走る。走る。走る。
これまでの人生で一番懸命に走っているのではないかと酸欠気味で上手くまとまらない思考の片隅でそう思った。
「さ、咲希ちゃん! ちょっと、待って!」
少し後ろからほなちゃんの苦しそうな声が聞こえ、チラリと振り返ると彼女は顔を歪ませながらアタシのことを追いかけていた。ほなちゃんは文武両道で4人の中では
「あ、ごめっ……けほっ」
いや、違う。アタシもすでに限界が来ていた。その証拠に立ち止まって声を出そうとして咳き込むほど疲労している。その疲労を自覚した瞬間、一気に汗と疲れがアタシを襲い、ガクガクと膝が笑い出した。
「咲希ちゃん、大丈夫?」
「ぅ、ん……だい、じょうぶ……」
全速力で走っていたアタシとは違い、ある程度セーブしていたのだろう。ほなちゃんは数分と経たずに呼吸を整え、アタシの背中をさすってくれる。そのおかげでアタシもすぐに落ち着くことができた。
「ほなちゃん、ありがと。もう大丈夫だよ」
「よかった……走ると危ないからここからは歩いていかない? 一歌ちゃんも志歩ちゃんもまだ合流場所に着いてないみたいだし」
「……そう、だね」
ほなちゃんに優しく諭され、焦っていたことを自覚する。そうだ、アタシたちが急いでもいっちゃんたちが来なければ何も始まらない。アタシたちは合流地点である幼い頃に遊んだ公園を目指して歩き始める。当初の予定ではアタシの家に集まる予定だったが、急遽公園に集まることにしたのだ。
(うぅ……早く話したい!)
宵崎さんから教えてもらった『音楽』というキーワード。それを聞いた瞬間、アタシは言葉に表すことのできない不思議な焦燥感に襲われた。それは隣に座っていたほなちゃんも同じだったようで気づけばアタシたちはお店を飛び出していたのだ。
それからいっちゃんとしほちゃんに連絡を取り、集合場所を変えた。その理由はアタシ以外の家に行くかもしれないと何となく思ったからだ。
(でも、どうして他の人の家に?)
アタシの日記のような物がいっちゃんたちの家にもある? 確かにその可能性もありえなくはないがそれ以上にアタシたちには根拠のない確信があった。
『音楽』。
誰かの作った曲を聞く。
カラオケで流行り曲を歌う。
音楽の授業で楽器を演奏する。
そんな身近な存在ではあるものの、アタシたちの『音楽』はきっと違う。もっと深くて、苦しくて、楽しくて、心を焚きつける何かがある。そう、思ったのだ。
「咲希、穂波!」
集合場所である公園が見えたところで入口で待っていたいっちゃんとしほちゃんがこちらに気づく。特にいっちゃんは相当心配していたのだろう。慌てた様子で駆け寄ってきた。
「大丈夫だった? 気分は悪くない?」
「だ、大丈夫だって。ほら、顔色だって悪くないでしょ?」
走ったせいで汗だくだが、前のような絶望が心を覆いつくような感覚はない。いっちゃんもアタシの顔をジッと見つめ、大丈夫だと判断したのかホッと安堵のため息を吐いた。
「大丈夫だって言ったでしょ。一歌は心配しすぎ」
「でも、電話で連絡くれた時、すごく焦った様子だったから……」
「……確かにそこは気になる。何があったの?」
「それは――」
しほちゃんに質問されたアタシは手短に今日の出来事を話した。それを聞いた二人も『音楽』という言葉を耳にした瞬間、大きく目を見開き、戸惑ったように胸に手を当てる。
「こ、れは……」
「……」
「アタシたちも同じ感じになっちゃって……いても経ってもいらなくなってここに呼んだの」
「ねぇ、一歌ちゃん。宵崎さんと知り合った時のこと、覚えてる?」
「……ごめん。やっぱり、何も思い出せない。話すきっかけがあったことと、朝比奈先輩のおかげで連絡が取れたことぐらいしか」
