「可能性の、セカイ?」
聞き覚えのない言葉にアタシは思わずそれを繰り返してしまう。確かにセカイが存在しているのは知っているが、アタシが知っているのは『教室のセカイ』だけだ。もしかして、あのセカイ以外にもセカイは存在する?
「Aぁ、ソUダよ……ッと、そNo前ニ」
また容姿が変わっているミクちゃんが頷いた後、喉の調子を確かめるようにトントンと自分の喉を優しく撫でた。そして、アタシを見てニヤリと笑う。その際に鋭い牙が見えたが気のせいだろうか。
「これでいい? 聞き取りやすいかな?」
「……あ、普通に聞こえる」
今頃になって気づいたが、さっきまでのミクちゃんの声は歌の一部だけを切り取ってそれを繋げたようなものだった。そのせいで急に低くなったり、高くなったり、発音が英語っぽくなったりと聞き取りやすいと言い難いものだったのである。
しかし、喉の調子を整えた後は通常の声より低いものの一定になっていた。これなら普通に会話できるだろう。
「一時的なものだけどね。さてと、改めて、こんにちは。
「オリジナル?」
「まぁ、気になるだろうけど聞き流してよ。こっちにも段取りがあるからね」
そう言ってミクちゃんはアタシの方へと近づいてくる。その拍子に瞬きをしてしまったのか、彼女の姿がまた変わった。頭に
「では、まずは状況説明をしましょうか。周りを見てごらん」
「周り? え……」
ミクちゃんに催促され、周囲を見渡すとアタシは声を漏らしてしまった。
壁や天井のない白い空間。そんな空間に美術館のような額縁がいくつも浮いている。いや、浮いているだけではない。床にもところどころに額縁が設置されていてたまに光っていた。
「これは……」
「言ったであろう? ここは『可能性のセカイ』。その額縁一つ一つに小さなセカイが広がっている」
「小さなセカイが!?」
何故か口調の安定しないミクちゃんだったが、衝撃の事実にそれすらも気にならなくなる。もしかして、アタシはさっきまでいたセカイも――。
「――そう。君はあの額縁に落ちてしまったんだよ」
彼女が指さしたのは近くの床に設置されている大きな額縁だった。きっと、アタシはセカイから脱出した後、あそこから飛び出したのだろう。額縁周辺の床には盛大に水が飛び散っていた。
「でも、どうしてセカイの中にセカイが? そもそも、ここってどんなセカイなの?」
「お? 知りたい? 知りたいよね? そりゃ、気になっちゃうよねー」
アタシの質問にケラケラと笑うミクちゃん。珍しく色が統一されているのに左右で位置がずれてしまっている結われた
「では、説明いたしましょう! 咲希、お前は思ったことない? 『こうだったら』、『ああしていれば』って」
「それ、は……」
今のアタシはともかく、入院していた頃のアタシは何度も『体が丈夫だったら』、『学校に行っていれば』と在りもしない可能性を考え、非情な現実に涙を流していた。
「きっと、誰だって考えたことはあるさ。ヒトはどうしたって後悔してしまう生き物だからね。あの時の選択は正しかったのか? もっと、上手くやれたのではないか? そんな考えたって意味のない可能性をいつだって考慮してしまう」
「……」
「さぁ、本題だ。きっと、もう察しているだろう。ここはそんな『たられば』が集まるセカイ。オリジナルの世界にとって価値のない、無駄なセカイさ」
可愛らしい
このセカイに漂っている額縁全てに誰かが考えたセカイが詰まっている。それはどれだけ果てしない数なのだろう。そう考えた時、アタシの脳裏に一つの考えが過った。
「アタシが落ちたセカイって……もしかして、アタシが考えたセカイだったの?」
『皆がバラバラにならなかったセカイ』。いかにもアタシが考えそうな可能性だ。そうでなければあれほど現実そっくりなセカイは生まれないだろう。
「いえ、違うわ」
しかし、ミクちゃんはそれを笑って否定する。そして、何かを呼ぶように右手を動かすと黄色い額縁が彼女の前まで飛んできた。
「ほら、これを覗いてごらん。もちろん、手とか突っ込んじゃ駄目よ?
