同日、朝。
指揮官執務室にて。
「大鳳?」
部屋に入ってくるなり指揮官は困惑の声を上げた。
普段であれば指揮官よりも早く来た大鳳が待っているはずだが、今日は明かりさえついていないからだ。
「まだ来てないのか」
自分で電気を点けて執務室を見渡してみるが、やはり誰も居ないようだった。
珍しいこともあるものだが、指揮官はなぜか胸騒ぎがした。
別に秘書艦が指揮官より先に来なければいけないルールは無い。
今の時点では気にするほどのことではないのだが、相手はあの大鳳である。
指揮官と一緒にいられる時間を、一秒でも無駄にするとは考えづらかった。
「指揮官、いらしてますね」
指揮官が頭を悩ませていると、開けっ放しの扉から一人のKAN-SENが入ってきた。
この母港の先代秘書艦、翔鶴である。
指揮官の返事を待つことなく、彼女は言葉を続けた。
「指揮官、今から大鳳ちゃんのお部屋へ向かってください」
「やっぱり、何かあったのか」
「私の方から多くを語ることはありません。
ただひとつ言えるとしたら、指揮官の素直な気持ちを伝えてあげて欲しいです」
そう言う翔鶴に促され、指揮官は大鳳の部屋へと向かった。
そういえば普段は大鳳から押しかけて来るばかりで、こちらから部屋まで来たことはなかったな、と。
そんなことを考えながら指揮官は、大鳳の部屋をノックした。
コンコンコンコン
「大鳳」
外から呼びかけると、部屋の中から物音が聞こえた。
その場で少しだけ待っていると、内側から扉が開かれる。
「指揮官様――」
見るからに憔悴した大鳳の様子に指揮官は思わず声を上げた。
「大鳳、どうしたの?」
「申し訳、ありません。お仕事を放り出して」
「そうじゃないんだ、大鳳。心配だから来たんだよ」
指揮官がそう言うと、大鳳の表情がくしゃりとゆがんだ。
「心配、大鳳を――。でも、指揮官様。
指揮官様は、赤城さんと――」
「赤城?」
急に出てきた名前に、指揮官は怪訝そうな顔をした。
「指揮官様が赤城さんとケッコンしてしまったら、大鳳は、大鳳は――」
「ちょっと待った。ケッコン? どうして急に?」
指揮官が慌てて尋ねると、大鳳は部屋に招き入れた上でポツリ、ポツリと答えてくれた。
指揮官とKAN-SENの結婚に関する書類を見たこと。
赤城が指揮官とケッコンするのは自分だと言ったこと。
そして指揮官が赤城を訪ねるところを見ていたこと。
「そうか、それで」
「大鳳は」
指揮官の前で大鳳は必死に言葉を絞り出す。
「大鳳は、イヤです。指揮官様を、諦めたくありません。
指揮官様が他のヒトとケッコンするなんて。
そんなのイヤ、ダメ、ヤダ、耐えられない――」
胸の内に抱えていたものを吐き出す。
「大鳳は、負けたくない、負けたくないのに――」
そして。
「
その一言を、言った。
「大鳳――」
指揮官も、気づいていなかったわけではない。
大鳳が、決して輝かしいとは言えない自身のカンレキを気にしていることを。
けれど指揮官には、どうすれば彼女の劣等感を拭えるのかが分からなかったのだ。
「うっ、うぅうっ、うぁあああ」
泣いている大鳳を前にして、指揮官は不思議な心持ちだった。
大鳳を見ていると胸が痛い。
これまでの人生で、こんなにも苦しい思いをしたことは一度もなかった。
「大鳳、違うんだ俺は」
指揮官もまた、大鳳の思いに応えるように必死に言葉を絞り出していた。
「俺は、大鳳とケッコンしたい。大鳳が良いんだ」
それは本来なら、もっと違うシチュエーションで言うつもりだった言葉だ。
だがこの状況で、なによりも伝えるべき言葉はこれだろう。
「指、揮官様――?」
信じられないという表情で顔を上げた大鳳に、指揮官は続けた。
「俺は、大鳳が好きだって。赤城にもそう伝えたんだ。
大鳳に告白する前に、まず断りの返事をしないと不誠実だと思って。
大鳳。大鳳が自分のカンレキをよく思っていないのは知ってる。
カンレキは確かにKAN-SENを形成する大切な要素だけど、それが全てじゃないと思うんだ。
みんな今は人として、“生きて”いるんだし――
そんな大鳳を俺は、好きになったんだから」
話が飛び飛びで、とても筋が通っているとは言えない。
指揮官のそんな告白を聞いて、大鳳の答えは一つしかなかった。
「大鳳も、大鳳も指揮官様が大好きです!
