ウマ娘 road to the top より引用。
クラシック前に悟空と出会っていたらの話しです。トップロードやオペラオーの活躍を消したくなかったのでギリギリのラインをせめました。
注意
・ウマ娘road to the topのネタバレ。
・捏造。
ー 前回のあらすじ ー
たづな「"気,,を感知!」
悟空「早く出来るようにならねえとな!」
ーーーーーーー
警備の巡回。
それは一見退屈そうに思えるが、何よりも重要な業務の一環だ。
ウマ娘が快適に過ごせるように、教師やトレーナーが仕事に専念出来るように、彼ら警備隊の精神はピンと張り詰めている。
「ふわぁぁあぁ………」
だが大きな欠伸をする彼は特段に警戒する事はない。
どこに何人のウマ娘がいて、何をしているかなんて目視しなくても分かるのだから。
だから彼は景色でも眺めるかのように、形だけでも周囲の様子を見ている。
(……だめだ、暇すぎて寝ちまいそうだ)
まばらにある白い雲。透き通るような青空。そよそよと流れる芝。
気持ち良く寝れる条件を自然が全て満たしてくれていた。
(でも、バレたらどーせ怒られんだろなぁ)
想像するのは容易い
もし仮に罰則で食堂禁止などを言い渡されてしまっては困る。
どうにかして気を紛らわせないと、悟空はそう考えて傍のターフを見た。
1周2000m程はあるターフにそれぞれのグループが分かれて使用している。チームや友達同士、黙々と1人で走るウマ娘もいた。
「!…………………あいつは…、」
悟空の目に留まるウマ娘。
他のウマ娘よりも大きめな耳。走る度にフリフリと揺れる白いリボンで一つに束ねた髪。
だが悟空が注目しているのはそんな所ではない。
ターフへ降りるため階段に近づきながら、無線のスイッチを入れてこう言った。
「ーーこちら孫。これからウマ娘の対応に入るから、巡回を中止する」
・
・
・
「よっ」
ターフを駆けていたウマ娘が目の前に来た時、悟空は片手をあげて気さくに声をかけた。
「……………?」
彼女は不思議に思った。
ここはターフの上であり、彼は警備員。
わざわざターフの内側まで歩いて来て何のようだ、と。
「おめぇ随分と走り込んでたみてぇだな。ちょっとだけ休憩にしたらどうだ?」
「…………放っておいて」
一言だった。
これ以上話す事はないと言わんばかりに、彼女は走り出す。
「左脚っ!」
「ッ…!?」
背中にぶつかる鋭い声。
彼女はハッとした表情で振り返った。
「違和感、あんだろ?」
「……………」
「そう睨むなよ、止めてる訳じゃねえんだからさ。えーと、こういう時はとりあえず、包帯巻くんだっけ…? 持ってっか?」
「…………ええ」
「なら早ぇとこ巻いとこうぜ。そんでまだ走れそうならやれば良いじゃねえか」
「……分かったわ。…………わざわざ言いに来てくれてありがとう」
「おう!」
言いながら悟空は彼女に近づいた。肩を貸すために彼女の手を取ろうとすると、
「……いいから」
パシッ、とその手を振り払われた。
「あとは自分で出来るから…、…………もう私に構わないで」
濁す事のない明確な拒絶。親切をしてくれた人に向かってのこの言葉だ。
彼女は失礼な事をしたという自覚はあれど、撤回するつもりはない。
だから…、
「っ、なに…!?」
強引にも肩を貸す悟空に、戸惑いを隠せなかった。
「まぁまぁ、そう言うなって。おめぇだって、抱っことか肩に担がれて運ばれたくねえだろ?」
「移動方法以前の問題よ。私には構わなくて良いと言っているの…!」
「そういやおめぇの持ち物ってどこに置いてんだ?」
「…………貴方、人の話しを聞かないのね…」
こういうタイプにはまともなQ&Aが通じない。彼女は力の抜けた指先を私物のある方へ向けた。
「おっ、そっちだな。ゆっくり歩くから左脚は地面につかねぇようにすんだぞ」
「…ええ」
言われた通り、そして自分でも薄々感じていた異常のある左脚に気を遣い、彼女は周囲から浴びる好奇な視線を煩わしく思いながら悟空と足並みを揃えた。
・
・
・
ターフの上を移動して荷物のある所についた時、彼女は静かに悟空から離れた。
「…ありがとう」
「おう!そんじゃあ包帯巻くから座れよ」
そう言うと彼女は首を振る。
「平気。何度も言うようだけど1人で出来るから」
「そうか?ならいっか」
「ええ。…………お仕事の業務を中断させてごめんなさい」
では、さようなら…と告げてカバンを漁った。
取り出すのは冷却スプレー、タオル、包帯。足首を固定するための作業を慣れた手付きでおこなう。
数日前から微かにあった違和感。
痛みはそれほどなく、医者にみせても異常はない。けれども無視をする事は出来ない違和感が左脚を蠢いていた。
彼女はシュルシュルと包帯を巻いて、その上から冷却スプレーを吹きかける。
本来ならばアイシングをするのがベストだが、トレーニングの中止を考えていない彼女は応急処置程度で充分とばかりに一時的に場を凌いでいる。
彼女はふぅ…と息を吐いて目を瞑り、壁に寄りかかると、
「へえ、そんな簡単に出来るんなら、さっさとすりゃあ良かったのに」
ビクッ…!!
