白瀬咲耶に嫌われたい 作:モリンフェン
ミスで投稿した第10話は削除しました。今回が正しい第10話です。
読者の皆様には大変ご迷惑をおかけしました。次からはこのようなミスが起こらないよう努めます。
「波音!」
着替えを終えて更衣室を出る。そのまま海の家の出入り口に向かい、既に着替えを終えた波音に声をかける。
彼は一瞬こちらを向いて、慌てたような表情をして私に背を向けた。
「……俺の視界に入らないでください」
拒絶の言葉を投げかけられる。いつものように私に近づいてほしくないという意味で言ってるのは分かってる。しかし、彼のこういった言動には隠された本音がある。
それを見つけるために波音をじっくり観察していると、耳が真っ赤になっていることがわかった。
ここは日陰になっていて、直射日光は遮られている。そして、波音はキャップをかぶり、ラッシュガードを羽織り、丈が膝下まである水着を履いてる。暑さへの対策は完璧と言ってもいい。暑さでこうなってる訳ではなさそうだ。
なら、答えは1つしかない。
「ああ、私の水着姿を見るのが恥ずかしいのかな?」
波音の身体がビクっと跳ねる。返事こそないが、普段冷静な波音がこんな取り乱すような姿を見せたということは、それが全て。
……まったく、そんな反応をされたら尚更君の視界に入りたくなるじゃないか。君は一体どんな気持ちを抱くのか、見せて欲しいな。
「大丈夫だよ」
「ッ!」
一瞬の隙を突いて、彼の視界に入りこむ。
顔を真っ赤にしてまごつく波音が目に映る。その表情は心の底から可愛らしい。同一人物とは思えない落差を目の当たりにして、胸の鼓動が高鳴る。素晴らしいものを見た。今すぐ写真を撮って額縁に入れて飾りたい──という気持ちを必死に喉元で抑える。私まで取り乱したら収拾がつかなくなってしまう。それはよくない。
「……」
「ラッシュガードだ。これなら問題ないだろう?」
女性の身体に免疫のない波音のために、ビキニの上にラッシュガードを羽織って見せないようにした。首元から太ももまである丈の長いパーカーで肌面積を少なくし、ボディラインがあまり出ないように。
彼の視線の先は私の目ではなく、その下……おっぱいだった。
「どうしてさっきよりも顔を赤くしているんだい?」
「えっ!?」
「この下にあの大きいおっぱいが……なんて想像をしたんだろう?」
「違います! お、おっ……胸のことなんて全然考えてません! 暑いから顔が赤くなってるだけです! 白瀬さんの、胸とか興味ありませんから!」
「へえ……じゃあ、こういうのはどうかな?」
波音の背中に腕を回し、ギュッと抱きつく。隙間が出ないようおっぱいを身体に強く押し付ける。
「い、いきなり何するんですか!? 人前ですよ!?」
「周りから見たら女友達同士の遊びにしか見えないと思うよ。君は女の子みたいに可愛いからね」
「女扱いはやめてください!」
「いいや、波音はちゃんと男の子だよ。君の胸のドキドキ、私にも伝わってきてる。おっぱいを押し当てられて興奮してる証拠だ」
「興奮してません! 俺は冷静です!」
あくまでも違うと反論する波音だけど、まるで説得力がない。顔どころか耳まで赤いし、感情的すぎる。そんな姿が面白おかしくて、口角が上がるのをとめられない。摩美々の気持ちがよくわかる。目の前でこんな姿を見せられたらからかいたくなるわけだ。
甘い嗜虐心がふつふつと湧き上がってきた。口を波音の耳元に近づけて、息をフッと吹きかける。
「ひゃっ!?」
「ムッツリスケベ。今の君に最適な言葉だ」
波音は女の子みたいな裏声を漏らして、全身をビクビクと震わる。耳がかなり敏感らしい。
それなら追い打ちにと、耳にギリギリ触れない程度の距離を意識して囁く。こういう類のことを言われるのに慣れてないから、それは素敵な表情をしているに違いない。
