目覚めは諦めと共に
もう、あらゆる手段は尽くした。
セブルスは自室のベッドに転がったまま天井を見上げた。ぼんやりと今までのことを考える。体感時間にすれば半年もないが、百回以上死んだ。そして、魂ごと逆行した。魔力は繰り越しになっている。ホグワーツの結界などものともしない、姿くらましすらできる。
「……不死が、欲しかったわけではないのだがな。」
不死属性なんていらない、そんなの我が君にあげてやりたい。枕元の黒檀の杖を手に取り、それをなぞる。
「プライオア・インカンタート。」
直前呪文。杖から出たのは悪霊の火だった。そう、この杖もセブルスと共に“記憶”を持っている。何十年と愛用してきた相棒だ。それなりに愛着も湧くというものだろう、これ以外の杖などもう考えられない。何度、巻き戻った時にこの呪文を口にしただろうか。もうセブルスは直前呪文のエキスパートだ。
これから何をするか、まずそれを決めなければならない。死ぬことを諦めることを決めたのだから。何をしても死ねないなど、これ以上の拷問はないだろう。
まずすべきことは何か。そんなことは決まっていた。酷い言葉を投げかける前に彼女を突き放す。所詮は穢れた血の一言で終わってしまうような脆い関係だったのだ、今突き放したところで彼女が傷つくはずもない。いや、セブルスの一言などで彼女が傷つくことなどあってはならない。血を流すのは自分の心だけで良い。
彼女の血は穢れてなどいない。彼女が、その清い血を流すことはあってはならない。血を流すのは、己の役目だ。この身に流れる血こそが何より濁り、穢れているのだから。それが流れたところで気にする者などいやしないだろう。
自嘲するような笑みを唇にはき、セブルスは緑のローブを羽織って外に出た。図書館にでも行けば彼女と会うことだろう。関わるのはやめようと、そう言うだけだ。閉心術は完璧。それが彼女を守ることに、死なせないことに繋がるというのなら水を飲むように心にもないことを言える。
死を重ねても、解放されることはない。それなら、彼女が手の届く位置にいながら諦めるのが、己に課せられた罰なのだ。セブルスはそう信じて疑わなかった。彼女の幸せこそが彼の幸せであり、己が幸せになることなどとうに夢見ることができなくなっていたのだから。
「セブ! 」
そう、決意したはずなのに。図書館へ向かおうとしたところで記憶の中にしかなかった声が己の名を呼ばわった。豊かな赤い髪がなびき、緑の瞳が明るく輝くその光景は、あまりにも美しかった。美化された思い出よりもなおも美しく、澄んでいて、これ以上ないほどに綺麗だった。
「セブ? どうしたの、ぼうっとして。」
鈴を転がしたような愛らしい声がセブルスの耳朶を打った。それでようやく我に返る。彼女が、リリーが、手の届く場所にいる。今は、何一つ失われていない。
手を伸ばせば、リリーがそれを無視することはないだろう。だが、そんなことはできない。一度許されざる罪を犯したのだから、与えられた罰を避けるわけにはいかない。
「……僕はスリザリンで、君はグリフィンドールだ。もう関わるのはやめよう。」
「セブ、どうしてそんなことを言うの? 」
そう、これくらいで彼女が受け入れるはずはなかった。責めるような緑の瞳が眩しい。そんな真っ直ぐな光を宿しているから、惹かれたのだ。
「関わっても何ひとつ良いことなどない。それ以外に理由が必要あるか? 」
リリーが己と関わって良いことなどあったか? だって、最終的には、―――彼女は、死ぬのだから。セブルスが伝えた予言によって。
「そんなことで関わるのをやめるっていうの? だいたいグリフィンドールとスリザリンって理由だけで仲良くできないなんておかしいわ! 」
この笑顔が、輝く瞳が二度と向けられなくなる。これから放とうとしているのはそんな言葉だ。元より彼女と関わることを望めるような美しい魂などではない。澱みきった魂で、どうしてリリーと話すなんてことができる?
