試験が終わり、ホグワーツも終了するだろう頃―――つまりホグワーツ特急に乗り始める頃、セブルスはスラグホーン教授に呼び出された。
「素晴らしい、いや、まったく素晴らしい! クリストファーが後継を決めるかどうかという重大なことなのだから先生方にはセブルスの採点を最優先にするように言っておいたのだがね、どの先生も手放しで褒めたたえる! 全科目優、十二ふくろう間違いなしだよ! 」
「お褒めに預かり光栄です、スラグホーン教授。」
セブルスは冷静にそう返した。これでイギリス魔法界とおさらばできる、ということしか頭になかった。
「ああ、そうそう、キングス・クロス駅にはクリストファーが迎えに来るからね。家に帰って親に事情説明をしたいとあれば、クリストファーが姿くらましで連れていってくれるだろうから親には迎えはいらないと説明しておいた方がいいかもしれない。」
「わかりました。」
つまり、これで両親とはおさらばできるというわけだ。万々歳ではないか。セブルスは口の端を上げた。もちろん両親に会う気は皆無である、帰ってこないにこしたことはない。もう戻らないのでさようならくらい言っておけばよいだろうか。
ホグワーツ特急はマルシベールとエイブリーと同じコンパートメントに乗った。
「それにしても、セブルスがあのマグル生まれの女と縁を切る日が来るとはな……。」
「ここ一年近くずっとそればかりだな、マルシベール。」
セブルスは肩をすくめた。リリーと“穢れた血”の言葉と共に決別した日、ようやく縁を切ったかとふたりとも言ったものだ。せいせいした、と。
「そういえばスラグホーン先生に呼び出されてたけど……何だったんだ? 」
「素晴らしい成績だったという話だ。」
「ああ、12ふくろう狙いだったもんな。スラグホーン先生にわざわざ呼び出されるってことは全科目優とか? 」
特段隠すことでもないのでセブルスは軽く頷いた。どうせ人生n周目、フライングである。魔法薬学と闇の魔術に対する防衛術の教授をやっておきながらこの二科目で誰かに負けるなどお笑い草ではないか。割と付け焼刃だった占い学が優を勝ち得たのには驚いたが。
「さすがだな、NEWTでも全科目優目指したりするのか? 」
「就職先から引く手あまただろう。」
「ああ、そうだ。十科目以上でE以上をとるという条件を達成したから六年生からはイルヴァモーニーに移ることになった。」
はあ、とマルシベールとエイブリーの口から間抜けな声が漏れた。
「マクーザの魔法執行部部長に引き取られることになった。」
軽く言っているが、内容はとんでもない。マクーザの魔法執行部部長なんてエリート中のエリートである。
「それは黙っておいた方がいい案件か? 」
純血名家の子息は、やはり、気が回る。セブルスは天井を見上げた。黙っておいた方が良いだろう。アメリカまで追ってくる誰かがいるとは思わないが、イギリス魔法界との関わりを断ちたいセブルスとしてはあまり知らせたくない話題だった。
「……ああ、黙ってくれていると助かる。」
「そんな大事な話をしてくれたのか。ありがとう。」
そうか、ここで感謝の言葉なのか。セブルスはふっと笑みを浮かべた。同時に、リリーのために行った二重スパイは彼らを裏切る形になったのだからつきりと胸が痛んだ。まだ感情が残っていたらしい。
「もし……このようなことを言えば侮辱だと感じるのかもしれない。そうしたら、申し訳ないが。何かあれば、力になろう。アメリカに逃れるくらいは手助けできる。」
「その言葉だけで十分だ。」
「何かあったら頼らせてもらおう。」
会話はそれきりだったが、沈黙は重たいものではなかった。最後にまたな、と来年度も会うような言葉を交わしてホームに降り立つ。
「迎えに来たよ、セブルス。」
「ありがとうございます、クリストファー。」
帽子を目深にかぶった金髪の男―――クリストファーが、ホームで待っていた。
