その身に宿すは月の意思   作:すぷれえ

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14 泡沫

 子供がいた。紅い眼をした子供だ。時間は遅く、エレベーターが止まった冬木のセンタービル、その屋上。その横には、青い髪の少女がいた。だが二人は目を合わせることは無い。彼らは夜風に身をさらさせながら、遥か一点を見つめている。見ている目は違っても、二人が見ているものは同じものであった。

「あれが、第三席ですか」

 少女が呟く。確かめるように小さく吐き出されたソレは、隣の子供に尋ねるものではない。その声色には、確かな自信が滲んでいる。つい先日まで嫌々ながらも顔を合わせて居た自分が最も良く知る真祖に、その姿が酷似していたことが何よりの証拠。だが、一瞬は見違えるものの、遠く離れた此処からでも感じ取れる超越者の空気は、『彼女』とは似ても似つかない。元々の彼女は人形の様で生気に欠けていたし、今の『壊れた』彼女からは微塵も感じ取れるものではないものだ。

 自然、身体が震える。そのことに、少女は少しばかり驚愕せざるを得なかった。

 彼女は異能撃退のエキスパートである。埋葬機関という肩書は、戦闘力が高くなくては務まらない。常に戦いに身を置き、吸血鬼などの所謂『化物』達を消してきた。『真祖』アルクェイド=ブリュンスタッドに対峙してもこんなことはありえなかったのに。勝てない、と一瞬でも考えてしまった事に愕然とする。少し、表に身を置きすぎたか、とあの陽だまりの生活を楽しんでいた自分に気が付いた。自分はこれではいけないのだ、とシエルは自らを戒める。もう、表で過ごす願いを持つことすら許されないほど、裏の世界に入り込んでしまっているのだから。こんなに弛んでいてはこの世界では生きて行けはしない。

 

「――――ふうん」

 そのシエルの心境を知ってか、隣にいた子供は面白くなさそうに一息吐く。それをレンズ越しに見るシエルは、それも仕方ないだろうと考える。

「メレム」

 シエルが声をかけるも、振り返りもせずにメレムはビル屋上の縁に向かっていく。シエルはそれを見続けるも、咎めることはしない。一際高い冬木のセンタービル、その屋上は遮蔽物がないために強い風が吹く。普段立ち入り禁止のこの場所は、フェンスもなく並の人間ならその高さですくみ上るほど。そのまま歩き続けたメレムは、屋上の縁から足を投げ出してぶらつかせ始めた。その危ない行為を見つつも、シエルは止めることは無い。

 やめろと言って聞くような相手ではないし、メレムにとってそれは危険な行為でない。そもそもそんなことを言い合うような関係ではない。

 ぶらぶら。

 ぶらぶら―――。

 細い足を振り、メレムは冷たい外気をかき混ぜる。先ほどまで深山町のその奥、柳洞寺がある山奥に向けられていた視線は、もう興味を失ったかのように冬木の街並みを見回し始めている。冬の夜、灯りがない山には普通の人間には闇しか見えない。それでも、メレムははっきりとその存在を感じ取っていた。柳洞寺の龍脈、その力の流れの中に、異質な3つの力の塊。力と言うよりも暴力と言った方が正しいほどのその大きさは、遠く離れたこのセンタービルの屋上にも伝わってくる。それは、メレムだけではなくメレムの隣まで歩み寄ってきたシエルにも感じ取れるものであった。いや、それは、聖杯戦争に参加しているレベルのマスターならば、感じ取れるモノでないだろうか。一つは完全とはいかないものの、最強の一角を担うだけの力の持ち主。一つはもはやいるだけで暴力をまき散らす存在。人型を殺すことに特化した存在は他にはない。

 そして、もう一つ。

 かつてその最強を担った存在。朱い月の後継者。同族殺しの烙印を捺されながらも、常に火の粉を払い続けたその力。

 今まで確認されつつも微弱だったその力は、今や容易に感じ取られるようになっていた。

 

「――――」

 明らかに雰囲気が変わったメレムの横顔を、シエルは盗み見る。埋葬機関の一員として括られる二人ではあるが、シエルはその実メレムの事をほとんど知らない。ブリュンスタッドを冠する4人に、それぞれ並々ならぬ感情を抱いている事くらいか。それこそ、シエル自身がアカシャの蛇に抱いていたようなそれを、第三席と第九席に抱いていることも知っている。だが、死徒の最大の敵でもあると言える埋葬機関に、死徒二十七祖の一角であるメレムが所属していること自体が異質であり、それを勧誘した過去のナルバレックがぶっ飛んだ思考の持ち主であることは想像に難くない。

