またまた長い……。
1話完結を辞めたら良い話なのですが…。
さてさて、今回はトレーナーとしての想いを軸に置きました。
分かる人には分かると思いますが、ちょっとだけウマ娘3期になぞらえた箇所があります。
………沖野はもう少しだけ威厳があったはずなんだけどねぇ…。
注意
・スペちゃん暴走気味。
・捏造あり
ー 前回のあらすじ ー
ルドルフ「我らワーカーホリッカーズ!」
たづな「右手にはペン!左手にはカロリーメイトを携えて!」
悟空「………おめぇ達いっぺん寝てこい。頭ん中がおかしくなってんぞ…」
ーーーーーー
近頃は太陽の活動時間が短くなり、17時頃になればそれなりに暗い。
とはいえ学園のターフには照明が設備されており、ウマ娘達には何も影響はない。
レースで勝つために今日もターフの上を駆け回る。
その傍らに佇むのは指導に勤しむ彼達だ。
悟空「なぁー」
キントレ「なんです?」
今日のウララのトレーニングは、レース感を磨くためにキングヘイローのトレーナーが率いるチームにお世話になっていた。
悟空「キングの奴。腕上げたな」
キントレ「はい。僕もそう思います。以前悟空さんに教えていただいた "無駄のない走り方,,のコツを掴んでいるようで、日に日に上達しています」
悟空「オラから見ても、この調子でいけば有マまでには型にハマると思うぞ」
キントレ「それは良かったです」
悟空「そんでさぁ」
キントレ「何ですか?」
悟空「ウララについては、どう思う…?」
ちょうど彼らの前を走り過ぎるウマ娘達。その中に紛れているピンク色の髪の毛をした彼女は中団あたりを走っていた。
レースではなく、ただのランニング。
しかしそのランニングでも、いつもウララは最後尾を走っていた。
それが今や、余力を充分に残しながら走れている。
キントレ「…どう、とは?」
悟空「有マだよ。トレーナー目線っちゅーのを聞きたくてな」
キントレ「ふむ…。………………レースに絶対はないだとか。やってみるまでは分からないなどの前提を捨てますが、1着は厳しいかと思います」
厳しいという表現を使ったが断言するようにハッキリとした物言いだ。
今回、ウララを含めたトレーニングを見て思っていた。
彼女がキングより前にいれば差し切られ。キングより後ろにいれば逃げ切られる。
詰まる所。キングより先にゴールをしていないのだ。
キントレ「キングと接戦になるくらいの力はついています。けれど、後一歩を埋める力がない。その一歩はレースの世界だと致命的な距離になります」
悟空「ほんの数センチつっても負けは負けだもんな…」
キントレ「はい。でも…、悟空さん。僕に改まって聞いて来たって事は何となく察していましたよね?ウララの事」
悟空「まあな。この前キングやスペ達と一緒にレースをした事があったろ?おめぇの名前を借りた時だ」
キントレ「ええ。 "グラスワンダーへっぽこ事件,,ですよね」
悟空「……………なんだそりゃ?」
キントレ「あれ、違いました?キングからはそう聞いたんですけど…」
悟空「…グラス………へっぽこ…。…………うん。多分それであってる」
キントレ「……2200m。フライング気味とはいえ、キングがあの怪物集団から逃げ切ったと聞いた時には驚きました」
悟空「ああ。アイツは意地の塊だからな。……………親そっくりだ」ボソッ
キントレ「何か言いました…?」
悟空「ん、いや。そんでその走った時だけど、ウララは1度も勝ってねぇんだよ」
キントレ「!……そうでしたか」
悟空「もちろんボロ負けじゃねぇ。惜しい所は何度もあったけど、今おめぇが言ったようにあと一歩の距離が限りなく遠い」
キントレ「有マまで2ヶ月を切っています。何とか出来そうですか?」
そう尋ねてみたがキントレに不安は無い。
隣にいる彼が、口角を上げてターフを走る彼女を見ているからだ。
自信の表れ。それとも歓喜か。
闘う事を好む彼からすると、今の状況はピンチではないのかもしれない。
悟空「何とかなぁ。…………ははっ、結構やべぇかもな!」
キントレの考えは憶測に過ぎなかったらしい。
困った顔で後頭部を掻く超戦士の姿にキントレは、あんぐりと口を開けた。
悟空「へへ、そんな顔すんなよぉ。打つ手がねぇ訳じゃねぇからさ!」
キントレ「……本当ですか?」ジト
悟空「おう。力が足りねぇなら技術でカバーすれば良い。策はある」
キントレ「でも、ヤバいんですよね?」
悟空「…そうだな。策はあんだけど、まだまとまってねぇんだ。そいつを決めてウララに擦り込ませるってなると、時間がギリギリでな」
キントレ「策…とは?」
悟空「んー、………内緒だ!」
キントレ「へ?」
ニカッ…と笑う悟空だが、その後すぐ真剣な目がキントレを射抜く。
悟空「なあ。世話になっといて勝手な事言うけどよ。これはウララとキングの対決であり、オラとおめぇの戦いだとも思ってる」
キントレ「!!!」
悟空「だから協力とかトレーニングは一緒にするけど、おめぇ達には全力でオラ達を倒しに来てほしいんだ」
ドクン…!
一際高鳴る鼓動。
キントレは血の気が湧き上がるのを感じた。
勝負だの、倒すなどと。ウマ娘に発破をかける時には使う単語だが、大人である自分に使う事はなくなっていた。
それが今や、戦闘民族からライバル視されて真っ向から勝負を叩きつけられている。
この状況に興奮しない訳がない。
キントレ「望む所です。………ですが、肩書きだけいってもウララは僕のチームです。何かあった時にはすぐに言ってください」
悟空「ははっ!ほんと、おめぇは最初会った時からずっとそれだな!トレーナーの鑑っちゅーのか?」
キントレ「中央トレセン学園勤務のトレーナーとしては当然の事ですよ」
悟空「そっか。…………うん。そんなおめぇに1つ、言っときてぇ事がある」
少しだけ低くなった声色。
キングは自然と体ごと悟空に向けた。
悟空「もしもオラがさ…、」
キントレ「?」
悟空「有マ記念の前に消えちまったら、後はウララの好きなようにさせてやってくれ」
彼の言った事は理解出来る範疇であり、考えたくない事であった。
キントレ「そ、そんな事……、だって予定では1年程はあるとっ!」
悟空「もしもって言ったろ。だからオラもおめぇにだけしか言わねぇ」
突然。彼にはこういう事がある。
普段何も考えないようにみえて、実はその先を誰よりも考えている所。
確かに可能性の1つとして考えなければならない事だ。
キントレ「………………好きなようにというのは、トレーニングの事ですか?」
悟空「有マ記念に関する事全部だ。それまでにどんなトレーニングすんのか。体調の管理。調整の仕方。ウララの考えを優先してほしい」
キントレ「無理です」
仮の話しで進めている事だとしても、受け入れる訳にはいかない。
キントレ「悟空さんも分かっているでしょう。トレーナーがいるからトレーニングを追い込めるし、何かあった時にはすぐに対応出来る。有マの枠次第では作戦だって変わる。もしもウララが1人でやると言ったら、これまでの頑張りをドブに捨てる事と同じです。ウマ娘とトレーナーは一緒にいなければならない」
間違った事は何も言っていない。
完璧と謳われているシンボリルドルフだって、東条トレーナーの元にいたから "絶対,,を手に入れた。
調整の知識を持ち合わせていないウララがそれを言った時には、ハルウララの敗北…と同義になる。
悟空「大丈夫だ」
ーーそれなのに、
キントレ「………何がですか?」
悟空「ウララがおめぇを頼るのか、自分1人でやんのかは知らねぇけどよ」
彼の瞳は1ミリたりとも揺るぎない。
悟空「アイツはオラの弟子だ。自分から弱くなる道は選ばなねぇさ」
信じる人、というのはここまで魅了されてしまうものなのか。
なんの確証もなく適当そのものなのに。反論の言葉が出てこない。
キントレ「……………ハァ…、分かりました…」
諦めの意味を込めて肩を落とす。
その丸まった背中を大きな手がバシバシ…と叩いた。
キントレ「ぐぇっ…!」
悟空「無茶言って悪ぃな!」
キントレ「もー、ほんとですよ」
悟空「へへっ、……サンキューな。キントレ」
キントレ「……はい」
「悟空さーん!!!」
締めのトレーニングであるランニングが終わり、悟空に向かって一直線にやって来るのはウララだ。
悟空「おう。お疲れさん」
ウララ「うん!やっぱりみんなと走るのは気持ちいーね!」