「波音……波音?」
しかし、違和感が湧く。
いつものように怒りのこもった返事が一切ない。力なくこちらにもたれかかってる。
何かあったのかと思い、顔を耳元から離して表情をうかがう。
「流石にやりすぎたかな……」
波音は目を閉じて、もだえている。強すぎる刺激を耳に受けて、それ以外のことしか考えられないといった様子だ。何かをする余裕もないんだろう。
……それにしても、波音の顔をこうして間近で見ると改めて思い知られる。あまりにも顔がいいということを。少女の可愛さと少年の格好良さを両立した端正な顔立ち。それだけでモデルとして十分やっていけるほどだ。逸材と言わざるを得ない。
そんな天性の外見を持った波音がこんな官能的な表情をして、んっ、んっ、と小さい声を吐息と共に漏らしている。必死に声を押し殺しているつもりだろうが、全然できていない。
なんというか、こう……ムラっとくる。これ以上はいけない。私の方が危ない。
自分のせいとは言え、このままでは埒が明かない。
辺りの砂浜を見ると、ちょうど2人分のスペースを確保できそうな場所があった。早く移動して波音を休ませたい。
「……すまない。少しの間、私に身を委ねてくれると嬉しい」
彼が倒れないように建物の壁に寄りかからせて姿勢を安定させる。その後、今度は私が波音に背を向けて、身体ごと持ち上げる。
体格差の都合もあって、すんなりおぶることができた。意外と軽い。こんなこと直接言ったら間違いなく怒るから言えないけれど。
同時に、身体つきがとてもいいこともわかった。ラッシュガード越しでもわかるほど、波音の身体は鍛えられている。一切妥協することなく自己研鑽を続けて、理想の自分で在ろうという強い意志を感じた。
「……カッコいいよ、波音」
これなら怒られないだろうと聞こえないように呟いて、移動を始めた。
◇◆◇
「これで準備完了だね」
砂浜にブルーシートを敷いて、ビーチパラソルを立てて、自分達の居場所を作り終えた。
「すいません。白瀬さんに殆ど任せてしまって」
「元はと言えば、私がつい君をからかい倒してしまったのが悪いんだ。だから気にしなくていい」
「いい訳ないでしょう。俺はあなたに邪な気持ちを抱きました。これはとても失礼なことだし、迷惑なことです」
やはり今日はここに来るべきではなかった、と続けて、波音は私に頭を下げた。
「安心してほしい。波音なら、嫌じゃない」
「……何も安心できませんよ。やめてください」
「君に裸を見られたって私は構わないよ。流石にちょっとは恥ずかしいけどね……」
「……いつか襲われたって知りませんからね」
「君はそんなことしない。それを理解した上でやったんだ。私なりの信頼の証だよ」
「あまりいい信頼ではないと思いますけど……」
波音はこれ以上は無駄とばかりにため息をつく。今回の言い争いは私の勝ちみたいだ。
「……夏の海が嫌な理由が1つ増えました。まぁ、今更逃げるような真似はしません。今日だけは付き合ってあげます。今日だけは」
「良かった。海で1人ぼっちは耐えられそうにないよ」
「こっちは命が幾つあっても足りません。常に白瀬さんの行動を警戒しなきゃいけないんですから」
私の身体のことをしっかり意識してるね、と言うのは野暮だろう。
あまりにも楽しくてついはしゃぎすぎてしまった。夏の海は浮かれやすい。波音が楽しめるように気を付けないと。次もまた一緒に海に行きたいと言ってくれるように。
「それじゃあ、そろそろ本題に入ろうか」
「何をやるんですか?」
「とにかく、いろいろなことをして遊ぼう!」
「退屈させないでくださいよ」
「もちろんさ。そのためにここにいるんだからね」
