あの頃の――いっちゃんたちと離れて遠くの病院に入院するようになった頃、アタシは皆に会えない寂しさでどうにかなりそうだった。
もちろん、何度も元気づけてくれたお兄ちゃんやお父さん、お母さん。テレビで希望をくれたあいり先輩。なにより、高い交通費を出して素敵なお花とそのお花に込められた
そんなアタシを支えてくれる人たちのおかげで普段は明るく過ごせた。
でも、どうしても独りになると気持ちが沈んで、どうでもよくなってしまう時があった。
そんな時、お医者さんから勧められて書いていた日記、といえばいいのだろうか。それも人には見せられないほど、荒れていた。
『痛い』。
『もう嫌だ』。
『明日なんて来なければいい』。
そんな書き殴った文字列がそのノートに刻まれていた。そのノートがアタシが零す涙で少しずつ、濡れていく。すっかり乾いていたはずのノートに付いた涙の痕をなぞるように。
きっと、生まれた時は皆、同じスタート地点にいたはずだ。
それでも、アタシは体が弱くて、周りとの差が開く一方で、皆の事情も知らなくて、気づこうともしなくて、勝手に沈んで。
今だってそうだ。アタシがあの現象に気づかなければ皆は苦しい思いをせずに済んだ。
(あ、そっか)
アタシの体も丈夫で、誰もバラバラにならず、楽しい毎日を過ごしていたこの世界なら誰も傷つかない。
それに比べ、アタシがいた世界は――ほんのちょっぴり、アタシに厳しかった。
もちろん、アタシ以上に恵まれていない人がいることは理解している。むしろ、病気が治って皆と一緒にいられるようになっただけでも幸運なのだ。
でも、だからといって、その過程全てを忘れられるということにはならない。
すっかり元気になった今も風邪を引けば他の人よりも長引くし、少し無茶をしただけで倒れてしまう。ちょっと、ふらつけば皆は心配そうに『大丈夫?』と声をかけてくれる。
それが、嬉しくもあり……皆に心配かけてしまったと心がキュッと締め付けられた。
病気をして、完治して、皆と一緒にいられてもなお、アタシの心を燻る。
だから、アタシは思い出さないようにした。
思い出せば胸が苦しくて――なにより、口に出せば皆のことを悲しませてしまうから。
そんな、口に出すことのできない想いなんて、ないのと一緒だ。
だから、最初からなかったことにしよう。
悲しかったことも、辛かったことも、苦しかったことも、寂しかったことも、怖かったことも、痛かったことも、何もかも。
アタシがちょっと我慢するだけで、皆、笑顔になれる。幸せに生きていられる。
だって、この世界で皆が笑っていたのが、何よりの証拠だ。
きっと、この違和感だってこの世界を受け入れれば消える。今のアタシにはそう確信できた。
――君は……どっちの『天馬 咲希』になりたい?
いつかるいさんから問われた二択。今、その答えを出そう。決心したアタシはノートを手に持ったまま、目を閉じた。
思い出すのは入院生活を送っていた『
しずく先輩から聞いた元気な
皆の中にいる笑顔の
アタシの中にいなかった偽物の
少しずつ、違和感がなくなっていく。アタシが、
それに従って、手に持っているノートが何か認識できなくなっていく。
ボロボロと涙を零していた理由がわからなくなる。
何に悩んでいたのか、思い出せなくなっていく。
これでいい。これでいいのだ。アタシが、
――ようこそ、■■■へ。
でも、正しいはずなのに。どうして、こんなに胸が苦しいのだろうか。
「咲希!!」
「……いっちゃん?」
アタシがいなくなる直前、いっちゃんに強く肩を掴まれて我に返った。手に持っていたはずのノートはいつの間にか床に落ちている。顔を上げれば何かを決意したような、強い光を瞳に宿したいっちゃんがいた。その目は、何度もアタシを助けてくれた――。
(――昔の……小さい頃のいっちゃん、みたい)
「駄目だよ、咲希! それだけは、駄目!」
「それ、って……」
あれ、今、アタシは何をしようとしていたのだろう。何か、しようとしたことだけは覚えているのに、具体的な内容が霧にかかったように思い出せない。
「今、咲希がしようとしてたこと……私にはわからない。でも、絶対に駄目だって……今の咲希を放って、見捨てたら後悔するって誰かが、叫んでくれた」
「誰かって……」
「それも、わからない。わからないけど……私もそう思ったの」
きっと、いっちゃんも状況を理解していないのだろう。それでも、アタシを止めた。何か、取り返しのつかない過ちを犯そうとしたアタシの手を掴んでくれた。それが、何故かとても嬉しくて、ポロポロと涙が零れていく。
「ア、アタシ……今……」
