「シリウス、どうしてこんなこともわからないのです? 」
純血主義に対して反発すれば、母には怒られた。父がいれば半純血でも優秀な方はいると宥めてくれるが、オリオンは多忙な人だ。家に帰ってくるのは遅い。
「母上こそ、どうして純血主義を疑問も持たずに受け入れるのですか! 」
まだ母に反発し始めてからは日が浅かったシリウスの口調は両家の子息のままだった。
ヴァルブルガが何か言ってくるのを無視して、部屋に駆け込む。
ああ、そういえば明日は“婚約者”に会う日だったか。憂鬱だ、とシリウスは枕に顔をうずめた。
******
「はじめまして、ロザベル・グリンデンバルドと申します。」
シリウスに“婚約者”として紹介されたのは、ダークレッドの髪に青と灰のオッドアイを持つおっとりとした少女だった。同い年だという彼女は穏やかな雰囲気で、“女性”といえば苛烈な母や従姉―――ベラトリックス、それに一見大人しそうに見えて我の強いアンドロメダや芯の強いナルシッサくらいしか知らなかったシリウスからしてみればあまりにも新鮮だった。
「……おれは、シリウスだ。」
ブラックを名乗らなかったのは、常日頃からブラックを説く母への反抗心のようなものでもあった。
紹介が終われば、大丈夫そうだと判断したらしい大人たちが、あとは若い―――というか幼いふたりででも、などとでもいうふうに席を外していく。それを冷めた目で見送ったシリウスがロザベルに視線を戻してみると、おっとりと微笑んだ彼女は口を開いた。
「わたしたちは、親の決めた婚約者ですけれど……わたしの親族たちは、みんな愛しあって結婚しているの。だから、親が決めたからだけじゃなくって、あなたを大事だって思って結婚できたら素敵だなって思うの。ね、あなたはそう思いませんか? 」
歌うように紡がれた言葉、夢見るように柔らかく細められた瞳、こてんと愛らしく傾げられた首。“婚約者”に会うのが嫌で嫌でたまらなかったはずなのに、目の前でふわふわと微笑むロザベルを見ていると、嫌な感情がわきあがってくることがない。それがどうにも新鮮で、シリウスは原因を見つけてやろうとロザベルを注視してみることにした。
しかしそんなことはもはや逆効果のようで、お菓子のように甘くてふわふわしたものだけでできているような彼女に新鮮だと思った頃には、もうシリウスはロザベルに恋をしていたのだ。
「わたしたち、結婚までたっぷり時間はあるわけでしょう? だからわたし、あなたを心から大事だって思えるようにしたいの。もちろんこれはわたしが勝手にすることだから、あなたは無理に付き合わなくったっていいの。」
「おれのことが大事? 」
何やらよくわからないという様子でシリウスが首を傾げればロザベルは考え込むように頬に手をやって、それから答えた。
「ええっと、わたしは、今、あなたが大事かはまだわからないわ。だからわたし、そう思えるようにあなたのことをたくさん知りたいんです。」
「おれがブラック家の長男だからか。」
「違います。わたしが将来結婚する人だから。ブラック家の長男ではなくたって、わたしが将来結婚する人なら、知りたいと思うの。ね、だってその方が素敵でしょう? 」
こんなに眩しく輝く女の子が、シリウスのことを将来結婚する人だと言っている。“妻”をヴァルブルガでしか知らないシリウスには、将来結婚することになる女の子が優しくて綺麗なものだけでできているように見えることが、ひどく素敵に思われた。そして彼女が言うには、彼女にとってシリウスはブラック家の長男ではなくて彼女が将来結婚する人でしかないらしい。妻というのは苛烈なものだと思っていたけれど、こんなに愛らしくって素敵な女の子ならきっと、ヴァルブルガのようにシリウスを叱責することもないのだ。それに、シリウスがロザベルに大事に思われるように努力すれば、きっとシリウスを大事にしてくれるのだ。きっと、彼女に対してなら、頑張ることは報われることになるのだ。
