実に三十分後のことだった。
綾陽が風呂に向かってから、掛かった時間だ。
いくら私でもこんなに時間はかからないはずなのだが…。多分のことだけれども…。
明日乃は座っていた席から立ち上がり、フローリングを落ち着くそぶりをせずに歩きまわる。
顎に手を添えて明日乃は考える。大したことを考えているわけではないのだ。
綾陽が風呂がから出てきたらどうしてやろうか?とか、まあ自分がとても時間を持て余している身なので、くだらないことしか思いつかない。
逆に難しいことを考えてみるのはどうだろうか?――そうだな、もし明日いや今日、一つの事件がIS学園内で起こるとか?……いやいや、あり得ない。そんなこと、ね?
明日乃は誰もいない個室でクスッと笑った。頃合いか浴室の方から、ガチャっと扉を開く音が聞こえた。その音は大胆というより少し大人しめという音で実に綾陽の性格が扉にも影響をもたらすのかと明日乃は口元に手を当て、隠すように笑った。
ほえっと、綾陽は不思議そうな眼をこちらに向けたのが命取りのようなもので、その直後に足を滑らせた。
明日乃の眼ではアニメか何かを見ているのか綾陽が止まっているように見えていた。
すかさずに体が動いたのは運動神経と反射神経が良かったからではない。
明日乃にとって綾陽はかけがえのない妹であったからだ。
ただそれだけで体が動いた。でも一足先に綾陽の頭は段差についていた。
ゴンととても鈍い音が聞こえた瞬間、明日乃の中の時計が再び動き出した。
悶(もだ)え苦しむ妹は頭に手を当て、フローリングをのた打ち回る。明日乃はそんな綾陽に近づくことができなかった。
あたふたとすることしかできずにいると急に妹が静かになった。
明日乃の中ではドクンっと、心臓が高く跳ねた。まさか――!
動き疲れたのか。だったら、それでいい。それだけで済んでほしい。明日乃は体の奥底から何かが這い寄ってくる。
すかさず、横になった綾陽のもとに、体をくっつけるように明日乃は近寄った。
耳を近付け、息の音を聴く。
すぅと、安らかな寝息が聴こえると明日乃はその場でへばった。血の気が引く感じが分かる。
でもその直後、意識がなくなっていた綾陽は急に起き上がり、大丈夫だよと一言述べて浴室の方にまた入って行った。
あっと、自然に手を差し伸べていたが虚空を掴み取るだけ。
膝をつき、手を突き出した。掴んではくれなかったか…。
一息つき、屈伸運動の用量で立ち上がり、再び席に座り綾陽が浴室から出てくるのを待つ。
痛かっただろうな。そう便乗するしかできなった。
綾陽が浴室に籠ってから、それから十分が経つ。
明日乃の視線はぶれることはなく浴室を直視していた。
何とも思わずただ見ていた。別に用事とかそういうのじゃない。どこに視線を送っても気になってしょうがなかった。
頭のこととか、頭のこととか…。
いかんせん今は妹のことしか考えられないとは。渇いた笑いが部屋中に響く。
明日乃は額に手をついた。ついで、天井を仰いだ。眼が行き場を定めず、泳がすのみ。
天井は白い。もしこれが黒かったら眼が安定しない、逆にフローリングを黒にするのであれば安定するということを思い出したら少しだけ落ち着いた気がした。
今度は落ち着いて接せそうだ。
明日乃はほほ笑む。
タイミングがいいのか、それとも逢いまったかは置いといて浴室のドアが開く、今度は勢いよく開いた。まるで別人のようだ。で、思い出した。
綾陽の中にはもう一人綾陽がいる。
それは突然出てきて、突然消える。言うなら神出鬼没。それほかに言葉を贈ることはない。
条件としては空腹、極度のストレス、勝負ことの三つ。
勝負ことは単純に負けず嫌いなだけだと思う。それと極度のストレスはあいつ事態が引っ込み事案であり、素直に物事を言えない。貯めこんでしまい挙句に言葉ひとつひとつを真に受ける馬鹿正直。
これがもう一人を産んじまうなら無理もない。私もそこまでは気を使えるほどで出来た人間じゃない。
空腹といえば藤崎はもともと空腹一族といわれるほど。ご飯を平是(たいらげ)ることが好きというか食事をこよなく愛している一族、……といえば皆は納得してくれるだろうか?
