レティシアが父の訃報を受け取ったのは新婚旅行からの帰りだった。姿くらましを使ってもいいのだが、少しはマグルの文化にも馴染んでおいた方がいいと飛行機をとった。夫と歓談していたら、両面鏡で母に呼び出されたものだから手洗いで防音魔法を張って応対して――そして、開口一番、父の訃報である。
「……そう、なのね。わかったわ、お母様。」
「ええ……レティ、エドウィンとは一緒ね? 」
「そうだけど……きっとエドくんにも今頃どこかから連絡が入ってる頃かな。」
「全然、良くはないのだけど……レティが、エドウィンと一緒でまだよかったわ。あなたが一人じゃないなら安心。」
「私は大丈夫よ、お母様。それよりおじさまは? 」
「……トムは。」
言葉に詰まったのを見て、レティシアは溜息を吐いた。母から聞いたことには、父が亡くなった時にはトム――伯父がそばにいたのだという。血の繋がりはなくとも、そしてお互いの子供が成人する年齢になろうとも、彼は父を溺愛している。目の前で死なれたというなら、伯父の方が心配だった。
「言いたくないなら言わなくていいわ、お母様。帰ったらおじさまに会いに行くから。おばさまもそろそろ帰っていらっしゃるのでしょう? 」
そう、伯母――トムの妻、シャーロットが所用で実家に帰っているのも気がかりの一つだった。子供たちは既に手を離れて、きっと伯父の気がかりは何もない。あとを追いでもするのでは、という危惧は、彼の弟馬鹿ぶりを知っている者なら誰にでも理解できるものだ。
「ありがとう。心配をかけて悪いわね、レティ。」
「うん。お母様も……あまり、気を落とさないでね。じゃあ、あんまり長くお手洗いに入っていると怪しまれちゃうから、そろそろ。」
「ええ。お母様は大丈夫だから、まずはゆっくり家に帰っておいでなさい。またあとでね、レティ。」
頷き、レティシアは両面鏡をポーチに仕舞って通路に出た。飛行機の中を足早に歩き、席に着けば夫が心配そうにこちらを見ていた。
「レティシアちゃん、セブルスのことなんだけど……。」
「お父様のことなら聞いたから。うーん、まだ帰りでよかったのかなあ。行きに訃報なんて聞いてたら新婚旅行どころじゃないもの。お父様もちょっと気を遣ってくれたのかな? 」
「……あー、よかった。軽口叩く元気くらいはあるんだね。てっきりもっと落ち込んでるかと……。」
「だって、わたし、お父様に孫の顔は見せてあげられないと思ってたから。」
「え? 」
「お父様、孫の顔を見る気、なかったもの。でもわたしは子供が欲しい。……どうかしら、エドくん。今から調整すればお父様の命日を誕生日にできる? 」
「や、いくら――その、……あれ……でも、な、さすがに日にちまでは。」
あれ、とは魔法のことだろう。さすがにマグルが周囲にいるこの場で口にするのははばかられたのか、だいぶぼかした表現だ。
「気にしないで、冗談だから。あまりにも不謹慎が過ぎるでしょ。」
「でも結構笑えない冗談だった気が……レティシアちゃん、やっぱだいぶショック受けてるでしょ。気ぃ張らなくてもいいから。」
「あら。ショックはショックだけど、心構えはできていたから。それよりね、おじさまよ。聞いた? 目の前だったんでしょ。」
「あー……。」
みるみるうちにエドウィンの顔が苦いものになるのを見て、レティシアは本日二度目の溜息を吐いた。楽しい楽しい新婚旅行だったのに、お父様も何もこんな時を選んで死ななくても――いや、レティシアが父の手を離れたからこそか。困ったお父様ね、と心の中でつぶやいた。
「トムはな……救えなかった、というのはどう思っているんだか。一番傷が深いのはトムかもしれない。」
「そうよ。おじさまの溺愛ぶりったらなかったんだから。もう猫っかわいがりしてて……。」
あれだけ義兄から愛されていたら、それはレティシアのことも溺愛するはずである。惜しみない愛情を受け取っているのだから、父の中の愛情の絶対量が多いことはわかっている。
「だから、帰ったらおじさまに会いに行くつもり。ちょっとこんなこと言いたくはないけど、まさか後追いでもしないでしょうねって。」
「トムに限ってそれは……いや、まあ、ないとはいえないか。今ミスタ・クリストファーってどうしてんの? 」
「おじいさま? あ、そうだったわ。じゃあ、あんまり心配いらないかしら。」
「そうなの? 」
「うん、そうなの、エドくん。おじいさまがいらっしゃるなら、きっと、大丈夫。」
