#00:Prologue
外を歩けば小鳥が囀り耳障りの良い歌を歌い、爽やかな風が頬をそっと撫でるように過ぎ去っていく。少しの移動時間でコンビニやスーパー等である程度の物は買えてしまう時代だ。月曜の朝は陰鬱な表情のサラリーマンが急いだ様子で電車に乗り、金曜の夜には居酒屋から活気溢れる声が聞こえてくる。
なんて事のない日常を惰性で過ごす人間達だが、その中にもスリルや快感を求める者が一定数存在するのもまた事実である。富、名声、女、酒やギャンブル等様々な力や手段があるものの、取り分け"命"に関わるモノについては他とは比にならない。時には強盗や放火、或いは殺人といった所謂"犯罪"に分類される事柄もこの世界では日常的に発生する。そして、そういったモノ全てを未然に防ぎ人々が安心して暮らせる世界を創ろうとしている者たちが密かに存在する。
これは、そんな者達の物語であり一つの答えとも言えるモノ。だがしかし、そんな偽りの平和の裏には数多くの人間の犠牲がある事を忘れてはならない。人間とは、何かの犠牲無しには生きることの出来ない不完全でとても儚い生き物なのだから。
どうか、それだけは忘れないでほしい。
カランカラン♪
「いらっしゃいませ〜!」
「らっしゃっせ〜」
午後2時を過ぎた辺りの昼下がり、ここ喫茶リコリコの扉が小気味良く開かれ店内に鈴の音が響く。扉を開け放った人物はテーブル席かカウンターへ腰を落ち着かせる......かと思いきや、従業員のみが入る事を許されているスペースへと足を踏み入れる。その雰囲気を察知した従業員の一人が様子を見つつ、正体を確認した後に溜息混じりに悪態をつく。
「なんだミズキか......お客さんかと思って張り切って損した」
「なんだとはなんだ千束!というか私は買い出し頼まれて行ってきたんだけど?」
「ミズキ、頼んでいた物は買えたか」
「勿論よ。ついでにちょっと仕事もしてきたわ」
「ご苦労様」
大量の袋を抱えて店に帰ってきたのは、同じく喫茶リコリコの茶髪ロングアラサー店員である中原ミズキ。そんなミズキに悪態をついた少女の名が錦木千束。黄色がかった白髪のボブカットに赤いリボンを付けた可愛らしい女の子であり、喫茶リコリコの看板娘でもある。そして、ミズキに買い出しを頼んだ張本人である店長のミカが労いの言葉をかける。
帰ってきたミズキは二人を置いて冷蔵庫へと向かい、まだお昼で勤務時間だと言うのに酒に手を伸ばそうとしていた。こういった性格や行動が、千束が悪態をつきたくなる原因でもあったのだ。しかし、それを止めるべく動いたのがもう一人の従業員であった。
「ミズキ、ちょっとこっち」グイッ
「み、御天!?ちょ、いきなりこんな......やっと私にも春が──」
「アホか。頼んでた仕事の件だよ。それにこんな時間から酒なんか飲ませるか」
黒というには少し物足りない灰色がかった髪をしており、スラッとした体型をして中性的で容姿端麗な少年。名前を
「一応アンタの言った通りにはしといたけど、本当にあんな事で良かったの?」
「良いんだよ。まぁ特別大事なモノでもないしな」
「買い物ついでに運び屋紛いの仕事させられて私も疲れたわ。こんな時にはやっぱり──」
「だから酒は駄目だって言ってるだろ。ほら、お客さん来てる」
話す最中でも、扉の開きっぱなしな冷蔵庫へと手を伸ばすミズキを止めて新たに来た客の対応へと向かわせる。そんなミズキと入れ替わり立ち替わりでミカがやって来る。
「ミズキと何をやってたんだ?」
「アイツが酒飲もうとしてたのを止めたんだよ」
「またか。......それで、ミズキに運ばせたのは何だ?」
「いつになく直球だな先生。ただの手紙だよ」
表情は崩さずに、あくまで自然体を装ってミカは御天へ問いかける。次からはミズキにもう少し小さな声で話すように言っておく必要がありそうだ、と心の内で一人呟いた御天はミカと同じく表情を変えず自然体で返答する。
「お前が手紙なんて珍しいな。相手は友達か?それとも女の子か?」
「冗談はやめてくれよ。先生だって俺に友達とか居ないの知ってるだろ」
「友達ならいるだろう?」
そう言ってキッチンの方を示すミカの意図を読んだ御天だが、少し時間を空けて首を横に振る。その後、さっきの意趣返しにと軽く笑みを浮かべながら再び首を振りながら呆れた感じを醸しつつミカへ問いかける。
「勘弁してくれよ先生。あんな酒癖悪いお姉さん(笑)が友達なんじゃ俺の底も知れるってもんだぞ」
「私は千束の事を言ったつもりなんだがな......まぁいい」
「御天ー!!アンタもサボってないで早く来て仕事しなさーい!!」
「ほら、酒癖悪いお姉さんが呼んでるぞ」
「そうだな。酒癖ついでに口も悪いお姉さんに怒られないように行ってくる」
喫茶リコリコの制服を正しピシッと紐を締めて、ミズキにこれ以上サボりと思われないように仕事へ戻る御天。そんな御天の背中を見届けていたミカも、少し自傷気味に笑いながらもすぐに仕事に戻っていった。
「お〜い!御天君も早くおいでよ!」
「すみません、こっちの片付け終わったらにします」
ワイワイと楽しそうにしている中でのお誘いを受けた御天だったが、まだ片付けやら何やらで忙しかった為に断らざるを得なかった。お誘いに対する御天の返答を聞いて不貞腐れつつも、一方でボードゲームの手は止めなかった女性客。
