「―――――――」
ソレは突然だった。一瞬で、彼女の中のある一部分が希薄に、まるで改変されたかのように静かに、劇的に変化した。四肢を失ったかのような喪失感、言い知れぬ不安。彼女にとって、ある種の守護に近い存在が消えるのは耐え難いモノであった。それは彼女のただ一度の過ち。戒めの証。同時にそれは、彼女がみた希望であった。
ソレが、消える。焦燥から、悲鳴が出る。
「あ、ああ―――ああああっ!」
消えてはいない。だが、余りにも希薄なのだ。この様なことは、これまで一度もなかった。彼女は常にその存在を感じていた。それがあまりに唐突に失われようとしている。
「ど、どうしたんだ?」
彼女の隣に居た男性が、突然取り乱した彼女に声をかける。どこか具合でも悪いのか、と。
彼女は叫ぶ。居ない、居なくなってしまった、と。それが何の事なのか、彼はおぼろげながら理解する。彼女の体にはもう一人居ることを、彼は聞いていた。おそらくはそのことなのだろう。彼にはしかし、どうすることも出来ない。歯噛みする彼をおいて、彼女は顔をあげる。どうしたのか、とその顔を覗く青年。
「――――」
言い知れぬ不安を青年は感じる。否、これは彼女から久しく感じなかった死の気配。直接自分に向けられたものでないとしても、ヒトを超越した彼女からあふれるソレは青年を恐怖させるに十分であった。だが、急なこの変化は如何したものか。まなざしは遥か遠く、一点を見つめている。きっと、その紅い目は自分には見えない何かを、見ているのだろう。
「違う――――そんなこと有る筈ないんだから――――!」
見えない怨敵に向かって、牙をむく。
いかに青年と言えど、この状況の彼女に尋ねることなどできない。きっと、もう少ししたら彼女は落ち着いて自分に事を話してくれるだろう。ならば、自分はそれを待つだけだと、言い聞かせる。何も手伝えない自分の無力さをかみしめながら。
◆
「ねぇ―――お話は終わり?」
深夜、寒さが体を縮めさせ骨身にしみる頃。あまりにも場違いな幼い声。それと共に感じる強烈な存在感。自然、視線が坂の上に引き付けられる。
それは――――異形であった。あれほど分厚かった雲は切れ間がでて、月が爛々とソレを照らしている。鬼か――――悪魔か―――。幾ら人気がない深夜の闇とはいえ、あってはならないカタチをしたモノが、そこにはあった。
「――――バーサーカー」
響いたのは、少女の声。神話における狂戦士と言う名は、その異質さを感じさせるに充分である。放つ存在感は並大抵ではなく、人間の枠などに収まるはずなどない。ならば―――サーヴァントで無くて何であろうか。隆々とした灰色の肉体は、巨大な岩石の様な鎧。堅牢な城壁を思い起こさせる。
「こんばんはお兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね」
黒い異形の足元。対照的な白い雪の様な少女は、微笑みながらそう告げた。その異常さが、よけいに背筋に冷たいものを這わせる。
「―――――何よ。アンタ、知り合い?」
少女は隣の少年に話しかける。声は小さいながらも、この状況においてなお芯の通った強い響きを持っている。決して目線は巨人から離すことは無い。距離はあるとはいえ、気を抜いたら一瞬で命を刈り取られる。注視していてもミエないかもしれないのに、どうして視線を外すことができるだろうか。彼女は、隣にいる少年が結託して自分を嵌めているのかとも考えたが、すぐに切り捨てた。目の端でとらえた彼は、明らかに余裕を無くして自分と同じように動けなくなっていたし、何よりも。
「――――知らない。こないだ話しかけられたんだ。でも、俺はあんな子知らない」
衛宮士郎という人物はそんなことを考えて実行できるような人間ではない――――。
「―――そう。でも驚いたわ。アレ、単純な能力だけじゃセイバー以上よ」
あっさりと、それを事実として受け止める。舌打ちをしながらその可憐な唇からこぼれた遠坂凛の小言は、異形を従えた少女によって聞き取られていた。
「―――ふうん。始まりの御三家だし、それぐらいはやっぱり分かるわよね」
そう少女はうれしそうに言う。目の前の絶望に打ちのめされそうになりながらも、必死に自分を奮い立たせている遠坂凛を、嘲笑うかのように。まるでそれは、這い上がれない蟻の無様な姿を下から楽しむアリジゴクのようで。
「――――初めまして、リン。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルンって言えば分かるでしょ?」
そうして、この状況(殺し合い)にはあまりに不釣り合いな行為―――行儀よくスカートのすそを摘まんでお辞儀―――をした。
「アインツベルン―――」
凛の口から低く漏れる。彼女には、先代である父から託された知識がある。アインツベルンの名は、聖杯戦争を語る上でなくてはならないモノ。魔術の名門、魔法に辿り着いた一族のマスター。始まりの御三家。呼び出したサーヴァントも一級品なら、彼女の魔術師としての腕も、名門の名にそぐわないわけがない。そんな、自分の名を聞き及んで震える凛を、少女はうれしそうに眺める。
「もういい?じゃあ――――やっちゃえ、バーサーカー」
そうして、少女は歌うように背後の異形に命令した。
弓のようにしならせた巨体。全身をバネにしたしなやかで強靭な筋肉は、一瞬で坂の上から命を刈り取りに来るだけの力を持つ。距離は関係ない。アレは、瞬き一つで殺しに来る―――!