「行こう――――」

 ゆっくりと立ち上がったメレムは、視線をすでに街並みから外している。先ほどまでの、何かを含んだような表情はもう見られない。

「いいのですか?」

 横目でチラ、と山を見やる。今は何も手出しをすることがなさそうなメレムに、シエルはただ、そう問いかけるに留まった。

 その問いに、メレムは小さく呟く。

「うん――――。『アレ』が『基点』として機能していることは分かった。もう十分だよ」

 

 風が、強い。

 

 

 

「別に来なくとも、我一人で十分だと言うのに…。雑種、この俺を愚弄する気か?」

 男がそう尋ねる。金髪の男だ。細身の体には無駄なモノが一切なく、紅い瞳はルビーのように燃えている。その彫刻とも取れる完全な貌を冷利に固めながら、傍らの女性を一瞥する。協力関係にあるはずの女を、質問次第では無残に殺すことを視野に入れて。

「いいえ。ですが、いずれ私の中に入るのですもの。見に来たっていいじゃありませんか。それとも、王様はそんなことも許されぬほどの狭量ですか?」

 トス、と。女の頬が切れる。それをなしたのは細身の剣だ。赤い血が流れるのを厭わずに、女はただ微笑む。それを見て男は目を細めて怒りを顕わにしたが、それ以上の事はしなかった。

「それ以上の無礼、いくら貴様とて万死に値することを覚えておけ。――――時間切れだ。早くせねば腐ってしまう。帰るぞ」

 そういって、己の手を見やる。男の右手には、ドクドクと脈打つ紅いモノがあった。柔らかく、握れば潰れてしまいそうなそれを、手が汚れることを厭わずに持ち帰る。女はそんな男を見た後、それに続いた。

 

 

 ここは新都の森の奥。街からは車で一時間、そこからは徒歩で三時間ほどもかかる場所だ。そこに、場違い極まりない西洋の城があった。男と女の去った後。荘厳な装飾が施されたロビーは面影無く、まるで戦争があったかのようにボロボロだ。エントランスに差し掛かる前では、三メートルはあろうかという男が、鎖に雁字搦めにされていた。入り口へと踏み出しているのを、鎖で固められたような、そんな構図。男の躰には、剣、槍、戟、斧、鎌、その他無数の武具が刺さっており、まるで拷問を受けた罪人の様だ。その傷口からは夥しい量の血が流れ、元々深紅に染められた絨毯を、更に赤黒く染めている。

 

 そして、その後ろ。

 

 そこだけまるで切り取られたかのように、どこを見てもボロボロで、ぐしゃぐしゃなロビーの中で唯一原型を留めている空間があった。バーサーカーの真後ろ。狂戦士がその巨体で、剣戟の嵐の中、まさに矢面に立って体を張って守り続けた存在。

 両目は切り裂かれ、胸は赤く染め上げられている。雪を思わせる長い銀髪は見る影もない。

 ――――白磁の様であった少女の、無残な姿の小さな骸であった。

 

 

 やがて泡沫の夢は終わる。

 音もなく鎖と剣戟が消え、轟音を立てて男が崩れ落ちる。いかに古の神話の中で、十二の試練を乗り越えたバーサーカーでさえも、なす術がなかった。

 勝てるはずの無い戦いに身を落し、それでもなお愚直に戦い続けた男は、霞のように消えて行った。

 

 

 ――――――――神の子と言われた大英雄の、最後である。

 

 

 

 謎の襲撃を受けて、瀕死の重傷を負った凛を教会に連れて行ったのは士郎だった。実際運んだのは指示されたセイバーだったが。治療を求めた教会の神父からは帰るように諭される。事実、運んだ少女が目覚めるのはいつか分からなかったし、教会に居ても彼ら二人にできることは祈ることぐらいだった。そうそうに言峰綺礼に帰された士郎とセイバーは、お互いに言葉を交わすこともなく帰宅する。

 

 

 帰る道中、士郎は何が起こったのかを必死に理解しようとしていた。

 彼が見たのは、おそらくはランサーとの戦いで魔力切れで倒れたであろう凛を、もはや彼女の城となった離れに寝かしつけるところまで。次に彼女を目にした時は、既に変わり果てた姿であった。

