ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、助かりますわ!
今回、一万二千字ですの。


夜に溶けた、希望の星(調印式、前夜)

 

「う~ん……う~ん」

 

 シャーレ本棟。

 普段先生が執務を行っている部屋にて、忙しなく歩き回る人影が一つ。備え付けられたソファに座り、お茶を嗜む生徒がひとり。そして歩き回る生徒をじっと見つめる生徒がひとり。

 彼女達は忍術研究部、以前まではトリニティ自治区客室棟にて宿泊していたメンバーであったが、つい先日エデン条約調印式が行われるという事で、一時的にシャーレへと帰還し、待機していた。

 

「イズナ、ちょっとは落ち着きなよ~」

「し、しかしですね、部長! やはりイズナとしては、主殿の事が気掛かりと云いますか……!」

 

 ミチルの苦言に、イズナは尻尾を振り回しながら反論する。てっきり彼女としては、調印式の間も先生の警護を継続できると考えていたのだ。

 しかし、予想に反して先生からは帰還指示が出され、調印式が終わるまでは待機を強いられている現状。イズナの表情からは不満と不安がありありと感じられる。

 

「で、でも、調印式が終わるまでは百鬼夜行かシャーレの方で待機してくれと、先生から云われていますし……」

(あたし)としても先生殿の事は心配だけれど、なんだっけ? エデン、条約……だっけ? それが終わるまではトリニティも忙しいみたいだし、幾らシャーレと云ってもトリニティでもゲヘナでもない、別の学園の生徒が会場内部に居るのは拙いと思うし~……」

「うぅ、それは理解しているのですが……!」

 

 二人の言葉に、思わず項垂れるイズナ。せめて野次馬の一部としてでも良いから傍に居たい、そんな感情が心の中にある。しかし会場に出入りを許されているのは、一部の来賓と正式な手続きを踏んだ報道関係者(クロノス・スクール)のみ。シャーレの権限を使えば他所の学園の生徒であろうと会場入りさせる事は出来た筈だが、先生はその選択を取らずに待機を命じた。

 今からでもどうにかこうにか、会場に潜入できないか頭を捻るイズナは諦め悪く言葉を紡ぐ。

 

「それこそ忍の如く、こう、影から主殿を御守りしたりとか……っ!」

「いや、見つかったら普通に学園間の問題になっちゃうよイズナ……」

「イズナちゃんの気持ちもわかりますが……うぅ、私では隠れても、この身体だと直ぐに――」

 

 忍者の様に陰に潜んで――確かに忍術研究部としてはそそられる話である。しかし、それをやってしまえばどれだけ大事になるか、ミチルであっても理解しているし、そもそもトリニティはアリウス襲撃の件から少し経つと云っても未だに空気がヒリついている。そんな中、無断で侵入した挙句に見つかってしまったら――その未来を考えるだけで寒気がした。

 

「ん、あれ、ワカモ?」

 

 ふと、ミチルは執務室を後にしようとするワカモの姿に気付いた。彼女はひとり、隣の部屋で待機していた筈だが――その手にはいつもの愛銃と、顔には狐面が被さっている。ミチルに釣られて廊下に踏み出そうとしているワカモに気付いたイズナは、首を傾げながら問いかけた。

 

「ワカモ殿、お出掛けですか?」

「――えぇ、少し所用がありまして」

 

 淡々とした口調でそう答えるワカモ。その姿勢は自然体で、いつもと変わらない雰囲気を纏っていた。

 ツクヨは壁に掛けてある時計に目を向ける。

 

「もう外も暗いですけれど、こんな時間に外出を……?」

「ご安心を、いつもの散歩の様なものですから」

「そう、ですか……?」

 

 時折、彼女はこうして夜に出かける事がある、それは決して珍しい事ではない。何となく引っ掛かるものを覚えた面々だが、引き留める確固たる理由がある訳でもなく、彼女達はワカモを笑顔で送り出した。

 