「これからの君の成長が楽しみだ。さて、実家には挨拶に行った方が? 」
「結構です。僕がいない方が幸せでしょうから。」
ばっさりと切り捨てたセブルスに苦笑し、クリストファーは腕につかまるように促した。
「シスルウール・マナーに行くことにしよう。」
付き添い姿くらましか。酔うのを覚悟したが、クリストファーの姿くらましは快適だった。
「狐につままれたような顔をしている。」
「ここまで快適な付き添い姿くらましは初めてです。」
「そんなことか。……さて、ところで、セブルス。一つ選択をしなさい。スネイプ姓をなのるか、シスルウール姓を名乗るか。」
「シスルウール姓ってそんな簡単に名乗れるものなんですか。」
「ふむ―――セブルス、君はマグル生まれか? 」
「半純血です。」
ついでに母方の姓はプリンスですね、と付け加える。クリストファーは軽く頷いた。
「ならば問題ない。祖父の姉妹がプリンスに嫁いでいたはずだ。君と私の関係は又従兄弟だとか再又従兄弟だとかそんなところだろう。さて、どうする? 」
「ではシスルウール姓を。」
同じ過ちをおかさないための一つ目の工程として、スネイプ姓を捨てる。シスルウール姓を名乗るのに障害がなければ、それは願ってもいないことだった。一つでも違う道を選んでおいた方が良い。
「ではイルヴァモーニーにはセブルス・シスルウールの名で入学届を出しておこう。そうだな……ではまず、シャワーを浴びてきなさい。その後で夕食にしよう。シャワールームとリビングと君の部屋だけ案内しておくから、とりあえずそこを覚えること。家を案内するのは明日に回そう。疲れただろう。」
「わかりました。」
「私は君を息子と思って接することにする。君も私を父と思ってくれて構わない。」
「……えっと。」
いまひとつ言葉の意味を掴みかねてセブルスは眉を寄せた。父と息子とは何ぞや? 父という存在は自分を殴る存在として認識していたが、世間一般的には違うはずだ。首をひねるセブルスにクリストファーが息を吐き、ぐしゃぐしゃと黒髪を撫でた。
「……?! 」
突然のことに脳内処理が追いつかないセブルスにクリストファーは苦笑した。
「つまり、遠慮はいらないということだ。養父上とでも呼ぶか? 」
「え……養父上……? 」
「よろしい。まあついてきなさい、まずはシャワーを浴びるのが先だ。」
養父上。ちちうえ。ちちうえ……。セブルスの頭の中はその単語でいっぱいだった。いや、まあ、最初会った時に聞いたところ彼の年齢は五十とか六十とかそこらなので精神年齢四十路なセブルスでも父と呼ぶのに差し支えはないのだが。ないのだが。
いやでもちちうえ? 養父上? ……殴らない、父?
混乱したままシャワールームに放り込まれたセブルスは、とりあえず全身を洗って用意されていた服を着た。超高級綿が使われている。カルチャーショック。わかっちゃいたがティストルウール家は富豪であった。
そしてそのままリビングに顔を出せば、ソファで寛いでいたクリストファーが目をむいた。
「……セブルス! 」
大きな声にセブルスは思わず肩を跳ねさせた。何かしただろうか。
「シャンプーは何を使った。」
「え? 普通に石鹸を……。」
「馬鹿者。」
「あの、養父上……? 」
なお、セブルスはこの時自然に養父上呼びをしたことに気づいていない。既にクリストファーを養父上と呼ぶのには慣れてしまったようだ。
「得意科目は? 」
「魔法薬学と、闇の魔術に対する防衛術です……。」
教授までやっていたのだから得意で当然である。むしろ遅れをとるなどあってはならない科目だ。
「魔法薬学の調合は薬から出る煙でただでさえ髪を傷める。」
「……はい。」