 彼女が好んで身に着ける赤い服をさらに深紅に染め上げる血。士郎には、一目で彼女のどこが欠けてしまったのかが分かってしまった。彼女の残り二画の令呪。それが収められた右腕が引きちぎられたかのように失われていた。

 吐き気がこみ上げるのを、何とか抑える。見ていても痛々しいそれが、自分が好意を抱いている少女だという事に怒りを覚えるものの、犯人は既に去ったようで士郎には気配すら感じ取れない。狂いそうになる体を、どうにか理性でつなぎとめた彼は、決して的確とは言えないものの簡単な応急処置をして、セイバーと一緒に教会まで凛を運んだ。

 

 凛を襲ったのはおそらくはマスターとサーヴァントであろう、と士郎は考えを付ける。しかし、セイバーが侵入に気が付いて自分を起こした後に二人で離れに直行する、その短い時間の中で凛の令呪を奪い姿を消す、などという芸当ができるのはアサシンのクラスぐらいのもの。

 ともあれ、凛が目覚めなければどうすることも出来ないのだ。アヴェンジャーが居なくなった時点で、士郎と凛のアドバンテージは激減した。むしろ、セイバーの情報が流れた点で、マイナスと言ってもいい。

 問題はまだある。凛を襲ったであろうアサシンはどんな英霊なのか。アヴェンジャーとの一対一という聖杯戦争を戦う上で博打としか言いようのない戦術を用いたランサーのマスターは誰なのか。仮にアサシンだったとして、未だ正体のわからない最後の一騎はどのクラスなのか。

 そんなことを考えている内に、気が付けば士郎は自分の家に帰ってきていた。セイバーに促され、夜がもう明けている事から眠りにつく。

 昼過ぎに目が覚めた次の日は学校に行くこともなく、ただ道場で剣を振り続けた。

 

 少女が帰ってきたのは、その日の夕方になってからだった。

 

 

 

 

「――――」

 帰ってきてしまった。この家に。私の前には武家屋敷の木でできた門。衛宮君が受け入れてくれるとは思えない。今の私にマスターとしての価値はなくなった。アヴェンジャーは奪われ、令呪はおろか右腕すらも失ってしまった無様な姿。最後に荷物を回収させてもらいに行くのは、衛宮君の甘い性格を利用する魔術師の性かも知れない。私自身が、彼に何度もそれを捨てるように言ったのに。心のどこかで、彼の心を利用してやろうと思っている。

 吐き気がするこの黒い塊を、無理矢理に咀嚼する。恐る恐る門をくぐり、玄関の呼び鈴を鳴らす。後ろに控えていた気配はもうない。今まで生きてきた中ではそれが当たり前だったのに、たった数日で背中が淋しく感じるのは、思った以上に私はあの吸血鬼に依存していたらしい。

 引き戸が開き、中から赤銅色の髪色が見えた。士郎の琥珀色の瞳が、私を捉えて揺れる。

 

 ここからはもう、私は『遠坂凛』でなければならない。

「遠坂!?体は大丈夫なのか?」

「ええ。綺礼が言うには安静にしていれば大丈夫だって。…ありがとね、衛宮君。教会に連れて行ってくれたのは良い判断だったわ」

 そのまま、敷居を跨がない私に士郎は声をかける。今の私が、我が物顔で入るわけには行かない。

「入らないのか?遠坂」

「ええ、おじゃまするわ」

 そうしたやり取りをして、私は見慣れた家へと入り込んだ。

 

 

「リン――――」

 セイバーは、気配で私が来るのが分かったのだろう。居間で正座をして私たちを待っていた。まるで彼女がこの部屋の主の様で、この二人の関係が変わっていない事に少し安心する。

「セイバーも。迷惑かけたわね」

 整った顔を痛々しそうに歪める。彼女の視線は私の右腕に注がれているが、私はそれを気にしないことにした。

「いえ…お体の方は、もうよろしいのですか?」

「ええ。あんなとこにいるくらいなら外の方がマシよ。処置は綺礼にして貰ったし、あんな奴でも腕は確かだからね」

 ひらひら、と中身のない布を左手ですくう。セイバーも気を使ってくれたのだろう。それからは右手を見ることも無くなった。

 

「さて、今後の事を話す前に、今まで何が起こったのかおさらいしましょうか。私自身、整理しなくちゃいけないし。アヴェンジャーの正体を知っていたセイバーはともかく衛宮君はそもそも何が起こったのか分かっていない訳だしね」