比較的大きな耳が飛び跳ねた。
「………何してるの?」
壁に身を預けながら横目で見た。
そしたらいた。同じように壁に寄りかかって座る男が。
「? なにって…、座ってるだけだけど?」
「……さようならって言った後、どこか行ったじゃない」
「ああ、飲みもん買ってきたんだ。ほれ」
悟空は彼女との間に缶を置いた。
この飲み物といえば黄色が主色といえるくらいのデザインになっているモノだ。
「こんぽたーじゅ、って言ってな。セイウンスカイってやつが言ってたんだけど、コレを嫌いっちゅーヒトは世界中探してもいねぇらしいぞ」
彼女は怪訝な目を向ける。
コンポタージュを選んだ理由なんてどうでも良い。姿を消してから飲み物を買って戻って来る時間が、どう考えても合わないのだ。
けれど今の彼女にとっては、それすらもどうでも良い事に過ぎない。
「いらない」
彼女はコンポタージュを悟空の近くに置いて再び目を閉じた。
「んな事言うなよ。オラだって2本もいらねぇぞ」
薄目を開けると男の手の中にも黄色い缶があった。
「変に甘ぇよな、コレ。嫌いとまでは言わねえけどよ」
思えば、以前クレープを一緒に食べた時にも甘いものを好んでいた芦毛のウマ娘。コンポタージュの感想を率直に告げると抗議してくる様子が悟空の脳裏に浮かび上がる。
「まだ走るんなら体を冷やさなくてすむし、ちょうど良いんじゃねえか?」
「………」
もっともな事だ。
彼女はまるで警戒中の小動物のように、恐る恐る手を伸ばして、缶の温もりを受け止めるみたいに両手で包んだ。
「………止めないの?」
「ん?」
ボソリと彼女は言った。
「足。こんな状態なら走るなって言われると思った」
「まぁ壊れそうならさすがに止めっけど、こんくれぇはな。それよりトレーナーはいねぇんか?オラよりもソイツの方が止めてくんだろ?」
「いないわ。今日は自主練だから」
「そんなんであんなに追い込んで平気なんか!? 怒られるだろ!」
トレーナーと聞いて知っているのは2人。
キングヘイローのトレーナーであるキントレと、チームスピカのトレーナーの沖野。
彼らならば、自主練で足を酷使する担当ウマ娘を許しはしない。というより怒った過去が実際にある。
しかし、彼女はゆっくり首を振った。
「平気。レースで勝てれば何でも良いというトレーナーを選んだから」
「! おめぇ、それって…」
「勘違いしないで。そのトレーナーが悪いのではなくて、私がそういう人を選んだの。私に干渉して来ない人を」
バキリと、缶の蓋が回った。
彼女は何も気にしていない様子だ。強がりでも何でもなく、ただ当たり前の事を言っただけだと言わんばかりに、平然と缶を口に当てている。
「ふーん。そんなのもあるんだな。ーーーッ!?」
悟空は缶を直立になるまで傾けるとゴックリと喉が大きく鳴った。喉元付近の温度が一気に上昇。火傷にも似た熱さを感じると、悟空は力任せに缶を潰した。
「…………貴方、凄い力ね」
特に好奇心を持たない瞳が、捻れて手のひらに収まるくらいに縮こまった缶を射抜く。
「〜〜っ、あっちぃいぃっ!!………ま、まあな、警備員だし。それよりおめぇも気を付けろよっ、一気に飲むとスゲェ熱ぃぞ!」
「………、」
悟空は悶えながら彼女にも注意するように伝える。彼女は冷めた目を向けていたが、一応は聞き入れたみたいでチビチビと飲んでいた。
「ちゅーか、おめえも有マ出んのか?」
「先月にデビュー戦をしたばかりだから出れないわ」
「そっか。んじゃ来年だな」
「…そうね。有マ記念で勝利すればきっと " 喜んでくれる ,, 」
「?」
誰かに届けたい勝利なのか。
悟空はその疑問も聞こうかとした時、彼女はスッと立ち上がった。
「…………何から何までありがとう。私はトレーニングに戻るわ」
彼女はひたすらに、そして、狂気が混じっていそうな薄暗い瞳をターフに向けた。
悟空も同じように立ち上がって身体のスジを伸ばすと、
「よしっ!オラにも何か手伝わせてくれ!こう見えて色々と、ーー」
「結構よ」
変わらずに濁ったままの目で悟空を見て、
「私は1人でやる。今までも、これからも。独りでいなければいけない。………トレーナーの話しを聞いて同情心を煽ったのならごめんなさい。そんなつもりじゃないわ」
拒絶は続く。
しかし悟空にも引けない理由があるのだ。
「オラだってそんなつもりじゃねえさ。1人で修行するのが楽ってのも知ってるしよぉ。ただ悪ぃけど少しばっか付き合わせてくれ!頼む!」
「……………………何でそんなに…?」
悟空は気まずそうに頭を掻きながら告げた。
「オラさっきまで巡回してたんだけど、めちゃくちゃ眠くてさぁ。気を紛らわそうとしてたらおめぇを見つけて、ココに降りて来る前に無線で、ウマ娘に手で貸すから巡回中止する!って言っちまったんだよ」
「………要するに時間潰しって訳?」
「へへっ。そうなんのかもなっ!」
やはり照れくらい気持ちはあるのか、悟空は笑って誤魔化した。
すると彼女はため息をついた。踵を返し、置いてあるバックに手を伸ばす。
「お、怒っちまったんか…? そこまで嫌ならさすがにオラが出て行くーーーっと、」
突如、放物線を描いて飛んで来た黒い塊。
悟空は難なくキャッチする。
「すとっぷうぉっち…?」
ウララのトレーニングでも使用しているソレは悟空でも見慣れた物だ。
何故こんな物が飛んで来たのか、考えればすぐに分かる事だが、その前に彼女が悟空の目の前に歩いて来ていた。