クリストファー・シスルウール。アメリカ魔法界屈指の知名度を誇る闇祓い出身のかつての魔法大臣である。そして、父の養父であるからレティシアの祖父にもあたる。節目節目の祝い事には来てくれたし、客観的に自分を見つめなおすすべを教えてくれた人だ。両親に溺愛されていたレティシアにきちんと貴族としてやっていく方法を身につけさせてくれた。彼がいなければ自分はまともな人間には育たなかったかもな、などと思うこともあるわけである。よく小説なんかで出てくる、大富豪の一人娘で両親に溺愛されて育った我儘お嬢様みたいな。そんな子供が大好きな父の娘だなんて地雷にもほどがあるので、祖父には頭が上がらない。
そんなクリストファーは、おそらく父の一番の理解者であった。レティシアよりも父のことをよく知る彼は、レティシアと同じか、もう一歩進んだ先にある結論に達していることだろう。それならば、祖父が伯父を宥めていてくれるはず。
そう――きっと、セブルス・ステアフォールスの許容量は、娘ひとり分だけだった。
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「やあ、レティシア。よく来てくれたね。」
「お久しぶりです、おじさま。」
シスルウール本邸。母が連絡を入れておいてくれたというから家に帰ってすぐに来てみれば、出迎えた伯父は少しやつれているものの確かな生気があった。それに安堵しつつ、レティシアは心の中で祖父に感謝した。
「うん、久しぶり。こんなところで立ち話もなんだろう。おいで、レティシア。色々と聞きたいこともあるだろう。」
「はい、おじさま。でも、あまりお気になさらないでくださいね。お母様から事情は聞いておりますから。お父様をひとりで逝かせないでいてくれて、ありがとうございます。最期まで一緒にいてくださったのでしょう? 」
「それでも、僕は何もできなかったよ。」
いつ来てもいとこたちとペットの明るい声に包まれていたはずの邸は、それが嘘のように静まり返っている。父はこの邸で育ったと聞いているし、男三人の家族の中で一等愛されていた末弟が世を去ったことを邸が悲しんでいるように思えた。
「良いんです。わたし、お父様に結婚を見届けてもらえただけで十分と思っていますから。」
「レティシア……。」
「おじさま、勘違いしないでくださいね。強がりじゃないですから。」
「……情けないね、レティシアに気を遣わせるとは。セヴァが生きてたらなんていわれたのかわかったものじゃない。」
「あら。お父様、おじさまのこと、大好きでしょう? 怒ったりしませんよ。」
レティシアは首を傾げた。あれだけ溺愛されておいてうざがりもしないなんて、それだけで父が伯父を大好きだとわかるものだ。レティシアも溺愛されて、ろくに反抗期らしい反抗期もなくここまで育ったからよくわかる。
「それはそれで堪える気もする……カロス、いるかい? 」
「はい、坊ちゃま。」
「紅茶を。レティシアの好みはわかっているね? 」
「はい、カロスめにお任せを。」
「よろしくね。……レティシア、楽にしてくれ。」
「はい、おじさま。……ふふ、安心いたしました。おじさま、もっと落ち込んでいらっしゃるんじゃないかって思っていたから。それともおじさまこそ強がりかしら? 」
「うーん……僕は、落ち込んでいられる立場じゃないっていうか。レティシアには謝らなくちゃいけないことがたくさんあるんだけど。」
「謝ることなんてあります? ……良いんですって、わたし、わかってますから。お父様の許容量が、わたし一人だけだったってことくらい。」
「……あー、うん。それ。いつ気づいてたんだい? 」
「イルヴァモーニーを卒業するころくらいに。何となく、ふと、お父様、孫の顔見る気ないなって。」
「養父さんにも言われたよ。セヴァはレティシアひとりで精一杯だったんだって。僕はまったく気づかなかった。あの子の義兄だっていうのに。」
「仕方ないですよ。お父様、どこまでいってもおじさまの前では弟だったのでしょう? わたしは娘だったから気づけたし、おじいさまは……父だから、気づけただけ。」
「うん、ありがとう。……そうか、そう思ってるのなら。どうしようか。レティシア、どこまで聞きたい? たぶん、聞かない方が幸せなこともあるから。」