 士郎がお茶を置いて、セイバーと同じ側に座った。左手でそれを持ち上げて、熱いお茶をすする。たったそれだけの行為なのに、右手が無くなったせいでぎこちないものになった。

「アヴェンジャーの正体は、『真祖』リシュアン=ブリュンスタッドよ。私も知ったのはっランサーとの一騎打ちで、アイツが名乗りを挙げたときだったけどね。後々考えてみれば、そのヒントは結構転がってたんだけど―――」

 そう。歴代当主が継承したあの金属片。正しく彼の所有物だった。かの宝石翁も第三席とは知り合いだったと聞くし、そこから遠坂にまわってきてもおかしくはない。

「ま、待ってくれ。真祖ってたしか―――」

「そう、世界の精霊とか星の触覚とか言われてるアレ。吸血鬼って言った方が分かりやすいけど…ちゃんと覚えてたのね」

 セイバーはさすがにアイツの正体を知っていたから、特に反応を見せなかった。けど、衛宮君はアヴェンジャーの正体を知って驚いている。

 まあ、本来『英霊』としてふさわしい器じゃないから、それも仕方のない事。

 ―――仮に、『真祖』が『英霊』におちたとして、いくら大聖杯の助けがあったからといって私一人の魔力で現界できる器じゃない。

 ―――いや、そもそも大聖杯が選ぶサーヴァントとして『反英霊』に近いアイツがふさわしいのか、それすらも怪しい。

 ―――だが、呼び出してしまったものはしょうがない。アイツのおかげで、大変なものまで冬木に来ているみたいだけど…。

 

「で、アイツには二人の妹がいる。一人はアルクェイド=ブリュンスタッド。最後の真祖ね。アイツが命を落としたのは彼女を守るためだった、って言われてる」

 復讐者としての召喚。アイツは誰に復讐するつもりだったのだろう。さすがにそこまでは知らないので、分からない。

「もう一人が、アルトルージュ=ブリュンスタッド。こっちの方が厄介ね。彼女の味方は多いし、彼女が連れているプライミッツ・マーダーは化物だって聞くわ」

「そうなのか?その、アルトルージュ=ブリュンスタッドって人は力が不安定だし、自分の城からめったに出てこないんだろう?」

 私が前話した情報を、ゆっくりと思い出しながら士郎は言葉を紡ぐ。今、この状況でなければ、物覚えの悪い士郎にしては上出来だと褒めてあげたいくらいだった。

 

「だから。その『めったに』が今なのよ。

 ―――――この腕引きちぎられたのも、そのアルトルージュ=ブリュンスタッドにやられたんだから」

 

 

 

 

「少し、昔話をしようか。ある青年の話さ」

 ビルの屋上からの帰り道、自分が仕掛けたイタズラの種を明かすようにメレムはそう言った。この場合、聞くしか選択肢がない事を知っているシエルは、続きを視線で促す。ただ、彼が今この状況で何を話すのか、少し彼女には興味があった。

「つくりモノの人形の話だ。あるところに自分の容れモノを探している人が居てね。なければ作ってしまえばいいとのことで、自分そっくりな人形を作ったのさ」

 シエルはその話を聞いて記憶の引き出しを開けていた。時計塔の封印指定の魔術師に、人形遣いが居たはずだ。人体と全く同じ構造をした人形を作れる魔術師。たしか、ミス・ブルーの姉だったか。

「でもね、余りに精巧だったせいでその人形には意思が宿ってしまった。それはもう人形とは言えない欠陥品さ。皮肉な話だよね。完璧を求めた結果、その先には不完全しか無かったんだから。その人はね、捨てたよ。その個体を。産んだ子供を育児放棄してごみ箱に捨てるのと同じさ。その人にとっては愛し合って産んだ子でもないし、ようやく作れた作品が、結果として失敗になったんだから、そりゃあ捨てたくもなるよね」

 シエルの目が大きく見開かれる。この場合の登場人物などもう決まっている。今自分が聞いているのは、それこそ世界の秘密と言っても過言ではない代物ではないのだろうか。それをサラッと言ってしまうメレムに、やはり肉体では分からないその年齢と、言い知れぬ恐ろしさを感じる。

 

「だけど、赤子とソイツには大きな違いがあった。それは、もうそれなりに活動できる肉体が与えられていた事と、自立した感情が育っていた事。後は、同情をかえるような赤子とは違い、与えられたのは老いない身体だった。我が主が作り続けた欠陥品、『真祖』の存在が人に知られるようになった時、ソイツの周りは敵しかいなくなった。同胞であるはずの真祖も同じさ。一人だけ与えられた『完全』には悪い感情しか向けられなかった」