「良く分かんないけれど、あんまり先生殿の困る事はしないでよ~?」

「ワカモ殿、お気を付けて~!」

「く、暗いですから、足元気を付けて下さいね!」

「……えぇ、ありがとうございます」

 

 彼女達の声に軽く手を挙げ、ワカモはシャーレの廊下へと進む。扉が閉まり、薄暗い廊下にライトが点灯すると、彼女は静かに歩き始めた。コツコツと、靴が床を打つ音のみが周囲に木霊する。肩に掛けた愛銃をそっと指先で撫でつけ、ワカモは呟く。

 

「――存外、居心地が良いと感じているのでしょうかね、(わたくし)は」

 

 思い返すのは忍術研究部の面々。先生自らがスカウトし、正式にシャーレの権限を用いて結成した部隊。ワカモの場合は押しかけたと云っても良いのでカウントされないかもしれないが、何だかんだと付き合いが長くなってきたのも事実。今まで替えの利く手足として部下を用いた事はあったが、対等な関係、協力者として共に立つ者など皆無だった。

 

 面映ゆい限りだが――友人、と呼んでも良い関係かもしれない。

 

「えぇ、しかし、私の居るべき場所はただ一つ……あなた様の隣のみ」

 

 友人、何と聞こえの良い言葉か。しかし、例え友人であったとしてもワカモの信念は変わらない。

 世の中には二つの存在がある――先生と、それ以外。

 重要なのは、優先順位。そしてその絶対的な一番目は、あの日のまま。

 何も変わってなどいない。

 愛銃を握り締めた彼女は暗がりの広がる廊下、その奥へと足を進める。

 

「今、逢いに()きます――先生」

 

 どの様な地獄であれ、苦難であれ。

 先生(あの方)が隣に居るのならば――彼女にとって、その場所こそが楽園(エデン)なのだ。

 

 ■

 

「すー……すー……」

「ん、む……うぅ……」

「………」

 

 トリニティ――客室棟、大部屋。

 補習授業部が合宿を行った部屋に酷似した一室、そこは客室棟の一角であり、給仕や宿直担当が宿泊する為の部屋である。そんな一室、備え付けられたベッドの一つに、アズサ、ヒフミ、コハルが固まって眠っていた。

 彼女達の寝顔は穏やかで、何の憂いもない。寧ろ喜色が漂っており、確かな幸福を感じさせる寝顔だった。

 

 数日前にアズサが解放され、先生やシスターフッドからの後押しもあり、彼女は正式にトリニティの生徒として学籍を得るに至った。そのお祝いとして皆で先生の宿泊している客室棟に部屋を借り、ささやかなパーティーを開いていたのだ。

 部屋には手作りの垂れ幕と紙飾り、クラッカーの紙片が散見され、壁際には海に行った際に撮影した写真がコルクボードに張り付けられている。

 幸せに満ちた空間だった。

 そんな彼女達を見守りながら、ひとり窓辺に佇んだハナコは呟く。

 

「遂に、明日ですか――」

 

 カーテンに手を掛け、そっと外を仰ぐ。いつもは美しく見える夜空が、今は酷く不気味に見えた。

 

「エデン条約、調印式」

 

 声は、暗闇に溶けて消えた。幸せな今に反し、暗雲の立ち込める未来は刻一刻と迫っている。ハナコは未だ迷っていた。それは、この補習授業部としての立ち位置。

 即ち――単身として動くべきか、補習授業部として動くべきか。

 

 あの、大人びたシロコの話を聞いて――ハナコは今日に至るまで、出来得る限りの手を尽くして来たつもりだった。とは云っても、現在のハナコに出来る事など高が知れている。精々調印式に先駆け、シスターフッドに警備や装備に関して助言し、周辺の地形や不審物の点検、巡廻を行う程度。

 ハナコ個人として動かせる戦力が在る訳でもなく、当たり前だが対空砲火を都合してくれる人物に心当たりもない。というよりも、彼女(シロコ)の話が現実になるのであれば、この行動すら無意味なものであるとハナコは理解していた。発射する前を抑えられたのなら一番良いが、一度空に放たれてしまえば為す術はなく。それこそトリニティ内部から発射される保証もなく、最悪ゲヘナ側から飛来する可能性すらあった。