大鳳とケッコンしてください!」
大鳳の返事を聞いた指揮官は、ひしと彼女を抱きしめる。
そのまま二人の顔が近づいてゆき、ゆっくりと重なった――。
◆
後日、重桜某所。
春霞が立つなか、大鳳はある場所に呼び出されていた。
指揮官と休日を過ごせないのは残念だが、一度は来ておきたかった場所だ。
ここは他でもない、指揮官の育った屋敷である。
「すまないわね大鳳。わざわざ足を運んでもらって」
「いいえ、本日はお招きいただきありがとうございます。――武蔵さん」
大鳳を出迎えたこの屋敷の主は、ぬばたまの髪をたなびかせる七尾の天孤。
雅量に富むこのKAN-SENこそ、かの大和型戦艦の二番艦・武蔵である。
「
「それは、貴女が指揮官様の親代わりだからですわね」
「ふふふ、ええ。あの子は私を母のように慕ってくれているわ」
こともなげに武蔵は話す。
さすがの大鳳も、この屋敷にいたころの指揮官については上辺の知識しかない。
今日ここに来た理由の一つが、指揮官のことをもっと知りたいからだった。
「少し歩きましょう」
武蔵がそう言って促すと、二人は縁側から庭へ出た。
しばし無言の時間が流れ、武蔵は春霞を見上げると再び口を開く。
「あの日もこんな、幽玄な空だったわ。
大神木の聖域を歩いていると、光輝く子供が空からゆっくり落ちてきた。
その子を受け止めた
「それが指揮官様だった、と?
つまり指揮官様の血筋は隠されているのではなく、本当に“いない”――?」
「そういうことになるわね」
武蔵はそう言ってほう、と息を吐くと、今度は地上の庭に目を向けた。
「あの子はあまり外を駆けまわる子ではなかったけれど、雪が降った日は別だった。
雪だるまを何体も作って
それを赤城が壊してしまって怒ったこともあったわね」
「赤城さん達とは、そんなに昔から?」
大鳳が少々の鬱屈を抱えたまま尋ねると、武蔵はそれを見透かしたように笑っていった。
「ふふ、ごく偶にそういうことがあったわ。
揃って雪遊びをしたのはあの一回だけ。
世間で幼馴染と呼ばれるような親しいものではあるまい」
ただ――、と武蔵は一度言葉を切って目を伏せた。
「天城が倒れたあの日、あの出来事は赤城にとって鮮烈に過ぎたのでしょうね」
「その話なら私も知っています。指揮官様が天城さんの命を救った、と」
それは重桜のKAN-SENであれば、だれでも知っている有名な話だった。
「あの子がケモノ憑きとして持っている力は、浄化の炎にして癒しの炎。
その力の前では、いかなる命の灯火も決して消えることはないわ。
実際の所、あの子は“ヒトがカミの力を宿している”というよりも、
“カミがヒトの姿で降臨している”と表現したほうが正しかろう」
目を伏せたままの武蔵が言葉を続ける。
「その力の発現を赤城は心の昂ぶりによるものと考えたようだけれど。
どこか一線を引いたような、壁を感じるところがあの子にはあったわ。
勿論あの子は
目を離した隙にどこにもいなくなってしまって二度と会えないような、浮世離れした雰囲気が」
「そうですか? 私はそんな風に思ったことはありませんけれど」
大鳳がそう言うと、武蔵の顔に笑みが浮かんだ。
「
あの子にとって最初から
まるでいつも夢を通して会っているようだったあの子が、
あんな気迫で“ケッコンすることにした”などと言い出すのだから」
「指揮官様は、私のことをなんと?」
そう尋ねた大鳳に、武蔵はおかしそうに笑って答えた。
「あの子が長々と語ったところによると。
まったくごちそうさまと言う他ないわ」
「ま、まあ指揮官様ったら」
義母になるともいえる人物にそう言われると、大鳳は赤面して恐縮した。
「
あの子はもう、どこかに消えてしまう心配はなかろう。
