午前十一時半――古聖堂前。
クロノス・ライブ、観覧者数六万人。
――チャットの際は、コミュニティガイドラインを遵守して下さい。
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『今この動画をご覧の皆さん、こんにちは! クロノス・スクール報道部のアイドルレポーター、川流シノンです! 本日はついに締結される、ゲヘナ学園とトリニティ総合学園の、【エデン条約】の調印式、その現場に来ております!』
『私は今、通功の古聖堂、その前に居るのですが――既に現場には熱がこもっており、お互いに譲らないと張り詰めた空気になっております! 誰かが一歩間違えれば、この場が大惨事になりそうなほどの雰囲気……! 感じられますでしょうか、この空気感!』
『犬猿の仲とでも云いましょうか、呉越同舟と云いましょうか! 私達の良く知るトリニティとゲヘナの様相です! ……はい? 余計な事を云うな、早く進めろ? 仕方ないですね、今日も画面外から飛んでくる言葉が拳に変わる前に、ちゃっちゃとお話を進めていきましょう!』
『もの凄い威圧感ですねぇ! ここが調印式の会場である古聖堂の様子です! 何故この場が選ばれたのかという疑問につきましては、どうやらある筋の情報によりますと、ゲヘナ首脳部からの提案との事です、これは意外! 此処が嘗てトリニティ第一回公会議が開催された歴史的な場所だからでしょうか?』
『いえいえ、そうではないようです、どうやらその理由は――「これ程大きなイベントなのだから、大きくて権威のある場所が良い」、との事……要するにデカイ場所の方が恰好良いだろうが! との事です! 成程、分かり易いですね!』
『少々話は変わりますが、先程申し上げた第一回公会議、そしてその場で定められた戒律は、当時のユスティナ聖徒会という強力な集団が守り続けたと云われています、果たしてそれが関連しているのでしょうか? 本日はトリニティのシスターフッドも、この調印式に参加している事が確認されています! これまで長い間、対外的な活動を自ら禁じていたシスターフッド――彼女達が此処に来て、何故表舞台に登場したのでしょうか?』
『先程のユスティナ聖徒会、今では歴史の中に消えたその組織の後身を自任する、そう云った意味合いが含まれているのか、果たして――はい? 難しい話は良い? 視聴率とアクセス数が落ちる? 政治もやっていられませんが、デスクからの圧力もやっていられませんね! しかし、私達には言論の自由が――』
【現在、回線の影響などにより、映像が乱れております――少々お待ちください】
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『ごほん――エデン条約が締結されるとその後、両学園の首脳部は古聖堂にて、
『ややこしいですね、簡単に云いましょう! これまでいがみ合ってきた事でも有名なこのキヴォトスの二つの巨大な学園が、ついに平和の為に手を取り合おうとしているのです!』
『さぁ、そんな重要なタイミングで我らが連邦生徒会は、どのような声明を発表したのでしょうか?