「だからね、まず、わたし、あなたを何て呼べばいいかしら。それを教えてくださる? 」
「じゃあ、おれはきみを何て呼んだらいいんだ。」
何せ“婚約者”に呼んでもらう名前を考えるのなんて当然のことながら初めてで、だからシリウスはお手本が欲しいと思った。ロザベルみたいな素敵な女の子に呼んでもらう名前を考えるなんて緊張するではないか。
「わたしのこと? じゃあ、ベルって呼んでください。みんなはわたしのことロージィって呼ぶから、ベルって呼ぶのはあなただけの特別。どうですか? 」
素敵でしょう、とばかりに明るく顔を輝かせるロザベルはシリウスが今までに見たことがないほど魅力的で、ベルの呼び名を許された瞬間に彼はもう、彼女に二度目の恋をしていた。つまるところ、シリウス・ブラックはロザベル・グリンデンバルドに既にぞっこんなのであった。
「……いい、と思う。」
初めての恋を持て余したシリウスはそんな淡白な答えしかなかったが、ロザベルの表情はますます嬉しそうになって、彼女はさらに可愛らしくなっていた。
恋は盲目というがまさにその言葉の通り彼女に魅了されたシリウスは、自分の愛称を考えようとして、いいことを思いついた。
「おれの呼び方も、きみが考えてくれないか。」
「わたしがあなたの呼び名を考えていいの? 」
シリウスが頷けば、ロザベルの瞳がきらきらと星のように煌めいた。
「あのね、それなら、シリウス、Siriusだから、Sir……rius……リウ、リウス、どうしましょう、そう、そうね、リオ! そうだわ、リオでどうかしら、気に入りました? 」
リオ。誰にも呼ばれたことのない愛称を彼女が考え出してくれた。嬉しくて嬉しくて、しかしシリウスは自分の感情を伝えるのが下手だった。
「気に入った。」
「良かった! じゃあ、リオ、よろしくお願いしますね。ふふ、ね、リオもわたしの名前を呼んでくれない? 」
きらきらと瞳を輝かせながら朗らかに言われた言葉にシリウスはどうしよう、と思った。ベルという名前はとっても可愛らしいけれど、こんなに可愛らしくて素敵な彼女の名前を自分が呼んでいいものなのだろうか。彼女の名前はロザベルなのに、それをベルと縮めてしまったら彼女がその分減ってしまったりしないだろうか。
大人が聞いたら笑ってしまいそうな、シリウスの可愛らしくも幼稚な心配はやはりロザベルを見たら霧散した。こんなに煌めいている子が、シリウスの一言で減ってしまうほど弱いはずなんてきっとないのだ。
「……わかった、ベル。」
「ええ! 嬉しいわ、リオ! 」
出会ってから今までのこの短い時間の中で一番眩しい笑顔を見せたロザベルは、勢いよく立ちあがると向かいに座っていたシリウスにきゅっと抱きついた。頬に触れたフリルのリボンや密着しているあたたかな体温にぶわりと頬を染め上げたシリウスのことなど知らず、ロザベルは嬉しいわ、と繰り返す。
「リオ、わたし、あなたのことを知るのがとっても楽しみよ! だってリオは今だってとっても素敵なんですもの、きっとリオのことをもっと知ったら、わたし、もっとあなたが大好きになるわ。ね、それってとっても素敵なことだと思わない? 」
「……ああ、素敵だ! 」
シリウスは思わず声をあげた。一目でシリウスを虜にし、優しい言葉で心を奪った彼女にもっと好きになってもらえるなんてとっても素敵なことだ。しかも、ロザベルはだからシリウスも好きになってくれなんて一言も言わないのだ。見返りを求めない無邪気な無償の愛はシリウスには眩しすぎたけれど、同時に何よりも心地よかった。