「もう一度体を慣らした後で2000mを走るから、タイムを測ってくれる?」
「お、おう。良いんか?」
コクン、と彼女は頷いて、
「その時に1ハロン毎の計測もしてほしい。1ハロンの目印になるのが、」
「コースの端に突っ立ってるあの棒だろ?そんでタイムを刻む時のボタンがコレ、であってっか?」
「ええ。……意外と知ってるのね」
「警備員だからな!」
悟空は得意気に鼻を鳴らした。
「一応言っておくけど、アドバイスとか口出しはしないで」
「オーケー!」
悟空は平然を装うが、内心ワクワクした気分でいっぱいだった。左脚に気を取られはしたものの、彼女の走りは目を引くものだったのだ。
しかしその興奮を露わにしてしまったら、即刻退場を喰らう事になる。
そうなれば警備の仕事を続行となり、彼女の走りが見れないという残念な結果に終わってしまう。
悟空は念入りに準備運動をする彼女を見ていると、ふと重要な事に気付いた。
「あっ…! なぁ、おめぇさあ!」
「っ、……なに」
タイミングが最高に悪かった。
準備運動を終えて走り出す一歩と同時に声をかけてしまった。
思わず躓く彼女はジトッと悟空を睨み付ける。
「悪りぃ悪ぃ。いや、おめぇの名前聞いてねぇと思ってさ。なんて言うんだ?」
「………名前…………そうね」
彼女は何か考える素振りを見せて悟空に向き直ると。
一言。
「アドマイヤベガ」
そう告げてターフの上に帰って行った。まずは慣らしで走ると言っていた彼女だ。
悟空はストップウォッチの紐を人差し指に通してクルクル回しながら口を開く。
「あどまいや…べが…?………言い辛ぇなあ…」
けれども間違えてはいけない所だ。
悟空はカメハウスに住む長寿の亀を思い出した。
温厚なアイツでもその都度訂正していたのだ。もし仮に、事あるごとに突っぱねて来ていたあの女の名前を間違えると、もういいとか言われそう。
「アドマイヤ……ベガ。…………ん。アドマイヤで良いだろ!」
悟空は安全で確実な解を導きだすと、ターフを走る彼女に視線を向けた。
それからというもの。
彼女からの合図が送られて来ると、悟空は言われた通りタイムを測定した。
なんて事のない。悟空にとっても、彼女にとっても、いつも通りにするだけだ。
彼女は走り終わって悟空からストップウォッチを渡されると、僅かに眉を顰め、
その後呆気なくも、2人は解散となった。
ーーーーーーー
翌日。
ガツガツガツガツガツガツ…!!!!!
賑わった食堂でフードファイターさながらに食べ続けているのは、もちろん悟空だ。
最初の頃は多くの視線を集めていたが、今ではチラホラと見られる程度。
肉まんを片手にしたまま、先客であるコロッケをモサモサと咀嚼し、まだ固形が残っているにも関わらずラーメンを口いっぱいに啜り込んだ。
「んむっ…!?」
喉が大きく膨れたまま止まった。完全に詰まってしまった。
悟空は水を求めてコップを掴むが、中身は入っていない。苦し紛れに手に取ったのはラーメンどんぶりだ。こってりしていても今は命を救うための水になる。
悟空はどんぶりを片手に持つと豪快に飲み始めた。ゴックン! と、大きな音と共に胃の中へ急降下した食べ物達。
満足気に息を吐くと、片手に持ちっぱなしだった肉まんが目に入った。
丸々1個ある肉まんを当然のように一口で頬張る。
「っ、はぁぁ食った食った。………………ふぅ………おっ!」
楽にしている最中、ウマ娘やトレーナー、職員が入り乱れる食堂に、トレーを持ちながら席を探しているウマ娘を見つけた。
悟空は躊躇わず手を高く上げて、
「おーい!アドマイヤぁ!」
と、呼んだ。……否、叫んだのだ。
周囲の視線は悟空から彼女へ。注目される事を嫌う彼女は人違いだと言わんばかりに目を逸らして席を探し始めた。
「こんだけ混んでりゃあ空いてねえって!早くしねぇと冷めちまうぞー!」
変わらず悟空が叫ぶと観念したのか。彼女は重い足取りで悟空のいる席へと歩み寄った。
「……助かったけど、大きな声で呼ばないで」
「へへっ、すまねぇな!」
全く悪いと思っていない事が丸分かりな程に無邪気な笑みを溢す。
彼女からため息が1つ。椅子を引こうとした所で、彼女は動きを止めた。
「どうした?座んねぇのか?」
「………座ったとしてどうやって食べるのよ」
「?…………あ、」
単純な事だ。
これ以上、この机の上に食器を置く事が出来ないのだ。1人大食いサバイバルレースを繰り広げた名残が机全域に広がっている。
「ちょ、ちょっとだけ待っててくれ。すぐに片付けっから!」
そう言って悟空はお皿を次々と重ねて始めた。
椅子に座らず傍で待つ彼女。
特に感情を示さない瞳は次第に驚愕なものへと変わっていく。
「……………ねぇ…」
「んー?」
「……ゆっくりで、良いんだけど………」
「?」
カチャン…カチャン…カチャン……。
平な皿。長細い皿。どんぶり茶碗。様々な形を持つ食器は、悟空の手によって不安定極まりないバランスで高く積まれていく。
「危ないわよ……ヒト多いし、それ以前に持つ事だって……」
「? 何の事言ってんのか分かんねぇけど、もう終わるからな」
悟空は気付いていない。
食堂の一部が、悟空の周りだけが異様に静まり返っているのだ。
まるで空中ブランコや綱渡りのように。危ないと分かっていても止めれずに見てしまう。
誰かが最悪な展開を想像して思わずツバを飲み込んだ時、
高さ70cmオーバーに積まれた食器が宙に浮いた。
『お………おおぉ……』
周囲の口から出たのは歓声ではない。安堵でもない。