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「――……以上で会見を終えます」
「ちょ、ちょっと待って下さい行政官! それはつまり、連邦生徒会長の行方はまだ分かっていないという事ですか!?」
「要するにそうです」
「要約しなくてもそうでは!?」
「連邦生徒会の能力について、世間の評価は厳しくなっています、その点については如何でしょうか?」
「まぁ、仕方ないんじゃない?」
「モモカちゃん……!」
「不確定な情報につきましては、現段階でのコメントは差し控えさせて頂きます」
「それぞれの自治区で起きているジェントリフィケーションへの対応策はどうなっていますか?」
「SRT特殊学園の閉鎖が決定した事、それと以前のサンクトゥムタワーでの騒動は何か関係あるのですか? タワーの一部が焼失したとの情報もありますが?」
「トリニティとゲヘナのエデン条約につきましては、どのようにお考えですか?」
「各学園の自治区内で発生した事件につきましては、基本的にそれぞれの学園に対応を委ねております、連邦生徒会の無暗な介入は却って無責任かと考えます」
「ま、介入する時間も人手もないし」
「モモカちゃん……!」
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『はいっ! つまりは、【あんまり興味ない】という事ですね! 流石は連邦生徒会、そのおおらかさは天をも突き抜ける様です! では次に、このエデン条約に参加する各学園の主要人物につきまして――』
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「……むぅ、随分と騒がしいな」
アズサが不意に言葉を漏らし、店内のモニタに映し出されるニュースを見上げる。画面にはクロノス・スクール報道部のレポーターが何事かを捲し立てており、その背景には何とも荘厳な古聖堂が聳え立っている。
トリニティ中央区、カフェ二階。その場所でケーキやパフェをつつきながら談笑に興じていた補習授業部は、店外から聞こえて来る人の喧騒に身を揺らした。
「あはは、今日はついに、あのエデン条約が締結される日ですからね、仕方ありません、特別に学校も休日扱いですし、街も人で一杯ですから」
「……何だか、お祭りみたい」
ヒフミが頬を掻きながら頷けば、コハルは窓の外に見える大通りを見下ろし呟く。道行く人は余りにも多く、道幅の広い石畳の地面が殆ど見えない。
その多くはトリニティの生徒達だが、ちらほらと他学園の生徒も歩いていた。トリニティの白の中で、そうではない色は良く目立つ。モニタの中継を見れば古聖堂周辺にはトリニティ以外の生徒が多く見られた。向こうに行く程、他所の生徒は増えるのだろう。クロノス等の報道関係以外にも、ゲヘナ、トリニティ問わず様々な種類の制服が垣間見える。
「……? ハナコちゃん、どうしましたか?」
「――いえ、折角のお祭り騒ぎなので、先生も一緒だったら良かったのにと思いまして」
外を見つめながら沈黙を守るハナコに、ふとそう問いかければ、彼女は残念そうな声を漏らす。本来ならばこの場に先生を招待するつもりであったが、先生は調印式会場で仕事があるらしく不参加。
「そ、そうですね……でも仕方ありません、先生は条約の方で忙しいみたいですし」
「……突然連れて来られてホント、吃驚したんだから」
目の前のパフェをスプーンで掬いながら、コハルは苦言を呈す。昨日のアズサ復帰パーティーもそうだが、補習授業部所属とは云え正義実現委員会としてもスムーズに復帰出来る様、その業務の見直しを行っていた所をハナコに拉致同然に連れ出されたのが彼女だった。自室にハナコが突撃してきた時は一体何事かと思った。よもや性的に襲いに来たのかと戦々恐々とした程。
「ふふっ、昨日のパーティーも楽しかったですが、やはりこういうものはちゃんとしておきたいですからね♡ 今日は実質的に補習授業部の卒業パーティーも兼ねていますから、もう少し付き合って下さい、コハルちゃん」
