ブルーアーカイブを、もう一度。   作:トクサン

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誤字脱字報告、ありがとうございますわ~!


■■は見つけた、漸く――その世界を

 

 古聖堂、回廊。

 古くから存在する建築物と云うのは、やはり独特の雰囲気を持つ。改修されたこの場所を廃墟と比較するのもおかしな話ではあるが、あの退廃的な雰囲気に神秘的な空気が交じり合ったような心地が確かにあった。ふとした瞬間に見える剥がれた塗装、回廊の隅にこっそりと生えた苔や小さな植物、全体的に手入れが行き届いているとは云えないものの、それでも人が活用出来る範囲では整えられている――そんな印象を抱く場所。

 清掃もまばらだというのに、汚れているという印象は受けなかった。どちらかと云えば自然的と云うべきか。あるがまま、朽ちた時を感じさせる風景。中庭を囲う回廊を歩きながら、先生は呟く。

 

「凄い所だね」

「はい、この通功の古聖堂は長い間、廃墟として放置されていましたが、今回ここで調印式を締結する事が決定し、大々的な修理が行われたそうです、その決定につきましてはトリニティのナギサさんと、ゲヘナのマコトさんとが合意したものと聞きましたが……」

 

 告げ、ヒナタは視線を横合いの地下通路に目線を通す。朽ちた石階段は所々欠け、苔が生え揃っている。回廊は比較的人の手が入っている様子だったが、地下はそうではないらしい。

 

「それでも全体が修理された訳ではなく、調印が行われる場所だけのようですね、下の方はまだ廃墟の状態でして」

「……結構深そうだね、迷ったら出て来れなくなりそうだ」

「あくまで噂ですが、この古聖堂の地下には大規模なカタコンベ(地下墓所)が存在するそうです」

「カタコンベ、か」

「はい、数十キロにも及ぶ地下墓地、第一回公会議の記述でも、終わりが見えない程だったと云われていまして――あ、此方の通路は封鎖されていますね、まだ修理中なのでしょうか?」

 

 回廊を進むと地下へと進む通路が見え、そこから先はテープで通路が封鎖されており、表面には通行禁止の表示が見えた。どうやら此方側は廃墟のままらしい。ヒナタに促されるまま迂回し、古聖堂の内部を更に進む。

 玄関部二階楽廊、身廊と側廊の会堂、内陣については既に目にしていたので迂回し、普段は目にする事の出来ない香部屋などもちらりと見せて貰った。どれもこれも先生にとっては新鮮で、余り触れる機会のないものばかり。その厳粛な空気に背筋を正しながら、先生は感嘆の息を吐く。

 

「何だか、彼方此方に歴史を感じるよ」

「えぇ、何せ第一回公会議の開かれた場所ですから……公会議に於いて締結される戒律は神聖なものです、その神聖さと云いますか、戒律の守護者たちの名残の様な何かが、まだ此処に残っているのかもしれません」

 

 ヒナタはどこか嬉しそうに、そんな事を口にする。彼女にとってはどのような形であれ、自身の所属するシスターフッドのルーツに触れられるのは喜ばしい事で、その根源を先生に知って貰えるのは更に喜ばしい事であった。

 

「そう云えば、その守護者というのは……」

「あ、えっと、何と云えば良いのでしょう――規則だとか、ルールというのは、罰則(ペナルティ)があって初めて機能しますよね? そうでなければ、誰もルールを守らなくなってしまいますし」

「そうだね……そういう側面は確かにあると思うよ」

「はい、なのでそのルール、制約の役割を持つ人々の事を、戒律の守護者と呼んでいたのです、約束やルール、戒律を破る者達に対処するトリニティの武力集団――それが、【ユスティナ聖徒会】です」

「ユスティナ聖徒会と云うと、シスターフッドの前身か」

「えぇ、歴史的にはそうなります――っと」

 

 この古聖堂は、そのユスティナ聖徒会が使用していた建物。つまりは、現シスターフッドの前身である彼女達のホーム。そう伝えられると、聊か見る目も変わるというもの。そんな事を考えていると、ヒナタの懐に仕舞っていた端末が振動し、着信を伝えた。