 

 それでも、彼女は自分なりに会場である古聖堂から、『自分ならばどこから発射するか』と思考し、それらしいポイントを絞って回った。人気の少ない地区、アリウスの活動していた箇所から逆算し、配備が可能な場所。或いはトリニティの対空砲火、その比較的薄い箇所。

 それらを順に巡り、現地を観察し、僅かな痕跡も逃すまいと嗅ぎ回ったが――全て空振り。それらしい兵器も、痕跡も、見つける事は出来なかった。

 

 そうなれば、もうお手上げだ。射出された後に対応出来るのはそれこそティーパーティーか、正義実現委員会位なものだろう。そして残念ながら、彼女達を納得させられるだけの材料をハナコは用意出来ずにいる。

 

 無論、正直に打ち明ける事も考えた。しかしその場合、どの様な手段で攻撃を仕掛けて来るか不透明になるというデメリットも生じてしまう。彼女の云っていた未来の知識――それは諸刃の剣。先の事が分かるからと、その出鼻を挫けば後に倍々になって返って来る可能性すらある。扱いを間違えれば――待っているのは破滅だ。先生が以前から警戒していたのは、それだった。

 

 ――先生は、裏で色々と動いている様ですが……。

 

 思考し、最近の先生の行動を思い返す。

 普段通りに振る舞っている様だが、ハナコには分かる。先生の顔には微かな焦燥と不安が滲んでいた。それを表に出すまいと綺麗な笑顔で覆い隠すからこそ、彼女には分かった。

 

「………」

 

 穏やかに寝入る、三人を見る。

 補習授業部――ハナコが漸く見つける事が出来た、自分の居場所。

 出来れば、補習授業部(彼女達)を巻き込みたくはない。実際、補習授業部は調印式に招集されてはいなかった。それは未だ正義実現委員会に復帰していないコハルも含めて。

 ならば、単身で先生の元に向かうべきか、それとも――彼女達に寄り添い、舵を取るべきか。

 

「………むぅ」

「ぁう――!」

「ぅ……」

 

 アズサが寝返りを打ち、ヒフミの額へと無造作に手を打ち付ける。ぺちん、と音が鳴り、悲鳴に反応したコハルが小さく体を震わせた。

 アズサの寝がえりと共に、皆の体を覆っていたタオルケットが蹴飛ばされる。

 

「……ふふっ」

 

 地面に垂れたそれを被せ直し、ハナコは笑みを漏らす。並んだ三人の顔を眺め、ぐっと心の中にある怯懦を押し込んだ。

 

「私が、守らなくちゃ――ですね」

 

 守りたい。

 先生も。

 この補習授業部も。

 傲慢かもしれないが、心の底からそう思えた人達だから。

 だから、幸福でいて貰いたい。

 恐怖とは、無縁であって欲しい。

 彼女達の前髪をそっと払い、ハナコは想う。

 

「……きっと、大丈夫です」

 

 呟き、ハナコは窓から夜空を見つめた。

 僅かに欠けた月を仰ぎ――彼女は静かに選ぶ。

 補習授業部(彼女達)に、寄り添う道を。

 

「私は、信じていますから」

 

 先生を。

 そして、その選択(未来)を。

 

 ■

 

「………」

 

 アビドス本校舎――深夜。

 対策委員会部室、その隣にある倉庫代わりの部屋。肌寒い空気が頬を撫でる中、ホシノはひとり椅子に腰かけ愛銃に一発一発、シェル(弾薬)を込めていた。

 弾薬と銃の擦れる音、それが部屋の中に響く。彼女以外にメンバーの影はなく、物資の積まれた部屋で一人佇む彼女の表情は暗い。

 

「ふぅー……」

 