「べ、別に嫌とは云っていないじゃん! み、皆で頑張って乗り越えた訳だし……それに、補習授業部じゃなくなっても、それで全部終わりって訳じゃないし! 私はずっと正義実現委員会にいるから、押収品の管理室にでも来てくれたら大抵は――」
「うん、直ぐにでも遊びに行くよ、コハル」
「でしたら私も今度お伺いしますね、いつか押収されてしまった、カーマ・スートラを返して頂かないと」
コハルの声に、アズサとハナコは微笑みと共にそう返す。補習授業部として活動する事はなくなってしまうかもしれないが、だからと云って縁が切れる訳ではない。トリニティの生徒として正式に認められたアズサも、今後は大手を振って校内を歩けるようになるだろう。また一緒にこうして集まる機会は幾らでもある筈だった。
「カーマ……? 何それ」
「古典文学の作品ですよ、噴水のところで気持ちよく読んでいたのですが、どういう訳か急に押収されてしまって……」
「古典文学? ふーん」
古典文学という、如何にも堅苦しいジャンルにコハルは興味なさげに鼻を鳴らす。しかし、数秒程思考を巡らせた彼女は、軽くテーブルを叩きながら顔を真っ赤にして叫んだ。
「……って、そんな訳ないじゃん! あんたが読んでいる時点で絶対エッチな奴でしょ!? エッチなのは駄目! 焼却!」
「うーん、押収は兎も角、古図書館で借りたものなので燃やされるのは困るのですが……」
コハルの剣幕に苦笑を浮かべるハナコ。カーマスートラ、古典文学と云うのは何も間違っていない。ただその内容が聖書ならぬ性書というだけであって――。
「む、危ない、ジュースが跳ねる所だった」
「あはは、アズサちゃん、その縫い包み、ずっと持ち歩いていますね」
不意に跳ねたジュースの中身が縁に弾かれる。アズサは横に抱えていた縫い包みを抱き寄せ、その表面に付着しない様長椅子の端に移動させた。ヒフミがプレゼントしてくれたペロロ博士、監禁状態を脱して以降、ヒフミに預けていたそれを彼女はいつでも持ち歩いている。勿論、先生から貰った人形も一緒だ。
ヒフミもまた、件の騒動で焼け焦げた人形を自分なりに必死に修繕し、ペロロバッグから垂らしていた。同じものをコハル、ハナコも所持している。購入したばかりの真新しいペロロバッグから顔を覗かせる人形は、陽に照らされ笑っていた。
「うん、大事なものだから……やっぱり持ち歩かないと」
「そ、そこまででしたか……いえ、ありがたいのですが! モモフレンズの世界は広いですし、折角なら他にも色々集めてみませんか? 今度、ぜひモモフレンズを専門に取り扱っている御店とかにも――」
「うん、楽しみにしている」
アズサが微笑みと共に頷けば、ヒフミの瞳が物理的に輝いた。普段、この手の話題に喜んで付き合ってくれる友人は少ない。そこから専門の店に嬉々として同伴してくれる人物など皆無だった為、その喜びもひとしおだ。
「はい、是非! 今度、ペロロ様の冒険アニメも公開される事ですし!」
「……アニメ?」
「そう、そうなんです! 仲間達と力を合わせて悪を打ち砕き、共に苦難を乗り越え、最後にはみんな笑顔で終わると云う、そのエンディングが凄い感動的だそうで……!」
「……それ、大分ネタバレじゃない?」
「えっ、あ!? い、今のは忘れて下さい!」
勢いをそのままに、アニメの最後を口にするヒフミ。口が滑ったのだろう、コハルが冷静にそう突っ込みを入れれば、彼女は慌てて口を覆った。
「ふふっ、ヒフミちゃんはそういうハッピーエンドが好きなんですか?」
「え? えっと、は、はい、そうですね――やっぱり、普通過ぎます……よね?」
「んー、悪いとは云わないけれど……ちょっとありきたりじゃない? 最終的に皆で仲良く大団円とか」
テーブルに肘を突き、ストローを咥えたコハルはそう呟く。誰も傷つかず、皆で仲良く、最後は完全無欠のハッピーエンドで物語が完結する。良く云えば後味の良い物語、悪く云えば毒にも薬にもならない物語。決して悪いとは云わないが、それはそれとして面白みには欠けると思ってしまう。
「私も、ハッピーエンドは良く分からないな、頑張った所で世界はそうそう変わらない、傷はなかった事にならない、それがこの世界の真実だから」