緊張に耐え切れず、勝手に漏れた声だ。
そのまま早くゆっくり行ってくれ。冷や汗を垂らしながら見つめるヒト達の気持ちは一つになった。
ところが、
ぐらぐらと今にでも崩れてしまいそうな食器を、なんと片手だけで持ちだしたのだ。もはやバランス力の域を超えている所業に、周囲の者は勢いよく口を手で押さえた。
驚いたのもそうだが、声を出さないために。
だが信じられない行動はまだ続く。
悟空は空いている左手で台拭きを持つと机を拭き始めたのだ。
「ちょっと、机は私が拭くから…!」
「気にすんな。自分の食ったとこくれぇ自分でするさ」
「そうじゃなくてっ」
「さっきからなに慌ててんだよ………っと、こんなもんで良いか」
台拭きを雑に放り投げると食器タワーが大きく揺れる。ざわつくオーディエンス。
しかし悟空は一切焦る事なく腕と身体を動かして、歪なバランスを保ったまま返却口へ前進した。
すると、
「孫さん!こっちこっち!」
受け取りカウンターから少し離れた場所にある従業員専用のドア。そこから手招きをするのは、貫禄のあるお年を召された女性だった。
「オッス!りょーりのばっちゃん!今日もスゲェうまかったぞ!」
「それは光栄なんだけどねぇっ……!」
「?」
「返却口だと危ないから高く積み上げないようにって言わなかったかい!?」
「い、いやぁ、オラもやるつもりはなかったんだけど今回はちょっと急いでてさあ、………このままばっちゃんに渡した方が良いか?」
「持てるかいそんなのっ!」
「んじゃ前と同じようにオラが持ってくよ」
「そうしておくれ……」
その女性とは気が付いた時には会話をするようになっていた。
だがそれは必然だったのかもしれない。
人の身でありながら、オグリキャップと並ぶ量が必要な男に、彼女達キッチンスタッフの好奇心は抑えきれるものではなかったのだ。
それゆえ悟空が裏からキッチンに入ると、
「オッス、みんなぁ!飯あんがとな!ごっそーさん!」
「孫さん!今日もいっぱい食べたなあ!」
「ああ。おっちゃん達がめちゃくちゃウメェの作ってくれっからな!食う手が全然止まらねぇんだ!」
「あっはっは!それは作り甲斐があるってもんだ!」
大柄な男性は作業の手を止めてそう言い、
「ていうか大道芸すぎるでしょ!それ落ちないの!?」
「へへっ、こんくらいどうって事ねえさ」
「すごっ!」
洗い物をしていた女性はわざわざ水を止めて来た。
そして高く積まれた食器をぽけ〜と眺め、自分ではどうする事も出来ないと悟り、
「孫さん、悪いのだけど手伝ってもらって良いかな?」
「おう!何すりゃ良いんだ?」
「少し屈める?私が上から順番に取っていくからさ」
「分かった。手間かけてすまねぇなあ」
「全っ然、このくらい刺激があった方がこっちも楽しいよ!」
と、こんな感じに悟空は、学園にいる誰よりもキッチンメンバーと馴染んでいた。
・
・
・
「アドマイヤ…?」
数分後、悟空が元の席に戻ると、膝の上に両手を置いて座っている彼女がいた。
「食わねぇのか?」
「……あんな事があったのに、私だけ食べ始めるなんて出来ないわよ」
「い"い"っ…! ずっと待ってたんか!?」
「………」
「そいつはわりぃ事したなぁ、腹も減ってるだろうに…。もう食えっか?」
「……ええ」
彼女は静かに手を合わせて、蚊の鳴くような声でいただきますと言って食べ始めた。
悟空も対面の椅子に座る。
もにゅもにゅと口を動かす彼女を見ながら悟空は密かに手を伸ばし、
「ほら。コレも食え」
「……プリン?」
食膳の横にプラスチック製の容器を置くと、彼女は目を丸くした。
間を置かず悟空は机の上に体を乗せた。コソコソ話しをするように口元に手を添え『あんま大きい声じゃ言えねぇんだけど…』と、前置きをすると、
「このプリンな。本当ならおっちゃんが持って帰る用にって取っといたらしいんだけど、面白ぇもん見せてくれた礼にってくれたんだ。今日のメニューでは売り切れにしてあるモンだからササッと食えだってよ」
「……………良いの?」
「!……ああ、他の奴にバレる前に食っちまおうぜ!」
悟空にとって彼女は、この世界で初めて出会う人格の持ち主だった。
考えている事と表情が連動しているハルウララやスペシャルウィークとは、言うまでもなく違う。
似ているので言えばシンボリルドルフやアグネスタキオン。表情の変化が少ないから。ただそれだけの理由。無理矢理対象のウマ娘を選んだだけに過ぎない。
悟空から見た彼女ーーアドマイヤベガは、
危ない奴。それが印象付いた。
2000mを測定中に感じたのだ。自身の命を燃やし兼ねない程に鋭く尖った痛々しい"気,,を。
だがこちらが1歩踏み込めば、彼女は3歩も下がっている。
悟空はそれが、アドマイヤベガにとっての戦いなんだと解釈して、何も言う事なく終わっていたが…、
(出来るんじゃねえか……たかがプリン1個で)
プリンを食べて良いのかと尋ねて来た時の顔が、悟空の脳裏に焼き付いた。
上目遣い気味に。悪い事だと知りながらも、つい手を伸ばしてしまう子供のような、そんな顔。
今では素に戻ってしまったが、どこか雰囲気が柔らかくなった気がする。
「私の顔に何かついてる…?」
「いや、なにも?」
「じゃあ何で見てくるのよ」
「……さあ?気のせいじゃねえか?」
「…………まぁいいわ。それより貴方って中々変な人よね」
「いきなり何だよ」
彼女が食べているのは栄養重視のバランスセット。箸の向かう先はタンパク質であるササミと梅の和え物。
