「……」
しずく先輩の話も終わり、一息入れようとお手洗い休憩を取ることにしたのだが、席を立つ元気もなかったアタシは一口も飲めず、すっかり氷が融けてしまっていたオレンジジュースの入ったグラスを眺めていた。その間、頭の中を巡るのはあの質問のことばかり。
『
「咲希、大丈夫?」
「……うん、大丈夫だよ」
アタシのことを心配して席を立たずにいてくれたしほちゃんに笑って答える。だが、上手く笑えていなかったのだろう。彼女の顔から不安の色を取り除くことはできなかった。
それから数分ほど経ったところで全員が再び席に着く。しかし、最後にあいり先輩の話を聞こうとしたのだが、なぜか一向に話し始めようとしなかった。
「あいり先輩?」
「……咲希ちゃん、顔色が悪いわよ。無理しない方がいいんじゃない?」
「そう、ですか?」
そうやってとぼけてみたがアタシ自身、その自覚があったため、説得力は皆無。『ワンダーランズ×ショウタイム』の皆と話したときは基本的にこの不思議な現象にまつわることしか話題に出なかった。
しかし、今、ここで話しているのは『天馬 咲希』のこと。
アタシがどんな人物で、どんな人生を歩んで、どんな思いを抱いて生きているのか、第三者の目からどんな風に見られているのか、赤裸々に語られている。
想像しなかったわけじゃない。だが、想像以上に辛かった。アタシじゃないアタシのことを目の前で話されるのがここまで精神的に負担のかかることだとは思わなかったのである。
「ええ、これ以上はやめておいた方がいいと思うわ。今日は解散しましょ」
「……いえ、話してほしいです」
わがままを言う子供をあやす母親を彷彿とさせるあいり先輩の目にアタシは真正面から立ち向かった。確かにストレスで具合が悪くなってしまったのは事実だ。それでも今、ここであいり先輩の口から『天馬 咲希』を聞きたい。いや、聞かなければならないのだ。だって、あいり先輩はアタシにとって――。
「……」
――アタシにとって、なんだっけ。
「……いいのね?」
「はい、お願いします」
強烈な違和感の衝撃に耐えながら頷くと数秒ほどアタシの目をのぞき込むあいり先輩。しかし、すぐに小さく息を吐いた。
「……わかったわ。でも、最初にも言ったけど、わたしから話せることって少ないのよね」
「そもそも、どうやって出会ったんですか? 気づいた頃には知り合ってましたけど」
腕を組んで悩み始めてしまったあいり先輩だったが、そんな彼女に質問をしたのはしほちゃんだった。そういえば、あいり先輩との出会いについて、皆には話してなかったような気がする。
「ああ、それは偶然、学校で会ったのよ。確か、咲希ちゃんのリボンが外れそうで……その時にわたしのファンだって教えてくれたの」
「あの時は本当にビックリしました! あのあいり先輩がいきなり目の前にいるんですもん!」
「あー、咲希ちゃん、その気持ち、わかるよ! わたし、今でも不意打ちで遥ちゃんの笑顔を見たら気絶しそうになっちゃうから!」
「アンタはいい加減に慣れなさいよ……そう、ね。うん、嬉しかったのよ」
アタシの言葉に共感して興奮気味に語ったみのりちゃんに呆れた顔を向けるあいり先輩だったが、すぐに神妙な表情を浮かべてしまう。あの日のことはあいり先輩が神対応してくれたから今でも鮮明に思い出せる。思い出せるからこそ、彼女がそんな顔をする理由が思いつかなかった。だって、あの日、アタシはあいり先輩のことが好きだと言っただけなのだから。
「ふふっ、咲希ちゃん……不思議そうな顔してるわね。でも、あの言葉はわたしにとって……希望だったの」
「希望?」
「まぁ、あの時はそれすら自覚できてなかったんだけど……わたしがアイドルを辞めたのって簡単に言ってしまえば『自分の理想とは違う自分を期待される』のが辛かったからなの」
「自分の理想とは違う自分を期待される……」
どこか懐かしそうに話すあいり先輩の言葉を無意識に繰り返していた。もしかしたら、違和感を覚える度、心が軋むのは皆からアタシが『
「でも、咲希ちゃんから『
「――ま、待ってください!」
「しぃちゃん?」
あいり先輩の言葉を席を立ちながらしほちゃんが遮った。あまりの剣幕にしずく先輩も驚いた様子で声を漏らす。
「桃井先輩、今、『入院中』って言いました?」
「え? あっ……」
