白瀬咲耶に嫌われたい 作:モリンフェン
この小説では283プロのアイドルスカウトが始まった時期は2~3月くらいという設定で話を進めていきます。時系列的にはW.I.N.G.編が始まったばかりになります。
──新学期。
温かく心地良い春風とは裏腹に、気分は冷めていた。
和気あいあいとする他の生徒らに揉まれながら、生徒玄関前に張られたクラス表を見る。
“2年3組34番深見波音”の文字を見つけ、それ以外は一切確認せず即座に教室を目指す。昇降口でローファーを上履きに履き替え、2年の教室がある3階を目指す。
階段を上り、途中にある窓から見える満開の桜を眺めていると、気がつけば3組の教室の前へ辿り着いた。
これからの事を想像してしまい、気分がより冷めていくのを感じつつ、ドアを開ける。
「うわ、来た……」
「同じクラスだったのかよ……」
「外国人……?」
「男、なのか……?」
などと、云々かんぬん。
視線が一斉に俺に集まる。始まる、毎年恒例のヤツが。
「アイツ、中学の時30人の不良を1人で倒したらしいぜ……」
それは嘘。実際に倒したのは3人だ。話を盛りすぎだ。
「自分の顔の良さを利用してカツアゲしてるって噂よ……」
それも嘘。愚かにも俺を女だと勘違いして告白した救いようの無いクソ野郎にキレた事はあるがカツアゲはやってない。普通に犯罪だろうが。
「うーん、性格最悪なのかぁ……女の子みたいに可愛いのにな」
噂でも何でもないシンプルな悪口。無論、決して無視はしない。その声の方に怒りの視線を向ける。すると、好き放題喋ってたみんなが一斉に黙った。
誰であろうと俺を女と間違える事は許さない。勘違いでしょうもない面倒事に巻き込まれるのはもう沢山だ。
「マジでヤバいな、アイツ……」
「人殺しの目だろアレ……」
「なぁ、話かけてみろよ」
「やめろって。睨まれるだけじゃ済まないわ」
それからも俺への悪口は絶えなかった。直接言う度胸は無いのか、つくづく見下げ果てたヤツらだ。
「はぁ……」
あまりの下らなさに思わずため息が出る。
これだから新学期は憂鬱だ。こんな連中と同じ空間にいるのは耐えられない。今年もこんな調子かと呆れながら席に座る。
「よ、よろしく……ね」
座るやいなや、隣の女子に笑顔で挨拶された。
……驚いた。これ程の悪評を聞いておきながらそんな事をする勇気があるなんて。あれ、9割は盛られているが1割は事実だからな。
「……よろしく」
顔を見て、挨拶を返す。
この銀髪の女子、見るからに繊細そうだが意外と心が強いのか……? 何と言うか掴めない。初めて会うタイプかもしれない。
「えっと……」
「無理して話さなくていい」
「……ごめん」
銀髪の女子は申し訳なさそうに謝る。
何なんだ。真っ先に挨拶をしたと思ったら緊張して話が続かないなんて。本当によく分からないな。
でも、あまり強い言葉を使わずにこれなら話す機会は無いだろう。何も悪くないのに謝るくらいの善人だが、それが問題だ。俺みたいに遠慮せず物を言う人間とは相性が悪い。この子の心が持たない。
──なんて考えていると。
「アイツ、
「まさか酷い事言ったんじゃ……!」
「アイドルに向かってそんな……!?」
銀髪の女子改め幽谷さんの好かれようと俺の嫌われようの差が激しすぎる。もっとも、俺にとってはその方が助かるが。
「深見君──」
「何も言わなくていい」
幽谷さんの言葉を遮る。多分いい人だし、白瀬さんみたいに何か変な事を言われても困る。逆に俺が何か変な事を言いかねない。既に遅いかもしれないが、学校で目立つような事はしたくない。
「……俺に、関わるな」
幽谷さんにだけ聞こえる声量で言葉を漏らす。
俺に関わる人間は必要無い。面倒事ばかり増えるだけだ。
□■□
始業式は午前中に終わる。
上履きからローファーに履き替え、外に出ようと歩き出す。
「──深見君……!」
そんな時、後ろから俺を呼ぶ声が聞こえた。
「幽谷さん? どうした?」
「訊きたい事があるんだけど……」
息を切らしながら喋る幽谷さん。そんなに急いでるのか? そこまでして訊きたい事って何だ?
