白瀬咲耶に嫌われたい   作:モリンフェン

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第7話 負けだ、悪い

「やぁ、波音」

「来ましたか」

「ここに呼んだという事は大事な話なんだね?」

「はい」

 

 5月半ば、曇天の中。いつもの場所で、いつものように白瀬さんと会う。

 しかし、いつもと違う事がある。それは──。

 

「──もう終わりにしましょう、こんな関係」

「終わり……!?」

 

 こうして会って話すのは今日が最後だという事だ。

 とことん付き合ってやると言っておいてする事ではない。それは承知している。しかし、事情が変わった。数日前に聴いた白瀬さんの過去が理由だ。もう限界だ。

 ──母親がいなくて、父親と2人で暮らしていた。その父親はいつも夜遅くまで仕事で忙しくて、家では1人きりの時間が多かった。

 似た者同士とは良く言ったものだ。まるで生き写しみたいにそっくりな過去。これがずっと頭から離れない。幼少期に刻まれた孤独という痛みが分かるからこそ、白瀬さんと一緒にいると心を許してしまいそうになる。

 だが、俺は同情も共感もしないと決めた。そうやって誰かの気持ちに寄り添うのは俺の信念に反する。そうである以上、早急に縁を立ち切るのが道理だ。

 

「そんな……何がダメだった? せめて理由は教えてほしい」

「……白瀬さんだから、です」

「私だったから?」

「はい。あなたは良かれと思って俺に声をかけて、俺の気持ちを理解しようと踏み込んできて……嫌なんです、そういうの」

 

 俺の気持ちなんて誰にも理解されなくていい。自分の事は自分だけが背負えばいい。最後に信じられるのは他ならぬ自分自身だ。自分の事を理解するのが精一杯の人間が他人を理解するなんておこがましいにも程がある。

 

「……うん、分かった。この勝負──私の負けだ」

「ッ!」

 

 ──負け。俺が何よりも求めていた言葉は、驚くほどあっさりと放たれた。

 

「随分と潔く受け入れるんですね」

「波音にはたくさん迷惑をかけた。今までの事は全部謝る」

「白瀬さん……!」

「……君とはもう2度と会わない。連絡もしない。波音との繋がりは短い間だったけれど、とても楽しかったよ。これは、嘘偽りの無い事実だ。

 君は本当に強い。独りで生きていくという意思に一切の迷いが無い。これからもそれを大切にね。波音なら絶対に貫き通せるよ」

 

 白瀬さんと会って早1ヶ月半。刺激的ではあったが、楽しくはなかった。行動に振り回され、言動に振り回され。初めての体験ばかりだった。

 だが──俺の在り方が変わる事は無かった。結局のところ、俺は1人でいるのが心の底から好きな人間だ。誰かと相容れる事は無い。

 

「ありがとうございます」

 

 白瀬さんに礼を告げる。同じ痛みを知り、それを共有できる白瀬さんとの繋がりを切った今、俺は独りでも生きていける。そう確信できるようになったのはこの人のおかげだ。

 最後に敬意をこめて一礼し、ここから去っていく──。

 

 

 

   □■□

 

 

 

「ねぇ、最近咲耶さんとはどうなの?」

 

 園芸委員会の仕事終わり。帰ろうとカバンの荷物を整理していると、幽谷さんに尋ねられた。

 

「あぁ、もう終わったよ」

「終わった?」

「白瀬さんとの縁は切った」

「え……!?」

 

 声の小さい幽谷さんにしては珍しい、大きめの声。よほど驚いているのが分かる。

 

「だから最近咲耶さんの元気が無かったんだ……!」

「元気が無い?」

「咲耶さんは隠してるつもりだけど、よく俯いたり、ため息をついたりしてる。深見君が理由だったんだね。ねぇ、白瀬さんと何があったの?」

「勝負をしてた。俺が勝ったら白瀬さんと2度と関わらない。逆に白瀬さんが勝ったら俺と友達になるって条件で。それで、俺が勝った。

 互いに納得した上で成立した結果だ。今更覆す訳にはいかない。白瀬さんに何かあっても俺には関係無い事だ」

 

 白瀬さんは自分の意思で負けを認めた。そうしたのは“俺に人との繋がりは必要無い”と納得したからに他ならない。なら、繋がりを絶った俺の事を心配する意味なんて無い。それなのに、どうして1週間経って尚気にしているのか。理解できない。 

