「さて、気を取り直して情報を整理しようか」
ワンダーステージの客席に座ったアタシたちを見た後、るいさんはホワイトボードの前で黒いマジックペンのキャップを外す。しかし、アタシは隣に座るお兄ちゃんのことが気になってそれどころではなかった。
「あの、お兄ちゃんはこのまま?」
「ああ、さっきも言ったけれど司くんの意見を聞くだけで何かしらの影響を受ける可能性があるからね。彼には少しの間、我慢してもらっているのさ」
「んーっ! んんー! んー!」
ニコニコと楽しそうに笑うるいさんとは裏腹に大きくバツと書かれたマスクを付け、ロープでぐるぐる巻きにされているお兄ちゃんはうめき声を漏らして抗議する。別に口を塞いでいるわけではないのに全然声が聞こえないのはなぜだろう。これもるいさんの発明なのだろうか。えむちゃんもねねちゃんも気にしている様子はないから彼らにとって当たり前の光景なのかもしれない。
「今回、咲希くんを中心に起こっている不可解な現象。無意識に事実を思い浮かべた後、すぐにそれが違うのだと自覚し直す、そういった現象で間違いないかい?」
「そ、そうです! まさにそんな感じです!」
本当に感覚的なことなので上手く言語化できなかったのにアタシの話を聞いただけでこの短時間でそこまで理解できるとは思わず、目を丸くしてしまった。今後、説明する時に使わせてもらおう。
「ふむ……これまでの現象をまとめたメモを見させてもらったけれど、改めてここにも書かせてもらうね」
「はい、お願いします!」
キュキュ、と時々、音を立てながらるいさんが昨日の話し合いに使ったルーズリーフに書かれた内容をホワイトボードに写していく。その間にさすがに縛られたままなのは可哀そうなのでお兄ちゃんのロープを解いてあげた。自由になったお兄ちゃんはアタシに笑顔を向け、グッとサムズアップする。状況が状況なのでマスクを外すつもりはないようだ。ジェスチャーで感謝を伝えられたのでアタシもサムズアップでお返しをする。
「これで全部かな。追加で書くことはあるかい?」
「あ、ここに来た時も同じような現象が起きました!」
確か、『フェニランにずっと通い続けている』ことに違和感を覚えたはずだ。それをるいさんに伝えると追加でホワイトボードに書いてくれた。あとでルーズリーフの方にも追記しておこう。
「……話し合うべきことはたくさんあるけれど、まずは僕の見解から話そうかな」
マジックペンのキャップを閉めたるいさんはどこか言い辛そうにアタシの方を見る。だが、すぐに真剣な眼差しになって続きを話した。
「君たちが考えた通り、咲希くんの違和感の共通点は『病気』だと思う。それも軽いものじゃない。おそらく、大掛かりな手術や長期入院が必要な重いものだろう」
『そうでなければ復学や授業に遅れるということもないだろうしね』と呟きながらホワイトボードに『大掛かりな手術や長期入院?』と書き込んでいく。皆も異論はなかったようで特に言わなかったので彼は更に話を進めた。
「もちろん、放課後、咲希くんたちが何かしていたのは病気とは無関係のことだと思うから一概にもそうだとは言えない。しかし、その点もこの違和感は『咲希A』と『咲希B』の相違点が表れた時に起きると仮定すれば病気以外の原因があっても不思議ではない」
「……結局、何が言いたいわけ?」
「つまり、わけがわからないということさ」
痺れを切らしたのか、ねねちゃんがジト目でるいさんに聞くと最初からその質問が来ると思っていたのか、彼は笑いながらはっきりとそう言った。
「は?」
「具体的に言えば、現段階でははっきりとした結論は出せないということだね。何故、僕たちの知る『咲希A』と咲希くんの知る『咲希B』は乖離してしまったのか。どうして、『咲希B』を知っているのは咲希くんだけなのか。なんで、司くんたちはその違和感を認識できないのか。情報が少なすぎて答えが出せないんだよ」
「……そう、ですか」
るいさんの答えにアタシはどこか納得していた。だが、そんなアタシを見てるいさんがどこか楽しそうに笑う。
「そこで、もっと色々試してみよう!」
「へ?」
「だって、まだ僕たちは情報整理しかしていないんだ。なら、次に行うべきなのは『実験』! 様々な仮説を立てて、それに基づいた行動をする! そうすれば、また違った何かが起こるかもしれない!」
そう明るい表情で提案するるいさんだったが、アタシには『だから、まだ諦めちゃ駄目だ』と訴えているように聞こえた。
