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双子館、という屋敷がある。新都の教会近くの森に一つ、そして深山町の遠坂邸の近くの林に一つ。どちらもヨーロッパのレンガ造り、古びた洋館である。それぞれが離れたところにあるにも関わらず、外見が瓜二つなところから双子館と呼ばれていた。その存在を知るごくわずかの近所の人間からは、華の女子高生が住んでいるとは思えないほどツタに覆われている外見をした遠坂邸と同じく、幽霊屋敷とも呼ばれていた。双子館には、それぞれ外見上の理由だけではない、本当に双子館と呼んでも差し支えない理由があるのだが、そもそも70年ほど前に建てられた上、そのほとんどが誰も住んでいない時間を過ごしてきたのだから、何も知らない人々の認識は『幽霊屋敷』で十分すぎるほどだった。
現在は魔術協会がその管理をしている為に、長らく屋敷の主人が不在でも、双子館の中は意外と綺麗に保たれている。
――――――――その双子館の、深山町にあるほうの館の二階。この屋敷の中でも最も大きな部屋に、アルトルージュ=ブリュンスタッドはいた。元在ったこの館の主がわざわざ持ち込んだ北欧の調度品に囲まれて、椅子に座っている。目の前に机があるが、足を乗せるなどと言った粗雑な行為は、かの死徒の姫君はするはずも無かった。
「――――――――今更何をしに来たの、メレム」
紅い瞳は、来訪者を鬱陶しげに見つめる。元々仲の良くなかった二人だ。互いに子供の姿をしているとはいえ、中身はもう何百年も生き抜いてきた死徒同士。一触即発とまでは行かないものの、彼ら二人のその外見からは想像もできないギスギスした空気が流れる。これまで長く、相手の事を見知っていた両者ではあるが、意外にもあまり話をしたことはなかった。ただ、己の出生が相手とは相いれない。それを理解していたからこそである。彼女がこの館に居つくようになってから数日は経っていたものの、メレムは今まで訪れることは無かった。無論、アルトルージュ=ブリュンスタッド程の強大な存在感に、メレム・ソロモンが気づかぬはずはない。ただ単に、互いに顔を合わせようとしなかっただけの事である。
そして、彼はそのタイミングを計っていた。すなわち、彼女のそばを離れることのないはずの、
「―――――君ももう気が付いているんだろう?自分がようやく掴んだモノが、罅割れたガラス細工だったってことに」
少女のプレッシャーが増す。常人であれば泡を吹いて倒れてしまうほどだ。まるで、龍の宝玉を奪ったかのような怒り。それもそのはずだ。彼女がわざわざこの極東の島まで来てまで手に入れようとしていたモノを、ガラクタ呼ばわりしているのだから。だが、メレムは平然さを保つ。彼もまた、闇の住人であり、目線の動き、または息遣いからも飲み込まれることを知っているからだ。
「その契約者として、世界に打ち付ける楔ならばもう分かっているはずだ。いくら魔力を込めても、込めた端から洩れて行っているのが。もはやアレは、抑止の守護者としての体をなしていないコトにね」
「―――――黙りなさい。そんなくだらないことだけを言いに来たのなら、帰りなさい。殺すわよ」
未だに椅子に座ったままであるが、アルトルージュの魔力が体から迸る。だが、メレムはアルトルージュをただ煽りに来たのではない。それでなくては、この街に存在した大聖杯『テンノサカヅキ』を見てからというもの、どことなく自身に監視する視線を投げかけてくるシエルを、口実まで作って引きはがした意味がないからだ。彼には彼の目的があった。だからこそ、ここに来たのだ。
「その様子だと自覚はあるみたいだね。―――――彼がそうなっているのはボクも確証が無かったけど、どうやら本当のようだ」
無邪気と呼んでいい、外見相応の表情を見せるメレム。アルトルージュが自分の話に対して聞かないという選択肢がないことから来る余裕。彼女の立場にしてみれば、メレム・ソロモンがわざわざ自分に会いに来たその意味を未だ見いだせないでいる。そうしている内は、嫌悪感を持ち得ながらも話を聞かざるを得ないであろうという確信がメレムにはあった。そして、自分が小出しにしている情報を、大人しく聞くしかない目の前の死徒に対して、若干の優越感に浸る。
「サーヴァントシステムは不完全な代物だ。言われるまでもないだろう。ボクとお前の中で、いや、『裏』全体で予想外だったことは、『アレ』が抑止の輪に取り込まれていたことだ。全員が、既に消滅してしまっているものだと思っていた。なんたって、我が創造主が創りだした最高傑作品だからだ。世界の敵とも言える存在を、世界自身が取り込むなんて矛盾、誰も考え付かなかったはずさ」