「あ、あうぅ……皆、ダーク寄りなんですね……」
思ったより賛同者が居ない事にヒフミは項垂れ、思わず落ち込んでしまう。コハルは兎も角、恐らくアズサは自身の人生観が反映されているのだろう。救いのないエンディング、誰かが傷付いて終わる物語。ヒフミは、そういった形のストーリーが苦手であった。テーブルの上で指先を合わせながら、彼女はおずおずと口を開く。
「私、そういうのはちょっと辛くて――やっぱり皆で幸せになれる大団円、ハッピーエンドが好きなんですよね……」
「まぁ好みは人それぞれですからね、因みに私はヒロインが目を蕩けさせて、涎を垂らしながら許しを請うタイプのエンディングが好きです♡」
「ばっ!? 馬鹿じゃないの!? そんなエンディングがある訳ないじゃん!?」
「そうですか? 結構あると思いますが……」
ハナコは斜め上にハートを飛ばしながらそう宣う。彼女ひとりだけジャンルがアニメであっても、その前後に『R』が付く作品を語っていた。コハルは猫目になりながらテーブルをバンバン叩き、抗議を行う。それをのらりくらりと躱しながら、「今度、皆で上映会でもしましょうか?」とハナコは笑っていた。
「……むぅ、アニメというのは奥が深いんだな」
「い、いえ、流石にその、ハナコちゃんの云っているアニメは少し毛色が違うというか……」
「ふむ――とはいえ、ヒフミが好きならハッピーエンドも悪いものだとは思わない、それもそれで良いものなのだと思う、今度、そのアニメも見に行きたい」
「わっ、分かってくれるんですか、アズサちゃん!?」
「うん、私は知らないものが多いから、実際に見てもいない状態で語る事は――むぐッ」
「あ、アズサちゃんんん~ッ!」
「ひっ、ヒフミ、力、つよ……」
理解者を得たヒフミは満面の笑みでアズサに抱き着き、彼女の頬に自身のそれを引っ付ける。片手でコハルをあしらいながらそれを見ていたハナコは、どこか微笑ましい様子で呟いた。
「ふふっ、このまま、全てが終わったら――」
「何よ、何か云った!?」
ハナコに食いついていたコハルは、両手で彼女の肩をポカスカ殴りつけながら叫ぶ。ハナコは苦笑を零し、彼女の手を優しく受け止めながら答えた。
「……いえ、今日の調印式が終わったら、先生とゆっくりお話がしたいと思いまして」
「それはっ、た、確かに……先生、此処に居れば良かったのに」
ハナコの言葉に手を止めたコハルは、同意を口にしながら力なく項垂れる。アズサやヒフミも同意見なのか、神妙な表情を浮かべはっきりと頷いて見せた。
「うん、私もだ、解放されてからちゃんとお礼も云えていない、一応手紙とかは貰っていたけれど……」
「そうですね……今、先生は古聖堂にいらっしゃるのでしょうか? 多分、忙しくされていると思いますが――」
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「? すみません、業者の方ですか? 此方からは入れませんので、ご遠慮を」
「そこ、こっちは関係者専用だ、見物人は向こうに」
「……えっと」
古聖堂、内部。
極彩色に輝くステンドグラスを仰ぎながら、荘厳な雰囲気を醸し出す室内。ずらりと並んだ生徒達は、誰も彼もゲヘナ、トリニティにて何らかの役職を持っている幹部、行政官、委員メンバー。彼女達の周囲には各々の警備担当がぴたりと張り付いている。
そんな中、連邦捜査部シャーレの責任者である先生は――出入り口で足止めを喰らっていた。
シャーレの上着を脱ぎ捨て、腕章も着用していない彼は無個性なシャツ一枚の状態であり、心なしか注がれる視線は険しい。目前にはトリニティの正義実現委員会、そしてゲヘナの風紀委員会。分担の為だろう、東側をゲヘナ、西側をトリニティという形でそれぞれ境界線が設けられていた。
先生は調印式開始前に周辺を走り回る必要があり、少なくない汗を流す羽目になると予想した為、待機室に上着やら腕章やら手荷物やら諸々を置いて来ていたのだが、まさかそれが仇となるとは思わなかった。
さて、どうしたものかと頬を掻けば――不意にトリニティ側の生徒、正義実現委員会の生徒が隣り合った風紀委員を睨みつけ、吐き捨てる。