悟空「そりゃあ良い事だけどよ、おめぇキングに負けてばっかだったじゃねぇか」
ウララ「うっ…!……え、へへ………負けちゃった!」
悟空「そうだな。……悔しいか?」
ウララ「んー。……えっとねぇ…、…………怒らない?」
悟空「おう」
ウララ「楽しかった!」
悟空「………ん、そっか。良かったな」
ウララ「うん!」
満面の笑みを浮かべるウララの頭を撫でる。たくさん走った証拠として髪の毛は湿っていた。服は土にまみれ、今も肩で息をしている。
悟空「んじゃ、体が冷める前にクールダウンしてこい。キングが待ってんぞ」
ウララ「はーい!」
そう言ってまた走り出す彼女。ターフにいるキングからは、ゆっくり歩けと檄が飛んでいた。
悟空「ははっ、……まったく、落ち着きのねぇやつだ」
キントレ「ウララらしいですね」
悟空「……ああ」
悟空は思う。
ウララの笑顔を取り戻せて良かった…と。
心が折れたあの時の事は今でもたまに思い出す。笑顔が消え、走る事を恐れたウララを。
悟空(もう…、見たくねぇよな。アイツのあんな顔)
だから正直、今のように負けても笑っている顔を見ると、ホッとしている。
しかし。これから先に負ける事が何度もあるだろう。もしかするとそれは有マ記念かもしれない。
"大きな舞台で勝つ,,
それがウララがトレーナーと交わした約束だ。
そこで負けてしまうと今度こそ、砕け散ってしまう可能性だってある。
そうならないためには勝つしかない。勝つためには考案中の策を完成させなければならない。
悟空(もうちょっとなんだけどなぁ。なんかしっくり来ねぇ)
戦闘のプロが慣れない舞台での戦法を編み出している。
参考レースを見て、仮想組手により発達した脳内イメージを再生させて、何度も何度も繰り返す。
全てはウララを勝たせるために。
けれど。
悟空の考えの中で一つだけ余計な事があった。
ハルウララが再び砕け散る可能性を危惧している訳だが。
それはもう、万に一つもあり得ない。
なぜならーー。
ウララ「早く明日にならないかなー」
キング「何かあるの?」
ウララ「明日は今日のウララよりもっと強くなれる気がする!」
キング「……それは、楽しみね」
ウララ「そうなっちゃったらキングちゃんもウララには追いつけないよ?」
キング「舐めないでくれるかしら?ウララさんが1日置きに強くなるなら、私は数十分前よりも強いわよ!」
ウララ「え、すごっ!」
キング「ふふん。ようやくキングの素晴らしさが分かったようね?」
ウララ「ようやくっていうか、ずっと知ってるけど」
キング「ちょっ…!………ずるいわよ。もっと、こう……言い返して来なさいな」
ウララ「言い返す?…………あ、キングちゃんはすばらしー!!」
キング「そうじゃないわよ!」
彼女は乗り越えた。
例え砕ける事があったとしても散る事はない。支え合える友達がいるから。
さらには。
どこまでも強さを追い求める師匠の背中を見ているのだから。
ウララ「いひひ。一緒に頑張ろーね!」
キング「……そうね。もうそれで良いわ」
彼女達は止まらない。
有マ記念での決着を心から楽しみにしている。
そう。
有マ記念に出走出来る、彼女達 "だけ,,はーー。
「………トレーナーさん」
「スペ。俺の考えは変わらない。お前を有マには出さないぞ」
ーーーーーーー
事が起きたのは、悟空とキントレが話し合っていた頃。
ー チームスピカ 部室 ー
ゴルシ「あ"あ"ーーッ!今日の練習は疲れたぜ!」
ぞろぞろと部室になだれ込むメンバー。1番汗をかいていない彼女はそう叫んだ。
マックイーン「………申し訳ありませんが、何の練習をしていたのか教えていただけます?」
ゴルシ「何のって、トランプタワーだけど?」
マックイーン「だけど?………じゃ、ありませんわ!ヒトが一生懸命走っているというのにっ!」
ゴルシ「いやいや。アタシだって一生懸命なんだぜ?今日は新記録でもある7段に挑戦した訳だしな!」
マックイーン「どーーーでもいいですわ!」
スカーレット「まあそれは今更だし諦めてるけど、真面目に練習しないくせに私と同じくらいのタイムっていうのが腑に落ちないわ」
ウオッカ「そのタイム測る時だってムラがあるしな。おまえ、肝心な時にやる気がなくなる可能性もあるんだから今から調整しといた方がよくね?」
ゴルシ「はっはーッ!このゴルシちゃんはヤるときゃヤるウマ娘だぜ?調整なんてのは必要ねー!」
スカーレット「ちょっとトレーナー!ゴールドシップがとんでもない事言い出してんだけど!?」
沖野「うーん…。ゴルシの場合はガチガチの指導つけると走る事すらやめそうだからなぁ。……そうだろ?」
ゴルシ「おうよ!ルービックキューブ制作会社に転職するぜ!」
沖野「ほら」
スカーレット「いや、転職先のクセ強すぎでしょ」
ウオッカ「その前に転職でもないだろ…」
中身の無さそうな会話繰り広げてながら、沖野はホワイトボードに文字を書き連ねていく。
そして遅れてやって来るのはスペ、テイオー。そして杖付きのスズカ。
スペ「スズカさん。足は大丈夫ですか?」
テイオー「スペちゃーん?ちょーっとだけしつこいんじゃないかなぁ。ボクが聞くだけでも4回目だよ?」
スペ「えっ、そんなに言ってますか!?」
テイオー「うん」
スペ「ぁぁっ、……すみません、スズカさん。気をつけようとは思っているんですけど…」
スズカ「良いのよ、スペちゃん。心配してくれてありがと」
スペ「スズカさん!」パァァ
テイオー「本当は?」
スズカ「実は…、」
スペ「スズカさん!?」
スズカ「ふふっ、冗談よ」
スペ「もぉーっ!からかわないでください!」
テイオー「でもやっぱり?」
スズカ「今日で14回も聞くとちょっと…ね?」
スペ「反応がリアル…!!」
テイオー「せ、正確に覚えるほどイヤだったんだ…」
スペ「改めて言わないでくださいよー!」
最近容赦が無くなってきたスズカの言葉に耐性が付くはずもなく、スペはフラフラとおぼつかない足取りで椅子に座ると机に突っ伏した。
沖野「ーーーと、これで良し!お前達、これを見てくれ!」
ホワイトボードを叩く沖野。1名顔を伏せたままの彼女に気付く。
沖野「おーいスペ。これはお前に1番見てほしい事なんだが?」
スペ「うぅ……ふぁーい…」
ゆっくり顔を上げる。
1番最初に目に付いたのは、隣にいるスズカが目を見開いている姿だった。
疑問に思いつつ、視線の先であるホワイトボードに目を向ける。
そこには見た事のあるレースの名前が記されていた。
スペ「……と、れーなーさん?」
沖野「おう。ちょっと先走り過ぎたかも知れねぇけどさ!これがお前の、ジャパンカップ後のレース予定だ!」
ゴルシ「いや、フライングもいいとこだろ。ジャパンカップの出走確定すらまだだぞ」
沖野「良いじゃないか。スペ自身がどんな未来を辿るのか。それの一端でも知っとくとやる気も出るだろ!」
スペ「……私の出走レース………」
沖野「そうだ。俺はお前の夢を叶える!」
スペは呆然とした見るホワイトボードには、こう書かれている。
>ジャパンカップ 必ず勝つ。
>アメリカジョッキークラブカップ 叩き
>阪神大賞典 春の天皇賞の優先出走権
>春の天皇賞
沖野「"来年,,だ!お前は日本一の座につくぞ!」
スペ「ッ…!」
スカーレット「日本一…、っくー!良い響きね!」
ウオッカ「うおおおっ!何かすげぇ興奮して来た!」
テイオー「でもその年で決めるって事は、それだけじゃ終わらないんでしょ?」
沖野「もちろんだ!春の盾を獲れば、次は秋の盾。さらに来年ともなれば身体も仕上がってるから、ジャパンCに有マと続いて秋古バ三冠ウマ娘だ!」
マックイーン「燃えて来ますわね!スペシャルウィークさん。私も力を貸しますからとも、に…?」
沖野「スペ…?」
微動だにしないスペに不思議がるメンバー達。
スペはようやくホワイトボードから視線を動かして沖野に釘付けた。
スペ「…………トレーナーさん」
沖野「何だ?」
スペ「……日本一には今年なります。ジャパンカップの次走は有マ記念に調整してください」
沖野「な、に…!?」
スペ「お願いします!」
勢いよく頭を下げる。
スペの並々ならぬ熱意と覚悟に、他の彼女達も沖野の答えを待った。
しかし。彼の返答は早かった。
沖野「駄目だ」
スペ「どうしてですか!」
沖野「クラシック級のお前にはジャパンカップからの有マはまだ早い。脚の負担が大きく、怪我をする可能性が高い」
