虹の実をビオトープの外へ運ぶ帰り道は、すずかにとって試練としか言いようがなかった。
香りに誘われて、草食の獣や雑食の獣が山ほど群がってきて、さらにそれを狙った肉食獣まで現れる始末。
一心不乱に実へ飛びつこうとする獣の群れに、ハナコはすずかをけしかけた。
「こいつら全部食べられる動物だから、好きなだけ狩っていいよ」
と、そう言って。
すずかは必死に戦った。手加減無用で殴りかかり、虹の実に殺到しようとする獣を撲殺していく。自身の三倍以上ある猪を殴り飛ばしたときは、すずかは自分で自分の力を信じられなかった。
すずかが仕留めた獣は、ハナコがツタで縛って虹の実と一緒に運んだ。すると、段々と肉食動物が増えていき、食材として不適切な種も混ざり始めたため、ハナコはすずかを下がらせてノッキングで場を鎮めた。
「最初から、こうしていればよかったんじゃないかな!?」
「いやあ、すずかさんも狩りを経験できたでしょ? グルメ細胞に適合してから、全力で動いたことがなかったみたいだし、必要なことだったんだよ」
ハナコがそう言葉を返すと、すずかは反論できなくなったのかムーッとむくれてしまった。
その後、ハナコが先導してノッキングを連発しながら、二人は第四ビオトープの出入り口に到着した。
そこでハナコは「これで捕獲体験は終わり」と言って、すずかを連れて中央研究所にワープした。
それを見たすずかは、今日のこの一連のことは、全て自分のために行なわれていたと改めて理解した。虹の実を採ってくるだけならば、ハナコが一人でワープすれば一瞬で終わることだったのだ。
「ハナコちゃん」
「ん? 何かな?」
「今日はありがとう。貴重な体験ができたよ」
「どういたしまして。今日の冒険はどうだったかな?」
「いつもは加工済みの食材ばかり扱っていたけど……食材の生きた姿を生で見られて、いろいろ思うところがあったよ」
「そっか。今後の料理に活かせるといいね」
「うん!」
すずかとハナコはそう言葉を交わしてから、中央研究所で待ち構えていたDr.ゼロとナンバーズに虹の実を見せた。
「ううむ、香りだけで、ここまで食欲を刺激する果実が存在したとは……」
ゼロが、興味深そうに虹の実を眺めている。
そんなゼロに、ハナコが言う。
「とりあえず、この場に居る全員で一食だけ食べて、残りは食品に加工かな。ゼリーとか、ジュースとかワインとかにして、日持ちするようパッキングしよう」
「うむ、任せたまえ」
「加工が上手くいったら、第四ビオトープにあと何箇所か虹の実の木を生やしてもいいかもね」
「そうだね。この香りに誘われてくる獣が増えすぎて、農園ではとても栽培ができない。数を増やすには、そうするしかないだろう」
ゼロとそう打ち合わせをしてから、ハナコは早速、すずかとナンバーズの料理上手セインに虹の実を
そして、一時間後……獣の解体を終えたナンバーズを引き連れて、ハナコは食堂で虹の実試食会を開いた。
食堂のキッチンからは、先ほどよりも濃厚な香りがただよってきている。すずかと一緒に最後の仕上げをしているセイン以外のナンバーズの五人全員が、香りのせいで口からあふれ出すヨダレを飲み干すのに必死になっていた。
美食に慣れたつもりだったDr.ゼロも、ナプキンで必死に口を押さえていた。
そんな中、一人だけハナコが平気そうにしている様子を見て、ゼロが視線で「なぜ平然としていられるのか」と問いかける。
すると、ハナコはその視線の意味を察したのか、苦笑いしながら答えた。
「あー、ほら、わたしは前に居た世界で、美味しい匂いには慣れきっているから」
そんな言葉を聞いて、この暴力的なまでの香りに慣れるものなのかと、ナンバーズ一同は驚いた。
と、そんなやりとりをしているうちに、キッチンからすずかとセインが、人数分の料理の皿を載せたサービスワゴンを押して出てきた。
皿に載っているのは……意外なことに、切り分けただけのそのままの虹の実の姿だった。
「いやー、ゴクッ、いろいろ考えたんだけど……ゴクッ」
あふれ出すヨダレを
それをハナコが手を前に出して止め、彼女の言いたいことを代弁しようとする。
「虹の実は、そのままで食べてもすごく美味しいからね。最初は、無理に加工した物じゃなくてもいいってことだね」
「ゴクッ、その通り!」
そうして、皆の前にセインとすずかが虹の実が載せられた皿をサーブしていく。