「――――下がってください、シロウ!」
「安心しろ、俺は負けん…!」
そんな、少年少女の絶望を余所に、蒼銀と黒金の従者は互いに呼吸をするように前に出る。それはまさしく弾丸の様な速さで、踏み込まれたアスファルトがへこむほど。その過程、彼らは腰に差した剣を抜き放ち、下段に構える。
刹那、激しい音を立ててぶつかる剣と剣と剣。一足で何十メートルもの距離を詰めたバーサーカーが巨体を生かしながら振り下ろす剣と、その落下地点に走ったセイバーとアヴェンジャーの剣がぶつかり合い、火花を散らす。巨大な石をくりぬいて作ったような斧剣と、ともすれば折れてしまいそうなアヴェンジャーの日本刀、とセイバーのナニカ。彼女が持つ――――確かに剣の形を見た――――ナニカは、あるべき姿を晒していなかった。
セイバーの名を冠する彼女が剣以外を使うはずはない。しかし、彼女は何も持っていないように見える。不可視の剣――――彼女が持つのはそう言った類のモノだった。
明らかに質量は違い、それを操る腕も細いが、二人はバーサーカーの一撃を確かに受け止めていた。
「――――ハァ!」
「ゼァ!」
それどころか、二人は確かにその一撃を跳ね返した。これなら戦える。そう思ったのは、決して戦っている二人だけではない。幾度となく吹き荒れる暴風の様な斧剣を、アヴェンジャーはおろかセイバーも防いでいる。闇に煌めく銀色の閃光。彼らの華奢な体では、どう見てもバーサーカーの力に拮抗することは不可能だ。しかし、彼らは決して力負けすることなく、一歩も引かずに堂々と渡り合っている。一体どれだけの力が、魔力がその体に秘められているのだろうか。
「――――」
その光景を見て、衛宮士郎はただ息を呑み―――
「――ウソ」
遠坂凛は、改めて自分のサーヴァントの強さを再確認し、望んでやまなかった最優のサーヴァントの実力を目の当たりにしている。セイバーはパスがつながれておらず、魔力供給がないはずなのに。自身からアヴェンジャーに流れ出ている魔力の量は、決して無視できるほど少なくない。
「■■■■■――――!」
そして、おそらく一番驚愕の中にあるのはこの男で相違ない。自身と二人がかりであるとはいえ、互角に渡り合える敵。自分が幼いマスターを守るには総てを破壊しなければならない。全く脅威に感じなかった二人が自身に迫る身と知り、ギアを一つ上げる。
交錯する視線。狂気に彩られたバーサーカーからは、憤怒と破壊衝動しか読めないが、セイバーとアヴェンジャーは互いの考えを読み取る。それは、長年連れ添った夫婦の様で。
「貰った――――!」
吹きすさぶ暴風の一点の切間を見つけ、セイバーが挑みかかる。バーサーカーがそれに反応し、再び凶刃を向ける。だが、それこそがセイバーの狙い。
「取った――――!」
狙うは首。神速の一撃は急所を頭ごと切り裂く一撃を、逆側から跳躍したアヴェンジャーが放つ。バーサーカーとの鍔迫り合いに、セイバーは長く持たない。故に、一瞬のタイミングを逃すことはできない。それを確実に、狙い澄ました一撃―――。
「■■■■■――――!」
しかし。それは、余りにも凶悪な一撃によって、体ごと飛ばされた。
「ちぃ―――!」
何とか受け身を取るアヴェンジャー。それを逃さないとばかりに追撃をかけるバーサーカー。それとは反対側のセイバーは、巨体に追いつくことはできない。
「ぐぅ…!」
間一髪、剣で受け止めるアヴェンジャー。しかしながら踏ん張りの効かない体勢では、その勢いを止めることは不可能。再度吹き飛ばされたアヴェンジャーは、強かに全身を打ち付けた。
「アヴェンジャー…!この――――」
その間に、セイバーが必死に回り込む。トドメを刺そうとしていたバーサーカーの巨体が進路を阻まれた。アヴェンジャーは必死に体を起こそうとしている。頭を打ち付けたのか、金の髪は所々赤黒く染まっていた。