スペ「それならせめてジャパンカップが終わるまで次走は保留にしてください!脚の状態が良ければ有マ記念を目安に、」
沖野「それも駄目だ。期待を持たせる事によってジャパンカップで無意識の内に力を緩めてしまう可能性がある」
スペ「……トレーナーさんの言うことは全部可能性でしかありません」
沖野「当たり前だ。可能性で動くのがトレーナーだからな」
スペ「…………」
スゥゥゥ…と、スペの顔から感情が消える。
気持ちを落ち着かせ、真っ向から話し合うために。
だが次に声を出したのは沖野とスペ、どちらでもなかった。
テイオー「トレーナー」
沖野「!………テイオー…」
テイオー「ボクからもお願い」
沖野「…………」
テイオー「ボク達ウマ娘は可能性の先にあるものを目標にしてる。怪我のリスクだってもちろん大事だけど、リスクが無い状態で夢は掴めないと思う」
沖野「テイオー……」
コツン…。
高く鈍い音は杖の音。
スズカ「トレーナーさん。私からもお願いします」
沖野「スズカまで……」
コツ…コツ…と音を立てて、スズカは沖野の正面に立った。
スズカ「私達の事を思って厳しく接してくれるのは嬉しい。ですが、時には無茶も大事だと思います」
沖野「………」
スズカ「私が言っても説得力が無いかも知れないけれど、」
沖野「ッ…!」
スズカ「私は、秋の天皇賞を走れた事は後悔していませ、ーー」
ゴルシ「はーい、そこまでー」
いつの間にかスズカの背後に立っていた彼女。
スズカも突然な事に驚いて振り向いたが、直後に浮遊感がすると目の前にゴルシの顔があった。
ゴルシ「うわぁお、スズカちゃん軽ーい」
スズカ「えっ、なに!?ちょっと、おろして!」
横抱きにされた状態でスズカ暴れるも、長身から発揮される彼女の力はビクともしない。
テイオー「ゴルシ!こんな時にふざけてる場合じゃないよ!」
ゴルシ「ふざけてねーよ。スズカが痩せっぱちだから焼きそばでも作ってやろーって思っただけだ」
スカーレット「それがふざけてるじゃない!」
ウオッカ「おまえ、さすがに今は」
マックイーン「………」
ゴルシ「分かった分かった。おめー達の分の焼きそばも用意してやるから手伝えよ」
スズカ「いらないわよ!」
ゴルシ「ちょ、顔近いからそんなに叫ぶなって。マックイーン。スズカの杖を持っといてくれ」
テイオー「何勝手な事言ってんのさ!」
マックイーン「………分かりましたわ」
テイオー「マックイーン!」
部室内にはピリピリとした雰囲気が充満している。意に介さずいるのはスペだけだ。
周りの様子を無視するかのように沖野だけを見ている。
ゴルシはそんなスペを流し見ると、声のトーンを落として言った。
ゴルシ「さっさと出るぞ」
不真面目だろうが変わり者だろうが、なんだかんだいっても彼女がスピカの中で1番歴が長い。
この声には誰も逆らえないのだ。
納得がいかない表情ではあるが、静かに退出するテイオー達。
1番最後にゴルシが出る所で、ピタリと足を止めた。
ゴルシ「オイ」
誰に当てた声なのか。
本人だけは分かっている。
沖野「………ゴルシ」
ゴルシ「話しが終わった後、もしもオマエに "心残り,,があったらオマエを焼きそばと一緒に炒めるからな」
沖野「!……ああ、分かった」
彼女は満足したのか。振り返る事なく外に出た。
・
・
・
ゴルシ「………ま。そりゃそうなるよな」
部室から出たばかりだというのに周囲を固められ行き場を失うゴルシ。
腕の中にいるスズカは何とも言えない面持ちで目線を落とした。
テイオー「ゴルシ。説明してよね」
ゴルシ「なんの?」
テイオー「分かってるでしょ!ボク達の邪魔をした事と、スペちゃんとトレーナーを2人っきりにした事だよ!」
ゴルシ「それの何が駄目なんだよ。ウマ娘とトレーナーがレースの事に関して話し合ってるだけなのに第三者は必要ねーじゃん」
ぐうの音も出ないほどの正論。今は逆上を煽る言葉でしかない。
スカーレット「アンタねぇ!普通の話し合いじゃない事くらい分かるでしょ!?あのままじゃスペ先輩は有マ記念出れないかもしれないじゃない!」
スズカ「私もそう思うわ。他に意図があるなら教えてほしいのだけど」
ゴルシ「ん…、スズカ?」
スズカ「な、なに?」
比較的近い距離で見つめ合う2人。
ふと、ゴルシは首を傾げた。
ゴルシ「いつまで抱っこされてんだよ。甘えたい年頃か?」
スズカ「!?」
マックイーン「…杖をどうぞ」スッ
スズカ「…………………ありがとう」カツ…
通常運転のゴルシだが、ツッコミどころ満載な物言いをしても張り詰めた空気が緩和される事はない。
ゴルシはスズカを降ろすと流れるように歩き出した。
マックイーン「……ゴールドシップ」
ゴルシ「こっから離れるだけだっての。話しなら歩きながらでも出来んだろ」
そう言って歩を進める彼女。
今度は真面目に答えてくれるだろうと、テイオー達も後に続く。
テイオー「……ゴルシはさ、スペちゃんが有マ出るの反対なの?」
ゴルシ「いや別に」
テイオー「でも止めたじゃん」
ゴルシ「さっきも言ったけど、今回の話に他の奴はいらねーからな」
スカーレット「そんな事言ったって協力しないと押し切られちゃうじゃない!」
ゴルシ「アタシから言わせりゃあ、そっから既に間違ってんだよ」
彼女の返答に迷いは無い。
まるで聞かれる事が何なのか分かっているかのように淡々と返している。相手の思考を読み切った詰め将棋さながらの芸当だ。
スカーレット「な、によ…。私はテイオーとスズカさんがフォローした事、間違ってないと思うわよ」
ゴルシ「それ以前の問題だな。ーーそもそもスペがいつ、オマエらに頼ったよ?」
スカーレット「ッ!」
ついさっきの光景だ。
脳は鮮明に覚えている。
ウオッカ「そういや何も……」
ゴルシ「だろ?」
マックイーン「……………一つ、伺っても良いですか?」
ゴルシ「あーんっ、そんなに誠心誠意頼まれたらいくらゴルシちゃんでも断れねーよぉー!」
マックイーン「…………」
ゴルシ「………別に許可とんなくても気になったんなら言えよ」
マックイーン「……先程あなたが止めに入る前、テイオーとスズカさんの抗議によりトレーナーが動揺したように見えました。もし仮に、あのまま話しを続けていれば……」
ゴルシ「99%折れてただろうな」
マックイーン「…………気を悪くしないでいただきたいのですが、」
ゴルシ「たった今悪くしたわ」
マックイーン「え、」
ゴルシ「おめーはいちいち細けーんだって。マックちゃんが言いたい事をサクサクって言えば良いんだよ!」
マックイーン「で、では言いますが!トレーナーが根負けする事を分かっていて止めたという事は、スペシャルウィークさんの有マ出走に反対しているのと同義ではありませんの…!?」
僅かに語尾が強くなるマックイーン。
ゴルシは全員から視線の集中砲火を浴びる事になった。結局の所はそこなのだ。
ゴルシの言動からは遠回しにスペを有マに出さないよう仕向けていると感じる。
ゴルシ「ま。結果論として同義になってんのは否定しねーよ」
彼女は、ふと足を止めた。
辿り着いたのは普段の練習場所であるターフ。今は照明すらも消えていて真っ暗だ。
スカーレット「その言い方だと意図は違うって事よね?そろそろ勿体ぶらずに教えてほしいんだけど」
ゴルシ「そうだな……。なんつーか、」
核心が近づく。
ゴルシはターフから彼女達に目を移した。
そして。
ゴルシ「トレーナーがウザかったから!」
あっけらかんと言い放つ彼女の顔は驚く程に笑顔だった。
スズカ「えっ…、う、うざ…?」
ゴルシ「ウン」
テイオー「いや、ウンじゃなくて……。…………ゴルシはトレーナーの事嫌いなの?」
ゴルシ「いやいや。テイオーちゃんってば、すーぐ好き嫌いの話になるな。そーじゃねーよ」
マックイーン「脈絡が無さすぎて推理のしようがありませんわ!簡潔に教えてくださいまし!」
ゴルシ「んじゃちょっと話し戻すけど、さっきテイオーとスズカが抗議し続けたらトレーナーが根負けするって話ししただろ?」
ウオッカ「おまえが99%って言ったんだよな」
ゴルシ「そうだ。アイツはウマ娘に甘いからな。そん中でももっと甘いのがチームスピカ。更にその中で激甘なテイオーとスズカに言われたら、アイツは完璧に折れるだろうよ」
スカーレット「それが何なのよ」
