「ハァ、ハァ―――――!」
息は切れ、明らかに疲労がピークにも達しているのに、間桐慎二は走り続けていた。
目まぐるしく変化していた展開に、若干おいていかれながらもついていけているのは、彼の代で既に絶えたとはいえその身体を流れる魔術師の家としての血の恩恵か、はたまた生に執着する動物の本能か。
いきなり自分のサーヴァントであるライダーの首が飛んだかと思うと、少し経った後に浮遊感に襲われ、そのまま地面へと叩きつけられた。混乱する頭は、強かに打ち付けた肩口の痛みで鈍る。平和な時を過ごしてきた彼にとってそれは耐え難いものであったが、自身に危機が迫っていると分かるや、身体に鞭打ってこうして走っているわけである。
「何だよあれ――――!ライダーの奴、勝手に死んじまいやがって!僕はそんな事命令していないぞ。衛宮もだ!遠坂と組んだ上にあんなサーヴァント使いやがって!この僕があんなサーヴァントしか使えないのに、衛宮の野郎、チートしてるな!アイツゥ!」
もともと走れる方ではないし、そこまで運動に打ち込んでいない慎二にしてみれば、こうしてネズミのように駆けずり回らないといけないこと自体がすでに許しがたい事だ。それでも、周りへの不満をまるで呪詛のように口から吐き出すことでなんとか足は止めなかった。
聖杯戦争に敗れたマスターは、令呪がある限りサーヴァントを使役する権利を持つ。それが自身が召喚したサーヴァントで無ければならないという制約はない。マスターだけ失った、他人が召喚したサーヴァントと契約して、再び参戦することは可能だ。
故に、サーヴァントを撃破されたマスターは殺されることがほとんどだ。また、サーヴァントの現界を保っているマスターを、従者を無視してあえて狙いに行ったマスターも、過去の聖杯戦争には存在した。
ライダーを撃破された慎二は、命を狙われる可能性が高い。仮に彼が正規のマスターでない事を説明しようと、問答無用で殺されるだろう。すでに彼はライダーを使役しているのだから。そんな彼のいう事をいちいち素直に聞くのは、衛宮士郎くらいであることは彼の頭も理解していた。
人一人が、目の前で鮮血を吹き散らしながら首を刈り取られて死んだ。
既に足音はなく、並み居る英霊には遅すぎる逃げ足にもかかわらず未だ慎二は生きている。追手はいないのではないか、という考えが彼の脳裏にチラつくが、あのような光景を目の当たりにした後では、走る足を止めることなど慎二にはできないでいた。
―――――そんな、逃走劇もようやく終わりを迎える。
最後の長い坂を上りきった丘の上には、神の家が荘厳にたたずんでいた。
聖杯戦争の管理役。神父が居る教会に駆け込んだ敗者は、令呪を手放すことと引き換えに身の安全を保証される。他にも、魔術の秘匿を逸脱した戦闘行為を続けるものに制裁、新たなルールを制定することが可能で、そのために教会内は戦闘行為は禁止されている。プライドの高い魔術師に、それを破る者がいないからこそ、神の家は救いの手を差し伸べる事が出来た。
重厚な扉を押し開き、中に一歩入ったところで、崩れるようにして赤い絨毯の上に座り込んだ。心臓は早鐘のように頭に直接鳴り響き、喉は焼けるように熱い。吹き出した汗を吸ったTシャツが背中に張り付いて気持ち悪かったが、そんなことも気にならないほど慎二は充足感に包まれていた。
安堵と共に、息を次第に深く、伸ばしていく。心臓はまだガンガン脈打っていたが、それでも呼吸は落ち着いた。
夜の教会は、わずかな光が灯っているだけであった。元々厳粛な空間であるここは静寂さが支配している。落ち着いてきたとはいえ、まだ荒い息を吐く彼は火を見るように異端であった。
ぎょろぎょろと視線を這わせる。礼拝堂は静寂に包まれている。膝をついたその恰好は、まるで命乞いをする乞食の様であったが、今の彼には正しい。
「戦いが始まってから客人は途絶えていたものでね。神の家に何か用かね、少年?」
「――――――」
いつの間に現れたのか。その声に導かれるように、まるで枯れ木の様な疲れ果てた体に鞭打ち、間桐慎二は立ち上がった。
彼の血走った眼は祭壇に立つ神父を見上げている。
「お、お前が管理役だなっ!いいから僕を守れよ!僕は人間だぞ、あんなのに勝てるはずないじゃないか!」
