※ タイトル、改行修正
朝の喧騒。ようやく顔を出した太陽と、それに合わせて煌めきだす朝露。相も変わらず人にとって厳しい寒さであることには変わりはないが、それでも直に降りそそぐ太陽の恩恵は優しく体をつつむ。身を切るような冷たい空気のおかげで、より一層それを感じさせられた。
そんな、どこにでもある冬の一日。こと学校において、この陽気にさらされた校舎は確かに生命の息吹をもつ。夜は死に、生徒が利用するこの昼間にだけ授かる仮初の命。
くるくる回る、浄化の光。
学生がもたらす活気、それを内包し許容する空間。
そこに、あるはずの無い罅が入る。
不確かで、誰にも見えない小さな傷。
やがてそれは誰の目にも止まることなく大きく広がっていく。
―――――いつの間にか、それは空間全体へ広がり。
その毒に気が付く者は未だ少ない―――――――。
◆
「くっそ美綴の奴!自分が部長だからって偉ぶりやがって―――――!」
登校する生徒に雑じって、一人の男子生徒が地団太を踏む。それがかなり激しいものにも関わらず、何事かと見やる生徒はほとんどいない。他の生徒にとって、彼のこのような姿は既に見慣れたものであるのかも知れない。
「相変わらず衛宮はいい子ちゃんしてるし、遠坂だってずっと邪魔ばっかりしてきやがる。おまけに美綴は僕にたてついてきやがるし…。あの女、ただの一般人のくせに。―――――そうか。なら思い知らせてやればいいのか。誰が一番すごいかってことを。おい、ライダー!」
「――――――」
「命令だ。美綴だ、分かるな?あの女を襲ってこい。結界が遠坂に邪魔されて完成しないんだ。一人襲って魂喰いして力を得ろ。いいな?」
「―――――」
男子に答える者はいない。咎める者もいない。学校は、生徒たちにまじえて凄絶な笑みを浮かべた彼をも許容する。
その空間が異質であること。中の人々がそれに気が付かないのは無理からぬこと。
中からは決して識ることは不可能。外界からは近しい人間のみが視る事が出来る。
◆
「―――――」
聖杯戦争もこれで六日目。今日の朝は桜が家に来なかった。朝早く、衛宮君に電話をしてきたらしい。最近ずっとこの家に来ていたらしいし、昨日なんてとうとう弓道部の朝練まで休んだみたいだ。昨日は間桐君が校門のところで士郎に絡んでいたのに加え、私も教室に入ったら桜について綾子に聞かれた。やっぱりまずったかなぁ。言い方悪かったし。もうギスギスした朝食の空気にあてられて、食事どころじゃなくなりかけてる。セイバーはそんなこと気にしてないみたいだし、藤村先生は落ち込んでいる所が想像できないけど。
学校の結界も見つけた基点が全部ダミー。それに手を焼いている間、新都のガス漏れ事件は未だ続いている。キャスターが着々と陣地を固めている証拠だ。綺礼に全部処理は任せているけど、終わった後何言われるか分かったモノじゃない。
「はぁ…」
「どうしたんだ、遠坂?さっきから溜息ばかり吐いて」
「ううん。何でもない」
「ムッ。そんな顔しながら言っても説得力のカケラもないぞ」
「シロウの言う通りです、リン。今朝のシロウの御飯も素晴らしい出来だった。何もないと言うのであれば、私が食後の余韻に浸っている時にそのような溜息は遠慮していただきたい」
士郎にそこまで言われてはおしまいだ。よっぽどひどい顔をしていたのか。これでも自分のことはちゃんと管理していたつもりなのだけど。いくら私が朝に弱いとはいえ、もう朝食を終えてゆっくりしている時間。もうそろそろ学校へ行かねばならない時だ。言い訳にはならない。
「そうね、認める。少し、思い通りにいってないなって。ううん、そんなことは始めっから分かってるんだけど」
「そんなことないと思うぞ。遠坂は上手くやってると思う。昨日だって、あれだけ結界を破壊してるじゃないか。新都のガス漏れは俺も気になるけど、余り下手に動いて取り返しのつかない事にはしたくない」
「リン。この前、しばらくは様子見、ということで落ち着いたではありませんか。何を焦っているのかは分かりませんが、貴女らしくない。機を待つことも時には重要だ。それが分からない貴女ではないはずです」