虹の実は、美しかった。光り輝く果肉の上に、虹が架かっているのだ。この虹は、果汁が蒸発してできたもの。果実をそのまま切り分けただけの料理とも言えない一品であるのに、まさしく芸術品と言える存在感を出していた。
「さて、みんなに行き渡ったね?」
ハナコは、セインとすずかが席についたのを確認して、そう皆に言う。
そして――
「では、食材に感謝を込めて、いただきます!」
食前の挨拶をして、皆で一斉にスプーンを手に取った。
ハナコは、懐かしい香りを楽しみながら、スプーンを虹の実に近づけていく。
虹の実を初めて食べたのは、何歳の頃だっただろうか。確か、IGOの会長マンサムが、「トリコの『フルコース』の一品を食べさせてやる」といって、出してくれたのだったか。ハナコは前の世界を追憶した。
懐かしさに身を任せながら、ハナコのスプーンが虹の実に触れる。柔らかい。ゼリーより柔らかく、プリンのように震える。だが、すくい取るとずっしりとスプーンに重みを感じた。
そして、それをそのまま口へと運ぶ。そして、舌に虹の実が触れた瞬間、濃厚な甘さが口中を駆け巡った。
だが、それも一瞬のこと。すぐに味は酸味を含む爽やかな味に変わる。そして、それもまた一瞬。次は香ばしい味へと変化した。
口の中で変化する味。それこそが、虹の実の特徴だった。
そして、噛むごとに味は七色に変わり、飲み下してからも食道を通る際にこれでもかと存在感を主張する。
食のカリスマ、美食屋トリコが『人生のフルコース』の一品にしていることにも納得できる、美味しく、そして愉快な果実であった。
「う、うう……」
ハナコが虹の実の余韻を味わっていると、突然、隣に座るすずかが泣き始めた。
「すずかさん、どうしたの?」
「ううー……なぜだか分からないけど、嬉しいの……」
「お、おう?」
「ハナコちゃんと一緒に冒険して、苦労して食材を手に入れて……それが、こんなにも美味しくて……」
「よっぽど感動したんだねー」
「感動……」
「冒険して、食材を集めて、そして最後に美味しく食べる。美食屋にしか味わえない、どんなエンターテイメントにも負けない最高の娯楽だよ。そりゃあ、感動もするよね」
「うん……」
「すずかさんさえよかったら、またこうやって食材を手に入れて料理するために、冒険しよっか」
「する……うん、ハナコちゃんと一緒に、冒険するよ」
すずかは涙をふき、ついでにヨダレもふきながら、ハナコに笑顔を見せた。
「じゃあ、今日この瞬間から、わたしとすずかさんはコンビね。わたしが美食屋で、すずかさんが料理人。そして、美食屋は料理人と一緒に冒険して、食材を捕獲して、料理をして、食卓を共にするの」
「うん!」
かつて、ハナコは冗談めかして、すずかに将来はコンビを組もうと言ったことがある。
そして今、こうして二人は正式にコンビを組むことになった。
虹の実は、二人がコンビを組んだ記念すべき最初の食材となる。ハナコとすずかの一番お気に入りの代表食材である『人生のフルコース』には入れなかったが、虹の実は二人の間をつなぐ大切な虹の架け橋となった。
◆◇◆◇◆
エルトリア。最近になって時空管理局に発見され、管理外世界の一つとして扱われた文明を持つ世界である。
その本星は『死蝕』と呼ばれる病に蝕まれており、生物が生きていける環境が失われている。だが、そんな惑星の片隅に、緑と水が復活している場所があった。
かつての惑星再生委員会の生き残り、グランツ・フローリアンが再生させた希望の地だ。
そこに住む者は、複数いた。グランツ、エレノアの夫妻。アミティエ、キリエの姉妹。そして……イリスとユーリという新しい住人もいた。
そんな彼らのもとに、一人訪ねる者がいた。
「いらっしゃい。歓迎するよ」
グランツが家の扉を開き、客人を迎え入れた。
その客人は、笑顔でグランツに挨拶を返す。
「お邪魔します。すっかり体調がよくなったみたいだね」
その客人は、ハナコである。時空管理局に特別な許可を得て、地球からエルトリアまではるばるとやってきたのだ。
「ああ、君の料理が効いたね。前より元気になったくらいだよ」
グランツは、この半年近く、ハナコの治療を受けていた。治療と言っても、投薬治療の類ではない。ハナコが作る薬膳を食べて、病んでいた臓腑を体の内から治していったのだ。
「それはよかった。はい、今回の分の『漢方樹の樹液スープ』の缶詰。三日に一缶ずつ飲んでね」
ハナコは、持参していたバッグから大きめの缶詰を何個も取り出して、案内された居間のテーブルの上に置いていく。
