ハナコが中学生に上がって最初の夏休み。彼女は今年もマウクランに通い詰める予定でいた。
だが、そんなハナコに思わぬ同行者ができた。すずかだ。
「すずかさん、本当に泊まり込みでいいんだね?」
マウクランの中央研究所で、ハナコはすずかに最後の確認を取っていた。
すずかは今年の夏休みをマウクランへの滞在で全て消費するつもりだった。習い事はキャンセルし、旅行カバンに着替えを詰め込んで、かなりのやる気でこの研究所にやってきていた。
「うん、なんというか、今のうちの家って、微妙に居づらいから……」
すずかのその言葉に、ハナコは何かあったかと首をかしげる。
月村家の家族仲は良好で、居心地の悪さなどハナコは感じていなかったのだが……。
「ほら、お姉ちゃんと恭也さん」
すずかがそう言うと、ハナコはすずかが言いたいことにようやく思い至った。
「あー、あの新婚さんね」
「うん、仲が良すぎて、なんだか邪魔しちゃいけない雰囲気が……」
すずかの姉、月村忍。彼女は今年の三月に大学を卒業し、その後六月に結婚をしていた。
相手は高町なのはの実兄、高町恭也。恭也は月村家に婿入りする形となり月村恭也となった。忍は月村一族の次期当主最有力候補のため、婿を取ったのだ。
恭也自身も父である士郎が名家の出身なのだが、そちらは別に家を継ぐ者がいるため、恭也の婿入りはすんなり通ることになった。
「まあ、邪魔しちゃいけない雰囲気は理解できるよ」
ハナコは、家の中でイチャつく二人を思い出して、すずかが家を離れたがった理由を完全に理解した。
「だから、夏休み中はここに詰めるつもり」
「そっか。まあ、歓迎するよ」
「また一緒に冒険に行こうね」
「そうだねー。うーん、でも、泊まり込みかぁ……」
ハナコは何かに思い当たったのか、腕を組んでその場で考え込み始めた。
そんなハナコをすずかは、何か都合が悪かったのかと不安そうな顔で見つめる。
「よし、すずかさん。修行しよう!」
「修行? 料理の特訓かな?」
「ううん、そうじゃないよ。食の礼儀作法、食義をこの期間ですずかさんに習得してもらいます!」
こうして、すずかの楽しくも辛い夏休みが始まった。
◆◇◆◇◆
食義。それはハナコが以前いた世界で確立した、食の礼儀作法のことである。
小学校では必ずと言っていいほどこの食義の授業が組まれており、食の大切さを新グルメ時代の人々は学ぶことになっていた。
だが、小学校で扱うのは、食義の中でもほんの一部の入門編。
より深く食義を学ぶには、
食義の修行は、精神を鍛える修行だ。だが、それは技術面にもつながる。礼儀作法を学び、物事の正しい姿勢を習得する。それにより無駄がなくなり、料理をする際のフォームが整えられる。結果、最小の動きで最大の成果を出せるようになるのだ。
食義を習得すれば、より素早く、より正確に動けるようになり……料理の技術は飛躍的に向上するだろう。
「と、ここまでは分かった?」
「うん」
「分かったよー」
と、ハナコの話に返事をする二名。そう、場に一名増えていた。
すずかの料理の腕前を上げるために食義の修行をするとDr.ゼロとナンバーズに伝えたハナコ。すると、ナンバーズで一番の料理上手、セインが自分も修行を受けたいと言い出したのだ。
ハナコはこれを
「食義の基本は、食への感謝。すなわち、食材への感謝であり、命への感謝です。それを念頭に置いて修行にはげんでね」
ハナコがそう言うと、すずかとセインは元気よく「はい!」と返事をした。
「ちなみに食義の修行は『基礎コース』、『中級』、『上級』とあるけど、どれから受けたい?」
「もちろん『基礎コース』から! だよね? すずか」
ハナコの問いに、即座にセインが答える。すずかも、意見は同じなのか、うなずいて言う。
「夏休みは長いし、基礎をじっくりやりたいね」
だが、そんな二人にハナコが言う。
「残念ながら、二人には『上級』のみしか受けさせないよ」
「えっ、なんで!? 普通、基礎から順番にやるんじゃないの?」
セインがハナコに問い返すが、ハナコは笑って答える。
「実は私、食林寺では『上級』の修行しか受けたことないんだよね。だから、実践できるのも『上級』の修行のみだよ」
「ならどれから受けたいとか言うなよー」
セインが口を尖らせるが、ハナコは「ごめんごめん」と言って軽く流す。