もっと波音の楽しそうな表情を引き出したい。もっと私の知らない一面を知りたい。より良い関係性を築くためにも、今日は絶対に失敗できない。ライブと同じくらい大事な局面だ。
それから──
「これでゲームセットです!」
「いいや、まだ終わらないよ」
「ッ──!」
「次は私のスパイクだよ、波音!」
ビーチバレーをしたり、
「私の城、結構よくできたと思わないかい?」
「そうですね。いいと思います。俺も上手くできた自信はありますよ」
「うん、素晴らしい出来栄えだ。今度は2人で一緒に作ろうよ」
「気は乗りませんが、あなたがそうしたいなら」
砂で城を建てたり、
「綺麗に割れたね」
「いや、俺の方が綺麗に割れました」
「いいや、私だ」
「いいや、俺です」
「なら、もう1度やろうか」
「上等です」
スイカ割りをしたり、
──とにかく、波音と共に海でやりたいこと沢山やった。
「……1度休憩しませんか? 炎天下で長時間遊び続けると体調を悪くしかねないので」
「そうだね。日陰で涼んでから再開しよう」
そんな提案をした波音の額からは汗が滝のように流れている。ただそれだけなのに、妙に色気があって視線を逸らしかけた。極力下心が顔に出さないよう取り繕ってその提案を受け入れた。
先ほど立てたビーチパラソルの下に戻り、水分補給のために波音にスポーツドリンクが入ったペットボトルを渡す。
「はい、波音。スポーツドリンクだよ」
「ありがとうございます」
波音は礼を言うと、すぐさま差し出したボトルのキャップを開けて口に含む。その姿すら魅力的だ。
……なんだか今日は、波音の顔ばかり見ている気がする。いつも以上に可愛く、そして格好良く感じる。いつもと違う姿だからだろうか。或いはここが夏の海だからだろうか。
その原因を考えている最中、
「あの~、すいません」
声をかけられた。
そこにいたのは、2人の女性。どちらもサングラスをかけていて、正確な顔が分からない。しかし、一目見てわかった。この2人は──
「結華と恋鐘だね?」
「いや~、ごめんごめん。2人がどんな感じなのか見たくて来ちゃった」
「うんうん、じっとしてられんじゃったばい」
波音に悟られないように小さな声で会話を始める。
「スイカ割りしてるとこ見てたけど、調子良さそうだったじゃん」
「ああ、今のところ順調だよ。まあ、危ない場面もあったけどね」
「危なかってん、一体なにがあったと?」
「それは、まあ、うん。いろいろ……」
ここで、人には言えないことをやってたんだな、と波音に対してしたことを後悔した。
本当にすまない。
「白瀬さん、その2人はなんだって俺達に声をかけたんですか?」
「ああ、私と同じ学校の友達なんだ」
「そうですか。なら、3人で遊んだらいいんじゃないですか。俺は邪魔になるし休憩したいのでここで待ってますよ」
「君は、さくや……ちゃんの友達?」
「一応」
「さっきスイカ割りしてるとこ見たけど、すごく仲良さそうだったね」
「俺とあの人ってそんなに仲良く見えますか? 何故です?」
バレてはいけないことを悟った結華が喋り方を変えて波音と話す。顔は笑っているけれど、目は笑っていない。尋問をしているみたいだ。
「うん、男女にしてはすごく。こんなに綺麗な水着の女子を前にしてよそよそしさもないし。普通は意識するよ? もしかしてカップルだったりする?」
「恋人!? 一体何を──」
「俺と白瀬さんはただの友達です。恋人ではありませんし、恋人になりたいとも思いません」
波音は全く動じることも、迷うこともなく答えた。
「も~、君、素直になった方がよかよ?」
「素直に本音を言ってるんですけど?」
「こんな綺麗な水着女子が目の前にいてそれはないと思うでしょ~。ほら、男女の友情は成立しないって言うじゃん?」