女性客、と一口に言っても既に店自体の営業時間は終了しており、常連客のみが集まってボードゲームやら各々の仕事の話やらを楽しんでいた。これもこの喫茶店では毎度お馴染みの光景であり、御天も毎回ではないが参加する時もあり、その度に全勝してしまうので千束からは来ないように愚痴られる事も。
「片付けなら私がしておくから、行ってきたらどうだ?」
「大丈夫。それに、ミズキは酒飲んでるし千束はボードゲームやってるしで一人じゃ大変だろ」
「お店自体は終わってるから良いんだよ」
「先生も甘いからな。まぁそれは昔から変わってないけど」
テーブルに残ったお皿やコップを両手一杯に持ち、途中で声を掛けられるも良い感じに反応しつつ足元に落ちたゴミを蹴りながらキッチンへ。その様子を見たミカは溜息を吐きながらもゴミはゴミ箱に、御天から受け取った物を洗いながら元の場所へ戻していく。
「先生も千束達と一緒に遊んでても良いんだぞ?」
「こんな老いぼれ相手じゃつまらんだろう」
「何言ってんだよ。昔は鬼教官でかなりのやり手だったくせに」
「それも文字通り昔の話さ。君や千束が相手だと尚更無理だな」
「やってみないと分かりませんよ」
側から見ると、まるで新婚夫婦かの様にスムーズに洗い物から片付けまでが進んでいく。そんなこんなで、ほぼ二人で片付けその他諸々が完了したタイミングで泥酔したミズキがやってくる。
「御天ぁ〜、おつまみ追加で〜」グデン
「おい酔っ払い。鬱陶しいから絡んでくるな」
「えぇ〜?ちょっとぐらいはアンタも私の相手しなさいよぉ」
「先生、コイツ引っ叩いても大丈夫?」グニィ
「いたたた!ちょ、何すんのよアンタぁ!」
「落ち着け御天、既に手が出てるぞ。ミズキもその辺で勘弁してやってくれ」
"泥酔"とデカデカと書かれた一升瓶を片手に御天へ絡むミズキだったが、対する御天も片手でミズキの頬をつねって応戦する。ミカが宥めた後もミズキは変わらず酒をペースを上げて飲み、御天に変わってミカがおつまみを作る羽目になってしまった。そんな中、ポケットに入れていた携帯の着信が鳴り、ミカと目を合わせ許可を貰ってから少し離れて耳に当てる。
『......ウォール』
「......ナット」
『やっと連絡がついた。もしかして君も同業なのか?』
「天下のウォールナット様にそう言ってもらえて光栄だけど、残念ながらほとんどは外注だ」
御天はいち早く"非通知"表示だったのを確認し、ミカやミズキ、そして一番避けるべき相手である千束に聞き取られないよう店を出る。最初の合言葉はかなり胡散臭いモノだが、依頼主の要望である以上は従うつもりではあるが内心少し恥ずかしい御天である。
『携帯に連絡するのに、まさか半日掛かるとは思ってもみなかった。暗号も分かりづらくて複雑だったし、半分解かせるつもりなかっただろ?』
「そのくらい警戒した方が良いだろう。別に減るもんじゃなし」
『僕の貴重な時間が減った』
「そんなことより仕事の話をしようぜ」
『はぁ......じゃあ取り敢えず──』
"ウォールナット"とは、ネット黎明期から存在する最強のハッカーであり、過去30年で何度も死んだと噂されてきた人物である。何故そんな人物が御天に仕事の話を持ちかけてきたのか。それは、御天の隠された過去に理由があった。
『──っと、まぁこんなところだ』
「了解。んじゃ、俺はそろそろ指定されたポイントに向かう」
『アンタ、聞くところによるとかなりの凄腕らしいじゃないか。内容も内容なだけに、期待してるぜ
「流石天下のウォールナット、取引相手の情報収集は完璧ってところか。ただ、こっちの依頼を受ける条件は守ってもらうぞ」
『約束はキッチリ守るさ』
取引内容を確認した後、指定の場所にて落ち合う為に準備を始める御天。リコリコの制服を脱いでハンガーに掛け、黒を基調とした一見普通に見える服に着替え帰り支度を整える。
数分としないうちに準備が完了し、店長のミカに早めにあがることを伝えようとした矢先、御天の背中に不安げな声が突き刺さる。
「ちょいちょい、そんなにお洒落してどこ行くつもり?」
「千束か。別に、ちょっと用事が出来たから早めにあがるだけだ」
「嘘つき。さっき片付け終わったらって言ってたじゃん」
「社交辞令だよ。そのくらいお前も分かるだろ」
それに"俺が参加すると一番嫌がるのお前だろ"と御天が付け足した後、千束から口を開くことはなく、その沈黙を破ったのは御天であった。
「......お前は心配せずにボドゲやってろ。悪いが今日は帰り付き合ってやれない」
「......」
千束の反応を待たずしてその場を後にする御天。店から出る流れでミカに謝罪と共に、早めにあがることを伝えて未だに残る常連客に頭を下げつつ目的地へと向かい始める。
キッチンの奥へ行き俯いて表情の伺えない千束をみて"変わらないな"と独り呟きながら、ミカは少し乱雑に頭に手を置きワシワシと撫でてみる。気持ちを落ち着けるように深呼吸した千束。その後、不意に千束の口から出た言葉を聞いたミカは携帯を取り出して御天へ簡潔に"あまり千束に心配を掛けるなよ"とメールを送った。
「......心配するに決まってんじゃん」