口からでたのは保護を申し出るしゃがれた声。それにしては少々聞き取りづらく、また謂れのない罵倒が滲んでいたために、神父は少々眉をひそめることとなった。だが、それでも規則は規則だ。管理役は聖杯戦争の参加者から保護する義務がある。
「―――――では。君は戦いを放棄するのか」
その厳かな声に、彼は熱湯をかけられた様に反応する。
「あ、あたりまえだ、僕に死ねっていうのか…!?サーヴァントがいないんじゃ、殺しようがないし、マスターなんてやってられない…!僕は普通の人間だ。衛宮みたいにチートしてるんじゃないんだから、僕は被害者だろ!?そういうのを狙って、殺しに来るのなんか不公平じゃないか…!」
「―――――――」
その訴えに、神父は答えることは無い。ただその無機質な眼で乱入者を捉えている。その視線の奥を感じ取ったのか。取り乱すように、彼は言った。
「――――なんだよお前!僕に何か文句でもあるのかよ!まさか、そんなこと認められないって言うんじゃないだろうな…!?」
「意見などない。それに私には君を保護する義務がある。―――歓迎しよう、君は今回一人目の放棄者であり、前回にも一人いたがあれからは十年も経っている。丁重にもてなそう」
「え、なんだよ。リタイアしたのは僕だけだっていうのか。――――くそ、みっともない。こうなったのもおまえたちのせいだぞ…!ライダーなんてもの掴ませやがって、衛宮のサーヴァントと比べるとあまりにも不公平じゃないか!」
やり場のない怒りを、彼は礼拝堂の机にぶつける。物音がない教会では、それがいやに大きく響いた。
そんな敗者の姿を、神父は興味深そうに見る。無機質だった瞳には確かに感情が浮かんでいた。口元も少し緩んでいる。それは、初めて彼の前で神父がみせた人間味であったが、間桐慎二はそれに気が付かない。
「――――では、ライダーは役に立たなかった、と?」
「そうだよ!僕があれだけしてやったのに、すぐ死んじまいやがった。他のサーヴァントならこんなことにはならない!…準備だってちゃんとした。だっていうのにアイツら揃って邪魔しやがって…!ライダーだって僕の努力を無意味にしやがった!…僕のせいじゃない。サーヴァントの質の差なんだ。それをアイツ――――勝ち誇った顔で命令しやがって!」
そして、彼は崩れ落ちる。夜通し走りっぱなしだった足は既に限界を迎え、立っているのもつらかった。震える脚に、己の無様さを嫌でも感じさせられる。忌まわしげに床を叩くその姿に、無機質に眺めるものと、怒りを感じるもの。
怨嗟の声は止まらない。神の家が憎しみの響きで染まっていく。
それを霧散させたのは、コツン、という神父の足音であった。近づいた彼はゆったりと敗残者の肩に手を置く。
「――――つまり。君にはまだ、戦う覚悟があるのだな」
この場に彼の弟子が居たら、余りの気持ち悪さに慄いていただろう。この上なく優しい声で、神父は敗残者に救いの手を差し伸べた。
「え―――――?」
間桐慎二には神父の言葉が理解できない。間抜けを見ながら聖職者は口元に慇懃な笑みを浮かべたまま、諭すように続けた。
「君は運がいい。ちょうど一人、手の空いているサーヴァントがいる。君さえよければ、そのサーヴァントを使役し、再び戦いに戻ることも可能だ。無論、その力は私が保証しよう。彼は、いいサーヴァントだ」
そうして、神父は救いの手を差し伸べる。状況が呑み込めてきた慎二は、その顔を再び歪めていく。
「…じゃあ、もう一度僕は戦えるのか?」
然り、と悦びを隠すことなく神父は問う。
「さて、君はどうするのかね―――――?」
間桐慎二にとってそれは愚問だ。彼の心は既にここにはない。あの女騎士を連れた衛宮士郎と、遠坂凛をどういたぶるかを考えている。是非もない彼は、一も二もなくうなずいた。
「では、彼を呼んで来よう。そこにかけて待ちたまえ」
そう言って、神父は礼拝堂の奥に消えて行った。間桐慎二はおとなしく、礼拝堂に備えられた長椅子に腰掛ける。そのまま疲労で、机の上に突っ伏した。それでも、腕の中の顔は悦びにあふれている。もう一度、戦えることに。心なしか、疲れも吹き飛んだ。
―――カツン、と固い床を叩く足音。来たか、と間桐慎二が顔をあげようとした時だった。
「にいさん」
予想だにしないその女の声に、背中がゾワリと逆立った。後ろを振り返る。そこには、久しく家で見なかった顔があった。なんてことは無い。妹の声に自分はビビったのかと思うと、ふつふつと怒りが少年の胸に湧き上がる。
