遡ること数十年前、この世界に突如として現れ、人類から制海権の九割を奪った謎の勢力――セイレーン。
一時は絶体絶命の窮地に追い込まれた人類だったが、四大国家によって結成された軍事連合・アズールレーンと、動力学的人工海上作戦機構・自律行動型伝承接続端子(Kinetic Artifactual Navy Self-regulative En-lore Node)――KAN-SEN達の力によって多くの海域を奪還、戦いは小康状態となっていた。
現在、人類・セイレーン間では突発的な遭遇戦や小競り合いが起きるのみである。
これは、四大国家のひとつ・重桜のとある島。
数多のKAN-SEN達と彼女たちを率いる指揮官が所属する、ひとつの母港で起こった物語。
◆
チュンチュン
早朝の母港、指揮官の寝室。
キングサイズの天蓋付きベッドが存在感を放っている。
鳥の声で目を覚ました指揮官は、腕の中で同じく目を開けた大鳳に声をかけた。
「おはよう、大鳳」
「おはようございます、指揮官様♡」
そして二人を包み込む翼をバサリ、と広げる。
古来よりヤオヨロズノカミと共存してきた重桜人の特徴――ケモノ憑き。
その力を存分に生かして、大鳳を二重に抱きしめて眠るのが指揮官のお気に入りだった。
◆
ケモノ憑きは重桜人なら珍しくはないが、それが幻獣のものとなると話は変わってくる。
世にも稀な幻獣のケモノ憑きは、生まれつき絶大な能力と権威を持つのだ。
指揮官はそのうちの一人、鳳凰のケモノ憑きだった。
そんな彼が大鳳と結ばれたことは、まさしく天の采配というほかないだろう。
奇跡の力を持って生まれた指揮官が、その力で今何をしているかと言えば――
ボウッ
ヒゲを燃やしていた。
いや、正確にはヒゲだけでなく、余分な眉毛や産毛、さらに寝汗などの汚れまで全部燃やしていた。
それが終われば、次は全身の表面を丹念に焼き尽くしていく。
いつの間にか髪型まで整っているので、彼の朝支度はいつもあっという間である。
「し、指揮官様。やっぱり大鳳は普通に朝支度を――」
「はい、じっとしててね」
自分の朝支度が終われば、抗議の声などどこ吹く風、次は大鳳の番である。
大鳳にとってみれば、全身をくまなく洗われてしまうのと同じ事。
当然、恥ずかしくてたまらないのだが――同時に、指揮官の炎の暖かさは病みつきになる。
彼女の心境は複雑だった。
「ううっ、全身キレイにされてしまいました」
「大鳳はいつでも綺麗だよ」
「そういう話じゃありませんわ」
赤面する大鳳は消え入りそうな声で反論するが、指揮官はニコニコするばかりだ。
彼女が本当にイヤがっているわけではないことは分かっている。
一方、毎朝顔から火が出るような思いを――実際は全身に浴びているのだが――している大鳳。
にもかかわらず、一向に慣れる様子はないらしい。
生来の繊細さゆえか、あるいは新婚だからだろうか?
◆
大鳳は服を着て台所に移動すると、朝食の準備を始めた。
指揮官は既にテーブルに着いて、カウンター越しに大鳳の顔を眺めている。
元々世話好きの大鳳が、こればっかりは一人でやらせて欲しいと言うので指揮官が折れた形だった。
「指揮官様~、大鳳の愛妻朝食、完成ですわ~♡
どうぞ、召し上がれ♡」
「ありがとう、大鳳。いただきます」
「はい、いただきます♡」
今日の献立はご飯、納豆、卵、煮物、味噌汁。
一見すると普通の和朝食だが、一つだけ普段と違う点がある。
「今日のお味噌汁は伊勢海老ですわ♡」
「夕べの海老の頭か。これは良いね」
前日の夕食だった伊勢海老の頭と殻で、濃厚な出汁を取った味噌汁の存在だ。
「指揮官様はこれがお好きですものね。お代わりもいっぱいありますわ♡」
「この母港に来てから一度も飲んでなかったのに。本当に何でも知ってるね」
大鳳の動きがピタリ、と止まった。
指揮官の好みについては出会ったばかりの頃、徹底的に調査して得た情報だった。