「それは世間一般の常識的なものであって、俺らがそれに該当するとは限りません。そういうのに当てはめるのは良くないと思いますよ」
友達。そう思ってくれるのは嬉しいけど、女としては傷つく。恋人になりたいと思わないということは、私は波音にとって魅力的ではないんだろうか。
私はアイドルだ。異性と付き合うのは社会通念上よくない。けれど、波音が言うように世間一般の常識に盲目的に従うよりも大事なことは沢山ある。なら、波音とそういう仲になるのも問題ないはず──。
いや、ダメだ。そんな、まるで私は波音のことが好きみたいじゃないか。確かに友達としては好きだ。1人の異性として好きかと言われると……言われると……どうなんだろうか。正直、よくわからない。生まれてこの方恋愛をしたことがない自分には未知の領域だ。
「もし、咲耶が君と恋人になりたかって思うとったらどがんすると?」
「恋人……!?」
「ありえないと思います。俺みたいな男、誰だって願い下げでしょう」
「そりゃなして?」
「誰かと一緒にいるより1人の方が好きだし、気の利いた言葉1つかけてあげられない。おまけに背が低いし。顔は女同然です。こんな男、誰が好きになるっていうんですか?」
「いや、わからんやろ。実際そうやとしてん、地球上に1人は君んこと好きな人がおるかもしれんよ?」
「いいえ、ありえません。何かの間違いで俺を好きな女子がいたとして、その人の目はとんだ節穴ですよ。ハッキリ言ってバカです」
「う~ん、強情やなあ……」
波音はどこまでも他人を信じていない。波音に人との繋がりの大切さを理解してもらえていない証拠だ。まだ足りていない。私の気持ちを伝えきれていない。どのようにすれば、理解を示してくれる?
「最後に。君は咲耶んことどう思うとーと?」
「はっきり言って、価値観からして違います。俺は1人でいるのが好きで、白瀬さんは誰かと一緒にいるのが好き。俺は他人を信じていませんが、あの人は他人をどこまでも信じている……みたいに。俺はそういう人との繋がりだとか、他人のことを理解できないなんてことはないみたいな綺麗事が嫌いです。相容れません」
「こん、少しは限度ってもんが──!」
「落ち着いて! 話は最後まで聞こ! ね!」
「──共通点もあります。海が好きだったり、自分で決めた事は曲げなかったり、理想主義だったり、同じような境遇だったり……俺と白瀬さんは真逆のようで根本的には似た者同士です。何かこう、奇妙なものを感じますね。これが何かはわかりませんが、少なくとも悪くはないです」
私たちを包み込む空気が一気に静まり返る。正体がバレる可能性を忘れて大声を出す恋鐘と結華は黙って目を見開く。
私も返す言葉が見つからない。ただひたすら、胸の奥から湧き出して止まらない熱い感情を噛みしめることしかできなかった。
少なくとも、第三者に悪くはないと言えるくらい私のことを信頼してくれている。それがわかっただけで、晴れ晴れとした気分になる。こんなに嬉しいことはない。思わず涙が出てしまいそうになる。
「これで一通り話したつもりです。もう終わりでいいでしょうか?」
「う、うん……ありがとう」
「咲耶んこと、大切にしんしゃい!」
「……それじゃ、咲耶ちゃん。次は学校でね」
「うん、会えて良かったよ。ありがとう!」
と、結華と恋鐘が離れようとした時。
「そこの女の子ら、オレらと一緒に遊ぼうぜ~」
そこには、顔も名前も知らない派手な見た目の男4人組。これは……ナンパと見るのが妥当か。
「すみません。そういうのは控えていただけたらなあと。私ら遊ぶ人数は足りてるんで」
「そんなこと言わないでくれよ~。別に悪いことなんにもしねぇって~」
「しつこか! 他ば当たりんしゃい!」
「方言女子! 可愛いね~! ますまず遊びたくなっちゃったよオレ」
