1.お土産は片道切符だよ?
第一グルメ研究所に住むハナコは、朝からそわそわと落ち着かないでいた。
ハナコはグルメ植物研究員である。国際グルメ機関IGO所属の研究員で、この仕事に就いて五年。勤務態度は良好で上司の覚えもよく、日々真面目に食材と向き合っていた。
そんな真面目なハナコだが、今日に限っては目の前の研究に集中できないでいる。
当然、その態度は同僚の研究員に察知される。
だが、同僚は彼女を見咎めることなく、逆に笑顔を浮かべて言った。
「そんなにトリコと会うのが楽しみかい?」
「当然だよ! 世界最高のカリスマ美食屋なんだよ!」
ハナコは、同僚の顔を見上げながら言った。そんなハナコの頭を同僚は優しく撫でた。
「サイン貰う?」
「もちろん!」
同僚に撫でられながら、ハナコはキャッキャと笑った。
ハナコはグルメ植物研究員である。この仕事に就いて五年。しかし、彼女は九歳の幼い子供だ。
ミーハーで好奇心旺盛で新しもの好き。そんなどこにでもいる少女のような性質をハナコは持っていた。
ハナコが同僚――こちらは子供ではなく成人男性である――とやりとりをしているうちに時間は過ぎる。やがて夕方近くなった頃、研究室内に人がやってきた。
「トリコ様と小松様が到着したぞ! 皆で出迎えだ!」
訪問者のその言葉に、ハナコは「来たっ!」と飛び跳ねた。同僚はそんなハナコを微笑ましい目で見ながら、作業を中断して立ち上がる。
そして、ハナコは同僚の手を引きながら、グルメ植物研究室を後にした。
ハナコ達が向かったのは、第一グルメ研究所の地上二十階。研究所の外から資材を搬入する区画だ。
そこで各研究室から集まった研究員達が並び、研究所への来客を出迎える。
やってきたのは、トリコと小松だ。身長二メートルを超える巨漢と、少年と見間違うほど小柄な青年。
大男のトリコは美食屋だ。世界中に存在するグルメ食材を捕獲し、市場や料理人のもとへと届けるのが仕事だ。
小柄な小松はそのトリコとコンビを組む料理人だ。美食屋は自ら捕獲した食材で望む料理を作ってもらうために、料理人とコンビを組むことがしばしばあった。トリコと小松は、世界に名を知られた名コンビだ。
そんな二人に、研究所一同を代表して、IGO開発局局長のヨハネスが挨拶をする。
「ごちそうさまです。トリコさん、小松くん、宇宙はどうでしたか?」
サングラスに黒スーツ姿のヨハネスが、サングラスのツルを片手で上げながら言った。
すると、トリコが満面の笑みを浮かべて答える。
「最高だったぞ! 宇宙も美味いもんにあふれていたな!」
そんなトリコの台詞に、小松が横から被せるように言う。
「怖いところでしたよー……。グルメ界にもいないような凶悪な生物が、山ほどいたんですよ!」
対照的な二人の主張に、ヨハネスはニッと笑う。
「どうやら有意義な探索ができたようですね。さて、今回は研究用にIGOへ宇宙食材をゆずっていただけるということですが……」
「ああ、テキトーに集めたから、変なもんもあるが……」
「IGOでアナザの養殖と自動調理に成功しましたから……普通では食べられない物も全て食材という扱いで構わないでしょう」
「そーか。じゃ、遠慮せず持っていってくれ」
そんなヨハネスとトリコのやりとりののち、皆の前にコンテナが運ばれてくる。中に詰まった食材の仕分けは、研究員一同で行なうことになった。
ハナコも小さな体で仕分けを手伝っており、未知なる宇宙食材を前にドキドキワクワクしながら働いている。
そんなハナコの姿を見た料理人の小松が、ヨハネスに尋ねる。
「あれ……子供がいますね。小さな子がお手伝いですか?」
「ん? ああ、ハナコくんか。優秀な植物研究員だね」
「えっ、研究員なんですか?」
ヨハネスの説明に、小松は驚いてハナコを二度見する。
そのハナコは、グルメ野菜研究室の研究員と食材の分配を巡って言い争いをしている。
「ハナコくんはここ新第一ビオトープの研究所で生まれた子供だよ」
「研究員の人達の間に生まれた子ですか? エリート街道まっしぐらって感じですね」
「いや、そういうわけではないのだが……」
ヨハネスが言いよどむと、二人の会話を聞いていたトリコは、ため息をついてヨハネスに向けて言った。
「オレみたいなチェインアニマルじゃねーよな?」
チェインアニマルとは、グルメ研究所で飼育されている実験動物のことだ。トリコも、かつてはIGOのチェインアニマルだった。
ちょこまかと宇宙食材を仕分けして働く九歳の少女が、実験動物なのではないか。トリコはそう尋ねているのだ。
「……元、です。今では研究所期待のホープですよ」
「はぁ、怪しい研究も大概にしておけよ」
