「……ふっ!」
止まっては急発進、何度か同じことを繰り返しては脚の調子を確かめてみる。5周ほどしてみたところで、一段落のために近くのベンチに置いていたスポーツドリンクを一気に胃の中に流し込んだ。
「脚の調子は大丈夫そう。でも……」
いざ本番になって、本当に走れるか。そこだけが心配だ。特に
レイニーステイ。俺の体になってしまったこの子の名前は、俺にとってはとても大切な意味を持つものだった。
「私は負けない……」
深く、自らの深層心理へと刻み込むようにして自己暗示をかける。今の体に意識を落とし込むようにして、本能に身を任せる。そうでもしないと、俺は走ろうとすら思えなかっただろうから。
再び河川敷の比較的足場が軟らかいところに立ち、あえて負荷をかけるようにして力強く芝を踏み込む。
蹄鉄の食い込む音が、大地に力強く踏み締められる音が、地面が揺れたかの如き大地の軋む音が、静かな川辺に鳴り渡る。
何度も何度も、この感覚を慣らすために。
「おや、まだやっていたのかい?」
もう一度、というところで聴き覚えのある声を耳にして、動きを止める。紫と白を基調とした制服を身に付けた栗毛の小柄なウマ娘が、興味深げに俺を真っ直ぐ見つめていた。
「タキオンさん? こんなところまで、どうしたんですか?」
「なに、この私にとっては君も貴重なモルモットなんだ。経過観察を見るのは、至極当然のことじゃないか」
「あ、あはは……」
歯に衣着せぬ物言いに、つい苦笑が漏れる。流石は専属トレーナーすらも実験動物扱いしてしまう程のトレセン学園一のマッドサイエンティストと言ったところか。なお、俺はタキオンさん以外の科学者なんて誰一人として知らない模様。
それに、この人もこの人で相当苦労しているのは知っている。高等部に居るタキオンさんは、少なくとも俺より歳上なのは間違いがない。それでもまだデビューしていないようで、理由としてはタキオンさんの脚が走りに耐えられないからなんだとか。
確かに、
俺には、前世の記憶がある。前世も今世も至って普通の男だったけど、転生してきたこの世界は、前世と似通ってはいたものの、明確に違うものがひとつだけあった。
それは、この世界には馬、ひいては競走馬が存在しないこと。その代わりとして、前世の馬と同じか、それに似た名前を持った存在、ウマ娘という馬の耳と尻尾を持つ少女が存在していたことだった。
前世では俺の父が大の競馬好きだったということもあってそこそこの知識を持っているが、競馬が全てウマ娘のレースに置き換わった世界というのは何とも変な気分だった……尤も、今は俺ももうウマ娘なんだけどな。
「しっかり
ほら、とタキオンさんが指を指した先には、少し離れたところからまだ若い中性的な顔立ちの青年が、スーツ姿で立っていた。タキオンさんに指し示されたことに気付いたのか、青年は手を振りながらこっちへと歩いてくる。
というかタキオンさん、人を指さすのは失礼だぞ。まあ、指された本人は特に気にもしてなさそうだからいいけどさ……。
「でも私は、レインと比べたらまだまだだから……」
「レイン」
もう後ろまで来ていたスーツの青年──
「僕は君を見込んだんだよ。確かに、前のレインは凄かった。あの子なら、G1も絶対に取れる思ったくらいには」
レイニーステイ。俺の今の身体の名前であり、そして俺の……まだ小さかった頃からの、2つ歳が下の幼馴染でもあったウマ娘。
レインと出会ったのはまだ俺が幼稚園の頃。前世の記憶を持つ俺は小さい頃からやたらと達観していた。
しかもよく子供ながら引率なんて浮いた行動をしていたのもあって、頼られることはあれど俺自身が精神的に遥か年下の子供と遊ぶことに躊躇してしまい、おかげで友達がほとんど出来なかった……そんな時、年長組の俺は、遊び場の隅で一人縮こまっていた、いかにも内向的そうな年少のウマ娘を見つけ、気になった俺は声を掛けた。それが、レインとの出会いだった。
レインは、なんと俺の家のお隣さんの一人娘だったようで、それならと家族ぐるみを付き合いを持つようになり、以降、レインは俺の後ろにいつも着いてくるようになり、俺もレインとばかり遊ぶようになった。
しかし半年ほど前、俺とレインの2人を含めた家族で旅行に行ったその日、事故に巻き込まれ……俺とレイン以外は全員即死と断定。レインは身体だけ生きてはいても脳死とされ、俺は瀕死の重体で予断を許さない状況になった。