しほちゃんの指摘にあいり先輩は目を見開いた。あれだけ『
「もし、今の愛莉の言葉が本当だったら天馬さんは本当に?」
「えっと……ごめんなさい。完全に無意識だったからなんとも……今、思い出そうとしても上手く思い出せなくて……」
はるかちゃんが難しい表情を浮かべながらそう呟くがあいり先輩はすでにあの現象の影響でアタシとの出会いに関して上手く思い出せなくなってしまった。しかし、それこそがあの時、あいり先輩が会ったのは『
「……本当に思い出せなくなるのね。正直、咲希ちゃんの話に関して完全に信じてたわけじゃないけれど、いざ自分がその影響を受けるとすごく、怖いわ」
「あいり先輩……」
彼女はアタシとの出会いは――アタシの言葉が希望だったと言ってくれた。しかし、その言葉はあの影響のせいで思い出せなくなってしまった。その事実にあいり先輩は顔を引きつらせて自分の体を抱くように小さくなる。いつも堂々として、頼りになる彼女の姿とはかけ離れたそれにアタシは申し訳なくなってしまう。巻き込んでしまったのは他の誰でもないアタシ自身なのだから。
「……でもね。これだけははっきり覚えてるの」
だが、小さくなっていたのはたったの数秒。あいり先輩はすぐに姿勢を正し、アタシに笑いかけた。その笑顔にアタシは思わずドキッとしてしまう。いつもテレビの向こうで見ていたそれとは違う。まるで、救われたような微笑みだったから。
「咲希ちゃんがくれた言葉……あれでわたしは救われた。本当になりたかったアイドルとは違う形を求められて、それがわたし自身が否定されてるように思えて、嫌になってアイドルを辞めて……でも、出会った頃のわたしは気づかなかったけれど、咲希ちゃんの言葉が教えてくれたの。何度だって焦がれたわたしの理想としたアイドルじゃなかったけれど、確かに誰かを元気に――希望を与えられてたんだなって」
「あいり、先輩……」
「ほんと、バカよね。バラエティアイドルだって立派なアイドルだって思ってるつもりだった。でも、どこかでアイドルはステージに立って、歌って、踊ってこそ希望を届けられるものだって思ってたみたい。そのせいで事務所がタレント転向を言い出して、拒否して、事務所を変えて、それでもだめで……苦しくって辞めちゃった」
そう語る彼女だったが、話す内容とは裏腹に顔はとても穏やかだった。
苦しかった過去のはずなのに、そんなことはない、と。
耐えきれなかった現実なのに、それすらも糧になる、と。
全てに絶望したはずなのに、その全てが希望に変わるのだ、と。
そう、教えてくれているようだった。
「でもね、気づいたの。笑われたって、ステージに立てなくたって……アイドルは希望を届けられる」
「……」
「そう、咲希ちゃんは教えてくれたのに……すぐには気づけなかった。それがちょっとだけ恥ずかしいわ」
「そ、そんなことないです!」
誤魔化すように苦笑を浮かべたあいり先輩の言葉をアタシは全力で否定した。思わず、立ち上がりながらテーブルに両手を叩きつけてしまい、コップは倒れなかったがガシャンと大きな音が鳴ってしまう。それでも、アタシは構わず言葉を続けた。
「あいり先輩にはすっごく元気づけてもらったんです……苦しくて、怖くて、悲しくて、どうにもならなくて……でも、そんな時、テレビの向こうでハッピーエブリデイが……あいり先輩が笑ってて、それを見てるだけでこっちも元気になれて……もう少し頑張ろうって思えたんです!」
『だから!』と叫びながらアタシは無我夢中であいり先輩を見つめる。彼女は目を見開いてこちらを見ていた。あの頃では叶わなかった
「――あいり先輩はアタシにとって、
「……ぷっ、ふふっ。あははっ」
呆然としていたあいり先輩は不意に噴き出した。それから楽しそうに笑い始めてしまう。あ、あれ、今、アタシなんて言った? ほとんど覚えていないけれど、とんでもなく場違いな言葉が出たような気がする。
「ま、まさか、そこで最推しって言葉が出るなんて……ほんと、こんな素敵なファンが近くにいたのに気づかないわたしってバカだったわ!」
「あ、愛莉ちゃん! ファンにとって『最推し』は最上級の推し言葉なんだよ!? どれだけ咲希ちゃんが愛莉ちゃんを推してるかってそれはもうとんでもないんだよ!」
「みのり、わけわからなくなるからちょっと黙ってて」
「しゅん……」