箸でつまみ上げる前に悟空を見た。
「さっきの、貴方が食べたであろう品数。あんなのテレビの中でしか見た事ない」
「あぁ、いっぱい食わねえとリキが付かねぇからな」
「リキ?……力の事かしら。いくらそのためとは言っても食べれないわよ」
「おめぇ細っこいもんな。オラからすっとそんだけで足りんのかって聞きたくなんぞ」
「もう聞いてるじゃない。これで充分よ」
ふーん、と相槌を打つ悟空。
スペに聞かせてみたい衝動に駆られる。きっと、少な過ぎると心配して、羨ましいと嘆くだろう。その拍子にやけ食いをしてグラスに怒られる所まで簡単に想像出来る。
「ん?………なあ」
その時。悟空はふと思った。
「おめぇって、友達いねぇんか?」
あくまで世間話しの一環だ。ただ気になったから聞いてみただけだった。
彼女は感情を宿さない瞳を向けながら、ごくんと喉に通す。
「なに、急に」
「いやぁな、この前の走っている時とか、今日も飯食う時に1人だからさ。アドマイヤって友達いるんかなーって思って」
「さあ、考えた事ないわ」
「でもたまに暇だって思うだろ?そん時に誰かと一緒にいたりとかさ」
「特に思わない。既にレースは始まっているし、来年のクラシック戦に向けて調整しないと」
「へえ。…………く、くっ」
突然、悟空はくぐもった笑い声をあげた。
それを笑われたと感じた彼女は、睨み付けるように悟空を見る。
「別に…、理解してほしいとは思っていないけれど、笑われるのは不快よ」
「あ、わり。勘違いさせちまったな!」
「勘違い?」
「ああ。おめぇの事を笑ったんじゃくてさ、似たような事を言ってた奴を思い出したんだ」
「?」
「オラも聞いた話しだったんだけど、ソイツな。寝る事や食う事よりも走るのが全てだ!って考えらしくて、おめぇ知ってっかなぁ………サイレンスズカって奴なんだけど」
「………」
彼女は黙った。
名前とウマ娘を脳内のデータベースで照合している。
もちろん結果は不一致だった。
「貴方が間違えてどうするのよ」
「オラ?…………………………なにを?」
たっぷりと時間を使って考えたが、悟空はこてんと首を倒した。
「彼女の名前。サイレンススズカでしょ」
「?」
今度は反対側へ首を倒した。
「さっきオラが言ったじゃねえか」
「何て?」
「サイレンスズカ」
「違う。スが1個足らない」
「スぅ?おめぇ何言ってんだ?」
「何で分からないのよ。スズカの前にスが1個入るの」
「へ?そうだったんか。んじゃ……サイレンスススズカって事だな!ははっ、アイツってス多いな!」
「本当に多くなってるじゃない!」
バシッ!と彼女は雑に箸を置いた。
突然の豹変ぶりに悟空は肩を上げて目をパチクリとさせる。
「あ、あどまいや?」
「いい?私の言う事を繰り返して」
「おう…?」
「サイレンス」
「サイレンス」
「スズカ」
「スズカ」
「サイレンススズカ」
「サイレンスしゅじゅか」
「……………」
「……………」
彼女は口を手で押さえて俯いた。肩が震えているのは悟空の見間違いではないだろう。
「いっ、言いにきぃぃぃぃ!本当かコレ!? オラの事からかってんじゃねえだろうな!」
「ほ、んとう、よ…っ」
「おめぇ、もしこれで間違ってたらオラがスズカに怒られるんだぞ」
「だ、大丈夫。むしろ最初の呼び方のほうが可哀想だから。というより、普段はどうやって呼んでいたの?」
「スズカ」
「なるほどね。……………ふ、」
「あーっ、おめぇやっぱ笑ってやがったな!」
「ーーッ! ………、」
「まあ実際に言う前で助かったけどよぉ、アイツややこしい名前してたんだなぁ」
「………………それで?」
「ん?」
彼女は顔を上げる。
無表情で、食事を再開しながら、
「似てる云々の話しだったでしょ」
「あ、そうそう。スズカの奴も走る事だけにしか興味がなかったらしくて」
気にせず悟空も続きを思い出した。
「色々あって友達を作る事になった時に、アイツ何を話したら良いのか分かんねーって言って大変だったんだ。アドマイヤもそうなら大変な思いすんのかなって思ってさ」
「………彼女の事なら知ってる。怪我をする前はターフでよく一緒になってたから」
会話の脈絡が僅かに意図的なズレが生じる。
「へえ、仲良いんか?」
「挨拶をする程度よ。立ち止まって話しなんてしない」
淡々とした口調で答える。
気がつくと彼女は食事を終えていた。静かに手を合わせて、休む事なく椅子を引いて立ち上がる。
もう彼女は悟空を見ていなかった。
そんな彼女に対し悟空は、話し相手として引き留めるでもなく、これからの予定を聞く訳でもなく。
一言だけ聞いた。
「うまかったか?」
彼女は無機質な瞳で見下ろす。
トレーを持つ手に力が入り、ミシリと音が鳴った。
「……ええ。…………プリンも、ありがとう」
おう!と悟空は屈託のない笑みを返すと、彼女は軽く頭を下げてヒト混みの中に姿を消した。
ーーーーーーー
その日は雨がカーテン仕様になるほど強く、傘1本で体が濡れずに歩けるくらいには弱い天候だった。
という事はつまり、雨天トレーニングに最適な条件。
悟空は喜んだ。
有マ記念の日、雨が降る可能性が大いにあるのに、雨の中でのトレーニングがまるで出来ていない。
これは決定的な弱点になる。
それが分かっているのなら練習をしないという選択肢はない。
すぐにでもウララにテレパシーを飛ばして修行を開始する。
ーーそのつもりだった。
(アドマイヤ……!!)
