「――ほんの少しだけ『そうだったらいいのに』と願っただけの、神様視点で君たちを見守っている奴らが好き勝手に書き連ね、すぐに捨てた
額縁の山の頂点に腰掛けたミクちゃんはアタシを見下ろす。その目に宿す真意を探ろうとしても距離が離れすぎていて上手くできない。きっと、自分で考えろと言いたいのだろう。
「……」
可能性のセカイはアタシたちを観測している人たちが想像した『たられば』の可能性を内包した場所。ミクちゃんはそれに価値はないと言動と態度で示していた。
おそらく、当事者であるアタシたちの想いが込められていたのなら話は違ったのだろう。結局のところ、観測している人たちは部外者だ。その可能性にどんな想いを込めたとしてもアタシたちに届くことはないし、何かを変えることもできない。果たしてその想いに意味はあるのだろうか。
いや、それは今までの話だ。偶然にもアタシは可能性のセカイに辿り着き、一つの可能性を経験した。そのおかげで――。
「……あれ」
――■は……■■■の『天■ ■希』にな■■い?
――■ぇ、咲■■ゃん……中■生■頃の■■バ■と■、日■とか、な■■形■し■■っ■る■■はあ■?
――■■。わ■■が動■理■■そ■ぐ■いし■な■■ら。
――だ■■、■信を■て。
――アタシ、あのセカイでどんなことしたんだっけ?
「ほぅら、意味なんてない」
「ッ……」
いつの間にかアタシの目の前に立っていたミクちゃんが笑っている。しかし、彼女の右目にはあるはずの眼球がなく、ただ闇が広がっており、思わず息を呑んでしまった。
「第三者が考えた
「そ、んな……」
確かにアタシはあのセカイで生きていた。周りの人に助けられながらここまで戻ってくることができた。戻ってきたのだ。あのセカイよりも、元の世界がいいと思ったから。
結果論だが、すでにアタシはあの小さなセカイを捨てた。そんな人がこれ以上、どんな綺麗事を並べても何の説得力もない。
ミクちゃんもそれを見ていたのだろう。そうでなければアタシが戻ってきた時に『自力で戻ってこられた』と言えないはずだ。だから、アタシがどんな返答をしようと彼女には伝わらない。『でも、捨てたよね?』と一蹴されて終わりだ。
――それでも。
「それでも……アタシは意味はあると思う」
どうしても、あのセカイが無意味だったとは思いたくなかった。
気づかないうちに瞬きをしていたのだろうか。アタシがそう告げた時、すでにミクちゃんの右目は見覚えのあるエメラルドグリーンに染まっていた。
そんな彼女は色々なセカイを覗き、色々なアタシを見てきただろう。多分、アタシの考えなど全て見透かしている。
「……へぇ?」
だからこそ、アタシが反抗したことに彼女は興味深そうに笑みを深めた。言い負かされるとわかっているのにそれでも歯向かってきたのだから。
「だって、君は捨てただろう? 貴女にとって都合のいい幸せなセカイだったのにそれを切り捨てて、苦い思い出ばかりが詰まっている現実へ帰ろうとした」
「それは、そうだけど……それでもあのセカイでアタシは何かを見つけたの」
「その何かは? 思い出せないなら意味が――」
「――ここに立ってる」
アタシの言い分で鼻で笑おうとした彼女の言葉を遮る。まさか割り込まれると思わなかったようでミクちゃんは初めて驚いたような表情を浮かべた。
「確かに、あのセカイでアタシは誰に助けられたのか。どんな言葉をかけられたのか。どんなセカイだったかさえも覚えてないよ。覚えてないけど……わかるんだ」
アタシはいつだって皆に助けてもらっていた。
病気で苦しかった時、お兄ちゃんは笑顔にしてくれた。
病室で寂しかった時、テレビの向こうからあいりちゃんが希望をくれた。
復学して皆がバラバラになってしまったと知った時、いっちゃんはそばで一緒に足掻いてくれた。
無茶なことをして倒れてしまった時、しほちゃんはたくさん心配してくれた。
一緒にいると苦しんでしまうのなら、と自分から手を離した時、ほなちゃんは過去のトラウマを超えてもう一度、手を取ってくれた。
そして、悩んだ時、いつだって『教室のセカイ』の皆が見守ってくれた。
情けないことにアタシは一人ではほとんど何もできない。
だから、アタシが迷い込んだあのセカイでだって誰かに助けてもらったはずなのだ。誰かに背中を押してもらったからこそ、前に進めたのだ。
そんなセカイに意味がないとは思えない。少なくともアタシはあのセカイに救ってもらったのだから。
「その証拠にアタシは今、ミクちゃんの前に立ってる」
「……ぷっ。あっはっはっは!」
アタシの独白を聞いた彼女はお腹を抱えて大笑いし始める。あ、あれ? 思っていた反応とは違う?
「いやぁ、その返しは予想外だったよ。うん、いいね。でも、もうちょっと欲しいかな」
「欲しい?」
「では、一曲」
「へ?」
笑いすぎて涙が出たのか、指で目をこすった後、ミクちゃんは数歩ほど後ろへ下がった。一曲ってことは歌うの? このタイミングで?