お腹を抱えて笑っているあいり先輩に珍しく怒った様子で声を荒げたがしほちゃんの言葉にしょんぼりしてしまった。その頃にはあいり先輩も落ち着き、涙が溜まった目をこすりながらアタシを見上げる。
「ごめんなさい、笑うつもりはなかったの。でも、本当に嬉しかったわ。咲希ちゃん、ありがとう」
そう言った彼女は思わず目を庇いたくなるような眩しい笑顔を浮かべた。とりあえず、ドン引きされていないようで一安心である。
「さて……色々、脱線しちゃったわね」
笑ったせいか、喉が渇いてしまったのだろう。コップに入っていた飲み物を一気に飲み干したあいり先輩は皆を見渡した後、そう話を切り出した。少しだけ雰囲気が変わり、自然と背筋が伸びてしまう。
「今回の目的は咲希ちゃんを中心に起きてる現象を少しでも解明するために違和感を探すことだった、わよね? 咲希ちゃん、どうだった?」
「え、えっと……あまりわかったことはなかったです。やっぱり、入院してたんだなーとか。その頃、あいり先輩に救われたってことぐらいしか思い出せなくて」
「そう、そこよ」
真剣な眼差しでアタシの言葉を肯定するあいり先輩。しかし、残念ながらそれだけで彼女の考えを察することができなくて首を傾げてしまう。
「まさかこんな形で役に立つと思わなかったわ……ねぇ、咲希ちゃん。申し訳ないけれど、ここから覚悟を決めて聞いてね」
「は、はい!」
「……おそらく、さっきの咲希ちゃんの話から考えると咲希ちゃんが入院してた時期とわたしがバラドルとしてテレビに出ていた時期は重なってる。つまり、咲希ちゃんが入院してたのは中学生の頃だと思うの」
そこであいり先輩は言葉を区切る。シン、と個室は静寂に包まれ、誰かの生唾を飲み込む音が不気味に響いた。
ああ、わかっている。きっと、この後に続く言葉はアタシにとって良くないものだ。
あいり先輩はアイドルで、希望を届ける素敵な先輩だ。
それでも、気休めな言葉とか、ありふれた希望めいた言葉を無責任に口にしない。
それを知っているからこそ――。
「ねぇ、咲希ちゃん……中学生の頃のアルバムとか、日記とか、なにか形として残ってるものはある?」
――その言葉はアタシの心に深く突き刺さった。まるで、目を逸らすな、と言われているようで。
「……」
あれからほどなくしてわたしたちは解散した。わたしの言葉が相当、堪えたのだろう。咲希ちゃんは顔を真っ青にして志歩ちゃんに支えられるようにして帰っていった。その光景が頭にこびりつき、思わず顔を歪めてしまう。
「愛莉、大丈夫?」
「……正直、大丈夫じゃないわ。ファンを傷つけるアイドルがいてたまるか」
わたしの顔を覗くようにして質問してきた遥だったが、最後はきっとただの独り言だ。いや、自分に対する暴言なのかもしれない。
もう少し言い方があったのではないか?
もうちょっと時間を置いてもよかったのではないか?
そもそも伝える必要があったのだろうか?
ぐるぐると考えて。でも、今更、あの言葉をなかったことにはできなくて。それでも伝えたこと自体を後悔しているわけでもなくて。本当、こんな情けない姿を
「……きっと、愛莉ちゃんは間違ってなかったよ」
「みのり……」
「だって、帰る時、咲希ちゃん、『ありがとうございました』って言ってたから。顔は真っ青だったけど、目には覚悟があったよ」
「そうね。きっと、咲希ちゃんなら――いいえ、皆なら乗り越えてくれるわ」
励ますようにみのりと雫が言葉をかけてくれる。それだけでも心の重りが軽くなったような気がした。
「……そうね。わたしが信じてあげなきゃいけないのに……よし!」
情けないわたしを殴り飛ばすようにグッと拳を握り、上へ突き上げる。
わたしはアイドルだ。
希望を届ける存在だ。
もし、わたしの言葉で
わたしらしく、全力で、元気を、夢を、希望を届ける。
それがわたしにできる唯一の責任の取り方だ。
「さぁ、やるわよー!」
「お、おー!」
「お~!」
「ふふっ、気合入ったね」
わたしに続くようにみのり、雫が掛け声を上げ、そんなわたしたちを見て遥が笑う。
そう、わたしたちはアイドル――『MORE MORE JUMP!』。
また、明日も誰かに希望を届けよう。
たとえ、目の前が真っ暗になるほどの絶望に打ちのめされてしまったとしても、立ち上がろうと思えるような、そんな希望を。
楽曲使用コード:753-8093-5