「覚悟はできています。知らない方がいいこともあると思うけれど……答え合わせをしたいから、全部教えてください。」
「そうか。わかった。……セヴァはね、自分に失神魔法をかけたんだ。」
「……はい。それで、わかりました。」
レティシアの結論は正解だった。父は生きる気などなかった。父の愛情の許容量が大きいのはわかっていたけれども、分配できる人数がひどく少ないのにも気づいていた。父が、愛される前に愛することのできる――何の見返りもなくともただ無償の愛を捧げられるのは、まだ、一人だけだった。レティシアは幸運なことに、父の無償の愛を受けられる立場にあった。
それがわかっていても、父がどれほど大好きでも、レティシアは結婚を選んだ。レティシアにとって家は帰る場所で、家族は良きものだった。だから自分の家族が欲しかったのだ。てらいなく自分の家族を求め、夢見ることができるのがどれほど幸せで恵まれたことなのかは理解している。そして、父は娘がそう育ったことを喜んでいた。それと同時に、娘の幸せに自分はいらないと思ったのだろう。レティシアとしては父がいてくれれば言うことはないのだけど、無理強いする気はなかった。幼い頃から大きな愛で包み込んでくれていただけで、もう十分すぎるほどだったから。
「わたしがもっと待ってみたら、お父様はひとつくらい、わたしと同じ立場の椅子を増やせたのかもしれない。でも、わたしは今結婚したかったんです。だから、お父様とわたしを天秤にかけて自分をとった。おじさまはわたしを責めてもいいんですよ。」
「いや、そんなことはしない。セヴァが失神魔法をかけたのを見て、生きる気はないんだって悟ったからね。我儘を言わないあの子の、最後の我儘だったんだ。それを無視してお節介は焼けなかった。」
「そうですか。」
レティシアは答え合わせをした気でいるけれど、父がいない以上確かめようもない――強固な閉心術を常に身に纏っていた父が何を考えていたのか、確かめるすべはない。父は躊躇いなくレティシアと目を合わせてくれたし、信頼されていたし愛されていた。それでもあの一部の隙も無い閉心術は、ついぞ緩まなかった。祖父なら知っているかもしれないけれど、トムとレティシアの結論が正しい保証はどこにもないのだ。でも、目の前に横たわるのがこの現実ならそれぞれの結論を正解とするしかない。そうしないと、受け入れることも乗り越えることもできない。
「まあ、だからせめてもの罪滅ぼし……って言い方は変かもしれないけど。セヴァの代わりに、ちゃんとレティシアの幸せを見届けようと思ってね。だから僕のことは心配しなくてもいい。セヴァの分まで長生きしてみせるさ。」
「そうですか、安心しました。」
「養父さんもレティシアを心配していたよ。あとで会ってくれるかい? 」
「はい、喜んで。わたし、おじいさまとちょっと話したかったので。」
「それは良かった。……カロス、養父さんを呼んできてくれ。レティシアがいるといえばわかるはずだ。」
「はい、坊ちゃま。承りましたのでございます。」
バチン、と姿くらまし特有の音を立ててカロスが消える。それを見送って、レティシアは伯父に視線を戻した。何か言いたげな顔をしている。
「……ステアフォールスの当主だ。放っておいてほしいものだが、世間はそうもいかないだろう。僕たちが対応するからレティシアは――。」
「いいえ。ステアフォールスの当主はお母様が務めるでしょうけども、わたしも次期当主です。ただ静観しているだけで次期当主など務まりません。……大丈夫。今まで、じゅうぶん、お父様に守っていただきましたから。先達として、次期当主の振る舞い方――ご教授願えますか、おじさま。」
「……ああ、わかったよ。レティシアが言うなら仕方ない。」
苦々しい顔でうなずいた伯父に、レティシアはありがとうございます、と頭を下げた。もう父の掌の中で守られていていい時期は過ぎた。ある程度はクリストファーが教えてくれたから基礎はできているはずだが、優秀に過ぎる伯父に教えを乞うことは有意義である。何よりレティシアはまだ経験が浅いから、自分でそれなりにそつなく振る舞えると思っていても思わぬ盲点があったりして粗相をしかねない。伯父が隣に立っていてくれた方が色々な面でカバーできるのだ。つまるところ、保険である。
「レティシア、来ていたのだな。」
「おじいさま! 」