純粋な気持ちで誘われるならまだしも、この集団からは明らかに下心がある。引き下がる気は毛頭ないらしい。1人ならまだしも、複数人なのがなんともやり辛い。どんな断り方が最適だろうか。
「そこの身長高いお姉さんはどう?」
「私も断る。あなたらとは遊ぶ理由がない。早く帰ってほしい」
「おお、厳しいね~。でも、そこが気に入った。いいよいいよ~」
……ダメか。波音のようにできる限り感情を出さず、強い言葉を使って拒んだのに。私にはこういうやり方は難しい、か。
波音の方を見やる。
「じゃあ、そこの金髪の君は? 怖い顔してだんまり決め込んでるみたいだけど、君みたいなカワイ子ちゃんは見逃さないよ~」
「「「……あ」」」
「絶対に楽しくなると思うからさ。ねね、どう?」
ここにいる女子全員の声が揃った。
この男たちはこの状況で最も使ってはいけない言葉を使った。見ず知らずの人間にそんな扱いをしてナンパなんてされたら波音が──。
「──離れろ。そして2度と近づくな。喋るな。女の子にこんな迷惑をかけた挙句、俺を女の子だと勘違いされてナンパして可愛いとかほざく阿呆はとっとと消えろ。あんたらごときにこの人達は釣り合わないし、俺は男だ。そもそも対象にならない。そんなことも理解できないほど目も脳みそが腐ってるのか?」
波音の口から発せられるとは思えない、ただの1度の聞いたこともないドスのきいた低い声。
これが波音の本気の怒り。どこまでも冷酷に、残忍に、言葉を選ばずに発せられる罵詈雑言は、周りの空気をいとも簡単に凍り付かせる。真夏の海だというのに、背筋がゾクッと寒気を覚える。
私に対する波音の怒りはまだまだ甘く、優しさが残っていたのだと思い知らされる。今の波音に拒絶されたら絶対に立ち直れない。間違いなく一生もののトラウマとして心に刻み込まれただろう。想像するだけで身の毛がよだつ。
「……ごめんなさい。もうこんなことはしません」
「帰れ。不快だし邪魔だ。海が汚れるから失せろ」
「はい……」
男4人組はしゅんとした状態で背を向け、去って行った。その姿は見た目以上に小さく見えた。
怒られてはいけない人間を怒らせたあちら側が一方的に悪いのに、なんだか申し訳なさが込み上げてきた。
「……ありがとう。波音がいてくれて助かったよ」
「礼を言われることではありません。当然のことをしただけです。あと、偶然あちらが地雷を踏んでくれたおかげです。とりあえず、穏便に済んで何よりです」
「おん、びん……?」
「正直実力行使に出るか迷ってました。しつこいので。こう見えて鍛えてますし、中学まで空手をやってたので1対4でも多少はなんとかなるはずです」
そう考えるとホントに穏便に済んだんだな、と内心ホッとした。あの状態の波音が一方的に暴力を振るう姿は見たくない。そんなことが起こらないことを祈るばかりだ。
「それじゃあ、私達はこの辺で~」
「咲耶、また会おうね!」
結華と恋鐘は用を済ませたため、そそくさと離れていった。
2人とも、波音の本音を引き出してくれてありがとう。次会った時に直接礼を言わなくてはいけないね。
「……あの2人、月岡さんと三峰さんですよね」
「え? どうしてわかったんだい?」
「いや、初見の人間に俺が男だとわかるはずがないので。三峰さんは白瀬さんの呼び方を変えてバレないように少しは工夫してましたが、俺達を見て男女と言った。どうせあなたが俺の知らないところで勝手に言ったんでしょう。月岡さんに関しては……そもそも隠す気あります? そのままじゃないですか。サングラスかければバレないと思いました?」
「ほら、その……波音は基本的に人に興味を示さないだろう?」
「確かにその通りです。見知った人の顔や名前を忘れることはざらです。でも、あの人らは忘れませんよ。複数回も積極的に俺に話しかけてくる人間は珍しいですから」