「おい、桜!おまえ、家にも帰らないでどこ行ってたんだよ!それに、おまえが召喚したサーヴァント、なんの役にもたたなかったじゃないか!僕がせっかく使ってやったのに、全部無駄にしやがった!おい桜、聞いてるのか!」
自分の言葉に、何も反応しない妹をみて慎二は訝しがる。前なら、こうした自分の言葉には煩わしいくらい震えていたはずだ。それが、今はどうだろうか。無感動にこちらを見ているだけだ。
「ええ、聞こえてますよ、にいさん。―――言いたいことは、それだけですか?」
「おい、僕に向かってその口のきき方は――――」
なんだよ、と。更に言葉を吐こうとして、慎二の口は止まった。
待て――――。なぜ今自分は震えている?疲れか。いや、さっき少し休んだはずだ。
では妹から感じるこの圧力は何だ?――――まさか、気圧されているとでもいうのか、あの桜に。
そもそも。――――自分の妹は、こんな紅い目をしていたか?
――――紅い、血の様な、視線。
「ヒ――――」
それは目の前のものを何とも思わない目。自分と同じ人間だとも、蹂躙すべき相手だとも思わない、単なるゴミに向けられるもの。
「私、言ったじゃないですか。ライダーを大事にしてくださいって。先輩とだけは、戦わないでって。にいさんも、約束、してくれましたよね。――――でも、にいさん、学校で先輩と戦いましたよね。ライダーに、先輩の事襲わせましたよね。ライダーの事、ちゃんと分かってくれませんでしたよね」
もう、慎二には妹が何を言っているのか分からない。ただ、ここに居てはいけないと神父が消えた礼拝堂の奥を目指して走る。
「え――――――」
が。急に視界が低くなり、そこから動けなくなった。足を動かしても、空を切って感覚はない。見渡せば、いつの間にか現れた『黒』に、間桐慎二の身体は沈んでいく。
そうこうしている内に、身体はどんどん飲まれていく。まともな床には手が届かず、『黒』には感触がなく突っ張ることはできない。
「桜!おい!僕を助けろ!くそっ何だよこれ…!神父は何やってんだ!」
後ろを振り返り、先ほどまで逃げていた相手に助けを求める。それを聞いてか、少女は『黒』の中に入ってくるが慎二を助けようとはしない。ただ無感動に、立ったまま見下ろすだけだ。慎二の身体は、首まで沈んでいる。少女は、それでも動こうとしない。
「さ、桜、僕が悪かっ――――――――」
叫びもむなしく、間桐慎二は『黒』に飲み込まれた。
―――――――にいさんが、悪いんですよ。
神の家に、再び静寂が訪れる。
◆
家に帰ってきた私たちは、そのまま夕飯をとった。藤村先生は結界の影響を受けたので今日は入院している。士郎がお隣の藤村先生の家に、そのことを報告しに行っていた。一仕事終えた為か、セイバーは一段と食欲をまし、さっき炊いた筈の炊飯器の中身を空にしていた。いつもあれだけ食べているのに、いつもの量では満腹になっていなかったらしい。そんなことに私は戦々恐々、衛宮君は、セイバーは頑張ってくれたし、いやでもこれが毎日続くと…などと葛藤している内に、夕飯を終えた。士郎がお茶の準備をしてくれているのを、私とセイバーはゆっくり待っている。
「おまたせ」
出されたお茶をそのまま、ゆっくりとすすっていく。胃に暖かいものが流れ落ちるのを感じるのは、リラックスしている状態なら心地よい刺激だ。ほっ、と息をつく。
「さて。落ち着いたところで今後について話しましょうか。ライダーのマスターは間桐君。学校にあった結界は破壊した。あれだけの規模になると張りなおすのに時間がかかるから、もう心配する必要はないわ。さっき綺礼が一応のフォローは終わったって言ってたし」
携帯電話に、綺礼から着信があった。冬木のセカンドオーナーに、教会の監視役として報告という名目で。…アヴェンジャーに電話に出てもらったけど。その後ちゃんと代わって話はできたし、状況把握もした。うん、問題はない。あれだけの一般人を巻き込んだ大事であったのに魔術的な秘匿に問題なく処理してしまえるのを見ると、あんなんでも、一線で活躍した代行者であったのは事実であるらしい。
「ならばリン。早々にライダーを討つべきです。一対一の技量ならば、あの騎乗兵にわが剣に負けはない。敵の素性が知れた以上―――――――――っ!」