だが今の彼女はかつてと違い、プライバシーを無視したストーキング行為が不味かった事くらいは理解している。
「大鳳は指揮官様のことなら、ぜーんぶ知りたくて。ご迷惑でしたか?」
「まさか。嬉しいよ、大鳳。これからも俺のことだったら何でも調べて良いからね」
「し、指揮官様!?」
改めてストーキング許可を出されて慌てる大鳳。
かつての大鳳はさながらブレーキの壊れた暴走特急だったが、指揮官はそんな一面も受け入れて愛している。
恥ずかしくなった大鳳は顔を上げられなくなってしまった。
指揮官は大鳳のつむじを愉しそうに眺めながら、食事を続けた。
「ごちそうさまでした。おいしかったよ」
「お粗末様でした。嬉しいですわ、指揮官様♡
指揮官様に褒めていただくことが、大鳳の何よりの喜びですもの♡」
食事を終えた指揮官は食器を流しに運ぶと、またしても鳳凰の炎を放った。
――皿を洗うためである。
「後片づけも大鳳におまかせいただきたいのに」
「まあ、良いじゃないか。これなら一瞬なんだから」
そんなやり取りをしている間に、もう全ての食器がキレイになっていた。
大鳳が手を出す間もなく、指揮官が一つ残らず棚に戻す。
今となっては、毎朝の事だった。
◆
出発の用意を済ませた指揮官が部屋の鍵をかけると、大鳳が目に見えてそわそわし始めた。
「指揮官様、大鳳は自分で歩けますから――」
「知ってる、よっ」
「ひゃっ! ううっ」
大鳳の短い悲鳴が上がる。
鍵を仕舞った指揮官が、大鳳をお姫様抱っこしたのだ。
彼はそのまま背中の翼を広げると、宙に飛び上がった。
「こっちのほうが早いでしょ?」
「ま、まだ時間もありますし、何もそんなに急がなくても良いじゃありませんか。
もちろん、大鳳は指揮官様のものですし、指揮官様に触れていただくことは嬉しいですけど。
これで移動するのは流石に恥ずかしいですわ」
「確かに、急いでるわけじゃないんだけどさ」
指揮官は大鳳と腕を組んだり、腰を抱いたりしながら歩くのが好きだ。
そして同じくらい、大鳳をお姫様抱っこするのも好きなのだ。
「好きだから、したいんだよ。ダメか?」
「その訊き方はズルいですわ」
至近距離で指揮官に見つめられた大鳳は、赤面して視線をそらす。
そして指揮官の胸元に人差し指を突き立てると、そのまま「の」の字を書き始めた。
◆
指揮官の執務室は広い。
緊急時に備えて、艤装を展開した状態のKAN-SENが一艦隊、指揮官デスクの前に整列できるよう作られているのだ。
床面積は驚異の二百三十帖、二十五メートルプールとほぼ同等である。
勿論、出入りのために執務室前の廊下含め全て吹き抜けであり、扉は五メートル四方の引き分け戸になっている。
「よっ、と」
ガラガラッ
だが、その巨大な扉を指揮官は翼の力だけで器用に開いていく。
大鳳をお姫様抱っこしたままだからだ。
「あの、指揮官様。やっぱり一度降ろしていただいても」
「ダメ。部屋に入ったらちゃんと降ろすから」
結婚以来毎朝のようにしているやり取りなのだが、大鳳はいまだに慣れないらしい。
今朝もここへ来る途中で幾人かのKAN-SENに見られ、一部には凄い目をされた。
指揮官も気づいていない筈はないのだが、彼にとっては大鳳との触れ合いが全てに優先するのだ。
彼は広すぎる執務室の手前にポツン、と鎮座しているデスクの後ろに回り込んだ。
このデスクは非常時には部屋の奥へスライドする仕組みである。
指揮官は翼を使って器用に右側の椅子を回転させ、そっと優しく大鳳を座らせる。
「毎朝ここまでしていただいて、大鳳はダメになってしまいそうですわ」
「俺はとっくに大鳳にダメにされちゃったから。お相子だね」
「指揮官様、それでも不安なのです。
大鳳はもっともっと指揮官様のお役に立ちたくて。
指揮官様の手をわずらわせる事のないよう、全部大鳳におまかせいただきたいのですわ」
「大鳳、そこまでしなくて良いんだよ。
