「―――――。分かりました、マスター。それがマスターのお考えならば」
そう言う事が精一杯だった。シロウの視線が背中を撫でるのがわかる。
そんな目で見ないで欲しい。私が欲しい眼差しは私を頼もしいと、心強いと、信じるものだ。気遣うようなソレは要らない。それがマスター、貴方のモノであるなら猶更だ。ひしひしと感じるシロウの悔念。そのように感じるのならばなぜ、この身に任せてくれないのか。私はシロウの剣だ。マスターの意のままに振るわれるのだ。けして宝物庫の中で埃をかぶるために、召喚に応じたのではない。
最弱と言われるキャスターすらも、私には任せてもらえないのか。
それほどまでに私は弱いか。信用に足りぬか。
このような器では、王という責務を果たすことは不可能であった。事実としてそれを否応がなく認識させられる。
これは私の思い込みか?
そのようなことは無い。現に国は滅んだ。そして今、私はシロウの信頼を得られずにいる。あの心優しい少年ですら、こうなのだ。
認めざるを得ない。やはり私は、間違っていたのだと。
ならば、この手に聖杯を掲げるまで。私は負けるわけにはいかない。
◆
夜の闇。深く、この世界の住人が目を覚ます頃。
深山町の森。その最奥。
「あの美しい金の髪。白磁のような透き通った柔肌。ああ、この腕で抱きしめたい。捕まえたらもう放してあげないんだから」
女の声。高い音は、愛しきものを見つけた歓喜に震える。
それは狂おしいくらいの愛情。
頭まですっぽり覆ったローブの中から、怪しい光は放たれる。
◇
――――――天が、近い。
満天の星空。そう形容するのが最も相応しい光景が、手の届きそうなほど近くに広がっている。ここまで間近に星を眺める事は久しぶりだ。
爛々と照らし出す月はまるで色を変えた太陽のようで、淡いはずの月光は確かなまぶしさをもって足元の草原を映し出していた。
白い花の丘の向こうには、大きい月が見える。これほど天に近い土地はそうそうないだろう。
そういえば、アイツは月が好きだっけ――――――。
神々しくも怖ろしいその姿。かの宝石翁は、落ちてくる月を砕いたという。月を落としたのは原初の一。終わりをもたらす絶対存在。それは、自然の触覚。世界の精霊。今でこそ吸血鬼としての側面が強いが、私の家は宝石翁に連なる家として少しばかりそれらに対しての言い伝えがあった。
真祖の吸血鬼。この世界をかつての姿、真世界に戻す役割を担った存在。その雛形たる存在が、宝石翁に敗れた原初の一。その存在そのものともいえる月。
いやというほど見せつけられるその巨躯。今は純粋な賛辞もなりをひそめて、私の中には恐怖心が大きく育つ。
そういえば、アイツは月が好きだっけ――――――。
――――本当、に?