 

「そんなの……そんなのってないよ」

「幽谷さんが白瀬さんを心配する気持ちは分かる。でも、白瀬さんは自分の意思で降参したんだ。そんなになるくらいなら、負けを認めなければいい。それなら一応まだ関わろうとは思ったけど」

「……」

「幽谷さん、俺なんかと関わらないで早く帰った方がいい」

 

 空を見ると、雲行きが怪しい事に気づいた。すぐに雨が降りそうだ。それもかなり強めのが。運が悪い事に傘を持って来ていないため、早く帰らないとずぶ濡れになる。急ぐ必要がある。

 

「それじゃ」

 

 幽谷さんに別れの挨拶をして、教室を出た。

 

 

 

   □■□

 

 

 

「……間に合わなかったか」

 

 学校帰り。いつもの海沿いの道を歩いていると、ポツリ、ポツリと雨が降り始めた。それは瞬く間に大雨となって降り注ぐ。この時期にしては珍しいゲリラ豪雨だ。

 傘を持っていないので、走りながら家へ向かう。学生服はできる限り濡らしたくない。少しでも被害を軽減するためにも全力で駆ける。

 

「ん?」

 

 砂浜に人影が1つ。5月も後半に入り、暖かくなってきたと言えど、夏は遠い。まだ人が来る季節ではない。ましてやこんな悪天候だ。理解に苦しむ。俺だって行こうとは思わない。

 近づくにつれ、その人影の姿は明確になる。そして、

 

「──ッ!」

 

 身長、髪型、服装──間違いない。白瀬さんだ。顔は見えないが、普段とは違う。今のあの人には明るい雰囲気が無い。重く、苦しく、暗い。全く動こうとしない。

 雨が降っているのに、傘を持ってない。ずぶ濡れになりながら、ただひたすらに海を眺めている。

 

「何やってんだあの人……!」

 

 いくら自己犠牲的な白瀬さんでも、こんな不健全で破滅的な行為は絶対にしない。

 ここで、学校での幽谷さんとの会話が頭をよぎった。

 

『だから最近咲耶さんの元気が無かったんだ……!』

 

 ……まさかここまで落ちこんでいたとは。本当にどうしようもないな。終わったならさっさと割り切って欲しいものだが、この人がそういうのは苦手なのはこの1ヶ月半で分かっている。白瀬咲耶はそういう人間だ。

 ──あの人は俺みたいな奴であっても拒絶されない限りは見捨てないし、放っておかない。楽しませようと全力で頑張る。優しすぎて呆れるくらいだ。間違いなく美点と言っても過言ではない。

 しかし、それは短所でもある。白瀬さんは自分への負担を顧みていない節がある。誰かと一緒にいる時、弱みを全く見せない。その分、1人でいる時はその反動が多少なりともあるはずだ。

 そして、俺との一件によって生じた反動は計り知れない。人との繋がりを何よりも大切にする白瀬さんにとって、それが絶たれる事は辛いなんてものではないだろう。あんなに心優しい人間だ。罪悪感から自分で自分を責めて、傷つける。

 もしこの状況が長く続いて、積もりに積もったストレスが爆発したら──。

 

「──クソッ!」

 

 それ以上先の事は考えるまでもない。直観で理解した。

 ──気がつけば走っていた。白瀬さんの元へ。

 

「白瀬さん!」

「その声……波音!?」

 

 もう2度と会う事も話す事も無いと確信していたはずなのに。どうして俺はこんな事をしているのか自分でも分からない。

 

「どうして……!?」

「俺にだって分かりませんよ!」

 

 白瀬さんはもう勝負相手ではなく、無関係のどうでもいい人間だ。この行動に意味は無い。必要も無い。こんな事をしてもただ雨に濡れる時間が長くなるだけだ。

 なのに、どうして──俺は白瀬さんに手を差し伸べようとしているのか。

 

「ッ……!」

 

 突き動かされるままに、手を伸ばす。

 ──不愉快だ。白瀬さんを助けようとしているみたいで。誰かを助けるという事は、その人に気持ちに寄り添い、共感し、慰める事だ。それは俺には絶対にできない。今俺がやろうとしているのはくだらない真似事だ。

