紫色の
――君は……どっちの『天馬 咲希』になりたい?
その問いにアタシは答えられなかった。
『
何も知らないアタシにどちらか選べるはずもなく、逃げるようにそれを後回しにした。
桃色の
――ねぇ、咲希ちゃん……中学生の頃のアルバムとか、日記とか、なにか形として残ってるものはある?
溺れるほどに深い霧の海で迷子になっていたアタシに道を教えてくれた。それがアタシにとって苦しいものだと察していてもなお、アタシのためになるならと顔を歪ませながら手を引っ張ってくれた。
透明な
――音楽。わたしが動く理由はそれぐらいしかないから。
まるでそれしかないように、彼女は『音楽』というきっかけをくれた。あの時、彼女の目には相当な覚悟と後悔の色が見えた。
もし、仮にアタシも『音楽』に携わっていたとして、彼女のように全てをかけていたかと問われれば首を傾げてしまう。だって、それほど大切なモノなら忘れられるわけがないのだから。
オレンジの
――だから、自信を持て。
まるで突き放すような言い方だったがその節々から彼の優しさが滲み出ていた。きっと、彼なりにアタシたちの背中を押してくれたのだ。そんな彼の目に炎が見え、その熱がアタシの心に火を点けた。
――咲希。
――咲希ちゃん。
――咲希。
天に寄り添う星と月と陽がアタシを呼ぶ。
もう絶対に離れたくない。
もう独りになりたくない。
もう誰も傷つけたくない。
そんな彼女たちの感情が、心が、想いが、踏み止まろうとするアタシの足を動かす。
進め。進め。進め! 進め!!
たとえ、目のまえに無数の壁が聳え立っていたとしてもアタシなら――アタシたちなら、と思える。
増える手足は健在。臆病なアタシのせいでこんなに長引いてしまった。
でも、それも今日までだ。
「……皆、いい?」
振り返っていっちゃん、ほなちゃん、しほちゃんの顔を見る。3人はほぼ同時に頷いてくれた。
「じゃあ……行こう」
覚悟は決めた。結果がどうなろうとおそらくアタシたちの何かが変わる。そんな気がしてならない。
そして、アタシは――
さぁ、決着を付けよう。
ここは都内にある音楽スタジオ。少なくとも今のところ、利用した覚えは一度もない。
あきとくんの言葉を聞いて今度こそ楽器を見つけられるかも、とは考えたがアタシたちは合流した後、誰の家にも寄らずにここに来た。もし見つけられなかったらおそらく折れてしまうし、『楽器を見つけられなかった』と言い訳したくなかったから。
中に入ったアタシたちだったが、しほちゃんが率先して楽器のセッティングをする。ベースだけでなく、ギター、キーボード、ドラムも。
このスタジオは楽器をレンタルでき、今からアタシたちは即興でセッションする。弾いた覚えのない楽器。通常なら聞くに堪えない酷いものになるだろう。
――だから、自信を持て。
確かにあきとくんは一緒に歌ったことのあるいっちゃんのことしか話さなかった。アタシやほなちゃんのことは知らなかったので仕方ないだろう。
それでもその言葉はアタシたちに火を点けるには十分だった。
楽器がなくても『音楽』をやっていたのなら弾けるはず。
真剣に取り組んでいたのなら体が覚えているはず。
そんな脳筋染みた考えでアタシたちはここに立っている。
パートはしほちゃんはベースなのは確定。残りのパートだが、考えられる組み合わせとして『ギター、キーボード、ドラム』か『ツインギター、ドラム』だろうか。
その結果、幼い頃、ピアノを習っていたアタシがキーボード。
ビビバスと練習をしていたということはボーカルをしていたであろういっちゃんはギター。
申し訳ないがほなちゃんは消去法でドラムになった。さすがにドラムを叩きながらボーカルを兼任するとは思えなかったからである。
もちろん、これで上手くいかなかったらパートを変えて試すつもりだ。
「……」
でも、しほちゃんのセッティングが終わり、それぞれの楽器を手にしたアタシたちは無言で顔を見合わせる。
ああ、なんというか。しっくりくる。
前にいっちゃんとしほちゃんがいて、隣を見ればほなちゃんがアタシを安心させようと微笑んでくれる。
キーボードに触るのは初めてだ。たくさんボタンがあって操作方法などわからない。レンタルできるといっても親切丁寧に取扱説明書がついてくるわけもなく、こんな状態で弾けるわけがない。
でも、どうしてだろうか。
(今日はよろしくね)
鍵盤に指を添えた瞬間、『任せろ』と言ってくれたような気がした。
「曲はどうする?」
「あー……」
その時、しほちゃんから選曲をどうするか問われ、言葉を詰まらせる。楽譜はない。覚えている曲もない。そんな状態で曲を決めても意味はないだろう。
「……弾こう」
「一歌ちゃん……」
「何でもいい。適当でもいい。思うままに弾いてみようよ」
数秒ほどスタジオが沈黙に包まれたが、意を決した様子のいっちゃんがそう言ってピックを手にする。
そうだ。そもそも、楽器すら見つけられていないのにいきなりセッションなどできるわけがない。ここにいるのは元々、玉砕覚悟。なら、選曲も決めずに始めた方がいい。
皆も同じ考えに至ったのだろう。無言で頷き合い、構えた。
「……」
目を閉じる。スタジオはシン、と静まり返っており、僅かに耳鳴りがした。
でも、意識を集中させると皆の息遣いが聞こえた。
一人じゃない。そう、アタシたちは独りじゃない。
だから、大丈夫。大丈夫だよ、
「……ワン・ツー・スリー・フォー」
誰にも言われず、ほなちゃんがカウントを取る。自然と指が動き、それに驚いて目を開いた。ポン、という軽やかな音と皮切りにアタシの指が勝手に旋律を紡ぐ。
いや、アタシたちだけじゃない。いっちゃんも、ほなちゃんも、ベースを思い出したしほちゃんでさえ、何かに導かれるように聞いたこともない曲を弾いていた。
「……―――――♪」
驚きのあまり、こちらを振り返ってアタシたちを見ていたいっちゃんだったが、不意に歌い出す。曲名すらわからない歌なのにいっちゃんの口から溢れる歌詞やメロディがこの曲に適しているのだとすぐにわかった。
「あ、あはは……」
指は動く。皆に視線を向けるほど余裕はある。コーラスまでできてしまう。
でも、酷いセッションだ。とてもではないが人に聞かせられない。もし、お客さんがいたらクレームが殺到してしまうに違いないだろう。
色々な感情がこみ上げてきて指が震えてたまに鍵盤から離れる。
目に涙が溜まり、皆の顔がよく見えない。
コーラスなのに声が掠れて音程を外してしまう。
ああ、皆もそうだ。
いっちゃんは声を張り上げていて喉を傷めてしまったらしく、顔を歪めている。
ほなちゃんもリズムキープが崩れそうになって慌てて修正している。
あのしほちゃんでさえミスタッチが多い。
ぼろぼろのメロディ。でも、アタシたちの鼓動が脈を打つ。
痛くて、怖くて、寂しくて、『忘れないで』と
「――――――――♪ ―――♪」
いっちゃんの歌声がスタジオに響く。世界に響く。
それでいいよ。これでいいよ。これがいいよ。
きっと、楽しいことばかりじゃない。
辛いことも、悲しいことも、泣いたことだってあったはずだ。
それでも――アタシは、それを取り戻したい。取り戻すんだ!!
「―――――♪」
そう決心しながらそんな歪であったかい唄をアタシたちは紡ぎ続けた。
使用楽曲コード:N01210297