そして、何となくアタシ自身が『
「咲希……」
そんなアタシを見ていっちゃんが悲しそうに言葉を零し、アタシの両手を掴んだ。『もう絶対に離さない』と言われているようで安心する。
「咲希」
「咲希ちゃん」
そう、名前を呼ばれ、アタシの両手を包むいっちゃんの手の上からしほちゃんとほなちゃんが手を重ねた。顔を上げて2人を見ればしほちゃんはまだ真っ青な顔をしているし、ほなちゃんも涙が止まっていない。それでも、しっかりといっちゃんと一緒にアタシの手を掴んでくれた。
「正直、私も何が起こったのかわかってないけど……さっき、咲希がしようとしてたことは絶対に許さない。きっと、私たちのためにまた何か我慢しようとしたんだろうけど、そんなことされても咲希が辛い思いをするなら私は嬉しくない」
「しほ、ちゃん……」
「だから、皆で超えよう。あの頃は独りだったけど、今は皆がいるんだから」
そう言って、しほちゃんは優しく微笑んだ。ああ、そうだ。しほちゃんは駄目なことは駄目だといつもアタシを叱ってくれる。そして、今みたいに小さく笑って許してくれるのだ。
「咲希ちゃん……ごめんね」
「ほな、ちゃん?」
「わたし、臆病で……皆から嫌われるのが怖くて、離れて、逃げて……本当に、ごめんなさい」
「そ、そんな謝らなくても!」
アタシが慌てて謝罪を止めようとするがほなちゃんが首を横に振ってそれを止める。今もなお、顔を青いし、声が震えているので無理しているのは明らかだ。でも、ほなちゃんは真っ直ぐアタシの目を見て言葉を続ける。
「ううん、これだけは譲っちゃいけないことなんだと思うの。事情がどうであれ、わたしは皆から逃げたんだから」
「……」
「でもね。しほちゃんが言ってたように、わたしたちのことを心配して咲希ちゃんが無理をするのは嫌だよ。だから、お願い。自分から離れたわたしに言う資格はないかもしれないけど咲希ちゃんの辛いこととか、悲しいこととか……一緒に背負わせてほしいな」
そう言い切った後、ほなちゃんの頬に涙が伝っていく。でも、それが最後の一粒だった。彼女は安心させるようにアタシにいつもの柔らかい笑みを浮かべてくれた。
「皆……」
さっきまで冷たかった心が少しずつ温かくなっていく。いっちゃんも、ほなちゃんも、しほちゃんも、アタシのことを想ってくれている。それが伝わってきた。
「それに、まだ諦めるには早いと思う」
「え?」
そこにいっちゃんが更に言葉を続ける。諦めるには早い、というのはどういうことなのだろうか?
「確かに私たちは中学生になった頃、バラバラになっちゃったかもしれない。多分、それは事実なんだと思う。でも、咲希が言ってた『放課後』のことはまだわかってないよ」
「放課後……あ!」
そうだ、この現象のことを調べる前、アタシは皆と一緒に放課後、何かしていたことに気が付いた。その内容は未だにわかっていないし、
「この先のことはそれがわかってからでも遅くないと思うんだ。だから――」
アタシはいっちゃんの顔を見て懐かしさを覚えていた。ああ、そうだ。いつもそうだった。
アタシがきっかけを作り、しほちゃんが苦笑を浮かべながらツッコみ、いっちゃんがそれに対して言葉を加え、ほなちゃんが微笑みながらまとめてくれる。
「――探そう、咲希。私たちが、一体、何をしていたのか」
――ねぇ、皆でやろうよ!
そして、4人で何かを始める時、それはいつだっていっちゃんからだった。
「……うん!」
ああ、今、アタシ、笑えてる。相変わらず、涙は止まってくれないけれど、それでも、これは嫌な涙じゃなかった。
「……でも、どうやって探す? アルバムから探すのはちょっと危険だと思うけど」
「え、あ、えっと……それは……」
「考えてなかったんだ……」
「あはは」
鋭いしほちゃんの指摘にいっちゃんは慌てた様子で考えをまとめようとするが、しほちゃんがジト目を浮かべるまでには間に合わなかった。そんないつも通りな2人のやり取りに自然と笑みが浮かぶ。
でも、いっちゃんがすぐに答えを出せないのも無理はない。アルバムを見ただけであんなことが起きたし、そもそも適当に探して見つかるのならすでに見つかっているだろう。
「……あの、ちょっと思ったことがあって」
だから、ほなちゃんがアタシたちに声をかけてきたのは予想外だった。きっと、いっちゃんもしほちゃんも同じだったようで3人の視線が一斉にほなちゃんに向けられる。
「あ、えっと……うん」
ビクッと肩を震わせた彼女は戸惑ったように視線を泳がせるが、覚悟を決めたようで静かに一つの案を口にした。
「咲希ちゃんを知らない人の意見を聞くのは、どうかな?」