「僕に関わるな。……迷惑だ。」
セブルスの声はかろうじて震えなかった。顔をそむけて言い放つ。その緑の瞳を見てそのせりふを言う自信はなかった。閉心術を強め、血を流す心を押し隠す。リリーが、こんな言葉で傷ついてはいけない。ただ軽蔑して、距離を置けばいいのだ。
「私は迷惑じゃないわ! 」
緑の瞳は、相変わらず真っ直ぐだった。ああ、眩しい。それを奪い去ったのは自分だというのに。嘲笑を口に刻む。それは自分を嘲笑うものだったが、彼女は、彼女を嘲笑うものだと思うだろう。そう、それで軽蔑すればいいのだ。自分のことなど忘れればいいのだ。
悲鳴を上げる心に気づかぬふりをして、セブルスは言の葉を口にのせた。
この言葉だけは、使いたくなかった。しかし、やはり決別にはこの言葉が必要なのだ。関わりを断つためには、この言葉が必要なのだ。今度は許しを乞いに行くことなどしない。リリーはそのまま、幼い日のことなど忘れてしまえば良い。
「……僕は、スリザリンの誇りにかけて“穢れた血”と関わるつもりなどさらさらない。もう一度言う、迷惑だ。二度と僕に関わるな。」
「……っ、結構よ! これからは邪魔しないわ。私だって闇の魔術に染まるような人に用はないもの! 」
赤い髪が翻り、何より美しい緑が視界から消えた。
そう、これで良い―――。
結局、彼女の名は呼ばなかった。リリーと、その名を呼ぶ資格など、もうとうの昔に失っていたのだから。
さて、これで用事は済んだ。さてスリザリン寮に帰ろうかとローブを翻す。
リリーとはなるべく距離を置きたい。彼女と関われば、また何か間違えてしまうだろうから。できれば、ホグワーツからすらも離れたい。少しでも環境を変えて、万が一にもまた同じ過ちを犯すことがないようにしたい―――。
******
進路相談の面接はリリーに最悪の言葉を投げかけ、完全に関わりを断ってから直ぐのことだった。
「セブルス、何か希望する未来はあるかな? 」
「ホグワーツを辞めたいです。」
即答したセブルスにスラグホーンは流石に言葉を失ったようだった。そうであろう、セブルスが教師であっても驚く。進路相談でホグワーツを辞めたいなどとのたまった生徒などもしかしたら史上で初めてではないか。しかし、このホグワーツという校舎は、セブルスにとっては同じ過ちを侵しかねないという不安を掻き立てる場所でしかなかった。
「ホグワーツを、辞めたい……? 」
オウム返しのように呟いたスラグホーンにセブルスは頷いた。とにかくホグワーツから離れたい。もうすべてが投げやりだった。何もかもから逃げてしまいたいのだ。死という選択肢を取れないのなら、ホグワーツを離れるという道しかあるまい。
「ホグワーツから離れたいのです。……もう、疲れました。」
疲れました、その本音がぽろりとこぼれ落ちたのは何故だろう。在学中、唯一気にかけてくれた教師だったからか。初めて魔法薬学の才能を認めてくれた教師だったからか。―――最後、唯一、己に杖を向けなかった恩師だったからか。ミネルバとフィリウスとポモーナが追ってくるのを視界の端でとらえたが、彼だけは、そう、スラグホーンだけはあの場にいなかった。彼の実力ならば走りながら攻撃することもできたはずだというのにそれもしなかった。
「……イルヴァモーニー魔法魔術学校というところを知っているかね? 」
「イルヴァモーニー魔法魔術学校、ですか? 」
今度はこちらがオウム返しにかえす番だった。頷いたスラグホーンが羊皮紙と羽根ペンを呼び寄せる。
「そう、イルヴァモーニー魔法魔術学校、アメリカの魔法学校だ! ホグワーツから離れてみたいというのならいっそのことイギリス魔法界を離れるというのも良いと思うのだがね。O.W.Lまで受けて、六年生からイルヴァモーニーに転入するのはどうかな。」
いっそのことイギリス魔法界から離れる、それならばもう過ちを犯しようもないだろう。そう思ってから気づいた。イギリス魔法界こそ、ホグワーツこそ、それにこだわることこそがセブルスの足枷になっていたのかもしれない。アメリカ魔法界、イルヴァモーニーという選択肢も確かにあったのだ。思いつかなかったというだけで。
「……逃げても良いと思いますか? 」
「逃げるのもまた、生きる手段の一つであるからね。」
「……スラグホーン教授、イルヴァモーニーに転入したいです。」
「私の知り合いにアメリカ魔法界の有力者がいてね。能力の高い後継を探しているんだよ。魔法薬学に呪文学、闇の魔術に対する防衛術では君は他の追随を許さない。他の教科を伸ばすことも努力次第では可能だろう。……後継になってみないかね? 」
「それでイルヴァモーニーへの転入がしやすくなるのなら、お受けしたいです。」
「……進路は、イルヴァモーニー魔法魔術学校への転入ということで構わないね。」
一つ頷き、スラグホーン教授は退室を促した。