一緒にいてくれればそれでさ」
不安そうな大鳳に笑いかけると、指揮官自身は左側の椅子に座り、デスクのパソコンを立ち上げる。
書類などは全てデータ化して整理されているので、確認にも承認にもさして労力はかからない。
秘書艦の大鳳と二人がかりで、流れるように執務を終えていく。
すると、時計を確認した大鳳が何かに気づいた。
「もう委託組が返ってくる時間ですわね。大鳳が出迎えに行ってきますから――」
「一緒に行く」
「指揮官様はこのまま執務を――」
「一緒に行く」
「でも――」
「一緒に行く」
指揮官は椅子のひじ掛けから身を乗り出すと、大鳳の目をのぞき込んで繰り返した。
「一緒に行く」
ガラガラッ
「残念、もう帰ってきたよ!」
「また言い争ってたんですか~? 大鳳ちゃんももう諦めたら良いのに♪」
扉を開けて執務室に入ってきたのは、今回の委託組代表である五抗戦・瑞鶴と翔鶴だった。
指揮官は急いでモニターアームを動かし、デスクの正面を空ける。
大鳳は両手でデスクを叩いて叫んだ。
「諦められませんわ! 大鳳は全部任せていただきたいのに!」
「指揮官がみんなに囲まれるのが嫌なんですよね? うふふ♪」
「で、指揮官は大鳳と離れるのが嫌、と。二人はアツアツだよね」
「いやあ、それほどでも――ある」
「まあ、指揮官様~♡」
恍惚とする大鳳に苦笑しながら、翔鶴たちは委託任務の報告を始める。
すると大鳳はすぐ横の扉から給湯室へ向かい、お茶を入れ始めた。
指揮官は委託の報告を聞きつつ、脇によけたモニターに目をやっている。
報告が終わると同時に4人分のお茶と茶菓子、追加で2人分の椅子を出してくる大鳳。
「ありがとう、大鳳」
「ありがとう、大鳳ちゃん♪」
「ありがとね、大鳳」
「いいえ、どういたしましてですわ」
4人で着席してお茶を飲み始めると、そういえばと瑞鶴が口を開いた。
「この新しい執務室、ずいぶん広いよね?」
「室内で艦載機が飛ばせそうですよね」
「緊急時に戦闘態勢のままKAN-SENが出入りできるように、とは言うけれど。
ここまで大きくなったのは主に鉄血艦の影響だろうね」
重桜のKAN-SENだけであれば、基本的に戦艦でさえなければそこまで場所は取らない。
だが、セイレーン技術の導入が著しい鉄血のKAN-SENは、前衛艦にさえ巨大な艤装を持つ者もいる。
「戦艦よりも大きな艤装を背負ってる巡洋艦の娘もいて、ビックリしたよ」
「私たちの場合、そもそも片手で取りまわせる飛行甲板ぐらいしかありませんしね」
「大鳳も扇だけですわ。いえ、扇としては十分以上に大きいのですけれど」
重桜はセイレーン技術を導入したことで、多くのKAN-SEN達がケモノ憑きの特徴を持つようになった。
だが鉄血の研究は、より理論的な科学技術に特化しているらしい。
その全貌は、他陣営からではとてもうかがい知れるものではなかった。
「って、それが言いたかったわけじゃないんだよ!
なんか壁にやたら扉ついてるし、さっきも執務室の中に給湯室があったでしょ!?」
「あ、それ私も気になってたんです♪」
「ああ、その話か」
ちなみに給湯室とは言うが、実態は本格的な料理やお菓子作りまでできるキッチンである。
指揮官と大鳳の昼食は、ここで大鳳が作った料理になることも多かった。
「別に面白いものじゃないよ。
そこの一番大きな扉が用具室で、あとは向こうから順に風呂、トイレ、仮眠室になってる」
「執務室から出ないで生活するつもりですか?」
「あれ、お風呂だったんだ! 私入ってきても良い? 委託で汗かいちゃったんだよね」
大鳳の手作り羊羹に舌鼓を打っていた瑞鶴が、話の流れからそんな提案をした。
すると突然、指揮官の腕を抱きしめてくつろいでいた大鳳が跳ね起きた。
「ダメに決まってますわ、そんなの!」
「ええ、そこまで言うことないじゃない?」
「ダメったらダメですわ! お風呂も! トイレも! 仮眠室も!