ゴルシ「折れるっつー事は諦める事だ。もっと言えば、トレーナーとして吐いた言葉を担当ウマ娘に言われたくらいで飲み込んでる事に繋がる」
ウオッカ「それは…、悪意のある言い方だろ…」
ゴルシ「妥当だよ。アイツはウマ娘の気持ちに寄り添い過ぎて、結局言いたい事を言えずに終わってんだ」
スカーレットとウオッカが入部してくる前の事だった。
2人のウマ娘が辞めていった。
理由としては、"ちゃんと指導してくれないから,,というもの。
デビュー戦のウマ娘に対して、好きなように走れなどと言ったり、トレーニングとしてツイスターゲームをやらせるようなトレーナーだ。不信感を抱くのも無理は無い。
しかし、そこにはちゃんとした理由が存在している。
ウマ娘の自由な気持ちを大事にする思いやりと、接触しても崩れないような肉体にするという意味が込められている。
沖野が間違ったのは、そういう理由を逐一伝えなかったから。
ウマ娘が辞める時もそう。
掠れるような声で、『待て…』というだけ。立ち去ったウマ娘を見て、『またか……』と呟くだけ。
おおかた。辞める意思を持ったウマ娘に対して、強引に引き止めても限界がある。そう考えたのだろう。
ゴルシから言わせれば、それはウマ娘の事を考えて…ではなく、ただ諦めた結果に過ぎない。
ゴルシ「……………もぉーーーウンザリだ!どーせまた、『お前がそういうなら……』って言うんだろ!?いつまでも流されてんじゃねーよ!ヒロイン気取ってんな!女々しくて辛いよバッキャロー!!」
突然暴れ出した彼女に一同は慌てふためく。
マックイーン「ちょ、ちょっと!もう少しだけシリアスを持続させてくださいな!」
ゴルシ「ん、分かった」
テイオー「そんな、いきなり落ち着かれても困るね……」
ゴルシ「つーかもう知りたい事ないだろ?結局は、トレーナーがスペを止めたいんなら腹を割って伝えれば良いし、スペがどーしても有マに出たいんなら意地を通せば良い。
2人で話し合う事だから邪魔なアタシ達は部室から出た。それがQEDだ」
スカーレット「まあ…、一応は分かったけど、それでスペ先輩が有マ出れなくてもしょうがないって事になるのよね……」
ウオッカ「…だな。トレーナーも意地悪で言ってる訳じゃねーんだから、おれ達が首を突っ込み過ぎてたのも事実だし、話し終わるのを待つか」
テイオー「ムゥゥ……」
ゴルシ「これまた分かりやすく唸ってんなぁ」
テイオー「だって!」
ゴルシ「だって?」
テイオー「………なんか、ウマ娘が走りたいレースに出れないかもって思うと………寂しくて…」
ゴルシ「………お前、リギルに入らなくて本当に良かったな。無茶が1つでもあったら、あそこのトレーナーは聞く耳持たねーぞ」
綿密な指導。厳格なトレーナー。
テイオーがシンボリルドルフを追いかけてチームリギルへ入部したらと思うとゾッとする話しだ。
ゴルシ「……………ま。おめーが不安に感じても時間の無駄になるだけ、かもな…」
テイオー「………ゴルシ…?」
普段は聞き慣れない真剣な声。テイオーは首を上げてゴルシを見るが、ゴルシはひたすらにターフを見下ろしていた。
実の所。当人だけを残して部室から出たのにはもう一つ理由があった。
それは。
自分達がスペの邪魔になりかねないという、議論とは逆の考え。
ゴルシ(……もっと騒ぎ散らすとばかりに思ってたんだけどなー)
以前のスペならば間違いなく挫けていただろう。
『スズカさぁん…』『テイオーさぁーん…』と泣きついて協力を求めていたはずだ。
だというのに、テイオーやスズカが抗議してくれていても見向きもせず、普段は考えている事が分かりやすい子供のような表情からは何一つ感じ取れなかった。
怒っている訳でも、哀しんでいる訳でもない。
無理矢理言葉を当てはめるなら……、
はめるなら……?
ゴルシ「……………え、なんも思いつかねーんだけど」
マックイーン「いきなり何ですの?」
ゴルシ「いや、やっぱ電子辞書には勝てねーなーって思って」
マックイーン「……ハァ、またおかしな事を…」
ゴルシ「じゃあマックイーンがアタシの頭ん中覗いて言葉にしてくんね?」
マックイーン「出来ません!というより絶対にイヤです!!そんな人理の道から外れた事を言わないでくださいまし!悪夢見てしまいますわ!」
ゴルシ「言いすぎだろ…」
わちゃわちゃと、いつも通りの光景が訪れる。
ゴルシの考えを聞いたテイオー達もしぶしぶといった様子だが納得はした。
どんな結末を迎えるかは分からないが、彼らが話し合った結果だけを受け止めるため、適当に待つ事を決める。
ゴルシ「よし!んじゃみんなで焼きそば作るぞー!」
テイオー「えー、やだ、めんどくさーい」
スカーレット「同感ね」
ウオッカ「でも食いたいな」
マックイーン「貴女1人で作ってくださいませんこと?」
ゴルシ「おめー、アタシなら何言っても良いって訳じゃねーからな?」
そんな会話が繰り広げられる傍らで彼女は1人、部室がある方向を見つめていた。
スズカ(………スペちゃん…)
祈りを込めるようにギュッと手を握りしめてーー。
ーーーーーーーー
ゴルシ達が出て行った直後の事、沈黙状態が続いていた。
睨み合いというには過激な表現で、見つめ合っているというには生ぬるい表現。
これはただ、お互いが自分の意地を通すだけの話し合いなのだ。
「……………トレーナーさん」
「スペ。俺の考えは変わらない。お前を有マには出さないぞ」
ようやく飛び出た言葉をぶった切る沖野。
だがそれは分かりきっている答えだ。スペが知りたいのはその先なのだから。
そしてそのスペの気持ちを沖野は理解している。
「なぁ、スペ。秋古バ三冠って分かるよな?」
だからこそ、沖野はちゃんとした理論に基づいてスペを説得にかかる。
「……はい。その年の天皇賞秋、ジャパンカップ、有マ記念で勝つ事ですよね?」
「そうだ。そんじゃあ秋古バ三冠を達成したウマ娘は知ってるか?」
「………………分からないです」
「だろうな」
スペが勉学に弱いから分からないのではない。例え優秀なウマ娘でも似たような答えを言うだろう。
なぜなら、
「秋古バ三冠を達成したウマ娘は "いない,,からな」
スペは僅かに顔を顰める。
快挙を挙げるには絶対的な力と運が必要だ。秋古バ三冠の称号を得た者がいないのは、特別おかしい事ではない。
「いないから、何ですか?というより私は秋の天皇賞を走っていないので関係ありません」
「まぁ待て。大事なのはここからだ」
「……はい」
「秋古バ三冠とはスペの言ったレースで勝つ事。それはクラシック路線を走ったウマ娘と、それまでに結果を出し続けているウマ娘とで争われる」
「……」
「そして秋の三冠にはクラシック三冠の称号を得たシンボリルドルフ、ミスターシービーなどが挑戦したが、いずれにせよ敗れた。要因としては疲労が大きく関係する」
ルドルフの場合は秋三冠の初戦である天皇賞秋で2着に終わっている。その後のジャパンカップ、有マ記念は1着を獲っているため疲労とは別問題だろう。
しかし沖野が言っているのは決して的外れでは無い。
10月末から12月末の間で2000、2400、2500の距離を走り、そして頂点を決める舞台ともなれば自分で考えてる以上の力が発揮され、脚の負担はかなり大きい。
実際に天皇賞秋、ジャパンカップを走っても有マを断念するウマ娘は少なくない。
「………負担がかかるのは分かりました。でも、やっぱり私は納得出来ません…!」
キッパリとスペは言う。
「怪我をするかもしれないから。疲労が蓄積して最高の走りが出来ないかもしれないから。そんな逃げ腰じゃあ勝てるものだって勝てませんよ!」
スペの語気が上がる。多少なりとも苛立ちをみせた。
それは走る事を却下されたからではなく、沖野が言う事の核心が見えないからだ。
「……まだ、俺の話しは続いてる」
「ッ!……………はい…」
「まぁ、スペも覚えていると思うが、一応見てくれ」
沖野は自身の鍵付きロッカーを漁ると一枚の紙を渡した。
「!……これは、スズカさんの…」
「ああ。天皇賞で壊れた時の脚の詳細だ」
レントゲンが添付され、その下には症状と原因、治療法などが書かれていた。
「見ても分かる通り、スズカは左脚粉砕骨折。原因は日常的ダメージの蓄積。それが天皇賞の舞台で破裂した」
「…………」
「スズカは走るの好きだからなぁ。おおかた、俺の見てない所で走ってたんだろう。報告しろと言ってるのにな」