悟空は走っていた。常人どころかウマ娘でも察知をする事すら出来ないスピードで、とあるターフを目指して地を駆ける。
到着したがやはりというべきか、まばらにウマ娘が走っている。今のターフが好条件と思うのは悟空達だけではないから当然だと言えよう。
そしてその中には " 彼女 ,, も含まれている。
「ーーーーッ!あそこか!」
何もない空間から突然現れる所を他のウマ娘に見られたら、言い逃れはできない。そのため瞬間移動が使えず、状況を確認しながらの走行となってしまったが、もう構う事はない。
悟空は周囲にいる者全ての位置を把握した。そこから彼女の姿が視野に入る者を選別。
その者達との距離、動向、顔を向きなどを考慮して、彼女が誰の視界にも入らない一瞬の隙をついて飛んだ。
その間わずか2秒の出来事だった。
彼女は " 動いていた ,,
雨の中を。一定のペースで。
そのペースは、人間のランニングと同等のものだ。
とてつもなく遅い。
それがウォーミングアップなどの類ではないと確信を持ったから、悟空はココに来た。
ーー電池を入れた人形のようにただ動き続ける彼女を、止めるために。
「アドマイヤあああああッ!!!」
シュン…!!
彼女の横に降り立ち肩に手を置いた途端。
スッ……と、魂が抜け落ちたように膝から崩れ落ちた。
「しっかりしろ!アドマイヤ!!」
雨に打たれながら必死に揺するが、彼女の目は開かない。
数分前。
悟空はウララにテレパシーを送ろうとした時、何気なしに思ったのだ。
こんなちょうど良い雨ならアドマイヤも走っているんだろうな、と。
そう思ったと同時に感じた"気,,の乱れ。
彼女はボロボロだった。
「クソっ、かなり弱ってる…! 待ってろよアドマイヤ。すぐ医務室に連れてってやるからな!」
彼女の首と膝の下に腕を通して持ち上げた。
すると、
悟空の胸元に妙な圧迫感が加わる。
「アドマイヤ?」
ふと下を見る。
弱々しく動いた彼女の手が、悟空の服を掴んでいた。
「ーーーー」
「なんだ…?なんか言ったのか?」
微かに形を変える口元。悟空は耳を寄せると、
「………ご……めん、ね…」
その言葉を聞き、悟空の顔は驚愕に染まった。
「お、めぇ………だれに言ってんだ…? 」
話しの流れを察すると悟空に向けてだが、悟空は自分とは思わなかった。
だから尚の事混乱する。
こんな状態で。憔悴しきった体で。意識が朦朧としている時に謝らなくてはいけない相手は誰なんだ。
「………………、」
一か八か。
悟空はアドマイヤベガの世界に足を踏み込む事にした。
【ーー悪い。オラの部屋に女物の着替えを持って来てくれ。適当なんで良いから】
・
・
・
トレセン学園の警備員として働きだしたと同時に、割り当てられた一室。
1人で住むには中々立派な造りの1LDK。そこのリビングで悟空は椅子に座っていると、隣の部屋に通ずる戸が開いた。
「終わりましたよ」
「そうか。いきなり悪かったな。たづな」
駿川たづな。
いつものスーツに身を包んでいるが、帽子や肩がまだ湿っている。傘も差さずに走って来たのだろう。
「髪や体を拭いて着替えさせました。断りを入れずに申し訳ありませんが、布団をお借りして、そこに寝かせています」
「充分だ。助かったぞ」
「とはいえ、雨に打たれていたので疲労は溜まっているでしょう。医務室ではなくて良かったんですか?」
「……………体調に関しちゃ、オラの"気,,を分けたから大丈夫だと思う」
「そうですか…」
一体何があったのか。アドマイヤベガとはどういう関係なのか。
たづなの脳内には多くの疑問がひらすらに浮かんでいた。
そう。浮かび上がった、だけ。
「では、私はこれで失礼します」
たづなは小さな紙袋を机に置いた。着替えさせる際に脱がせたアドマイヤベガの制服が入っている。
身を翻し、玄関に向かう途中で悟空は声を上げた。
「たづな」
たづなはピタリと足を止めてそのまま告げる。
「何ですか?」
「……………サンキューな」
その言葉を背中で受け止めると、たづなは靴を履いて振り返った。
「悟空さん。貴方は、何も考えないでくださいね」
「!」
「ハルウララさんの時が繊細だっただけで、皆さんはありのままの貴方に惹かれました。だから余計な事は考えず、彼女にも孫悟空として接してあげてください。その過程で貴方の事を話すのならば、私からは何も言いませんので」
悟空の返答を聞かずに会釈だけするとたづなは去って行った。
パタン、と静かに閉まる扉。
悟空はようやく動き出す。
「………ほんと、敵わねぇなあ…」
向かう先は隣の部屋。そこには眠っている彼女がいる。
ウマ娘の五感は人よりも優れているため、悟空はバレないように全ての気配を断ち部屋に入る。
(たった1回きりでどこまで回復すんのか分からねぇけど、やらねぇよりはマシだよな)
掛け布団の1番下を少しだけ捲る。露わになったのは包帯が巻かれた左脚。
悟空は患部に触れないくらいまで手を近付けると、"気,,を流し込んだ。
骨折したサイレンススズカの治療と同じ方法だ。
アドマイヤベガのコレが骨の異常が原因なのかはサッパリだが、とりあえずやるだけやってみようの考えで行動する事にした。
・
・
・
「……………………ん、…?…」
彼女は目を開けた。
まだ覚醒していないのか、ぼんやりと天井を見つめている。
そこが自分の部屋ではないと分かった瞬間、彼女は飛び起きた。
(こ、こは………どこ…?)
日常的に使用しているベッドではなく、床に直接敷くタイプの布団。
あまりにも殺風景な部屋。
そして、ぞっとする出来事と言えば、
(服が違う…!? そうだ。私はトレーニングの最中だった!それなのにっ)
背中に気持ち悪い汗が伝う。
既に活性化した脳が、恐怖のイメージを作り上げて次から次に信号を送ってくる。
途端に、彼女の耳はピクッとはねた。
(っ、誰か来る…!)