 彼女は端末を手に取ると、恐る恐る画面をタップする。また力を入れ過ぎて壊してしまう事を恐れているのだろう。それこそ赤子の頬をつつく様な優しさで以て表面に触れたヒナタは、その内容を確認しながら笑みを浮かべた。

 

「どうやらサクラコ様が到着された様です、ナギサさんの到着もそろそろだとか」

「分かった、それじゃあ一度戻ろう、二人を出迎えないと」

「はい、そうですね」

 

 先生の言葉に頷き、ヒナタは来た道を戻る為に踵を返す。先生もまた彼女の背を追って歩き出し――ふと、振り向き歩みを止めた。

 視線の先には、カタコンベへと通じると云う地下通路。その暗闇をじっと凝視する先生の表情は、険しい。

 

「……? 先生、どうかしましたか」

「――いや、何でもないよ」

 

 先生が足を止めた事に気付き、ヒナタは振り向きながら問いかける。先生は緩く首を振ると、へらりといつも通りの笑顔を浮かべヒナタの元へと駆け出した。

 

「行こう、皆が待っているから」

 

 ■

 

 ゲヘナ自治区――風紀委員会、執務室。

 

「――準備は出来た?」

「……はい、大丈夫です、あぁ、そう云えば万魔殿から古聖堂まで行く為の車両を貸し出して貰いました」

「車? どうして――」

「何でも今回、最新の飛行船を購入した様でして、『空を飛ぶ私達と綺麗に比較できるように、貴様らは地べたを這って来い』、とマコトさんが」

「……またそういう所に予算を」

 

 正装を着込み、普段よりも少しだけ硬い雰囲気を纏うヒナは、アコから伝えられた内容に溜息を吐き出す。貸し出された万魔殿の車両、どうせ外装や内装に金を掛けた代物だろう、実用性重視の風紀委員会のものとは異なる。

 そして当の本人たちは新型の飛行船を購入して意気揚々と出立済み、他に予算を使うべきところは幾らでもあるだろうに。考えれば考える程、頭が痛くなる事実だった。

 

「まぁ、今更か、これまでずっと調印式への出席をさせまいと邪魔しておいて、最後はこうして用意っていうのも変な話だけれど――兎に角、イオリとチナツも待機している、急ごう」

「………」

 

 考えていても仕方ない、足を貸してくれると云うのならばそれも良し。既にイオリとチナツは玄関口で待機しているのだろう。待たせるのも悪いと、ヒナは扉へと足を向ける。そんな彼女の背後で沈黙を守るアコ。彼女の足が動かない事に気付き、ヒナは溜息を零した。

 アコの浮かべる表情から――彼女の心の内が簡単に分かったから。

 

「はぁ、気に食わないのは分かるけれど……云ったでしょう、アコ」

 

 告げ、振り向く。

 俯き、暗い雰囲気を纏う彼女と対峙し、ヒナは淡々とした口調で云った。

 

「別に風紀委員会が解散する訳じゃない、これはただエデン条約機構(ETO)という足枷を万魔殿に嵌める為のもの、二度と逢えなくなる訳じゃないし、何かが大きく変化する訳でもない」

「はい、分かってはいるんです、風紀委員会は殆ど変わらないでしょう、そしてマコトには制約が付く、ですが、その時委員長は――」

「……とりあえず、今は式に向かうのが先」

 

 アコが憂いているのは風紀委員会の在り方、その未来ではない。

 その委員長という椅子に、彼女(ヒナ)が座っていないという未来。聡いからこそ、彼女が行ってきた様々な交渉、外交がどのような結果に繋がっているのかに気付いてしまう。

 その心内を理解しているからこそ、ヒナはそれ以上言葉を交わす事を選ばなかった。

 

「その話は、調印式が終わった後に、ゆっくりとね」

「……はい」

 

 ■

 

 トリニティ自治区――便利屋68、中央大通り。

 

「あははっ、凄い人だかりだね!」

「……流石に、これは進めそうにないね」

 