「わかってるわよ…」
二人に言われてしまう。なんだろう、遠坂凛はそれほど引きずる性質の人間ではなかったはずだ。私は遠坂凛。ならば常に優雅に、事には余裕をもって相対しなければならない。
―――――――ズキン、と左腕の魔術回路が軋んだ。
いつもの周期にはだいぶ外れているが、どうやら先代たちに怒られているらしい。こんなんじゃ、とてもじゃないけど聖杯戦争を勝ち抜けないとでも言いたいのだろうか。
言われなくたって、もう気持ちを切り替えた。私は遠坂凛だ。自信をもってそう言える。遠坂に産まれた者として、魔術師やってる。その先代の努力の結晶が、左腕の魔術回路。やはり生物学的に異物であるので、たまにこうして痛むのだが。念のため、痛み止めの薬を取りに行く。
「どこに行くんだ?遠坂」
「部屋。薬忘れたから、取ってくる」
そっか。じゃあ待っている。などと後ろから衛宮君が声をかけてくる。そっか。薬飲んだら、もう学校に行かないと。
◆
「なぁセイバー。やっぱり遠坂は調子が悪いのかな?」
「いえ。そういうことは無いと思いますよ」
遠坂は明るく元気、ではないけれど毅然とした女の子だと思う。あんな眉間に皺よせたり、悩ましげに溜息を吐くような女の子じゃない。顔色が優れないわけじゃないし、今日は珍しく朝ごはんを食べてた。何か良くない事でもあったのだろうか。きっと遠坂の事だから、この街を使い魔か何かを使って把握しているの違いない。でも、聖杯戦争に関してならきっと遠坂は俺にも言って来るはずだ。そうでなければ同盟を組んだ意味がないし、その信頼関係の中で自分だけ得をしようなどという事が出来る人間じゃない。遠坂凛とはそういう少女だ。
「リンなら大丈夫です。心配は無用でしょう。彼女は自分で変えることのできる力を持っています」
「そうだな。遠坂なら『アンタは自分の心配してなさい、このヘッポコ』とか言ってきそうだもんな」
「ええ。リンなら言いそうなことだ」
コロコロと、セイバーが笑う。多分、こんなことで笑ってるのが遠坂にバレたら大変なことになるんだけど。見られていることは無いし、それこそ無用な心配だと思う。
と。セイバーに言わなきゃいけないことがあったんだ。
「セイバー」
「なんですか、シロウ」
「今日の事なんだけど。四時過ぎに学校に来てくれないか。遠坂はあんな風に言っていたけど、学校にある結界はだいぶ弱体化できていると思うんだ。今日はもしかしたら無いかもしれないけど、明日、明後日には結界を張っているサーヴァントが動くかもしれない。そうなったらセイバーにお願いすることになっちゃうんだけど」
「何を言っているのです、シロウ。この身は貴方の剣になると捧げたではありませんか。戦い、勝利を持って貴方に報いる。私の望みだ。ですからシロウ。それは無用な気遣いです」
胸に手を当て、こちらを真っ直ぐ見てくるセイバー。その翡翠の目に思わず引き込まれてしまう。そうだった。セイバーはサーヴァントだ。この聖杯戦争を戦い抜く為に俺の元に来てくれた、英霊と呼ばれる存在。
なら、俺の望みは。
脳裏に血染めのセイバーが映る。ランサーの槍を受けた時と、バーサーカーに薙ぎ払われた時。もう二度も、セイバーは死んでもおかしくないケガをしている。もうそんな姿、俺は見たくない。
俺が今したい事。今しなきゃいけない事。自分にできる事を精一杯やる。セイバーや遠坂が少しでも楽に戦えるようにするんだ。
「分かった。俺も全力で戦うから。よろしくな、セイバー」
「ええ。こちらこそよろしくお願いします、シロウ」
セイバーのこの笑顔を、もう少し見ていたいから。
「ですが――――」
あれ、なにかおかしい。さっきはあんなに笑顔だったのに。セイバーさん、なんでそんなに目を細めていらっしゃるのでしょう。ワタシなにか悪い事でも――――――あ。
「戦いはあくまでも私の領分です。そこの区別は、くれぐれもよろしくお願いします。マスター」
「はい…」
◆
「ただいま、待たせたわね、士郎―――――って、何してんのアンタたち」