「じゃあ、リオのことをもっと教えてちょうだい。ね、リオは何が一等好きなの? 」
一等好きなもの。父だとか、弟だとか、それから父に連れていったもらった色々なところの景色だとか、シリウスには好きなものがいっぱいあるけれど。それも、ついさっき、この子がすべて塗り替えていったのだ。幼いシリウスは口下手だったが、大事なところではきちんと素直になれる子どもだった。
「……決まってる。おれが一等好きなのは、きみだ。」
「まあ! まあ、わたし? わたしなの? それってとっても素敵だわ、わたしだってリオが一等好きになったのだもの。ね、そうよ、シリウス。わたしたち、初めてあったけどお互いが一等好きなんだわ。きっと、これが運命っていうのよ! 」
運命、そう、運命。シリウスはぱちぱちと目を瞬かせた。ああ、だとしたら、運命というのはなんて素敵なものなのだろう。
「……ベル。」
「なあに、リオ。」
「運命って、一等素敵なものだ。」
「ええ、素敵ね! 」
シリウスの膝の上に向かい合わせで座るベルは今日一番の可愛い顔をしていて、シリウスの心臓の音はいっこうに鳴りやむ気配を見せなかった。
******
「……と、以上が俺とベルの馴れ初めだ。」
「恥ずかしいわリオ……。」
ホグワーツ特急のコンパートメント。空いているコンパートメントが見つからなかったマグル生まれの女の子を受け入れ、シリウスは彼女に向かって愛しの婚約者との馴れ初めを披露していた。普通なら初対面で馴れ初めを語られたら一歩引くところだろうが、頬を染めながらシリウスの腕に力なく縋るロザベルを女の子、もといリリー・エバンズは微笑ましそうに見てくれている。
「ふたりともとっても素敵ね! 私もそういう人を見つけられるかしら? 」
「見つけられるんじゃないか? 」
恥じらう婚約者が可愛くてならないシリウスがおざなりな返事をしたのを咎めるように見つつ、ロザベルは軽く息を吐いてペースを持ち直した。
「ええと、あらためてよろしくね、リリー。」
「ええ、わたしこそよろしくね、ロザベル! 」
「ふふ、もちろん。リリーはホグワーツに行くのは楽しみ? 」
「少し、楽しみだけど……家族と離れるのはやっぱり不安よ。それに、わたしの姉妹はホグワーツに行けないんだもの。」
「あら、リリーには姉妹がいるのね。それならお手紙を出すといいわ! マグルに手紙を送る時にふくろうを送ってしまっては大変だから、ポストまで送れる方法を教えてあげる! 」
「本当? 嬉しいわ、ペチュニアにたくさん手紙を送らなくっちゃ! 」
きゃっきゃと笑うリリーにロザベルも顔を綻ばせる。楽しげな彼女に満足したように笑むシリウスは、今度は寮分けの話でもするかと口を開いた。
「ベルはどの寮に入るんだ? 」
「わたしはどこでもいいわ。叡智のレイブンクロー、公明正大なるハッフルパフ。あとは勇敢なるグリフィンドールね。でも、やっぱり第一志望は賢きスリザリンに決まってるでしょう。お祖母様の出身寮でもあるもの! 」
ね、とロザベルが柔らかく微笑んだ時、コンパートメントの扉が勢いよく開いた。
「スリザリンだって? そんなところに誰が入るか! むしろ退学するよ! 」
癖の強い髪に丸眼鏡、突然入ってきた少年にロザベルはもちろん眉をひそめ、シリウスは愛する婚約者が楽しそうにしているところを邪魔されたのに不愉快とばかりに表情を消した。しかし少年の方は気にすることもなく、高らかに己の思想を謳い続けている。
「『グリフィンドール、勇気あるものが住まう寮! 』そう、僕の父さんのように。そこの可愛い君、こんな純血主義者どもと一緒にいるなんて間違いだ。僕と一緒に来ないかい? スリザリンなんて卑怯者の集まる場所なんだから! 」