――――こんなものを好きというヒトは、果たして居たのだろうか。
私が言う、アイツとは誰の事であったか。
そのようなヒト、私に覚えはない。
ならば、これは夢だ。記憶の残滓を見ているに過ぎない。
夢だというなら、この思考は無意味だ。
全ては夢。幻の世界には何も残りはしない。
知らず、私は城の中に入っていった。重厚な扉が独りでに開き、黒々とした口を開いている中に私はためらいもなく飲み込まれた。体が一人でに動いていたというのもあるが、どうやったって、夢なのだからという思考がこびりついて離れていなかった。
窓のない部屋。あれだけ外で朗々と光を放っていた月の姿は望めない。
城は停滞している。
そう私が確信するには僅かばかりの時間しか必要なかった。無音の空間に、私の足音だけが響く。城は死んだ。核となるヒト達が消えたからだ。その理由は私には分からないけど。
中庭に足を運ぶ。
草木は死に、噴水は枯れていた。
「――――珍しい客人もいたものだ。この城に来ることはそれ相応の力が必要だというのに」
どこか聞いたことのある声に振り向く。これは誰のものであったか。今の私にはそれを知る必要はないと切り捨てる。金糸を編んだかのような長い金髪に、病的なまでに美しい紅い瞳。白いドレスを纏ったその姿は、神々しい。これほどの存在を忘れるはずはない。そして、彼とは初対面のはずだ。
だけど、私にはその姿を見てもそれが普通であるようにしか見えなかった。目の前の存在が隣に居る事、それを遠坂凛は普通だと認識している。
「こんばんは。なんでここにいるのか私にもよく分からないわ。出来れば、帰り道を教えて欲しいのだけれど」
「ふむ。さっきはああ言ったが、ある意味でおぬしは此処に最も近い存在か。なにしろ、奴と繋がっておる。安心するがよい。じきに目も覚めよう」
「…貴方、一体何者?」
「それを私に聞くか?城に入られたと来てみれば、自らを確立できん小娘一人。このような稀有な状況で先の回答を導き出せんようでは程度が知れておるの。いや、脅威になり得んからこそ、アレはこのような矮小な者と過ごし、あまつさえ臣下の礼を取っているのか」
「―――――むっ。なによ、初対面なのにずいぶんと言ってくれるじゃない。アンタが誰だか知らないけど、次会った時までにそこんとこ直しておかないとぶん殴るわよ」
失礼な物言いに私も流石にカチンとくる。コイツ、何様だ。此方は相手を知らないのに、向こうは私を知っている理不尽。
「ふっ―――。そういうところだという事に気が付かんとは…。おぬしは知らぬが私にとっては初対面でも何でもない。それどころか毎日顔をつき合せておる」
「なんですって。正直アンタみたいな奴、一度見たら絶対忘れないと思うけどね。やっぱり次にあったら殴る」
「―――はたして、その矮小な身で何が出来る、とは思ったが。不遜なその物言い、おぬしの系譜を見たが理解できるの。奴の傘下に属する者なら、この身を怖れることはあるまいて。なにせ、我が世界を切り裂いた者の庇護の下なのだからの」
やっぱりコイツが言っていることはよく分からない。でも、引っかかることが一つ。私の系譜。トオサカは宝石魔術の一門だ。そして先ほど言った『奴』。これが誰なのか分かれば少しは紐解ける気がするのだが。
ふいに、目の前の存在が天を仰ぐ。そして、こちらを見やった。
「戯れもここまでだの。じきに日も昇るであろう。目覚めるがよい、小娘」
そう言われると、急に瞼が重くなるような感覚に陥る。
「もう会うこともないであろう。我が子は優しいのでな。アレは何も言わんであろうが、あまりの無理強いは許さぬぞ?それと―――――――」
―――――――――――ゼルレッチに伝えておけ。
次は負けぬ――――――――。
いつか見た、紅い瞳に抱かれながら、私は眠る。
最後に見たのは、その紅い瞳に似た、血の様に朱い月――――――。
◆
「――――――――」
夢を、見ていた。気がする。
気がするだけで、よく分からない。覚えていないためか、異様に胸につっかえたものが取れない。もやもやする。
ここまで引っかかる内容ならば、もう一度見たいものだが、一体どのような内容なのだろうか。全く見当もつかない。不快感は決して、朝特有のものではないことは理解できた。
「おはよう、マスター。調子はどうだね」