 

「このまま雨に濡れ続けたら風邪引きますよ。俺と違ってあなたには心配してくれる人間がいるでしょう」

「……!」

 

 白瀬さんは何も喋らず、ゆっくりと俺の手を取った。このまま外にいても良い事は何一つ無いと理解したんだろう。

 その手は震えていて、冷たい。温かい人柄のこの人のものとは思えなかった。

 俺にどうこう言う資格なんて無いが、思うところはある。白瀬さんは常にポジティブで、悠然と人との繋がりの大切さを説く。どんな時でも諦めず、理想に向かって突き進む。そういう強い人で在ってくれなければ困る。こんな控えめな白瀬さんは見るに堪えない。

 

「今から走るんで、俺について来てください」

「……ごめん」

「何も悪くないのに謝らないでください」

「……うん」

 

 こんなのは最初で最後だ。白瀬さんとはこれっきり。今日が終わったら今まで通り他人だ。

 白瀬さんは首を縦を振り、互いに無言で走り出した。

 

 

 

   □■□

 

 

 

「ここです」

 

 走り出してから数分。マンションの階段を駆け上がり、俺が住んでいる703号室前に着く。

 カードキーをスキャンし、ドアを開ける。すると、

 

「ニャー!」

「ただいま」

 

 俺の帰りを待っていたノワが歓迎してくれた。

 

「この子がノワか。可愛い黒猫だね」

「後で触らせてあげるから白瀬さんは早く風呂に入ってください」

「いや、ここは家主の君が最初に──」

「あなた、今の自分の状態分かってます? 俺よりずぶ濡れなんですよ?」

「……ごめん」

「謝られる筋合いはありません」

 

 この人、今日はいつにも増して謝ってくるな。俺に迷惑をかけたとでも思っているのか? 普通は逆だろう。俺が白瀬さんに迷惑をかけたと考えるのが常識的な感性だ。出会った時からそうだが、つくづくおかしな人だ。

 

「風呂場は1番手前の曲がり角を右に曲がった所。タオルや衣類は曲がって風呂場の反対側にある引き出しです。他に何か訊きたい事はあります?」

「いいや、大丈夫」

「何かあったらいつでも言ってください。対応するので」

「うん」

 

 とりあえず白瀬さんを風呂場に向かわせる。

 一方の俺は自室へ向かい、制服から私服に着替える。制服一式をハンガーにかけ、除湿器を起動させて乾燥させる。これで明日までには乾くはずだ。

 

「はぁ……」

 

 それにしても、白瀬さんをこんな形で家に入れるとは思わなかった。何をやってるんだ俺は。既にやってしまったからには無理に追い出す事はしないが。とにかく、凄く複雑だ。

 

「ニャー……」

「どうした? 腹減ったか? 今持ってくるからちょっと待ってろ」

「シュー……!」

「え?」

「シャーッ!」

 

 何やってんだお前と言わんばかりに威嚇された。

 もしかして怒ってるのか? 普段は滅多な事では怒らないのに。余程の理由があるんだろう。そのまま部屋を飛び出して、リビングの方へ向かった。

 ──と、思いきや。

 

「ニャッ!」

 

 なぜかノワは風呂場の前で止まった。

 

「ここには何の用も無いだろ」

 

「グルルルルゥーッ!」

「うわッ!?」

 

 いきなり俺に跳びかかってくるノワ。思わず倒れてしまった。

 

「お前……痛ッ!」

 

 うるさい、そんなものは関係無い──そう主張するかのごとく、有無を言わさず右頬を引っ掻かれた。

 コイツ、本気で俺に怒りを向けている。理由が分からないから対処のしようが無い。一体何が正解なんだ。

 

「ニャニャ! ニャニャニャ!」

 

 俺に何かを説明しているようだ。しかし、人間に猫の言葉なんて分からない。とは言え、大切な家族の気持ちを無下にする訳にはいかない。精一杯考えよう。

 まず、ノワは風呂場の前で止まった。次に、風呂場には何の用も無いと一蹴したら怒りのあまり俺を引っ掻いた。となると、ノワは「お前にはここでやらなくちゃいけない事があるだろ」と言っていると考えられる。