セイバーがそこで言葉を切る。さっきまでのほほんとしていた顔は既に戦場のソレに変わっていた。その様子を見て、士郎があたりを見回し始める。気が付けば、私に隣にはアヴェンジャーが現界していた。
「―――――敵が来ます。シロウ、リンも気を付けて」
「ここじゃ戦えない。中庭に移動すべきだ」
セイバーとアヴェンジャーがそう言うや否や、屋敷がけたたましい鐘の音に包まれた。衛宮邸に設置してある結界が反応している。それに急き立てられるように、私たちは縁側から中庭に飛び出した。全員が背中を合わせ、8つの目で四方をにらむ。
そして、家じゅうで鳴り響いたその鐘が、消えた瞬間であった―――――。
「よう。お取込み中か?悪いが、こっち相手してくれや」
――――なにが来たのかはもう明白だった。屋根の上に現れたこの男は、その軽口に似合わない鎧で身を固めている。闇夜に紛れる濃青の鎧、血の様に紅い槍。それを自らの半身として、その身を英霊までに昇華させた存在。ここに居るのはすなわち―――――――。
「ラン、サー」
「へっ。嬢ちゃん、会ったのは二度目だな。ワリィが、そこの優男、ちょっと貸してくんねえか」
うちの従者が目的らしい。でも、何が狙いなのか分からない。それを見極めてからじゃないと、とてもじゃないけど戦闘なんかできない。
「どういうつもり?いきなり乗り込んできて、ずいぶんな挨拶ね」
「どうもこうもねぇよ。これでも随分と無理をして、こっちはダマしダマし待ってたんだぜ?嬢ちゃんの処のを潰して来いと言われたんだ。特大のプレゼント付きで、な。まぁ待たされたことには謝ってほしいわけじゃない。俺にだって目的ってもんがある。今回はそれに一致したからな」
くるくると、肩に担いでいた魔槍を回しながらランサーは言う。私にはそれが今にも飛び掛からんとする猛獣を押さえつけているように見える。この場合の猛獣とは何か。深紅の魔槍、いやそれとも―――――。
「おっと、悪いがそこの嬢ちゃんには黙っててもらうぜ?神聖な騎士の一騎打ちだ。割って入るのはご遠慮いただきこうか」
槍をセイバーに向けながらランサーは言う。…これで完全にランサーの望んだ形に持ち込まれた。セイバーはあんなこと言われたら絶対に引き下がる。
「――――もはや仕方ない。今回は此方の負けだ、リン。オレが戦う以外にないだろう」
隣で腕を組んだアヴェンジャーすらもそう言う。私の意見などお構いなしに、状況がどんどん進んでいく。
「お前の相手は、オレでいいんだな」
そう言いながら、アヴェンジャーは一歩進み出た。それを見るとランサーはあの獰猛な笑みを浮かべ、軽やかに飛び降りてくる。
「やっとやる気になったか」
「すまない――――待たせたな」
いつの間にか、背中合わせだった陣形は崩れていた。セイバーは完全に観戦を決め込んでいるし、士郎はそれに引きずられて安全な場所へと追いやられている。アヴェンジャーの背中が、少しづつ遠くなっていく。
「アヴェンジャー!」
私が絞り出した声に、彼の黒い背中が止まった。そのまま振り返り、こちらに歩いてくる。彼が近づいてくるにつれ、私の視線は上がっていく。その首の後ろに感じる感触が妙に懐かしくて、何故か不安で。
「リン」
その細く白い喉から、この数日でよく聞くようになった音が聞こえる。
「君は聖杯を取るべき人間だ。それにこうして戦うのはオレの仕事だし―――なにより、君が召喚したサーヴァントだ。オレを信じろ」
そう言い、彼は私を見つめる。彼の深紅の瞳に、私の不安そうな顔が映る。本当に、どうしちゃったのだろうか。いつもの強気な遠坂凛は、目の前の二つの真っ赤に燃えるルビーにはいない。私が浮かべる困惑をどう捉えたのか。アヴェンジャーは、私の頭を一撫でして、ランサーの方に向き直った。
「――――――っ!令呪に告げる…!」
知らず、私は右手を突き出していた。魔術回路がうねりをあげる。どうしてこんなことしようと思ったのか私にも分からない。でも、口は止まらない。紡ぎ出した言葉はそのまま流れ続ける。
「――――聖杯の規律に従い、この者、我がサーヴァントに命ずる!」
声を発する。アヴェンジャーは振り返らない。ひどい奴だ、と思う。こんなに心配しているのに、気にかけもしない。
「アヴェンジャー!