私も父も母も綾陽もとにかく食べるのだ。あまつさえ消化も早い。小一時間で腹が減るのが綾陽の持つアビリティーであり、事故を引き起こす悪条件でもある。どんな消化器官だよって、自分もなんだけど…はい。
私はそこまでではないはずなのだが、どこに問題があったのか。それを考慮したらいくら時間があっても足りないのかもしれない。
「ん~っ!!!」
明日乃は軽くその場で伸びる。
今日はよく考える日だなと、明日乃はうんざりとした。
眼に溜まった涙を指で拭う。
「姉御、行こうぜっ!?」
「お前の名前は日景(ひかげ)で決まりだなっ」
「なんだよっ!それっ!」
「お前の名前だよっ」
綾陽の体を借りる日景はぷんぷんと怒り肩を上げながら、文句を言っている。
それでもかわいい妹には変わりない。
そんな妹の頭をポンポンと叩く、最初は文句を吐き続けるが、次第に静かになる。借りてきた猫みたいだな、と明日乃は微笑した。
「ほれっ、食堂案内してくれるんだろ?」
「…ったく、わがままな姉だぜっ」
そう言っているわりには嬉しそうに見えるのはなぜだろうか。
「おいおい、どこいくんだよっ?」
「はぁ!?食堂に決まってんだろうが!ってか、まず姉御がそこ行きたいって、言ってたじゃないか!?」
「わかった。私が済まなかった。どうぞ案内してくれ」
明日乃は手のひらを見せて、どうぞどうぞと相槌を打った。
再び文句を口にしながら、まっすぐと続く道を嬉しそうに突き進んでいた。
まるで、
「ツンデレだな、これは…」
明日乃は肩を少し竦(すく)め、長い長い廊下を歩くのだった。
「そろそろだよ!お姉ちゃんっ♪」
綾陽が身支度を終えて、部屋を出て寮から食堂まで向かう途中、綾陽がテンションアゲアゲで私の先頭を何の迷いももたず、進む姿は勇ましいが、残念なことに彼女は方向音痴なのだ。しかもいつの間にか綾陽に戻っているし…。
だから、100%信じきってついていくことはできないが精々80%な気持ちで見守ることにする。感覚としては暖かい眼差しといったところか。
別にイヤらしい目付きはしていない。断じて…!
「あんま、焦んなくていいぞォ~~~!」
あんまりにも綾陽が前に進みすぎてしまい、一瞬見失いかけたので制止の呼び掛けをする。
「はぁあ~~~い!」
元気はいいのは分かったが、ほどほどにしておけと小さく呟いた。
珍しい光景でついこちらもはしゃぎたいところだが、まだ未知の空間で、右も左も分からないのだ。逆にあの娘(こ)が羨ましいと明日乃は何気なく思った。
考え過ぎかと明日乃は気休めに窓ガラス越しからの空を見やった。
(今日も天気がいいなぁ………!)
窓ガラス越しからの木漏れ日の緑が目に焼き付く。緑もいいのだが、桜が未だに見当たらない。桜色を見たい気分なのだが………。
「思っていた以上に、人がいるな~~~!」
明日乃はすっとんきょんとした調子で、言葉を紡いだ。
「だね~~!」
継ぐように綾陽も返事をする。
私は行列に目がついたので、便乗して並ぶことにした。そこで問う。
「ここでいいんだよな?」
「うん。はい!お姉ちゃん!お盆!」
私より前に並んだ綾陽が突然振り替える。
「おっ!さんきゅ」
そう言われ、素直に両手で盆を受け取る。昨日と同じやつを。
(昨日のやつはちゃんと返したのかな?)
また、訊くのも少し申し訳なかった。まあ、返してくれたと考え、その波を鎮める。
(それにしても、今日も嫌気が刺すほど、真っ白だなぁ……)
明日乃は偶然通りかかった一人の女子に視線を移し、同時に周りを見渡すと、白装束の女子たちの視線が一点集中するかのように明日乃を見ていた。
じーーーーーーーーーーーーーーー。
それを今気づき、明日乃は身を少しすくめた。
食堂の女子の視線を釘付けにしているのだ。―――何か悪さをしたかな?……はっ!ズボンが破けてるとか!?