アルトルージュの紅い瞳は、長い睫毛に彩られた瞼の裏に隠されている。肘掛けに置かれていた右腕は、頬を支えはじめた。ここまでは彼女も知っている事。ただの確認に過ぎない。
「――――――それを世界が行ったのは、アルクェイド=ブリュンスタッドが誕生してから。そして、この聖杯戦争でも、かの白き姫君がこの極東を訪れるまでは奴も安定していたはずだ。そうでもなければこの英雄たちが集う聖杯戦争で、あんな状態で生き残れているはずが無い」
「―――――どういうつもり?貴方、あの子の事を気にかけていたはずよね?」
アルトルージュが目を開ける。そのまま下から目線を持ち上げることなく、睨み付ける格好になった。
「どうもしないさ。ただの確認だよ。僕は確かにあの人を好いているけど、それでもあの人に比べるまでもない」
「―――――――そう。お前が何を考えているか知らないけれど、わざわざそれだけを言いに来たその労力に免じて、一応はその言葉、信じてあげる」
その言葉に、返事は無かった。一つ首をすくめると、メレムは立ち去っていく。
それを見送ることなく、少女は窓の外を見上げる。死徒のアルトルージュにとって、夜の光は月明かり以外必要としない。それは彼女にとって、忌まわしい象徴であると同時に、優しく包み込んでくれるものだった。それが、徐々に厚く、黒々としたものに覆い尽くされていく。ここは、いつもとは違い彼女の領域ではないのだ。最近は何物にも浸食されない天蓋を見ることができない、と彼女が憂いていると、彼女の元へと一筋の光が窓から飛び込んできた。
「――――――――お帰りなさい。プラム」
自身が使いに出していたガイアの獣を向かい入れる。彼女は血と契約の支配者。たとえ
「―――――そう。教会で。貴方に行かせて正解だったわね。…私自ら出向くには、少し場所が悪すぎるもの」
月光を紡いだかのようなその銀毛を、白魚のような指が泳いでいく。優しく頭を撫でられたプライミッツ=マーダーは、どこにでもいる大型犬のように目を細めていた。時折耳をピクピクと動かし、されるがままになっているものの、その後見たものまで、正確に主に伝えていく。
「―――――あら?私が少し、好きにさせていたら、兄様は勘違いしてしまったのね。早く取り戻しに行かないといけないわ。あの人はまだ、私の事を子ども扱いしているのかしら。どう思う?プラム。…どうするのかって?決まっているでしょう。メレムも何か企んでいるようだし」
プライミッツにとって、リシュアンはもちろん知った仲ではあるが、決して忠誠を誓っているわけではない。無論、自身が主と仰ぐ目の前の少女に比べれば優先度合いは格段に低くなる。そもそもが、プライミッツにとって興味のある事ではないのだが。
紅い双眸が、鋭利な刃物のような鋭さを取り戻していく。
先ほどまでの落ち着いた大型犬は、『ガイアの獣』にふさわしい威圧感と理不尽なまでの畏怖を纏う。
黒い少女は、その背中に横乗りすると、一つ命じた。
「――――――行きなさい」
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厚い雲におおわれた冬木は、街灯の明かりが無ければ足元さえも見えないほどだった。柳洞寺までの山門は恐ろしいほど静まり返っている。山自体が、巨大な生き物かのようにうごめき、風によってあおられた木々が鳴き声のような音を奏でる。
そのなかで、その場には決して似つかわしくないはずの翡翠の眼をした少女が、悲痛な目をたたえて参道のちょうど中ほどに立っていた。
「もうこれしかない――――。私ができることと言えば、聖杯に願うことだけです。すみません、シロウ。私は貴方のサーヴァント失格です。ですがどうか―――――私が聖杯を獲得した暁には。それをもって赦していただきたい」
誰に向けて言うわけでもない。ただ、裏切った自分にパスをつないだままのマスターに誓う。その手に握る、勝利をすべき聖剣で己の主を斬ってしまったのだ。最優とは笑わせる。どこに合わせる顔があるだろうか。ならばせめて。勝利をもって報いなければ、この身には差し出すものなど残されてなどいない。一度、あの黄金のサーヴァントを退けたときに気が付いたのだ。自らが、あの心優しい少年に召喚されたのは必然だったのだということに。
遠い日に失った、自身が持つ人々の祈りの結晶たる黄金の聖剣の鞘。彼自身がそうであったのにも関わらず、この手で間違いを犯してしまった。
もはや手段は残されていない。偽りの王が、偽りの従者ができることなど、総てを無かった事にして否定する事だけだ。それさえもできなければ、ここにいる意味がない。