形成は一気に崩れた。アヴェンジャーはまだ戦えず、セイバーはバーサーカーの攻撃を一手に引き受けなければならない。しかも、掠っただけで皮膚が裂けるような斧剣を、だ。決して広いとは言えない坂道、遮蔽物も何もない。状況はセイバーに一気に不利に働き始めている。
「くっ…!」
甲高い剣撃の音。振動さえ伝わるような激しい踏込。全身全霊でセイバーは剣を振るい続ける。そうしなければ、一瞬で決着がついてしまうからだ。一人減った分、かかる負担は増す。それでも、彼女は勝利を信じて剣を握る。
「うそ―――何してるの衛宮君!こっちはいいから、貴方は自分のことだけ考えなさい!」
遠坂凛は、隣で戦いを見守る少年を叱責する。アヴェンジャーを霊体化すればいいのか、少女は判断に迷っている。彼の意志は立ち上がることを望んでいるし、あきらめてもいない。だが、今この現状で、セイバーがアヴェンジャーを守りながら戦っていることに関しては、アヴェンジャーを霊体化すれば彼女の負担は減る。その代り、自分を守るモノが居なくなるのだが。一瞬で命を取られるこの場において、それは致命傷だ。それよりも、なぜ、セイバーが傷ついたアヴェンジャーを護っているのか。お人よし過ぎる彼の指示なら、今すぐにでも辞めさせるべきだ。
「今すぐセイバーには自分の事だけ考えさせなさい!」
「何言ってんだ?遠坂」
「貴方、セイバーがアヴェンジャーを守る必要はないってんの!アイツがやられても、貴方には関係ない。私が脱落するだけなんだから!」
「そんなこと、俺は一言もセイバーに言ってないぞ。というか遠坂が脱落って…そんなことさせてたまるか!自分だけが生き残るなんて、俺そんなこと認めないぞ」
「このバカ!セイバーが不利って分かってないの!このままじゃ私たち共倒れよ。貴方達までそうなる必要はないわ」
「バカってなんだ!そんなこと言う遠坂の方がバカだろ!そんなこと言うなら勝手にしろ。こっちも勝手にするからな!」
そう言って士郎は凛から離れて行ってしまう。失敗した、と凛は思う。あんなことを言えば衛宮士郎という人物は反発するにきまっている。学校内でも彼の評判は『イイ人』だった。困っている人には自らを省みない。だが、ここまで酷いとは思わなかった。命は誰にも一番大事なモノだ。それを今彼は放棄しようとしている。
「あの―――バカ…!」
凛は、悪態をつく事しかできなかった。思い通りにならないそれを歯噛みしながら、アヴェンジャーに視線を向ける。そこには満身創痍ながら、必死に立ち上がる青年がいた。彼に流れている魔力はいよいよ勢いをまし、それが彼がまだ生きている事を証明している。
ガンガンと稼働している魔術回路は、その要求に答えるべくうねりをあげる。しかし、彼の目は閉じられ体の傷は修復されることは無い。絶望にも似た状況の中、凛は、確かに彼の声を聞いた。
「アヴェンジャー…?え―――すまないって…!?」
セイバーはギリギリの戦いを強いられていた。アヴェンジャーが居なくなり、バーサーカーはますます勢いを増している。魔力供給に乏しい彼女には、宝具の真名解放はできない。ならば、純粋な剣技で応戦するほかない。しかし、それも限界。力で押し切られ、脇腹を抉られた。遮蔽物がないこの状況は、暴風を凌ぐものがない。小回りを生かすことも出来ず、ただ風に流されまいと踏みとどまったが結果は見えていた。彼女の聖杯戦争は、一日目にして終わってしまう。
「く――――」
そんなことはさせないと、剣を杖に立ち上がる。枯れ枝のような弱弱しいそれを、暴風が薙ぎ払う。再度飛ばされる華奢な体。ボールのように跳ねたソレは、奇しくもアヴェンジャーの隣に転がった。