 この緊張感、いつぶりだろうか。

 ホシノは弾込めの終わった愛銃をつぶさに観察しながら、そんな事を想う。

 大人びたシロコから伝えられた未来の知識、トリニティにて露見したヘイロー破壊爆弾の存在。それらが齎す、自分達に対する特攻、致命的な損傷。

 

 ――今度は、本当に死ぬかもしれない。

 

 そんな漠然とした不安がホシノの背中を覆っていた。

 銃撃戦ならば、今まで何度も経験して来た。そこに恐怖が全くない訳ではないが、それでも何とかなる、してみせるという自負と想いがある。

 けれど、ヘイローを破壊する爆弾という異質な兵器は、たった一度の判断ミス、油断を刈り取り、確実に命を奪い取るものだ。今まで頭の片隅程度にしかなかった、死という概念がホシノの精神を大きく動揺させた。

 

 ――アビドスは、皆で一つ。

 

「話すべき、なんだろうね、本当は……」

 

 銃を抱え、ホシノは呟く。声は、か細く力なかった。

 嘗ての戦いでホシノが掴んだ真理、共に乗り越えた高い困難の壁。たとえ一人では無理でも、皆と一緒ならば乗り越えられる。その実感を、ホシノはあの事件を経て得た。

 だから、今回の事も彼女達に明かし、協力を仰ぐべきだと分かっていた。

 小鳥遊ホシノひとりでは乗り越えられずとも、アビドス(対策委員会)の皆と一緒なら――きっと。

 

「でも……」

 

 背を丸め、ホシノは膝を抱える。

 脳裏に過る先生の顔、そして対策委員会の皆。

 暖かな日々、順風満帆とは行かなくとも、共に笑い合えるささやかな日常。それを想い、ホシノは肩を震わせる。

 

「――怖い」

 

 そう、怖いのだ。

 そんな彼女達を喪う事が。

 アビドスの皆が――傷付く事が。

 大事だから、怖い。大切だから、恐ろしい。

 喪ってしまう事、死と云う絶対的な別れ。

 アビドスの皆を巻き込めば、それが現実的な未来として横たわってしまう。

 それを、ホシノは選べずに居た。

 

「こんな夜中に――何をしているんですか、ホシノ先輩?」

「っ……!」

 

 だから、(ホシノ)だけでも――。

 そう考えていた彼女の耳に、聞き慣れた声が届いた。

 思わず目を見開き、椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がれば、そこには扉の前に立つアヤネの姿があった。いつの間に、そう思いながらホシノは思わず愛銃を背に隠す。それが無駄な行為だと分かっていながらも、そうせざるを得なかった。

 

「あ、アヤネちゃん」

「ん、夜の散歩にしては少し遅すぎるね」

「シロコちゃんまで……」

 

 扉を開き、顔を見せるアヤネとシロコ。そしてその背後には、いつもの面子が揃っていた。寝間着ではなく、制服姿で。それも皆、きちんとした装備まで持ち込んでいる。その事に戸惑いを隠せないホシノは、思わず視線を左右に散らす。

 

「全く、こんな事だろうと思った!」

「ふふっ、やっぱり居ましたね、ホシノ先輩」

 

 二人並んだセリカとノノミが、どこか呆れたように声を上げる。ホシノは咄嗟に顔を逸らして、努めて何でもない様に頬を掻き、へらりと笑った。

 

「……うへ、どうしたの皆、全員で夜更かしかい? おじさん、感心しないなぁ」

「そっちこそ、そんな装備をぶら下げて何しに行くつもり? 弾薬まで沢山持って、随分物騒じゃない」

「――いつも通りのパトロールだよ、アビドスも前と比べれば平和になったけれど、それでも不良は居るからねぇ」

 

 セリカの言葉に、ホシノははぐらかすようにして手を振る。実際、夜のパトロールをホシノは時折行っていた。だから別段、おかしい事ではない、そう説明する。けれど、彼女達からの疑惑の目が消える事はない。

 

「そんな完全装備で、ですか?」

「パトロールにしては、重装備過ぎる」

 