「……っ、いきなり出てきて、あなたこそ何なのよ……っ! 」
「……そう、あなたが噂に聞くポッター家の嫡男。偏見まみれと聞いたけれどどうやら本当のようね。何も自分の目で見て確かめていないのだもの。」
それはもう絶対零度の声音で――数多の優秀な魔法使いを輩出したグリンデンバルドの血筋を感じさせる冷徹さで放たれた一言に少年は言い返そうとしたようだったが、それはかなわなかった。ロザベルが少年を魔法でコンパートメントから締め出し、見事な連係プレーでシリウスがコンパートメントの施錠をしたのである。ふたりの魔法の腕を見ていたリリーはぱちぱちと目を瞬かせた。
「……すごいわ、ふたりとも! 今の魔法? すごいわ! 」
「ふふ、ありがとう、リリー。リリーだって勉強したらきっとこれくらいの魔法、使えるようになるわ。」
「本当? わたしも使えるようになる? 」
「ええ、だってホグワーツは“魔法学校”だもの。一緒に頑張りましょうね、リリー。」
「もちろん! 頑張るわ、ベル! 」
手を握り合う少女たちの姿は眩しかったのでシリウスは心のアルバムに保存したうえで、あとできちんと憂いの篩で見返せるように記憶を引っ張り出しておこうと決意したのだった。
******
「リリーとは別の寮になっちゃったわね……。」
大広間の組み分けの儀式にて、シリウスよりだいぶ後にスリザリンに組み分けされたロザベルはホグワーツ特急でできた友人と寮が離れたのがわりとショックなようだったので、隣の席を開けておいたシリウスは椅子に座った彼女の頭をふわふわと軽く撫でた。可愛らしいヘアセットが崩れない程度に。最初っから婚約者に惚れまくっているシリウスは背に腹は代えられないとばかりに母にレディの扱い方を教えてくれとせがんだもので、そういう気遣いはできる男になったのだ。親が決めた婚約者に対して何の抵抗もせず、それどころかレディへのお作法を身につけたがる長男に感動した母との関係が良い方向へと向かったのはシリウスにとってはまったくの想定外ではあったが、悪いことではなかった。
「寂しいなら会いに行けばいいだろう。朝食は難しいかもしれないけど、昼食くらいなら一緒に食べられることもあるだろうし。グリフィンドールとスリザリンの合同授業もあるんだろう? 」
「もちろんわかってるわ。ちょっとね、寂しいと思っただけ。気に欠けてくれてありがとう、リオ。」
それはもう嬉しげに微笑んだロザベルにシリウスは何百回目か何千回目かわからない恋に落ち、やはり彼女以外の婚約者はあり得ないと何千回目かの納得をした。
「リオはホグワーツの授業は楽しみ? 」
「同年代と一緒に学ぶのはあまりない機会だし、寮生活だから新鮮だ。……毎日、ベルとも会えるし。」
「ええ、わたしも毎日リオと会えるのは嬉しいわ。それに、アリアナお祖母様もトム叔父様もいらっしゃるもの。トム叔父様がどんな授業をするか気にならない? 」
トム・マールヴォロ・ゴーント。サラザール・スリザリンの末裔たるゴーントの血を継ぐ彼はグリンデンバルドから嫁をとっているため、ロザベルにとっても近しい姻戚にあたり、夏休みなどでホグワーツに学生がいない時にはロザベルとシリウスにも指導をしてくれたりした品の良いおじさまである。シリウスも彼には懐いている。
「ああ、トム叔父様のことだから素晴らしい授業に決まっている。」
「ええ、そうね。ふふ、楽しみだわ! 」
それはもうロザベルの笑顔はきらきらと輝いていて、いつだってシリウスを虜にするのだった。
******
「リリー、来月の講演会は行く? 」