「そうだったんだね……」
それほどまでに人との繋がり希薄なのか。だからこそ、諦めずに関わろうとする私に波音は勝負を持ち掛けて、今こうして一緒にいられる訳だ。
もし、この勝負が終わったら。再び私が負けてしまったら。波音と話す機会は永遠に訪れないのだろうか。
それは……絶対に嫌だ。波音といるのはこんなにも楽しいのに。今日だって1ヶ月ぶりに会って、それまでの会えない期間は波音のことを考える機会が多かった。波音にとって私はどういう存在なのか、嫌われてないか、その他にも沢山のことを考えた。
勝負相手であり友達という関係が続く限り、波音はどんなに嫌でも友達として私と接してくれる。何か悩みがあっても波音は心配してくれるし、解決しようと応えてくれる。正直、アンティーカのみんな、プロデューサー、祖父母の誰よりもいろんなことを打ち明けられる。
唯一打ち明けられないのは、私がアイドルということだけ。アイドルとして見られることが問題ではない。私をただの白瀬咲耶として見てくれる波音と一緒にいる時間がどうしようもなく心地いいからだ。もしアイドルだとバレてしまえば、この心地良さはなくなる。波音もまた私をアイドルとして見て、私はアイドルとして波音と接することになる。
「──」
ああ、そういうことか。モデルとかアイドルとか一切関係なく、何でもない普通の自分を受け入れられることが私自身にとって何よりも求めていたものだったのか。誰かに遠慮せず甘えられることがこんなに嬉しいことだったのか。
きっと、今までにそういう機会は何度もあった。しかし、決まってどこかに躊躇いがあった。自分のワガママで誰かに迷惑をかけるようなことがあってはならないと、無意識の内に抑えていた。
でも、波音はそんな私に今までずっと迷惑をかけられたし、これからも迷惑をかけてもいいと言った。彼にとって何気ない一言のつもりだっただろうし、それを言われた時の私も波音なりの不器用な優しさだという認識でしかなかった。けれど、その優しさにどうしようもなく救われていたことに気づかされた。
──波音は特別だ。それは、幼い頃からの友達であり、似た境遇、心に負った傷を理解し合えるという意味。でも、今は──。
「どうしたんです? ぼーっとしてますよ。うわ、顔が赤いですね。暑さにやられましたか?」
「いや、そんなことは……」
「怪しいですね。白瀬さんがそれでいいならいいですけど。とにかく、無理はしないでください」
「……ごめん、さっきのは嘘だ。実は暑さで身体が火照ってしまったんだ。少し横になりたい」
「意外ですね。白瀬さんが素直に体調不良を訴えるなんて」
私の言動に波音が面食らう。珍しいものを見たという表情だ。
……本当は夏の暑さのせいじゃなくて、君のせいなんだけれどね。でも、その方が波音を近くで見て、触れて、感じることができる。
我ながら卑しいと思う。それでも、そうせずにはいられなかった。今、この時間が、何よりも尊いのだから。
「……波音」
それは、消え入るような小さい声だった。しかし、波音はしっかり聞き取って、こちらを向いてくれた。
「今日は本当にありがとう。私は今日1日君に助けられて、とても安心しているよ」
「……別に」
そうやって否定するけれど、私は知っている。初めて会ったあの日から波音は優しかった。誰かを思って行動することができた。
そして、現在はたとえ孤独だろうと諦めず、腐らず前へ進むこと揺るぎない信念がある。
優しさと覚悟。その太陽のように輝く眩さと強さに私は惹かれた。
ああ、そうだ。波音のことを考えれば考えるほど心の奥底から際限なく湧き出して胸をいっぱいにする熱いものこそが“好き”という気持ちなんだ──。
どうやら、隠さなければいけないことが1つ増えたみたいだ。