 アヤネとシロコの指摘に、ホシノは思わず言葉を詰まらせた。

 彼女達の視線の先には、折り畳まれた防弾盾に腰には弾薬と医療品の入ったポーチ。更に普段身に着けているハーネスはボディアーマーに変わっており、普段彼女が見せるだらしのない雰囲気は一変、彼女の戦意と真剣さが感じられる装備となっていた。

 大抵彼女がパトロールを行う時の装備は、愛銃と防弾盾程度。こんな弾薬やら医療品やらを用意して臨む事は一度もなかった。

 

「――エデン条約」

「っ……!」

 

 アヤネが、不意に言葉を漏らす。

 その単語を聞いた瞬間、ホシノの肩が分かり易く跳ねた。

 

「やっぱり、トリニティ絡みの事なんだね」

「前に出張した時、何かあったんですか?」

「水臭いわね、何で私達に云ってくれなかったのよ?」

「……別に、そういう訳じゃ――」

 

 その反応に確信を得たアビドスの皆は、口々にホシノを問い詰める。思わず俯き、口をまごつかせるホシノ。

 そんな彼女の肩を優しく掴む影があった。俯いていた顔を上げれば、すぐ傍に見えるノノミの顔。その表情はいつも通りの笑顔で、包み込む様な優しさが漂っていた。

 

「忘れたんですか、ホシノ先輩?」

 

 どこまでも希望に満ち溢れ、慈しむ様な心地良さ。ずっと、一年前から変わっていない彼女の優しさ。その背後に、ホシノの大好きな皆が立っている。自分を見る瞳には確かな信頼と、どこか呆れの色。けれどそれは、友愛の裏返しである事を知っている。

 ノノミが息を吸い込み、満面の笑みと共に云った。

 

私達(アビドス)は、皆で一つなんですよ!」

 

 その言葉に。

 心に刻まれた文言に、ホシノは思わず苦笑を零した。

 

「――忘れる訳、ないよ」

 

 呟く。

 そう、忘れる訳がないのだ。

 その言葉だけは。

 あの時、この身に刻んた感情だけは。

 

 ――私達は、アビドス対策委員会。

 

 傷だらけでも、どれだけ強大な敵が相手でも、仲間(アビドスの皆)が居て、先生が一緒なら。

 きっと乗り越えられると(奇跡だって起こせると)信じている。

 

「――ごめん、皆、ちょっとおじさん、怖気づいちゃっていたみたい……前と(黒服の時と)同じ過ちを繰り返す所だったよ」

 

 ホシノは、力なく笑った。

 けれどそれは諦観から来る笑みではない、自分自身に対する――怒りから来る遣る瀬無い笑みだった。

 そうだ、自分は信じている、先生を、皆を。どんな困難であろうと、どんな壁であろうと、皆と一緒なら乗り越えられると。

 信じていた、筈だった。

 それが曇っていた、死を前に怖気づき、また同じ選択を繰り返そうとしていた。自分が皆を大切に想う気持ちと同じ位、彼女達もまた、自分を大切に想ってくれているのに。

 

「まぁ、ホシノ先輩ってそういう所あるから……でも、ちゃんと事前に相談してよね! こっちにも色々準備とかあるんだし!」

「ん、戦闘用意は万全、ちゃんと色々用意した」

「ホシノ先輩、話してください――先輩は、何と戦おうとしているんですか?」

 

 予めこうなる事を予見していたかのように装備を持ち込んでいた皆。アヤネはタブレットを小脇に挟みながら、ホシノに問い掛ける。彼女がこんな重装備で赴こうとしていた、その理由を。

 

「詳しくは、云えない――でも」

 

 一瞬、言葉に詰まったホシノは視線を足元に落とす。しかし二度、三度息を吸った彼女は顔を上げ、力強い瞳で以て皆を射貫いた。

 

「先生の参加する明日の調印式、その会場が襲撃される」

「……!」

「だから(おじさん)は、先生を助けたい」

 