 風呂場……そうだ、風呂場には白瀬さんがいる。という事は、白瀬さんが関係している可能性は大いにある。これを考慮するなら、「お前には風呂場にいる白瀬さんに対してやらなくちゃいけない事があるだろ」となる。恐らく、これで合っている。

 とは言え、やらなくちゃいけない事とは一体何なのか。そんなすぐには思い浮かばない。俺にどうしろって言うんだ? 何か、何かあるはずだ。常識的な感性で考えれば──。

 

「ッ……もしかして、謝れって言ってるのか?」

「ニャッ!」

 

 思い浮かんだ事を素直に答えると、ノワが首を縦に振った。どうやら正解だったらしい。

 ……というかコイツ、こんなに人間らしかったか? 普通に話してるっぽいし、首を縦に振るアクションなんて今までやった事無かっただろ。その内二足歩行とかしたりしないよな……?

 そもそも、俺は白瀬さんとの繋がりを絶ったなんてノワに話してない。なぜ把握しているんだろうか。まさか人間の言葉が分かるのか? いや、そんなはずない。だって猫だぞ。

 

「でもなノワ、そういう訳には──」

 

 2発目。知ってか知らずか、1発目と同じ場所を狙われる。痛い。下手な切り傷よりもずっと痛い。

 確かに普通なら謝るべきなのは分かる。だが、俺と白瀬さんは普通の関係ではない。

 

「分かってくれ。白瀬さんだってこの結果には納得して──」

 

 ……3発目。例によって右頬。俺を見るノワの目には光が無かった。間違いなく蔑まれている。「お前ホント最低だな」という圧をこれでもかと感じる。

 もうこれ以上は無事じゃ済まない。このまま放置したら病院に行かなくてはならない。そうならないためにも今すぐ処置を済ませる必要がある。

 普段はこんな暴れないのに今日に限って何なんだ。猫とは思えないほど人間の感情を細かく理解できている。ダメだ、俺にはノワが分からない。10年も一緒なのに。まぁ、孤独な人間には誰かの心を理解する資格は無いという事なのだろう。

 

「……うわ」

 

 傷の部分をそっと触れると、指に少量の血が付着した。早急に処置しなければならない。血を洗い流すために台所へ向かう。

 

「痛ッ……!」

 

 急いで蛇口から水を出し、傷口に当てる。痛い。染みる。こんなに応えたのは久しぶりだ。

 

「……ま、当然か」

 

 これは受けて然るべき報いだ。冷静に考え、ふとそう思った。

 孤独とはそういうものだ。自分に降りかかるあらゆる苦痛を背負って生きる。これもその1つ。

 しかし、この痛みはただの痛みではない。もっと別の何かを感じる。この痛みは……罪悪感。

 俺の罪は大きい。白瀬さんの心を傷つけて、破滅的な行動を取らせるほど追い詰めた。これだけの事をしたのだから、ノワから受けた攻撃程度では全然足りない。

 俺と違って、白瀬さんには多くの繋がりがある。この影響は彼女1人にとどまらず、多くの人間に及ぶものである事は明らかだ。

 

「……」

 

 傷の痛みを感じながら、更に深く考える。

 1度できた繋がりを失うのは何よりも苦しい事だ。だからこそ白瀬さんに同じ苦しみを与えた。何が何でも俺を救おうとしていたからこそ、精神的なダメージが非常に大きかった。

 あの人はこの痛みをすぐに乗り越える事ができなかった。その点で俺とは決定的に違う。別にそれで弱いというつもりはない。寧ろ、白瀬さんの反応が当然だ。いや、俺なんかでこうなるのは流石に過剰か。

 

「……はぁ」

 

 本当に見ていられない──改めてそう思った。

 優しすぎて呆れる。罪悪感まで抱いてしまうくらいには。どうして人間としてやってはならない事を平気でできる俺に友情を抱けるのか分からない。近づいてきた白瀬さんを遠ざけるためにあえて露悪的な態度を取ったが、白瀬さんの人の良さがこれほどだとそれも不毛だ。

 ──かくなる上は。今の白瀬さんを見ていても何も面白くないし、心の底からやりたくないがやるしかない。

 水を止め、近くに置いてある救急箱からガーゼをとテープを取り出す。そのまま傷口にガーゼを被せ、テープで固定する。これで最低限の処置はできた。

 