明日乃は手を適当に下半身のパーツに当てチェックをする。りゅうねんに。特におしり辺りに。
すかさず、視線が下半身に行き、結局は目で確かめた。だが、穴らしき物すら分からず、食堂のおばさんに声をかけられたことにより、この視線から、話から抜け出すことができたのでよかった。
「くはぁ~~~!うまかったぁ~!」
「よかったね。お姉ちゃん!」
食後のお茶を飲み干したところで、明日乃が満足気に一息ついた。
学食って、こんなに美味しいんだな。お袋の味って言うか。なんか懐かしい味がした。
明日乃は席を立とうと思い、周りを見渡したら、さらに視線はヒートアップをむかえようとしていた。
じーーーーーーーーーーーーーーーっ!
はい?
慌ててまた体を見渡すが、さっきやったじゃんと顔には出さずに心中にボヤく。
そんなに珍しいかね。人が制服着てないことが……。
フンと、勢いよく鼻を鳴らし盆と体を返却口へ向かい、そのまま外へ流れるように出ていった。
「あっ、いっけねー!!」
何回かの廊下をお怒りモードか何かを思わせる形相で急に冷静になったのか周りに何か足りないと思い、振り向いたら綾陽の姿が見えず、声量関係なく大声を出してしまった。
あたふたする明日乃はしばらく冷静ではいられなくなり、廊下を適当に駆る。が、道など分からない明日乃は暴走列車のごとく動きまくった。
結局、散々走りまくったあげく、部屋に戻りベッドに仰向けに転がったところに綾陽が部屋にタイミングよく戻ってきた。
綾陽の額には光る何かがあり、綾陽も頑張って探してくれたのだなと、明日乃はちょっぴり嬉しくなった。
綾陽も明日乃と同じようにベッドに腰を下ろした。
同時に明日乃はベッドから降り、タオルの入っているバッグのところに足を運ぶ。バッグから適当にあさり、取りだして綾陽に手渡しの形で差し出した。
ありがとうと一言口にして、手に取り額の光る何かを拭う。明日乃は次いでに冷蔵庫に向かい、水の入ったペットボトルを2つ取りだし、一本を手渡しで綾陽に渡す。
カラッカラッに渇いた口内砂漠にオアシスの水を流し、ごきゅごきゅと咽をならしながら口内を潤す。
つい一発で約半分以上飲み干してしまった。
二人間で沈黙が長く続いたから、喧嘩をしているのではなく、互いに咽が渇いていたのだと。
「くぅ~~~………い、生き返った!」
「だね~~~!」
涙の玉を目に浮かせながら、明日乃は歓喜の声を上げる。声のトーンからして本当に喜んでいると綾陽は気付き、笑みを浮かべながら返事を返す。
ほんの束の間。
だけど、綾陽には長く感じられた。でも、この時間は一瞬で、あっという間だけど、なにより幸せで。
一度、目を開き姉が再びベッドに腰を下ろし、くつろいでる姿を綾陽は一瞥し、笑った。
「ん?……どした?」
「ううん。何でもないよ……!」
「………そう。あっ、今日の予定は?」
明日乃は小首を傾げ、なにも知らないという目をして綾陽に問う。綾陽はなんの戸惑うような素振りをせず、ベッドから腰を上げテーブルに歩む。
テーブル向かいながら綾陽はこれが一日の始まりと密かに思った。
日課というかなんというか姉の記憶の悪さとはまた違うが、頼られるのも悪いものではなかった。
プリントを取り、日付をちゃんと確認しスケジュールを読み上げていく。
まるで、姉のマネージャーじゃないかと綾陽の脳内では言葉のワードにマネージャーという言葉が急上昇していた。
「じゃあ、言うよ。今日はまず八時四十五分までに教室に行くこと。で、ロングホームルームをやって、その後は第三アリーナにてISの基礎知識と操縦をやるらしいから、教室に行く際は着替えを持っていくこと!えーと………。まあ、こんなとこかな?質問とかは?」
「んにゃあ……!無いね!」
「じゃあ準備して……!」
はいよ~~!と軽快な口調でスポーツバッグをあさり、準備を進める明日乃の背中を見ながら綾陽は安堵をつき、準備を進めた。既に準備を済ませていた綾陽は再度確認の意味をかけ、荷物に触れた。
鼻唄を唄う姉はご機嫌で、姉というより妹のように綾陽には見えていた。
あれからどれだけ経っただろうか?