 皆の体が強張るのが分かった。

 大雑把な説明だ。到底、現状が理解出来るものではない。しかし、実際何が起きるのか分からないという点では、ホシノも同じだった。

 大まかな予想は銀狼から聞き及んでいる。しかし、その通りになるかどうかは分からない、寧ろそうならない可能性の方が高いと彼女は云っていた。既に彼女の知る世界とは、アビドスで(マダム)と対峙した時点で解離してしまっているから。

 それでも――先生が志半ばで斃れる可能性があると、そう述べる程度には危機感を抱いている。彼女(マダム)は、必ず何かを仕掛けて来る。その確信がある。

 

「多分、これまでとは比較にならない程、酷い戦闘になると思う、正直――帰って来れるかも分からない、最悪、ヘイローが壊されるかも」

「えっ、へ、ヘイローが……!?」

「うん、相手の学園(アリウス)は、ヘイローを破壊する為の爆弾を持っているんだって、だから最悪、本当に最悪の場合……私達の誰かが死んじゃうかもしれない」

 

 セリカが息を呑み、手を握り締める。ヘイローを破壊される、即ち死――その未来が決してあり得ないものではないと提示され、思わず尻込みする。それは、ごく普通の反応だった。

 銃弾程度ではビクともしないキヴォトスの生徒は、普段余り死というものを意識する事がない。だからこそ、その概念に対する反応は敏感だ。

 

「私は皆が大事だから、だから、一人の方が良いかもしれないって……そう、思って――」

「大丈夫」

 

 ホシノの声を遮ったシロコが、セリカの肩を掴む。びくりと跳ねた髪が踊り、けれどシロコは力強く断じて見せた。

 

「私達なら、絶対に大丈夫」

「……シロコちゃん」

 

 不安を掻き消すように、皆を勇気づける様に、彼女は繰り返す。

 全員を見渡すその瞳には、絶対的な光が宿っていた。

 尻込みしていたセリカは、ぐっと唇を結び、歯を噛み締める。そして軽く自身の頬を張ると、心の中に生まれた怯えを掻き消すように叫んだ。

 

「そっ、そうよ、今までだって何とかして来たんだし! その程度! 今更何よ!」

「……それに先生が危険だと聞いて、何もせずにいるなんて出来ません!」

「そうですね……! 確かに、恐怖が無いと云えば嘘になりますが――」

 

 アヤネが、眼鏡を指先で押し上げ告げる。

 

「それでも、それを乗り越えて今の私達が在ります……! 大丈夫です、きっと! 私達なら乗り越えられるって信じています!」

「皆……」

 

 命の危険を感じる戦闘なんて、何度もあった。

 先生が来てくれる前も、先生と共に戦った時も。あの、赤い怪物と対峙した時だってそうだ。けれど、その悉くを乗り越え、今のアビドス(自分達)がある。

 アビドスは、進む事を選ぶ。

 それがどれだけ辛い道でも、険しい道でも――その道を歩んで来た大人の背中を知っているから。

 

 恐怖があった。

 不安があった。

 けれど、それに勝る――希望(掴みたい未来)があった。

 

「うん、分かった……行こう、トリニティに」

 

 ホシノが告げた。

 愛銃を握り締め、立ち上がった彼女は皆を見る。

 そこに、先程まで存在していた迷いはなく。

 未来を見据える、一人の生徒だけが居た。

 

「先生を助ける為に――行ける、皆?」

「とぉぜんッ!」

「勿論ですよ!」

「ん、準備完了」

「ドローンも万全です!」

 

 皆が愛銃を掲げ、頷く。

 その表情に陰はない、どこまでも真っ直ぐな純白の感情のみがあった。

 いつか、先生が自分達を助けてくれた日の様に。

 今度は、自分達が先生を助ける番だから。

 ホシノは強く、強く愛銃を握り締め――叫んだ。

 

「――アビドス、出撃っ!」

「おーッ!」

 


 

「アルちゃ~ん」

「んぇ?」

 