全部監視カメラが付いていてこのモニターから見られているんです!」
「「ええ!?」」
とんでもない暴露話をされて、二人も流石に困惑を隠せない。
翔鶴は思わず大鳳の方を見た。
「た、大鳳ちゃん? そういう事は卒業するって言ってなかった?」
「あ、それ付けたのは俺だよ」
「「ええ!?」」
再び困惑の声を上げる翔鶴と瑞鶴。
あまりの驚きに口を開けたまま固まっている。
「なにせ大鳳は美しいし可愛らしいし優しいし健気だし幼気だし抱きしめると柔らかいし肌触りはすべすべだし髪はつやつやだし良い匂いもするし舐めると美味しいまさに天が俺のためだけに遣わした天使であり女神だ毎日毎晩惚れなおすよ当然俺はそんな大鳳と24時間365日永遠に片時も離れたくないし触れていたいし繋がっていたいし本当は部屋から一歩も出したくないし執務も全部大鳳を膝に乗せたまましたいぐらいだし大鳳の笑顔・泣き顔・怒り顔・驚き顔・焦り顔・怯え顔・照れ顔・困り顔・催し顔・疼き顔・蕩け顔その他諸々とその仕草みんな俺の生きがいで宝物だから最初は大鳳がいつどこへ行って何をするにもくっついて撫でて抱きしめていたんだそうすると照れて恥ずかっても決してイヤとは言わない大鳳の赤くなった顔がまた一段と愛くるしいんだけど流石に料理中は危ないしトイレ中は恥ずかしいし執務に支障が出てはいけないからって怒られたんで改めてずっと大鳳と一緒にいられる方法を考えた結果書類関係は執務室から一切出る必要がないように署名や決済まで全部デジタル化させたしそれ以外でもせめて執務室まわりだけで全部済ませられるように給湯室という名のキッチンのほかにも風呂・トイレ・洗面所・仮眠室と色々な部屋を併設したんだがやっぱり大鳳と壁一枚隔てると俺は寂しくて寂しくて寂しくて頭がおかしくなりそうだから常に大鳳を見つめていられるように徹底的に監視カメラと監視システムを設置したんだそれでも寂しいは寂しいんだがギリギリ正気を保てる程度には安定するようになるんだから何事もやってみるもんだよね」
それを聞いた翔鶴と瑞鶴はススッと椅子を下げると、二人で内緒話を始めた。
「え、これ良いのかな翔鶴姉!?
「おおお落ち着くのよ瑞鶴!
大鳳ちゃんはともかく、指揮官がここまでアレだったなんて驚きだけど!
二人で共依存している分には周りに被害はないわ!」
「あ、そっか、そうだよね!
流石は翔鶴姉、冴えてる!」
「お二人とも、聞こえてますわ」
混乱する二人の間に、大鳳がジト目で割り込んだ。
「そもそも私は監視カメラなんて仕掛けたことないのですが、翔鶴さん?」
「ごめんなさい。大鳳ちゃんの日頃の行いを見て、つい」
「うっ」
痛い所を突かれてうめいた大鳳に、今度は瑞鶴が話しかける。
「大鳳は良いの? その、全部監視されてるなんて」
「指揮官様のなさることに、私が異を唱えるはずありません。
大鳳の全ては指揮官様のもの、と宣言しましたもの。
あと、大鳳がいなきゃダメになってほしい、とも言いましたわ」
「あっちゃー、それが原因で壊れちゃったのか」
赤くなってプルプル震える大鳳の姿を見れば、大丈夫でないことは一目瞭然だ。
そう思った瑞鶴が天を仰ぎ、もはや内緒話でもなんでもなくなった所で指揮官が口をはさもうとする。
一方、翔鶴は大鳳の様子から異なる感情を読み取った。
大鳳は確かに恥ずかしそうだが、イヤがっているわけではなく、むしろ――
「それは違うよ。
これは俺がやりたくてやってることなんだ。
俺自身の――」
指揮官はなおも熱く語ろうとするが、二人はすでに立ち上がっていた。
「じゃあ、私たちもう帰るから! 二人ともお幸せに!」
「大鳳ちゃん、困ったらいつでも相談に乗りますからね。指揮官、失礼します」
ガラガラッ
「お二人とも、まだお茶が残って――ませんわね」
残された湯飲みをのぞき込むと、どちらも空になっていた。
どうやらこの状況でも二人とも、きっちりお茶を飲み干してから帰ったらしい。
それを見た指揮官はまたしても鳳凰の炎を放ち、一瞬で食器を洗浄する。
「大鳳――」
困惑した翔鶴と瑞鶴の様子に、思うところがあったのか。
片づけを始めた大鳳に対し、指揮官が口を開いた。
「――今、幸せかい?」
顔を上げた大鳳と目が合う。
「勿論ですわ!
愛しい指揮官様にこんなに愛されて。
指揮官様は大鳳がいなきゃダメで。
大鳳は世界一幸せです♡」
「そうか。俺もだよ」
指揮官は安心したように微笑んで、目の前の大鳳を抱き寄せた。