グリフィンドールとスリザリンの合同授業が終わったあと、ちょうど昼休みを挟むので一緒に昼食を食べようとロザベルとリリーは一緒に歩いていた。四六時中一緒にいるはずのシリウスはといえば、先ほどロザベルにちょっかいをかけてきたジェームズ・ポッターを捕まえて何やらお話し中である。スリザリンがどうたらこうたらだとかわけのわからない言いがかりをつけてなめくじの呪いをかけようとしてきたのだから、愛しのロザベルを害されかけたシリウスはご立腹なのである。もちろんシリウスが出るまでもなくロザベルはジェームズを返り討ちにできたが、ジェームズに威嚇する婚約者があまりに可愛らしかったものでロザベルは彼に対処を任せてきた。
「講演会? 」
講演会とは一体何の講演会か。わからないと首をひねるリリーにロザベルは軽く微笑んだ。
「ええ、魔法薬学の権威と呼ばれる研究者の講演会があるの。魔法薬学は得意でしょう? 好奇心旺盛なリリーなら行きたがるかと思ったのだけど。」
「魔法薬学の講演会? それってわたしみたいな初心者が行ってもわかるものかしら。」
魔法薬学を習い始めてまだ一年、好きな科目だから言ってみたいけどとリリーは悩む。きっと権威というからには素晴らしい先生が来て、とっても難しい話をするんだわ。わたしに理解できるかしら。だがロザベルは軽やかに笑ってリリーの不安を払拭した。
「問題ないわ。学生向けに簡単に噛み砕いてお話してくれる講演会だもの。絶対一回は行ってみた方がいいわ! それにね、多忙な方だからなかなか講演会はないの。今回を逃したら次の講演会は二年後だとか三年後だとか……どう? 一緒に行かない? 」
「……行くわ! ロザベルと一緒ね、楽しみ。どうしよう、どんな服を着ていこうかしら? どこでやるの? 」
「ふふ、ええ、楽しみ。私、リリーの制服姿しか見たことないから私服を見れるのも楽しみよ。講演会はね、魔法省の一角をお借りするの。ホグズミードからフルーパウダーを使うから、一緒に行きましょうね。」
「フルーパウダー? 授業で習ったけどまだ使ったことないわ。」
「じゃあ、もっと楽しみになるわね。」
「ええ! 」
少女たちの笑いさざめく声は穏やかな空にのみ込まれていった。
******
「かぁっっこいいっ……! 」
魔法薬学の権威たるセブルス・プリンスによる特別講演会。学生や初心者向けに比較的易しい内容の講演だというそれは魔法省で行われた。
さて、ロザベルに誘われて特別講演会へやってきたリリーではあったが、入り口でもらったパンフレットを見た彼女の第一声はそれだった。義理の伯父が褒められて嬉しいロザベルはそうでしょうと胸を張るし、シリウスは婚約者が嬉しそうにしているのは嬉しいのでツッコミ役は不在であった。
グリンデンバルドの伝手でとったVIP席からはステージがよく見える。既に講演の用意でステージに時折現れるプリンス博士にリリーの目は釘付けだった。
「あんなにかっこいい人がこの世にいたの……? 」
「ね、セブルス伯父様はかっこいいでしょう? 」
「うん、素敵……っ! 」
きらきらとこれ以上ないまでに輝くリリーの目にロザベルは満足げに頷いて隣のシリウスの方に満面の笑みを受けた。
「やっぱり伯父様はかっこいいわよね! 」
「……そうだな。」
「リオの方がもっとかっこいいけど。」
ね? こてんと傾げられた首にシリウスはうんと頷いた。婚約者殿は今日も可愛いし俺は今日も彼女に相応しい。何だかんだで家族との仲が良好な彼は、自己肯定感がわりと天元突破していた。
やがて明かりが消え、ステージをライトが照らす。講演が始まるのだ。リリーは身を乗り出した。ロザベルとシリウスも興味深げにステージの方を眺めている。
「今日は私の講演会に来てくれてありがとう、探究心豊かな学徒たち! 」