思えば、天から落ちてきたあの子もやっと“この地に生きる者”となったのかもしれないわね。
大鳳、あの子をよろしく頼むわ」
武蔵のその言葉に大鳳は、神妙な面持ちで答えた。
「私の全てをかけて、必ず幸せにしますわ」
◆
「そんな話をしたのか」
その夜。
指揮官の部屋。
母港へ戻ってきた大鳳は、指揮官と同じ時間を過ごしていた。
「幸せにする、っていうなら、俺が大鳳に言わなきゃいけないんじゃ?」
「あら指揮官様、二人でお互いを幸せにして、一緒に幸せになればよいのですわ」
武蔵との会話の内容を聞いて、指揮官は疑問を呈する。
それに対し、指揮官にピッタリ寄り添って座る大鳳は、相好を崩して答えた。
「それにしても、俺はそんなに浮世離れしていたかな」
「そこですわ。大鳳も武蔵さんの話で一つ分からないところがあったのです。
武蔵さんは指揮官様にとって、大鳳が初めから特別だったのだろうと言っていました。
勿論、大鳳は一目見た時から指揮官様が大好きですけれど、指揮官様もそうだったのですか?」
大鳳の疑問に対して、指揮官は少々言いづらそうに返答した。
「いや、最初から特別に想っていたわけではない、と思う。
むしろ変わった娘が来たな、と思ったぐらいだ」
「そんな風に思ってたんですか!?」
がーん、という音が聞こえそうなほどショックを受けた表情の大鳳。
そんな大鳳を見て指揮官は慌ててフォローする。
「今ではそんなところも大鳳はかわいいと思ってるぞ。
全部だ。大鳳は全部かわいい」
「し、指揮官様。何もそこまで言っていただかなくても大丈夫ですから」
今度は大鳳の方が照れてしまい、慌てて指揮官を止める。
その様子に安心した指揮官は、先ほどの疑問への考察を口にした。
「幻獣憑きにとって伴侶は特別な存在で、本当は初めから相手が分かっている、なんて話もあるな。
ただ自分ではそれに気付いていないだけで。
俺は別に未来が見えるわけじゃないが、そういう時間軸を超えた知覚というのもあるのかもしれない」
そこまで話した指揮官には、もう一つ気付いたことがあった。
「大鳳、幻獣憑きと伴侶に特別なつながりがある話は?」
「勿論、知っていますわ。
魂のつながりができることによって、寿命に縛られず一緒にいられると。
でも、どうしてそれを?」
大鳳が疑問を呈すると、指揮官は新たな考察を口にした。
「魂のつながりができると、ごく稀に不思議な経験をすることがあるらしい。
突然、相手の見ているものが見えることがある、とか。
これから俺と大鳳にもそういうつながりができるわけだけど、さっきの“時間を超えた知覚”の話と合わせて考えると」
「まさか――未来で結ばれているから、過去で一目惚れした、ということですか?」
「まさしく因果の逆転だな」
指揮官が神妙な面持ちで考え込む。
これらは仮説にすぎない考えだが、なぜだか間違っていないように思えた。
あるいはその思えるのも、超常的な知覚によって“知って”いるからだろうか。
「つまり、大鳳は指揮官様の運命の相手――?」
「そういうことになる、のか?」
目を丸くする大鳳に、指揮官は首を傾げた。
「俺が大鳳を好きなのは、大鳳とケッコンするからで」
「大鳳が指揮官様を大好きなのは、指揮官様とケッコンするから?」
「でもそもそも、好きだからケッコンするんだよなあ」
「
二人はううんと考え込んだが、やがて同時に顔を上げた。
「結局、運命の相手だからで良いのではありませんか?」
「そうだな、どうあれ俺は大鳳が好きなんだから、それで良いだろう」
「もう、指揮官様ったら。大鳳も指揮官様が大好きですわ」
これ以上頭を悩ませても仕方ない、と袋小路に入った考察を打ち切った。
そして二人は、夜更けまでひたすら睦み合うのだった。
「愛してるよ、大鳳」
「愛していますわ、指揮官様」