「―――終わりね。やっぱりバーサーカーにはどんなサーヴァントも勝てないわ。ついでに教えてあげる。バーサーカーの正体はヘラクレス。セイバーやソイツが何か知らないけど、ギリシャの大英雄にはかなわないんだから。トドメを刺しなさい、バーサーカー」
勝利を確信したイリヤスフィールがバーサーカーに命じる。ゆっくりと、死神の鎌が二人の首にかかっていく。――――そんな状況で、士郎はあろうことかセイバーの危機に飛び出した。
「セイバー!」
立ちふさがるようにセイバーの前に出る士郎。それを押しのけたのは、横から跳び出した凛だった。
「バカ!巻き込まれる!」
バーサーカーがしっかりと間合いを詰め、その斧剣を振りかざした瞬間、目を閉じていたアヴェンジャーがその金色の瞳でバーサーカーを捉える。突き出された右手が、まるでリンゴを潰すかのように力強く握られた。
不自然な風が吹く
――――その瞬間。
音がかき消される
大男の頭が―――、
爆弾のように
首から上が―――、
閃光が溢れる
木っ端微塵(・・・・)に爆ぜた。
大地が震える
飛び散る鮮血。地に伏せた凛と士郎が見たのは、首から上が無くなった大英雄の姿だった。そんな、自身のサーヴァントの死を見ても、イリヤスフィールは余裕だった。
「あ…。――――ふうん。貴方のサーヴァント凄いのね、凛。いいわ。バーサーカーを一回殺したから、今日のところは見逃してあげる」
「何、逃げるの?」
そんな凛の挑発に、少女はスッと目を細める。
「それだけにしておいた方がいいと思うわ。貴方達を殺すのなんて簡単なんだから。バーサーカーはまだ死んでない(・・・・・)。貴方達のサーヴァントは瀕死。素直に従っといたほうがいいと思うけど」
見ればシュウシュウと音を立てながら、吹き飛んだはずの頭が再生を始めている。どうやら言っていることは本当の様だ。それを見た凛も現状を鑑みて己の立場がよくわかっている。その口はキツク閉じられ何も言わない。それに満足したように、イリヤスフィールは最後、
「じゃあ、またね。お兄ちゃん」
可憐な笑みを浮かべながら士郎にそう言い残し、姿を消した。
◇
―――――それはただ、美しかったのだ。
月夜のなか、彼は知らない場所に降り立った。分からないまま、手さぐりに建物の中を走る。それはまるで何かに怯えているようで、子供の探検ごっこの様に無邪気。ただ、何かを知りたい。どうなっているのか知らなければ。そんな風に突き動かされてきた。やがて、大きな扉を迎える。それを躊躇いなく開けたその先には、優しい月明かりに浄化された庭園が広がっていた。澄んだ空気が、死んだ月からもたらされたかと思うと、どうにも変な気持ちになる。けれど、身体はそれを良しとして感受しようとするのだ。
―――――その中に、一人。
『彼』は立っていた。この月に浄化された世界の主の様に。彼から神秘が溢れ出て、それらを彩るかのように、彼は其処にいた。絹の様な光沢を持った金色の髪は腰まで届き、血の様な紅い瞳は彼の背後に君臨する月の様。鋭い眼光は魅入られそうになるほど畏れ多い。
「やぁ、気分はどうだい?」
そう言った声は詩を詠む様で。心地よいその響きは美酒を思わせる。
―――――ある、月夜に。
彼らは、出会った。
◇
それからの私はよく覚えていない。なんとかバーサーカーを倒したんだけど魔力は一気になくなってしまっていた。あれだけの傷を急速に治しているのだろう。アヴェンジャーは霊体化し、それ以来一切出てこなかった。正直、すまない、と言われた瞬間には何が何だか分からなくて、それを言った彼には消えてしまいそうな儚さがあったのだけど、それは杞憂に終わったらしい。未だ繋がれたままのパスはそれの証。そう思ったら安心して、膝から崩れ落ちてしまった。最後に見えた、あせってこっちに来るバカなアイツの顔に、不覚にも笑ってしまいそうになったっけ。