体が動かないのは寝起きのせいではないだろう。
ジワジワと表情が強張っていくのにつれて、布団を握りしめる手に力が入る。
そして、
「おーい、起きたんなら入るぞー」
こちらの状況とは正反対にのんびりとした口調。
聞き覚えは充分にある。
訳が分からない事ばかりだが、彼女の体からは緊張が消えた。
「ん。やっぱ起きてたか。気分はどうだ?」
開いた戸から現れたのは予想通りの男だった。
「………………不思議と悪くないわ」
「そりゃ良かった。んじゃ早速で悪ぃけど、何でこうなってんのかを説明するな」
「ええ、お願い」
悟空は端的に言った。
偶然ターフに寄ったら、偶然アドマイヤベガが倒れて、それで自分の部屋に連れて来た…と。
「…………色々と言いたいのだけど、良い?」
「おう」
「助けてくれてありがとう。面倒をかけてしまってごめんなさい。でも…」
身の危険を表すかのように布団を手繰り寄せて、
「何で貴方の部屋なの…?」
と、警戒心を露わにして尋ねた。
「ああ、本当なら医務室に持って行こうと思ってたんだけどさ、おめぇに聞きたい事が出来たんだ」
「それが理由? あまり文句を言いたくないけれど、聞きたい事があるというだけで部屋に入れるのは、中々問題よね?」
「………………………え、何でだ?」
「え?」
「部屋は駄目なんか? 込み入った事になりそうだし、おめぇにとっても聞かれたくねぇ事かも知んねぇから、人のいない所を選んだつもりだったんだけど…」
「………」
彼女は座りながら、顔半分まで隠れるように覆っていた掛け布団を手放した。
「………聞きたい事ってなに?」
「話し続けても良いんか? 何だったら場所を変えても、」
「平気。それより込み入った事って? トレーニングに関する事なら聞く耳持たないわよ?」
「ああ。……アドマイヤ。おめぇってさ、」
「誰のために走ってんだ?」
その時、空間が凍った。
気温が氷点下まで一気にさがったかのような冷気が悟空を襲う。
それは彼女から向けられた視線だった。
「……、」
「さっき倒れたおめぇを抱えた時、ごめんって謝ってた」
「………」
「思い返してみりゃあ最初に会った時もそんな事言ってたよな? 有マで勝てば喜んでくれるってよ」
「………………それを聞いてどうするの?」
雰囲気、視線。それと同じように冷たい声だ。
「…………貴方との距離感は楽だったのに…」
馴れ馴れしい人。
それがアドマイヤベガが悟空に対する第一印象だった。しかし会話を続けていくと認識はことごとく変わっていった。
ウマ娘の対応を知ってる警備員。
大人のくせに子供のように笑う男。
まるで親しい友人に接するかのような振る舞いをする彼。
けれどもそれは全て、自分の世界に足を踏み込んで来なかったから、良い印象に変わっただけの事だ。
「興味本位ならやめて。いくら手を伸ばして来ても、私は求めてない」
拒絶。拒絶。拒絶。
悟空がほんの僅かに近寄っただけで度々拒絶の意を示していた。
変わらない。
ずっとやって来た明確な拒絶を同じように繰り返す。
「まったまた〜。すーぐそうやっておめぇは言うよな!必要ないとか求めてない、だとかよぉ」
だが同じようにはいかない。
今までは偶然近づいて突き放されてきたが、今回は悟空が足を踏み込むと決めたのだ。
そう決めた悟空は、冷たい空間を暖かい陽気で調和するように、ニカッ!と口角を上げた。
「ちくっと話すくれぇ良いじゃねえか。それとも隠しておきてぇんか?」
「……いえ…、隠すとか、そういうのではなくて…」
彼女は面をくらって拍子抜けしたのか、尖った"気,,が霧散する。
「おめぇの言う通りさあ、興味本位つったらその部類にはなるんだろうけどよ、おめぇが困ってんならそれが何なのか知っときたいじゃんか」
「ッ…!」
「それでも言いたくねえってんなら、これ以上は絶対ぇ聞かねえ。約束する!」
「…………」
彼女のとった行動は単純なものだ。
壁に背中を預けるとまた、掛け布団を手繰り寄せた。そして三角座りした膝の上に腕を乗せて、布団に埋もれるように顔をつける。
一瞬だけ悟空に目線を向けた。
再び戻すと、口を開く。
「………貴方、兄弟はいる?」
「ん?」
「私は、双子の妹がいた 」
「へえ。そいつも学園にいるんか?」
フルフルと首を動かす。
「生まれる時にね…、2人の内どちらか1人だけしか、生きる事が出来ないと分かったらしい」
「ッ! まさか…」
「ええ。………妹は…、私の犠牲になった」
「………」
「走っている時に感じる喜びや興奮。その後に訪れる寂しさ。これは私だけのものじゃない。私の中で、あの子が感じているの」
「………なら、おめぇが謝ったのって、」
「私は記憶にないけれど状況を考えると、不甲斐ない走りを見せてしまった事への謝罪、でしょうね」
「……有マで勝てば喜んでくれるってのも、妹に向けてか…」
「有マ記念だけじゃないけど、そうね。まずはクラシック。そこで私はあの子に勝利を届ける。 そうする事でしか……私はっ…!」
彼女は淡々と話して来たが、ここまでだった。
「私は!自分の足で走る事が出来ないあの子のために走る! あの子のために勝つ!! こんな所で躓いている訳にはいかないっ!!」
「アドマイヤ…」
「だから、ね……っ!」
アドマイヤベガは、悟空を見た。
「も、う………私の前に、現れないで」
悟空の表情はピクリとも動かない。ただひたすらに見つめ返している。
「この事、話したのは貴方が初めて…」
「…………」
「会った期間なんて短いし、話した回数も片手で数えれるくらい。だから、ご飯食べてる時に笑ってるって言われて驚いた。楽しいと思えていたんだって…」