 同時刻――便利屋68にて。

 事務所で過ごしていた面々の元に、どこか楽し気な雰囲気を纏ったムツキが飛び込んでくる。カップラーメンを啜っていたアルは唐突なそれに目を見開き、慌てて麺を呑み込んで澄まし顔を浮かべた。

 

「ん、んんッ、どうしたのかしら、ムツキ」

「アルちゃん、こんな時間にカップ麺? 太るよ~?」

「う、五月蠅いわね! ちょっと小腹が空いちゃっただけで……その分動いているから大丈夫よッ!」

 

 アルの手元にあるカップラーメンを見つめ、愉快気に笑うムツキ。その指摘に憤慨し反駁するアルだが、彼女の役割はスナイパーがメインなのでそれ程頻繁に動いたりはしない。尤も、その不運から何故か敵に追い回される事も多いため、決して運動量が少ない訳でないのだが。

 

「小腹が空いたからカップ麺かぁ、私達も人並みの贅沢が許されるようになったよねぇ」

「……まぁ、最近は先生のお陰である程度依頼が回って来るようになったから、殆ど雑用とか、簡単な護衛ばっかりだけれど」

「で、でも、そのお陰でご飯も毎日食べられていますし……えへへっ」

「確かに、ひと昔前はカップ麺ひとつを皆で分けて食べていたっけ」

「んんッ! そ、それでムツキ? 一体何事なの?」

 

 ソファに座った面々(カヨコ・ハルカ)が極貧時代の思い出を語り始めた為、アルは慌てて軌道修正を行う。公園にテントを張って過ごしたり、一つのカップ麺を皆で分け合ったりした日々、確かに楽しくなかった訳ではないが、それはそれとして便利屋の名が全く売れていなかった頃の話なので、アルとしては直視したくない過去なのだ。

 今や便利屋68はきちんとした一企業――の筈。

 アビドスの僻地ではあるが、ちゃんとした事務所だって構えられているし、毎日食うのに困っている訳でもない。依頼だって疎らにではあるが来るし、先生と云う太客も居るので当面は安泰だ。

 

「あっ、そうそう! これだよアルちゃん!」

「これって何よ……?」

 

 手を叩き、ポケットに入っていた端末を取り出すムツキ。いつもより二割増し程輝いてみえるムツキの顔にたじろぎながら端末を覗き込むと、そこにはクロノス・スクールの記事が一面に表示されていた。

 

「――エデン条約、調印式?」

 

 その見出しを口にして、アルは疑問符を浮かべる。

 エデン条約の単語を聞いたカヨコは、納得した様に頷いた。

 

「あぁ、そう云えば明日、うちの学校とトリニティが和平条約か何か結ぶって話だっけ?」

「えっ、そうなの!?」

「アルちゃん知らないの? 遅れてる~」

「うぐッ」

 

 ムツキの煽る様な言葉に、思わず歯噛みする。しかし彼女はへこたれる事無く、胸を張って堂々と叫んだ。

 

「こ、こういうのは情報担当の仕事だもの、私はそれを聞いて方針を決める――それがリーダーの役割よっ!」

「……強ち間違いではないけれど、それで、この調印式がどうしたの?」

「ゲヘナとトリニティが和平を結ぶって一大イベントだよ? 何だか楽しそうじゃん! トリニティ何て私達が滅多に行けない場所だし! ね、ね、行ってみよっ!?」

「……要するに、野次馬をしに行きたい訳?」

「そういう事!」

 

 カヨコの問い掛けに満面の笑みを浮かべるムツキ。カヨコは突き出された端末の画面をじっと眺めながら、頭の中で開催場所と便利屋の事務所、その距離と交通手段、運賃を計算した。

 

「会場はトリニティの古聖堂――アビドスからだと、電車を乗り継いで結構掛かるね」

「でも、前に先生の依頼でゲヘナに戻った時と同じ位じゃない?」

「そうだね、運賃はそこまで変わらないと思うけれど……どうする、リーダー?」

「わ、私はアル様の決定に従いますので!」

「う、う~ん」

 