「…………だから、なんなんですか…」
「いくら俺でも見てない所で走られたら注意のしようがねーって。蓄積ダメージだって素肌ならまだしもズボン越しに判断つかねーし」
「………」
クシャリ…と、手の中にある紙が皺を作った。
さっきは会長、今度はスズカ。そして挙げ句の果てに泣き言のような事を吐いている。
訳が分からない。
実はそれっぽい事を言って煙に巻こうとしているのでないのか。
スペの瞳には鋭さが込められた。
「なぁ、スペ。しょうがないって思わないか?どうしようもない。仕方がない」
「トレーナーさんッ!」
黙っていられなかった。
全面的にスズカが悪いと言ってるような口振りに。卑屈になるトレーナーの言い方に。
しかしスペの怒りは、彼を見て跡形もなく消え去った。
「けどな。そんな状況でも完全に掌握するのが "トレーナー,,なんだ」
煙に巻こうなんてとんでもない。
彼はどこまでも本気だった。
「お前達ウマ娘のレース人生を託されたのがトレーナー。気が付かなかったの一言で終わらせるのは愚の骨頂。俺の指導不足も原因の一つであり、そもそもスズカが好き放題走るのなんて常識といっても良い程だ」
淡々と告げる。
スズカが骨折してから今日まで、自身にぶつけてきた事実を。
「俺はもう間違える訳にはいかない」
自らを貶めている時間はない。すぐに切り替えて、トレーナーとして "同じミスをしないように,,
自分を責めてる暇があるなら、一秒で多く担当のウマ娘に目を向けろと、呪いのように心に刻んだ。
「もう分かったか?骨も筋肉も腱も成長途中なお前に、怪我のリスクがあるレースは組ませられない」
2人の間に沖野の声だけが流れる。
「………だけど、どうしてもと言うなら考えがある」
「え…?」
「俺が言ってるのはジャパンカップ、有マ記念の "両方,,を走るのが駄目という事」
「ッ!!」
沖野の言葉を理解すると、スペは表情は悲しげに崩れた。
「スペ、選ぶんだ。ジャパンカップか有マ記念。2つに1つしか俺は許可しない」
自分の事は自分がよく知っている。
スペはそう思っていた。
けれど蓋を開けてみれば、それ以上に考えてくれていたトレーナー。
この流れは以前もあった。
悟空と祭りに行った時だ。自分の心だというのに奥底に眠る本当の心を悟空に当てられた。
そして、そのお陰で自分のゴール地点がハッキリと現れたんだ。
「………トレーナーさん。私の夢は日本一になる事です」
「分かってるさ。お母ちゃんとの約束だろ?」
沖野はホワイトボードに目を向けた。
「俺の予定じゃあ来年に天下をとるつもりだった。………すまない。レース予定に関しては完全にコミュニケーション不足だった。ちゃんと話し合うべきだったな…」
「トレーナーさんのいう日本一とは秋古バ三冠ですか?」
「候補の1つだ。未だ達成した事のない称号を手に入れれば誰もが認める日本一になれると、俺はそう考えてる」
「………………それだけでは…、足らない」
ボソリと呟く。
静かに閉じた瞼の裏には5人のウマ娘が存在した。
「………負け無しのレースをしたら良いのか。誰もが認めるレースが勝ったら良いのか。……私は、日本一の定義が分からなくて悩んでいました」
「…………答えは出たのか?」
「……私のライバル達、グラスちゃんにエルちゃん。セイちゃん、キングちゃん、ウララちゃん。そしてスズカさん。みんなを倒した先に日本一がある。そう "思っていました,,」
悟空と話してから今日までの間。いろんな事があって、その度に気持ちが変わっていった。
それは強固な志を持っていないから転々と気持ちが変わるのか、ーー違う。そうじゃない。
端的に言えば、今まで見ている世界が狭かった。
そのキッカケを作ってくれたのは孫悟空。魅せてくれているのがハルウララ。
目の前に立ち塞がる壁を壊しながら突き進む。そんな彼ら師弟を見ていると、とある "答え,,が舞い降りて、霧が晴れたように頭の中がスーッと楽になった。
「トレーナーさん。私は、例え負ける事が分かっていたとしても競い合いたい。白黒をハッキリとつけたい。勝って、負けて、力の限り走り抜いて!最後にはっ、私は "日本一楽しいレースをしたウマ娘,,なんだって、お母ちゃんに胸を張って言えます!」
日本一とは強い事。では強いとは何だ…?
強いとは勝つ事か。当たり前だ。
この一連のサイクルにスペは、しっくり来なかった。
期待を背負い、夢を届ける。
そんな志を胸に抱いてるのに、勝つ事が全てだと心に刻むには、自分には過激すぎるのではないのか。
そんな時に、あの2人を見て思った。
自由だな…と。
強くなる理由はそれぞれだ。日本一という単語に定義はいらない。
自分が自信を持って応えられる気持ち。それだけあれば充分なんだ。
「ーーーー論点がズレてる」
ふと、抑揚の無い呟きがスペの耳を刺激した。
「え…?」
それは興奮気味になっていても、頭から冷水をかけられたように血の気が失せる程のもの。
今のスペの本心に対し、沖野は顔色一つ変えずに見ていた。
「スペの言う日本一とは勝利だけじゃあ掴めない。想いのままに競い合う。……立派な事だ」
だが…と沖野は続け、
「ジャパンカップと有マ。その両方を今年に絶対走らなきゃいけない理由にはならないだろ。同期と決着つけたいなら来年、上手い具合に調整してやる」
「ら、来年では遅いんです!」
「だから、それは何でだ?今年にブロワイエと戦い、来年に同期達を相手にする。お前の言い方じゃあコレでも構わないだろう」
「…………私の走りを見てほしい人がいます。その人には今年しか時間がないんです」
「!………病気か何か、か?」
「い、え…………そういう訳ではないんですけど」
「…………スペ。俺はお前を疑いたくない。他にも理由があるならちゃんと言ってくれ」
そこまで言っても返答はない。
先程までの堂々とした姿はなく俯きがちだ。
けれど身を引いた訳ではないことは、たまに交わる視線が教えてくれていた。
「……………理由、言えないのか?」
「……はい」
「でたらめを言ったんじゃないだろうな」
「でたらめではっ、……ありません」
「……そうか…、………分かった。お前が嘘をついてないのは知ってるから、その件はもう聞かない」
疑う事なく信じてくれたトレーナー。一瞬、スペは歓喜の声を上げようとした。
しかしここで気持ちを緩めては駄目だ。
スペは一層表情を引き締め、机に向かって歩き出す沖野を見つめた。彼はパソコンを使い何やら操作を始めている。
「ちょっと言った程度で納得してくれるとは最初から思っちゃいない。だからまだまだ言うぞ」
「……私だって何度でも言いますよ。トレーナーさんが首を縦に振るまで」
「………………強情な奴だな」
「それはトレーナーさんの方です」
その言葉を最後に部室内には再び沈黙が舞い降りた。
口は開かずとも、キーボードを叩く音とマウスをクリックする音が場を占める。
BGMと呼ぶには心臓に悪い。
パソコンを弄る音が止むという事は、スペを納得させるための一手が用意出来たという事だ。
ーーカチッ。
クリック音が一回。
沖野は手を離してスペに向き直る。
「スペ。これを見てくれ」
手招きするとスペは静かに歩み寄った。
沖野から目を離さず近づく。
「………何を見せられようと私は、」
「ああ。分かってるよ。これは俺がどんな気持ちでお前達をトレーニングしているのか、それを伝えるためのものだ」
ーー本来は言うべき事じゃないんだが。
そう呟く沖野は、言いようのない表情で奥歯を強く噛み締めた。けれどもブレない瞳。
とてつもなく強い意志が秘められている。
スペは若干気後れ気味に目を逸らすとパソコンの画面を見た。
「ッ!……これは…………」
思わず前のめりになり困惑しながらもスクロールを続けた。動揺からか瞳孔が開かれている。
「トレーナーさん……、何ですか、これは……」
「何って…、書いてある事から察せられるだろ?」
「そんな事言われても……」
スペは哀しげに呟く。
「こんなの、誹謗中傷じゃないですか…」
沖野個人に宛てられた言葉。
無能トレーナー。
希望を潰した元凶。
早くトレセン学園からいなくなれ。ーーなど。他にも似たようなもので埋め尽くされており、とある出来事が招いた事だ。
それが起こった最初の一文がコレである。
サイレンススズカを返せ!