 目前に広がる人の群れ、その密度と熱気に思わずそんな言葉を漏らす。いつものバッグを担ぎながら楽しそうに周囲を見渡すムツキに反し、どこか辟易とした様子で呟くカヨコは気怠さを隠さない。元々、人の多い場所が得意ではない彼女はその熱気に顔を顰めていた。

 

「あ、アル様、わぷッ……!」

「ハルカ、ちょっと、大丈夫!?」

 

 その背後、人の波に揉まれながら流れる様に右往左往するアルとハルカ。ハルカは人の波に逆らう事も出来ず、皆とは違う方向へと蹈鞴を踏む。咄嗟にその腕をアルが掴むと、ハルカは体全体で縋り付くようにしてアルの腕を抱え込んだ。

 

「う、うぅ……す、すみません、ひ、人が余りにも多くて、流されそうになって……!」

「危ないわね……私の手を掴んでいて、これじゃはぐれちゃうわ」

「あ、ありがとうございます……!」

 

 アルの言葉に何度も頷きながら、ハルカはアルに密着する。蒼褪めた彼女の表情を見つめ、アルは今回の旅行が少々軽率である事を実感していた。エデン条約調印式というイベントの注目度を見誤っていたのだ。各学園の情報部や報道関係者が押し寄せ、そうでなくとも野次馬としてひと目でもその歴史的瞬間を捉えたいと思う生徒が大多数訪れている。古聖堂周辺の主要道路は交通規制が入り、大通りは人に埋め尽くされていた。

 

「どうしよう社長、この様子だと古聖堂の方は見れそうにない」

「う~ん、ムツキちゃんとしてもこの人混みを掻き分けていくのは嫌かなぁ」

「せ、折角ここまで来たのに……」

 

 大通りを埋め尽くす人の山を前に、便利屋の面々は足を止める。向こう側に見える大聖堂までは、まだまだ距離があった。普段ならば徒歩で数分程度の距離だろうが、このまま人の流れに沿って歩いたとして辿り着くのは何時間後か。

 

「はぁ……仕方ないわね、近くのレストランか、カフェにでも寄って行きましょう、折角トリニティまで来たんですもの、名物の紅茶でも飲んで行かないと勿体ないわ」

「ん、そうだね、それが一番かな」

「あっ、それならこのレビュー☆五の所行こうよ! ケーキが凄く美味しいんだってさ!」

「わ、私はアル様がよろしいのなら……」

 

 エデン条約調印式を見学するのは諦め、アルは即座にトリニティ観光へと舵を切る。旅行に来てストレスを溜め込んでは本末転倒、実際に目に出来ない事は惜しいが、それでもこの人垣を掻き分けて進むのは骨だ。便利屋の面々はアルの提案に賛同し、古聖堂から離れたカフェへと進路を変えた。

 

 ■

 

 トリニティ自治区――アビドス対策委員会、中央大通り外れ。

 

「人だかりが、向こうまで続いている……どうしよう」

「ここから先は、進めそうにありませんね」

 

 裏路地に身を潜めたシロコとノノミが、顔だけ表通りに向けながらそう呟く。戦闘用に装備を固めたアビドスの面々は、その悪目立ちする格好を避けるため裏通りから古聖堂へと進行するルートを選び、昨日から着々と距離を詰めていた。

 しかし、近付けば近づく程、人の数は多くなり、今では一人ひとり間を通り抜ける事すら困難に思える程の波が目前には広がっている。裏通りも厳しく封鎖されており、正義実現委員会と思わしき生徒が通路の前に立ち塞がっていた。

 

「今、上空からドローンで経路を割り出そうとしているのですが――」

「上手くいかないの?」

 

 タブレットと眼鏡のディスプレイに目を向けながら、アヤネは唸る。シロコがタブレットを覗き込めば、ノイズの走る画面が時折ちらりと映るだけの状態であった。それでも一応、飛行自体は出来ている様子だが、これでは情報を集めるどころではないだろう。

 

「どうやら妨害電波と警備用の自動タレットが配備されているみたいで、画面の識別も難しく、かと云って大きく動かす事も出来なくて……」

「ま、そりゃそうでしょ、トリニティとゲヘナの首脳部が一斉に揃うんだし」

 