「ありがとう。薬膳と言ったかい? 美味しいのに薬になるだなんて、素敵な料理だね」
「うん、食事は誰でも取るからね。その食事で美味しく健康になれるなら、これ以上のことはないよ」
「ははは、そうだね。でも、最近、僕と妻だけが美味しい料理を頻繁に食べているから、娘達に不満が溜まっているようでね……」
グランツは、困ったようにそう言った。
実は、薬膳を食べている者はグランツだけではない。彼の妻のエレノアも彼と同じ病に冒されていることが判明し、ハナコは彼女の分の薬膳も与え続けていたのだ。
だが、娘の二人は病の兆候がない。なので、娘達とイリス、ユーリの四人は、ハナコの料理を食べる機会がとても少なかった。
「ああ、それなら大丈夫。今日はみんなにもお土産を持ってきたからね」
ハナコはそう言って、バッグから缶詰とは別の品を取り出していく。それは、透明な容器に詰められた虹色に輝く何か。
「『虹の実ゼリー』。洒落にならないレベルで美味しいから、家族みんなで喧嘩しないよう仲良く食べてね。独り占めをして全部食べたら、鼻血が出るから」
「ははは、娘達は、今さら料理くらいで喧嘩をするような歳ではないよ」
「いや、本気で美味しすぎるから、仲違いしないよう注意してね?」
「……うん、責任を持って監督させてもらうよ」
その後、ハナコはグランツから惑星再生の進捗を聞きながら、自分の研究についても話していく。
グランツはグルメ細胞に興味があるようで、もし惑星の再生を完了させたら、美味しい食材を作る研究も悪くないとハナコに言っていた。
そして、一通りの情報交換を終えると、グランツがふと話題を変えた。
「ディアーチェ達は元気かい?」
それは、三匹のエルトリア猫についての話題。彼も幼い頃、惑星再生委員会で飼われていたディアーチェ達三匹と親しくしていた。
「ああ、うん。立派に八神家でお猫様をやっているよ」
「こちらに移るつもりはないのかな? イリスとユーリが寂しがっていてね」
「八神家で出る美味しい食材にやみつきになって、こっちに戻りたがらないみたいなんだ。すっかり餌付けされちゃった」
「あはは、そうかい。それなら、こっちでも美味しい食材が育てられるよう、頑張らないといけないね」
「そうだねー。あの三匹は魔法プログラム化して寿命はないみたいだし、気楽にやっていくといいよ」
そうして猫達の話題は終わり、ハナコは「そろそろお暇させていただくね」と言って席を立つ。
「もう帰るのかい? みんなに会っていってもいいのに」
グランツがそう言うが、ハナコは首を横に振る。
「いや、結構この世界に滞在するのキツいんだ。空気の成分が地球と違うから、呼吸が苦しくて」
「ああ、それがあったね。僕としては、なんで肉体調整もせずにまともに呼吸ができているのか、不思議でならないけど……」
「ふふふ……グルメ細胞のなせる技だよ」
ハナコは以前エアと呼ばれる食材を食べたおかげで、呼吸に関する能力が飛躍的に向上していた。
だから、こうして地球やマウクランと大気成分が異なる環境でも、平然としていられるのだ。それでも、長期間の滞在は辛いものがあるが。
「じゃ、薬膳は三日に一回必ず飲むこと。ゼリーは喧嘩しないよう分けてね」
「ああ、いろいろありがとう」
「いいのいいの、それじゃねー」
ハナコはグランツに挨拶して、家を出てエルトリアに作られた時空管理局の転送施設へと向かう。
道に広がる緑は、来るたびに範囲を広げていて、ユーリがこの世界に帰ってきたことによる成果は、しっかりと上がっていると理解できた。
この世界は、きっと大丈夫。ハナコはそう確信して、別のことを心配した。
「『虹の実ゼリー』、本気で美味しいからなぁ。等分できる数にしたから喧嘩にならないといいけど」
ハナコは、先日マウクランの研究所で発生した、『虹の実ゼリー』の残りをめぐるナンバーズ同士の喧嘩を思い出した。
「虹の実が欲しかったら、わたしとすずかさんで採ってくるっていうのに」
コンビであるすずかが、ナンバーズ相手にどうしていいか困っていた様子も思い出して、思わず笑いを漏らしてしまうハナコであった。
漢方樹
捕獲レベル:5
トリコ原作に名前のみ登場する食材。十星料理人の膳王ユダの『フルコース』のスープとして、『漢方樹の樹液スープ』という料理名が挙がっている。
なお、ハナコがこの樹液の薬膳を作れる理由は膳王から調理法を学んだからでなく、食の再生屋から植物を用いた人の再生方法を学んだ際にいくつかの薬膳を習得したからである。