「……っ、声がいい……。」
思わずといった様子でリリーは声を漏らした。得意な魔法薬学の権威であるということはおろか、そもそもかっこいいし声がいい。何これ反則。プリンス博士の講演会で、リリー・エバンズは“推し”の概念を理解したのであった。
******
「セブルス伯父様は人気なのよね! だからね、ポストカードとか万年筆だとかの物販コーナーがあるの。行く? 」
講演会が終わり、人生で初めて“推し”の概念を得て興奮冷めやらぬところにそんなことを言われて行かないはずがない。リリーはもちろん即答した。
「行く! 」
「何が欲しいんだ? 買ってくるよ。」
物販は混んでいるし、レディの代わりに行くのは紳士として当然の嗜みであろう。ブラック家の女性陣に叩き込まれたレディファーストが機能しているシリウスはそう提案したが、そうねえとロザベルは苦笑した。
「私はそれでも良いんだけど、リリーは実際にグッズを手に取ってから買いたいと思うの。」
何しろロザベルは、妻の本が発売されればすぐに買いに行くゲラートと、魔法省がアイドルよろしく魔法大臣のサイン会を開いたりすれば一番乗りで並ぶアリアナを見て育っている。グリンデンバルド夫婦はいつまで経っても砂糖を吐くほど甘いし伴侶が推しでもあるので、彼らと似たものをリリーに見たロザベルの指摘は的確だった。
「うん、ロザベル! わたしは実際に見たいわ! 」
「そうね、リリー。……だからシリウス、あのね、良ければ付き添いをお願いしてもいいかしら? 」
「ああ、もちろん。」
可愛い可愛い婚約者殿の誘いを断れるシリウスではないので、彼はそれはそれはいい笑顔で快諾したのであった。
******
「ポッターと結婚することにしただと?! 」
魔法省に就職して一年、順調に稼ぎ始めたリリーから報告を受けたシリウスは耳を疑った。ブラック家の庭でリリーとシリウスとテーブルを囲んでいるロザベルはふうんと眉を寄せる。結婚するにしろ、ジェームズとリリーでは確実にジェームズの方が尻に敷かれるから大丈夫だろう。それに何かあればリリーから連絡は来るだろうし。とはいえ、自分に嫌がらせをしてきた奴と大事な親友が結婚するのはどうにも嫌な心地である。
「……ねえリリー、あれのどこがいいの? ……いえ、あれ呼ばわりはちょっと、その、ごめんなさい……。あのね、あまり正面から否定するのもよくないと思うから、お話を利かせてもらえたらなって。」
確かに学生時代のジェームズはあまりに鬱陶しく言いがかりをつけてはちょっかいを出してきたが、すべて返り討ちの結果ジェームズの方がひどい目にあっていたりするのでシリウスもそれなりに冷静ではある。鬱陶しかったが、ロザベルが本当に傷つけられたことは一度としてなかったので。そして彼は、卒業後に結婚して婚約者から妻となったロザベルが白と言えば黒をも白という妄信者でもあったので。
「えーっとね、一番の理由は金ヅル。」
しょっぱなから出てきた身も蓋もない理由にロザベルはとりあえず苦笑を崩さないでいた。これにはどう返すべきか。
「私ね、できる限り推しに貢ぎたいの。」
相変わらずプリンス博士の熱狂的ファンであるリリーの声音はあまりにも本気だった。
「ああ、でもポッターの金でプリンス博士に貢ぐとかあり得ないわよ。全部私が稼いだ金で貢ぐに決まってるでしょ。それで、正直なところ自分の金を全部推しに貢げるなら私の生活費とかどうでもいいのよ。そこはポッターの鐘でいいのよ。あと結婚したら博士の悪口絶対に言わないって誓わせたの。」
「徹底してるわね……。」
「本当にいいのか? ベルにあんな幼稚なちょっかいかけてくる奴だぞ。」
「そうよね! スリザリン嫌いは私が責任持って矯正しようと思うの! ……あとね、実はもう一つ狙いはある。」