 アヤネの言葉に、セリカはどこか納得の色を滲ませる。頭上を仰げば、平たい小型ドローンがゆったりと周囲を監視しているのが見えた。トリニティの用意した巡廻ドローンだ、危険人物の発見や物理的な攻撃を感知すると、甲高いアラートを撒き散らしながら上空に信号弾を発射する。掌に乗せられる程度にコンパクトで軽いというのに、デジタルとアナログなやり方双方を備えた優れもの。エデン条約調印式に備え、トリニティが開発した新型だと聞いていた。

 

「うへ……防備はバッチリって事か、下手に見つかって騒ぎは起こしたくないしなぁ」

「一番確実なのは、人が掃けてから行動する事ですが……」

 

 ホシノがそんな事を口走れば、アヤネは悩ましい表情で呟く。

 

「人が掃けるって、何時よ?」

「調印式が終わった時か、実際に襲撃が起こった時じゃないかなぁ……」

「それじゃ意味ないじゃん!」

「ん、そうなるとやっぱり潜入するしかない――」

 

 セリカの突っ込みに、シロコは淡々とした口調で云った。正面から堂々と行くのは難しい、武装した状態で古聖堂に近付くには正義実現委員会のフリをしたり、警備の身分があれば可能だろうが――。

 

「とは云っても、正義実現委員会とか風紀委員会の制服なんて持っていませんし」

「一般生徒が近付けない時点で、内部への侵入は無理な気がしますね」

「ギリギリまで近づいて、何かあったら一目散に突入するのが現実的かな……」

 

 裏路地や建物内を通って近付くルートは、時間を掛ければ見つかるかもしれない。しかし肝心の古聖堂敷地内に侵入する方法は不透明なまま。人の数は益々増し、アビドスの面々は身動きが取れなくなる。ホシノは自身の親指を軽く噛み、険しい表情のまま呟いた。

 

「歯痒いけれど、それしかないか……」

「分かった、なら――」

 

 シロコは近場の建物、その屋上を指差す。出入り口は皆の直ぐ傍にあり、運のよい事に屋上までの非常階段の扉は開錠されていた。屋内に身を潜めていれば、ドローンに見つかる事もないだろう。

 

「あそこで待機しよう、何かあったら多分、良く見える筈」

「……そうだね、そうしようか」

 

 頷き、行動を開始する対策委員会の面々。

 駆けながら、ホシノはちらりと端末を確認する。表示されるデジタル時計。

 調印式開始の時刻は――刻一刻と迫っていた。

 

 ■

 

『おっと、噂をすれば影! ゲヘナの万魔殿が、新型飛行船に乗ってやって来たようです!』

 

『ゲヘナ学園の議長、即ち生徒会長の羽沼マコトです! 流石と云いますか、物凄いカリスマです! 多分! あれがゲヘナ生徒会長としての威厳!』

 

『そしてトリニティ総合学園に於けるティーパーティーのホスト、桐藤ナギサも古聖堂に到着したようです! 両学園の主要人物が、次々と集まってきています!』

 

『そろそろゲヘナ風紀委員長も到着との事で、周囲の雰囲気は益々ヒートアップ! 皆さん、引き続きこの様子をご覧くださ――』

 

 ■

 

 端末の電源ボタンを押し込み、液晶の光を切る。

 あれ程騒がしく言葉を紡いでいたレポーターの声が無くなった途端、彼女の周囲は沈黙が支配した。

 端末から視線を上げると、自分を見つめる複数の瞳。

 アリウス・スクワッドのメンバー――ミサキ、ヒヨリ、姫。

 薄暗いカタコンベの廊下、地下特有の肌寒さと静謐に身を包まれながら彼女(サオリ)は問いかける。

 

「――準備は」

「問題なし」

「は、はい、終わりました! チェックも出来ていますし、色々と確認も……!」

「あの人形との接触はどうだ」

 

 その問い掛けに、姫は両手を素早く動かし答える。最初は戸惑った手話も、今は慣れたものだった。

 

「……なら問題はない、全ては整った」

 

 告げ、立ち上がる。

 壁に立て掛けていた愛銃を手に取ると、チャンバーと安全装置のロックを確かめ、弾倉の中身も検めた。これから始まるのは彼女達の悲願、全てが変わる歴史的な一戦。この為にアリウスはあらゆる犠牲を容認し、長い年月をかけて来た。