 『世界で最も愛された精霊』と呼び声も高かった第三席が、周りに理解者のいない孤高の存在だったこと。黎明期の真祖が、そのような感情を抱いていた事。歴史の生き証人の、本物の言葉に、シエルは魅せられる。だが、物語としての体は崩壊した。人形師の事を『我が主』と呼び、第三席の事を呼び捨てる。だがそれがよりいっそうの真実味を持たせるスパイスとなっていた。

「それが、同じような存在を見つけたのさ。何も知らずに放り出された名前の無い個体にアルトルージュと名付け、自分の庇護下に置いた。つまらない同情心でも湧いたんだろう。あまりに自分の過去と似通ってたし、その頃はもう結構な奴らが返り討ちにあって、結果として名をあげてたからね。余裕があるなら猶更だ。じゃあ、妹の方はどうかって?答えなんて決まってる。優しくない世界から、護ってくれるんだ。ゆりかごと同じさ。無条件に懐くのに、時間はかからなかった」

 それが、兄妹の出会い。絆。見るものが見れば愛おしく、または酷く陳腐なものに映る。同情からそれがきていたとしても、先ほどシエルが見たアルトルージュの姿は決して偽物などではなかった。そして、シエルがよく知るもう一人の『妹』にも彼は良く慕われている。

 

 

 

 ―――――――幾らその始めが偽物であったとしても。その心、感情さえも紛い物だと誰が言い切れるだろうか。

 

 

 

 

 

「完全に負けたわ。悔しくはあるけど、どうしようもない力の差があるんだから、腕一本で済んだのはむしろ僥倖というべきね」

 私は口にする。それは負け惜しみではない。生きてきた時代と年数が、圧倒的に違うのだ。それこそ、無理矢理にでもその『高み』に引き上げでもしない限り追いつくことが不可能な、圧倒的な差が。

 本来なら会わない事が正解なのだ。『災害』に人が太刀打ちできないように。どんなに対策を施そうとも意味をなさないならば、今回の結果はその豪運を褒めるしかない。

「でも、遠坂―――」

「いいの、衛宮君。私が気にしてないって言ってんだから、アンタが気にしててもしょうがないでしょうが。私がやられたのはそのアルトルージュっていう死徒よ。ソイツの狙いはアヴェンジャーね。ま、身内を取り返しに来たってわけ。令呪を持っている私は邪魔だから、その令呪を取り払ってやればいい。ああ、言っとくけどソイツ、セイバーよりも強いわよ。というか、連れている方のがどっちかっていうとヤバいんだけど――――」

「なっ―――――」

 大口をあけている士郎を見るに、少し話すのが早かったようだ。一口に危険と言っても、『ソレ』同士の強さは分かっていなかったみたい。

 会ったら最後、命は無い。

 その事実は、たとえ死徒だろうとセイバーだろうと、士郎はおろか私ですら同じ。知識の無い士郎は、セイバーとアルトルージュの力関係が分からないのも無理はない。

 だが、事実だ。分が悪いにしろ、バーサーカーとは『戦える』セイバーでも、あのガイアの獣には太刀打ちが出来ない。本物ならともかく、一部を切り出しただけでしかも魔力が不十分なサーヴァント状態のセイバーなら一瞬だろう。

 セイバーは何も言わない。それが事実であると認めているからか、魔力不足が彼女の中で深刻な問題であるかはさておき。

 

 

 

「そんなわけだから、私の聖杯戦争は終わり。同盟もここまでね。アヴェンジャーを失った以上、私はあのバーサーカーに対しての戦力とはならないし。―――安心しなさい。どの陣営にもセイバーの事言わないし、どの道セカンドオーナーの仕事をしなきゃだからそんな暇もないだろうから」

 淋しそうに、遠坂が笑う。彼女のこんな顔を見たのは初めてだった。聖杯戦争中も、いつも勝気で、華々しかった遠坂が、ここにはいない。

 きっと、お別れを言いに来たんだろう。バーサーカーを倒すまでだった同盟関係も、その目的を果たすことなく終わろうとしている。裏切りとか、そんなこと俺は考えちゃいない。そんなものは遠坂が一番嫌いな事だと知っているから。本当は、ここで同盟を解消するのが魔術師なんだろう。関係はギブ&テイク、損得勘定が一番に来るのが魔術師だと口を酸っぱくして言ってきたのは遠坂だ。