言いよどむヨハネスに、トリコはため息をつきながら告げた。
実験動物チェインアニマル。かつてそう呼ばれた少女ハナコは、憧れの美食屋トリコに注目されていることに気づかぬまま、宇宙食材を前にテンションを上げていた。
◆◇◆◇◆
第一グルメ研究所へのトリコと小松の訪問は、研究所を挙げた立食パーティーで締めて無事に終わった。
ハナコはパーティーの最中にトリコと小松にサインを書いてもらい、ホクホク顔。
そして、翌日。ハナコは高揚した気分で職務に戻り、クリーンルームでトリコ達がもたらした宇宙食材の分析作業に入った。
「ハナコちゃん、お昼だよ」
ハナコが分析作業に集中していると、研究室の同僚が後ろから声をかけてきた。
「もうちょっとだけやっておくよー」
「んもー、またお昼ご飯抜くつもりかい?」
「グルメ栄養食はちゃんと食べているよ」
「あんなブロックは食事じゃないよ。まったく、荒廃の時代を知らない子はこれだから……」
同僚はそうぼやきながら、クリーンルームを後にした。一人残ったハナコは、目の前のグルメ食材に試薬を垂らす。
試薬には万能細胞であるグルメ細胞が含まれており、その反応を彼女はじっと見守る。
「んー、グルメ細胞に動きなしか。こんな反応初めてだねぇ」
トリコ達がブラックホールの中から採取したという黒い草を前に、ムムムとうなるハナコ。
彼女的に不可解なことが起こっているのだろう。彼女は草をしばらく弄り倒した後、最後の手段に出ることにした。
それは、彼女が持つ特異な能力を使用すること。彼女は生まれつき植物を生み出し、自在に操る力を持っている。
そんな自分のグルメ細胞と触れさせたら、この草もさすがに何らかの反応を見せるだろう。ハナコはそう思い立ち、自らの口の粘膜から細胞を取り、試薬に加工して草に垂らした。
すると次の瞬間、彼女の目の前が真っ暗になった。
「なっ、なにごとっ!?」
ハナコは謎の浮遊感を味わい、真っ暗で何も見えないままどこかへ吸い込まれている感覚を味わった。
先ほどまで研究室の机の前に立っていた。だが、今は何も踏みしめておらず、彼女は完全に前後不覚になった。
「ぬ、ぬわー!」
姿勢制御も敵わぬまま、ハナコは真っ暗闇の中、どこかへ吸い込まれていく。
そして、叫び声を上げているうちに段々冷静になってきた彼女は、どうにか体勢を整えようとする。
すると、ふと闇の中に光る点が見え、彼女はその光の向こうに吸い寄せられていることに気づいた。
やがて、光の点が近づいて視界に占める割合が大きくなっていき、点は穴となり、穴の向こうに何かが見えた。
もしや自分はマイクロブラックホールか何かに飲みこまれたのでは。ハナコがそう考えた瞬間、人一人がくぐれる大きさの穴に吸い込まれた彼女は、どこかへと放り出された。
それは、空の上。地上から二〇〇メートルほどの高さに彼女はいた。
それ以降、彼女を吸い込もうとする力は消える。だが、それと同時に重力がかかり、ハナコは地上に向けて落下した。
「ぬわあああああっと、あぶなー」
空中で姿勢を制御したハナコは、そのまま二〇〇メートル自由落下して、地面に着地した。
彼女が落ちたのは、小さな山林の麓。周りに人はおらず、彼女の落下を目撃した者はいない。
息を軽く吐き、ハナコは目の前の光景を真っ直ぐと見た。
そこには、彼女が生まれ育ったグルメ研究所とは全く違う建物が広がっていた。彼女にとって馴染みのない場所だが、知識の上では知っている光景。閑静な住宅街だ。
「ううーん……なんでかワープしちゃった?」
第一グルメ研究所があるリーガル島には、住宅街などというものはない。つまり、どういうわけか島の外に跳んでしまったということ。ハナコはそう判断しクリーンルーム用の防護服を山に脱ぎ捨て、下に着ていた白衣のポケットから『グルメスマートフォン』を取り出し、生体認証でロックを外す。グルメスマホの通話機能で研究所と連絡を取るつもりだ。
しかし……。
「ええっ、圏外!? どう見ても文明圏だよね!?」
地球における人類の生存圏〝人間界〟。その全域をカバーし、生存圏の外の領域である〝グルメ界〟でも地上部なら問題なく通じると評判の新型グルメスマホが、圏外。その事実に、ハナコは困惑する。
空の上から落下する最中に見えたのは、一面に広がる街並みだ。遠くには海があり、港が見えた。グルメスマホの電波が届かないような未開の地とは思えない。
グルメスマホが故障したのか、電波を遮断している隠れ里にでも迷いこんだのか。
警戒を強めながらハナコは、ゆっくりと住宅街に足を踏み入れていった。
――彼女はまだ気づかない。ここが、自らの知る地球ではなく、異世界とも並行世界とも呼べる未知の世界であると。