居間に戻ってきた私を待っていたのは、バクバクと茶うけを食べているセイバーと、その前で正座して小さくなっている士郎。本当なら、朝食後にセイバーが何か摘まむのは許さないはずだけど…士郎、何かやったわね。
「貴女の想像通りですよ、リン。ですが、もう良いでしょう。ほらシロウ、リンも来たことですし、急がなくてよいのですか?」
その歯に衣を着せない言い方に、一瞬ピクンとなる士郎。やがてノロノロと立ち上がったかと思うと幽鬼のように背中を丸めたまま鞄をもつ。
「う…じゃあセイバー、行ってくる」
「はい。行ってらっしゃい、シロウ。リンもお気をつけて」
今日も、長い一日が始まる。
◆
お昼休み。彼のクラスに出向いたが士郎はいなかった。なんでも二限目に早退したということらしい。急いで彼の家に電話をかけたが、家にいたセイバーはなにも感じ取ってはいなかった。今はとりあえず彼女には士郎を探してもらっている。幾ら士郎だっていざとなったら令呪を使うぐらいの頭は回るだろうし、その確認も込めてセイバーに確認を取ってあの状態。まだ士郎自身に危険は及んでいない…はず。セイバーが居る限り、みすみすやられはしないだろうが、未だそうきまった訳じゃないけど既に彼が他のマスターと接触している可能性もある。
結界の主が学校関係者だとすると、衛宮士郎の性格を知っていることは十分に考えられる。そして、いくら私が若輩者だとしても聖杯戦争における『遠坂』の名は決して小さいものではない。学校という閉鎖空間における戦力の中で、私ではなく崩しやすい士郎を狙うのは道理にかなっている。最近、贔屓目に見ても聖杯戦争が始まるのとほぼ同時期に親しくなった私と士郎が同盟関係にある事が知られていることはほぼ間違いない。
衛宮君がやられたら、次は私の番だ。
「アヴェンジャー。今日で、結界を壊し始めてから四日目だけど、貴方から見て敵の動きはどう思う?」
屋上には人の気配はない。二月の寒い空気に触れるぐらいならば、ストーブのたかれた教室や食堂で時間を過ごすことは間違いじゃない。学校内だけど、アヴェンジャーは現界した。見られる心配は、ほとんどない。
「動きがなさすぎる。結界を張りなおすのが分かるが、それならばこちらを排除した方が手っ取り早いのは道理。今、少年に突っかかっているというのであれば話は別だが。となれば、別の動きを進めている可能性もある」
アヴェンジャーは私の隣から屋上からの景色を見ている。見上げる斜め上の横顔は冬の儚い光にあてられて良く見えない。無理に顔を合わせる必要はないと、私は手元の昼食に目を向ける。
「結界は囮だと、そう言いたいの?」
「それぐらいは俺に言われずとも君も考えていたことだろう。そもそもが邪道な戦術だ。基本的にプライドの高い魔術師が好んで使うような代物ではない。となれば、マスターがサーヴァントを御しきれていないか、サーヴァントが魂喰いをせねばならないほど戦力として危機感を抱かせるほどであるのか。いずれにせよ、私たちの敵ではない。セイバーと組んでいる今なら猶更だな」
「そうね…。もっとこの件は気楽に考えた方がいいのかしら。結界よりも目を背けさせたい『ナニカ』を探ったほうがいいのかも知れない」
遠坂凛を倒すために結界を張りたい。だが結界は遠坂凛によって晴れない状態だ。その遠坂凛を倒したいが、倒すためには結界が必要…。堂々巡りだ。意味がない。
「だけど…。それが出来ないのが君なんだろう?」
言われて、手元のホットティーから目をあげた。いつの間にか、アヴェンジャーがこちらを向いている。じっと、その紅い瞳に引き込まれた。私を責めることをせず、褒めることもしない。従者は、ただ主人の隣にいる。
「そうね…。――――分かってるわよ、そんなこと」
遠坂凛は魔術師だ。それは私が誇りに思っていることだ。でも私は、どうあがいたって遠坂凛なのだ。
話を変えようと、今朝も見た彼の記憶について聞くことにした。
「ねぇ、アヴェンジャー。『アルト』って女の子に、覚えはない?」
紅い瞳が揺れる。その光の正体を私は知ることが出来なかった。それほど、小さい揺らぎだったが、それでも確かに揺れたのだった。