 笑顔のムツキは当然乗り気、カヨコは其処まで金も掛からないので問題ないというスタンス、ハルカは完全にアルの方針に委ねる形。アルは端末を見つめたまま唸りを上げ、思案する。

 お金は別段問題ない、最近は大きな出費もないし、依頼のお陰で貯金もある。少し遠出して、一泊する位なら余裕だ。問題はこの、開催場所がトリニティの古聖堂という事で、正直ゲヘナの生徒としては余りに踏み入りたくない領域であり――。

 

「ま、まぁ、和平条約が結ばれるのなら、トリニティにゲヘナの生徒が居ても怒られないわよ……ね?」

 

 しかし、今回はエデン条約という和平を結ぶための会場。

 普段ならば絶対に近寄りたくはないが、今回に限っては正面から堂々と入れるだけの名目がある。アルとしてもトリニティなんて場所は自分と縁もゆかりもなく、実際に自治区に踏み入った事など中央区から離れた僻地に数える程。旅行先としては確かに、悪くない選択肢に思えた。

 そんな風に思考した彼女は、デスクを軽く叩き立ち上がる。

 

「――良いわ、最近は旅行なんて全然行けていなかったし、偶には遠出して遊びましょう!」

「やった~! アルちゃん、太っ腹~!」

「た、楽しみですね、へへ……っ!」

 

 皆で出かける事が楽しみなのか、笑みを浮かべるハルカ。アルに抱き着き、そのお腹を突くムツキ。「なっ、ちょ、やめっ、やめなさいムツキ! 私、太ってないからっ!」と太っ腹を別の意味に捉えるアル。そんな彼女達を尻目に、カヨコはひとり自身の端末を操作する。

 エデン条約――そう検索すれば、大まかな概要や記事がずらりと並んでいた。

 発表されたのはつい先日、唐突なそれにキヴォトス全体が沸き立っている。それもそうだろう、今まで険悪な関係を続けていた二大巨頭が手を取り合うというのだ。良くも悪くも、周辺の学園も変化を強いられる。

 

「――和平条約、ね」

 

 画面に映る文字を追いながら、カヨコは小さく呟いた。

 

「あの万魔殿が和平を選ぶなんて……ちょっと考え辛いけれど」

 

 声が他の面々に届く事はなかった。彼女の脳裏に過るのは、万魔殿のリーダーである生徒。何を想ってこの条約を受けたのか、或いは何か別の思惑があるのか。

 そんな事を考え、カヨコはしかし自分達には大して関係のない事だとページを落とす。騒ぎ出した三人を尻目に、カヨコはひとり旅行の計画を立て始めた。出発は明日の朝になるだろう、突発的なものだが、まぁ慣れたものだ。

 端末で列車の時刻と運賃、トリニティ中央区で予約できそうな宿泊施設を探しながら、カヨコはソファに身を預ける。

 

 ――その日、便利屋68の事務所には、夜遅くまで楽し気な声が響いていた。

 

 ■

 

 これが悲鳴に変わると思うと心が震えますわね……!

 

 次回――エデン条約、調印式。

 会場に集うゲヘナ、トリニティのメンバー。そして先生を守る為に戦いに赴くワカモ、アビドス対策委員会。平穏の中で無垢に明日を想う補習授業部、そして彼女達を守る為に立ち上がるハナコ。またしても何も知らない陸八魔アル。先生の全てを懸けた総力戦が始まりますわ。

 

 此処に来るまで百万と十万字、七ヶ月の月日をかけましたね、感慨深いものです。先生の手足を捥いで生徒に絶叫して貰いたくて始めたこの小説、此処のシーン、この場面を書きたくて始めた物語ですから、その本懐を遂げられると思うと嬉しいのやら悲しいのやら。

 何かこう、云い表す事の出来ない高揚感、或いは寂寥感の様なものを覚えます。もう、此処で終わっても良って云う位に、濃密に、事細かに、その情動と足掻きと慟哭を綴れたらと思いますわ。

 先生の最期、その生命の輝きをどうか見届けて下さいまし。

 

 

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