…絶対に、生きて帰ってきなさい――――!」
淡い光を発して、令呪の一角が消える。契約の魔力がアヴェンジャーへと込められていく。それに反応したのか。アヴェンジャーの歩みが、止まった。
「行ってくる、リン―――――」
『此方を振り返る横顔』
私がその顔を見たかったのは、一体いつの事だったのか――――――――。
◆
「で、今度こそいいのか?」
そう言いながらランサーは人差し指でアヴェンジャーとの間合いを計っている。二人の距離はおよそ10メートル。どちらも踏込みには絶対の自信があるから、こんな距離はもう間合いの中でしかない。
ランサーが徐に槍を地面に突き立てる。
「ARGZ、NUSZ、ANSZ、INGZ」
四隅にルーンを刻んでいく。ランサーが刻んだルーンは、アルギス、ナウシズ、アンサズ、イングズ。魔術的な働きは感じられない。ランサーはその陣から一歩も動くことなく、ただ槍を引き抜いて、アヴェンジャーに差し向ける。ケルト神話、光の御子クー・フーリン。彼が属した赤枝の騎士に伝わるあの陣は、たしか―――――――
「
「この陣を見た戦士に退却は許されない、か――――――」
「やっぱり知ってやがったか。そう、これが――――我ら赤枝の騎士に伝わる、一騎討ちの大禁戒だ」
それ以上の言葉は不要、とばかりに槍を一つ振り払う。と、ランサーの動きが止まった。
「いや、誉れ高い騎士の一騎討ちだ。名乗りくらい、あげねえとな。―――――赤枝の騎士団、クー・フーリン」
そうして、深紅の魔槍を下段に構える。血塗られた獣は、その牙をむけた。それに答えるようにして、アヴェンジャーが剣を捨てた。何を、と思う私をほっておいて、陣の中の従者は答える。まさか、名乗るのか。彼は自分の名を覚えていないはずなのに――――。
「―――――死徒二十七祖序列第三席、リシュアン=ブリュンスタッド」
――――――そうして、彼は名乗りをあげた。
ひどい奴だと、そう思う。いつ思い出したのかも知らないし、そもそも忘れていたのかすらも怪しいが、ここ数日、私はあの男にだまされていたのだ。それなのに、自分の事は信じろと言う。言ってることがメチャクチャだ。帰ってきたらぶん殴らないと気が済まない。
だけど、それも仕方のない事なのかもしれない。真祖の吸血鬼は人間とそもそも相容れないし、尚且つ彼は『第三席』で、私は『遠坂』だ。彼の正体を、初対面で知っていたら私は令呪の行使を厭わなかったであろう。
『第三席』は、紀元前から生きる存在だとされてきた。それを証明するのがかつての朱い月の従者達であり、我が家の大公、宝石翁キシュア・ゼルレッチ=シュバインオーグに他ならない。
静寂の後、どちらからともなく動き出した。
朱い猟犬の牙が、群れをなして吸血鬼に襲い掛かる。両者に言葉はない。ただ死合うのみ。視線と視線が、読み合いを加速させる。
手数に勝るランサーを、一撃離脱の鷹のようにアヴェンジャーが襲い掛かる。
余りにも目まぐるしく攻守が切り替わる。そのたびに弾かれるのが、槍と拳で入れ替わる。前後に激しく動くアヴェンジャーと、左右のステップを混ぜながら刺突を繰り返すランサー。その攻防は異常な速さで行われているものの、展開としては遅い。
それをじれったがってか、アヴェンジャーが切り込む。私から吸い上げた魔力で、槍の範囲外から、爆発的な推進力をもって接敵し拳を振るう。無論、ランサーも必中の槍を突き出す。それらの幾本かが、アヴェンジャーの四肢に突き刺さる、が、それすらも障害には為り得ないと、アヴェンジャーの突進を止めることを出来はしなかった。鬼が手刀を振るう。
「チィ―――!」