「私、見たの。貴方と、女の子が抱き合っているところ。多分、貴方の記憶が流れ込んできたのね。しらない貴方には悪いけど、少し視させてもらったわ。どこかのお城かしら。そこには一人の女の子が待っているのよ。貴方の帰りを。私が見たのは、貴方が返ってくるところだったわ。貴方と女の子、アルトと呼ばれていた子が抱き合ってた」
アヴェンジャーを見やる。紅い瞳は、金糸の髪に阻まれている。俯き、右手を胸にあてるその仕草は、何に耐えているものなのだろうか。
「アヴェンジャー?」
「分からない…。だが――――」
ひどく懐かしい名前だ――――――。
そう言った、彼の顔を私は忘れることはないだろう。
◆
丘の上の教会。言峰綺礼は、聖杯戦争の管理役として、聖杯戦争始まっての最大のイレギュラーを解決するべく、手を打とうとしていた。
曰く、最強の真祖―――。
曰く、仲間殺しの吸血鬼――――。
曰く、世界に最も愛された存在――――。
有史以来、裏の世界で常に一目置かれ続けた真祖。それが持つのは、唯一真祖としての欠陥を持たない完全な『朱い月』の後継者としての肉体。故に最強として、常に世界の精霊たる同族の残滓を刈り続けてきた。
強すぎた故に、彼の周りには敵しかいなかった。唯一、彼と存在を同じくした『ブリュンスタッド』を冠する二人の姉妹のみが彼のそばにいた。
第三席の復活―――――。
一度は倒されたはずの真祖『リシュアン=ブリュンスタッド』が再び現界したことは直ぐに裏の住人に知れ渡った。冗談めいたその一報に取り合わない者も多かった。言峰綺礼もその一人である。が、彼自身を良く知る白翼公、黒翼公並びに、メレム・ソロモン、なにより二人のブリュンスタッドが動きを見せたことによってその真実味がぐっと増した。
それらが口々に極東の島国をあげれば、この国の人間の警戒は格段に上がる。元代行者とはいえ、今はただ一介の神父に過ぎない言峰綺礼にも伝えられるほどだ。もしかしたら、彼を知るモノたちが一堂に会する可能性もある。そうなれば、どうなるか。火を見るより明らかだ。二十七祖が四人に真祖が一人。被害は考えたくもない。
しかも、今冬木の街は聖杯という神秘をかけた壮大な魔術の儀式の最中だ。何が起こるか分からない。前回大会で、未曽有の大災害を起こしたモノにそんな劇薬を与えればどうなるか。聖杯戦争を中止すべきなのだろうが、そうはいかない。この時を待っていた人間は大勢いるのだから。そもそも、止める方法などあるのだろうか。
そも、どうして第三席は復活したのか。オリジナルである朱い月も、かの宝石翁に倒されて以来、復活の兆しは未だない。
言峰綺礼は、ここに来て他の誰も思いつかなかった一つの仮説を思いつく。
第三席はサーヴァントとして、現界したのではないだろうか――――。
サーヴァントシステムは、もともと欠陥のある魔術だ。人知を超えた英霊を降臨させることがまず人の成せる業ではない。その不安定な構造式になんらかの異常が発生してもおかしくはない。
60年周期で開催される聖杯戦争が、前回から10年という非常に短い期間で再び開催されたこと。そこから、聖杯戦争が既にイレギュラーを抱えているのだ。
ならば、この突拍子も無い仮説も可能性がないわけではないのだろうか。
では、誰が現界させたのか。
「ランサー」
言峰綺礼の後ろに、青い偉丈夫が現れる。獰猛な獣のような紅い瞳は胡散気に神父を見つめていた。
「今一度答えてもらおう。マスターとサーヴァント。この聖杯戦争にかかわっている人物でこの男は存在したか」
そう言って、一枚の絵を見せる。金砂をちりばめた様な腰まで届く長い金髪。紅い瞳はくっきりとしたまつ毛に縁どられ、右のこめかみから映える一房の銀髪が人目を引く。音に聞く、アルクェイド=ブリュンスタッドに酷似した顔が、そこにはあった。
それを見たランサーは一つ面倒そうに息を吐いた後、己のマスターに答える。
「ああ。学校の屋上であったな。クラスはアヴェンジャー、マスターはあの赤い服着た嬢ちゃんだ」