「うう…」
一気にモノを考えたら頭痛くなってきた。元々朝は強くない。体が重い。何とかベットから這い出て、初めて異常に気が付く。
「あれ…?」
おかしい。私の部屋はこんなに殺風景じゃない。というか、ベッドじゃなくて、布団に寝かされていた。畳じゃなくて、フローリングのはず。となると。
「衛宮君の家か…」
それもそうか、と一つ息を吐く。もし、これで自分の家についていたら結界が発動していたかも知れない。…セイバーの対魔力なら、どうにかできそうなのがアレだが。一応、この家にも結界は張ってあるようだ。けど、学校にある奴なんかじゃなくて、侵入者を知らせるような簡単なモノらしい。術式に暖かさが感じられる。そんなことを考えていたら、アヴェンジャーが話しかけてきた。
「おはよう、マスター。調子はどうだい」
「ええ、おはよう。誰かさんが魔力を大量消費してくれたからいまいちよ」
む、とそんな私の言葉で黙るアヴェンジャー。パスからは、申し訳なさが伝わってくる。本当、あれだけ強いのに如何してこう気の小さいところがあるのか。
「そんな顔しない。バーサーカーがあれだけ強かったんじゃ、しょうがないわ。対魔力も相当だったし、十分お手柄よ」
「――――」
アヴェンジャーに労いをかける。正直なところ、かなり凄い事をやってのけたのだ。ヘラクレスは言わずと知れたギリシャの大英雄。知名度は日本でも高い。信仰の強さがそのまま強さに変わる英霊の中で、これ以上なくその加護を受けている英雄の一人に違いない。それに加え、使役しているのは名門アインツベルン。術者の魔力量は桁違いな上、バーサーカーというクラスは本来弱い英霊を狂化によって強化し、聖杯戦争を戦い抜く為に設けられたクラスだ。―――間違っても、ヘラクラスなんてトンデモを呼ぶ為にある器じゃない。
「それで、話は変わるけど。状況、分かる?」
「まず、ここは衛宮邸。あの後魔力消費で倒れたマスターは、あの少年によって運ばれた。そこから半日。君はずっと眠っていたが、侵入者はなし。あの少年は未だ眠っている。…大きな借りが出来たな、マスター」
「そう、ね…」
ホント、あのヘッポコ如何してくれよう。
◆
問題のソイツは、未だ夢の中であった。すやすやと仰向けで行儀よく寝ている。あどけなさが残っている寝顔は、意味もなく私をイラつかせる。
「さっさと起きろ、ヘッポコ」
軽くつつく様に、脇腹のところを布団の上から蹴る。それだけの刺激でも、十分だったらしい。彼は身じろぎ一つすると瞼の内側から琥珀色の瞳を見せた。
「お目覚め?衛宮君。昨日あんな熱い夜を過ごしたのに、いつまで待たせるのかしら?」
「は…?」
と、それで一気に眼が見開かれた。驚いている驚いている。そのまま、声にならない音を出しながら足をバタバタさせて、気持ち悪い動きで壁際まで逃げた。そのまま減速を忘れて、壁にドン、とぶつかってもんどり打っている。バカだ。
「とととととと遠坂!?な、ななんで家にいるんだ!?」
「あら、貴方が私をここまで連れてきたんじゃなくて?酷い事言うのね、衛宮君」
やばい。口の端が上がっている。ニヤニヤが抑えられない。この慌てっぷりが見れただけで、良しとしようか。衛宮君もどうやら気づいたようだし。
「――――む。そっか。昨日、あの後俺が遠坂を運んだんだっけ」
「ええ。どうやらその様ね。ありがとう衛宮君。お礼は言っとくわ」
「それで、大丈夫なのか?昨日急に倒れたから心配したんだぞ」
「大丈夫よ。ちょっと魔力が足りなかっただけ。身を挺してバーサーカーの攻撃受けに行くようなことしてないもの」
う、と心当たりが大いにある彼はたじろいでいる。なんにせよ、その見苦しい恰好はやめてもらえないだろうか。