ランサーが大きくのけぞる。その脇腹は、鮮血に染まっていた。しかし、アヴェンジャーもまた、太ももに風穴を開けていた。
その傷を見て、アヴェンジャーがこぼす。
「治りが遅い―――――」
「ったりめーだ。ゲイ・ボルクの傷が早々に治ってたまるかよ」
ドクドクと、腹から右足にかけてランサーの蒼い鎧が染まっていく。こうなってしまうと敏捷性は落ちざるを得ない。
戦闘の一瞬の間を破ったのは、再びアヴェンジャーの踏込みだった。遠く離れている私のところまで、ドゴッという、地面がへこむ音が聞こえてくるほどの激しいモノ。何重にも強化したのだろう、私の魔術回路はガンガンうねりをあげ、右腕が軋み始める。今の一瞬で、全身のけだるさが増した。
アヴェンジャーは、固く固く、拳を握りこむ。強化されたソレとランサーの槍が打ち合うと、光がはじける。だが、足を生かした動きができなくなったランサーには、先ほどの切れがない。暴風のように、拳を叩きつけるアヴェンジャーの一撃一撃には、並みの人間なら体がぐちゃぐちゃになるほどの力が込められている。それを、最小限の腕の振りと、いなし方で確実にランサーは防いでいく。
「ハァ―――――!」
もう一度、地面がへこむほどの踏込みと共に、アヴェンジャーは今度は叩き伏せるように拳を振り下ろす。それを、大きく跳躍することで、ランサーは躱した。そしてそのまま、パチンコ玉のように前にでる。空振りしたアヴェンジャーは前かがみで、体制を整えていない――――!
が、私がみた彼は、不敵に笑っていた。
「――――ッ!」
それでもなお、ランサーは前に出た。多少の犠牲は覚悟、基より無傷での勝利などありえないことは、私以上に戦っている本人たちが理解している。突き出した槍に反応したアヴェンジャーはサマーソルトでその凶刃を跳ね上げる。だが、その回転軸をランサーに蹴り飛ばされた。私の脳裏に、バーサーカーに吹き飛ばされた時のアヴェンジャーがよぎる。
あの時は、少し時間をかけないと、起き上がれなかった。今回も、もしそうだとしたら―――――。
「まさか、足までも使ってくるとは――――」
砂煙の中、ゆっくりとアヴェンジャーが立つ。強化が切れたのか、額が切れていた。でも、私の中には立ってくれたことへの安堵の方が大きい。
「こんな戦いは久々でな…。持てるもん全て出さなきゃつまんねぇだろう?」
蒼い男は、そう言いながら、いやにゆっくりと槍を構える。背中を向ける、ともすれば無防備な構え。左腕は真っ直ぐ伸び、下段に穂先の方を、右手は上段に石突を握る。
校庭で、私たちが見た構えだ。あの時感じた空間の歪みが、また見え始める。ドロドロとした紅い空気が、魔槍の周りでとぐろを巻いていく。
ランサーの姿勢が低くなる。アヴェンジャーもそれに応じるのだろう。瞳はもはや金色に染まり、強化された脚からはギシギシとした音が聞こえてくる。
同時に巻き起こる冷気。紅い槍を取り巻く、禍禍しい魔力が大きく脈打つ。
アヴェンジャーが弾丸のように詰め寄る。
ナニカを掴んだかのような左腕を、思いっきり振りかぶる―――――!
それを待ち受けるランサーが、その猛禽の様な紅い瞳を見開いた。
「その心臓、貰い受ける――――――!」
獣が地を蹴る。吸血鬼は既に、左腕を突き出していた。それにも構わず、ランサーはアヴェンジャーの足元に向けて魔槍を繰り出した。アヴェンジャーのナニカはもうランサーを貫くだろう。だから、ランサーが放つのはこの戦い最後の一撃――――――。
「――――――
ランサーが紡ぐその言葉、それ自体が強力な魔力を帯びる。そして――――
「―――――
紅き魔槍と、空気の刃が互いの獲物に喰らいつくのは、同時であった。
もうちょっとしたら旧作書き直す羽目になるかもしんないっすね…。