やはり――――。知らず、神父の口元が吊り上る。優秀だとは思っていたが、よもやここまでとは。魔術師として、マスターとして、彼女はやはり本物であった。かの遠坂の先代、遠坂時臣ももちろん優秀ではあったが。それすらも超える逸材であるのではないだろうか。そう、言峰綺礼の中で遠坂凛に対する評価が上がるにつれて、腹の中の笑みも黒なった。
ならば、いや、だからこそ。容赦はすまい。もとよりこの身に罪悪に苛まれる感性など持ち合わせはしない。神父は厳かに、朗々と謳いあげる。
「第二の令呪をもって命ずる。ランサーよ、己の総てを以ってアヴェンジャーに勝利せよ」
キィン、と言峰の腕が淡く光った後、目に見えない強制力がランサーを縛る。
「おい、どう言うこった。あの嬢ちゃんはアンタの弟子じゃなかったのかよ」
怪訝な顔のランサーに、言峰は白を切る。その瞳にはもはや、感情は含まれていない。
「だからこそだ。この戦い、アレにはそうそうに退場して貰わねばならなくなった。これも、凛の事を思ってこそ、だ。お前はただ、己の仕事をこなすがいい」
「わかったよ。…ッチィ。相変わらずイかすかねー野郎だぜ」
そう言って、猛犬は神の家を出ていく。
――――狙うはただ一つ。己の定めたエモノの喉笛のみ。
◆
「なんですって…?」
「あの、遠坂、落ち着いて――――」
「これが落ち着いていられますかってんのよ!」
「リン、もうその辺で…。先ほど私が四、五時間ほど同じような事を話した後ですので…お気持ちは大変わかりますが」
いつも通り結界を破壊していた私は、セイバーからの電話で作業もそこそこに切り上げた。
衛宮亭に帰ってきた私を待っていたのは、驚くような情報であった。今日早退していた士郎は間桐の家に行っていたらしい。もちろん、間桐が魔術師の一家であることを知りつつも、セイバーも連れずに、だ。それがどんなに無謀であるか。魔術師の心得を懇切丁寧に最近教え始めた私があれだけ口を酸っぱくして言っていたにも関わらず、このヘッポコはノコノコ付いて行ったらしい。それについてセイバーが怒っていたようだが、私が同じように怒るのを見て、彼女の怒りは沈静化したらしい。
ひとまずは、外の寒さにさらされっぱなしだった体をお茶で温める。
「そう。ふーん、で?大層勇敢な衛宮君はなにか持って帰ってきてくれたんでしょうね?」
「う…。…まず、学校に張ってある結界の主が慎二だ。サーヴァントはライダーだって言ってた。長い紫の髪で、目隠しした女性だったな」
―――。やはり、得られた情報はかなり貴重なものだ。入手方法はこの際もうあきらめるしかないとして。
「セイバーは?そのサーヴァント見たのかしら?」
「いえ。私がシロウを見つけたのは一連の事がすべて終わってからでしたので」
間桐慎二という人物の事を考えたときに、まず思いつくのはプライドが高く、鼻持ちならない男だ。その彼の性格上、魔術回路をもたなかった彼がマスターとして大きな力を持つ。となれば大きく出るのは道理ではないだろうか。となると、衛宮君が持ち帰った情報は信憑性が高い。クラス名が分かったのも大きい。これで後二つ。キャスター、アーチャー、アサシン。いずれかが埋めてくる。
「分かったわ。それで衛宮君。他に何かある?」
「ああ。慎二に同盟を持ちかけられた。もちろん断ったけど」
同盟。間桐君が?いや、コイツの場合、体よくつかわれるのがオチね。私はそんなつもり全くないけど、アイツならやりかねない。
「そう、断って正解ね。もしそれを呑んでいたのなら、私は真っ先に貴方を殺していたでしょうから」
情報漏えいもそう。セイバーという強力な駒をやすやす渡すのもそう。全て私の不利にしか働かない。ならばせめて、この手で断ち切るしかない。
「だから、断ったじゃないか。それに俺、遠坂と同盟しているのに後から持ちかけられても困る」
「――――」
「…なんだよ、遠坂」
別に。アンタのそういうとこ、嫌いじゃないと思っただけ。
「で、これはセイバーにも話していなかったんだけど―――」
私が再び間桐君とライダーをどう倒すか悩み始めたとき、衛宮君がそれに待ったをかけた。見ればセイバーも同じように下に行っていた視線を、衛宮君に向けた。