 小さく身震いしたヒヨリが自身を搔き抱き、呟きを漏らす。

 

「こ、これから辛い事になっていくんですね、みんな苦しむんですね……ですが、仕方ありません」

「そう、結局……それがこの世界の真実」

「――始めるぞ」

 

 二人の呟きを横に、サオリはカタコンベの廊下を歩き出す。靴底が硬い床を叩く音が木霊し、彼女の後を三人の仲間が追った。

 サオリは手に持った罅割れた端末、その画面を二度タップする。

 瞬間、カタコンベ内のライトが一斉に暗転し、真っ赤な非常灯へと切り替わった。

 周辺から一斉に機械音が鳴り響き、装着したインカムから微かなノイズが発せられる。端末には各アリウス分隊からの配置完了連絡――皆が自身の端末に目を落とし、最終確認を行う。

 

「――ミサイルは」

「既に射出済み、五分後にターゲット地点に着弾する予定」

「各チームの状態」

「つ、通路前で待機中、手筈通り私達の攻撃に合わせて作戦地域に突入するとの事です」

「……作戦に変更はない、古聖堂の崩壊と同時に突入、生き残りを殲滅する、ミサキとチームⅡはトリニティ、ヒヨリとチームⅢはゲヘナの主要戦力を叩け」

「了解」

「チームⅡの最優先目標はツルギ、チームⅢはヒナだ」

「は、はい、わかりました! ヒナさんですね……!」

「チームⅠ、チームⅣは――」

 

 サオリがそう云って視線を横に向ければ、隣り合った姫が手話で応答する。

 

「……そうだ、通路に沿って地下へ、知っての通り一番重要な任務となる」

「………」

「分かっている、気分は悪いだろうが、もう少し我慢してくれ」

 

 サオリの言葉に、姫は静かに頷いて見せた。

 カタコンベにアラートが鳴り響く、頭上を回転する赤い非常灯。廊下の突き当りには、巨大な隔壁が徐々にその内側を晒し始めていた。向こう側に見えるのは、突入ポイントE-08――古聖堂直下、カタコンベへの道。

 

「えっと、サオリさんは……」

「私は他にやるべき事がある、それが終わり次第チームⅤに合流する――残りのチームは野次馬共と、万が一抵抗する他学園の者が居たら対処しろ、戒律を更新次第、チームⅡ、Ⅲは其処に合流、一帯を制圧する」

 

 告げ、サオリは外套のポケットに入れていたマスクを取り出し、それを被る。この半面(マスク)に覆われていると、酷く落ち着いた心地になれた。隔壁が開き、アリウス自治区とトリニティ自治区の境界線が現れる。この隔壁の向こう側へと踏み出せば――もう戻る事は出来ない。

 

 いや、今更だ。

 戻る事などもう、疾うの昔に出来はしない。

 そう――アリウスに生まれたその時から、こうなる事は決まっていたのだ。

 

 ふと、視線を横に逸らせば、薄暗い廊下の端で膝を抱える幼い頃の自分が見えた気がした。細く、小さな体は弱さの証明で、非常灯の赤に照らされた顔は酷く無機質に見えた。その小さく朧げな自分はじっと、地面に座り込んだまま今の(サオリ)を見つめている。硝子玉の様な瞳が、ただ一点、自分だけを。

 その瞳に映るのは非難だろうか? それとも――。

 

 その答えを知る前に、サオリは帽子のつばを摘まみ視界を遮った。

 幼い頃夢見た未来は遥か遠く、けれど世界はそんなものだと彼女は知った。

 夢を見る事も、将来を望む事も、未来を語る事も――意味などない。

 だって。

 

 ――全ては虚しいのだから。

 

「……アリウス・スクワッド、出撃するぞ」

 

 宣言し、前へと踏み出す。

 分厚い靴底か鉄を擦り合わせる音を搔き鳴らし――サオリ達、アリウス・スクワッドはトリニティ自治区へと侵攻を開始した。風が彼女達の外套を揺らし、その瞳が敵意に染まる。