「ちょっと、天馬さんに変なことはしないでよ」
「変なことはしないさ。ただ、楽しくお話しするだけだよ。では、さっそく始めよう、まずはケース1!」
ねねちゃんに呆れた目を向けられてもなお、るいさんの微笑は崩れず、勢いよくホワイトボードの面をひっくり返した。そこには『自己紹介』と書かれている。もしかして、最初から仕込んでいたのだろうか。
「自己紹介?」
「ああ、そうさ。確かに僕たちはすでに咲希くんと友達だけれど、『咲希B』のことは知らない。そこで改めて自分のことを話してもらいたいのさ!」
「あ、それならあたしにもできる!」
ずっと話に入れなかったえむちゃんがピョンと客席から立ち上がり、アタシの前に立った。ニコニコとアタシを見下ろす彼女の瞳にどこか困惑している『
「あたしの名前は『鳳 えむ』! 好きな食べ物は『たいやき』で、嫌いな食べ物はなし! 趣味は『ご近所探検』! 特技は運動! よろしくわんだほーい!」
「あ、えっと! アタシは『天馬 咲希』です! 好きな食べ物は『スナックのお菓子』で、嫌いな食べ物は『おかゆ』! 趣味はファッションとかメイクの動画を見ることとビーズアクセサリーを作ること! 特技はヘアアレンジかな。よろしくね!」
「うんうん、いい感じだね」
「……これ、何の意味があるの?」
えむちゃんに続いて自己紹介するとるいさんは頷き、ねねちゃんはジト目でアタシたちを見ていた。アタシの隣にいたお兄ちゃんはマスクをしながら『んんー! んー! んんんん』と話し始めたのでおそらく自己紹介しているのだろう。全然、聞き取れないからちょっと今は放置しておこうかな。
「いいや、大いに意味はあったよ。さて、咲希くん、ここからが本番だ」
「え? 本番?」
「ああ、今の自己紹介で言った好きな食べ物や趣味を細かく説明してほしい。どうして、好きになったのか、どうやってその趣味を知ったのか、とかね」
「え、えーっと……スナックのお菓子が好きになったのは子供の頃、あまり食べられなかったから、かな。おかゆはその逆でよく食べてたけど味が全然しなくて……あっ」
るいさんの指示通り、細かく説明していく途中でアタシも気づいた。スナックのお菓子を食べられなかったり、おかゆを食べていたのは病気を患っていたからだ。
「そう、そういった小さなところにも違和感がある。それがわかっただけでも進歩だと思う。もちろん、これは咲希くんのことだけじゃない。司くんや咲希くんの友達にも言える」
「ん?」
「ああ、違和感を認識できないかもしれないけれど、きっとどこかに綻びがあるはずさ。可能であれば今日中にその片鱗だけでも見つけたいね」
『オレか?』とマスクを付けたお兄ちゃんが首を傾げるとるいさんが説明してくれる。いっちゃんも無意識に違和感を口にしていたし、お兄ちゃんやほなちゃん、しほちゃんも例外ではないはずだ。
「どうして今日中なの?」
「咲希くんに感覚を掴んでほしいからね。僕たちがいなくても違和感を見つけられるように」
「るい、さん……」
その言葉にアタシは目を丸くしてしまう。今日はお兄ちゃんのおかげでるいさんたちに協力を仰ぐことができた。しかし、ずっとアタシの傍にいるわけにはいかない。だからこそ、今日の間にできることをしておきたい。そう、彼は言ったのである。
「……それなら、簡単かも。司、質問に答えてほしいからマスク外して」
「なんだ?」
るいさんの考えに数秒ほど考え込んだ後、ねねちゃんがお兄ちゃんの方を見た。その真剣な眼差しにお兄ちゃんもすぐにマスクを外す。
「あんたがスターになるっていう夢を持ったのはいつ?」
「子供の頃だな」
「何がきっかけだった?」
「家族でショーを見たことだ……ふむ、さっきの類の話からするともっと詳しく言った方がいいか」
ねねちゃんの質問の意図を汲んだのか、そこでお兄ちゃんはなぜかアタシの方を見た。その話は何度も聞いたことがある。小さい頃、家族でショーを見てスターになると決めた、と。その話に続きがあったとは思わなかった。
「咲希が……笑顔になっていたからだ」
「え? アタシ?」
「ああ、あんまり笑わなかった咲希がショーを見て笑顔になっていた。咲希だけじゃない。父さんや母さんも、他のお客さんも皆、笑顔だった。それで、オレもそうなりたいと……スターになりたいと思ったんだ。スターになれば、咲希や皆を笑顔にできる、と」