「まぁ、少しだけなら」
「うん、ありがとう深見君……!」
礼を言って、穏やかな笑みを浮かべた。
「なんであの時私を庇ったの?」
「庇った?」
「深見君を悪く言うのは良くないよって言おうとしたんだけど……」
そんな事を言おうとしてたのか。すぐに止めておいて良かった。どうやら、幽谷さんも白瀬さんのような度を超えた善人らしい。
「庇った訳じゃない」
「え?」
「あそこで幽谷さんに何か言わせたら面倒事になるだろうから止めただけ。庇ったっていうのは幽谷さんの都合のいい解釈だ」
面倒な騒ぎはごめんだ。俺は静かに過ごしたい。何事も無く、平和に。そのためには余計な事を喋らないで黙っていて欲しい。
「あの時聞いただろ、俺への悪口。あれ、一部は本当の事だから。悪く言われるだけの事はちゃんとやってる。
だから、俺みたいなヤツと関わっても幽谷さんにメリットは無い。金輪際俺に話そうとは思わない方がいい。人に嫌われてまでやろうとする事じゃない」
世の中の殆ど全ての人間はわざわざ嫌われてるヤツに近づこうだなんて思わない。なぜなら自分も嫌われる可能性があるからだ。
人間というのはどこまでいっても自分が1番大切だ。どんな善人であろうと我が身可愛さに平気で味方を騙したり裏切ったりする。自分より他人、なんてのはフィクションの世界だけだ。信じるだけバカらしい。
「もしみんなと仲良くしたいみたいな精神で俺と関わろうとするなら、その時は幽谷さんを徹底的に拒絶する」
学校でも白瀬さんと似たような会話をしなければならないのかと考えただけでぞっとする。本気で胃に穴が空きそうだ。頼むからやめてくれ。ただでさえ白瀬さんと学校で結構なストレスなのに。
「……警告はした。それじゃ」
幽谷さんに背を向け、帰路に就く。
ほんの数秒後ろに向いて彼女の様子を確認する。
……凄く思い詰めた表情をしている。今の言葉が相当な負担だったんだろう。幽谷さんのような繊細で感受性が豊かなタイプにはダメージが大きすぎたかもしれない。流石に申し訳無さを感じる。白瀬さんとは別の意味で話したくないな、と率直に思った。本当に泣かれたら困る。それで俺が悪者になるのは別に問題無いが、幽谷さんの身に何が起こるかと考えると本当に面倒だ。
これからの学校生活に辟易していると、スマホから通知音。考えなくても分かる。悲しい事に半ば日常となってしまったやり取りだ。
『今日から新年度だね。学校はどうだい?』
何なんだ。煽ってるのか? 分かっててやってるだろこの人。
『春は出会いの季節だ。波音にもいい出会いがある事を願っているよ』
すかさず追い打ち。白瀬さんは本当にいい性格をしている。人の心を理解しているからこそ、こうして人の心を逆撫でする言葉を的確に使えるんだなと感心すらしてしまう。
『ある訳ないでしょうそんなの』
半ギレ気味にメッセージを送りつける。毎回律儀に返信するのも手間だ。もう既読無視してやろうか。
「……ん」
そういえば幽谷さん、最初から俺を深見“君”って呼んでたな。最初から女だと全く誤解されなかったケースは珍しい。
本当に、変わった人だ。
□■□
「やぁ、波音」
「……?」
時間が余ってるからいつもの海にやって来たが、なぜここにいるんだこの人は。一瞬頭がその事を拒否した。
「今日は時間があったからね。君に会えるかと思って待ってたんだ」
「他の事に時間を使った方が有意義だと思いますが」
「そんなことないさ。ここの海は美しい。見ていて気分が落ち着く。君と一緒さ」
どうやら白瀬さんはこの海を相当気に入ってしまったらしい。それだけならまだいが、あろう事かこの人は人との繋がりを求めている。そして、その標的となっているのが俺だ。
……最悪だ。最早ここで1人になるのは難しい。来れるとしても早朝のランニングの時だけ。学校帰りは時間帯的に無理だ。今みたいに遭遇してしまう。
この人の事だ、基本的に何を言っても譲らない。やはり、人との繋がりなんて不要だと完全に分からせるしか方法は無い。
「あれ……その制服。もしかして〇〇高校のものかい?」
「……知ってるんですか?」
「友達の制服と同じだから」
マジか。知り合いがいるのか。まぁ白瀬さんだもんな。交友関係が他校にまで及んでいても不思議ではない。でもうちの高校の全校生徒は約1000人いる。同学年だとしても300人以上。奇跡的に知ってる人間という可能性は低い。
とは言え、それは低いだけで0ではない。考慮はしておくべきだろう。
「そうなんですか。まぁ、どうせ知らない人間でしょうけど。一応名前は訊いておきますが」