 そう在れと教えられたから。

 それ(憎悪)以外を、教えられなかったから。

 だから彼女達は、この道を進む。

 

 全ては喪った過去に、報いる為に。(憎悪の連鎖を、絶やさぬ為に)

 

 ■

 

 ――【vanitas vanitatum, et omnia vanitas】

《コヘレトは云う、なんという虚しさ、なんという虚しさ、すべては虚しい》

 

 ■

 

「――警備の配置は」

「――宣誓時の音響を」

「――の準備を、正義実現委員会に」

 

 トリニティ自治区、古聖堂広場。

 見物人が詰め寄り、ゲヘナとトリニティの生徒達が互いに整列したその場所で、先生はひとり空を見上げていた。周囲に響く生徒達の喧騒、忙しなく駆け回るスタッフを他所に、旗を掲げる旗手の表情は涼し気だ。

 ナギサ、ヒナが古聖堂に到着し、ゲヘナ万魔殿議長、マコトも近く到着すると報告されている。それぞれの組織を束ねる彼女達は挨拶もそこそこに、早速方々への指示出しと調印式の最終確認を行っていた。時刻を確認すれば、既に三時を回っている。

 調印式が開始される時刻は、直ぐそこまで迫っていた。

 それに合わせ、見物人も続々とその数を増やし、熱気が周囲を包み込んでいる様。先生はそんな周囲の状況を見つめながら、そっと拳を握り締める。

 

「………」

 

 ――嫌な、気配だ。

 そう云い表す事しか出来ない、肌を刺すような悪寒。そしてそれが、気のせいでも何でもない事を先生は知っている。人が増えれば増える程、空が青ければ青い程、その不安は徐々に心を蝕んでいく。走り回って随分経つというのに、背中にはじっとりとした汗が流れていた。

 

「……アロナ」

『――今の所、探知網に反応はありません』

「そうか」

 

 胸に搔き抱いたシッテムの箱、彼女の名前を呼べば、やや強張った声が返って来る。風が吹き、並んだ旗が一斉に靡いた。夏の日差しが先生の肌を焼く。頭上を見上げると、強い陽光が一瞬、雲の向こう側へと消えた。先生の顔が陰に覆われる。

 

『古聖堂を中心とした半径五十キロメートルは、完全防衛圏としてアロナが迎撃設備の制御を担当しています――大丈夫です、ミサイルの一発程度、アロナが絶対に止めて見せますから……!』

「あぁ、頼むよ」

 

 画面に張り付いたアロナは、その表情を険しくさせながらも拳を握り締め、鼻息荒くそう断言して見せる。

 ――巡航ミサイルの射程距離は、最大で二千五百㎞にも及ぶと云う。キヴォトスの領土は広大であり、どの地点から射出されるかを探るのは大変に骨である。故に、先生は事前に弾頭を発見する事は不可能と判断し、発射自体を阻止する事は諦め、発射された巡航ミサイルを着弾前に迎撃する方法を選んだ。

 

 正義実現委員会やゲヘナ風紀委員、更にはトリニティとゲヘナにも内密で会場周辺へと設置した各迎撃設備。古聖堂周辺を取り囲むようにして用意されたそれは、アロナが制御し操作する無人機。正攻法で持ち込む方法も考えたが、彼女達にも面子というものが存在する。飛翔体の迎撃設備自体は、彼女達も持ち合わせているのだ。ましてや此処はトリニティの空――トリニティ中央区に自前の迎撃兵器を持ち込む等、「彼女達を信頼していない」と公言しているも同義。故に、配備出来た数はそれほど多くはない、それでもミサイル一発程度ならば十分阻止出来る防衛網であると云えたが。

 それでも尚、こびり付いた不安は拭えなかった。

 

「各ユニットの状態はどうだい?」

『配備された各SAM(地対空ミサイル)ユニットは正常に稼働中、虎の子の超電磁砲もスタンバイモードで各部異常なし……指示があれば、いつでも発射出来ます!』

 