綾陽はちらと、壁に飾ってある円形の褐色のオーソドックスな時計を見やる。
ホームルームが始まるまで、三十分もまだある。
先に行って、友人を作るのもありだ。それともギリギリまで待つか。それこそ焦り、道に迷い、と考えると………どうしたものか。
一様聞いてみよう。
「お姉ちゃん……?」
「……ん?」
「教室いつ行く?まだ、三十分くらいあるけど………」
綾陽は言葉を濁し、然り気無く訊くことにした。姉の意見も取り入れてからでも遅くないと綾陽は冷静に判断し、導きだしたからだ。
少々、沈黙があったが返事はちゃんと返ってきた。
「………行くか?」
「いいの?」
「ああ。ここに居続けるのもなんかねぇ」
ベッドから腰を上げ、柔軟体操で体をほぐし、着替えの入ったバッグを手に取った明日乃はノブに手をかけそう言葉を紡いだ。
うんと頷いた綾陽もバッグを担(かつ)ぎ、明日乃の後ろをついていく。
ガタンと軽くドアが音を出し閉まり、二人は廊下を歩いていく。
少しの不安と好奇心を持って。
やはり、昨日と光景は変わらないやと明日乃は席に着いたとき自覚した。
朝といいなんといいこの視線をどうにかしてくれ。ストレスで胃に穴が空いちまいそうだ。
腹を押さえ、苦悶(くもん)の表情をする。
目を泳がせたところで、私、私、私か………。人気者は疲れるよ。違う意味で。
明日乃は腹を押さえたまま、勢いで机に伏せた。
(このまま寝ちゃえ……!)
言葉が効いたのか瞼(まぶた)が重くなりつつ、次いでに意識もおぼろ気でどうでもよくなってくる。全てが。全てが諦めちゃえモードに転換されていく。異常なし。
意識が飛ぶことすら分からず、ただ瞼を閉じただけなのに眠ってしまったらしい。
でも、いつ寝たかまでは分からないけど、この痛みは………、
――――ズドッ!
グフィ――――!………バタッ!―――キャヤアーーー!!!
一連ではとても分かりにくいが、私には第一波にそう感じられた。身体中に電撃が走って、画面が真っ暗になって………。気づいたら、立ってて、女子の悲鳴が教室中につんざくように響き、後ろに鬼と子分が………。
………そうか!まず、整理をしよう。
私は無意識に寝ていた。で、その後に衝撃のところと鬼と子分のところを合わせることができる。
衝撃は織斑先生の手元を想像すれば分かるが生憎と手元は見ていなかった。でも分かる。ただの出席簿だ。ただの出席簿のハズなのに鈍い音がして、でも出席簿は無傷で、私は重傷で。―――てか、強度が可笑しいって……!
頭部に物凄い衝撃が走って、脳に信号を送るのが遅くなったのがわかる。なんせ、気がついたらその場に立っていたのだから。
その後、追い付くように思考が、慌てた私に指示を送り、私は周りを見渡した。
叩いた犯人を確認するために。
目を細め、ナイフのような鋭い視線を教室中の女子達に向けた。悲鳴のような声が聞こえたが気にしない。
明日乃の視線は教室中には私以外に皆が制服を身に纏っているなか二色の、いや多色の服を纏っている人たちで視線は止めかつ、その時犯人も同時に分かった。
一人は織斑先生。因みに目があったが慌てて眼を逸らした。
それともう一人、頑張って大人を演出している山田先生?が、状況を把握しているのかいないのかは置いといてとにかくあたふたして見苦しいというかうっとおしい。
「いつまで寝ぼけている?馬鹿者がっ!!」
いや、貴女の一撃でかなりクリーンであります!なんて口が裂けてもいえたもんじゃないというか言えない。また、叩かれるのも嫌だし。
ぼそぼそと呟いたのが織斑先生の耳に届いたのかパンっと、軽快かつ重い一撃が明日乃の頭上に再び振り落とされる。
ぐげぇ――!
一体これで何万ものの脳細胞が死亡したのだろう。葬儀屋は大賑わいだな、こりゃあ。
「ほれっ!席つけ!ホームルームを始めるぞ!」
パンと、教卓に出席簿を叩きつける。すると、教室中は黄色い声で包まれた。
一向に静かにならない教室に呆れ返る織斑先生は、はあと溜め息をついた。その表情を見て明日乃は大変なんだなと、同乗しそうになった。表意的にだが。