑と共に、その言葉を吐き出した。

 

「人殺しだもん――セイアちゃんが生きていたとしても、私があの子を殺そうとしたって事実が消える事はない……気に食わなかったら、それ位の事は、当然」

 

 そう、人を殺すという罪悪。

 それを為しても、為さなくても、『殺そうとした』という事実はどうしようもなく彼女の背中に傷をつける。どれだけ善く振る舞っても、どれだけ更生し反省しても、その罪悪は一生ミカを苦しめ続ける。

 

「ナギちゃんは、私のそういう側面を知らなかった、ただの好悪のみで人を害せる、私のそういう部分を――だからナギちゃんが探るべき真実何てものは、最初から無いんだよ」

「っ……」

 

 その考えは見当違いなものだと、ミカはそう嘯く。

 それが本心なのか、そうではないのか、ナギサには分からない。けれどもし、その言葉が嘘で、そうせざるを得ない理由(ナギサの求める真実)彼女(ミカ)にあったのならば――。

 

「どうして、私は――」

「――あれだけの長い間一緒に居たのに、気付かなかったのか?」

 

 その真実に、彼女の側面に。

 ナギサの呟きに被せる形で、ミカは云う。

 その瞳がナギサを正面から射貫き、口元が歪んだ。

 

「……その答えは私よりも、ナギちゃんの方が良く分かっているでしょ?」

 

 脳裏に過るのは彼女が嘗て、口にした言葉。

 楽園の証明――楽園に辿り着きし者の真実を、証明する事は出来るのか。

 その問い掛けに、嘗てナギサ(彼女)はこう答えた。

 

「『私達は他人だから』、ね……本当の心なんて、分かる訳ないじゃん」

 

 出来ない――そして、証明出来ないものを人は信じることが出来ない。

 人の心は分からず、物質として目にする事は出来ず、そして目に見えない以上、証明する事は出来ず――信じる事は出来ない。

 所詮、自分以外の存在は、他人なのだから。

 それがどれだけ親しい相手でも。

 

 十年来の――幼馴染でも。

 

 ミカの言葉に、ナギサはその表情から色を失くした。その一言がどれだけ彼女の心を傷つけたのか、ミカには分かった。ナギサは唇を硬く結び、肩を震わせながら衣服を掴む。俯いた両の目から涙が零れ落ちなかったのは、彼女の最後の意地だった。

 

「……今日は、帰ります」

 

 たったそれだけの言葉を漏らすのに、数秒の間が必要だった。裏返りそうになる声を何とか押し込め、ナギサは踵を返す。張りつめた空気の中、ミカは努めて何でもない様に声を上げる。

 

「……うん、気を付けてね、お見送りはしてあげられないけれど」

 

 その背中を見つめながら、ミカは緩く手を振った。震えそうになる指先を、必死に誤魔化しながら。

 

「――先生に、よろしくね」

 

 答えは、無かった。

 ただナギサは扉を潜り、無言で部屋を後にする。扉の閉まる重厚な音が響き、彼女の背中が見えなくなった。

 数秒して、ミカは詰まった息を吐き出すとソファに凭れ掛かりながら天井を仰ぐ。久方ぶりに見た幼馴染は以前より疲労している様に見えた。

 それも当然だろう、自分が起こした騒動を考えればその後処理は膨大な量になる筈なのだ。

 だから――これで良い。

 そう、心の中で呟く。

 罪人の幼馴染なんて肩書を押し付ける訳にはいかない。ナギサには、まだ正しい道が続いている。自分とは違う、幾らだってやり直せる。

 だから――お荷物はなくなった方が良い。

 

「ナギちゃん……」

 

 呟き、ミカはそっと胸元(指輪)を指先で擦った。散り散りになりそうになる心、遣る瀬無さの燻る感情。鉛の様なそれらをミカは歯を食い縛って、飲み下す道を選んだのだから。

 

 ■

 

 ナギサの去った後、扉に鉄柵が降りる事は無かった。普段であれば、監査官なり他の生徒なり、扉を潜った後は直ぐに鉄柵が降りて来る。逃走防止用の措置だ。けれど今回は数分経ってもそれが行われず、少しして再び扉が開く音が部屋に響いた。

 ソファに掛けたまま、ミカは入室する人物に目を向ける。

 そしてその特徴的な出で立ちを目にした時、僅かにその表情が変化した。

 

「――どうして、あんな嘘を吐いたのですか」

「何……盗み聞き?」

 

 開口一番、その様な言葉を発した彼女に、ミカは思わず悪態を吐く。長い髪が翻り、ゆったりとした動作でミカの前に立った彼女は、いつも通りの微笑みを浮かべていた。

 

「……良い趣味しているね、浦和ハナコちゃん」

「えぇ、お互いに――聖園ミカさん」

 


 

 次回、名探偵ハナコちゃん登場。

 長くなったので二分割。ナギサ様との会話でこんなに文字数喰うとは思っていなかったんですわよ。

 はー、やっとエデン条約後編ですわ! 先生には死ぬ気で抗って貰って、その果てにもぎたて♡にーちゅさせて頂きます。収穫の時でしてよッ! 書いている内にとんでもなく酷い目に遭ったけれど許してね。流石の私も、「これは酷過ぎでは……?」って思ったけれど、先生だもんね。大人だもんね。きっと我慢できるよね。最期まで生徒の為に全力で足掻いてね先生。止まっちゃ嫌だよ、その背中を生徒が見ているんだから、全力で進んでね。

 

 因みに先生がミカと面会すると云ったな。

 アレは嘘だ。

 会いたいけれど会えない、どんな顔をして会えば良いのか分からない。良く考えなくても、あんな騒動を起こして、黒幕の癖に先生に庇われてあんな大怪我させて、それでも指輪を棄てずに未練がましく持ち続けている自分が、どんな顔で、どんな言葉で先生を迎えれば良いのか分からず卑屈になるミカちゃん概念。先生が絶対に許してくれる事は頭でも理解しているのに、その優しさに触れて安堵する自分が居る事を嫌悪し、自罰的になって涙を流す。う~ん、美しい……。

 なので合わせる顔が無くても良い様に先生を死体にする必要があったんですね。

 

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