山の麓から光で照らされ、対処に悩んだハナコは、とりあえず手に持ったネオトマトにかじりつくことにした。
半日もの間、水分を取らずにいたため喉が渇いていたのだ。
「……いや、そこで食べる……!? んん! ……あなたは包囲されています。大人しくこちらに降りてきなさい……」
みずみずしさがハナコの渇いた身体に染み渡り、続けて酸味がガツンと脳を揺らし、遅れて甘味が舌の上で踊る。
ネオトマト。美食四天王の一人が『フルコース』のメニューに加えるのも納得の美味であった。
「うわ、美味しそう……じゃなくて……、ここは我が月村家の土地です。……怪しい行動は止めて、大人しくしなさい」
子供の頭ほどもあるサイズのネオトマトを味わい終えると、ハナコはハンカチで手を拭き始める。
「マイペースね……。あなたは包囲されています。……そのまま手を挙げて降りてきなさい……」
再度の勧告に、ハナコはようやく声の主に意識を向けた。
紫色の髪をした、月村すずかによく似た大人の女性。隣にそのすずかが立っているあたり、姉妹か親戚なのだろうとハナコは予測した。
その女性に、ハナコは先ほどから投降を呼びかけられている。そのセリフを信じるならば、危機的状況だ。だが、ハナコは特に気にしてもいなかった。
というのも、周囲を囲む生物の気配など一切しないし、戦闘が行なえるような大型機械の駆動音も聞き取れないからだ。ハナコはIGO会長マンサムのスパルタ教育の結果、周囲の気配を読む能力にそれなりの自信を持っていた。
なので、ハナコは冷静に声の主に向けて言葉を発する。
「すみません。この山が私有地だとは思っていませんでした。ここを片付けたら、立ち去りますね」
ハナコは、子供が私有地である山で勝手に夜遅くまで遊んでいることを見咎められたのだろうと判断し、立ち去ることを告げた。
しかし、声の主はその言葉を受け取らなかった。
「……逃がしません。防護服を着て空の上から落ちてきた、怪しい人物……。……詳しい事情を聞かせてもらいます……」
見られていた! ハナコは思わず舌打ちしそうになった。
空からの落下を目撃されたのか。いや、この世界にやってきたとき視線は感じなかった。では、山を観測する定点カメラでもあったのか。などと、ハナコは思考を巡らせる。
それがなくても、山に脱ぎ捨てていったクリーンルーム用の防護服を見られたとしたら、出自を怪しまれるに決まっている。
どうしたものかとハナコが考えていると、声の主がさらに言った。
「……それに、あなたは今夜から……宿無し無一文なのでしょう? こちらは……あなたを保護することも可能です」
その言葉に、ハナコはハッとする。そして、声の主の隣に立つすずかを見た。
すると、すずかはハナコに向けてふわりと笑みを浮かべて見せた。
◆◇◆◇◆
結局、ハナコは女性達に身を任せることにした。
ここから逃げても宿無し無一文には変わりなく、最悪どこかに収監されてもそのときは屋根がついた部屋で寝られると判断したのだ。
そう決めたハナコだが、彼女は素直に山を下りなかった。生やしたネオトマトの実がまだ残っており、全部収穫して持っていくと彼女は女性達に主張した。
女性達は呆れた顔でそれを了承し、ハナコはネオトマトを全て収穫して山に放置していた防護服で包み、残ったネオトマトの木は枯らして大地の養分に変えた。枯れた木の中に、活性化したグルメ細胞が残らないように気を付けてだ。
グルメ細胞が存在しないであろう惑星に、グルメ細胞を勝手に持ちこんで予測できないバイオハザードを起こすわけにはいかないからだ。
そして、ハナコは山の麓にある大きな建物に案内された。洋風の屋敷だ。
客間に案内され、ハナコは月村忍と名乗った紫髪の女性に、ノートパソコンでとある映像を見せられた。それは、先ほどまで居た山を遠景で映す監視カメラ映像。
「……こういう郊外の山は、管理をおこたると業者の不法投棄に使われるから……各所に監視カメラを置いているの……」
その映像に、カメラのフレームの上方から落下してくる怪しい防護服の人間が、バッチリ映っていた。防護服を脱ぐシーンも別のカメラに映っており、中から白衣を着た子供が出てくる光景はあまりにも怪しいと、ハナコは我がことながら思った。
そして、ハナコが何者かという話に移る。