 この質問は何度目か。この会場に到着した時から、先生は何度もこの質問を繰り返していた。クラフトチェンバーとミレニアムのマイスター達、更にはヴェリタスの力を借りて、秘密裏に導入した虎の子の超電磁砲(レールガン)。彼女達には説明をぼかし、万が一の保険と口にしていたが、その表情は不安と疑念に塗れていた。それはそうだろう、今の今まで護身程度の装備開発を依頼していた自身が、超電磁砲等と云うものを要望すればそうなるに決まっている。

 それでも、それを押して尚、先生は万が一の切り札を欲していたのだ。

 

「………」

 

 無意識の内に、先生は自身の脇腹を摩っていた。嘗てそこに受けた傷が、嫌に痛むのだ。保護膜で覆い隠して尚、薄らと浮かぶその傷はまるでその時を待ち侘びている様にも思える。

 無論、感傷に過ぎない。ただ、この暑さと陽射しに記憶が刺激されているだけだ。額に滲んだ汗を指先で拭い、先生は歯を食い縛る。

 生徒達の喧騒、吹きすさぶ生温い風、それに煽られ靡く旗、じりじりと肌を焼く陽光、空を覆う青色。

 

 そうだ、嘗ての私もこんな、今にも落ちて来そうな青空の下で――。

 

『ッ――先生!』

「っ!」

 

 胸に抱いていたシッテムの箱から、アロナの声が響いた。

 ぐん、と血の気が引く感覚。先程まで広がっていた空が急激に狭まり、身体が圧し潰されそうになる錯覚。緊張であり動揺だった、心臓が早鐘を打ち血が凍る様。

 タブレットを掴み、先生は声を荒げる。

 

「――来たか!? 発射位置はッ!?」

『え、えっと、場所は……!』

 

 青の教室で忙しなく指を動かすアロナは、画面にトリニティ自治区の全体マップを表示させる。上から見下ろすような2Dマップ、先生の居る地点を中心として、どんどん範囲を広めていく。

 

 古聖堂周辺――違う。

 カタコンベ外郭――違う。

 トリニティ中央区――違う。

 トリニティ外郭地区――違う。

 ならば、ゲヘナ自治区――違う!

 

『こ、これは――』

 

 範囲が広がれば広がる程、アロナの表情には困惑と焦燥が滲み出す。飛翔体は、現在進行形でこの古聖堂目掛けて飛行している。しかし、その射出地点を割り出した時、その出現ポイントは――海洋であった。

 しかし、ミサイルを射出可能な船舶や設備など見当たらない。もしやと思い、アロナが2Dマップを3Dへと切り替え、その射出ポイントを三次元的に割り出した時。

 彼女は漸くソレが何処から発射されたのかを理解した。

 

『これは……宇宙(そら)?』

 

 ■

 

「アズサちゃん、このケーキ美味しいですよ! 一口どうですか?」

「むっ、そうなのか……? なら、少しだけ」

「わ、私にも少し分けてよ! こっちのあげるから!」

「ふふっ、ならコハルちゃんには私の――」

 

 卒業パーティー真っ最中の補習授業部。彼女達がカフェで他愛もない雑談に花を咲かせ、甘味に舌鼓を打っている最中。

 ふと、ヒフミの視界に、きらりと光る何かが映ったような気がした。

 窓際の席に掛けていた彼女は、視界の端に映ったソレに気付き、窓越しに空を仰ぐ。

 

「え?」

「ん? どうしたの、ヒフミ?」

「いえ、その……――今、何か」

 

 コハルの問い掛けに答えながら、ヒフミは窓に顔を近付ける。

 見上げる蒼穹、その遥か向こうに見える白い尾を引く光。それに気付いた彼女は、目を瞬かせながら指先でそれを指し示す。ヒフミの指し示す光を補習授業部全員が目視し、青の中を流れるそれを見つめながら彼女(ヒフミ)は呟いた。

 

「――流れ星?」

 


 

 プレナパテスがシロコの前に現れた時も、こんな風に流れ星の様に見えたのでしょうか。それともゲマトリア襲撃の時と同じように、一瞬で現れたのか。

 どれ程恐ろしいものであっても、地上から見上げればきっと美しいものに見えるのでしょうね。ミサイルでも、絶望でも、全裸でも。

 あと一話。

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