ほなちゃんの問いにいっちゃんは苦しそうな表情を浮かべた後、首を横に振る。やはり、詳しい内容は知ることはできなさそうだ。
だが、過程はわからずともいっちゃんと宵崎さんは『音楽』を通して知り合った。その事実は変わらない。今は手がかりを入手できただけでも喜ぶべきだ。
「……あぁ、そっか」
そう思った時、ふとしほちゃんが言葉を零した。そして、静かにどこかへ歩き始めてしまう。
「え? し、しほちゃん!?」
「志歩、どこに!?」
「……ついてきて」
アタシといっちゃんが慌てて呼び止めようとしたが、彼女は立ち止まらずにそう告げるだけだった。しほちゃんのただならぬ雰囲気に顔を見合わせたアタシたちはほぼ同時に頷き、その後を追う。
すでに夕日は沈み、少しずつ夜が近づいてくる。そんな中、アタシたちは無言で歩き続け、一つの家の前に辿り着く、
「ここは……志歩ちゃんの家?」
ほなちゃんのいう通り、ここはしほちゃんの家だ。玄関に明かりがついているので留守ではないらしい。
しほちゃんはアタシたちの方をチラリと見た後、黙って家の中に入っていく。ついてこい、ということだろうか。
「お邪魔しまーす……」
しほちゃんの家に入るのは久しぶりだったのでおそるおそる中に入る。玄関にはすでにお客様用と思わしき3つのスリッパが置かれており、いそいそとそれを履き、少し先にいるしほちゃんを追いかける。
「ここ」
家の中を歩くこと1分足らず、しほちゃんの部屋の前に辿り着いた。しほちゃんの家は和風の家なので部屋の入口は襖となっており、彼女はそれを横にスライドさせ、アタシたちを中に招き入れる。
「おー、しほちゃんの部屋だー」
しほちゃんの部屋はアタシのそれとは違い、畳の部屋だ。畳特有のいい匂いがして思わず顔が綻ぶ。そして、すぐに目に入るのは奥にあるベッドと入口から見て右手にある勉強机。机の上にフェニーくんのぬいぐるみが置いてあってしほちゃんらしいなと笑ってしまった。いっちゃんとほなちゃんも興味深そうにキョロキョロと部屋を眺めていたが、肝心のしほちゃんからのアクションがなく、どうしたのだろうと彼女の方を振り返る。
「……」
「しほ、ちゃん?」
しほちゃんは部屋の入り口で目を閉じていた。集中しているようでアタシが呼んでも反応しない。いっちゃんたちも何かあるのだろうと固唾を呑んで見守っている。
そして、数分ほど経った頃、やっとしほちゃんが動き始めた。目を閉じながらゆっくりと部屋の中を歩き、手探りでベッドまで移動してそれに腰掛ける。そのまま、目を開けずに部屋を見渡すような仕草をした。
それから立ち上がり、机の方へ歩き出す。その進路方向にいたほなちゃんが邪魔しないようにアタシの隣まで移動した。しかし、しほちゃんが転びそうになったらいつでも助けられるように準備をしているようでほなちゃんはハラハラとした様子で彼女の歩いている姿を眺めている。
「……そう、そうだった」
机に辿り着き、それを撫でながらしほちゃんは誰にともなく呟く。何かを懐かしむように、それでいて悔しそうに。
「ああ、本当に……私は馬鹿だ。今まで忘れていたなんて」
相変わらず、しほちゃんは目を閉じている。だが、机から手を離した彼女はまるで見えているように何かに手を伸ばした。
「でも、思い出した。いいや、最初から忘れてなんかなかった。ただ、見えなくなってただけ」
そう言ってしほちゃんは何もない場所で何かを握る仕草をする。何も掴んでいないはずなのに彼女の手には
「どんなに見えなくしたとしても……胸の奥にある願いや想いは決して消えやしない。だって――」
「ッ……」
何かを掴んでいたしほちゃんはそれを肩に掛け、いつの間にか持っていたピックをそれに沿える。
――この憧れは、簡単には止まらないのだから。
そして、しほちゃんの部屋に
使用楽曲コード:N01186197