見上げれば、かっぽり空いた山門の闇。まるで巨大な魚の口のように、そこを通ろうとするものすべてを飲み込まんと待ち構えているようだ。
「―――――待ちわびたぞ。セイバー。この我手ずから迎えに来てやった。とく喜ぶがよい」
はたして。そこにはまさしく太陽がいた。人類最高の神秘の結晶たる聖剣をも無傷で跳ね除ける黄金の甲冑に身をくるんだ、人類最古の英雄王が、地に墜ちた騎士の少女を待っていた。
「アーチャー、」
「おまえもわかっているだろう。ここが此度の聖杯戦争の終結の地。――――――上がってこい、セイバー。今一度、刃向かうことを赦す。おまえを降し、我のモノとしよう」
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「もうすぐですね。先輩と、姉さんは間に合いますか」
「わからん。そも、凛がどこに連れていかれたのか追えていないのだ。ただ、ギルガメッシュがセイバーの相手をしている。衛宮士郎は、生きていはいるのだろうな」
柳洞寺の地下。大聖杯の前で、二人は待っていた。
英雄王はセイバーを手放さないであろうし、アヴェンジャーにうかつに手を出せば、未だ生まれぬ
ともすれば、どうするか。間桐桜がとる行動は、一つである。それはすなわち――――
「許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。どうやら私も、例外ではなかったらしい」
「驚かないんですか?私がこうしてあなたを取り込もうとしていることに」
「想像には難しくない。こうなる可能性の一つも考慮はしていた。ただ、
190㎝以上もある巨体が、闇に沈んでいく。しかしその瞳には相も変わらず無感動をたたえるのみ。セイバーを取り込めば、英雄王の怒りに触れる。アヴェンジャーには、真祖とガイアの獣がついている。
今桜にできることは、言峰綺礼を取り込み、次いでギルガメッシュを取り込むこと。その後セイバーを取り込めばなおよいが、ギルガメッシュがセイバーを瀕死に追い込むタイミングを狙えば、取り込まずともよい。
どちらかと言えば、セイバーより、何を考えているかわからない、綺礼を取り込む方が優先度が高い。そして、セイバーは士郎と凛の希望でもある。聖杯の泥をあびせ、彼らを本格的に裏切った騎士王の姿を見れば、あの姉はどんな表情をするか。考えただけでぞくぞくする。
「今までの私では考えもしなかった。でも神父さん。あなたと王様のおかげで私生まれ変わったんです。だから感謝しています。さよなら、神父さん」
「――何を言う。泥に飲まれ、暴力に酔うおまえもまた間桐桜だ。
「―――――――っ!」
思わず、顔を消し飛ばした。下半身が沈みながらも不敵に笑う神父は、首から下が地面に刺さった姿に変えられた。それをいい気味だ、とも、当然の報いだ、とも思うことが出来ないまま、桜は言峰綺礼だったモノから目をそらす。主が目を背けたのと、ハイエナのように影が伸びてきて、骸を飲み込んだのは、ほぼ同時だった。
◆
決着は一瞬であった。いくら星の息吹を束ねた、数多の人の願いの結晶といえど、あらゆる生命の存在を許さない、原初の姿を再現されればひとたまりも無かった。
青き衣は血によごれ、翡翠の双眸にはなんの景色もうつさず、幼いともいえるその体は力なく境内に横たえるのみ。
「―――――――終焉だ。セイバー。10年にわたり
そうして、英雄王は少女へと歩み寄る。待ちわびたとは口にしつつも、その紅き瞳には喜色は浮かんでいない。ギルガメッシュにとってこの結末は必然であり、自身の至高たる
「――――――――――――っ」
黄金の鎧に包まれた腕が、力なく横たわるセイバーの足首をつかむ。そのまま持ち上げると、少女の腕から、担い手の血で汚れた聖剣が零れ落ち、境内の砂利とぶつかって、ザリ、と音を立てた。
「もはや抗う力もない、か。なるほど、セイバー。貴様が光り輝いていたのは我に刃向かっていたからこそ。―――――――今の貴様は物足りぬ、が。まぁよい。聖杯の泥を浴びた貴様が、ゆっくりと正気を蝕まれ、その清廉な気がどこまで続くか見ものにするとしよう」
ギルガメッシュはそうして、セイバーを担ぎ上げる。なすがままにされたセイバーは、一切の抵抗をしないまま、見えない目と、うつろになった思考の中、裏切ってしまった此度の主と、円卓の騎士たちに謝りつづけるのであった。
―――――――申し訳ございません、シロウ。
果たしてその祈りは少年へと届くことはなく。柳洞寺に向かっている衛宮士郎と遠坂凛が、セイバーの状態を知るのはもう少し後になる。