従者が、現界したのちに声をかけてくる。すでに見慣れたはずのその紅い瞳が、私にとってどうしても受け入れがたいものになっていた。
「アヴェンジャー」
なにかな?と聞いてくる声を無視して、腹に軽く拳を振るう。何を思ったか、彼は私の拳を素直に受け入れた。
「ごめん。でも、どうしてもやっておかなきゃいけないような気がしてたから」
ケホ、と小さく息を吐きながら、そうか…とつぶやくアヴェンジャー。もうどうしようもなく、悪い事をしていると思ってるけど、私は少し満足だ。
いい度胸だな、小娘―――――
首筋をゾワリと撫でる風が、そんな響きを運んできたのは、聞かないふりをした。
「そう言えば、昨日のセイバーの様子。どうだった?」
「気落ちはしていたが、自ら特攻を仕掛けに行くようなことはしていなかったな。部屋から出ては来なかった」
そう、セイバーは留まったのね。最悪、衛宮君の令呪一つとセイバーやアヴェンジャーの負傷すらも考えなければならなかったから、結果としては最良だろう。
「だが、彼女の言わんとしていることは私にも理解ができる。君はいつまでキャスターをのさばらせておくつもりだ?それに、昨日の夜にサーヴァントがこちらを索敵しに来ていたな。アサシンかは分からないが、ずいぶんと慎重に行動をしているように思える。クラス名は分からない。だが、いつ仕掛けてきてもおかしくはないな。特に今、セイバーとの意思疎通がうまくいってないこの状況を好機と見るかもしれない」
「そう…。私だって、別に戦争を長引かせようとは思ってないし、キャスターを倒したくないわけじゃない。ただ、それで私たちが負けるわけには行かないってコト。でもそうね…。昨日衛宮君が情報を仕入れてきてくれたわけだし、本腰入れてもいいかもしれない。言い方は悪いけど、それでセイバーも理解はしてくれると思うし」
「――――――」
そのままアヴェンジャーは消えた。これ以上は何も話す必要が無いと判断したのだろう。さぁ、もう起きなきゃ。急がないと学校に遅れてしまう。
居間には、桜の姿はなかった。衛宮君とセイバー、後は藤村先生が和食を囲んでいる。
「お、遠坂。おはよう」
「ええ。おはようございます。衛宮君。申し訳ないのだけれど―――」
「牛乳だろ、ほら」
琥珀色が、優しげにこちらを見ながら、コップに並々と注がれた牛乳を手渡してくる。用意がいいじゃないの、と思う反面、ボケボケしたコイツにこれだけ行動が読まれていることに少し腹が立つ。
「…ありがと」
本当は豪快に一気飲みしたかったところだけど、先生がいる手前、そんなことはできない。おとなしくコクコクと飲みながら、朝の風景を確認する。まずは士郎。セイバーとの関係もあまり悪くはなっていないようだ。まぁ、この男がそれほど嫌われるというところが想像出来はしないのだが。次に藤村先生。毎朝の食事を士郎にねだりにやってくるのはおかしいとは思うが、それもまあ家主が許しているのだから問題はないだろう。念のために魔術的な眼でも視たが、とくに何もかかってはいなかったようだ。洗脳、暗示の類は使う人間はこれ以上なく隠密性に富んだものを使う。さりげなく触れてみることまでしたので、まず大丈夫だろう。
士郎が話してくれたが、桜は朝ごはんを作って食べた後、弓道部の朝練に行ったようだ。すぐ前の事の用で、どうやら私とは入れ違いになったらしい。
あの子が一番危ない様な気もするが、それは私が入るべき領域ではないことは分かっている。牛乳を飲みきった私は、言われるがままに席に着き、そのまま朝食に加わった。
「そう言えばね」
ふいに思い出したように、藤村先生が切り出す。
――――――不審者が出たの。で、うちの美綴さんが襲われちゃって。
それを聞いた瞬間、彼の琥珀色の目が変わった。マスターの豹変に呼応して、セイバーもその顔をあげる。
「先生、美綴さんは大丈夫なんですか?」
私が問うたその答えに、先生の首は縦に振られた。綾子は武芸一般に精通した子だ。並みの不審者では返り討ちにあってもおかしくはない。となると、相当の実力者。
ライダー。
ありえない話ではない。ライダーのマスターは間桐君だ。一つの考えに固執するのは良くないが、これは可能性の一つに考えていい。ますます、彼は早急に倒す必要がある。今夜あたり、仕掛けてみよう。