「……やるよ、ノワ。やればいいんだろ」

「ニャッ!」

 

 4発目。今度は引っ搔くのではなくパンチ。軽くなったとは言え、こういう行動をするからには何かしら意図があるのだろう。

 

「……ま、謝るなら謝る側の態度ってものがあるか」

 

 白瀬さんをこれ以上あのままにしておく訳にはいかない。誠心誠意謝る事で終わるならそれが1番だ。

 別に許されたいとは思わない。寧ろ許されたくない。許されてはならない。俺は白瀬さんに自分が受けた苦しみを与えた。悪意を受けたら悪意で返して、更に悪意を撒き散らして、その繰り返し。それが碌な事にならないというのを知っていながら実行した。許されていいはずがない。どうか許さないでほしい。

 

「ありがと、ノワ」

 

 今やるべき事を教えてくれたノワに礼を告げる。

 普段大人しいコイツが本気で怒った理由がやっと分かった。俺を現実と向き合わせるためだったんだ。俺が謝れば白瀬さんは多少落ち着いてくれるだろうし、俺は白瀬さんに対して思う事も無くなってスッキリする。考えてみればこれが最善だと納得せざるを得ない。

 まさか、家族とは言え猫に助けられるとは思わなかった。

 

「ッ──」

 

 ──あぁ、そうか。これが、そうなのか。今感じたものが──繋がりか。

 俺とノワの間にある明確なもの。人と猫と言えど、人間同士のものと何も違わない。そんなものは無いと思っていたが、既にあった。俺は、孤独ではなかった。

 あぁ、どうしてこんな簡単な事に気がつかなかったんだろうか。この10年、いつも一緒だったのに。

 

「……」

 

 自分の定義が崩れていく。

 自分の在り方が崩れていく。

 自分の根幹が崩れていく。

 自分の願いが崩れていく。

 今まで白瀬さんへ向けていた感情は一体何だったんだろう。

 

『──じゃあ、私が君の友達だよ!』

 

 どうして今、こんな事を思い出すんだ。こんな、事実かどうかさえ疑うほどに薄れた記憶を。

 ──確かあれは、俺がまだ小学生ですらなかった頃のお盆の時期。父さんの実家がある高知県で偶然出会った男の子(・・・)。場所は……海。白瀬さんと初めて会った時のように、1人で水平線を眺めていた俺に声をかけてくれたのがきっかけだった。

 あの子とはあれが最初で最後。それでも、友達だと言ってくれたのが嬉しかった事を思い出した。

 

「案外あるんだな……繋がりって」

 

 たった1度、たった1日と言えど、確かに繋がりはあった。

 あの子、今はどうしているんだろう。もう10年以上も前の出来事だ。俺の事なんてとっくに忘れているだろうが、ふと気になった。

 ……にしても、俺は誰にも同情も共感もしないと決めていたのに、それなのに、そう思えなくなってしまった。

 どうしよう。これからどう話せばいいか分からない。

 

「波音ー!」

「な、何ですか?」

「服のサイズが合わないんだ。これより大きいものがあったら持って来てくれると嬉しい」

「はい」

 

 あれこれ考えていると、風呂場から白瀬さんの声。

 サイズ差の事を完全に忘れていた。俺と白瀬さんでは身長や体格が違う。俺の服を着れたとしても、相当パツパツだろう。となれば、ここは父さんのを渡せばいいか。身長同じくらいだったはずだし。

 

「持って来ました。入ってもいいですか?」

「うん、いいよ」

 

 風呂場のドアをノックし、確認を取る。いいよと言われたのでドアを開ける。

 

「……は?」

 

 ──目を疑った。白瀬さんの姿に。

 何を着ていなければ、穿きもしていない。端的に言えば──裸。

 

「ありがとう波音……波音?」

 

 あまりの衝撃に手に持っていた衣服を落とした。人間というのは、常識の範疇を超えた出来事を目の前にすると動く事も喋る事もできずに固まってしまうらしい。

 目を離せない。どうしても惹き付けられてしまう。絶対にダメだと分かっているのに。白瀬さんの身体は凄い。モデル並みに整ったスタイル、顔。そして──

 

「グッ……!」

 

 これ以上はダメだ。白瀬さんへの意識を逸らすため、自身の脳天に本気のゲンコツを数発落とす。意外と効く。そのおかげで少しは落ち着いた。

 