「……そこの風紀委員の方、今、この線を越えませんでしたか?」
「――はぁ? そっちが線を踏んでいたから、どかそうとしたんですけれど?」
正義実現委員会の生徒が足元の線を指先で示せば、これ見よがしに爪先でその線を踏み締める風紀委員がガンを飛ばす。隣り合った彼女達ではあるが、協調性や平和という言葉は微塵も感じられない。互いに睨みを利かせながら顔を突き合わせ、挑発的な言動を繰り返す。
「あらそうでしたか、ゲヘナの方はいつも
「そっちは
「ご安心を、転んでも折れる角はありませんので」
「ははっ、鳥目が何か云っているなぁ!」
ズン、と。
両生徒が同時に境界線を跨ぎ、力強い一歩を踏み出した。
「――喧嘩を売っていらっしゃるのでしょうか?」
「――先に売ったのはそっちだろうが」
ごく至近距離で睨み合う両生徒。同じ黒と赤を身に纏う彼女達であるが、その内面は余りにも異なる。今にも額を打ち付け合わんとする彼女達は、肩に掛けていた銃に指先を伸ばし叫んだ。
「はっ! こうなったら話は早い、お前を取り締まってやる! オイッ!」
「――何だ、どうした?」
「なっ、二人掛かりですか!? そっちがその気なら――支援を要請します、増援をっ!」
ゲヘナの風紀委員が呼びかければ、別のメンバーが駆け寄り、それを見た正義実現委員会の生徒が支援を要請する。このままだと雪だるま式に膨れ上がって、争いが起こる気配しかない。先生はその未来を案じ、慌てて止めに入ろうとして。
「――きひッ!」
しかし、その必要はなくなった。
正義実現委員会の増援、その声に反応して到来したのは一般委員などではなく。
血の香りを漂わせる制服を身に纏った、正義実現委員会の委員長、ツルギであった。
凄まじい跳躍と共に轟音を打ち鳴らし、大理石の床に着地を敢行するツルギ。風圧に制服を靡かせながら目を見開いた風紀委員の前に立つ――キヴォトス最強のひとり。
「なっ、せ、正義実現委員会の委員長!?」
「ぞ、増援どころかツルギ先輩……!?」
「きひはぁああアアアアアアッ!」
「うわぁああああッ!?」
両手に持った
すわ、委員長の暴走かと周囲の生徒が悲鳴を上げ身を竦ませる中――騒ぎを聞きつけ人ごみから駆け寄り声を上げるシスターが居た。
「あ、あの、みなさん! 此処で喧嘩は駄目ですよ……! 折角平和の為にこうして集まったのですから、そうでしょう? ツルギさん!?」
「………」
人ごみの中から駆け出し、声を上げたのはシスターフッド所属のヒナタ。シスター服と呼ぶにはやや扇情的な装いではあるが、やけに大きなトランクを手にしたまま必死に叫ぶ彼女を見て、ツルギはその動きを止める。
急に動きを止め、虚空を見つめる彼女。両手に銃を垂らしたまま不自然に硬直する彼女は余りに不気味だった。
ややあって、ぎょろりと視線を動かした彼女は、地面に這い蹲ったままの正義実現委員会、風紀委員の両名を見下ろし、告げる。
「……此処にいらっしゃるのは、シャーレの先生だ、憶えておけ」
「は、はいッ! 肝に銘じます!」
互いに体を寄せ合い、声高にそう叫んだ二人は立ち上がるや否や慌てて駆け出す。それが逃走なのか、それとも持ち場に戻っているだけなのか、先生には分からなかった。
兎も角、自分の介入する間もなく騒動を収めたツルギに礼を云うべく、先生は彼女へと向き直る。
「ふぅ、ごめんねツルギ、腕章と制服が無いと、どうにもパッとしないみたいで……」
「ぅ……い、いえ、とんでもありません、先生」
先生に声を掛けられたツルギは、先程までのホラー染みた顔を一変、頬を赤くしながら視線を左右に散らす。その何とも落差の激しい変化に、隣に立っていたヒナタが困惑するのが分かった。
「ではその、私は他の任務がありますので……!」
「うん、頑張ってね」
ツルギはそう云うや否や踵を返し、再び跳躍で以てその場を離脱する。まるで影の様に人の合間を縫って移動する彼女――或いは、人が避けていくとも云う――を笑顔で見送って、先生は呟いた。
「やっぱりツルギは優しいなぁ」
「はい、そうで……えっ?」
「?」
隣に立っていたヒナタは無意識に頷き、そして同時に驚く。
やさ――しい……?