「……じゃあ、失礼しまーす」
誰かが考えたセカイを覗き込むのは少し申し訳ないが、すでに落っこちてしまった後なので今更だろう。おそるおそるその額縁を覗き込むと何故かアタシの家が映っていた。
『おはよー、
『咲希、おはよう。今日の調子はどう? 具合は悪くないかしら?」
『バッチリだよ! 早く学校に行こっ!』
「お、お兄ちゃんがお姉ちゃんだ!?」
その額縁に広がっていたのは『天馬司が女だったら』という可能性のセカイだった。この世界のお姉ちゃんは髪を伸ばしているようで朝の日差しをキラキラと反射させており、思わず見とれてしまいそうになる。
「じゃあ、こっちもどうぞ」
「……わぁ、皆、男の子だ。アタシ、男だとお兄ちゃんそっくりなんだ」
「こっちも面白いよ?」
「へあ!? アタシがあいりちゃんたちと踊ってる!?」
ミクちゃんが集める額縁に広がるセカイたちはアタシにとって新鮮で気づけば夢中になって覗いていた。
アタシたちの担当楽器が違うセカイ。
アタシがワンダーステージでショーをするセカイ。
チョビ髭を生やしたミクちゃんが校長を務める学校に通うセカイ。
もちろん、楽しそうなセカイだけではなかった。
アタシたちがバンドを組まなかったセカイ。
アタシではなく、お兄ちゃんが病気になってしまったセカイ。
入院生活に心が折れ、引きこもりになってしまったアタシが音楽サークルに所属するセカイ。
見ているだけで笑顔になれたり、泣きそうになったり。ミクちゃんはこのセカイに価値はないと言っていたが、アタシにはそうとは思えない。だって、額縁の向こうにいるアタシは一生懸命、生きていたのだから。
「……」
「考えていること、当ててあげよっか」
集めた額縁を投げるようにして散らしていたミクちゃんが黙ったアタシに微笑みかける。アタシの知るミクちゃんよりも
「なんで、こんなにアタシに関係するセカイが多いんだろう?」
「ッ……」
しかし、そんな考えも彼女の言葉にどこかへ飛んでいってしまった。ミクちゃんの宣言通り、まさに今、考えていることを言い当てられたのだから当たり前だ。
「ここは可能性のセカイ。ありとあらゆる『たられば』のセカイが額縁となって具現化するセカイ。なら、もっと違うセカイがあってもいいのにどうして、アタシを中心としたセカイがこんなにあるんだろう? だって、その人を知らなければ可能性すら考えられないのだから」
可能性。それはほとんどの人が一度は考えるであろう、『イフ』の世界。
しかし、大前提としてその可能性を考える事柄を知っていなければならない。そう、例えばアタシを中心とした可能性を考えるためには『
つまり、それができるのはアタシ自身やアタシの周囲の人だけ。だから、こんなにアタシを中心とした可能性のセカイがあるのはおかしいのだ。
いや、それだけではない。
これまでミクちゃんに見せてもらったセカイたちはアタシの周辺の人たちを映りすぎている。
アタシ自身、知り合っていないはずの人たちと関わっている。
セカイという存在は不思議なものだが、こればっかりは何かしらの理由がないと成立しない、当たり前の物理的法則だ。
「ご名答。咲希ちゃん、よくできました」
アタシなりに考えたことをミクちゃんに話すと彼女は嬉しそうに拍手をした。そして、アタシが迷い込んでしまったセカイの額縁に近づき、それを覗き込む。
「あなたの言う通り、普通ならこんなセカイは産まれなかった」
「産まれなかった? この可能性のセカイが?」
「そう、可能性と大げさに宣ってもそのほとんどは刹那的な思考が多いからね。考えはするけど、次の瞬間には『ま、ありえねーか』って投げ捨てられるものだよ」
『そうじゃなきゃ、そいつはただの妄想癖のあるやばい奴さ』とあっけらかんと答えた彼女は上を見上げた。そこにはたくさんの額縁が舞っている。その不思議な光景をミクちゃんは痛々しそうに見つめていたのが印象的だった。
「そんな類似性のないセカイの欠片たちは集まることができない。言ってしまえば、ジャンルが違いすぎて同じセカイに入れないのさ」
「……でも、可能性のセカイはここに存在してるよ?」
「ああ、そうさ。存在している。つまり、ここにあるセカイたちは類似性――つまり、『君たち』というジャンルが共通しているのさ」
「アタシ、たち?」
駄目だ、ミクちゃんの説明を聞いてもピンと来ない。そんなアタシの様子を見て彼女はいくつかの額縁を集めてアタシに差し出した。それらを覗き込めばそれぞれに『Leo/need』、『MORE MORE JUMP!』、『Vivid BAD SQUAD』、『ワンダーランズ×ショウタイム』、『25時、ナイトコードで。』の皆が映っている。
「君は『教室のセカイ』は知ってるよね?」
「……うん」
「なら、セカイにいる時、誰かに応援されているような気がしなかったかい?」
「ッ!?」
ミクちゃんの言う通り、アタシたちが練習をしている時、誰かに見守られているような気がした。
それだけじゃない、アタシたちの音楽を聴きに来てくれた人もいた。
そう、こちらからは見えなかったが、確かにアタシたちを応援してくれた人はいたのだ。
「さぁ、問題です。あんたたちを応援してくれた人たちは果たして……その部分だけを見ていたと思う?」
「……」
「沈黙が答えかな? そう、さっきーたちはね? 神様の悪戯かわからないけど観測されていたんだよ、ずっとね」
見られていた。アタシたちの日常を、ずっと。そう考えると応援してくれた人には申し訳ないが、少しだけ怖くなってしまう。それこそ、今この瞬間、アタシは
「では、答え合わせといこう。耳をかっぽじってよく聞きな」
くすくすと笑うミクちゃんは時が来たと言わんばかりに両手を大きく広げる。その瞬間、セカイを舞っていた額縁たちが一斉に彼女へと群がり、どんどん積み重なっていく。数秒にして大きな山へと変わってしまった。
「可能性のセカイ。本来、一か所に集まるはずのなかった小さな埃のようなセカイが何の因果か……『君たち』という共通点で集まってできたセカイ」
いつの間にかその山の頂点に立っていたミクちゃんはアタシを見下ろし、羽織っていたマントをバサリと音を立てながら翻す。その姿が異常に思えるほど様になっており、思わず生唾を飲み込んだ。
「セカイを通じて『お前たち』を観測した者たちが『ああだったら』、『こうだったら』と想像を広げ、妄想を繰り返し、趣味を押し付け、救いを求め、絶望から目を背け――」
ミクちゃんがそこで言葉を区切り、その拍子に積まれた額縁の一部が音を立てて山から転がり落ちる。そして、1枚の額縁がカタリ、とアタシの足元で止まった。
「――ほんの少しだけ『そうだったらいいのに』と願っただけの、神様視点で君たちを見守っている奴らが好き勝手に書き連ね、すぐに捨てた
アタシに質問したミクちゃんの額で見覚えのある安全ピン型のヘアピンが光ったような気がした。
使用楽曲コード:N01191918