「……狙い。」
「ポッター家って一応博士のプリンス家と並ぶ魔法薬学の名家でしょ。魔法薬学についての禁書とか稀講本とかありそうだなって……いいのあったらブラックにも横流しするわ。」
「あら、それは嬉しいわ! でもリリー、望まぬ結婚ではないのね? 脅されているわけでもないのよね? 」
「別に脅されてるわけじゃないわよ? あ、そうそう、大事な理由を忘れてたわ。ジェームズの両親はスリザリンのこと嫌いだからあんな育ち方したわけなんだけど、伯母さまがプリンス博士と親しくって……推しに認知されるのは解釈違いだから別に紹介してもらおうってわけじゃないんだけど、伯父さまはプリンス博士のファンだし私が持ってない講演会のパンフレットとか見せてくれるし……結婚したら伯父さま夫婦と同居しようねって約束だからプリンス博士のことたくさん話せるし……。」
俄然きらきらと瞳を輝かせ出すリリーにそう、とロザベルは微笑んだ。親友が幸せならいい。どうやらジェームズとの結婚は彼女にとって様々な恩恵をもたらすらしいので。
「でも、嫌になったらいつでも離婚手続きは手伝うわ。ね、リオ。」
「ああ、離婚手続きならいつでも任せておけ。」
「ありがとう! ロザベルもシリウスも頼もしいわ! 」
「ええ、結婚式には呼んでね、リリー。私の親友を奪うんですもの、少しくらい喝を入れておかなくっちゃ。」
おっとりと微笑を浮かべる彼女はそれでも、あのスリザリンの女帝の血を継ぐ覇気をまとっていた。
******
「リリーを泣かせてみなさい、すぐにポッター家ごと潰してやるわ。」
基本的にはおっとりとしたお嬢様であるロザベルだが、夫か親友のことになると彼女には少し過激になりがちなフシがある。
「はっ、ベルに幼稚な嫌がらせをしておいてリリーと結婚しようなんて相変わらず傲慢だなポッター。お前をまだ殺していないベルの慈悲に感謝しろ。」
新郎を鼻で笑うのはシリウスである。言っていることはアレなのだが、美形は何をしても様になる。しかもそれが今をときめく次期ブラック家当主様であるものだから、主役のジェームズを差し置いて女性から黄色い声が上がるのは避けられない。シリウスがロザベルにずっとご執心で、ついこの間ようやっと卒業したので結婚にこぎつけただとかいう話は有名なもので、女性たちもお近づきになりたいなどという下心を持っているわけでもないのだが。
「僕としては妻の友人がスリザリンだとかいうのは気に入らないからさっさとリリーから離れてくれてもい……ぐはっ! 」
「黙ってなさい。」
リリーの拳が綺麗な軌道をえがいてジェームズの脇腹に決まった。のたうちまわる新郎を差し置き、新婦はくるりと友人の方を向く。
「どう、ロザベル。似合ってる? 」
「ええ、似合ってるわ、リリー。とっても可愛いわね! 」
「へへ、ありがとう! 」
僕が褒めた時より嬉しそうなの解せない、とかのたまうジェームズをシリウスはとりあえずはたいておいた。ロザベルのことは大事だし愛してるし自分がロザベルの一番であることを重々自覚しているシリウスとしては彼女たちの戯れは可愛いものでしかないので。
それから、シリウスは連れてきたクリーチャーが彼女たちの写真を激写しているのを見たので、あとで特別報酬をたくさんあげたのであった。
******
「リリー、妊娠おめでとう。……ねえ、これ聞くのはどうかしらと思うのだけど、合意の上での妊娠ね? 」
「ええ、だって強姦されそうになってみなさいよ、私がジェームズを伸せないとでも? 」
勝ち気な笑みを浮かべるリリーに余計な心配だったかしら、とロザベルは安堵したように微笑んだ。そんなロザベルの腕には眠っている赤ちゃんが抱かれている。