「とにかく、これから受ける修行は『上級』のめちゃんこ厳しいものだから、覚悟してねってことで」
「めちゃんこ厳しい……」
「うう、大丈夫かな……」
修行を受ける前から、セインとすずかは今後の道行きに不安を覚えた。
ハナコが厳しいというならば、本当に厳しいのだろうと想像して。
◆◇◆◇◆
修行の朝は、
これは、食に感謝しながら行なう座禅だ。
たいまつくしと呼ばれるつくしに火を灯し、その前で座禅を組み、両手を合わせる。
たいまつくしはたいまつのように燃えるが、食への感謝以外の雑念を察知すると火は消えてしまう。
『上級』の修行において、たいまつくしを三十分灯し続けることが最初の一歩となっていた。
「はい、三十分。二人とも無事に灯し続けられたね」
食禅の時間が終わり、ハナコが修行中の二人へ声をかける。
「はぁー、よかったぁ」
「うわあー! やっとクリアだー!」
セインは、初めて一度も火を消さずに三十分の食禅を続けたことに安心して、その場に転がった。
修行開始から三週間。ハナコは以前、この食禅三十分の修行をクリアするには通常だと一ヶ月かかると食林寺で聞いていたため、全力でセインを褒めたたえた。
すると、セインは「えへへ……」と恥ずかしそうに頭をかく。そんな彼女に、ハナコは追加で言った。
「明日からは、たいまつくしの本数を増やして、一時間に時間を延長しようか」
「え、ええー! もうこの修行終わりじゃないのー!?」
「まだまだだよ、まだまだ」
「ううー……はぁ、お腹空いたから朝ご飯にしようよ」
セインは、肩を落としながらハナコが用意した食材を確認しに、すずかと共に食堂へと向かった。
そして、研究所の食堂でハナコは二人に朝食の指示を出す。
「すずかさんは、ミリオントマトの仕込みを。セインさんは
「了解。今日は何分で仕込みが終わるかなぁ……」
「ぬあー、またタマゴ入りごはん! ちまちまちまちまやってられないよぉー」
すずかは早速、用意されていたミリオントマトの千枚ある皮膜を剥きにかかり、セインは壺にたっぷり入ったタマゴ入りご飯を一粒ずつ箸でつかみ鉄釜に移し始めた。
そんな二人をハナコは監視しながら、味噌を前に合掌、一礼をする。
そして、一時間かけて朝食の用意が終わった。
「うん、料理の動きもだいぶよくなってきたね」
ハナコがそう言うと、すずかとセインは料理の仕込みに失敗して何も食べられなかった修業初日を思い出した。
そして、『ホカホカの炊きたてタマゴ入りご飯』、『ミリオントマトのサラダ』、『合掌味噌とマウクランワカメの味噌汁』と、品数は少ないが味は極上の料理を前に、二人は己の確かな成長を実感した。
「それじゃあ、全ての食材に感謝を込めて、いただきます」
合掌、一礼。食べることも修行のうち。すずかとセインは、日々着実に食義を身につけていた。
たいまつくし(特殊植物)
捕獲レベル:1
トリコ原作に登場する食義修行用のつくし。先端に油を含む特殊なつくしで、たいまつの代わりになる。食林寺で品種改良をしたたいまつくしは、感謝の念以外の雑念を察知すると火が消えてしまう。今回ハナコが修行に用いたのも、この品種改良をしたたいまつくしとなる。ちなみに食用可。
ミリオントマト(野菜)
捕獲レベル:11
トリコ原作に登場するトマト。十星の料理店、雲隠れ割烹で出されるメニューの一つ。仕込みは千枚ある皮膜を一枚ずつ丁寧に剥いで行なう。さらに、食べる際にはその実を潰さないようやさしくつまんでやらなければならない、特殊賞味食材でもある。
捕獲レベル:63
トリコ原作に登場するお米。トリコと小松が食義の修行に用いた食材。一粒一粒に小さい卵と醤油が含まれている米で、つぶさないよう丁寧に扱いながら炊くことで、ホカホカのゆで卵飯ができあがる。食林寺では、すべての主食がこのタマゴ入りごはんでまかなわれているとのこと。
合掌味噌(加工食品)
捕獲レベル:人工生産可能
オリジナル食材。食義の修行に使われる合わせ味噌で、様々な豆から作った手造り味噌を合わせてある。味噌を造るには合掌、一礼を絶えず行なわなければならず、料理に使う際も合掌、一礼を欠かさず行なわないと味が損なわれてしまう。さらに、食事の際にも合掌、一礼を求められる。味噌の仕込みから食事に至るまで、常に食義の正しい姿勢を必要とする、まさに修行のためにある食材である。