「ここまで言ってもわからないか? 基本的には普通のシャンプーを使ってきちんと洗っていればある程度髪が傷むのは抑えられるにも関わらず石鹸を? 石鹸を使っていると? せめて普通のシャンプーを使え! そしてシスルウールの姓を名乗るなら身綺麗にしなさい、魔法薬学で傷めた髪を回復させる専用のシャンプーがある。レシピが知りたいなら教えるが……。つまり、魔法薬学に熱中したいのなら専用のシャンプーを使え、と言っているのだ。どこに出しても恥ずかしくない後継になるように。」
「……はい。」
そこまで言われてしまえばセブルスに拒否権はなかった。そのままシャワールームへと連行され、強制的に専用シャンプーで髪を洗われる。シャンプーとボディーソープと洗顔料の違いを懇々と説明され、徹底的に叩き込まれる頃には時計の針は9時を回っていた。予定ならば6時には夕食を食べるはずだったのに、である。
しかしそれでは終わらなかった。
「少食すぎる。それではどこかで倒れる。まず肉を食べなさい。野菜と豆ばかり食べるのはやめなさい。たしかに大豆はどこかの国では畑の肉と呼ばれるほどだが、肉を食すことを禁じているわけではないのだから。我が家のハウスエルフはそれぞれに見合った食事を作ってくれている。その食事は16歳の男に合わせてとるべき栄養バランスを考えて作られているのだから時間がかかっても完食するように。睡眠時間は最低でも8時間とりなさい。成長期に睡眠をおろそかにして良いことはない。9時に寝て5時に起きるのを目標とするように。起きる時間は一定にしなさい。今日は例外だから10時に寝て5時に起きるので構わないが、明日からは9時に寝て5時に起きるように。朝方の生活に慣らしていかなければならない。」
その後も栄養バランスについて延々と説明され、どうにか完食したら歯磨きをするようにと指示される。
「……ふむ、歯については矯正が必要か。夏休み中にどうにかしよう。」
などと言った後、クリストファーは眉を寄せる。
「セブルス、磨き方がなっていない。まず歯の表側に歯ブラシをあてて奥から一本ずつ十回磨いていきなさい。……そうだ。というかまず鏡を見て歯を磨きなさい。ああ、よろしい。さて、くれぐれも食べかすをエバネスコでけそうなどと思わぬことだ。大惨事になる。」
「……やったことがあるんですか、養父上。」
「従弟がな。大惨事だった。聞きたいか? 」
「結構です。」
歯磨き指導がようやく終わり、セブルスはやっと自室までたどり着いた。明日は5時に起きるように、というクリストファーの言葉を最後にベッドに倒れ込む。まさしく疲労困憊。疲労困憊であろうとも不眠症に陥りかけていた30代後半とは違い、16歳の身体は素直だった。
素直に寝付き、悪夢も見ることなく(これについては、虐待を受けていた形跡のある彼を気遣ったハウスエルフが悪夢除けの魔法薬を食事に混ぜていたという裏話があるのだがここでは割愛する)、朝5時にハウスエルフにたたき起こされるまでぐっすりと眠りこんだセブルスの朝は、また慌ただしかった。
「おはようございます、養父上。」
「ああ、おはよう、セブルス。運動しやすい服に着替えてきなさい。」
「……運動しやすい服ですか? 」
朝食を食べるのではないのか、とセブルスの顔にはありありと書かれている。クリストファーはああ、と納得したように頷いて外を指す。
「魔法使いは大抵体力がない。トレーニングをして体力をつければそれだけで有事の際にはだいぶ有利になる。我が家では朝一時間ほど犬の散歩をするのが日課だから心得ておくように。」
有事の際って一体あなたはどこを目指しているんですか、とセブルスは言いたくなったが、イギリス魔法省では魔法執行部部長といえば闇祓い局長からの昇格が多い。クリストファーも闇祓いだったのだろうと結論付けるだけに終わった。
以上のような経緯があり、セブルスの夏季休暇は朝に犬の散歩、昼には魔法薬学漬け、夕方にはクリストファーから出された課題をこなし9時就寝5時起床八時間睡眠の極めて健康的な生活を送ることになったのだった。