白髪が混ざり始めた髪は肩口でゆるく結わえられていて、理知的な瞳は輝きを失っていない。白髪といっても元の髪色が金だからそう目立つわけでもないけれど。若々しい、というほどでもないが、品の良い紳士である。ダンディな祖父はよく友人たちにうらやましがられる。
「養父さん、席を外した方がいいですか? 」
「ひとりで大丈夫か? 」
「いつまで子ども扱いするんです……もう末息子も成人したんですから。じゃあレティシア、帰る時にまた会おう。」
「はい、おじさま。またあとで。」
トムが出て行った扉がひとりでに閉まるのも魔法界では珍しくないこと。昨今はノー・マジの世界でも自動ドアなんてものが普及していて、魔法が使えなくとも随分と便利な世界になっているものだと感心したりしたものだ。
「……おじいさま、さっきおじさまから聞いたの。おじいさまも、お父様の許容量が私ひとり分だって気づいていたって。」
「ああ、気づいていたか……まったく、セブルスも娘に悟らせるとは。」
「うん、だからね、お父様の死因、わたしの結婚かなあって。だからおじさまは責任感じることない、って言ったんだけど……。」
「考えすぎだぞ、レティシア。」
「え? 」
「あいつは自分の感情に鈍いし、論理的に見えて妙なところで感情的だ。たぶん何も考えずに気が抜けたから死んだ、くらいの軽さだろう。あいつがさくっと死んだのはエドウィンにお前を任せられると信じているからだ。まったく嬉しくない形だが、ある意味祝福だな。」
「おじいさまが言うなら、そうなのかしら……。」
「……まあ、構わないか。どうだ、レティシア。父親の秘密を知りたいか? 」
「秘密? 」
「本人に言わせてみれば黒歴史かもしれんが……まあ、勝手に死んだのだから暴露されても文句は言えんだろう。それが嫌なら私より長生きすればよかったんだ、まったく……。」
「うーん……そうねえ、知ってた方が色々後悔しない気がするの。おじいさま、教えてくれる? 」
「ああ、あいつは逆行者でな。」
「やだ、タイムターナー? 」
「さすがだな、理解が速い。何回目の逆行だかは知らないが、いつぞやの私があいつを拾ったらしい。そういうわけで私を信頼しているようでな、我が邸に乗り込んできたかと思えば開口一番開心術をかけてくださいと。」
「え?! 嘘、おじいさま、お父様に開心術かけたことあるの?! お父様、あんなに強固な閉心術の使い手なのに?! 」
「あちらから閉心術を緩めていたから入りやすかったんだ。きっと今まで逆行で幾度となく死んでいるのだろう――生死に対する倫理観がほとんど死滅している。まあ、だから今もどこかに逆行してうまくやってるだろう。」
「でも……どうやって? 時を遡る魔法なんて禁術指定だし、ましてや何回もだなんて! 」
「人間には無数の可能性がある。分岐点と言い換えてもいいか。些細なことでも大きな分岐となることがままあるものだ。普通はその無数の可能性は人間が一生を歩むうちに潰されていくものだが、――何度も一生を歩むことによってセブルスの場合は大量の分岐が潰されずに記憶として残っている。あれがどうして分岐のループに入ったのかは不明だが……一度逆行して新しい分岐を作ってしまうと、癖ができるのだろうよ。逆行を繰り返しているのはだいたいそんな理由だろう。」
「じゃあ、お父様、これからも逆行を続けるってこと? 」
「おそらくはな。……だが、くれぐれも時を遡ろうなどとは考えるな、レティシア。もし分岐にたどり着いたとしてもそれがレティシアの記憶を持っているセブルスである可能性がどれほどかはわからないし、そもそもあまりにも不安定だ。」
「そんなこと考えないわ。だって、わたし、エドくんと結婚したばかりなのよ? まずは子供が欲しいの。」
「……そうか。」
「考えがないわけじゃないけど、まあ、実行するとしたら……いえ、なんでもないわ。おじさまには言わないでね。」
「はあ……実行する分には止められないかもしれんが、私に相談くらいしてくれるか? 」
「考えておくわ。」
「セブルスも自分の娘がこれだけ頑固とは思わなんだろうな……。」
「そうかしら。」
クリストファーが苦笑する。父が亡くなったというのに涙の一つも流さないなんて、わたしは冷たいのだろうか。そう思ったものの、レティシアにしてみれば、父は父なりに満足して逝ったらしいのだから泣く方が彼への侮辱な気がするのである。
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「エドくん、本当にいいの? 」