「ライダーと二人で話す時間があってさ。その時に教えられたんだけど、どうやら柳洞寺に一人、サーヴァントがいるらしい」
柳洞寺?あそこは強い霊脈の上に建立されている。当然、寺社仏閣のたぐいだから魔を寄せ付けない結界を張ってある。それは寺を中心に、山全体を覆う巨大なものだ。それを常時展開できるほどに柳洞寺の地下を流れる霊脈は優れている。サーヴァントも英霊とはいえ魔の一部と認識されるだろうから、となればサーヴァントが入り込む方法はただ一つ。「真正面から山門を上り、穴熊を決め込んだか…。なるほど、陣地形成としてはこの上ない場所だわ」
「となれば、当然潜むのはキャスターということになりますね…。シロウ、まだ遅くない。今からでも敵を倒しに行きましょう」
今から?確かにまだ遅くないけど、いくらなんでも性急すぎる。マスターが誰か判明していないし、そもそも本当に居るとも限らない。
「ちょっと待ってくれ、セイバー。幾らなんでも急すぎる。まだ敵がいるとは限らないし、慎二が嘘をついている可能性だって…」
「それならば、それでいい。何をためらっているのです。敵の位置が判明していながら、それを討つことに何をためらう事がある!」
駄目ね。今ここで彼らを失う訳には行かない。バーサーカーと戦うまで彼らには生き残ってもらわなければ、イリヤには勝てないし。
「ちょっと待ちなさい、セイバー。相手はキャスターよ。陣地形成には相手に一日の長がある。地形が悪すぎるし、私たちは今まで時間をかけすぎたわ。今日行ったところで、何も対策出来ない私たちじゃ勝っても次につなげられない。敵はキャスターだけじゃないのよ」
「ですがリン――――!」
その翡翠の瞳が揺らぐ。ギリリと噛み締められた歯は砕けそうなほどだ。
「遠坂の言うとおりだ、セイバー。俺たちは、まだどんな敵か分かっちゃいない。マスターだってしらないんだ。そもそもキャスターかどうかすら分かっていないんだし。今日一日は待ってくれ。どうしてもと言うなら…令呪を使ってでも止める」
「―――――。分かりました、マスター。それがマスターのお考えならば」
そう言って、セイバーは目を合わせずに出ていった。後に残った罰の悪そうな衛宮君に声をかける。
「英断よ。このままじゃやられて帰ってくるのがオチね。いや、そもそも帰ってこれるか。だって貴方の対魔力、相当に低いんですもの。何の対策もしていないのに、あの工房ともいえる陣地は攻略不可能。それが分かったから、貴方も止めたんでしょ?」
「遠坂…。いや、セイバーのいう事も分かるんだけど。新都のガス漏れ事件がキャスターの仕業だっていうのは分かるし、俺だってできれば早くキャスターを討ちたい。でも、キャスターは『柳洞寺』に居るんだ。そして、それを知らせてきたのが『慎二』のライダーだった」
「そう――――。柳洞君がマスターじゃないかって、貴方疑っているのね」
柳洞一成。柳洞寺の寺息子だ。うちの高校の生徒会長をやってる、生真面目な人間。そういえば、衛宮君とは仲が良かったっけ。まあ、間桐君とは繋がりが無いわけじゃないし、可能性もなくはない。魔術回路が無い人間でも、サーヴァントを使役してマスターとして参戦できる。その最たる例が間桐慎二という人間だ。
―――だから私は間桐君がマスターだと今まで気が付かなかった。
「で、どうするの?貴方。もし彼がマスターだったら」
「遠坂、明日一日時間をくれ。それで一成がマスターじゃないかを調べる」
いつになくやる気の衛宮君。友人と言える人間が、非人道的な事をしているかもしれないのだ。彼の心情はよくわかる。
「分かったわ。そちらは貴方に任せる。こっちも、柳洞寺について調べておくから」
「ありがとう遠坂」
「別にいいわよ。それより貴方も寝なさい。明日は忙しいわ。私も、貴方も。念のためにセイバーにはアヴェンジャーを付けとくから、安心しなさい」
「わかった。お休み、遠坂」
「ええ。お休み、衛宮君」
一人、居間に残る。寒さからか、左腕が軋んだ。
目の前のお茶を一口すするが、冷たくて飲めたものじゃなかった。