月村の一族は資産家である。そんな資産家の私有地に、怪しい人間が落ちてきた。降りてきたのではなく落ちてきたであり、しかし、その後は麓の屋敷に向かわず、町に繰り出した。この行動で、忍はハナコのことを月村家を狙った人間かどうか判断できなくて困ってしまったという。
私有地に忍びこんだ産業スパイ。そう疑うには、ハナコの行動は突飛すぎた。
だが、月村家は月村重工と月村建設という二つの会社を経営している。スパイの疑いを簡単に消すこともできなかった。
そんなおり、図書館で件の少女が、忍の妹であるすずかに接触してきたという。
その少女が語る身の上は荒唐無稽で、信じられない嘘で固められていた。なお、すずかはこの時点で監視カメラの映像を見てはいなかった。
すずかから話を聞いた忍は、やはり月村家に手を伸ばそうとするなんらかの勢力の者であると警戒を強めた。九歳の子供を籠絡して足掛かりにしようとするなど、油断できない相手だと。
やがて、怪しい人物は山に帰ってきた。月村家の近くで潜伏するつもりかと疑いをかけ、監視することにした。
しかし、その相手は突拍子もないことをしでかした。種を地面に植え、いきなり木を生やしたのだ。
はたして妖術か超能力か。世の中にはそういう不可思議な力があると知っていた忍は、ただの子供スパイではないと判断し、寝首を掻かれる前に捕らえることに決めた。
超能力スパイであると確定しているわけではないが、疑わしいので連行して、そして今、こうしてハナコを屋敷に軟禁・尋問している。
と、そこまで黙って忍の語りを聞いていたハナコは、あっ、今わたし軟禁状態なんだ、と出された紅茶を飲みながら思った。
お茶請けも用意され、お客様待遇だとしか思えなかったが、どうやら結構危うい立場にいるらしい。
そこで、ハナコは思いきって語り出した。
「わたしは並行世界の地球から迷いこんだ、ただの迷子です」
その言葉を聞いてしかめっ面をする忍に、ハナコは語る。自分はおそらく、グルメ細胞の恩恵よってグルメ時代を迎えた地球から、推定ブラックホールを通ってやってきた並行世界人だと。
さらにグルメスマホを起動し、そこに保存されていた第一グルメ研究所のチェインアニマル達を忍達に見せる。
ハナコは図書館にいる間、百科事典を読んでいた。そこに記された動物は、どれも脅威度が極めて低いものばかりだった。
捕獲レベルで見ると、ほとんどが1未満。捕獲レベルとは、IGOが定めた食材の捕獲難度のこと。目安として捕獲レベル1が、猟銃を持ったプロの狩人が十人がかりでやっと仕留められるレベルだ。
一方、グルメスマホに映るのは、こちらの地球に存在しない捕獲レベル50までの強力な猛獣達である。
「うわ……、よくできたCG……リアルすぎない……?」
当然、忍はハナコの言葉を信じなかった。横で話を聞いていたすずかは、リアルすぎる写真と映像を見てハナコの言うことをかなり信じてしまっているのだが……忍はハナコをスパイだと疑ってかかっているので、異世界トリップなどという漫画の中の出来事を信じる余地がなかった。
ゆえに、グルメスマホ内の情報は、忍によって切り捨てるように否定されていった。
仕方ないのでハナコは、確実にグルメ時代の地球の存在を信じてもらえる手段に出ることにした。
それはすなわち、グルメ細胞の恩恵を受けていないこの世界の人間に、グルメ細胞によって発達した食材を食べさせること。
都合よく、ハナコの手元には収穫したばかりのネオトマトがあった。
ハナコは、忍に向けて言う。
「ここに持ちこんだあのトマトを食べてみてください。遠い世界にグルメ時代は確かに存在していると、信じてもらえるはずです。至高の美味ですよ」
「……いや、あんな怪しい物食べるわけがないでしょう……」
忍のその言葉に、すずかは「えっ」と声をもらした。すずかはあの小ぶりのメロンほどのサイズがあるトマトを食べてみたかったのだ。あのトマトを食べたハナコの表情が、とても幸せそうだったからだ。
「……でも、グルメ時代の証明に、食材の実食は必要です。食べずに信じてもらうなんて無理ですよ」
ハナコが困ったように言う。
そしてハナコは、内心で物凄いカルチャーショックを受けていた。美味しいと勧められた食材を食べない人がいるだなんて!