私は驚いている。戦争が始まって以来、今ほど怒りを覚えたことは無い。それは、私の友人ともいえる彼女がやられたことに対しての怒りだ。それほどまでに爆発させるだけの感情を、学校生活に残していたこと。遠坂凛はそれに驚いていた。
一般人に魔術を晒す。
冬木のセカンドオーナーとして、遠坂のマスターとして、ソレは許すわけにはいかないのだ。
◆
「じゃあ、おねぇちゃんはもう行くけど、士郎、遅れちゃだめだからね!」
「分かったよ藤ねぇ。また後でな!」
藤村先生がそう言って学校へと出かけていく。居間には私と士郎、セイバーに、いつの間にか現界していたアヴェンジャーがいる。
「さて、士郎、セイバー。今日の夜あたり、仕掛けましょうか。狙いはライダー。マスターは間桐君。放課後に結界の基点破壊と、ライダーの撃破。いい?士郎。タイムリミットは放課後まで。それまでに懸案事項を片づけておきなさい。セイバー。貴女は放課後になったらこちらに来てちょうだい」
「分かった。それまでに、一成の事はなんとかする」
「分かりました。英気を養っておきます」
二人とも特に問題はなさそうだ。期待できそう。アヴェンジャーの方を向くと、目を閉じて伏していた。表情は穏やかで、こちらも特に問題はなさそうである。
「なら、もう行きましょう。今日は忙しくなりそうね。じゃあセイバー。また後で。行くわよ、士郎」
「ちょ、遠坂引っ張るなって!じゃあ行ってくるな、セイバー」
「ええ。ではまたのちほど」
快晴だ。冬の空気だが和らいで、まるで春が来たかと思うほどに。もしかしたら帰って来れないかも知れないのに、私の中にそんな不安は一切存在しない。気力は充実、魔力は十分。負ける要素なんかどこにもないんだから。
◆
昼休みになった。俺は、いつもの日課となっている遠坂との昼食場所である屋上ではなく、生徒会室に顔を出す。
「邪魔するぞ」
声をかけて扉を開く。
「お。今日はここで昼食か、衛宮」
中には、一成が一人きりで昼食をとっていた。俺にとっては都合がいい。同盟を組んで以来、ここ最近はずっと遠坂とご飯を食べていたけど、その前まではこうして生徒会室で昼食をとることも珍しくはなかった。
「相変わらず忙しそうだな。なにか俺にも手伝えることがあるなら言ってくれ」
一成の机には、弁当の他に資料がひろげられていた。大方、こうして昼休みの間でも仕事をしないと進まないのだろう。これは、ちょっと言い出せる雰囲気じゃない。しばらく様子を見るとしよう――――――。
そして、いつの間にか、チャイムが鳴っていた。
「はっ――――――――!?」
気が付けば、昼休み終了五分前――――!
「?どうした、衛宮。なにかひらめいたのか?」
一成がさっきまでの事を言ってくるが違う。申し訳ないが、これ以上は付き合ってられない――――!
「ひらめきはしないが、思い出した。のんきに弁当喰ってる場合じゃないんだ」
「?」
首をかしげる一成をしり目に、いそいそと弁当を布巾でくるむ。
準備は終わった。じろりと、一成の顔をみる。寺息子の目は、じとっとこちらを見ていた。
「…衛宮。先に言っておくが、金の無心はするなよ。ねだられようが、無いものはない」
一成の言葉を無視する。がたん、と椅子から腰をあげた。
授業まで、もう時間も無い。はぁ、と一つ深呼吸をする。
「衛宮?」
「一成。何も訊かずに上着を脱げ」
用件だけを、口にした。
「な、なんだと――――――!?」
一成には珍しい大声は、生徒会室に響いた。きっと廊下まで聞こえているに違いない。だけど、今はそんなことにいちいち気にかけている場合じゃないんだ。
「だから、制服を脱げ。上着だけじゃなくてシャツもだ。裸じゃないと、意味がないからな」
「っ―――――ななな、なんだ貴様、正気か!?最近あの女狐と一緒におるからといってあてられたか!?」
顔を真っ赤にした一成がそんなことを言ってくる。遠坂は…関係、この場合はあるんだろうか?いや、そんな事よりも。
「いいから脱げ!放課後になったら手遅れなんだからっ!」
ええい、と一斉に掴みかかる。
「うわあ――――!ええい、止めぬかたわけ、貴様それでも武家の息子か―!」
抵抗するな!気持ちは分からないでもないけれど、コレは命に係わるんだから―――――!