 でも、ここで遠坂と別れたくなかった。彼女がそんな顔をするのが、どうしても嫌だった。

「待ってくれ遠坂。俺はまだ同盟を続けていたい」

「――――ハァ。そんな事言い出すのは私の教育不足だったわけね。あれだけ言ったのに、後どれだけ私に言わせるつもりよ」

 ジト目でなじられる。悲しいかな、そんな視線にはとうに慣れてしまった。堰をきったかのようにすらすらと言葉が口から出てくる。

「だって、俺はまだ遠坂に魔術を教わりきっていない。聖杯戦争の知識だって足りてない。それに、死徒にだって俺はどう対応すればいいのか分からない」

「アンタ、私がセカンドオーナーの仕事があるって聞いてなかったの?それに、マスター権限なら奪い取れるのを貴方なら知ってる。ヘッポコだとは思ってたけど、そんな可能性も考えられないような大バカだったとは知らなかったわ」

「だってセイバーがそんな事許さないし、第一遠坂がそんな事するはずないじゃないか」

 何を当たり前な事を言ってるのだろう。俺が知ってる遠坂凛は、そんな卑怯な事をする女の子じゃない。そして、そんなことをする奴らを真正面から打ち砕く女の子だ。

 何故か頭を抱えているが、それはさすがに分からない。

「…アンタがそういう奴だったっていうのを忘れてたわ。で?マスター権限の話は置いといて、私のセカンドオーナーの仕事はどうするつもりかしら?」

 ――――ヤバい。それは流石にどうしようもない。肉体労働ならいくらでも代わってあげられるけど、きっと魔術的な事だし。俺が遠坂の代理が務められるはずがない。

「アハハ――――顔に出てるわよ。何にも考えていませんでした―――ってね。ごめんごめん、私もイジワルだったわ。仕事っていうのも、聖杯戦争とか死徒が無関係じゃないしね。士郎の隣に居るほうがしやすかったりするのよ」

 ―――――すると何か。俺はまた遠坂にからかわれたのか。あれ、さっきまでしおらしかった遠坂はどこに行ったんだ。いや、そもそもアイツ、淋しそうにしてたか?…見間違いだったかも知れない。

「――――これからもよろしくね、士郎。明日から、修行の方も気合入れていくから。私を引き止めたんだから、ちゃんとしなさいよ」

 そう言って、遠坂は居間を出ていく。きっと離れに戻ったのだろう。

 

「シロウ」

 隣のセイバーが声をかけてくる。そう言えば、さっきから何も言っていなかったな。勝手に決めてしまったけど、彼女は納得してくれるだろうか。

「ごめんセイバー。勝手に決めちゃって」

「いえ、それは構いません。ああ言っていましたが、リンの力は大きいですし、シロウの魔術の修行にはリンが居た方が良いですから」

 優しい言葉にほっとする。セイバーが先ほど何も言わなかったから、半ば確信していたけれど。セイバーは俺にすべてを委ねることをしない。きっと、さっきだって彼女なりに判断していたはずだ。そして、デメリットが上回った場合はすぐに口を挟んでいたんだろう。自分の相方がセイバーで良かった、と思う。

「でも、アヴェンジャーが居なくなったんだ。セイバーには悪いけどますます負担をかけると思う。まだ知らないサーヴァントもいるし、マスターだってほとんど分かっていない。俺ももっと頑張るから、明日からもよろしくな」

「ええ。誰が相手だろうと、私はシロウの剣です。しかしシロウは今、他のマスター以外にももしかしたら死徒達にも狙われるかもしれません。警戒は怠らないようにお願いします」

 そうか。魔力を持っている時点で、狙われてもおかしくはないんだよな。聖杯戦争のマスターだっていうなら猶更だ。昼間は死徒っていうのは外に出られないから大丈夫だとは思うけど…。セイバーとは常に一緒にいた方が良いかもしれない。

 

「じゃあ、俺たちも部屋に戻ろうか。明日も早く起きて、二人で朝練しよう」

「ええ。それでは、また明日。おやすみなさい、シロウ」

 そうして、二人で居間を後にする。後は明日。また明日、セイバーと鍛錬した後、眠い目をこすって起きてきた遠坂に牛乳を振る舞い、ここで三人で朝食を囲むのだと思っていた。

 だが、それは悪い意味で裏切られる。

 

 

 

 

 ―――――――今日はまだ、終わっていなかった。

 

 

 

 

 




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