「お兄ちゃん……」
まさかスターになるという夢の根底にあったのがアタシを笑顔にするためだとは思わなかった。でも、今のお兄ちゃんの話に違和感を覚えていない。
「じゃあ、天馬さんがあんまり笑わなかった理由とか覚えてる?」
「そんなの――」
だが、そこで待ったをかけたのはねねちゃんだった。その言葉にお兄ちゃんは答えようとするが、その途中で考え込んでしまう。
「……」
いくら待ってもお兄ちゃんの口から言葉が漏れることはなかった。それどころか、どんどん顔色が悪くなっていく。まるで、認めたくない現実を目の当たりにしたように。
「……やっぱり、思い出せないんだ」
ねねちゃんはお兄ちゃんが答えられないことを悟っていたようで特に驚く様子もなく、事実を確認するようにお兄ちゃんに問いかける。だが、それに対してお兄ちゃんは首を横に振った。
「いいや……忘れたわけじゃない。それは断言できる。この思いを思い出したオレが忘れるはずがない。だが、どうしても出てこない。どうしても……」
「……これは予想外の反応だね。違和感を認識できないことはおろか、違和感に繋がる事実を口にできないなんて」
苦しそうに顔を歪めるお兄ちゃんに皆が深刻な表情を浮かべる。でも、少しおかしい。いっちゃんは違和感に繋がりそうなことを漏らしていた。もし、違和感に繋がる事実を口にできないのならあれも不可能だったはず。
「それに司くんの言っていた認識を変えられているというのもやっと自覚できた。確かに僕たちは司くんの思いを聞いた時、咲希くんのことも一緒に聞いたはずだ。彼のスターになるという夢に彼女の存在は欠かせないからね。でも、聞いたという事実だけでその内容まではわからない。いや、これがわからなくても
「えっと、類くん、それってどういうことなの?」
「つまり、これが違和感を認識できないということさ。聞いたはずのことなのに思い出せない。でも、そのことが気にならない。司くんのように咲希くんに近しい人以外にもこの法則は成り立ってしまうようだね」
違和感を認識できないということはそれが気にならないことに他ならない。実際、お兄ちゃんは思い出そうとしているのにるいさんたちは現象の考察をするだけでその内容を考えようとしていなかった。それこそ、意識が思い出せない内容ではなく、現象の方へ誘導されているようにも見える。そう、誰かに仕組まれているように。
「……」
でも、アタシはそれ自体がおかしいような気がした。いっちゃんは口にできたのにお兄ちゃんはできない? そんなことがあるだろうか。いっちゃんよりもお兄ちゃんの方がアタシに近いから影響を強く受けている? いいや、その法則が成り立つならいっちゃんよりも接点のないるいさんたちに対する影響は少なくなるはず。
(っ……もしかしたら――確か、あの時は!)
「ヒヒーン!」
一つ、妙案を思いついたアタシは腰に手を当てて声をあげた。いきなり大きな声を出したので皆は目を丸くしてこちらに視線を向ける。少し恥ずかしいけど、これは必要なことで、なにより、アタシはこれに救われた。だから、羞恥心を振り払って続きを叫ぶ。
「オレは世界の平和を守るためにこの町にやってきた、その名もペガサスマン!」
「咲希……ああ、そうだな……よし!」
ポーズを取りながらお兄ちゃんに目を向ける。それだけでアタシの伝えたいことがわかったのか、お兄ちゃんも立ち上がってアタシと同じポーズを取った。アタシの出番はここまで。お兄ちゃんならきっと、覚えているはずだ。いや、思い出せなくても体に染みついている。
「オレが、咲希を苦しめる
「司くん、今……」
「……出てこないだと!? 咲希、敵はかなりおくびょうなヤツだ! だから……咲希は勝てたんだ。どんなに辛くても、苦しくても、悲しくても、諦めなかった強い子だったから」
「……うん、そうだよ。臆病なやつだった。いっつもお兄ちゃんに追い払われてた弱っちいやつ。だから、アタシは勝てたんだよ。ずっとお兄ちゃんが病気に負けるなって応援してくれたから」
そこでセリフを止め、お兄ちゃんはアタシの方を見て頷く。それに対してアタシは嬉しくて笑顔で頷き返す。
アタシの考えは正しかった。いっちゃんが違和感に繋がる事実を漏らしたのは無意識だった。だから、いつもショーで元気づけてくれたお兄ちゃんなら昔に見せてくれたショーをすればそれを口にできると思ったのである。最低で憂鬱な日々を消し飛ばしてくれたスターの言葉だったから。