「波音、ダメだよ! 自分で自分を痛めつける事をしては!」

「はぁ!? 誰のせいだと思って……!」

 

 しかし、白瀬さんは俺の行動を止めようと肩を掴んできた。これではまるで意味が無い。

 頼む。隠せ。隠してくれ。どうして一切隠そうとしないんだ。これだけ堂々と見られているのにどうして不快に思わないのか理解できない。白瀬さんがすべき事は俺の行動を止める事ではなく、身体を隠す事だ。

 

「クソッ……!」

「波音!?」

 

 白瀬さんの手を無理やり振りほどく。女の人に対して実力行使はしたくないが、状況が状況だ。やむを得ない。

 

「──ッ」

 

 焦りからか、姿勢を維持できずに足がもつれてしまった。

 ヤバい。このままだと後ろに倒れて──

 

「ガッ!?」

 

 壁に頭を強打した。先程のゲンコツで痛覚が鋭敏になっており、想像を絶する程の痛みだった。

 全身からフッと力が抜け、意識が遠のいていく。視界が、闇に覆われていく──。

 

 

 

   □■□

 

 

 

「──波音! 波音!」

 

 俺を呼ぶ声が聞こえる。眠っていたその他の感覚も徐々に鮮明になっていくのを感じながら、目を開いた。周囲を見回すと、リビングだと分かった。しかし、

 

「良かった……!」

「え、どうして俺寝てるんです……?」

 

 俺がいたのは風呂場の前だったはずだ。確か、服のサイズが合わないからと白瀬さんに呼ばれて、それで──。

 

「ッ!」

 

 そうだ。思い出した。でも、あまりにも酷すぎる内容だ。白瀬さんの前では絶対に許されない。恥知らずにも程がある。

 立ち上がろうとすると──

 

「無理に立たなくていい。君は頭を打って気絶したんだ。少し安静にしていた方がいい」

 

 白瀬さんに制止された。確かにまだ頭の痛みが引いていない。そうすべきではあるのだろう。しかし、後頭部に感じる違和感が許さない。

 

「あぁ、私の膝枕だ。風呂上がりで温まってるから心地いいだろう?」

 

 妙に温かくて、柔らかいと思ったらそういう事か。

 どうしてこう軽率に他人の肌に触れるような事をするんだこの人は。俺が男だと分かっててやってるのか? だとしたら──。

 

「──」

 

 いや、ここで1つの可能性が頭をよぎった。まさか、もしかして、この人は俺を──。

 

「……すいません」

「波音が謝る事は何も無いよ」

「いや、白瀬さんの裸見てしまいましたし、今だって……」

「女同士だから構わないよ」

 

 …………。

 

「波音? いきなり立ち上がってどうしたんだい? まだ横になっていた方が……」

 

 その言葉を聞き、全てを理解した。思わず立ち上がって、白瀬さんに背を向ける。

 なぜ男がいながら体を隠そうとしなかったのか。

 なぜ裸を見られても恥ずかしがらなかったのか。

 なぜ俺を糾弾しようとしないのか。

 

「……女同士、ですか」

 

 その答えは、ただ1つ。

 

「え? 波音は女の子だろう?」

「俺は男です」

 

 ──俺は、白瀬さんに女と認識されていたからだ。

 

「……え?」

「性別なんて隠す意味無いじゃないですか。そもそも一人称は俺だし、来てる服は男物だし、どうしてそれで今まで俺を男だと思ってたんですか?」

「いや、そういう男らしい女の子も中にはいるから、波音もそうなのかなって。第一、波音の顔立ちは女の子そのものでとても可愛らしいし……」

「いたとしても少しは疑ってくださいよ。おかげでとんでもない大事故が起きたんですが。あと俺を女扱いしないでください。普通に嫌なので」

「……ごめん」

「これに限っては白瀬さんにも悪いところはありますね。とは言え、これは俺の不注意が招いた結果です。申し訳ありません」

 

 沈黙が部屋を支配する。

 気まずい。あまりにも気まずすぎる。どうしてこういう時に限ってノワは寝ているのか。さっきみたいに鳴いてくれれば雰囲気も明るくなるのに。

 