「――――――よし」
結論。一成の体に令呪はなかった。
念には念を入れて調べたが、ともかく令呪らしきものは一切なかった。
「よかった。いや、ほんと良かった」
うんうん、と一人頷く。
「何がいいものか――――!貴様、ここまでやっておいて何もないとはどういう事だ!」
「…悪かった、一成。事情は話せないんだが、どうしても放課後までに調べたい事があったんだ。それも済んだし、もう何も問題ない」
一成がマスターでなかった。なら、今日は慎二を止めるだけでいい。一成に、頭をさげて謝罪する。
「むっ―――――う、うむ。悪い事をしたと思うなら、謝罪の一つはあってしかるべきもの」
腕を組んだ一成は、そのまま難しい顔をして黙り込んだ。
「……」
一成がマスターではない。それは喜ぶことだ。だが、そうなると柳洞寺にいるキャスターのマスターは誰なのか。
「衛宮。昼休みももう終わる。教室に戻るぞ」
思考の波を、一成の声で遮られた。生徒会室を後にする。
一成がマスターでなかった安堵感。それと、未だ手がかりのつかめないキャスターのマスターへの焦燥感。俺の心はぐるぐるとまわっていた。
◆
放課後。俺は遠坂のいるA組に走っていた。あのソリが合わない二人だし、血気盛んな遠坂は直ぐに突っかかるかもしれない。
なんとかその前に留めなければ。俺が遠坂に一成の事を任されている以上、責任は俺が持たないとしょうがない。
教室内はざわついているが、廊下にはまだほとんど生徒の姿は見当たらなかった。
これならすぐに遠坂と合流できる。そう思っていたのだ。
「え―――――――――――?」
一瞬、自分の目がおかしくなったのかと思った。
視界が朱い。
途端に揺らぐ世界。
めまいは吐き気と共に、唐突にやってきた。
「は――――――あ」
胃ごと戻したい気分に襲われる。
逆立ちしたかのように、頭に血がたぎる。圧迫された頭が痛い。
体が熱い。なのに肌寒い。周りの気温など、急激に変わるはずもないのに。
あれだけ騒がしかった教室から、音が消えた。
「っ――――――なんだよ、これ―――――――!?」
口に出した疑問の答えは分かっている。これを防ぐために、俺と遠坂は今まで動いていたのだ。
足がもつれる。たった一クラス分の距離を歩くことができない。
「あ―――――」
喉が焼ける。肺が熱い。炎の中で呼吸しているよう。
少しでも空気を得ようと、壁に寄り掛かったついでに窓を開けた。
「な――――――」
天が赤い。まるで血を垂らしたかのように、学校という空間が赤色に彩られていた。
本能的に理解する。
これは、そういうものなのだと。
これでも、遠坂と自分で妨害していたはずだ。もし仮にこれが完全なものであったなら、今、自分は意識を失っているだろうと思う。
弾かれるように窓から離れる。そのまま、もつれ込むように目の前にあった教室に入った。
「――――――」
それが、現実であった。自分と遠坂があれだけ頑張っても、この惨劇を止めることはできなかった。
生徒は地に伏せ、荒く息をつき、手足は痙攣していた。
息はある。みな、救いを求めようともがいている。このままなら、立ち上がれないまま溶けてなくなるのだろう。
事実、足元の生徒の皮膚は、溶けてただれ始めている。
「――――――」
知っている。見たことがある。
この光景を、衛宮士郎は体験したことがある。
「――――――やめろ」
これは、この地獄は誰が引き起こしたものか。
前の時は分からない。
だけど、今の状況を作り出しているのは誰だか知っている。
「――――――やめろ」
止めたかったのだ。こうなる前に。
なぜなら、この地獄の恐ろしさを知っているのだ。
故に、今、俺の体は、動く。
支配しているのは何か。
怒り。自らに対して、そして犯人に対しての怒り。
動かしているのは何か。
信念。衛宮士郎が、衛宮士郎であるためのもの。
駆け出した。体は動く。
早く遠坂と合流しなければ。