「……そうやって、いつも天馬さんを励ましてたんだ」
「ああ……助かったぞ、寧々。おかげで思い出せた!」
「別にわたしは少し質問しただけだし」
「それにしてはすぐに行動できたような気がするね。もしかして、僕たちの中で司くんの思いの話が一番印象に残っていたのは寧々だったのかな?」
「そ、それは! こいつがそんないいお兄ちゃんしてるとは思わなくてそれが妙に記憶に残ってたの!」
お兄ちゃんにお礼を言われたねねちゃんは少しだけ顔を赤くして目を逸らすがるいさんの指摘に声を荒げた。それがどこか可愛らしくて微笑ましい気持ちになってしまう。
「さて、寧々や咲希くんのファインプレーで司くんたちも無意識や体に染みついた行動の中でなら違和感に繋がる事実を口に出せることがわかった。今はとにかく情報が欲しいから今後は違和感をどんどん見つけていくといいと思う。それが突破口に繋がるかもしれないからね」
「はい、わかりました! 今日は本当にありがとうございました!」
違和感の見つけ方もわかったところでそろそろ薄暗くなったため、るいさんがまとめに入った。本当に皆には感謝してもし切れない。頭を下げてお礼を言うがなぜかるいさんは目を細めて考え事を始めてしまう。
「るいさん?」
「……ただ、一つだけ確認したいことがあるんだ。咲希くんにとって辛いことかもしれないけれどね」
「え?」
「今日、情報を整理して、違和感を見つけ方を模索した。じゃあ、その後のことは考えているかい?」
「その後のこと……」
彼の言葉の真意を上手く汲み取れず、オウム返しするしかなかった。いや、もしかしたらアタシも気づいているのだろう。だが、ずっと目を逸らし続けているだけだ。
「咲希くん、単刀直入に聞くよ。君は……どっちの『天馬 咲希』になりたい? 君が偽物だと思う、健康的な『
その言葉は刃のようにアタシの心に突き刺さった。嫌な役回りだと知っていながら決して、無視できない現実をアタシに示したのである。
「……最後のあれは余計だったんじゃない?」
司くんに連れられて帰る咲希くんの背中を眺めながら寧々がこちらを睨むようにして見上げた。後ろではえむくんがホワイトボードを片付けてくれている。今回の話し合いであまり役に立てなかったと思っているようで自主的に片づけを名乗り出てくれたのだ。
「必要なことだったよ。情報を整理して、実験しても最終的なゴールがなければ結論を出せないからね」
「だからって、あんな言い方……ううん、ごめん」
「いや、気にしていないよ」
寧々もわかっているのだろう。今回の咲希くんを中心に起こっている現象。それがどんなものであれ、僕たちの中にいる『咲希A』と咲希くんの中にいる『咲希B』は相容れない。どちらかが本物で、どちらかが偽物だ。
しかし、問題はそれがわかった後、咲希くんはどうするつもりなのか。別に『咲希A』が本物であれば特に問題はない。むしろ、そっちであってほしいと僕は願っている。
だが、咲希くんや司くんの様子を見るに、十中八九、『咲希B』が本物だ。彼らはすでに心のどこかで健康的な『天馬 咲希』は偽物であると思っている節があった。そう、病気を患っており、『咲希A』よりも辛い人生を送ったであろう『咲希B』が本物である、と。
さて、ここでどんな問題が起こるのか。それは『現実より夢の方が魅力的で、もし、それらを取り換えられるのならどうする?』と判断を委ねられた場合だ。
偽物でありながら本物であってほしい夢と、本物でありながら偽物であってほしい現実。
「……本当に儘ならないね、人生っていうのは」
少しずつ小さくなっていく兄妹の背中を眺めながら呟く。ああやって幼少期から支え合って生きてきたのだろう。さっきのやり取りで痛いほどわかった。
咲希くんはどちらを選ぶのだろうか。辛い現実か、甘い夢か。それとも――。
「結局、あの現象ってなんだったの?」
「さぁ、僕にもさっぱりわからないや」
「いつもなら嬉々として調べそうなのに……」
「……そうだね。この一件に関しては必要以上に首を突っ込まないようにするよ」
だって、この現象を解き明かしてとんでもない事実がわかった場合、僕の精神が耐えきれるかわからないから。
例えば、『咲希A』が偽物なのではなく、『咲希A』を本物と認識しているこの世界そのものが偽物だった、とかね。
使用楽曲コード:229-4202-5