「……」

「黙られると余計気まずいんですが」

「……波音は悪くない。悪いのは私だよ。君を男だと見抜けなかったからこうなってしまったんだ」

「いえ、俺も悪いです。白瀬さんを傷つけたのも、今こうして変な雰囲気になってるのも、全部全部俺が悪いんです。だから、ごめんなさい」

 

 普段だったら絶対に言わないであろう言葉が自然と零れた。あれだけの葛藤があったのに、いとも容易く言う事ができた。

 不思議と心は穏やかだった。いつもは鬱陶しいと思っていた白瀬さんの優しさが、今は全くそうではない。心地良ささえ感じる。

 

「……すまない」

 

 謝られると同時に、頬を撫でられた。雨に打たれていた時とは違い、温かさを取り戻している。いつもの、白瀬さんの温かさだ。

 

「波音にそんな思いをさせてしまったことが私は何よりも辛い」

「だからあなたが謝る必要なんて──」

「波音はあらゆる物事を正面から受け止めて、逃げないで立ち向かう。そういう性格だと分かっていながらもうるさく付き纏った。私は甘えていたんだ、君のそういうところに。さぞ不快だっただろう」

 

 否定はしない。最初は心の底からそう思っていたし、孤独で在りたい俺にとって邪魔でしかなかった。だからキツく当たった。それでも白瀬さんは一貫して人との繋がりの大切さを説き、俺と向き合った。勝負相手としてこれ以上無い最高の相手だった。この人に勝てれば、俺はこれからも1人でやっていけると確信を持てるからだ。

 実際に勝負に勝って、俺はその確信を持った。白瀬さんの優しさ、人との繋がりの大切さを否定した。これを達成した以上、死ぬまで1人でも問題無い。この考えは今も変わっていないし、これからも変わらない。

 

「俺だって、あなたを酷く傷つけました。真っ向から向き合ってくれると分かっていたからこそ、ああいう態度を取りました。良いものではなかったでしょう」

 

 幼少期の孤独を受け、尚孤独を貫くと決意した俺と、人との繋がりを求めた白瀬さん。逃げずに、受け流さずにそれと向き合って見出した答えは正反対だ。しかし、その根源にあるものは同じだ。だからこそ、互いに退かなかった。本当に、俺とこの人は似た者同士らしい。

 

「そのきっかけを作ったの私だ。あの時、海を眺める波音に話しかけなければ、こうして関わる事も無かった。これは私が始めた事なんだ。だから、自業自得なんだ……!」

 

 ……話が進まない。互いに謝ってばかりで、その理由を必死に探して。だが、俺にはこれを止める手段が分からない。こうする事しかできない。

 

「……謝ってばかりだね、お互いに」

「今、全く同じ事を考えてました」

「フフ、私達は本当に似た者同士のようだ」

「それもさっき考えてました」

「やはり、波音と話すのは楽しいよ。ずっとこうしていたいと思うほどに、ね」

「俺は全然楽しくないです」

「そこは違うんだね。でも、君らしい」

 

 楽しいかと言えばそれは違う。まぁ、悪いとも思わなくなったが。

 

「私がここを出たら、今度こそ波音と話せなくなる。別れるのは……辛い」

「確かに勝負は終わりました。俺達を繋ぐものはもう何もありません。でも──少しくらいなら、構いません」

「え……?」

「同じ事を言わせないでください。少し関わるくらいなら構わないって言ってるんですよ」

 

 白瀬さんは既に勝負相手ではないし、友達でもない。これ以上関わる理由は何1つ無い。新しい繋がりを築きたい訳でもない。

 ──なのに、白瀬さんと話していると心の奥から何かが湧き上がってる。初めて感じる何とも形容し難い感情。しかし、不思議と不快感は無い。

 

「──ありがとう」

「ッ……!」

「こんな私ともう1度関わりたいと言ってくれて、ありがとう」

「か、勘違いしないでください! 別に楽しいとか、友情を感じたとかそういうのじゃありませんから!」

 

 誤解されたら困るのでそういう意図は無いと補足説明する。

 話す程度なら問題無い。だが、友達になりたいと望んでいる訳ではない。確かにこの人との会話は感情を動かされる事が無い事もないが、それはそれだ。俺と白瀬さんとはそういう感じではない。

 クソ、どうしてこんなに顔が熱いんだ。恥ずかしい訳でもないのに。俺の中で一体何が怒っているんだ。

 