「話は居間でしましょう。ちゃんと着替えてきなさい」
そう言って私は、彼の部屋を出た。
「で、まずはこっちからね。ありがと衛宮君。ここに保護してくれて」
正直助かった。あのまま放置されていたら、きっと私は凍傷になっていただろう。アヴェンジャーは現界不能、もしかしたら他のマスターにやられていたかも知れない。人一人をここまで運んでくるのは、交通機関が止まっている深夜ではかなり時間がかかっただろう。ただでさえ、行に一時間以上かかったのだ。
「そんなことないぞ。こっちだって遠坂には助けられた。昨日だって、俺たちだけじゃどうしようもなかったし」
「―――そう。じゃあ、これで終わりにしましょう。借りは返したしね。ところで―――」
そこで一度言葉を切る。昨日のあれだけのことしてくれたんだから、ちょっとはこっちの身にもなって欲しい。けど、このバカは何にも考えちゃいないんだろう。
「―――昨日、アンタ自分がどれだけ愚かな事したって、分かってる?」
ふん、と鼻息一つ出たくもなる。あれだけ親切にしてやったというのに、まさか全部水の泡になりかけ…いや、もうなっているのかも知れない。
少し眉間に皺が寄っている。あれは、そう。完全に納得いってない顔だ。
「なに言ってんだ。アレは他に方法がなかったじゃないか。結果的には助かったけど。でも、ちゃんと上手くやるつもりだったんだ。タイミング的にも十分時間は―――」
「マスターが死んだらサーヴァントは現界できない。…貴方に無駄な行動させないように教会に連れて行ったのは、私の無駄な労力だったようね」
―――あったはずだなんて、言わせない。その目の光がどうしようもなくムカつく。自分の行動がバカじゃないと視線で抗議している。ため息の一つも付きたくなる。
「む―――」
そのため息に反応した衛宮君が不満げに一つ吐くけど、そんな反抗的な態度許さない。
「いい。貴方がやっていたのは全くの無駄なの。庇ったところで貴方がやられたらセイバーは消える。援護するならもっと安全なところからしなさい」
「庇ったわけじゃないぞ。タイミング的にも十分間に合ったはずだ。結局は関係なかったけど」
「あのね衛宮君。私が教会に連れて行ったのは貴方が一人でも生き残れるようにって考えた結果なの。…無駄な労力になったようだけど」
「俺が、生き残れるように…?」
それに関しては全く考えてなかったようだ。きょとんとしながら、その考えがなかったようだ。…ここまで報われないと少し悲しくなってくる。
「そう。負けることはそのまま死に繋がるって考えたら下手な行動しないかと思って。貴方、こんな状況でも夜ひとりで出歩きそうだから。脅しておけば少しは危ない橋わたることも無くなるかと思って」
「…ごめん。気が付かなかった」
噛み締めるように。衛宮君は言ってくる。初めて謝罪が聞けた。少しは理解してきたようで顔は俯いている。髪の間から申し訳なさそうな表情が見え隠れする。そんな折、ふと。
「けど、どうしてそこで遠坂が怒るんだ。俺がヘマしたって、遠坂には関係ないじゃないか」
「関係なくはないわ。昨日最後まで、私は面倒見るっていったんだから。わざわざした努力を簡単に捨てない!」
そんはことを言ってくる。私の努力が意味なかったって、必要なかったって言って欲しくない。言われたくない。要らないと、無駄と分かっていながら、敵に塩を送ると知っていながら、昨日私は彼の為に行動したのだ。
「そうか。遠坂には世話になったんだな。ありがとう」
「――――」
ようやく分かってきたらしい。素直なコイツにふさわしく、きちっと頭を下げてきた。
「ふん。分かったなら、ちゃんと考えて行動しなさいね」
これなら、一安心だろう。もう、無茶な行動はしないはずだ…しなければいいと思う。