全てはここから始まった。
「俺のパソコンだけじゃない。トレセン学園にも多くの手紙が寄せられた。抗議の電話も。理事長とたづなさんが鎮火に向けて手を施してくれたから今では落ち着いているけどな」
「………ひどい………トレーナーさんは一生懸命なのに…」
「ま、初めて見たお前はそう思うだろうが、こんなのは日常茶飯事だ。俺のはまだ理解は出来る。勝たせてやれないから怒って電話をしてくる輩もいるくらいだし」
実際、学園が誇る最強のチームリギルのトレーナーである東条ハナも嵐のような苦情を経験している。
今ではすっかり慣れて何も思う事は無いだとか。
「勘違いしてもらっちゃ困るが、俺はこんなのが送られてくるのが怖いからリスクのある走りをさせない訳じゃない」
「……、」
「お前にコレを見せたのは俺の決意だ。そこに書いてあるのは過激な事だけど、初心に帰らせてくれたメッセージだと思ってる。俺なら大丈夫という慢心をしないために」
「…………、」
たった一つ。
瞬時に浮かび上がった思考にスペは吐き気を催した。
こんなに信じてくれている人だからこそ使える手。同時に、彼の心を傷付けるような裏切りに等しい手。
「…………トレーナー……さん…」
止まれ。
脳が警告信号を送るがスペの意思に反して口は勝手に動き続ける。
「……トレーナーさんは、私が怪我をする可能性があるから今年走らせない。…そうですよね?」
「………ああ、そうだ」
「それなら、」
「ッ…!」
スペはパソコン画面から沖野に目を移す。その瞬間、あまりの不気味さに沖野は思わず足を引いた。
ぎこちない笑みと哀しみが共存した、複数の感情が歪み合わさったスペの表情。
痛々しげに口角を上げるとスペは言った。
「それなら 怪我をする"可能性,,ではなく、怪我をする"前提,,ならどうですか?」
「……………は?」
思考停止。沖野のポカンと開けた口からするっとこぼれた声。
そんな事はお構いなしとばかりに、スペはさらに詰め寄った。
「ジャパンカップを走ったら私は怪我をする。それは、分かっていた事が起きるだけ。トレーナーさんの指導不足ではなく確定したレールの上を歩いただけ」
もはやスペに冷静な判断などつかない。
熱意が脳を侵食し、熱い吐息とともに吐き出される暴論。
「もしも万が一怪我をしなかったら有マに出る」
「……す、ぺ………」
「でも私だけじゃあ何も出来ない。戦い方を知らないから助けてもらうしかない。私が信じてる貴方が、貴方の夢を懸けてくれた私に」
「………スペ…」
あの言葉はなんと言っただろうか。
場違いにもスペは顎に指を当てて考えていると、
「……あぁ、一蓮托生…です」
「ッ…!おまえは、なにを言って……」
わなわなと、首を振る彼は何を思っているのだろう。
自分をチームに引き入れた事を後悔しているのかも知れない。
そんな事を考えてもスペは止まらない。
「……トレーナーさん。……私と一緒に、地獄に落ちてください」
ズリズリと数センチずつ下がる沖野は、拳を強く握りしめて足に力を入れた。
「………む、無茶苦茶だ…。俺は長い事トレーナー業に携わってるけど、お前のような奴は初めてだよ」
「…………はい…」
「………………今なら、今日の事を全部忘れて、また最初から話しをする事も出来るが、」
「…私は、やり直したい気持ちはありません」
「吐いた言葉はもう飲めないぞ」
「前へ進むために、退路を断ちます」
"沖野は覚悟を決めた,,
「………なら続けよう。お前は俺の事をどう思っているんだ?俺の意思はボロ雑巾のように捻り潰された訳だが」
「もしも怪我をしてレースの道から外れようともスペシャルウィークは潰れません。私が前を向き続けている限りトレーナーさんは間違っていないです。傷つく必要はありません」
「それはお前だけの意見だ。俺は後悔するし、世間は許さない。スズカに続いてスペともなると日本中……いや世界中からのバッシングが来るかもしれないぞ」
「先程、一蓮托生だと言いました。私が全身全霊でトレーナーさんを守ります」
「………子供の浅知恵だな」
「私は本気です」
そんな事、今更言われなくとも沖野は理解している。
田舎から上京して来て、右も左も分からないような奴。普段から慌ただしく、ドジで、それでいて目の前の事に一生懸命。
そんな彼女を封じるには生半可な言葉は届かない。
「なぁ、スペ。………俺じゃなくても、お前の考えを汲んでくれる人を探すか…?」
チーム間の移籍。
自身の口からは言うまいとしていた事だ。
並々ならぬ葛藤。
沖野はトレーナーとして可能性の道を示した。…が、
「そんな人。いたとしても私は嫌です」
いともたやすくスペは打ち切った。
「私はっ!トレーナーさんが好きなんです!」
「………」
「スズカさんも好きで!テイオーさんも、ゴールドシップさんも!みんなが……チームスピカが大好きなんです!私を迎え入れてくれた!貴方が作ってくれたこのチームで私は走りたい!」
「ッ!」
「戦うには心が必要なんです。チームスピカのスペシャルウィークとして、これからもずっと………っ」
なりふり構っていられない。スペは勢い良く頭を下げた。
「お願いします沖野トレーナー!茨の道で、私と一緒に戦ってください!!」
ーーやっぱりこうなったか。
さっき決めた "覚悟,,のお陰で既に諦めはついていた。
「くっっっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
恥も外聞も捨てた絶叫。堪らずスペは耳を塞いだ。
「くそっ、くそ!何なんだよお前はッ!」
さっきまでとは逆の光景だ。
後退するスペに詰め寄る沖野。
「と、トレーナーさん!?」
「自分ばっか言いたい放題言いやがって!一丁前に知った風な口聞きやがってよォッ!!」
マシンガンのように遠慮のない言葉が次から次に飛び出す。
「言っとくけどなあ!お前はどうしても走りたいんだろうけどっ、俺はそれ以上にお前の走りを見たいんだからな!!」
「え、あ…、………えっ!?」
「俺がッ…、どんな思いで断っていたのか知らないだろ!」
「トレーナーさん……」
「ズルいんだよ…、お前は」
ドサッ…!
沖野は荒々しく椅子に腰を下ろすと顔を手で覆った。
「一緒に戦ってくれ、なんて言われたらよぉ……。トレーナーとして…、……男として聞かない訳にはいかねーよ…」
「ッ、………トレーナーさん。貴方の意思は私がずっと守りますから」
「あ、それはいらん」
「へ?」
寄り添い、支えようと差し出した手。
沖野はハエを振り払うようにはたき落とした。
「い、いらんって…、私達は地獄にある茨の道を一緒に歩くはずじゃ、」
「それこそお前が勝手に言っただけだろ。大事なチームのウマ娘が俺のせいで地獄に落ちるとか。俺からしたら残りの人生拷問でしかねーよ」
「そんなぁ……、それでは結局トレーナーさんばかりに負担が……」
「何度も言わせんなって。それがトレーナーというものなんだよ。お前達ウマ娘が背負うものじゃない」
「むぅ」
不満を露わにスペは頬を膨らませる。
だんだんと頬袋に空気が溜まり、沖野が指でさすと、ぷぴゅーという間抜けな音が鳴る。
部室内に穏やかな風が吹いたのは気のせいではないだろう。
「スペ!日本一ってのは何だ!」
「最高に楽しいレース人生だったと言える事です!」
「楽しく笑い合えれば満足か!一生懸命出来ればそれで良いのか!」
「満足です!でも、勝てば大大大満足です!!」
「上等だ!」
ポン…と、スペの頭の上に乗る手のひら。
既視感を感じて思わず口元が緩む。しかし何かが違うと考えた。
スペは沖野の手を取る。指を丁寧に一本ずつ関節の通りに曲げていくと、
コツン…。
拳と拳は静かに合わさった。
「えへへ、私達はせんゆーです」
「戦友?……ははっ、随分と可愛げのない響きだな」
そう言うと、和らいだ瞳に力を込めて真剣な顔をした。
「スペは前だけ見て走れ。全力を出すための力は俺が調整するから」
「分かりました!」
「んじゃ、まずは足を触らせてくれ」
「はい!…………え"っ」
「きゃあああああああ!!!!!」
ーーーーーーーー
バンッッッ!
ゴルシ「よーっす!青春してるかー」
ブチ破る勢いでドアを開けるゴルシ。後ろからは静止をかける声が聞こえていた。
マックイーン「せめてノックをしなさい!まだ話している最中かもしれないでしょう!」
テイオー「さっきまでカッコ良かったのになぁ…。やっぱりゴルシはゴルシだね」
ゴルシ「………………」
スズカ「どうしたのかしら…?」
入ってすぐの所だ。芦毛の彼女はピクリとも動かない。
また良からぬ事を考えているのか。不審に思いつつも様子がおかしい事に気付く。
テイオー達はドアとゴルシの隙間に体を捩じ込んで部室に入った。
そして、彼女達は見てしまう。
沖野「やっぱり良い脚だ!トモの造りが非常に良い成長している!…あ、でも少し水分が多いのが欠点だな…。ここからジャパンカップに向けて筋肉を絞るとして…」サワサワサワサワ
スペ「ちょ、ちょちょ…!すっごく気持ち悪いですってば!」
彼の悪い癖だ。
脚の付け根から爪先まで揉んでは撫でてを繰り返している。
ゾワゾワとスペは身の毛がよだつのを感じて脚を振り上げた。
ゴルシ「なあ、マックイーン。コレどう思う?」
彼女の呟きで、沖野は全員集まっている事にようやく気付いて立ち上がる。
沖野「ん?あぁ、戻って来てくれたのか。お前達にも説明を、」
マックイーン「三球三振。スリーアウトでゲームセットですわ」
沖野「え、なに、野球してたのか?」
ゴルシ「ノーヒットノーラン?」
マックイーン「加えて5回コールドゲームになります」
ゴルシ「10点差以上か。すげーな、お前。マックイーンがここまで言うって相当だぞ」
沖野「って言われても……」
ゴルシ「んじゃお前にも分かるように言うわ」スッ
マックイーン「……」スッ
ゴルシとマックイーンは沖野の前後に立つと、ジャージの袖を捲り上げた。
ゴルシ「救いようがねーんだよ!この変態トレーナーが!!」
マックイーン「天ッ誅!」
沖野「ごっばぁっっっ!!!」ドゴッ!