「高2の
「……」
は? いや、そんな事あるか!? どんな確率だよ! 何で奇跡的に知ってる人間なんだ。それも同じクラスで隣の席。おかしい。絶対におかしい。どう考えても圧倒的におかしい。何やら変な力でも働いているんじゃないだろうな。そうでもないと説明できないぞこんな偶然。
「いえ、知らないです」
「そうか。知らなくても仕方ないね」
……何とかやり過ごせた。ここでバレたらもっと厄介な事になっていた。根本的な解決には至ってないが。
……これからは幽谷さんを警戒しよう。まさかとんでもない爆弾要素だったとは思わなかった。何はともあれ、ここでそれを知れたのは不幸中の幸いだ。非常に不服だが、白瀬さんには感謝する。
「はぁ……」
疲れた。学校と白瀬さんという余りにもデカすぎるストレス。それに加えて幽谷さんという新たな刺客。
恐ろしい。なぜこうも続けざまに面倒事が増えるのか。平和だった日常が2週間足らずでここまで変貌してしまうなんて。
こんな日常は嫌だ。必ずどこかで決着をつける。全ての元凶たる白瀬さんを俺は許さない。
……が、精神的に不健全な状態ではまともに勝負できない。とりあえず今日はもう帰る。帰ってノワと戯れてよう。動物は全てを解決する。
「……では」
やると決めたら行動に移るのは早かった。白瀬さんに帰宅の意思を伝え、勢い良く駆けだす。
「波音!?」
驚いて動きが止まる白瀬さん。
よし、チャンスだ。このまま止まらずに走る。
「は……!?」
何をとち狂ったのか白瀬さんは俺を追いかけてくる。
理解できない。俺への執着が異常すぎる。普通1人の人間に対してここまでの事はしない。
「あの時のあれか……?」
以前白瀬さんが言っていた事を思い出す。昔遊んだ女の子と俺は似ているんだとか。誰よりも友達の存在を願っていたのに、今では人間嫌いで人との繋がりを不要と言う姿があまりにも痛々しくて悲しいから放っておけないとか何とか。
……別にいいだろ。それの何が悪い。本人が納得してるなら問題なんて何も無い。そんな下らないエゴを押し付けられるこっちの気持ちになってみろって話だ。
「捕まるってたまるか……!」
一気に加速する。ここから家までは1㎞も無い。何事も無ければ最後まである程度の速さで走れるだろう。
後ろの白瀬さんを振り返ると、その差は広がるばかりだ。スタートが遅れているのもあって、俺の方が圧倒的に有利だ。だが、念には念を入れておく。本来なら前方の道を真っすぐ行った方が家は近いが、この曲がり角を右に曲がってあの人を撒く。
「ッ……!」
しかし、右折とした勢いで足が滑る。更に、ポケットからスマホが落ちた。流石に捨てられるものじゃない。追いつかれるリスクは高くなるが拾うしかない。
道を引き返す。急なターンで足に負担がかかるが、そんな事は気にしない。時間の無駄だ。道を曲がったために白瀬さんの姿は見えないが、あれ程の差なら間に合うはずだ。
そうして、スマホを拾おうとした瞬間──
「ッ……!?」
──激突。柔らかくて弾力のある何かを顔中に感じながら、重いものに押し潰される。あまりにも突然すぎたため、受け身もままならず、鈍い音を伴って頭から地面に倒れる。
「ガッ……!」
鈍痛と共に脳が揺れ動く感覚。ここままだとヤバい──そんな直感がよぎる。
意識を強く持ち、ギリギリのところで気絶しないように踏ん張る。幸い気絶するまでには至らなかった。
「痛ッ……」
その代わり、激しい頭痛に襲われる。それによって身体が思うように動かせない。上に乗っているものが重いのもあって、今の自分の力では抜け出せそうにない。
「ッ……!」
少しずつ鮮明になっていく全身の感覚。それで感じる温かさで分かった。上に乗っているのは人だと。鼻同士が当たってる。あと胸のあたりに柔らかい感触がある。そしてそれと似た感触が口にも。しかも生温かい。
「──波音、大丈夫かい!?」
顔を上げて喋ったのは白瀬さん。ハァ、ハァ、と荒い息を上げている。顔を上げて呼吸が楽になったものの、それでもまだ距離は近いため、その生温かい息が顔にかかる。
──いや待て。さっき口で感じてた柔らかさと生温かさ。これってまさか──
「ッ!」
瞬間、顔がボッと沸騰したように熱くなる。
そうだ、口……正確には唇。互いのそれが当たっていたんだ。認めたくはない。だが、唇と唇が接触したという事実がある。俺は──白瀬さんとキスをした。
「波音!?」