偏見を持たず生徒と接しようとする彼女ではあるが、それはそれとして正義実現委員会の委員長であるツルギの噂は聞き及んでいる。
曰く、不良を潰れた空き缶の様に蹴散らし嘲笑った。曰く、違反者を高笑いしながら笑顔で痛めつけていた。曰く、不良百人を素手で叩きのめし、その山の上で高笑いをしていた――曰く、曰く、曰く。
残念ながら彼女の周りから聞こえて来る噂や情報は、全てが全て血生臭く物騒で、とても優しさという言葉からはかけ離れたものばかりだ。勿論、そう云った面ばかりではないと理解している。しかし、先生が余りにもしみじみと呟くものだから、思わずヒナタは疑問の声を上げてしまったのだ。
「そうだ、ヒナタもありがとうね、騒動になる前に止めてくれて」
「あっ、はい……それで、その、先生?」
「うん?」
「制服の方は、どうなされたのですか?」
「あー……」
ヒナタは普段よりラフな格好をしている先生を見つめながら、そんな事を口にする。緩められたネクタイに、ワイシャツが一枚。普段着込んでいる上着や腕章の類は見られなかった。調印式に参列する格好としてはやや不適切に思える。先生は保護膜で覆われた首元を指先で擦りながら、気まずそうに答えた。
「えっと、ちょっと彼方此方走り回ってさ、余りにも暑かったから脱いで待機室の方に置いて来ちゃったんだよね、今取りに戻る所だったんだ」
「そ、そうでしたか」
よく見れば、先生の髪は所々跳ねていた。恐らく、両学園に呼ばれて色々と駆け回っていたのだろう。そう勝手に考えを纏めたヒナタは、理解したとばかりに何度も頷いて見せる。
「そう云えば、今日はヒナタ以外にもシスターフッドは参加しているのかい?」
「あ、はい、サクラコ様の指示で、基本的に主要なメンバーは参加しているかと――前回の事件をきっかけに、方針が少し変わった事もありまして」
「方針が変わったというと、対外的な活動を増やす……って事かな」
「はい、これまでの無干渉主義が以前の事態を招いた、そうお考えになられたのかもしれません……サクラコ様自身も直ぐご到着されると思います」
「ん、そっか」
彼女の言葉に先生は一つ頷いて見せる。シスターフッドも参加するこのエデン条約、調印式。各学園の派閥、その普段顔を見せないトップすら一斉に出揃う。それだけで重要度、或いは規模の大きさが分かるというものだ。
「私達も基本的には色々と、調印式のお手伝いと云いますか、案内や警備の方を担当させて頂いているのですが……あ、よろしければ先生にも古聖堂の方をご案内いたしましょうか?」
「……そうだね、じゃあ制服を回収がてら、お願いしようかな」
「は、はい! では此方へ――」
ぱっと、表情に笑顔を咲かせたヒナタ。彼女に連れられ、先生は古聖堂の奥へと足を進める。二人の頭上には、ステンドグラスを通した柔らかな光が降り注いでいた。
あと二話。