息の合ったコンビプレーで炸裂するラリアット。いわゆるクロスボンバーと呼ばれている技だ。
そんな攻撃に耐え切れるはずもなく沖野は地に伏せた。
スズカ「スペちゃん」
至って日常の光景に今更つっこむ事もない。
>ゴフッ……い、いきなり何をするんだ…。
>そりゃこっちのセリフだ。密室で女の足に縋り付きやがって。焼きそばの具材にすんぞコラ。
>みじん切りでいきますわよ……コラ。
沖野に詰め寄っているゴルシとマックイーンを除いて、スズカ達は彼女に近づいた。
スペ「スズカさん!皆さんも!ご心配おかけしてすみませんでした!」バッ
テイオー「いやいや頭下げなくていいって。それより有マはどうなったの?」
スカーレット「悪い空気には見えなかったけど」
スペ「はい!しっかりと許可をいただきました!」
沖野「……許可なぁ…」
床に平伏しながら呟く。
沖野「スペ、俺はな、」
ゴルシ「いや起き上がってから言えよ」
マックイーン「手をお貸ししますわ」グイッ
沖野「……ああ、悪い」スクッ
スペ「トレーナーさん…?」
沖野「スペ。俺は確かにジャパンカップから有マに行く事は止めやしない。でもな?あんだけ大きな口を叩いといてブロワイエは疎か掲示板にも入れなかったらトレーナーとして、"戦友,,として俺は……泣く!」
スペ「ええっ…!?」
スカーレット(………かっこわる…)
沖野「だからお前が有マに出走する条件としてジャパンカップで1着をとる事に決めようと思う!」
スペ「!!!」
スズカ「い、1着が前提って……」
ウオッカ「プレッシャーが凄いな。ブロワイエはエルコンドルパサー先輩に勝ったんだぞ…」
スカーレット「横暴だわ!勝つ事を目的としているんだから出走条件なんて決めなくても良いじゃない!」
テイオー「そーだそーだ!」
沖野「あーもー!お前らは少しおとなしくしてろ!…………どうだ、スペ。さっきみたいに討論するつもりはないから、不安なら断ってくれて構わない」
スペ「それならなぜ、条件をつけたんですか?」
沖野「言っただろ?お前が全力を出すための調整は俺がするって」
スペ「!……………ほんと、最高ですね」
ゾワゾワとした感覚が背すじを貫く。その正体なら分かっている。
でもそれを言うのは今じゃない方が良かったかもしれない。
だんだん抑えきれる事が出来ない程の闘気が湧き上がって来ている。
スペ「私、ワクワクしてきました!ちょっと走ってきます!皆さん今日はありがとうございました!お疲れ様です!失礼します!!」
ザッ…ガチャ……バタン!
疾風怒濤の如く部室から消え去ったスペ。取り残された彼らは呆気にとられた。
沖野「……ぁ、…ェ?」
ゴルシ「なあトレーナー。ここまで予定通りだったのか?」
沖野「………いや、スペの返答の後、みんなで活気を高めて解散するつもりだった…」
テイオー「まぁ、スペちゃんらしいよね」
スズカ(…………………)
ーーーーーーー
スペは走っていた。
首をキョロキョロと動かしながら学園中を駆けずり回る。
食堂…噴水………そしてターフ。
僅かな照明を頼りに、まばたきもしないでひたすらと。
息が切れ、鼓動が大きくなり、彼女は呟いた。
ーーーー見つけた。
とあるターフ場。
下りになっている坂の途中、芝生に紛れて彼は寝転んでいた。
スペ「ハァ、ハァ、ハァ……………隣、良いですか?」
悟空「おお、良いぞ」
彼は仰向けで脚を組み、腕を枕にして空を眺めている。
数分前から少し面白い"気,,を見つけて気分を良くしていた。
スペ「何か良い事あったんですか?笑っているように見えますけど、」
悟空「かなり"気,,が満ちてる状態の奴がいたから心地良くてな」
スペ「ほえー。悟空さんがそう思うって事は凄いヒトなんでしょうね」
悟空「そいつはオラの目の前にいっけど?」
スペ「っ!……ふふっ、失礼します!」
彼女は悟空の隣に腰を下ろした。
悟空「寒くねぇか?なんだったら"気,,であったかく出来んぞ」
スペ「今まで走っていて暑いくらいなので大丈夫です。悟空さんこそ半袖で寒くないんですか?」
悟空「オラは平気だ」
スペ「鍛えてるから?」
悟空「そのとーり」
スペ「万能な言葉ですねぇ。……何をしていたのか聞いても良いですか?」
悟空「空見てた。ココの空は星が全然見えねぇんだな」
スペ「都会だと排気ガスとかで空気が濁ってますからね。北海道の私がいた所は満天の星でしたよ」
悟空「オラがいたパオズ山もそうだったな」
スペ「パオズ山……。悟空さんが育った山でしたっけ?」
悟空「ああ。そこでオラはじいちゃんしか知らなかったから、"トカイ,,に出た時には人の多さに驚いたぞ」
スペ「分かります!」
悟空「おめぇもか?」
スペ「はい!人がシャカシャカ歩いてるから怖くて、電車はいっぱいあってどれを乗るのか分からないし…」
悟空「そうなんだよ!アイツら何を急いでんのか知らねぇけどすげぇ速く歩くよな!信号渡る時なんて祭りでもしそうなくれぇに人集まるしよぉ!」
スペ「そうそう!お母ちゃんには都会は怖い所だー、って教えられていたんですけど、あれは想像以上に恐怖でした!」
悟空「だよなぁ。……あ。そういやぁ、やよいに聞いたんだけど、スペは学園に来るまで自分以外のウマ娘を知らなかったんだって?」
スペ「はい。テレビでは見た事あるくらいでした」
悟空「よくそんなんで学園に来れたな。ココって強くねぇと入れねぇんだろ?」
スペ「……私のお母ちゃんは2人いるんです。産んでくれたお母ちゃんは私が生まれてすぐ亡くなってしまって」
悟空「!……そっか」
スペ「産んでくれたお母ちゃんが、私を立派なウマ娘に…って、今育ててくれているお母ちゃんに遺言を残したそうです」
悟空「そんじゃあ母ちゃんが約束を守って、おめぇを鍛えたっちゅー事け?」
スペ「はい!だだっ広い場所だったので、羊や軽トラと競争とかしてました!」
悟空「ははっ、ウマ娘は1人でもスペは1人ぼっちじゃねぇもんな!強ぇ母ちゃんが2人もいればそりゃあスペだって強くなんぜ!」
スペ「……な、なったぜ!」
悟空「ん?……おう!なってやったな!」
スペ「はい!」
太陽のように眩しい笑みがスペを安らぎへと導く。
こんな良い気持ちになれるのなら、体に鞭を打ってでも走った甲斐があったというものだ。
スペ「………私、東京に来た日にレース場でスズカさんが走っている所を見たんです」
悟空「へぇ、偶然か?」
スペ「はい。しかもそこで今のトレーナーさんとも出会ったんです」
悟空「ふーん。……あ、オラ知ってんぞ。そういうの、うんめー的な出会いって言うんだろ?」
スペ「へへ…、ちょっぴり気恥ずかしいですけど、そうかも。引き寄せられるようにレース場へ行って、初めて見たレースがスズカさんなんだから」
悟空「あり?スズカだけか?トレーナーとも運命じゃねぇか」
スペ「あんなのは運命じゃありません。ただのセクハラです」
悟空「へ…?」
突然人懐っこい笑みが消えた。色を無くした顔に悟空は動揺する。
スペ「もう警察に駆け込む直前でしたからね!あっりえないですよ!」
悟空「お、おめぇがそこまで怒るなんてなぁ…。何されたんだ?」
スペ「足を触られたんです!」
悟空「…………あし…?」
スペ「そうですよ!いきなり触って来たかと思えば筋肉とか質とかの気持ち悪い評価をボソボソと!蹴り飛ばしてしまいましたけど、罪悪感なんて一切なかったです!!」
悟空「………………そうか。足を触られたのか」
スペ「初対面……いえ!会ってすらいません!後ろからいきなりです!れっきとした痴漢ですよ!!」
悟空「………………」
今、スペに知る由も無いが、悟空の背中には気持ち悪い汗が伝っていた。
彼女は怒っているのだ。足を触られて。
彼女は怒っているのだ。足を触られた "だけ,,で。
それなら…。
それならば……。
昔、自身が他人の性別を確認する時にしていた事を彼女に知られたら、とんでもない事になるのではないだろうか。
だから間違ってもーー。
"足くれぇ構わねぇじゃねぇか!オラなんて女かどうか判断する時に股を叩いて確かめてたぞ!,,
ーーなんて、口が裂けても言ってはならない。
スペ「?……悟空さん?」
悟空「ッ……い、いやー、そりゃダメだよな!……うん、すげぇダメだと思う!」
スペ「ですよね!100人に聞いたら100人が駄目って言いますよ!」
悟空(そん中の1人はやった側の奴だけど…)
スペ「でも悟空さんにそう言っていただけて良かったです。失礼な話しですが、ほら、悟空さんってデリカシーないですし」
悟空「……は、はは…………つ、つーかよぉ!よくそんな奴の所で強くなろうって考えたな」
スペ「……まぁ、第一にスズカさんがいたって事ですけど、」
悟空「けど?」
スペ「………トレーナーさん。私の夢を笑わないで聞いてくれたんです。それどころか私よりも現実的に叶えようとしてくれていて…」
悟空「夢つったら、日本一ってやつだな」
スペ「はい。実はその事でさっきトレーナーさんとゴタついてて、有マに出れない所でした。でも最終的には応援してくれて、………痴漢は良くないですけど、なんだかんだ立派なトレーナーさんで、私は…、どこまでいっても子供なんだという事を思い知らされました」
悟空「………子供じゃ不満か?」
スペ「不満…かな…。………いつまでも守られているのは、いやです…」
悟空「そっか。………んでも、そういうもんだろうな」
スペ「え?」
悟空「最強の力を手にしたり、ブレねぇ心を身につけたとしても師と弟子っつー関係が一度でも成り立てば、それが変わる事はないとオラは思う」
スペ「っ、……それじゃあ、私はこれからもずっと子供のままってことですか…?」
悟空「トレーナー相手だとそうかもな」
スペ「……….」
悟空「オラはウララを弟子にして色んな事を思った。何とかしてコイツを勝たせよう。誰よりも強く、どんな逆境をも乗り越える心を持ってほしい。……そんな事を考えながらやってっと、いつも間にか自分を鍛えるよりも弟子を強くする事が夢中になってる。ソイツがどんなに強くなろうがその想いは変わらねぇはずだ」
スペ「そ、うですか…。ちょっぴり、悔しいですね…」
悟空「そう思うのは今だけだぞ?」
スペ「どういう意味ですか…?」
悟空「スペはトレーナーからしたら守られてる立場になるけど、いつかは守る側に立つ時が必ず来る」
スペ「!!!」
悟空「そうなった時おめぇは泣き言なんか吐けねぇ。トレーナーから教えてもらった事やおめぇが今感じてる事。スペが戦い抜いて掴んだ意思を、次の戦う奴に引き継ぐんだ」
スペ「私が…、教える立場に……」
悟空「そうだ。もちろんレースが全てじゃねぇぞ。意思っつーのは全く関係ねぇ場所でも力になるかんな」
スペ「……でも、私にそんな時が来るんですかね…。頭だって良くないし、……想像つかないです…」
悟空「そりゃ当たり前ぇだろ。おめぇはまだ戦ってる最中なんだからよ」
スペ「ぁ…、」
悟空「例え弟子がいなくても、結婚して子供が出来るかもしれねぇ。子供がいなくても、戦って来たおめぇの意思はおめぇを強くしてくれる。理由なんてのは後からついてくる」
スペ「悟空さん…」
悟空「どうせ頭を抱えて毎日悩む時が来るんだ。その時が来るまでは存分に甘えてろ。トレーナーもきっとスペが頼ってくんのが嬉しいはずさ!」
スペ「っ、はい!」
どこか似ている。
自身のトレーナーである沖野と、孫悟空。
しかし何も似ていない。
能力値なんて比べるまでもなく、雰囲気、見た目、何から何まで違う。
それなのにどうして思うのだろうか。
悟空「つってもアレだな。おめぇのトレーナーといい、オラの師匠といい、教える奴っちゅーのはスケベな奴が多いんかなぁ」
………どこか…、似て、いる……?