「あaあぁAあA嗚呼aぁあゝaAあaaあ嗚呼ぁあAaAあaあ嗚呼ぁああaあ」
その歌声は正直、聞くに堪えないものだった。最初にミクちゃんが話していた時のように色々な歌から一部だけ切り取ってつなぎ合わせたような歌声。音程はバラバラで、声音も不安定。これでは満足に歌うことはできないだろう。
もしかしたら、目の前にいるミクちゃんは『初音ミク』の可能性を集めた姿なのかもしれない。
『初音ミク』は作曲者によって色々な顔を見せる。
綺麗なミクちゃん。かっこいいミクちゃん。可愛らしいミクちゃん。クールなミクちゃん。楽しそうなミクちゃん。暗いミクちゃん。
そのどれもが『初音ミク』であり、彼女こそ可能性の塊と言っても過言ではない。
でも、そんな無数の可能性を内包するミクちゃんを一つの体で表現しようとして、果たして上手くできるだろうか。その結果、目の前に立つミクちゃんのように見る度に姿が変わり、一音口ずさむ度に声音が変わってしまうようになってしまったのではないだろうか。
あくまでアタシの推測に過ぎないが、割と的外れな考えではないような気がする。
「酷いよね」
「……」
「ああ、別に言わなくていいよ。自分でもわかりきってることだし、普通に話すことも実はかなり無理してるんだ」
「そう、なんだ」
「ねぇ、咲希。歌う存在なのに歌うことのできないこんな
どこか諦めたような顔で乾いた笑みでそう問いかけてくるミクちゃん。このセカイに価値はないと言っていたが、その根底には『個性の崩壊』があるのかもしれない。
「あるよ」
だから、アタシはその問いに対して即答した。即答されるとは思わなかった彼女は体を硬直させる。
「だって、ずっとアタシにこのセカイに価値はないって訴えかけてるのはアタシを現実世界に帰すためだよね? また、アタシが
額縁の中を覗く前、ミクちゃんは『今度こそ、戻ってこられない』と言っていた。多分、アタシが自力で戻ってこられたのは奇跡だったのだろう。きっと、アタシがあのセカイに残ろうとしたら引っ張り上げようとしていたに違いない。
だから、このセカイに意味はないと言った。ここには何もないと白を切った。だって、アタシがこの世界に価値を見出してしまったらここに残ってしまうかもしれないから。
「……」
「確かに歌うのは難しいかもしれないけど……やっぱり、ミクちゃんはミクちゃんだよ。どんなセカイにいても変わらない。アタシたちのそばで見守ってくれる、とっても大切な人」
「……そっか」
アタシの答えを聞いたミクちゃんは天を仰ぐようにセカイを見つめる。そこにはやっぱりたくさんの額縁が浮いていて、星空のようにキラキラと輝いていた。
(ぁ……)
そして、正面を向いた時、一瞬だけ彼女の姿が現実世界の『初音ミク』になる。色々なミクちゃんがバラバラになって表れてしまう彼女の体で全てのパーツが一致するのは天文学的確率だろう。それが今、このタイミングで重なった。
うん、やっぱりここにいるミクちゃんは無意味なんかじゃない。彼女もれっきとした『初音ミク』だ。
「……じゃあ、最後に。また、
「ううん、確かにあそこは幸せなことばかりで居心地がよかった、と思うけど……アタシには帰る場所があるから」
記憶がないので曖昧な表現になってしまったが、アタシは帰る。そう、誰かと約束したような気がした。だから、帰らなくちゃ。
「おめでとう、天馬 咲希! 君はこのセカイを肯定しながらも現実世界に帰ることを選んだ!!」
アタシの答えを聞いたミクちゃんが大きな声を出す。そして、指を鳴らすとセカイを漂っていた額縁たちが再び、集まっていく。今度は重なり合っただけの山ではなく、空高くまで続く螺旋階段へと姿を変えた。
「これを昇れば現実世界に帰られる。やることがあるんだろう?」
「うん、どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ」
「そっか。がんばってね」
「うん!」
優しく微笑むミクちゃんに力強く頷いたアタシは螺旋階段の一段目に足を乗せた。うん、安定している。これなら昇ることができそうだ。
「じゃあ、行ってきます!」
「行ってらっしゃい」
そして、アタシはミクちゃんに別れを告げ、どこまでも続く螺旋階段を昇り始めた。
「行っちゃったか」
彼女はこちらを一度も振り返ることなく、額縁でできた螺旋階段を昇っていく。すでに姿は見えなくなってしまった。
「意味はある、か」
このセカイが産まれて、私が産まれて、誰かが思い浮かべたセカイを覗くだけの日々。一生、続くと思っていた灰色の日常へ、彼女は落ちてきた。
きっと、精神に相当な負担のかかることをしていたのだろう。目を閉じていてもわかるほど彼女の顔は青く、吸い込まれるように一つの額縁へ落ちてしまった。そのせいで助ける暇もなく、気が付けば彼女は完全に
「ぁA嗚呼あ……全く、歌えない『初音ミク』に何の価値があるんだか」
誰にともなく言葉を零す。それでも口元が緩んでいるのを自覚してしまい、彼女にはしてやられたと肩を竦めた。彼女は一人では何もできないと言っていたが、そんなことはない。きっと、ずっと救われ続けてきた彼女だからこそ、彼女にしかできない方法で誰かを救うことができる。それは――。
「――君たちは知ってるのかい?
本来、誰からも観測されるはずのなかった『可能性のセカイ』。
だが、観測対象である
「もし、暇だったらまた見に来てよ。あの子が迷い込んだセカイ以外にも色々な
届いていないかもしれない。それでも構わない。言葉にすることに意味があるのだから。
「それでは、今回のお話はこれにて閉幕! 次会う時はどんなセカイで会えるのか、楽しみにしていますよ?」
丁度、衣装がドレスになったので両手でスカートの裾を軽く持ち上げ、右足を斜め後ろに引き、左足の膝を曲げて背筋を伸ばしたまま挨拶をする。
でも、お話はもうちょっとだけ続く。さぁ、現実世界に帰った彼女は、どうなったんだろうね?
使用楽曲コード:N01191918