そう、ついこの間シリウスとロザベルの間には男女の双子が生まれたのである。ロザベルが腕に抱いているのはレダと名付けられた女の子で、プロキオンと名付けられた方はちょうど席を外しているシリウスが連れていった。さて、双子が生まれた時はといえば、ジェームズが何だか微妙な顔をするのをよそにリリーは大量の出産祝いを送ったし、それでブラック夫人とポッター夫人の仲の良さを見せつけたのでオリオンとフリーモントの時代に拗れたブラックとポッターの仲には軌道修正がかかってきている。当主に就任したシリウスとジェームズはそれはもう仲が良くないのだが、男とはやはり妻に尻にしかれるものであるからして。
「だってプリンス博士の奥様が第三子を授かったと聞いたのだもの。ここで私が子どもを生んだら、もしかしたら博士の子どもとホグワーツで同い年になるかもしれないのよ? そうしたら授業参観とかで合法的に博士や博士の子どもを拝見できるかもしれない……。認知されるのは解釈違いだからもちろん遠くで眺めるけど……。」
「リリーは本当にプリンス博士が好きねえ……。」
「だって素敵なんだもの! すっと通った鼻筋はもちろん薄い唇から紡がれる言葉は洗練されていてしかも声は低すぎも高すぎもせず心地よいテノールなの。それでね、均整のとれた身体に極めつけはあのさらさらの黒髪と黒曜の瞳! お母様譲りの美しい髪と瞳だというし、アイリーン・プリンス様もこの前お会いする機会があったけれど美人で賢くてさすが博士のお母様という素晴らしい方で……。」
「ええ、それで? 」
「尊い。」
「ええ。」
「やっぱり推しは健康に良いわ。」
「ええ、妊娠中は健康に良いものをたくさん摂取しないと。それにしても、リリーがポッターの伯父夫婦と同居していてくれてよかったわ……正直ジェームズだけじゃリリーのケアはできない気がするし……。」
「ええ、伯父さまも伯母さまも可愛がってくださるし毎日プリンス博士のことについてたくさん話せて嬉しいわ! 博士のこと話すと語彙力溶けるけど。」
「ふふ、リリーが幸せそうで良かった。子どもが生まれたら見せてね? 」
「もちろんよ。伯父さまと伯母さまが名付け親に名乗り出てくださったの。どんな名前をつけてくれるか楽しみなの! そうだわ、ロザベルはどうやって子どもの名前を決めたの? 」
「ブラック家は代々星の名前をつける慣習があるのだけど、それを抜きにしてもね、母親の直感よ。これだと思ったの。色々とリオと名前は考えていたのだけど、生まれてきたらこの子はレダだと思ったしあの子はプロキオンだと思った。リオも同意してくれたのよ。きっと、生まれてくるまでわからないわ。……ところで、男女どっちだと思う? 」
「そうね、たぶん男の子だと思うわ。でも生まれてくるまでわからないわね。」
「ええ、そういうものだわ。」
「大丈夫。ちゃんと合意の上で生むんだし、伯父さまと伯母さまもいてくださるから。プリンス博士好きに育ててみせるわ。」
「あらあら、結局そこなの。いいと思うわ。」
ポッター夫人とブラック夫人は、今日も仲が良いのであった。
・オリキャラ
ロザベル・グリンデンバルド
シリウスの最愛の奥方でゲラート、アリアナ・グリンデンバルド夫妻の曾孫。シリウスを心から愛しているしリリーのことは親友だと思っている。スリザリン寮かつ純血ではあるものの、既にブラック家次期当主という婚約者がいることも相まってマグル出身者や半純血とも関わりが多い。ジェームズと学年首席を争う天才でもあったりする。普段はおっとりしているが何せ曽祖母がかの“スリザリンの女帝”であるもので、いざという時の覇気は魔法界の王家の奥方に相応しいもの。二児の母。