悟空「?……スペ、何で離れていくんだ?」
スペ「……だ、だって!……その理屈で言えば………」
悟空「ん?」
スペ「悟空さんも、……痴漢を」
悟空「い"い"っ…!!?い、いや!オラは違ぇぞ!」
スペ「………ほんとですか?」ジトー
悟空「ほんとだって!オラ亀仙人のじっちゃんみたいに女には興味ねぇし!」
スペ「……とか言って、実は昔に…みたいな?」
悟空「そんなのある訳、ね…ぇ…………」
スペ「…………ぇ"」
悟空「アルワケネーダロ!」
スペ「めちゃくちゃ棒読みじゃないですか!えっ、ほんとに!?」
悟空「い、いやいやいや、痴漢"は,,した事ねぇぞ!」
スペ「じゃあ何ならしたんですか!」
悟空「………ナニモ?」
スペ「だから分かりやすいんですって!嘘つけないならせめて誤魔化してくださいよ!」
悟空「……知らなかった、だけなんだ…」
スペ「何が!?」
悟空「え、っと、………っ、あん!?」
スペが問い詰めようとした矢先、悟空は勢いよく立ち上がって振り返る。
照明の無い暗い道。目を凝らしても何も見えないが…、
悟空「あいつ、一体なにを…?」
スペ「悟空さん?」
悟空「スペ、ついて来い」
そう言って芝生の坂を登り、コンクリートの道に出る。
すると暗闇の向こうから音が聞こえて来た。
カツン、カツン……という杖の音だ。
それに加えて。
「すぺちゃ〜ん」
という情けない程に弱々しい声も。
スペ「スズカさん!?」
「ッ、すぺちゃん…?」
安堵の声がした。
スペと悟空は彼女に近づく。
スズカ「ぁ、良かった〜。悟空さんと一緒だったのね」
悟空「おお……んで、おめぇは何やってんだ?かなり疲れてるように見えるけど」
スズカ「スペちゃんが部室から飛び出すから、心配になっちゃって追いかけて来たんです」
悟空「スーペーー、スズカに手間かけさせんなよ」
スペ「ちがっ、走りに行くって言ったじゃないですか!」
スズカ「そうなんだけど、いきなりだったから…」
スペ「あ、そういえばそうだった……………すみません、スズカさん」
スズカ「ううん。私が勝手にした事だから。それに1人じゃなくて安心したわ」
スペ「スズカさん…」
悟空「さ、そろそろ帰ろうか。スズカはおんぶ決定な。治りつつあっても疲労を溜めんのは良くねぇからな」
スズカ「はい。お願いします」
スペ「杖持ちますよ」
スズカの体を寄せる。
杖を預かろうと手を触れた時、スペは仰天した。
スペ「冷たッ!!」
スズカ「え?」
スペ「悟空さん!スズカさんが死んじゃったかも!」
スズカ「スペちゃん、私死んでないわよ?」
悟空「そうだぞスペ。大袈裟d冷てぇッ!!!」
スズカ「そんなに!?」
スペ「悟空さんっ、スズカさんは…!」
悟空「…大ぇ丈夫だ。ギリギリ生きてる」
スズカ「悟空さんも悪ノリしないでください!」
肌寒い程度の気温とはいえ、長く外にいると身体の芯まで冷えるだろう。
それが免疫の下がっているスズカなら尚更だ。
悟空「つっても体に悪ぃのは事実だ。瞬間移動するから、スペは靴脱がしてくれ」
スペ「はい」
スペが自身の靴を脱いだ所を確認すると、悟空がおんぶ状態にあるスズカの足をスペに向けた。
スズカ「ちょっと待って!?自分で脱ぐから!これは恥ずかしいっ」
悟空「靴脱ぐだけなのに恥ずかしい事なんてねぇだろ」
スズカ「そういうものなんです!スペちゃんなら分かってくれる…わよね?」
スペ「分かりませんッ!!!」グイッ
スズカ「あぁっ…!」
悟空「よし!スペも掴まれ」
スペ「オッケーです!」
"シュン!,,
・
・
・
移動先の部屋。
悟空は宙に浮いたままベッドに向かい、雑に掛け布団を上空に投げると、その隙にスズカを寝かせた。
スズカ「ぶへっ…!」
宙に舞った掛け布団が落ちてくる。
モゾモゾと顔を出すと、悟空は既に窓の外で浮いていた。
スペ「悟空さん、今日はありがとうございました」
悟空「オラは何もしてねぇさ。けど楽しかったな」
スペ「はい!またお話ししましょうね!」
悟空「そうだな。じゃあバレる前に帰るけど、夜更かしすんなよ?」
スペ「はい!また明日!」
悟空「おう!じゃあな!」
瞬間移動でもないのに彼の姿が消える。
そんなに速く動けるなら瞬間移動じゃなくても良かったのでは?
そう思ったが高速移動だと自分達の身体には負担が大きいかという結論が出た。
スペ「………ん?」
さて、ここで1つの疑問が浮上する。
彼が今使った技が瞬間移動ならば、一体誰の"気,,を追ったのだろうか…?
自分とスズカは同室だ。だから自分達の部屋に移動は出来ない。
スペは答えを導き出すよりも先に、ジリジリと感じる視線を辿った。
彼女は勉強机に座り、ペンを持ったまま首だけを向けている。
「………………す、スペたん…?」
動揺しているのだろう。舌っ足らずな声は彼女にしては珍しい。
冷静沈着の、ーーグラスワンダーにしては状況を飲み込めていないようだ。
スペ「………………」
スペはグラスと目を合わせると、無言で振り返った。
スズカ「……………」
その視線を受けたスズカは、ゴソゴソと足に気を遣いながら体勢を入れ替えると、
エル「……………」
うつ伏せで漫画を読んでいたエルがいた。
ぽけー…としているのは漫画のシーンが原因ではないのだろう。
スズカ「………」
エル「…………」
スズカ「………出るわね」
エル「………大丈夫デス。からだ、冷えているようなので…」
スズカ「………ごめんなさい」
エル「………いえ」
スズカ「………」
エル「…………」
スペ「…………」
グラス「………」
彼女達は他のヒト達に比べて近い関係にある者達だ。
その彼女達が思うのだ。
((((……き、気まずい…))))
我に返ったグラスがお茶を淹れるまでの5分間。
沈黙だけが場を占めた。
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\次回予告/
ジャパンカップ出走のウマ娘達が確定した。
海外から押し寄せる強敵を迎え討つのはスペシャルウィーク。
最終仕上げとしてトレーニングに力を入れる彼女だが、とあるウマ娘が出走表を片手にトレセン学園の門を叩く。
「………ふふっ、この私が誑かされたのは初めてだよ。なぁ?我が宿敵のコンドルよ」
ーー凱旋門賞バ、最強のウマ娘:ブロワイエ
「………は?」
ーー黄金世代の一角、怪鳥:エルコンドルパサー
(外でやってくれないかな……)
ーートレセン学園、生徒会長:シンボリルドルフ