だからこそ、と続けて彼女は言う。
「貴方といたら私は弱くなる。そんなの、あってはならない」
アドマイヤベガにとって、もはや命よりも大事な勝利。狂気と呼んでも過言ではその想いは、交わる事のなかった、けれど偶然繋がった縁をあっさり断ち切った。
それは意固地でも自暴自棄でもない。
覚悟の表れだ。
自身の生の犠牲になってしまった妹。それならば自分は勝利以外の全てを犠牲にする、という異常な覚悟。
そんな彼女の意志に直面した悟空は、
「分かんぜ。その気持ち」
嬉しそうに笑った。
「オラは大人になってから初めて兄ちゃんがいるって事を知った。けど初めて会ったそん時に、二度と会う事は出来ねぇ程の喧嘩をした」
「!?」
「だから兄弟に対しての想う気持ちはおめぇとは違うけど、大事なモンのために戦う気持ちは同じだ。のんびりしてる暇なんかねえもんな」
サラリと言われた事に彼女は動揺を隠しきれない。けれど彼女の口から発せられる言葉は、何もなかった。
「でもよぉ、アドマイヤ。1つだけオラから言っときてぇ事がある」
人生の先輩として悟空は言う。
「これからのおめぇはかなり辛ぇと思う。レースで勝ってもすぐに次が来るし、負けたらおめぇの心は黒くなっちまう。単純に、休まる所がねえんだ」
「……承知の上よ」
「ん。おめぇはそう言うよな。だからよぉ、 今だけだ」
悟空はそっと指を伸ばし、彼女の目元で光る雫をすくう。
「ずっと戦いっぱなしじゃ疲れるから、今だけは休憩にしよう」
彼女は瞬きを忘れた。
震える指を、彼が触った所と同じ箇所を触る。
指先は濡れていた。
その時にようやく自覚した。
いつの間にか理性が壊されていたのだ。その証拠に目頭から生成された"水,,が、頬を伝ってポロポロと流れ落ちていく。
「そうだ。思う存分泣いちまえ。 姉ちゃんがこんだけ頑張ってんだ。おめぇの妹も、そんくらいは許してくれんだろ」
「ーーーーーッ!!!!!!!」
泣きたい時に泣けなくなったら終わりかも知れない。
悟空はそう思った。
だから、泣かせたかったのかと聞かれたら、悟空は肯定する。
そもそも涙を流す事が弱い証という訳ではないのだ。涙が力に変わるという事を悟空は理解している。
なんせ実際に、
そういう息子がいたのだから。
・
・
・
「あ。その服はたづなに渡しといてくれ。そいつに持って来てもらったからな」
「貴方……かなり親しいのね。たづなさんをそいつ呼ばわりしてる人は初めてだわ」
悟空は彼女の服を指で差した。
そこは玄関。彼女が手に持つのは、たづなが収納してくれた制服の入った袋。
トントン、とつま先で地面を叩きながら靴を履く。
「………その、何というか、……本当に色々とごめんなさい」
「またかよもーっ、謝ってばっかじゃねえか! それよりは頑張るだとか前向きな事聞きてえぞ?」
「あ、…ええ、頑張るわ」
「おう!………………なあ、」
「?」
「おめぇが走る理由、オラは別に良いと思う。他の奴にとやかく言われる筋合いはねえからな」
「……そうね」
「だから聞き流してくれても良いんだけどよ、アドマイヤの走る理由が変わった時、レースを楽しみたいって思ったら、キングヘイローのトレーナーを頼れ」
「えっ…?」
「真面目なら奴だから何て言うかは分かんねぇけど、オラの名前を出せば多分面倒を見てくれる………と、思う」
「…………随分と曖昧ね」
「は、ははっ……まぁな。んでも、今は走る邪魔にしかならねぇだろうから忘れてくれて構わねえぞ」
「…………………名前、」
彼女はボソリと呟いた。
「ん?」
「貴方の名前を知らないと、訪ねる事が出来ないわ」
「おめぇ…!」
「勘違いしないで。万が一の話し」
それに…、と続けて、彼女の本質が垣間見えた。
「貴方の事を楽しかった人と記憶しているのだから、名前くらい知っておきたいじゃない」
優しい声色だった。
修羅の道から解き放たれた際に現れるであろう、やんわりと微笑む彼女だ。
「ははっ、そういえば言ってなかった! オラは、孫悟空だ!」
「………偽名?」
「じゃねえよ!本当に本当の孫悟空だって…!」
「ふふっ、変なの。………でも、ちゃんと覚えた」
日を跨いで会ったのはたったの3回。とてつもなく少ない。一緒にいた時間だって短い。
けれど人生の中で1番とも言える濃密な刻を過ごした。
それが。
この扉が開ければ終わりを迎える。
「…………、」
ほんの少し、いやかなり。
扉は重かった。
ウマ娘の力を持ったとしても、手が動かない。
「アドマイヤ」
ハッと彼女は振り向いた。
彼は真剣な顔をしていた。迫力があった。名前を呼ぶ声が、背中を押すには充分の力強さが秘められていた。
「戦いが始まってんなら負ける訳にはいかねえ。そうだろ?」
「!………そんなの、当然でしょ」
もう迷いはなくなった。
ガチャリと開ける扉は、フワフワな綿のように軽い。
「さようなら。悟空さん」
「おう!頑張れよ、アドマイヤ!」
その言葉を最後に、彼らが対面する事はなかった。
ーーーーーーー
ウマ娘、アドマイヤベガ。
彼女の運命は菊花賞にて終わるはずだった。
その運命を捻じ曲げたのは、
1人の男。
そして、
1人の妹。
翌年の有マ記念にて孫悟空の弟子と鎬を削る事になるのはーーーまた、別のお話し。
YouTubeの無料配信であのクオリティは神過ぎる。
思わず書いてしまったよアヤベさん…。
ただ一つだけ言いたい。
アヤベさん貴女、カレンちゃんに笑顔見せてあげなよ…。何か描写があるかもって思って、エンドロールのうまぴょい伝説見ちゃったよ……。