「……やっと礼を言いましたね。今日はずっと謝ってばかりでしたよ、あなた」

「それは君も同じじゃないか」

「俺は俺が悪いから謝っただけです」

「いや、迷惑をかけた私が悪いんだ。波音は悪くない」

「いや、白瀬さんの、その……見てしまった俺が悪いです」

「君を男だと見抜けなかった私が悪い」

「最初に男だと言わなかった俺が悪いです」

「最初に男だと訊かなかった私の方が悪い」

「あなたを一方的に拒絶した俺が悪いです!」

「君に一方的に付きまとった私が悪い!」

 

 どちらが悪いかどうか、互いに言い合う。こんな子ども染みた事は無意味だと分かっているのに、ムキになって止めない。正しいと思った事は譲らない、そんな性格が出ている。

 

「「……プッ」」

 

 ──唐突にプッと吹き出し、

 

「「アハハハハハ!」」

 

 大笑いする。

 

「すまない。面白くてつい笑ってしまったよ」

「意味分からないですよね。こんなくだらない事で笑うなんて」

 

 本当に馬鹿らしい。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。それも、他人の前で。

 

「白瀬さんはそんな事よりもやるべき事があるでしょう。俺に怒るとか」

「怒らないよ。いや、怒れないと言った方が正しいかな」

「怒れない?」

「私と君は同じような境遇だ。だから、君の気持ちはある程度分かってるつもりだよ。傷口を抉るような事はできない」

 

 白瀬さんのが別の方に向く。その先にあるのは──母さんの仏壇。

 

「気づいてたんですね。あの仏壇が俺の母親のものって」

「前に言ったはずだけれど、私も母親がいないんだ。物心ついた時から父親1人だった。仕事が忙しくて、帰ってくるのはいつも夜遅く。家ではたった1人、父親の帰りを寂しく待っていた」

「……同じです」

 

 5歳の時に母さんを亡くして、7歳の時に捨て猫だったノワを拾うまでのおよそ2年間。母親がいなくて、父親は仕事が忙しくて夜遅くまで帰ってこない。そんな幼少期だった。

 

「波音、君はもう1人じゃない。ノワが、そして私がいる。同じ痛みを共有できる私達がこうして関わり合っている事には何かしら意味があると思うんだ。運命的な、何かが」

 

 奇しくも俺、白瀬さん、ノワはいずれも孤独の痛みを抱えている。確かに何か意味はあるのだろう。それは漠然としていて、要領を得ない。

 

「……運命かどうかは分かりません。その答えは、これから探そうと思います」

 

 だが、知りたいと思った。俺達が邂逅した意味。偶然と言えばそれまでだが、それでも何か欲しい。そうだと断言できる、特別なものが。白瀬さんと関わり続ければ見出せる。それだけはハッキリと分かった。

 

「……また、よろしくお願いします。白瀬さん」

「うん、よろしく。波音」

 

 互いに握手を交わす。ギュッと、力強く。

 今この瞬間、白瀬さんとの繋がりが再びできた。1度は突き放したこの手を、今度は取ったんだから。

 だが、今までのような関係ではない。それを言葉にするのは難しい。友達というほど近しい関係ではないが、話し相手程度の薄い関係でもない。どっちつかずと言えど、互いの内にある痛みを共有した間柄だ。思うところがあるのは間違いない。何とも奇妙な関係だ。

 ──それでも、俺の在り方は変わらない。1人でいる事が好きだし、誰にも頼らず全ての事を1人でやろうという意思は変わらない。沢山の人間と接する気も無い。

 変わった事があるとすれば、繋がりを自覚してそれを持とうと思った事だ。以前の俺ではあり得なかった。これは相手が白瀬さんだからに他ならない。

 

「……簡単に絆されてたまるかって話です」

「何か言ったかい?」

「いえ、何も」

 

 つくづく厄介な人に目をつけられたものだ。これから白瀬さんと関わるなんて何が起こるか分からない。

 ──それでも。それでも、これからの日々は面白いものになるだろう。何せ、相手は聖人君子の天然人たらし白瀬咲耶だ。

 俺はもう孤独ではない。きっと、この繋がりが再び絶たれる事は無い。

 気がつけば、雨は止んでいた──。

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