「いいんだって。レティシアちゃんは俺にしか頼めないんだろ? 」
「そうだけど……。」
父の死から、もう四十年。先日孫が生まれたほどだが、伯父も祖父もまだまだ健在だ。父がいないのは寂しくあるけれども、母も母なりに父の死を受け入れて生きている。
そんな中、息子が手を離れてからレティシアが着手したのは時を遡ることの研究だった。何度も何度もやり直して、結んだ縁が次の人生では切れてしまう。父が我慢できればいいけれど、もし、どうしても我慢ならなくなった時。今レティシアが生きている世界の記憶を持った人と、会いたくなった時。何か手段を用意しておきたい、と思ったのだ。父は父なりに満足して逝ったのだろうと思っているけれど、残された方は満足なんてしていないのだから、少しくらい希望を作ったっていいじゃないかと。
「わたし、たくさん考えたの。この世界の記憶を持っていることで、お父様の助けになれる人って誰かなって。あんまりたくさんだと、色々壊れちゃうかもしれないから……おじいさまと、おじさまと、お母様、それとエドくん。心の奥底に記憶を眠らせておいて、それで……お父様が、自分からその中の誰かに会いに来たら、みんなの記憶が蘇るようにって。」
「うん。」
「わたしの記憶はいらないわ。わたしがわたしなら、どんな世界でだってお父様が大好きなはずだもの。それに、この世界の記憶を持っていたら、わたしはきっと色んなことを諦めちゃう。」
「レティシアちゃんが色々考えてるのはわかってるから。クリストファーさんと、トムとソフィア。三人は記憶を持ってるって、セブルスに知らせに行く係だろ? 引き受けるよ。」
「……ありがとう、エドくん。」
夫が自分のことを愛してくれているのは、レティシア自身が一番よく知っている。レティシアが自分の記憶をいらないというのはエドウィンから伴侶を奪うことに他ならない。
「俺のレティシアちゃんは、今ここにいるレティシアちゃんだけだから。浮気しないから安心してね。」
「エドくんが浮気するはずない……。」
「光栄だなあ。だから、レティシアちゃん、ちゃんとこの世界を一緒に楽しもう。そうしたら寂しくないはずだから。」
「うん……。」
「イルヴァモーニーの校長を名乗ってるはずなんだけどな、……レティシアちゃんがどうやってその術式を完成させようとしているのかはまるで見当がつかない。だから途中でつらくなったらやめなね。」
「やめない! 」
「うん、そう言うと思った。」
術者が記憶を持たないことを条件に作動する式にしたのだ。古今東西の書物を読み漁って、ようやく方法を見つけた。レティシアが死後の一切――来世やら救済やらそういうもの――を贄にして四人分の記憶を未来か過去かもわからない、平行世界へと送るのだ。
「……エドくん、あのね。おばさまの記憶もあった方がいい? 」
「トムのためを考えたらそうだろうなあ。でも、レティシアちゃんはセブルスのためを考えてるんだろ? じゃあそれ以上のことを考える必要はない。」
「そうね、おじさまならうまくやると思うし……じゃあ、エドくん、もう一つだけいいかしら。」
「ん? 」
「この術式を完成させるためには、自分で死期を定める必要があってね。……エドくん、一緒に[rb:生きて>死んで]くれる? 」
「よし、じゃあいつまで生きる? 」
「……いいの? 」
「そりゃいいだろ。レティシアちゃんの頼みだぞ? 百歳くらいまで生きるか? 」
「もう、エドくんったら。これでもわたし、エドくんを巻き込むの、すごく悩んだんだけど。」
「俺がそれだけ大切に思われてるってことでしょ? 嬉しいよ。」
む、とレティシアは口を尖らせた。いつまで経っても夫は一枚上手で、レティシアが甘やかされなかったことはないのだ。
「いいわ、エドくん。百歳まで一緒にいましょうね。」
「うん、百歳までまだたっぷりあるから。レティシアちゃんに悔いのないように過ごそうね。」
「……うん。」
口ぶりでわかってしまった。エドウィンは、おそらくレティシアが死後のすべてを捧げることに察しがついている。それでいて知らないふりをしてくれている。どこまで経っても彼はレティシアを甘やかす達人なのだ。
「大好きだよ、エドくん。エドくんと結婚してよかった。」
無言でぽん、と頭に手を置かれる。照れ隠しかもしれないと思えば、悪くない気分がした。