俺を呼ぶ白瀬さんの声に応じる程余裕なんて無かった。否応なしにさっきの唇の感覚を思い出してしまい、それどころではない。
──瑞々しくて柔らかい。冷たくて、触れていて、とても心地良かった。
鮮明に覚えている。その感触を意識すればする程、心臓がドキドキする。頭の痺れが痛みによるものから甘いものに侵される。心が多幸感で満たされる。
生きている内にこんな事は絶対しないだろうと思っていたが、いざその時になると存外悪くないと思ってしまう自分に腹が立つ。
「見ないでください……!」
怒りを込めて白瀬さんを睨み、声を絞り出す。
こんな顔見られたくない。恥だ。穴があったら入りたいとは正にこういう時の事を言うんだろう。
目が合う。こうしてこの人の顔を間近で見ると、改めて分かる。本当に綺麗な顔をしてる。普通の人なら簡単に気を許してしまうだろう。
でも、俺は違う。白瀬さんの魅力には決して屈しない。
「……立ち上がってください、早く」
これ以上この体勢のままだと変な気を起こしかねない。そういう事だけは何が何でも避けなければならない。俺が俺でなくなる。人間として終わりたくない。
だが、非常に憎たらしい事にこんな状態では白瀬さんを押し上げられない。この人に立ってもらう事でしか立つ事ができない。
白瀬さんが立ち上がり、身体が軽くなる。ふらつきながらも何とか俺も立ち上がる。荒い息を整えるために少し深呼吸をする。入ってくる新鮮な空気が最高に気持ちいい。
「……波音。その……大丈夫かい?」
何とも気まずそうに問いかける白瀬さん。その頬は赤かった。これには流石のこの人も動揺したらしい。事故とはいえキスしたんだから当然だ。
「大丈夫、です……」
正直言って全然大丈夫ではない。身も心も。だが、何とか体裁を保つためにも平静を装う。頭を打ちはしたものの、怪我や出血は無い。運が良かったと言える。
「済まない、私が前を見なかったばかりに」
「白瀬さんは悪くないです。悪いのは俺です」
スマホに夢中で周囲への注意が散漫だった。だから曲がって来た白瀬さんに気づかなかった。
そうだ、スマホはどうなった。拾う直前にぶつかったから安否を確認できていない。どこだ、どこにある。
足元を見ると、俺のスマホがあった。すぐに拾って状態を見る。見た目は画面に張られた保護ガラスに少しヒビが入ったくらいだ。電源は普通に付く。タップやフリックといった動作も問題無い。
「良かった……」
ほぼ無傷だ。もし壊れたら修理だの買い替えだの、諸々の手続きが面倒臭い。まだ1年も使ってないんだ。最悪の事態は避けられたので思わず頬が緩んだ。
そうやって安心していると、変な視線を感じた。周囲には俺ら以外の人間はいない。必然的に白瀬さんに限られる。
「どうしたんです?」
「い、いや……何でもない」
この人にしては歯切れの悪い答えだ。見るからに怪しいが、今は気分がいいから追求はしない。そんな事よりも重要な事がある。
「……白瀬さん、すいません。無礼な真似を……働きました」
白瀬さんの目を見て、謝罪する。
あれだけ邪な気持ちを抱いておいて謝らないのは白瀬さんに悪い。とは言え、油断するとあの感触を思い出してしまう。すぐにとっさに後ろを振り向き、口元を手で覆い隠した。しばらくはこの人の顔を直視できそうにない。
ダメだ、また顔が熱くなってきた。事故ではあるがキスをして、感じた事のない感情を感じて。何もかも初めての体験だった。いずれもありえない事だと信じて疑わなかった事だ。
ムカつく。心底ムカつく。少しでもいい思ってしまった自分が許せない。
「そんな……別にいいさ。ただの偶然だよ」
「やめてください」
「波音が謝る事じゃな──」
「やめてください!」
俺を擁護するな。普通に怒ってくれ。許される理由が分からない。白瀬さんはどうしてこんなに優しいのか分からない。俺は常にこの人に酷い事を言ってるし、嫌われる要素ばかりだ。そうまでして助ける価値なんて無いだろう。いい加減見限って欲しい。
「……帰ります」
当初の目的である帰宅を優先する。今はとりあえず休みたかった。白瀬さんと一緒にいると変な気持ちになる。この人の事で悶々としながら過ごすなんて嫌だ。
「そんなフラフラで帰ろうとするなんて無理だ。私も手伝う」
「あなたの手は借りません。1人で、歩けます」
それに、白瀬さんは勝負相手だ。気を許した訳じゃない。この件で変なわだかまりができたが、それで勝負をなぁなぁにするのは良くない。
俺はこの人に孤独であっても生きていけると証明する。だから絶対に、絶対に負けたりなんかしない──。