そんな俺が今、こうしてレインとして生きることになったのは、タキオンの推薦を受けてとある特殊な手術を受けることで脳だけを移植する半ば闇医者に近い医師が見つかったこと。そして、唯一仕事で一緒に旅行に行っていなかったレインの遠い親戚筋の叔母さんによって、レインの身体を託されてしまったからだった。
医師曰く「人とウマ娘でこれほどまで魂と脳の両方がぴったり適合するパターンは珍しい」とのこと。血液型のようにしっかり当てはまっていると、脳の移植を行っても身体は動かず、むしろ拒否反応を起こしてしまうんだとか。
何やら胡散臭い説明だったが、この世界にはウマソウルなるものがあるようなので、おかしくはないのかもしれない。
それでも、俺の中で幼馴染であるレインがもう居ないこと。そして、身体を奪ってしまったことに対する罪悪感が消えることはない。
「でも、だからと言って君も見劣りするとは僕は思えない。今の僕が見込んだのは……トレセン学園に来て欲しいと思ったのは、紛れもない、君なんだよ。それでもまだ不安があるというのなら、結果で吹き飛ばしてしまえばいい。僕は、そう考えている」
そんなことを言いながら、翔さんは俺の頭に手を置こうとして……その手を弾いた。
「触らないでください。セクハラです」
「えっ」
「ふふっ、嫌われてしまったねぇ。
ショックを受ける青年に追い打ちをかけるタキオンさんに堪らず抗議する翔さんの姿を見て、俺は不思議と笑みが零れた。
この人は、半年前まで僕達が近くのレース場をやってきた時、たまに現れてはレインに指導をしてくれていた人だ。まだ若く見えるが、この人がこう見えてトレセン学園でトレーナーをやっているんだと知った時には、それはもう驚いた。
もうしばらく担当は持っていないらしいが、通りで、ウマ娘の指導が上手いわけだと納得がいった。
そんな彼が、俺をトレセン学園への編入を推薦、しかも専属契約まで名乗り出ているという。
翔さんは、今の俺の状況も知っている。本当のレインは死んで、普通の人間だった俺が今の中身であることも、もう知っている。
それでも構わないと言ってくれたのが、この人だった。俺でなくてもきっと同じことをやっていただろうが、それでもレインと俺の夢を汲んでくれたようで、とても嬉しかった。
ただまあ、なんでそこまでしてくれるのかとは思ったけど……。
「……ありがとうございます」
「……ふぅん」
小声で呟いたつもりだったが、タキオンさんには耳を少しこちらに向けてから笑みを浮かべている辺り、聴かれてしまったらしい。それでも、青年には聴こえなかったようで、ほっと安堵の息を吐いた。
「ああ、そうだ」
翔さんは厳重にファイリングされた書類を取り出し、俺に差し出した。
「君の……いや、正確には前のレインの大会記録を見て、トレセン学園の理事長やURAから承認が入った。トレセン学園の編入が決まったよ」
ほら、と書類に指し示されている部分には、確かに今の俺の名前と、編入を認める旨が書いてある。
「本当、丁度いい時期で良かったよ。今からならまだデビューに数ヶ月程度はあるからみっちり練習も出来るし、君とレインの夢、クラシックレースにも全然間に合うからね」
クラシックディスタンス。特に、三冠のうち、どれかひとつでもレインが取る。これは、俺達でよく話し合った、ひとつの夢だった。
もちろん、そのためにはまず屈指の難関校でありエリートの証である、トレセン学園に入学出来ないと行けなかったんだけども。まあ結局、俺と離れたがらなかったレインは中等部への受験はせずに、高等部から入ると決めたから今までは俺と同じ、普通の中学校に居たんだが……。
とにかく、予定していた時期とは1年も縮まってしまったが、少なくとも俺がクラシックの冠を狙うことは決して諦めてはいなかった。
「じゃあ、レイン。改めて、これからもよろしくね」
「……はい、宜しくお願いします」
翔さんは、はっきりとした言葉とは裏腹に、恐る恐ると手を差し出した。俺はその様子に可笑しくなったが、その手を握り返す。
今度は、その手を払うことはなかった。
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