「……家を狙う産業スパイから食べ物を貰うとか……毒かもしれない……」
「毒も何も、さっきわたしが山で食べてみせたじゃないですか」
「……スパイなら、毒に身体を慣らしていても……おかしくないでしょう?」
「ええっ……」
そんな忍とハナコのやりとりを聞きながら、すずかは「毒の訓練をされた超能力スパイとか、異世界人と同じくらいファンタジーだ」と、心の中で呆れた。実の姉に向けて言わない優しさはあったが。
「忍お嬢様。私が試してみます」
と、ハナコ達の会話を壁際で見守っていたメイド服の女性が、忍に向けて言った。
「……ノエル! あなたね……」
「私ならどんな食べ物であろうと問題ありませんので」
「……分かった。でも、無理しないで……」
そんな深刻になられても、と思いつつもハナコは口をはさまずに、ノエルと呼ばれたメイドの覚悟を見守った。
そして、ネオトマトの一つが厨房に持ちこまれ、切り分けられて客間に戻された。
皿に盛られてテーブルの上に置かれたネオトマト。
それを認識して香りを嗅いだ瞬間、忍とすずかは完全に魅了された。口からよだれがあふれ出てきて、はしたなくも飲みくだすこと数度。
もう、毒とかどうでもいいから今すぐかじりつきたい。そう思ってしまうほど、ネオトマトは魅力的な香りを振りまいていた。
だが、毒味役は自分だと主張するかのようにネオトマトの一つをノエルは手に取り、「では、いただきます」と言って口にする。
次の瞬間、ノエルはピクリとも動かなくなった。
それを心配そうに忍が横から覗き込む。
「ノエル……どう?」
「……これはいけません」
「……えっ、やっぱり毒……!?」
「違います。でも、これはいけません。こんな……こんな美味しい物を人が口にしたら、きっと堕落してしまいます」
「ええっ……!?」
ノエルの言い様に、忍は驚いてノエルの手元のネオトマトを凝視した。
忍に見つめられながら、ノエルはネオトマトの実食を再開する。
彼女の手の中にあるネオトマトは、みるみるうちになくなっていく。
普段のクールなノエルをよく知る忍とすずかは、我を忘れたようなノエルの早食いが信じられなかった。
よほどこのネオトマトという果実は美味しいのか。忍はゴクリとつばを飲みこんだ。
そして、そんな忍の横からテーブルに向けて手が伸びた。すずかが切り分けられたネオトマトをつかんだのだ。
「いただくね、ハナコちゃん」
そう言って、すずかは勢いよくネオトマトにかじりついた。
突然の妹の所業に、叱りつけようとした忍。だが……その思いとは裏腹に、手はネオトマトに伸び、言葉を発することもなく真っ赤な果実を口の中に含んでいた。
忍がまず感じたのは、清らかな水のみずみずしさ。
まるで、汗が出なくなる限界まで運動した後に水を一気飲みしたときのような、身体が満たされる感覚。
頭の上から足の爪先まで水分が駆け巡り、体内の淀んだ水が洗い流されたような爽快感も味わった。
次に、トマト特有の酸味が来た。だが、それは嫌な酸味ではない。意識をハッとさせるような強い刺激が、彼女の頭を駆け巡った。
最後に、甘味。トマトは野菜? 果物? 分類上は果物と言われているが、生食するならばサラダ扱いで……というふわふわした思いを粉々にするような、ハッキリスッキリとした甘味が、忍の舌を喜ばせる。そして、先ほどの酸味で起きた脳が糖分によって活性化し、閉じていた視野が広がるような感覚を覚える。
広がった視野は、一つの事実を認識していた。すなわち……このネオトマトは、この世の存在ではないと。
忍は思わずつぶやいていた。
「……美味しい」
その賛美と共に、忍はハナコの怪しすぎる経歴を受け入れ始めた。
その後、ネオトマトは屋敷にいる他の者達……メイド少女のファリンと忍達の母親である月村春菜にも提供され、ハナコは月村家へ一時的に保護されることが決まったのであった。
とらハ3はもはや記憶の彼方。そして手持ちのPSPが壊れているのでA'sポータブル二作を確認できません。なのでBoAとGoDは採用せず、ReflectionとDetonationが採用されます。